■南マグロは生き残れるか
(1)日本とオーストラリアの論争
1980年代の後期、日本政府が独自に設定した「科学的調査捕鯨」にたいしてグリーンピース・インターナショナルは新聞広告を使って反対運動をもりたてた。すばらしい青い海に浮かぶ大きな日本の捕鯨船の写真があり、その上に書かれたキャプションは有名になった。
問: 日本の漁業調査官の定義は?
答: ハングリー!
この冗談は、外国の多くの人にとって、独自の調査捕鯨に日本政府が意図する欺まんを表現したものだった。何千頭もの動物が殺されて、結局は日本の料理屋の旨いメニューとなる。いったい、どこが「調査」なのか? この「調査」の結果、日本の海洋調査の評判は深刻なダメージを受けることになったのだ。
あの疑わしさの旨そうな臭いが、また漂いはじめた。今度はクジラではなく、日本食ならではの舌触り、高級魚の南マグロ(Southern Bluefin Tuna)だ。日本人がトロを食べたいがあまり、種としてのミナミマグロに死刑を宣告する可能性すらありそうなのだ。
1999年8月、国際海洋法裁判所は、日本が独自のミナミマグロ実験漁計画を中止しニュージーランドおよびオーストラリアとの漁業交渉を再開するよう命令した。この件を国際海洋法裁判所に訴えていたニュージーランドとオーストラリアに日本を含めた3か国は、3者によるミナミマグロ保護委員会を構成していたが、ミナミマグロがどれだけ存在するかについて意見が一致することがなく、3年間にわたって交渉は進んでいなかったのだ。委員会内部のニュージーランドとオーストラリアから提案された共同調査計画についても同意にいたらず、日本は1998年なかばに独自のミナミマグロ調査漁獲計画を開始したが、それは保護員会の定めた日本の年間漁獲割当て5,588トンのうえに新たに1,440トンを科学的調査目的のために漁獲するという内容だった。国際的な日本の科学のイメージにとっては不幸なことには、調査が科学的に不適切であると批判されたうえ、またもや、その科学調査資料は世界に知られた築地の魚市場で売られていたのだった。
ミナミマグロは、南極大陸近くから、北限はオーストラリア、アフリカ、南アメリカの南岸までの冷水域を高速で回遊する。成魚は長さ2m以上、重さ200kgにまでなる。寿命は長く8年から12年で成魚となり、40年以上生きるものも多い。9月から3月までの期間にジャワ島から東北オーストラリア間の温暖な海域で産卵繁殖し、6月から8月の期間にはオーストラリア南方やインド洋南部の冷水域にもどり、そこで栄養をたっぷりとり太る──そこが人間にとっての漁場である。種の保存には不都合なことに、ミナミマグロは美味であり、日本ではサシミになるので高値がつく。日本、オーストラリア、ニュージーランド、台湾、韓国、インドネシアの各国の漁船団に加え、多くの「便宜的船籍」の漁船が毎年水揚げする15,000トンのミナミマグロの90%は日本へと運ばれる。
3か国間の議論の焦点には法的な側面もあり、また科学的な側面もある。が、いちばん重要なのは、ミナミマグロがどれだけ存在するか(ストック)についての科学的見解の相違である。オーストラリアと日本が1950年代なかばから1980年代なかばにかけて無制限に漁をした結果、危機的な水準にまで落ち込んだという点については、両サイドとも合意してはいる。日本のミナミマグロ漁獲量は1952年にはゼロであったが、1959年には60,000トンに達し、1961年には80,000トン弱のピークを記録している。その翌年以降は、世界合計のミナミマグロ漁獲量(重量換算)は急激に落ち込むことになる。もっとも、その一方でオーストラリア漁船団の水揚げするミナミマグロの匹数(個体数)は1980年代はじめまで急激に上昇していたのだ。
1980年代はじめには、ミナミマグロのストック減少をくいとめようとする日本とオーストラリアによる非公式で自発的な協力がはじまった。1993年には、オーストラリア、ニュージーランド、日本がミナミマグロ保護委員会を形成し、漁獲総量上限を11,750トンとし、3か国のあいだでそれぞれの割当量を決めたのだ。1980年代の非公式の合意と、保護委員会の管理のもとで、日本もオーストラリアも相当量の漁獲削減をすることを受け入れたのである。日本についていえば、1985年から1990年までの年間漁獲量の半分以下の割当量であった。
1993年の漁獲総量上限は、2020年までに1980年のストック水準に回復するよう定められたものだ。そして現在、日本政府によれば、ミナミマグロのストックは予想以上に回復しつつあり、したがって漁獲総量上限を引きあげること──また日本の割当量も引きあげること──は理にかなっているというのだ。オーストラリアとニュージーランド政府は、日本政府が根拠とする調査研究に科学的欠陥があるとし、この日本政府の主張を拒否している。1998年日本が、調査漁獲の漁獲量を2001年までに2000トンとする独自の調査漁獲計画の実施を決定してから3年間、保護委員会での共同調査への協議は頓挫してしまっている。
国際海洋法裁判所の命令によって、日本は現在のところ調査漁獲計画を中止しているが、計画そのものを放棄したわけでも、保護委員会内部での漁獲割当の引きあげ要求をとりさげたわけでもない。国際海洋法裁判所の命令した新たな交渉はこれまでのところ不調に終わり、問題の決着は来年の国連海洋法仲裁裁判所による決定にまで持ちこされることが確実だ。
陸上生態学にくらべ海洋生態学一般はまだ未発達であり、ミナミマグロのような大型の高度回遊魚のライフサイクルや諸条件についてはほとんど知られていない。さらに、一方でニュージーランドとオーストラリア間の、また他方でこれら2か国と日本との間の、科学的な見解の相違には非常に複雑な問題がある。生態モデルの設定技法、数学的技法、調査設計のもとになる仮説、調査計画の実施のいずれをとっても、意見は一致しない。これらは、たとえ3者が友好的な雰囲気で歩み寄ろうとしても、即座に簡単に解決とはならない問題だ。
はっきりしていることは、保護委員会に加盟していない国によるミナミマグロの漁獲量が1990年代に急速に増大し1998年には4,500トンを超えていることである。これはミナミマグロの将来にとってたいへんな脅威である。韓国、台湾は、保護委員会に加盟することに関心を示しているが、両国の現在の漁獲量を維持できるよう、総漁獲量上限を引きあげることを求めている。台湾の加盟には外交的に微妙な問題がある。中国の「一つの中国政策」との関係である。また韓国は深刻な経済不況のために、輸出収入の維持に懸命になっている。インドネシアが保護委員会に加盟することはほとんどありえない。また漁船の「便宜的船籍」の問題についてグローバルなレベルでの前進は、ほとんど見られない。
日本は、調査漁獲政策を維持しているのはミナミマグロの持続可能な漁獲量を判断するための合理的根拠を科学的に確立するためにすぎない、としている。それにたいして、オーストラリア当局は日本の動機は純粋に経済的なものだと考えている。日本の漁業は近年きびしい合理化を強いられており、それゆえ魚の輸入量を増やさざるをえなくなっているのだとオーストラリア当局者は指摘している。漁獲割当を増やそうと日本がやっきになっているのは、かろうじて残っている遠洋漁業部門を健全に保とうという日本政府の決意に由来しているというのだ。このことは同時に、日本の与党の利益になるのだろうというのだ。
他方、オーストラリアはエコロジー的に持続可能な発展という原理への支持にもとづいて活動しているという立場である。ミナミマグロのストックは、まだ非常に危険な水準にあり、日本の調査漁獲および保護委員会非加盟国による漁獲の圧力がつづけば、ミナミマグロのストックはほぼ絶滅に近い状態になると、オーストラリアの科学者は主張している。こうした事態はたしかにありうることだ。ところが、オーストラリア政府の経済アドヴァイザーは、オーストラリアの側にも科学とは別の動機があることを明らかにしている。歴代の労働党・自由党政権は、輸出増大の必要性とグローバルな輸出市場でのオーストラリアの競争力の維持の必要性を強調してきたため、オーストラリアの海産物輸出は近年劇的に増加している。ミナミマグロのストックが充分に回復されるならば、将来オーストラリアのミナミマグロ輸出量がもっと増大する可能性があることを、経済アドヴァイザーは強調している。
いいかえれば、日本、オーストラリア両国とも科学者はそれぞれに最善をつくして調査をし良心にしたがって自説を主張しているが、政府は両国とも、それぞれの国の利潤と経済的繁栄という動機によって動いているのだ。
しかし、この政府間の衝突が当局レベルで長びき深刻化すれば、絶滅の危機にあるミナミマグロの生存にとても重要な多くのことが無視される結果になる。われわれは、「国益」の考えを超えて、さらには「人類の利益」の考えを超えて、あらゆる生物への正義に向かって、自然への人間の責任という問題を考えることが、どうしたらできるのだろうか。そういった枠組みがあるとして、そこでは人間のミナミマグロ漁は何を意味することになるのだろう。
これは次回(2)の課題にしよう。