2009年2月12日

歪んだ時計は、ダリの落とし物?

自分がいる世界とは、こんなにも鮮やかなんだ!!と思ったのは、初めてコンタクトレンズを装着した時の数分間だったかもしれません。
今、公開されている映画「ベンジャミン・バトン 数奇な人生 」は、観にゆく予定もありませんが、これは一種のタイムトラベラー話なのでしょうか?歴史的事実とリンクさせてゆくみたいな手法は、「フォレスト・ガンプ」調? 公式サイトで予告編をみただけで、全部観た気になってしまいました(笑)
映画の内容はともかく、原作が『華麗なるギャツビー』などを書いたスコット・フィッツジェラルドというのが、とっても意外でした。これもまた読んでもいないのに申し訳ないすまぬすまぬになってしまいますが、映画を観るほどには面白くないのではないかという予感がします。あるいは、どんな掌編でも長大な、感動的な映画に変容しうるということでしょうか。歪んだレンズの眼鏡をかけて、やっとスッキリみえる世の中には住みたくないものです、、、。

2009年2月11日

空色も移りにけりないたずらに

花になくうぐひす、みづにすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるもの、いづれかうたをよまざりける、、、これは、『古今和歌集』「仮名序」の一節ですが、「花」と言えば黙っていても「桜」になるのは、もう少し時が流れてからのことのようです。
梅から桜へとパラダイムが変容するほどの時間ではありませんが、、、起きなくてはいけない時刻の1時間も前に目が覚めてしまって、なぁんだと思って油断していたら、そこから一瞬だったのに3時間が経過してしまいました。走れるとこを全部走っても定時には間に合いそうもないので、勤務先に電話してお休みしてしまうことにしました。
昨日のように気温は上昇せずに時折、空から氷の粒が、、、。日曜・祝日がお休みの友人と一緒に秋葉原へ行くことになっていて、22日に予定したのを繰り上げて出かけることにしました。
若い男の子がメイド服の娘と肩を並べて歩いていましたが、、、そういうメイドとの一緒にお散歩商売が成立しているのか、彼女がコスプレ趣味なのか?声をかけて問い質さないと分からなそうでした。友人の指摘で気付いたのですが、秋葉原でジャンク品を漁っている人達とアニメキャラクター系などの趣味の人達とでは、服装や靴のグレードがまるで違うのでありました。食事の場所にしても、商談成立しちゃいました!!という感じで、ネクタイをした人達がぞろりとでてきた飲食店のお品書き値段は、けっこうなものでしたし、狭い一画でも棲み分けみたいなことがちゃんとあるものなのですね。秋葉原の青果市場で働いていた人達には、どんな風に見えているのだろうと思いました。
一時、リッター95円くらいまで下がったガソリンでしたが、ぜいぜいぜい込み100円ポッキリだぜい!!になってました。普段あまり車に乗らなくてもガソリン価格などを見ておくと、見馴れた景色すら突然ビビッド!!に変容するものです。

2009年2月10日

紀元前660年のじんじんじん

「腹の虫が治まらない」と同様に「怒り」を表すのに「腹に据えかねる」がありますが、こちらは虫下しも効きません。怒髪天を衝くことも加わって国民の政治不信は、どんどこどんどん増殖していますが、民主主義であっても簡単にはチェンジできないのだから、独裁者が腰を据えてしまった国家を変革するのはとっても困難だということでしょうね。
「虫唾が走る」というのは、現代ではとても不快な様や嫌でたまらないという意味にしかならないようですが、江戸時代の頃では、美味しそうで唾がわき出てくると解釈しないと意味が通じそうにない川柳などがあります。テレビで見る某国首相のひん曲がった顔は、こみ上げてくる虫唾を懸命に堪えているように思えますが、きっとてっぺんに行けた美味しさをかみしめているのかもしれません。彼の祖父は人を食って元気の秘訣にしてましたね。
「蓼食う虫も好き好き」とも言って、他人の嗜好は謎のまた謎、、、あしたは、イランの革命記念日だったでしょうか???
花になくうぐひすは、一日にどれほどの虫を腹にいれるのでしょう?

2009年2月9日

春よ来い、頭に来るか腹に来るか

虫の知らせはどこへ来る?
でんでんむしは、かたつむり。パンスト破るは、でんせんむし。「腹の虫が治まらない」と言うときの虫は、空腹時に鳴く虫とか単に寄生虫を言っているのではなく庚申信仰の「三尸(さんし)」と関係がありそうに思えますが、本当のところはまだ調べていません(^^;)
青面金剛に踏みつけられている三尸と見ざる・聞かざる・言わざるの三匹の猿を彫った庚申塔は、かなり多く道端に建てられています。庚申の夜、青面金剛に疫病の予防治療と人間の身体にあって、人を短命にするという三尸を除いてもらい、長生きできるように祈るものだそうです。写真の石塔は道しるべも兼ねていて、昔は多くの人が往来した場所なのでしょうが、今は誰も通らないようなところです。
標本になっているような寄生虫は長大で、そんなものが腹の中に入っていると想像するだけでも不気味ですが、飲むと危ない水しかないようなところで生活するなら、寄生虫がお腹の中で毒消しをしてくれるそうです。たぶん関係はないかもしれませんが、花粉症なんかは日本でほとんど寄生虫との縁が切れてから発生していると考えるならば、もしかすると「無視」できない程度には、役立っていた虫だったのかもしれません。

2009年2月8日

HALかなる、ででれこでんでん

昨夜、厳しい戦いとなっていたフィギュアスケートの真央ちゃんはどうであったのかと録画予約しておいたテレビを見ようとしたら、録画されていなくて「(チューナーの)デバイスが見つからないのでパソコンを再起動してみそ!!」とのことでした。指示通りに再起動するとパソコンメーカーのロゴを表示して止まってしまい起動の選択もできない状態です。一週間前に1年間の保証が切れたところなので、ぷっつんしたのはマザーボードかハードディスクかと、しゅるしゅるしゅるっ~と身体から元気が抜けてゆく感じがしました。
しばらく呆然としたのちに気を取り直してパソコンの側面を開き覗いてみると、、、ハードディスクの底面基盤にホコリが溜まっていたので、これを掃除機で吸い取ったら何事もなかったように正常に起動しました。
パソコンは、新旧2台が常時電源ONのままなのですが、今朝起きると旧型のほうのモニターが真っ黒で何も映っていなくなっていました。これも再起動させてみると、、、やはりモニターにはなにも表示されていませんが、パソコン本体は正常の様子でした。
出勤前のあわただしい中での悪い部分検証作業とあいなりました。まぁ結局は、グラフィックボードがご臨終のようです。お仕事帰りにグラボを購入してきましたが、壊れたのがどれほどのスペックであったのか記憶にないので、選択に迷いました(^^;)
なんだか知らないうちにグラボも新規格になってしまったのか、挿すところの形状が異なるので購入した物は使えないことが判明しました(T_T)
よく連鎖的に家電製品が壊れることがありますけど、それって電灯線のなかを魔物がびっりびりっと通過していった結果なのかと妄想が脹らみかけます。魔群の通過、今夜はあなたの部屋へと……。

2009年2月7日

インフレにタミフルは効きません

インフルエンザは風邪ではないというお話もあるようですが、職場ではひとりかふたりずつ、まるでバトンタッチリレーするかのように感染して休んでいます。ちょうど半数まできました。今から思うと子供の頃に着用していたガーゼのマスクなんか、ただの気休めにしかならなそうですね。
コロンブスが新大陸を発見してから地球をぐるりと半周以上、、、シルクロードをぱっこんぱっこんしながら、遙々日本にまで梅毒が届けられるまで20年ほどかかったそうですが、今なら20日とかからないかもしれません。
ひとり暮らしの場合は、寝込む前に食料などを仕入れておかねばいけませんが、大抵そんな時はすでに食欲など失せているものです。去年の毒入り餃子事件よりもずっと前から、冷凍食品などの備蓄はやめてしまいました。万が一の事態に備えても大危機がやってくるまえに賞味期限がやってきて、銭失いの油断大敵となってしまうものです。
わたしの自宅でのインスタントコーヒー消費量は一ヶ月あたり100グラム程度でしかありません。今朝一壜なくなったので、買い置きしてある賞味期限を確認してみました。インスタントコーヒーは、スーパーの安売りの時に毎回買うとすぐに1年分くらいの備蓄量になってしまいます(^^;)
200グラムのビン入りと詰め替え用170グラムパックが紙パッケージと両面テープで連結されているのが、あと1ヶ月くらいで期限切れとなる日付けになっていました。ところが、その連結を解いて、よく見ればビン入りの方はまだ1年以上も賞味期限があります。詰め替え用が先にダメポになるなんて、このコーヒー会社はアホですかバカですかというダメポさ加減ではないでしょうか。でもインスタントコーヒーなんかは、あと20年後でも美味しく飲めてしまいそうな感じがします。
インフルエンザが目に見える大きさだったら、防ぎやすいかもしれませんが、けっこう気持ち悪いでしょうね。

2009年2月6日

風は見えないけど見えてるような気がする

人面魚などというものがテレビなどで取り上げられたのは、もうだいぶ昔になってしまいました。写真の蜘蛛は、人面よりもオズの魔法使いなんかに出ていそうなライオン顔のような感じです。この蜘蛛を補食しようとしたなにものかが、「わっ!!ライオンだぁ!!」と逃げ出すなんてことはないでしょうけど、、、それでも何か得することがあるのかもしれません。
どこかの大きな本屋さんでも図書館でも隅から隅まで背表紙を読んでみるなんてことは、まだしたことがありませんが、世の中には間違っても手にとって読んでみることをしない書物のほうが圧倒的に多いものです。たとえ間違って読み始めてしまって、内容もだいたい理解できたとしても興味がなければ、きっと3歩歩いたニワトリ状態できれいさっぱり忘れてしまうことでしょう。
「風を読む」という言い方は、どこか格好良いですが、冷たい突風の吹き荒れている日に街をふらふらしていると、風を読むのではなく、風邪をひきます。