しかし、システムが安定して提供されるようになると、様々な問題が発生してくる。それをどうやってクリアしていくのかが大きな課題となってきて、この時点で「ただ面白ければ良い」というサイトから、「どうやってお金を稼いでいくか」を考えなくてはならないサイトになってくる。そのときの視点は、必ずしも利用者の視点ではない。そして、やがて利用者から「これは駄目だ」と判断されてしまう。
ほとんどのネットシステムがこうした衰退路線を取っていくことになる。これはもう宿命と言っても良い。例えばミクシィが一時ほどの勢いをなくしたのは、ミクシィがつまらなくなったからである。なぜつまらなくなったのかといえば、面白くないことしか書けない、あるいはそもそも何も書かないユーザーが増えたからだ。もともとミクシィというシステムは面白ことを書ける人間や、そこに存在するだけで価値がある人間によって繁栄してきたシステムである。立ち上がりから数年ぐらいまではこうした「良い状況」がキープされていたのだが、徐々にその性質が劣化してきた。それは、ミクシィというシステムが一般化したからに他ならない。一般化とは、退屈なものになるということだ。どこの誰が書いたのかわからない日記が氾濫していても別にそれほど興味はないし、3行ほどの、大して読む価値もないような、本や映画に対するレビューを読んでも時間の無駄である。そうした状況は大局的には全く正常なことで、一部の有識者や、能力の高い人だけのコミュニティよりも健康的ではある。しかし、健康的であることと面白いことは全くベクトルが異なるのだ。その点、2ちゃんねるが今でも有用性を保持していることと対照的でもある。2ちゃんねるの情報も以前に比較すれば劣化したことは間違いない。しかし、2ちゃんねるには一般生活者が利用するには一定のハードルがあって、潜在的に「ちょっと怖い」という印象を与えていることができるため、それが一定のクオリティを維持することに働いている。誰でも書きこめる、という状況があるにもかかわらず、相変わらず「一部の人のメディア」という立ち位置をキープしていて、それによって、「駄目サイト」にならずに済んでいるわけだ。
通常の社会においては、まず大衆が構成され、その中から優秀な人間、特徴のある人間のコミュニティが形成されるのだが、ネットにおいては流れが全く逆になる。それはfjの時代もそうだったし、BBSの時代もそうだったし、2ちゃんねるにもそういう傾向はあるし、上に例示したように、もちろんミクシィも一緒である。
そうした大衆化の流れと同時に、ほとんど例外なく、システムの内容は陳腐化する。価値のある情報の中に無価値な大量の情報が流れ込み、それがノイズとなるのだから、当たり前である。いま、そうした流れの中に巻き込まれて、駄目なサイトになりつつあるのが「食べログ」である。
「食べログ」は、僕自身立ち上げ当初からレビューを書き込んできたし、ブログで宣伝もしたし、今もラーメンのレビューを初めとして、何かを食べに行ったときはほぼ全ての店のレビューを登録してきている。自分がどこかにでかけて何か食べるときも、食べログでお店を探すことが少なくない。Googleでお店の情報を調べても、上位に表示されるのは食べログのレビューであることが多い。そんな風に、非常に影響力の大きなサイトに成長したわけだが、そのほころびが目に付くようになったのもあっという間のことだった。
このサイトが駄目サイトになってしまった理由として最大のものは、おそらく「どうやって稼ぐか」という部分に対しての良いアイデアがなかったということだろう。
今、食べログがお金を稼いでいる手法のうち、最大のものは広告モデルだと思う。もともと、利用者サイドに立って構築されたシステムだから、それを利用するには広告が一番手っ取り早い。このあたりが、ぐるなびと大きく異なるところでもあり、そして事業を難しくしているところでもある。ぐるなびは目線が企業に向いている。それぞれのお店に対して営業をしかけ、サイトに掲載し、そのアクセスログなどを売ることができる。B to Bのサイトで、そこに生活者がアクセスしている、という構図だ。ところが、食べログは店にアクセスするパイプが非常に細い。お店をどうやって宣伝するか、というサイトではなく、お店の評価をみんなで持ち寄りましょう、というシステムだからだ。そのあたりは徐々に姿を変えつつあり、店の方からも情報発信ができるようになりつつあるし、また、食べログ内での検索結果でもクーポンを用意している店は上位に表示されるなど、食べログと店の関係も構築されてきている。このあたり、食べログとしても苦心の策ということなのだろうが、利用者からすればこれもノイズだ。一番美味しいお店を知りたいのに、なぜか一番美味しい店ではなく、食べログと提携しているサイトが上位に出てきてしまう。こうしたシステムが利用者に嫌われることは間違いがない。
続いて食べログが犯した間違い。それは、レビューを書いた人にポイントを付与するという策である。一つのレビューを書いて得られるポイントは、現金に換算してたったの20円である。僕などはこれまで1000を超えるレビューを書いているのだが、これが全て現金に換算されてもたったの2万円である。個人的にはとても費用対効果が見合わないと思うのだが(ちなみにバイオの仕事で僕がコンサル業務をした場合、僕の時間単価が2万円である)、それでも良いと考える人も皆無ではないようだ。このポイントを目当てにして雑な三行レビューや、あるいは食べてもいないのに適当に書いてしまう架空レビューまでもが登場している(後者については厳密な検証は不可能だが、実際にはないメニューについて記入されていたり、すでに閉店している店のレビューが書かれたりなど、明らかに「本当に行ってない」というものがあるようだ)。こうしたごみ情報がどの程度存在するのかチェックしたことはないのだが、サイトの価値自体が低下していることは間違いない。
そもそも、ネットでレビューを情報発信する人間と言うのは、食べログが立ち上がる前から、livedoorグルメやアスクユーなどで書いていた人がほとんどで、食べログが始まってから新規にレビューを書き始める人よりも人数的に多い。そうした移籍組がレビュアー上位に名前を連ねている状況において、新しいレビュアーが存在感を見せ付けるのはなかなかに難しいし、そうした人はいたとしても、人数的に少なくなるのは仕方がない。ところが、食べログとしてはとにかくレビューの数を増やしたいと思っている。何故かといえば、一つにアクセス数が増えるし、もう一つに情報量が増えれば検索される頻度が増えるし、そして何より、情報が増えれば評価の性質がアップすると勘違いしている。このブログでは何度も、「大衆の意見が正しいなんていうのは妄想だ」ということを書いてきているが、食べログはこれを実証してくれている。レビューの数が増えれば増えるほど、その質は劣化している。それはサイト全体にも言えることだが、同時に個別の店についても言える。個別の店について、「レビューが参考になる」と感じるのはせいぜい10レビューぐらいの場合で、それが50を超えたりすると、もう全く役に立たない。そもそも、食にこだわりを持っていて、それなりに食べた経験があり、それを的確に評価したり文章で表現できる人間がそんなにたくさんいるわけがないのだ。結果として、大勢のレビューになることによって、サイトの情報の質は低下することになる。
そして、もうひとつ、食べログを駄目にしつつあるのが「レビュアー評価システム」である。これは、閲覧者がレビューを読んで参考になった場合に投票できる「参考になった」票である。このシステム、一部のレビュアーにとっては「私のレビューを読んで貰っている」と感じさせ、レビューを書かせるモチベーションになっているそうだ。そんなに読んで欲しいなら食べログみたいに大勢のレビューに埋もれちゃうようなところではなく、自分のブログでレビューを書けば良いのに、などと思ってしまうのだが、まぁそのあたりは個人個人の判断だからどうでも良い。どうでも良いのだけれど、この投票がお店の評価に影響を及ぼしているとなると、話はちょっと変わってくる。
やや複雑になるのだが、食べログにおいては、各レビュアーが「信頼性」という裏要素を設定されている。信頼性が高いレビュアーが5点をつけて、信頼性が低いレビュアーが1点をつけた場合、本来なら平均を取って3点になるところ、重み付けされて4点になるとか、簡単に言うとこういった処理がされている。そして、その信頼性を算出するファクターの一つとして、「投票数」というのが含まれているのだ。ところが、この投票、非常に透明性が低く、また談合体質の日本においては情報操作が可能なものでもある。たとえば、友達同士で投票しあうなども簡単にできる。つい先日、僕のところにあるレビュアーから、「あなたのレビューはとても参考になりますね」というメッセージが送られてきて、その直後に僕のレビューに大量の投票があった。そのレビュアーがどういうレビュアーなのか、ちょっとレビューを読みに行ってみたのだが、そのレビューが結構いい加減なのだ。いい加減なレビューなのだが、そのレビュアーは物凄い数の参考票を集めていた。その状況を見て、「なるほど」と思ったわけである。「あなたのレビューは良いですね」と存在をアピールしつつ、参考票を投じる。参考票がもらえると嬉しいな、と思っているレビュアーが、「お礼に、相手のレビューにも投票してあげよう」と思っても何の不思議もない。相手からレビューに投票があれば、最初のレビュアーは「しめしめ」と思う。そして、また相手のレビューに投票してあげるわけだ。これによって、相互の大量投票ネットワークが1つ形成される。そして、これをシステマティックに続けていけば、あっという間に大量の投票を集中させることができる。
加えて、食べログが駄目サイトになりつつある要因として、日本フードアナリスト協会との連携が挙げられる。
日本フードアナリスト協会
この協会は「フードアナリスト」という資格を提供している団体である。
僕は役人時代、何度か「新しい資格をつくりたい」という相談を受けた。その背景は簡単。お金が欲しいからである。資格をやる側としては、
1.教材
2.試験
3.認定
といったそれぞれのフェイズでお金が入ってくるので、こんなに美味しい商売はない。僕が「じゃぁ、その資格は生活者サイドから見てどういうメリットがあるんですか?」と聞くと、ほとんど誰も答えられない。別にそんな資格は必要とされていないんだから当たり前だ。
「フードアナリストって、一般の人から見て、なんの役に立つの?」という質問にも、明快な答えなどあるわけがない。この資格が存在して欲しいのは、それを運用している組織と、その資格が欲しい人だけである。ところが、食べログはわざわざ特設サイトまで作って(もちろん協会からお金をもらっているのだろうが)、その資格を持っているレビュアーを掲載している。このレビューを読むと、その資格が何の役にも立っていないことがわかってしまうのがまた皮肉でもある。酷いレビューのオンパレードだからだ。例えばフードアナリスト2級という輝かしいレビュアーの「よっぴぃ☆」さんのレビューをひとつ見てみよう。
手軽にチーズフォンデュが楽しめるお店です♪
状況説明が中心で、料理のことなんてほとんど書いてない。せいぜい、
リーズナブルなお料理ですが、すごくこだわりを感じました★
この1行だけ。しかも、どのアタリがリーズナブルで、どこにこだわりを感じたのかが書いてない。これが2級のレビューというのだから、資格の質も想像がつく。
そうした資格を持った人間をわざわざリストアップして、まとめているわけだ。これだけなら別に何かネガティブなインパクトがあるわけではないが、近い将来、ここの人たちが相互に投票をしあい、それぞれの影響力をアップさせようと考えても何の不思議もない。
このように、投票機能は食べログにおいてほとんど良い効果をあげておらず、逆に悪影響を与えているのだが、なぜか食べログサイドはそれに対して頑強にシステムの維持を主張している。このシステムを使って何かマネタイズを考えているとしか考えられないのだが、それがどういう形であれ、利用者サイドにメリットよりもデメリットを生じさせるものであることはほぼ間違いがない。
実は、個人的には「こういう風にしたら良いのに」という具体的なアイデアは色々ある。ただ、問題になるのは、食べログが「運用は駄目だが、システムは一流」という状況である。システム面で食べログと同等のものを構築するには、相応の資本が必要である。では、そのための資本を調達するだけの熱意が僕にあるのかといえば、それはそれで疑問である。さて、どうしたものか。