2008年06月

2008年06月26日

『華麗なる一族』かよ・・・

今月17日法務省は、宮崎勤死刑囚に刑が執行されたことを発表しました。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080617-OYT1T00291.htm

18日放送の『コラムの花道』(TBSラジオ)ではこの話題を取り上げているんですが、番組の最後のところで勝谷氏は、宮崎勤の「出生の秘密」について語っていました。
以下に、パーソナリティである小西克哉氏との、その部分のやり取りを文字に起こしましたので読んでいただきたいと思いますが、できれば、と言うか是非、放送されたものを聴いてみてください。勝谷氏の人間性、文字だけではまったく表しきれません。最後の2分半の部分です。

http://tbs954.cocolog-nifty.com/st/files/st20080618.mp3


 勝谷「あとこれ、やっぱり言っていいのかどうかわからないなぁ。あぁ・・・
    当時取材をしていて、当時じゃないんです。実はそっからしばらく立っ
    てからなんです。取材をしていて、これは取材をしていてボクはその話
    を聞いたのは事実だから、それだけを淡々と述べますけれども。祖父と
    宮崎・・・宮崎勤は、あの、祖父の子供であるという話が・・・をボク
    に語ってくれた人が実はいまして。これはウラとれなかったし、当時ボ
    クは、その、あのー、そういう週刊誌取材の現場を離れてましたので、
    それ以上追う力もなかったですけども。つまり父親と宮崎は兄弟である
    ということですね。」

 小西「ええ〜!?」

 勝谷「しかし、しかし、この仮説に立つと、いろいろ見えてくるものが実はあ
    るんですが、それもこれも解明されないまま・・・」

 小西「まあ、これはもうねぇ、当然闇の中っていうことに・・・」

 勝谷「闇の中になるわけですけれども・・・」

 小西「ま、ちょっとこれは、なかなかウラとれない・・・
    当然それは当時は書くことはできなかったわけですよね、勝谷さん。」

 勝谷「あるところには書いたんですけれども。」

 小西「ああ、そうですか・・・」

 勝谷「『文芸春秋』ではないあるところに・・・」

 小西「はあー・・・」

 勝谷「あ〜、話しちゃった。」

 小西「・・・でも、あれですよね、いろいろなことがまだ謎となって残ってい
    るから、いろんな意味でメディアは、これやっぱり調べていく必要があ
    るでしょうね。」

 勝谷「どうしてもね、どうしてもね、その、オタク文化とか何かのほうにばっ
    かし目を向けた解説が多過ぎて、そうじゃないもっと一般化した中で、
    どうして宮崎のようなモンスターが生まれたのかっていうことは、今
    言ったように、小西さん今言ったように、家族の問題ということで、も
    う1度解明されるべきではないかと思いますし、そっから見つかること
    は、今起きてる事件を予防するためのね、材料にもなるかもしれないで
    すよね。」

 小西「そうですよねぇ。」



申し訳ありませんが、この発言に関しては、もう私、言葉がありません。
いくら批判してもこんなレベルの人間が大手を振ってメディアに出続ける日本。あまりにも虚しい・・・

manguhsai at 11:12|PermalinkComments(33)TrackBack(0)clip!

2008年06月23日

なんにも切れない万能バサミ

今日の『スッキリ!!』(日本テレビ)では、美男美女限定のSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)を紹介していました。その名も『ビューティフルピープルネット』
メンバーによるパーティー(オフ会?)では「ビューティフル・ゲーム」というただ自分の自慢話をするだけの楽しそうなお遊びの様子も拝見できました。
「業界人しか入れない店でも、自分なら顔パス」とか「香港に行くと違うオーラが出るから、めちゃくちゃモテる」とか、そんなこと言い合いしてました。ね、楽しそうでしょ。
ちなみに、メンバーの中には加藤容疑者と大して変わらない容姿の人も混じっていて、「アレー?」と思ってしまいました。加藤くんもこの放送見たら自信が持てて、犯行を思いとどまったんではないでしょうかねぇ(逆にムカついて、もっと荒れたかもしれませんが)。

しかし、私が爆笑したのはこの「勝手にやっとれ!」っていうSNSではなく、これに対するコメンテーター・勝谷誠彦氏の発言です。


 「これ非常に実はね、あの、だけど、こういう容姿や何かで人を区切るって
  のはですね、これは欧米なんか非常に危険な考え方だと普通は言われんだ
  よね。いわゆるナチスドイツなんかの優生思想って言うんですけれども、
  うん、そういう、こういう意味の、なんて言うかな、他人を排除するって
  いうのは、ボクはあんまり好きになれないね。」


でました、「ナチスドイツの優生思想」! ここで使うか!?

あのですね、優生思想に容姿は関係ありません。優生思想・優生学というのは遺伝的な障害・疾病を対象に、その根絶を計ったもので、不細工を淘汰するものではありません。
それは優生思想史上、特異な展開を見せたナチスドイツでもそうです。不細工な人の断種を行ったり、不細工だから安楽死させた、なんていうことは聞いたことありません。

このブログでは、勝谷氏の「赤ちゃんポスト=ナチスの優生思想」という発想を2度にわたって批判しましたが、今回の発言で氏のデタラメぶりがよりハッキリしたと思います。
結局勝谷氏は優生思想というものをちゃんと理解してないんですよ。いい加減な認識だから、かえって何にでも使ってしまえる。
ま、それだったらいっそのこと、 黒人を「佃煮」呼ばわりした自分自身の差別意識にも使ってくれればいいのに。自分には使わないんですね。

「バカとハサミは使いようで切れる」なんて言いますが、氏の「優生思想」は何にでも使えて何にも切れない。まるで勝谷氏そのものですね。





manguhsai at 13:17|PermalinkComments(13)TrackBack(0)clip!

2008年06月20日

「神なき国のテロル」って・・・

「神なき国のテロル」に関しては、前回取り上げた11日放送『コラムの花道』の最後のところでも機嫌良く語っておられたんですが、現在発売中の『週刊SPA!』08/6/24号の『ニュースバカ一代』VOL.289「秋葉原無差別殺傷事件 の巻」のほうが詳しいので、基本的にそちらで見て行きます。
勝谷氏はこう書いています。


 「イスラム過激派の自爆テロを企てる若者たちと、今回の加藤智大とを重ねて
  見ることは突飛だろうか。私はそうは思わない。」


勝谷氏は、8日に起きた秋葉原の無差別殺傷事件の犯人・加藤智大と、自爆テロを行うイスラムの若者は同じだと言うんですよ。で、何が同じかというと、こう言っています。


 「ともに根本には貧困がある。そして富の独占への嫉視がある。さらに切実な
  現実としてのパートナーの不在がある。」


具体的にどういうことか、イスラム社会の若者と加藤容疑者をそれぞれ次のように説明しています。
まずはイスラム社会における若者です。


 「コーランは言う。天国では七十二人の処女があなたに体を捧げるだろうと。
  現世のイスラム教国家では資産をもった人々が複数の妻を持つ。その『独
  占』は一生女性に縁のない若者たちを産み出す。パートナーを得られない
  多くの理由は貧困であり、貧しさと孤独という相乗効果が若者たちをます
  ます窮地に追い込んで行く。そんなときにテロリストが囁くのだ。『天国
  に行けば彼女がいる』と。」


続いて加藤容疑者のほう。


 「秋葉原で起きた無差別大量殺人事件の犯人である加藤智大は携帯サイトに
  こう書き残していた。〈彼女がいれば、仕事を辞めることも、車をなくす
  ことも、夜逃げをすることも、携帯依存になることもなかった。希望があ
  る奴にはわかるまい〉。本誌の多くの読者は激しくうなづくのではないか。
  世界の多くの紛争地を見てきた私もまたうなづくのだ。」

 「冒頭に触れた性欲という言葉では単純すぎるかもしれない。加藤はソープ
  ランドに連れて行かれたが失望したとも書き込んでいる。ただの性欲では
  なく、自らを励ます同伴者が欲しかったのだ。」


なんで『SPA!』読者の多くがうなずくんでしょう? 『SPA!』の読者って希望のない人間が多いんでしょうか? それになんで多くの紛争地を見てきたらうなずけるんでしょう? よくわかりませんが、ま、それはおいときましょう。

自爆テロを行う人間は本当に貧しく若い男だけなのか? 男女の過不足はそんな小学校の算数のように単純なのか? 勝谷氏のイスラム社会の説明には首を傾げたくなる向きもありますが、私はイスラム社会に関してはほとんど何も知らないので、そこは氏の言をそのまま受け入れることにします。

問題は加藤容疑者のほうです。

前回も言いましたが、この事件の犯行理由が貧困であるという根拠は、今のところ何もありません。私の知る限りですが、彼の書き込みにもそう言及しているものはありませんでした。
また、加藤容疑者自身が貧困状態にあったという根拠もない。『週刊朝日』の記事では、家賃を引かれた手取りで、多いときで月額20万円前後、少ないときでも14、5万円の給料だったと、彼の同僚が証言しています。これを貧困と呼ぶには無理があるんじゃないでしょうか。


では恋人のほうはどうでしょうか。
貧困が理由で彼女ができないということではありませんね。勝谷氏が引用した彼の書き込みをちゃんと読んでみましょう。「彼女がいないから仕事を辞めた」と書いてありますが、「仕事を辞めたから彼女ができない」とは書いていません。
それどころか、別のところでは「同じ職場の後輩に彼女ができた」と書いてあります。後輩は貧乏じゃなくて、加藤容疑者だけ貧乏だった、なんてこと考えられませんよね。
加藤容疑者本人は、恋人ができない理由を「顔が不細工だから」と、くどいほど何度も書いています。
つまり彼がモテないのは、貧困云々ではなく、彼の性格や容姿のせいだという、ただそれだけのことなんですよ(私は本人が言うほど彼の容姿がマズいとは思いませんから、多分に性格のほうが問題なんでしょう)。

さらに、イスラム社会と日本の現状を比べた場合、男女の関係がまったく異なっています。
勝谷氏によると、イスラム社会では金持ちが女性を財物として独占している。しかし日本では金持ち男がたくさんの恋人を持てるのと同じように、女性だってたくさんの男とつき合えるわけですよ。一部の男が複数の女とつき合っているせいで、その他の男が女とつき合える機会を失っているなんていうことは全然ない。
まあ、なにもこんなややこしいこと言わなくても、日本では彼女のいない男が大勢いるように、彼氏のいない女性だって大勢いるわけでしょ。金持ち男が女を独占して、そのせいで貧乏男に女が回ってこない、なんてこと絶対ありません。

で、勝谷氏も言っていますが、この加藤容疑者は、単なる性的な関係が結べる女性が欲しいのではなく、自分のことを理解してくれる女性が欲しいということですよね。だったら加藤容疑者にとって、金持ち男に惹かれる女性なんて、ハナから関係ないじゃないですか。

だいたい勝谷氏は、日本の女性をバカにしているんじゃないでしょうか。男の所得・資産・容姿、そんなものにこだわる女しかいないと思ってる。そんなわけないでしょ。貧乏でもかまわないという女の人はいくらでもいますよ。


どうですか、こうやって見てくると、勝谷氏の言うイスラムの貧困な若い男性と加藤容疑者では、その境遇が全然違いますよね。



さて、ここからテロの話です。今度は「コラムの花道」で言っていたことです。


 「これはね、ボクは世界中で頻発している、宗教的対立ではない、貧困が巻き
  起こしているテロとまったく同じことがこの国で起きた。神のない国で起き
  た。『神なき国のテロル』だと思いますね。」


勝谷氏は根本的に間違っています。例えテロの実行者が貧困から逃れることを目的に、あの世に憧れて行動したとしても、それとは別にちゃんと政治的目的は存在するんですよ。それがなければ何のために自爆しているかわからないでしょ。ただの自殺ですか? だから「宗教的対立ではない」イスラムのテロなんてあり得ないんですよ。

そもそもテロというのは、明確な政治的目的をもって遂行される暴力のことですよね。だから貧困の解消を要求するためにテロを行うことは原理的にはあり得ます。しかし、加藤容疑者のやったことは、これとは全然違う。彼には明確な目的なんて何もなかった。強いていうなら「ワイドショーを独占したかった」ということでしょうが、こんなものテロでもなんでもない。彼のやったことは、いびつで未熟な自意識が現実を受け入れられず、自暴自棄になって無茶苦茶なことをした、簡単に言えばそういう犯罪ですよ。断じてテロなんかではない。


仮に勝谷氏が言うような、宗教的対立も政治的目的もない「貧困が巻き起こしているテロ」というものが存在したとしましょう。ではなぜそんな訳のわからない行為をするのか?
イスラム社会なら説明がつきます。勝谷氏によると、天国に行けばいい思いができるというイスラム教の教えが、貧困で女のいない男性の唯一の希望となっているわけですね。だからそれを目指してテロに走ると。
しかし、加藤容疑者にはそんな仕掛けさえ用意されていないんですよ。一体なんでそんな「テロ?」をするのか、さっぱりわからなくなりますよ。

そういう意味で、勝谷氏のコラムの結びは爆笑ものです。


 「この国にはイスラムのように処女が待つ天国もない。『神なき国のテロル』
  を引き起こした男はどこへ行くつもりだったのだろうか。」


結局加藤容疑者の行為は、イスラムのテロとはまったく違い、宗教的誘導も政治的目的も何もない、完全に意味不明な行為であることを、勝谷氏自身がもののみごとに語ってしまっている。
勝谷氏はこの部分が気に入っていたようで(目一杯カッコつけたつもりなんでしょう)、このコラムが『ムーブ!』で紹介されたとき、結びが省略されたことに不満を漏らしていました。わからないんですかねぇ、放送局側のせめてもの情けだっていうことが。


「神なき国のテロル」。所詮は何の検証もなく、ちょっとした思いつきだけで作ったキャッチコピーですよ。思いっきりダサいセンスのね。



ところで。
ネット上の意見では、この事件を格差社会に対するテロだということにして、今の日本の労働問題・格差問題の是正を進めようという、勝谷氏のような考えが散見されました。
何をバカなことを。それでは日本がテロに屈したことになるじゃないですか。そういう人たちには、民主主義国家の一員としての矜持がないんですか。問題を解決したいんなら、民主主義の手続きに則ってやればいい。なんの罪もない人たちの犠牲の上に自分たちの生活改善を計ろうなんて、卑しいにもほどがある。


最後にもう一つ。
「神なき国のテロル」などという勝谷氏の発想が、裁判で加藤容疑者の弁護に利用されないことを祈ります。
光市母子殺害事件では、「ドラえもん」「魔界転生」などを持ち出した弁護側の荒唐無稽なお話を、口を極めて非難していた勝谷氏ですが、今度は氏の荒唐無稽な発想が弁護側に利用されて被害者や遺族を傷つける可能性が、ないとは言えない。
まあ「神なき国のテロル」なんていうダサい言い方はしないまでも、貧困がどうしたとかいう弁護は出てくるんでしょうね、きっと。

manguhsai at 16:26|PermalinkComments(38)TrackBack(0)clip!

2008年06月18日

秋葉原の8人は国が殺した?

秋葉原無差別殺人事件が起こったのは今月の8日です。その3日後、11日放送の『コラムの花道』(TBSラジオ)において勝谷氏は、この事件の犯人・加藤智大に極めて強い同情を寄せていました。


  http://tbs954.cocolog-nifty.com/st/files/st20080611.mp3


 「ボクはねぇ、ま、もちろん一義的にはね、ま、この犯人像ですけどもね、
  あのー、ボクだってなってたかもしれないって感じだな。要するに中学・
  高校ぐらいの、非常にそのー、エリートに、特に田舎のエリートってい
  うのはね、ものすごいやっぱり世間の目っていうのがあるわけですよ。」


「ボクだってなってたかもしれない」ですか。相変わらず感情に流された大仰な表現ですねぇ。ま、勝谷氏がそこまでこの犯人に共感するのは、自身と加藤容疑者の生い立ちに共通する部分が多いと感じているからかもしれませんが。
そこのところうまくまとめたものが『2ちゃんねる』にあったので、下に引用させてもらいました。


 加藤=エリート銀行員の子息
 勝谷=勝谷医院の子息

 加藤=中学まで成績はトップクラス 多数の習い事 躾に厳しい
 勝谷=中学まで成績はトップクラス 多数の習い事 躾に厳しい 

 加藤=名門青森高校入学 趣味に生きて卒業時には落ちこぼれ
 勝谷=名門灘高校入学 趣味に生きて卒業時には落ちこぼれ

 加藤=北大に受かる実力もなく あえて趣味の短大に進学
 勝谷=筑波大に受かる実力もなく 早稲田の文学部に進学


しかし、その後勝谷氏の発言は、加藤容疑者の生い立ちよりも、派遣労働者としての境遇と、それに起因する(と勝谷氏が思っている)彼の犯行直前の心情、そういったものへの思い入れで占められます。
加藤容疑者の携帯サイトの掲示板への書き込みを引用しながらこう言います。


 「他にもね、切ないなって私思うんだけれども、『それでも人が足りないから
  来いと電話が来る。オレが必要からじゃなくて、人が足りないから。誰が行
  くだよ』。これね、かなりクリアなんですよ。それからね、彼ね、今回秋葉
  原に行ったのも、これ見るとですね、会社辞めてからもね、必ず5時6時に
  起きてるわけ。秋葉原にも5時に起きて行ってるわけ。それがね『出勤時間
  になると目が覚めてしまう。もう行かないんだから寝かしてくれ』って書い
  てある。まったくマシンとして、そういう体に刷り込まれている、そういう
  自分がまたイヤなんですよね。これね、モノローグ、独り言ですよ。誰に読
  ませるわけでもなく、携帯にこの書き込んでるっていうのは。」


こんな容疑者の書き込みに勝谷氏は「切ない」と思ったそうですが、私はまったくそうは思いませんでした。
「オマエの代わりなんていくらでもいるんだよ」。ハッキリ口に出して言われなくても、そう思われながら使われている労働者なんて、派遣であろうが正社員であろうが、いくらでも世の中にいるんじゃないでしょうか?
もちろん「アンタでなければ」と頼りにされながら働いている人もいるでしょうし、そうなるにこしたことはない。しかし、そうでないからと一々気に病んでいるなんて、自意識過剰としか言いようがないでしょ。

仕事がないのに出勤日と同じ時間に起きてしまう、それのどこが「マシンとして体に刷り込まれている」ということなんでしょうか? そんなもの規則正しく生活していれば普通に起きる現象でしょ。

結局加藤容疑者の書き込みなんて、ちょっとしたことにも不満をかこつ肥大した自意識を、月並みな言い回しで言い訳がましく表現したものに過ぎないじゃないですか。
それとも、そういうものが作家先生の目から見れば「文学」と呼ぶに値するものなんですかねぇ。その辺りの才能が皆無な私にはサッパリ理解できませんわ。


誤解のないように言っておきますが、私は現在の派遣労働や社会的格差に問題がないと言っているわけではありませんよ。むしろ大いに問題があると思っています。
しかし、今回の事件において、そういった問題が原因であったと決めつけることは、まったくの早計ではないかと言っているわけです。
勝谷氏は加藤容疑者が貧困状態にあったと認識しているようです。確かに不安定で厳しい労働状況ではあったでしょうが、貧困とまではまったく言えないという話も出てきています。

また仮に彼が貧困であったとしても、それを理由に大量無差別殺人を犯してしまうというのは、ほとんど理解不能でしょう。

勝谷氏はこういう理由を基に加藤容疑者に同情を寄せる一方で、いつものように『世界に一つだけの花』症候群を持ち出して戦後教育の弊害としての若者のいびつな自意識を問題にしています。
このブログの「世界に一人だけのバカ」で言ったように、SMAPの歌を持ち出してくるところはお門違いなんですが、今回の事件を考えるには、まだこちらのほうがよかったんじゃないでしょうかねぇ。


続けて勝谷氏はこう言います。


 「これはね、もちろんこの殺人事件自身はとんでもない話、彼もとんでもない
  ことだけれども、すべての政治家はね、これ(加藤容疑者の書き込み)をだ
  けど読むべきです。読む義務がある。もし読まないのであれば、民主党でも
  何でもいいや。これをね、国会で朗読しなさい、みんなに。どういう状況に
  国民を追い込んでるか!
  そういう意味でいうと、加藤もあの7人も、これで加藤死刑になるだろうけ
  ども、国が殺したのは8人ですよ。ある意味では。」


労働問題・格差問題を政治家に突きつけるのは結構ですが、国が8人を殺したというのは言いすぎなんじゃないでしょうか。
ワーキングプアから大量無差別殺人へという展開よりも飛躍しているように思いますがねぇ。
勝谷氏は被害者の遺族を目の前にして「加藤の死刑と同様、アナタたちの家族・友人は国家によって殺されたんですよ」なんて言えるんでしょうか?


さらに勝谷氏は「神なき国のテロル」と題し、イスラム自爆テロまで持ち出して話を無茶苦茶にして行きます。しかし、これについては次回改めてやろうと思いますので、今回は触れません。



さて、この『コラムの花道』では派遣労働や格差社会に強い危機意識を持ち、国や企業を厳しく糾弾する一方、その犠牲者である加藤被告に同情を寄せる勝谷氏ですが、読者のみなさん、なんか胡散臭くないですか?

この秋葉原の事件の2日前、今月6日に収録が行われ、秋葉原の事件と同じ8日に放送された『たかじんのそこまで言って委員会』(よみうりテレビ)での勝谷氏を見ればそれがハッキリすると思います。

今、プロレタリア文学として有名な小林多喜二の『蟹工船』が、若者の貧困層からの共感を受けて売れているそうです。
この日の同番組では、超左翼マガジン『ロスジェネ』の編集長であり、共産党員でもある浅尾大輔氏をスタジオに招いてワーキングプアを取り上げていました。

このとき番組は「貧困にあえぐ若者たちをどうすればいい?」という質問を出演者に出したんですが、勝谷氏はこう回答していました。

 「蟹工船で働かせる」

蟹工船で働かせる


















つまり「今時の若いヤツらは働く意欲が希薄で、苦労を厭うから貧困になる。そういう連中は蟹工船のような劣悪な労働環境で働かせればいいんだ」と、いうことでしょう。

残念ながら、この回答を本人が詳しく説明しているくだりが放送されていませんでしたので、これが正確かどうかやや不安ですが、放送された別の勝谷氏の発言からまず間違いないと判断できます。
こんなようなこと言ってましたから。

・(浅尾氏の「現在は若者の1/2が非正規雇用を強いられている」という発言
  を受けて)
 職にあぶれた連中がドヤに落ちて、あちこちの飯場に連れ回されたのと同じ。
 昔からそんなことはあった。

・自分がやっているうどん屋でバイトを雇っても、5人に1人は初日に来ない。
 (今時の若いヤツは)働く気があるのか。


さて勝谷氏のこの回答なんですが、これ完全に勘違いしてますよね。ここで問題にしているのはワーキングプア、まじめに働いても低賃金のせいで貧困に陥るという問題です。勝谷氏が言っているのは通俗的な意味での「ニート」ですよ。

実はこういうワーキングプアといわゆる「ニート」あるいは失業問題とを混同している出演者は結構いました。
下に出演者全員の回答を掲載します。


 三宅久之「自衛隊や海外青年協力隊に入れる」

 金美齢「働かざる者食うべからず」

 桂ざこば「仕事を選びすぎやろ!」

 山口もえ「夢をもって!!」

 和田秀樹「"若者"を一括りにして考えてはいけない」

 志方俊之「再チャレンジのチャンスを」

 宮崎哲弥「労働者派遣の規制強化」


三宅氏、金氏、ざこば氏の3人は勝谷氏と同じく完全に「ニート」あるいは失業問題と混同しています(山口氏もそんな感じですが、まあ意味不明ということにしておきます)。

つまりこの時点では、勝谷氏はこのお三方同様、ワーキングプアとニートの区別もつかず、すべてを「働く意志が稀薄な若者の自己責任」という形で片付けようとするほど、労働問題や格差問題に理解も関心もなかったということです。
そういう人間が、3日後には加藤容疑者の労働状況や貧困を声高に叫んで、彼への同情を示しているわけです。なんとも場当たり的というか、ご都合主義というか、滑稽な話ですよ。


「国が8人を殺した」などというのは、あまりに飛躍した話ですが、もし仮に勝谷氏のその主張が正しいのなら、こういう風にも言うことができるんじゃないでしょうかねぇ。

 「国が労働問題・格差問題の解決を真剣に計ろうとしないのは、この問題に無
  理解・無関心な文化人たちが、世間に間違った認識を与えるコメントをまき
  散らしていることも一因だ。そういう意味で、秋葉原の8人を殺したのは、
  勝谷氏のような連中でもある。」

ってね。

manguhsai at 01:15|PermalinkComments(24)TrackBack(0)clip!

2008年06月10日

被害者の名誉より重い作家の妄想

2006年末に東京都渋谷区で起きた妹バラバラ殺人の1審判決が、先月27日東京地裁で下されました。加害者である兄は殺人罪で懲役7年の実刑でした(死体損壊罪では無罪)。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080527-00000926-san-soci

みなさんご記憶のことと思いますが、この事件は06年12月30日に、渋谷の歯科医の次男である予備校生が、短大生である妹に「夢がないね」などとなじられたことから彼女を殺害、その後遺体をバラバラにして自室などに隠していたものです。
翌年1月3日、帰省先から戻った母親が袋詰めになった遺体を発見したことから事件が発覚しました。

『ムーブ!』では07年初回放送の1月9日(火)にこの事件を伝えています。このとき、レギュラーコメンテーターの勝谷氏は、この兄妹の間には肉体関係が存在した可能性が高いという見解を述べました。いわゆる「近親相姦説」です。
当時この番組を見ていた私は、勝谷氏のこの唐突な発言に面食らってしまいましたが、もっと驚いたのは彼が挙げたその根拠です。
「作家としての直感」。ただそれだけでした。それ以外の根拠は何一つ語りませんでした。

2日後の11日の『ムーブ!』では、ジャーナリストの木曜レギュラーコメンテーター・大谷昭宏氏が勝谷氏に同調して近親相姦説を主張。これに対して、同じく木曜コメンテーターの宮崎哲弥氏は、そう考える根拠が見当たらないことを理由に同説を否定していました。

夕刊紙では、勝谷氏の発言以前に「遺体の乳房や下腹部を切り取っていた」「遺体からはぎ取った下着を予備校の合宿に持って行った」などの猟奇的な話を伝えていましたが、直接近親相姦を思わせるものではなかったと思います(そういう記事を読んで勝谷氏は近親相姦説を思いついたのかもしれませんが、発言時はそのようなことも一切言及していません)。
勝谷氏の発言後は、それを受けてなのかどうなのか、週刊誌が近親相姦を臭わせるような記事を出すようになって行きました。

http://www.j-cast.com/2007/01/10004801.html

その後、この手の報道の過熱ぶりに直接釘を刺したのは警察でした。2月5日にそのような記事の内容を全面的に否定する異例の発表を行いました。
もちろんその後の裁判でも、そういった事実は出てきていません。


以前このブログの「専門家でも何でもない」で取り上げましたが、勝谷氏は奈良の女児殺害事件でも、自身の「モノ書きのカンのようなもの」から犯人を「被害者の知人女性」と推理して、ものの見事に外していました。
しかし、今回取り上げた近親相姦説は、そのときの推理とは違い、単にハズレたというだけでは済まされない問題があります。
犯人・加害者はおくとしても、明らかに被害者やその家族の名誉を傷つけています。彼女らにとっては、まさに報道による二次被害です。

勝谷氏が明確な根拠をもって自説を展開したならともかく、「作家の直感」だけで被害者が近親相姦を行っていたと推測し、それをテレビで発表するということが許されていいんでしょうか?
くどいようですが、勝谷氏が『ムーブ!』でこれを発言したときには、「乳房・下腹部の切り取り」や「下着の携帯」などという、後に警察が否定する夕刊紙ネタさえ口にしていません。ただ「作家としての直感で言うと」としか言っていないんです。

週刊誌の過熱報道に警察が釘を刺した頃だったと思いますが、『ムーブ!』金曜のコメンテーター・吉永みち子氏がこんなようなことを言っていました。

 「今回の事件では、被害者の遺族は同時に加害者の家族でもある。だからこう
  いう中傷報道をされても、なかなか法的に訴えるようなことはできない。
  これらの報道はそういう遺族の足下を見た卑劣なものに思える。」

この言葉、勝谷氏にもそのまま当てはまるのではないでしょうか。

manguhsai at 18:50|PermalinkComments(38)TrackBack(0)clip!

2008年06月06日

赤ちゃんポスト再論

先月20日、熊本市は設置されて1年になる「赤ちゃんポスト(こうのとりのゆりかご)」の運用状況について、いくつかの情報を発表しました。
それによると3月末までの11ヶ月間で預けられた赤ちゃんの数は、それまでにマスコミで伝えられていた16人よりも1人多い17人でした。

http://mainichi.jp/life/edu/child/archive/news/2008/05/20080521ddp012040023000c.html

この発表の1週間ほど前、5月12日の『ムーブ!』では、赤ちゃんポストに障害児が捨てられたことを取り上げ、コメンテーターである勝谷氏、宮崎哲弥氏花田紀凱氏との間で議論が交わされました。

しかしこの話題は4月8日の『ムーブ!』でも、勝谷氏のコラム『ニュースバカ一代』を紹介する形で取り上げられていましたよね。その日のコメンテーター・上村幸治氏が勝谷氏の主張に異を唱えたことは、このブログの「障害児をダシに使うな!」でご紹介した通りです。
今回また改めてこの話題を番組で取り上げたということになりますが、どうしてなんでしょうねぇ。コラムで勝谷氏は「大マスコミはなぜこの事件を大きく取り上げないのか!?」とわめいていましたから、そういう彼の意向を受けてのことなんでしょうか。
また1年前の赤ちゃんポスト設置時にもこの『ムーブ!』で勝谷氏と宮崎氏は議論を闘わせていますから、その続編をやりたかったということなんでしょうか。

改めて交わされた議論ですが、障害児が遺棄されたという新要素が加わったものの、基本的には以前の議論となんら変わることなく、赤ちゃんポスト反対の勝谷氏、容認の宮崎氏が以前と同じ主張を繰り返しただけという感じでした。
あ、そうそう、このときのもう一人のコメンテーター・花田氏は、以前は赤ちゃんポスト反対派だったそうですが、最近容認派に転じたそうです。「この1年の動きを見ていると、どうしても育てられないという人がいるわけだから、こういうシステムがあったほうがいいんじゃないかな」と思ったそうです。
しかしこれで上村氏、宮崎氏、花田氏と勝谷氏の周りは勝谷氏と意見をことにする人ばかりになってしまいましたねぇ。そのせいでしょうか、勝谷氏、この日は結構荒れていました。

議論の詳細は動画で確認してください。動画が見られない方は、「続きを読む」をご覧ください。文字に起こしてあります。





議論のほうが大して変わっていないのなら、私のほうから改めて言うことはないんですが、まあせっかくですから気になったところを2、3拾ってみました。


〈その1 優生思想について〉


 勝谷「つまり、障害を持っているか持っていないかによってですね、育てる育
    てない、自分の子にするかしないかっていうことを選ぶっていうのは、
    これはナチスドイツの優生思想なんかと同じで、健常な人間でしか生き
    ていく意味はない、価値がないってなことを、つきつめれば言ってるわ
    けですよ。」

 宮崎「勝谷さん、そのことはね、私は完全に認めるし、そういう障害があるか
    ないかで選別してはならないと思いますが、現実的に、赤ちゃんポスト
    の話をする前に、羊水検査で、例えば障害が見つかった子供、これを選
    択的に中絶している数というのは、実は日本では10万を下らないと言
    われているわけです。」


私は以前の記事で、捨てられた赤ちゃんに障害児が含まれていたからといって、それを即ナチスドイツの優生思想と関連づけるのは間違っていると書きました。しかし宮崎氏がこれをあっさり「完全に認める」なんて言ってしまっているもんですから、もう1度触れないわけには行きません。

まず、障害児が捨てられたからといって、その子が障害を理由に捨てられたかどうかはわかりません。障害児、健常児に関わりなく、その親はとにかく子供がいらない、育てられないと思って捨てたのかもしれません。この時点で障害を理由に捨てたと断じるのは早計です。

また仮に障害を理由に捨てたとしても、親が勝谷氏の言うような「健常な人間でしか生きていく意味はない、価値がない」という「思想・信条」に基づいてそうしたとは考えられません。
むしろ、そういう「思想・信条」ではなく、単純に「障害を持った子供を育てていくのは大変そうだ」という素朴な不安からそうしたと考えるべきでしょう。

優生思想、優生学というのはダーウィンの進化論に触発される形で登場し、「人類の進化」や「国家・民族・社会の強化・損失の削減」という視点から展開されてきたものです。
親が我が子の障害を嫌ったり、不安視したりする素朴な個人的感情をこういう思想と同一視すべきではないと私は思います。最近はこういう個人的感情も「内なる優生学(思想)」と呼んだりするようで、宮崎氏もそういう考えから「完全に認める」と言っているんでしょうが、私はこの考えには賛成できません。

そもそもですが、勝谷氏は何に対して怒りをぶつけているんでしょうか? 障害児を捨てる親に対してなんでしょうか? 赤ちゃんポストに対して怒っているのではなかったんでしょうか?
赤ちゃんポストは障害児を処分する設備ではありません。逆に障害児の命を救うために作られたものですよね。それに対して優生思想を持ち出して批判するのは筋違いも甚だしい。勝谷氏は親に対する怒りと赤ちゃんポストに対する怒りを完全に混同しています(いかにも主情的で蒙昧な思考力の勝谷氏らしいですが)。


ちなみにですが、「優生思想=ナチス」ではありません。
優生思想(学)はナチス台頭よりずっと以前からありましたし、それに基づく政策は、ナチスだけではなく他のヨーロッパの国々やアメリカ、日本などでも行われていました。そして戦後もかなりの期間、なんの疑問も持たれずに続いて行きました。だいたいは断種などで、遺伝病者・遺伝的障害者が生まれてこないようにする予防的対応でした。
ナチスドイツも初期はそういう方向でしたが、ある時点から予防的対応を捨て、現に生きている障害者を安楽死させる方法に転換しました。そういう意味でナチスドイツの優生政策は歴史的に、その他のそれとは一線を画す特異な存在だと言えます。

さらにちなみにですが、優生政策が世界各国で採用・強化されて行く中、これに正面から反対したのはカトリック教会だけでした。
1930年12月31日、ローマ教皇ピウス11世が『聖なる婚姻について』という回勅書を出して優生思想を批判しています。
勝谷氏は以前、赤ちゃんポストを設置した慈恵病院がカトリック系であることから「耶蘇の手前勝手な性善説が日本国民の底抜けした倫理感に通用すると思っているのか」と罵倒していましたが、今度はその病院を優生思想を持ち出して批判しています。歴史的事実を何も知らずにわめき散らしてしまうというのは、なんとも滑稽で恐ろしいものですよね。


〈その2 児童相談所と捨て子の山について〉


 勝谷「だから、だから、じゃなんで人が人として顔と顔を向かい合わせて親御
    さんと一緒に話をして、一番いい方法を検討しましょうねという、そう
    いう窓口を作ればいいだけの話じゃないか!」

    (略)

 花田「そういうこと(面と向かって相談し、最善策を検討すること)ができれ
    ば、こういうものはいらないんだよ。」


勝谷氏は赤ちゃんポストの設置が議論されている当初から、子を捨てる親が誰かと対面せずに済むということに激しい非難を浴びせており、せめて対面式にしろと主張しています。
それを聞いて私はいつも思うんですが、勝谷氏は児童相談所というものを知らないのでしょうか?

児童相談所は都道府県に設置が義務づけられています。政令指定都市には市が運営しているものもあります。
こういう言い方をすると怒られるかもしれませんが、赤ちゃんに限らず、子供がいらなくなったら、そういう児童相談所に行けばいいんです。そこで子供を引き取ってもらえます。もちろん職員による執拗な説得に耐えて、最後まで育てられないと突っ張り通すことができたらですが。

そういう説得を嫌う親が、児童相談所などに行かず子供を遺棄してしまうからこそ、この赤ちゃんポストが作られたんだということを、勝谷氏は理解できないんでしょうか?


 勝谷「要するに安易にずるい人間に対してハードルを下げているだけの話で
    あって、ボクは捨て子の山ができるだろうと言ったけど、その通りだ
    と思ったよ。」

 宮崎「16人が山なんて、大げさすぎますよ。」

 勝谷「山です!」


はじめにリンクした毎日新聞の記事には元大阪市中央児童相談所長の津崎哲郎・花園大教授のコメントが載っています。「預け入れ17人というのは、都道府県の児童相談所の感覚からすると非常に多い。」とあります。
しかし熊本市の発表によると、17人のうち9人の親は熊本県外から来たことがわかっています。残り全員が熊本県の赤ん坊だとしても、つまり最大で見積もっても県内からは8人、その中にもまだ県外から来た可能性があるので、それを考慮すると県内からは8人以下ということになります。この数字なら児童相談所の感覚からしても多いとは言えないのではないでしょうか。

児童相談所が引き取りを決定した場合、赤ん坊なら乳児院に入れられます。庄司順一・青山学院大学教授の『保育の周辺』という本によると、2006年4月1日の時点で全国に乳児院は119カ所有り、入所している子供の数は3189人だそうです。
ここには捨て子ではない子供の数も含まれているなどの理由もあり、この数字をどう見るかは非常に難しいところですが、とりあえず私なりにごく大雑把に計算してみます。

この本には入所理由別の割合が示されています。そのうち親の病気(30%)、虐待(10%)などの捨て子とは考えにくい理由を排除し、事実上捨て子と見なせる理由の割合だけを合計します。

借金・貧困8%+未婚6%+親の家出5%+養育拒否4%+次の子供の出産4%+離婚・別居2%=29%

3189人のうちの29%は925人です。0歳から3歳になるまでの3年間乳児院にいるとすると、1年間ではその1/3の308人です。つまりこの計算で行くと全国では年間300人の捨て子があるということです(あまりにも大雑把な計算なので、実数とかなり違う可能性はあります。そのつもりで)。

16人を「捨て子の山」と称して批判する勝谷氏は、この対面式を乗り越えて発生している捨て子の数をどのように評価するんでしょうか?

私は勝谷氏の大騒ぎぶりを見ていると、年間何十万頭も殺処分されている犬猫の存在を知らずに、1頭の犬や猫の救出劇に大騒ぎしている人たちを思い出してしまいます。


〈その3 赤ちゃんの命と同じ重さの倫理について〉


 花田「赤ちゃんの命っていうことをまず第一に考えればいいと思うんですよ。
    それはいろんな条件あるけど、それで赤ちゃんの命が救われるんだから
    いいんじゃないかとボクは思いますねぇ。」

 勝谷「いや、ボクは赤ちゃんの命より、極論をすれば、赤ちゃんの、もちろん
    だから宮崎さんと当初からこれ論争なんだけども、極論をすれば赤ちゃ
    んの命も大切だけど、人間としての、日本人としての倫理というのも同
    じぐらいボクは重いと思うんですよ。」


勝谷氏の言う、「赤ちゃんの命と同じぐらい重い倫理」とは具体的にどういうものなんでしょうか? 誰に何をしろと言っているんでしょうか?

勝谷氏は、子を捨てるなら対面して捨てろと口を極めていますから、そうすることが「赤ちゃんの命と同じぐらい重い倫理」だと言っているんでしょうか? そんなことが赤ちゃんの命より重いと?
それとも我が子を絶対に捨てないことが「赤ちゃんの命より重い倫理」だと言っているんでしょうか? 我が子を虐待で殺してしまう可能性があったとしても、それでも赤ちゃんポストには子供を入れるなと?

「自分の命をかけてでも通すべき信念がある」というのは聞いたことがありますし、理解もできますが、自分とは違う命を、しかも物心も何もついていない赤ん坊の命を犠牲にしてでも(あるいは犠牲にする覚悟で)守らなければならない倫理なんて、私にはちょっと想像がつきません。

「耶蘇の手前勝手な性善説が日本国民の底抜けした倫理感に通用すると思っているのか」と言っていた勝谷氏ですが、「ではアンタの訳のわからない倫理観なら日本人に通用するのか?」と問うてみたくなります。

やはり勝谷氏は、人の命というものを相当軽く見ているのではないでしょうか。
ここに勝谷氏の命に対する考えがヒシヒシと伝わってくる名言があります。5月25日放送の『たかじんのそこまで言って委員会』での勝谷氏の発言です。今回はこれを紹介して記事を終わりたいと思います。
裁判員制度の問題点として、どの死刑囚に刑が執行されたかわかった場合、それがその判決を下した裁判員にとってどれだけ精神的負担になるか元最高検検事の土本武司氏が論じていたとき、勝谷氏はこう言いました。


 「そういうときボクだったら祝杯挙げますけどねぇ。自分の信念で下した判決
  で、厳正に法が執行されたわけだから。」
 




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manguhsai at 03:45|PermalinkComments(23)TrackBack(0)clip!

2008年06月03日

なーらん敗退と理系コメンテーター

昨日、「せんとくん」に対抗する平城遷都1300年祭の新マスコットキャラクターが決定しました。
新キャラを募集していた「クリエイターズ会議・大和」がネットと街頭での投票結果を発表。選ばれたのは、このブログで応援していた「なーらん」ではなく、「まんとくん」というキャラクターでした。

まんとくん「まんとくん」の得票はウェブ投票で5189票、街頭投票で251票、合計5440票。一方「なーらん」はウェブ2485票、街頭255票、合計2740票。「なーらん」、ダブルスコアで「まんとくん」に敗れてしまいました。残念!

でもまあ「なーらん」はウェブ投票で7位、街頭投票では5位ですから、なかなかの健闘だったのではないでしょうか。投票してくださった読者のかたがた、どうもありがとうございました。

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0806/02/news073.html

このブログで「なーらん」を推していた最大の理由は、「せんとくん」と同じ仏キャラに対して勝谷氏がなんとコメントするか聞きたかったということなので、それができなくなったのが1番の心残りなんですよねぇ。しかしこの新しく選ばれた「まんとくん」にも勝谷氏から是非コメントしていただきたい特徴がありますよね。そう、この新キャラにも「角」が生えてます。

新キャラ決定のニュースを伝えた昨日の『ムーブ!』で、勝谷氏はこのキャラを「せんとくん」と比較してこう評しました。


 「ま、少なくとも、『せんとくん』の1番大きな間違いはですね、角がですね
  鹿じゃなくて、それトナカイなんですよね。根本的なところが間違いました
  よね。『まんとくん』はちゃんと鹿になってますから、その点マシかな。」


おっと、なんかすかされた感じですよね。「角=悪魔」論はどうしたんでしょうか? 「まんとくん」が鹿そのものなのか鹿ではないのか、よくわからないので持論を展開しかねたんでしょうか?
しかし、こんな中途半端なコメントでもなかなか面白いんですよ。勝谷氏、また間違えてます。

せんとくん「せんとくん」の角と「まんとくん」のそれを比べて違っている大きな特徴といえば、角の先端が丸くなっているか、尖っているかですよね。しかし、これ両方とも鹿の角なんです。

袋角「せんとくん」のほうの角は「袋角」といって、表面が毛の生えた皮で包まれたものなんです。春に生え変わって出てくるのはこの若い角です。

一方の「まんとくん」の角は「白角」といって、秋に完全に伸びきってしまい、骨化して表面の皮もなくなってしまった角です。

(詳しくはこちら http://www.deercompany.net/deer.html

だから、どちらも鹿の角で間違いないんです。奈良で鹿をよく見る人にとっては何でもない話です。これも現場を知らない勝谷さんならではの間違いじゃないでしょうかね。

ちなみにトナカイの角は下の画像のようなものです。まあ、こちらもかなりバリエーションがありますので、「せんとくん」の角に似てるのもありますけどね。

トナカイ1トナカイ2















さて、昨日の『ムーブ!』には新しいコメンテーターが登場しました。
竹内薫というかたで、番組では「サイエンスライター 科学的視点から現代社会をとらえた著作多数 理学博士」と紹介されていました。まあ本物の理系ということですね。

私はこのブログの「ボク、地質学が専門ですけど」で、本物の地学の専門家と共演してなお勝谷氏が専門家面できたら拍手喝采すると言いましたが、どうやらそういうことはしなくてもよさそうです。

勝谷氏、昨日はこんな感じでした。中古パソコンの話題での、司会の堀江政生氏とのやり取りです。


 堀江「おとなしいですね。」

 勝谷「あ、理系の話は任せます。」


番組冒頭、竹内氏が紹介されたときも、勝谷氏はニヤニヤしながらこう言ってました。


 「いつも私が中途半端なウソを理系に対して言ってることが、ついに本物が来
  てしまってですね、ウソとは言わないけどもね、えー、半端なこと言ってた
  のが・・・」

 「初対面だけど、ボクもう愛読者で、実はボクがここでしゃべっている半端な
  理系のことは、かなり実は竹内さんの本から盗んでいたことがありまして、
  ご本尊が来てしまったら盗めなくなる。やばい。」


勝谷さん、カッコ悪すぎでしょ。それに視聴者をバカにしすぎですよ。





勝谷なーらん

manguhsai at 15:36|PermalinkComments(6)TrackBack(0)clip!