2007-12-10
テラ豚丼が問題化されたという問題についての記事のコメント欄が長すぎるので続きはこちらで
|http://d.hatena.ne.jp/toled/20071202/1196589952
↑の記事、多くの方にアクセスいただいたようで嬉しいです。また、コメントもたくさんつけてくださってありがとうございます。現時点で、とっつぁんさん(2007/12/06 15:13)までレスさせていただきました。これまでにコメントしてくださってるその他の方には、後ほどここで全レスさせていただきます。
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今や国民総ヒステリックばばあ時代ですからね
僕の一番きらいな僕は常識ぶってるときの僕です。
「あんたもあいつもきちがいばっかり!
あんたも私も同類なんだよ!」
というラモーンズの歌が身に染みます。
昨晩オナニーしてひいひい言ってたやつや、変態プレイに身をよじったやつが、
翌朝にはお外で糞まじめに常識とか語ってるんですよねえ。誰かをしかっちゃったりもして。
ギャグですよね。まあ、だから人間面白いんですけど。
※欄を見るにつけ、自由は制限されるものだけどその制限の中で行使する私の自由に他者からの反作用は認めない、みたいなのが世間の常識になっているのですかね
りたいこと」から距離をおいて、働いています。その方が、いろいろな
意味で「賢明」だと思ったからです。
そう、あなたの言う通り、その賢明さは、「負ける」ということなのか
もしれません。
でも、まだ負けきってはいない、つもりです。
勝てる見込みはまだ立っていないけれど。
もう少しお金をためて、もう一度カムバックしたいところがあります。
そんな迂回も、結局は、合理的思考や賢明さにがんじがらめされて、負
けにむかって退却戦を演じるだけに終わるかもしれません。
でも、心にはいつも「テラ豚丼」を隠しつつ、そしてそれを手放さず、
もうちっとがんばります。
http://d.hatena.ne.jp/toled/20071211/1197417341
ますます面白くなっています。また、皆さんからいただいたコメントも、直接引用してはいないものも含めて、大いに参考にさせていただいて書きました(当初のものを出した翌日に大幅に加筆してます)。
では、今日これからがんばる自分へのご褒美として、残りの皆さんへ全レスさせていただきます。
>> 心理学講師さん 2007/12/06 19:36
> 主さんが本気でこういう考え方してるなら自由を提唱する以前に、生きる自由は“結局”得られないんだから普通に人間してる私が言えるのは「まぁがんばって生きて」のひと言くらい。
ありがとう( ´∀`)! そう言わせたキミの自由に幸あれ。
>> 主さんみたいな人も世の中にはいるんだからもちろん存在は認める。でも長く存在できるかどうかは定かじゃないね。
でもあなたは自由なので、全てのことに責任を負っています。だから「長く存在できるかどうか」ということの責任からも逃れることはできないのです。
> 個人的には
>>> 自由とはなんぞや?さん 2007/12/05 04:19
>> 責任を負い、義務を果たし、自由を得る。
>> 違うか?
>
>違います。
>
>の「違います」を「何故違うのか」説明してほしい。どんな持論を繰り広げてくれるのかとても興味があります、ぜひお願いします。
「心理学講師」さんのご質問に直球でお答えようとしたら、あまりにも長くなりすぎたのでコメント欄には収まりきらなくなりました。別エントリーとして、↓に書きましたのでぜひご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toled/20071211/1197417341
>>釣りさん 2007/12/07 01:15
> 釣りだろ?皆釣られすぎ
ブログの場合、釣りかどうかを判断するのにちょっとした裏ワザがあります。過去エントリーを全て読むんです。「全て」っていうのが大切ですよ。30時間かけて9割がたは見たからもういいや、なんて中途半端なのはダメです。あともう1エントリー読めば、「ここに書いてることは全部釣りだから」って書いてあるかもしれません。
>>釣りだろw 2007/12/07 02:12
> 釣りだとしても元々頭悪いんだろうけど、ネタとして つ ま ら な い w
でもあなたは笑ってくれた。そのやさしさにサンクスアロッ! 大人になると、本当に面白い話をすると逆に笑ってもらえなくなります。逆につまらない話をすると笑ってくれるだけじゃなくて、もう、かわいい奴め! って思ってもらいます。ただし、これは僕のように実際にかわいい場合だけですので注意してください。
>> 松本さん 2007/12/07 10:20
どうもお久しぶりです。これまでにもコメントをくださっていた松本さんから批判を含むコメントをいただき、うれしいです。お気づきかと思いますが、↓は松本さんへの応答を試みたものでもあります。
http://d.hatena.ne.jp/toled/20071211/1197417341
> 人間が本来的に自由であるということが強調されているわけですが、それは現象の一面に過ぎませんよね。本源的に自由から逃れようのない人間が、不自由さを引き受けるというところに社会学の視点があるわけで、そういう視点を抜きにして「本来自由なのに...」という部分だけを強調しても、あんまり意味はないと思います。
このへんは、自由という言葉をどう定義するか、あるは定義をどのように使い分けるか、どんな時にどんな意味を持たせるか、ということだと思います。僕は未だに反自由党ですし、自由の幻想を粉砕すべきであると確信しています。
けれどもそれはもちろん、ブルジョア的自由のことです。たとえば、年末ジャンボでは、くじ番号は有無を言わさず暴力的に押し付けられます。でもロト6の場合、自分の好きな数字を選ぶことができます。ここでは各個人の選択が許されており、その選択と当たり外れとのあいだに因果関係を見出すことができます。こうして成立するのが「自己責任」という概念です。
もちろんこんなものは粉砕しなければなりませんし、資本主義は乗り越えられなければなりません。けれどもそれをするのは誰なのでしょうか。また、変革を求める行動がシステムに回収され補完物になってしまうとしたらどうでしょうか。もちろん、僕が念頭においているのは↓で紹介していただいた「寓話」です。
http://www.allneetnippon.jp/2007/07/2no.html#comment-315
変化はどこからやってくるのでしょうか? 変化は無からやってくる。人間を縛るものは何もない。縛るものに縛られるかどうかということを縛るものはない。あるは逆に言うと、人間は無に縛られている。どこまで行っても、人間には無が張り付いている。今回の「テラ豚丼」エントリーにおける自由とは、この無というもののことです。
> そして、その本源的な自由を圧殺している理由を構造的なところに求めないで個人の資質に求めてしまったのでは、いわゆるカギカッコ付きの「右翼」の言説と変わりません。左翼(そして反自由党党首)を自認される常野さんとしては、この部分で失敗しているのではないでしょうか。
ですから自由とは「個人の資質」ではなくて、人間の普遍的な条件です。何の本質も持たず、常に今あるものからズレていくということが人間の唯一の本質です。だからこの本源的な自由は「圧殺」されることは永久にないのです。
>>通りすがりさん 2007/12/07 12:24
> 自作自演多いね。
自作自演、まさに人生のことです。ただし映画と違って何もないところから物語が突然始まるわけではなくて、人間は状況に放り込まれます。その状況に無として関わるというのが人間の自由です。
>>ナナシさん 2007/12/08 01:32
> それにしてもテラ豚丼、一度食ってみたかったな。
そういう方、多いみたいです。でも、↓でt-hirosakaさんがいいことを言われています。
http://d.hatena.ne.jp/t-hirosaka/20071212
> toledさんは難しい議論をしているのだが、私に言えることは、家庭で自分で作ったテラ豚丼はただの大盛りの豚丼であってテラ豚丼ではない、ということだけである。
>>へうたむさん 2007/12/09 02:24
>いやいや〜、プチ炎上…。
まだまだ炎上とは言えないと思います。
> 超米異罵詈コメにていねいにお返事を… 頭が下がります。愚生のメールにはお返事いただけませんでした(アホ・メールでした(^^;)ゞ)し、ANNのこちら http://www.allneetnippon.jp/2007/10/7_5.html にもレスいただけず〜(泣)。
ありゃ、それは失礼しました。ごめんなさい。
> 「自由」をあんまり理詰めで考えようとは思わないんですが、「自由」というものが単一で存している or 存していない、のではなく、自由はいつも他者との関係性において生ずるものです。だから、まさに
>>俺が常野を殺すのも自由ということでよろしいでしょうか。夜道には気をつけてwww by ニヤニヤ動画氏
>となるわけで、夜道に気をつけなくてもよい人なんかいないのです。ナントカ丼の映像ばかり云々されるけど、‘映像を見る大勢’(=大勢に閲覧される映像)はあんまり関係なく、‘その店で食べる人’との関係性だけが「自由」の問題に上(のぼ)ってくる、ような。定食屋でメシ食ったとき、バイト・スタッフさんは異様なほど大忙し。会計と配膳で死に物狂い。その合間に、ふと髪をいじる、そのままの手で皿を触る、それはやはり気になる…。でも、私は咎める気にはなれませんでした。時給数百円で必死に仕事をこなす彼、と、そのサーヴィスを受ける私、との関係。そこにはスタッフの9割ががバイトという形で収益を上げるチェーンの存在も関わり、そいうところでしか食事ができないフリーターの私、という構図もあり。人と人、の関係のうちに「自由」の存在と非在とがあるようです。
上の松本さんのコメントとも通じる、大切なポイントだと思います。
ただ僕は、他者とどんな関係にあろうとも、自分が自由であるということは死ぬまで寸分も動かないと思います。たとえば大企業にフリーターが搾取されているという関係がある場合に、フリーターを「被害者」として捉えてその「救済」を図る、という問題の立て方をしたくありません。フリーターは自由です。フリーターは世界を選んでいます。だからフリーターが世界を変えるんです。
>>○さん 2007/12/10 17:19
> 僕の一番きらいな僕は常識ぶってるときの僕です。
僕もそうです。常識なんてクソだと確信しながら常識的に振る舞う自分を憎みます。
>> TAGさん 2007/12/11 12:55
> 昔読んだリチャード・バックのイリュージョンを思い出しました
それはなんでしょうか? 今度検索してみますね。
>>YBBさん 2007/12/11 20:23
> 残念なことに、テラ豚丼の二人は処分されてしまった。だが、これは反動勢力の勝利を意味しない。革命成功の第一歩なのである。
な なんだってー!
> 第二第三のテラ豚丼調理者は先駆者に学び、足がつかない方法、身の安全を守る方法を検討すれば良い。道は既に開かれている。撮影するアングルを工夫し、映像にモザイクをかける。漫画喫茶か無線LANの野良APからアップロードする。我々の勝利こそ不可避である。なんたってテラ豚丼は楽しいwwww
それは楽しいとは思うんですが、ただ、安全になってしまうとそれはもうテラ豚丼ではなくなってしまいます。さきほど上で引用したt-hirosakaさんのエントリーをお読みください。
むしろ大切なのは、次に「テラ豚丼」が出現したときに、僕は「全て私がやりました」と電凸してまわるであろうかということだと思います。
>>IRさん 2007/12/12 01:46
あなたのコメントを何度も何度も何度も読みました。まともな応答にはなっていませんが、↓でも引用させていただきました。
http://d.hatena.ne.jp/toled/20071211/1197417341
またしても長文で恐縮なのですが、どうかお暇な時にでも。。。
他の皆さんも、もしさらにレスをいただけるとしたら上に移動して投稿してくださると嬉しいです。