2006-12-24
「プロ教師に学ぼう」
過去 |
かつて1999年頃、『不登校新聞』(現『Fonte』)に「社会のなかの登校拒否」というコラムを連載していました。その中で、「プロ教師に学ぼう」という文章を書きました。
ある方から教えていただいて、なんとそのエッセーが「プロ教師の会」の機関紙(?)である『異議あり!』(1999年6月前号)に転載されていたことを知りました。下記にて、PDF化されたものを見ることができます。1ページ目にあります。
http://www13.plala.or.jp/prokyoshinokai/506.pdf
(↑での誤植の訂正はその通りです)
この文章が『不登校新聞』に掲載された時には、多数の読者から「プロ教師を擁護するとはけしからん!」「よりによって『不登校新聞』で管理教育を肯定するとは何事か!」*1という抗議が殺到し、編集部では対応に苦慮したようです。ただ、編集部自身がどう思うかではなく、「抗議が殺到して困る」ということだけを執筆者に伝えくる編集者はちょと情けないと思わざるを得ませんでした。
もう7年以上前のことなので、どういうつもりで書いたのかは覚えていませんが、たぶん、この文章にはプロ教師を単純に賛美する意図はなかったと思います。今見返してみてもそうは読めません。なんであんなにも激しい反発を招いたのか謎でした。
とは言え、このコラムがそのまま「プロ教師の会」の機関紙に転載されたのだとしたら、純情な教育信者の懸念にも一理あったのかもしれませんね。いずれにせよ、自分たちを揶揄する文章を機関紙の巻頭に載せる「プロ教師」の度量は大したものだと思います。
なお、上記コラムにはクレジットが示されていませんが、たぶん、当時の僕が「プロ教師って面白い」と思ったのは、佐々木賢・松田博公の対談や、外山恒一の著作での紹介を目にしたことに因るところが大きいと思います。
*1:うろ覚えなので正確な引用ではありません。
今は11月2日までの記事しか読んでませんが、あいかわらず興味深いというか面白かった。また来なければと思ってます。
たまたま訪れて最初に拝読したのが、この「プロ教師に学ぼう」だったのも個人的な奇縁を感じますが、
それにしても初出の『不登校新聞』にそのような抗議が殺到した…って事が、マジで意味わかりません。もちろんPDFを読んでの話で。
つまり、“不登校擁護派”は結局のトコ“教育(してやるのが)好き”だったというオチなんやろか? そうやなかったら単に読解力がないっていう、もっとヒサンな事になってしまうんやけど・・
いやぁ、7年前の事とはいえ、実に興味深い実例ですな。
“学歴”に応じた“正規雇用”の特権を手放すことなく享受しつつ“不登校擁護派”でいられる中年以上の「進歩的な」人々のギマンがハッキリくっきり見透かせられるという点で、ね(嘲笑)。
> “学歴”に応じた“正規雇用”の特権を手放すことなく享受しつつ“不登校擁護派”でいられる中年以上の「進歩的な」人々のギマンがハッキリくっきり見透かせられるという点で、ね(嘲笑)。
あはは、そこまで大胆なプロファイリングができるかどうかは疑問ですが、やっぱし、教育とか学校の存在そのものを問題にするのは不登校「容認」よりもハードルが高いのかもしれないですね。
また是非お越しください。