『週刊新潮』2007年12月6日号の記事について [2007-11-30 01:44 by kollwitz2000]
佐藤優の『金曜日』での「立ち位置」の変更 [2007-11-18 22:15 by kollwitz2000] 天木直人氏が論文を紹介 [2007-11-17 00:41 by kollwitz2000] 『金曜日』の二重基準:佐藤優の「慰安婦」問題に関する発言について [2007-11-07 23:50 by kollwitz2000] 小林節を護憲派ジャーナリズムが使う論理の変質 [2007-11-07 19:34 by kollwitz2000] 論文を発表しました [2007-11-03 04:09 by kollwitz2000] 佐藤優が、『金曜日』2007年11月9日号の文章(「小沢代表辞意で重要になる社会民主主義の再評価」)で、自分の左派メディアにおける自分の「立ち位置」(嫌な言葉だが)を変えている。佐藤はここで下のように書いている。
「『週刊金曜日』の読者の御批判を覚悟して言うが、筆者自身は、右翼陣営に属する保守主義者である。社会民主主義の立ち位置はとらない。しかし、社会民主主義と保守主義が切磋琢磨して、現下日本を覆いつくしつつある新自由主義がもたらす災厄を防がなくてはならないと考える。『週刊金曜日』は岩波書店が発行する『世界』と並んで、意識的に社会民主主義の重要性を説いているから、その外部にいる筆者もこの二誌には心の底から協力したいと思うのである。」 ポイントは、この文章が、佐藤が『金曜日』で自分を「右翼陣営に属する」と書いた多分初めてのものだということである。佐藤は、これまでは、『金曜日』では自分を「国権主義者」と名乗ってきたのであって(「六者協議と山崎氏訪朝をどう評価するか」(2007年1月19日号)、「集団自決の検定問題文部官僚を追い込め」(2007年9月14日号))、「右翼」とは言っていない。なぜならば、それは、下のような言説と結びついていたからである。 「ソ連崩壊後、もはや有効性を喪失している左右とか保革といった「バカの壁」を打破したいと考え、筆者は文筆活動を続けているのだ」(「集団自決の検定問題文部官僚を追い込め」) 「左右」は「もはや有効性を喪失している」らしいのに、今度は佐藤は自ら「右翼」であることを公言している(佐藤は、今回の文章で「右翼の保守主義者である筆者」とも発言している)。 「<佐藤優現象>批判」(『インパクション』第160号)で、私は、佐藤が、左派メディアでは<左右図式>自体を否定しておきながら、右派メディアでは、「右」が「左」と対峙するという枠組みを否定していないことを指摘した(155頁)。だが、佐藤は今回の文章で、<左右図式>自体を否定することをやめて、「左」と「右」が存立することを前提として、「右」である自らと、「左」との関係のあり方を明確化しようとしているのである。 これは要するに、佐藤が、「他の『金曜日』の常連執筆者と政治的立場はあまり変わらない人」から、「鈴木邦男のような人」に自分の『金曜日』での「立ち位置」を変えようとしているのだと思われる。 これが詐術であることは言うまでもない。このブログや『インパクション』の論文でも指摘したが、右派メディアで先頭に立って排外主義的主張を展開する佐藤と違い、鈴木は右翼であるとは言え、そんなことはやっていない。むしろ、各種メディアで、排外主義、時には在日朝鮮人への排外主義すら批判している(もっとも、左派メディアも、鈴木に対してもっと緊張感を持って接するべきだとは思うが)。左派メディアで口先だけで「右傾化」を憂うる佐藤とは、右翼である以外、ほとんど共通点がない。 もしこの解釈が正しければ、この件は、『金曜日』編集部が絡んでいるのかもしれない。少し前に、佐藤と「読者」との八百長っぽい「論争」が展開されたことはこのブログで既に述べた( 「『金曜日』での佐藤優批判の投書掲載は編集部の自作自演では?」、「『金曜日』の二重基準:佐藤優の「慰安婦」問題に関する発言について」)。今回の佐藤の変身振りも、 佐藤を『金曜日』が使うことへの批判を意識して、佐藤が編集部と打ち合わせのもと、スタンスを変えてきているのかもしれない。あくまで推測の域を出ないが。この秋は、佐藤と『金曜日』編集部(と読者)の関係にとって、調整の季節なのかもしれない。 この佐藤の「立ち位置」の変更は、恐らく、佐藤が「そろそろ自分が右翼であると言っても、『金曜日』でも大丈夫だろう」という状況認識が前提となっているのではないか。佐藤は、多分今回の記事と近い時期に書かれた「保守再建② 村上正邦氏と私の吉野詣り」(『諸君』2007年12月号。この論文の末尾に、「2007年10月19日脱稿」とある)で、以下のように述べている。 「(注・村上正邦は)この二年、司法問題や小泉改革批判というテーマで『週刊金曜日』(株式会社)や『世界』(岩波書店)などの左翼、市民派の雑誌には頻繁に登場している。しかし、村上氏の尊皇精神、右翼思想には変化がない。それをそのまま左翼系メディアが載せているのだから、この点でも左右の壁が崩れかけていることがうかがわれる」 「左右の壁」が、「左」の自壊によって崩れている(この引用の3行後で、「現下日本の右翼、保守陣営」という用語を使っているように、「右」の存在は豪も揺らいでいないことが前提)ことを佐藤が認識していることを示す興味深い文章である。この状況認識のもとで、「鈴木邦男のような人」への位置づけの変更が行われたのではないか。もし、「鈴木邦男のような人」のように思われないとしても、右翼だからと言って排斥されまい、という認識である。仮にこの解釈が正しければ、『金曜日』の読者もナメられたものである。 いずれにせよ、佐藤が自分の位置づけを変えたところで、「平和」「人権」等を擁護することを謳っている『金曜日』が佐藤を使うことが、おかしいことにかわりはない。『金曜日』編集部のこれまでの佐藤への傾倒ぶりは、ここで指摘したように、佐藤があたかも「他の『金曜日』の常連執筆者と政治的立場はあまり変わらない人」であるような見せかけの下に成り立っていたが、位置づけは既に変わっているにも関わらず、これからも同じような傾倒ぶりをわれわれに見せ付けるだろう。前は、佐藤が右翼であることを隠した上での傾倒だったが、これからは、右翼であることを前提とした傾倒となる。どちらも悪質だが、後者の傾倒ぶりは、「平和」「人権」等を擁護することを謳う『金曜日』が、そのタテマエすら放棄した、より悪質なものであることは間違いない。 天木直人氏が、私の論文を好意的に紹介されている。ありがたいことである(リンク先の「佐藤優という休職外務省員を私はどう評価するか」参照)。
http://www.amakiblog.com/archives/2007/11/14/ 佐藤優を左派が使うことへの批判を封印する「空気」が、護憲派ジャーナリズム内にはこれまであった。その「空気」が、ようやく破れてきたわけである。この流れをどんどん加速させていきたい。 ※追記(11月18日) 天木氏は、11月16日「めぐみさん拉致30年に思う」で、川人博と姜尚中の論争について、「圧倒的に川人博が正しい」と書いている。 http://www.amakiblog.com/archives/2007/11/16/#000591 あの論争をどう読めばそういう結論になるのか分からない。川人が、「独裁国家の抑圧から救うためにフセイン政権を軍事的に打倒する必要がある」とした、ネオコンと同じ役割を果たすことは明らかではないか。天木氏は、「拉致被害者の家族が対北朝鮮強硬一辺倒の拉致議連の政治家と一緒になって行動している事」を「不幸」だとしているが、川人は、そもそも、拉致議連と密接な関係のある、特定失踪者問題調査会の役員でもある。 http://www.chosa-kai.jp/cyosakai.html 川人の問題についてはいずれ論じるつもりだが、私のこの記事から天木氏のブログに行く人に、一応注意しておく。 梁石日が『金曜日』で、「慰安婦」をテーマとした連載小説をはじめるらしい。その梁に佐高信が、『金曜日』の最新号(2007年11月2日号)でインタビューしている。
ステロタイプな女性描写、性描写が多い梁が、「「慰安婦」の真実」をどう描くかは興味深いが(多分読まないが)、私が注目したのは、インタビューでの以下のやり取りである。 梁:(注・上坂冬子は)植民地時代の朝鮮は日本の一部で、朝鮮人はみんな日本人。日本人なら、日本軍の前線で苦労している兵士のため、お国のために当然身を投げ出すものだ――と言うんです。植民地なんだから、「慰安婦」行為は当然だと。 佐高:「朝鮮人慰安婦」という存在そのものがありえないと。まさに形式論理ですね。 梁:日本以外でそれを言ってみろと言うんですよ。日本を出たらそんな理屈、通用しない。 佐高は、「まさに形式論理」というが、では、最近の投書欄(「論争」)での、「読者」からの質問に答えた佐藤優の下の発言はどうなるのか。 「<(注・日本政府の)関与があったと思われるならば、その点で被害国にどのように日本政府が対処(償い)してきたかの見解も示していただきたい>という質問に対して、この質問に答えることはできない。被害国というならば、「慰安婦」の方々が帰属していた国家ということになる。韓国人・朝鮮人ならば、当時、韓国人・朝鮮人の国家は存在していなかったので、その国家は大日本帝国ということになる。中国人「慰安婦」ならば中華民国ということになろう。その場合、中華民国も当時の日本の理解では南京に政府が置かれていた汪兆銘政権ということになる。これは形式論理の問題でなく、事柄の本質にかかわる問題と思う。」(『金曜日』2007年9月28日号) 「形式論理」そのものではないか。いや、佐藤は戦前の蒋介石政権を「米英の手先となった傀儡政権」と呼ぶ立場なのだから(『日米開戦の真実』257頁)、そもそも「形式論理」以前とすら言える。「その場合、中華民国も当時の日本の理解では南京に政府が置かれていた汪兆銘政権ということになる」など、それこそ、「日本以外でそれを言ってみろ」である。 佐高は、『金曜日』の編集委員であり、発行人であり、株式会社金曜日の代表取締役社長であるのだから、上坂の主張を「形式論理」というのならば、佐藤の主張はどうなのか見解を明らかにすべきである。もういい加減にしたらどうか。 なお、以前のエントリーで、佐藤のこの文章について、「(注・投書欄での論争が)これで終わってしまうか、下らない投書が載って「論争」が終結するのか。そのような今後の展開で、佐藤批判(正確に言うと「批判」ではなく「質問」であるが、一読して感じるのは「批判」であろう)の「投書」掲載が、自作自演であったかそうでないかがわかる。」と書いた。結局この「論争」は、佐藤に質問した匿名氏による反論ともいえない文章が載り(10月19日号)、それで沙汰止みとなったようである。まさに「下らない投書が載って「論争」が終結」したわけだ。 結局これは、編集部の自作自演だったのではないか。少なくとも、投書の掲載の選択などで、編集部の佐藤に好意的な作為が働いているように思われる。佐高および『金曜日』編集部は、梁の連載小説開始にあたって、同誌でその直前に投書欄で展開された「慰安婦」問題に関する論争(と言えるレベルではないが)について、どんな投書が来たかなどを明らかにし、また、佐藤の主張に関する自分たちの見解も表明すべきだろう。 『金曜日』の最新号(2007年11月2日号)に、小林節のインタビューが載っている(「福田も小沢も「憲法違反」――テロ特とISAFめぐり“改憲派”論客が一刀両断」。
別に大して啓発されることもない小林(改憲派)による改憲論・保守派批判というネタに、護憲派ジャーナリズムはよく飽きないものだと呆れるが、よく考えてみると、これはなかなか徴候的な現象なのではないか、と思う。なぜ水島朝穂ら護憲派の憲法学者ではなく、改憲派の小林なのか。 『金曜日』が言いたいことは既に分かっている。「改憲派である小林ですらテロ特措法やISAF参加は違憲と判断し、反対しているということを示した方が、護憲派の憲法学者が違憲と判断し、反対するよりも影響力があるではないか」と。ここ数年の護憲派ジャーナリズムが愛用している論理である。 小林が護憲派ジャーナリズムに使われ出した頃(3年前くらい?)は、使っている側も、本心からそう思っていたのかもしれない。護憲派という主体が、小林という改憲派を、右派への対抗のために道具として使う、という構図である。だが、この2007年秋においては、同じ建前を掲げていても、構図は変わっているように思われる。 すなわち、護憲派ジャーナリズム自体の支配的な「護憲論」自体が、小林の「護憲的改憲論」と、そう変わりがなくなっているのではないか、ということである。 小林の9条に関する改憲論自体は、 「防衛省移行の意義と今後の課題」(朝雲ニュース 2006年12月21日付)(※1) http://www.asagumo-news.com/news/200612/061221/06122104.html 「国民が主権者として目覚め、主体的な憲法改正議論を」(「商工会議所だより」2005年7月号) http://www.nagano-cci.or.jp/tayori/684/ts_684.html ↓の小林節の箇所(ページの一番下)(2001年3月7日、参議院憲法調査会) http://www.k3.dion.ne.jp/~keporin/ronten/text/anzen04.htm を読めば大体分かる。小林の論の骨格自体は別に変わっていない。集団的自衛権に関しては曖昧だが、自衛隊の合憲化、国連決議の下での軍事的「国際貢献」の肯定という大枠自体は全く揺れていない。また、小林は、国民投票法案制定論者でもあった。大雑把に言えば、民主党的な改憲論と言ってよい。 そもそも、「<佐藤優現象>批判」(『インパクション』第160号)でも指摘したが(※2)、山口二郎らが提唱した「平和基本法」は、小林の論の大枠と同じことを言っているのである。山口は、2004年5月時点で、「10年ほど前から、護憲の立場からの改憲案を出すべきだと主張してきた(注・「創憲」!)。しかし、いまは小泉首相のもとで論理不在の憲法論議が横行している。具体的な憲法改正をやるべき時期ではないと思う」(『東京新聞』2004年5月2日朝刊)と述べているが、これなど、「護憲的改憲派」たる小林が、現段階の改憲に反対する口吻そのものではないか。 もちろん、これだけでは、小林が護憲派ジャーナリズムで使われ出した頃の構図と、現在の構図の違いを説明したことにはならない。この間に何が起こったか? 私には、この間に、護憲派ジャーナリズム内のヘゲモニーが、護憲派(水島朝穂ら)と解釈改憲派(山口二郎ら。彼ら・彼女らを正しくこう呼ぶべきである)の併存状態から、解釈改憲派単独に移行したように思われる。 護憲派ジャーナリズムのここ数年間は、「これまでの護憲派の主張では、もともとの護憲派以外には支持を得られない」なる認識の下で展開していたように思われるが、帰結したのは、改憲に反対する人々の増加というよりも、護憲派ジャーナリズムからの護憲派の影響力低下であったように思われる。 実際に、前号(2007年10月26日号)の、連載「解釈改憲論に勝ち抜くための論理」の最終回(第6回)では、山口、前田哲男、我部政明の座談会が載っているが、ここでは「戦後護憲勢力」は、「遺産」を築いたものとして扱われている。要するに、彼らの脳内では、最早死んだことになっているのだ。それは、護憲派ジャーナリズムにおける護憲派の影響力低下の反映でもある。解釈改憲論者たちがどうやって「解釈改憲論に勝ち抜く」のかは不明だが。 また、これも「<佐藤優現象>批判」で指摘したが、『金曜日』は、2005年2月に、国民投票法制定阻止の立場から移行している。ここから、手続法制定論者の今井一が誌面で活躍するようになったのである。 小林の「護憲的改憲論」は、今や護憲派ジャーナリズムの本音であって、もはや右派批判のための「道具」ではない。『金曜日』のインタビューで、小林と編集部員(インタビュアー)は、何と和気藹々としていることだろう。編集部員は小林を取り込んだつもりでいるようだが、自分が解釈改憲論に取り込まれていることには何ら気づいていないように思われる。 「護憲的改憲論」が本音の護憲派ジャーナリズムは、そのうち、民主党が改憲の姿勢を公然化させれば、山口二郎あたりを中心に、「自民党案より民主党案の方がはるかにマシである。民主党案を潰して、自民党案の改憲を実現させていいのか」と脅して、民主党の改憲案を呑むようキャンペーンを張るだろう。見え透いているではないか。その中では、護憲派にも、アリバイ的に、多少は席が与えられることになろうが、決して主流になることはない。民主党中心の「政権交代」に、何ら幻想を抱いてはなるまい。 (※1)小林はここで、「戦後60年にわたるわが国の「平和国家」としての実績」を強調している。無論これは、「戦後民主主義」の、日米安保の一翼を担って中朝に軍事的に対峙している過去と現在、朝鮮戦争・ベトナム戦争・湾岸戦争・イラク戦争等への加担、沖縄への軍事的負担の押し付けといった問題への無関心と正確に対応している。そもそも、韓国の政治学者、 権赫泰が強調するように、日本の「平和主義」は、韓国の徴兵制とワンセットである。これまでの「平和」の内実を問わない平和運動に展望はあるまい。 (※2)先日、テレビを見ていたら、小林が討論番組で、山本モナの「マニフェスト「10年以上住む外国人に地方選挙権をあげます」」に強硬に反対していた。<佐藤優現象>が在日朝鮮人の切捨てによって成り立っているのと同質の問題が、護憲派ジャーナリズムの小林の重用にはある。もちろん、佐藤とは悪質さのレベルが違うが。 11月上旬発売の『インパクション』第160号に、「<佐藤優現象>批判」と題して、論文を書きました。2段組で35頁分です。
ご一読いただければ幸いです。
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