2007年 10月
『金曜日』での佐藤優批判の投書掲載は編集部の自作自演では? [2007-10-01 19:24 by kollwitz2000]

『金曜日』での佐藤優批判の投書掲載は編集部の自作自演では?
『金曜日』2007年9月21日号の投稿欄の「論争」の枠に、「「佐藤優の飛耳長目⑱」を読んで」と題して、「匿名希望(30歳、皿洗い)」の投書が掲載されていた。8月17日号に掲載されていた「佐藤優の飛耳長目⑱」について、佐藤への質問の形をとった文章である。

佐藤の文章自体は、ここで嘲笑されている通りの内容であるが、それはさておき、ポイントは、この投書が、

①「慰安婦」問題への当時の日本政府の関与を佐藤は認めるのか
②認めるとしたら、被害国にどのように日本政府が「対処(償い)」を行ってきたと佐藤は考えているのか

について、佐藤に見解を明らかにするよう求めている点である。

その後、9月28日号の同じ「論争」欄に、早速佐藤の反論(「「慰安婦」問題は社会の働きかけが重要~匿名希望氏に答える」)が載っている。

佐藤の見解は、
A.「慰安婦」問題に当時の日本政府は「関与」していた
B.②の質問には答えることができない
(Bの理由)
・「慰安婦」が当時所属していたのは、「韓国人・朝鮮人」(注1)ならば「大日本帝国」、中国人ならば、中華民国、それも、「当時の日本の理解では南京に政府が置かれていた汪兆銘政権」である。
・「慰安婦」問題は、国家と国家の間ではなく、国家が社会に対して行った事案だ
・中国・韓国・アメリカの社会が、日本の社会と連帯して「慰安婦」問題に取組むというのならば賛成だが、国家が関わると、当該国の「国益」が表に出て、別の政治ゲームになる

いつもながらの『金曜日』読者向けのレトリックである。、そもそも佐藤は、米下院の「慰安婦」決議について、「事実誤認に基づく反日キャンペーンについて、日本政府がき然たる姿勢で反論することは当然のことだ」と述べており(<地球を斬る>2007年3月29日「安倍政権の歴史認識」)、「慰安婦決議に関して、アメリカ下院ごときに何を言われようとも、謝罪をする筋合いはない。中国や韓国から何を言われようとも、公約として掲げた靖国神社参拝を小泉純一郎前総理が取りやめなかったのと同じ論理構成をとればよい」(<地球を斬る>2007年8月8日「米下院の慰安婦決議(上) 」)と述べている。「慰安婦」決議の求める「謝罪」の対象は、第一に「慰安婦」個人であろうから(注2)、佐藤が「慰安婦の苦しみに対する政府の真剣な謝罪を盛り込んだ1993年の河野洋平官房長官の慰安婦関連談話を希釈したり撤回しようとする意図を示し」ている、「日本の公共、民間の関係者」(決議前文)の一人であることは明らかである。

佐藤はAで、当時の日本政府の「関与」を認めているが、小林よしのりと同じように、軍が慰安所の衛生と環境改善に尽力した、という意味で言っているのだということで、右派メディアでいくらでも言い抜けできるものである。すなわち、ここから佐藤が日本国家の犯罪性を認めている、ということにはならない。

Bの論理は、突っ込みどころが満載だが、とりあえず、この佐藤の論理から言っても、仮に日本国家の犯罪性を認めるならば、「慰安婦」個人への謝罪と個人補償が必要、ということになろう。
言うまでもないが、韓国政府は「慰安婦」問題について、「国家」への補償を求めているのではなく、「慰安婦」個人への謝罪と個人補償を求めている。佐藤の論理は、「慰安婦」問題を国家対国家の問題にすり替えて、謝罪と補償を回避するための醜悪なレトリックに過ぎない。

今のリベラルには、韓国や中国からの対日批判を「反日ナショナリズム」とレッテルを貼って、切り捨てる思考形式が蔓延している。佐藤は、そのリベラルの意識に乗っかろうとしているのである。

・・・行論の必要上、長々と述べたが、本題は、実は佐藤の文章の批判ではない。私がそれより言いたいのは、そもそもこの「匿名希望」の「投書」掲載は、ひょっとすると、『金曜日』編集部の自作自演なのではないか、ということである。

佐藤優に入れ込む今の『金曜日』に対して、ネットや私の周囲でも、批判がようやく出てきている。そうした声に対するアリバイ工作として、こういう「投書」を掲載したのではないか、ということだ。

なぜこんな疑いを持つかというと、そもそも、『金曜日』の投書欄には、「匿名」はかなり稀で、企業告発など、実名を出すと社会的に被害を蒙る可能性が高い場合に限られるように思う(この辺は、私は熱心な読者ではないから、「感じ」で言っている。ご存知の方がいらっしゃったらご教示いただきたい)。少なくとも、「匿名」が、『金曜日』の投書欄では例外的なケースであることは間違いなく、『金曜日』のホームページでも、「投書・論争」欄について、「とくに事情がない限り匿名は避けてください」とある。そして、この「匿名希望」が、「匿名」である必要がない内容であることは明らかである。

また、佐藤の投書が、次の号に掲載されているのも奇妙である。これもどなたかご存知の方がいらっしゃったら教えていただきたいのだが、ある投書に関する反論は、私の記憶では、早くても次々号くらいの掲載だったように思う。次号の掲載というのを見たことがない。前例はあるのだろうか。

したがって、佐藤への疑問を述べた投書を掲載する必要があるから、あらかじめ編集部が佐藤と打ち合わせた上で、編集部自らが「匿名」の投書を書いた、もしくは、本当に読者から来たある投書について、佐藤と打ち合わせて佐藤の応答も合わせて連続して掲載した、という可能性は、そう荒唐無稽な推測ともいえないのではないか。無論、推測の範囲を出ないが、今の編集部ならばそれくらいはやるだろう。

「匿名」の投書が「被害国」と書いているのをあげつらって、それを「ナショナリズム批判」の文脈にすりかえる、というのも、話として出来すぎている感じがする。「関与」という文言の件も同様だ。

佐藤の応答は、私が長々と書くまでもなく、簡単に反論できるものだから、『金曜日』読者で説得的に佐藤に反論する人は当然出てくるだろう。その投書が掲載されるだろうか。もしくは、これで終わってしまうか、下らない投書が載って「論争」が終結するのか。そのような今後の展開で、佐藤批判(正確に言うと「批判」ではなく「質問」であるが、一読して感じるのは「批判」であろう)の「投書」掲載が、自作自演であったかそうでないかがわかる。

(注1)佐藤は、「朝鮮語」と「韓国語」は別であると別のところで主張しており、「朝鮮人」と「韓国人」とは異なると認識しているわけである。これに関してはいずれ詳しく述べる。

(注2)決議第1条「日本政府は1930年代から第2次世界大戦終戦に至るまでアジア諸国と太平洋諸島を植民地化したり戦時占領する過程で、日本軍が強制的に若い女性を「慰安婦」と呼ばれる性の奴隷にした事実を、明確な態度で公式に認めて謝罪し、歴史的な責任を負わなければならない。」

# by kollwitz2000 | 2007-10-01 19:24 | 佐藤優・<佐藤優現象>
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