2007年 09月
安倍首相辞任によせて:左派は拉致問題で右派に対決すべし [2007-09-12 17:44 by kollwitz2000]
排外主義としての格差社会論 [2007-09-11 18:37 by kollwitz2000]
佐藤優の転向 [2007-09-11 00:48 by kollwitz2000]
安倍政権に敗北したリベラル・左派 [2007-09-08 01:02 by kollwitz2000]

安倍首相辞任によせて:左派は拉致問題で右派に対決すべし
先日書いた、「今後、「拉致外交」の転換を評価する意見がマスコミでも出るだろうし、リベラルや左派の一部は、「それ見たことか」と安倍政権を嘲笑するだろう(『金曜日』とかやるんだろうな)。」という一節に対し、

「『金曜日』はむしろ、「置き去りにされる可哀そうな家族会」というポーズで記事を書いて、「家族会を裏切って北朝鮮に屈服した安倍首相は許せない」という立場で「批判」するかもしれません。ー一時、拉致被害者家族バッシングが起こったとき、「小泉首相の仕掛け」というような報道をしていたと思います。」

というメールをいただいた。確かに、今の『金曜日』ならやるかもしれない。私はまだ『金曜日』に「幻想」を持っていた、ということなのだろう。



という記事を書こうとしていたら、安倍辞任の報道が飛び込んできた。

産経新聞は、早速以下のような記事を掲載している。
http://www.sankei.co.jp/seiji/shusho/070912/shs070912006.htm

「置き去りにされる可哀そうな家族会」どころではない。家族会や救う会の言いなりの外交を続けてきたからこそ、米朝協議の急展開に対応できない安倍政権の崩壊という事態に至ったのである。無論、そこにリベラル・左派の貢献などほとんどない。負担増の結果、参議院選挙で自民党が大敗することは、昨年から言われていたことである。

リベラル・左派は、家族会と救う会を聖域化することをそろそろやめるべきだろう。聖域化した結果、ここ5年間、右派に手も足も出なかったことを考えるべきである。安倍の辞任は、外圧と保守政権の自滅でしかない。

今後、日朝国交正常化が急ピッチで進むだろうが、その過程で、「置き去りにされる可哀そうな家族会」という言説は必ず出てくるだろう。問題は、保守政権を批判する材料として、リベラル・左派がそれを使いかねないことだ。家族会・救う会の聖域化を続けていては、もう一度右からの揺り戻しがあった場合、ツケを払わせられることだろう。

安倍政権が倒れ、ようやく一息つけそうになっている現在、リベラル・左派は、高嶋伸欣『拉致問題で歪む日本の民主主義』とその続編でも読んで、ここ5年間の拉致問題に対する無定見な姿勢を再検討し、改め、バッシングを展開する右派と拉致問題に関しても対決すべきだろう。この奇禍を生かして姿勢を転換しない限り、改憲の圧力には勝てまい。

# by kollwitz2000 | 2007-09-12 17:44 | 韓国・朝鮮(在日朝鮮人)
排外主義としての格差社会論
目下、「格差社会反対」は、リベラル・左派ではごく当たり前なことになっている。佐藤優も、「日本国家の弱体化に歯止めを」と、格差社会反対の論陣を張っている。

先日、あるブログで、「見解の相違する部分は切り捨てて、格差拡大の克服という一点で、広義「左翼」の再結集をというのが、現時点の最大の課題だと思う。過去の左翼運動にはありがちなことだったが、人権問題や反戦平和、反天皇制などで参加者を値踏みするような発想が、いちばん良くない」という記述を読んだ。同様な図式の下での「広義「左翼」」が、リベラル・左派に拡大解釈されて、佐藤優にまで及んでいるのが<佐藤優現象>を支える強い要因になっていると思われる。

「格差社会化」に反対しているから、佐藤は一定評価すべきではないか、という声が聞こえてきそうだ。だが、問題は実は逆ではないのか。私には、現在の「格差社会論」自体が排外主義的な論理を孕んでいるように思われる。だからこそ、佐藤のような排外主義者が、容易に格差社会反対の論陣を張れるのだ。

私が前から呆れているのは、現在盛んな「格差社会論」に、外国人労働者の問題、また、グローバリゼーションの下で先進国と第三世界の「格差」が拡大している問題が、ほとんど全く言及されない点である。

リベラルからは、恥知らずにも、外国人労働者が流入すると排外主義が強まるから、流入は望ましくないという言説をよく聞かされる。言うまでもないが、この論理は、排外主義と戦わない、戦う気のないリベラル自身の問題を、すりかえている。こんな論理なら、まだ、はじめから外国人排除を主張する連中の方がすっきりしている。興味深いことに、小林よしのりも格差拡大に反対しているが、その理由は、格差拡大によって、「日本のエートス・魂」が失われ「国民の活力」が縮小し、「少子化が進み、やがて移民を受けいれざるを得なくな」るからとしている(『SAPIO』2007年3月28日号「ゴー宣・暫」第五幕第一場)。すなわち、外国人労働者を排除した上での格差の解消という論理構成の点では、「左」も「右」も同一なのである。

非常に単純化して言えば、外国人労働者の生活権の問題までカバーしうる格差社会論があるとすれば、最低限、労働法制がある程度規制緩和されることが前提となろう。そうでない限り、若年労働者と外国人労働者の競合は避けられまい。無論、そうした規制緩和には、大多数の「国民」は賛成しまいし、大衆統合の見地から見て、支配層も採用しないだろう。

若年者の労働組合運動は、現段階では既存の大組合の支持と援助なしではやっていけないから、「中高年の仕事を自分たちに」などとは言えない。かくして、外国人労働者の問題は「格差社会論」から排除され、若年者の労働運動は、「既得権益」に入ることを要求するものとなる。

最近、「格差社会論」の文脈で、若年者の労働運動がリベラル・左派で持ち上げられているが、赤木智弘(ここで批判しておいた。赤木は、最近はネット右翼との距離を強調しているようだが、前に挙げたエントリーを削除または修正していない以上、ネット右翼と言って差し支えあるまい)と組もうとしているような現状では何ら希望はあるまい。

若年者の労働運動は、このままでは、運動が大きくなったとしても、戦前の社会大衆党みたいになるだけだろう。日中戦争前、農村の惨状と危機を強調する言説(まさに「格差社会論」だが)が蔓延したこと、「対支非干渉」を主張していた農民運動が、変節し、「農民に満州の土地を」といったスローガンを掲げるようになっていったことを想起すればよい。そこでの農民運動の活動家が、戦後の日本社会党の左派に流れたわけであり、今の「格差社会論」も系譜的に言えばつながっていないことはないから、先祖帰りと言えばそれまでであるが。

グローバリゼーションの下、「国民主義」に陥らず、本当に格差を変えていくためには、現状の「格差社会論」から疑う必要がある。

# by kollwitz2000 | 2007-09-11 18:37 | 日本社会
佐藤優の転向
本屋で新刊『中国の黒いワナ』(別冊宝島)所収の佐藤優・荒木和博・青木直人の巻末鼎談を立ち読みしていたら、佐藤が拉致問題に関するこれまでの主張を放棄していたので、爆笑すると同時に、そのせこさに腹が立った。こんな駄本買いたくないので、以下の紹介は私の記憶に基づく。興味のある人は立ち読みして確認されたい。

佐藤は、鼎談の中で、拉致問題の解決の重要性を強調しつつ、ロシア人の政治家から「拉致問題を日本はなぜカネで解決しないのか」と質問されたという話を述べている。そのロシア人に対し佐藤は激怒したが、交渉には見返りが必要、というロシア人の言い分を紹介した上で、「償い金」のような形で資金を与えることには反対だが、北朝鮮に資金を与えることで、北朝鮮の体制を内部から変革させることも一案である、といったことを述べている。

「拉致問題の解決が交渉の大前提」とさんざん煽ってきたのは一体誰なのか。私見によれば、佐藤がこの立場を放棄したのは、この文章が初めてではないかと思う。明白な転向である。

佐藤は、植民地支配の過去には一応言及する田中均を、これまで「歴史に対する思い入れが強すぎる」として批判してきており、同鼎談中でも、田中均型外交を批判しているのだから、この佐藤の「償い金」への反対を、日朝平壌宣言には反対している、と誤解する人も多かろう。だが、言うまでもないが、日朝平壌宣言は経済協力方式なのだから、「償い金」などではない。佐藤は、「田中均型外交を確かに自分は批判してきたが、日朝平壌宣言は否定したことがない」と言うだろう。保険を掛けておいてよかった、というところか。

これまで佐藤は「拉致問題の解決」を交渉の大前提とする安倍外交を支持してきたが、米朝協議の展開で安倍自身がその立場を放棄されることを余儀なくされるとともに、佐藤もその立場に見切りをつけたのであろう。多分、日朝交渉の行き着く先は、日朝平壌宣言になろうから、今のうちにそのラインで、ということだと思われる。せこい奴である。今後、佐藤は『金曜日』の連載などでは、「北朝鮮への資金提供の必要性」について、あたかも初めからの持論であるかのように主張していくかもしれない。

ついでに言うと、「北朝鮮の体制を変革させるためにも国交正常化と資金提供を」という論理は、最近の姜尚中の立場でもある。姜は、佐藤と違ってかねてからの国交正常化論者だが、同じ「国交正常化論」でも、体制崩壊を志向したものに論理が変質している。簡単にまとめると、佐藤が「左」に、姜が「右」に行って、似たような主張になっているということだ。

私としては、佐藤自身には前から言っているようにそれほど関心はないが、佐藤はリベラル・左派のある種の欲望を体現していると見ているので、佐藤が主張を転向させるまでに日朝関係・拉致問題に関する「論壇」の「空気」が動いている、ということに注目している。それにしても、ロシア人の話というのは、佐藤が転向を合理化するために捏造したっぽいな。せこい。佐藤は、鼎談中で、拉致問題の解決の重要性を繰り返し強調し、そのためには日本が六者協議で孤立してもよいとも言っているが、これも転向を隠すためのように思われる。

あと、佐藤の発言では、「左翼にも、反スターリズムの観点、北朝鮮の民衆も金成日体制の被害者という視点から、拉致問題に対して整理させるべき」というものも興味深い。今の一部の新左翼は、実際にこの論理で、金成日体制の打倒を呼号し、そのための武力行使も肯定していたはずである。ネオコンの中心メンバーにはトロツキストから転向した連中が多いらしいが、そのまんまである。日本の左翼の救いようのなさから考えれば、近いうちにこの佐藤の主張に呼応する連中がもっと出てくるかもしれない。

それにしても、佐藤のこの転向に、右翼や保守派で怒りの声を上げる気骨のある?奴はいないのか。リベラル・左派のメディアや知識人が腐っていることは前から指摘しているが、これでも相変わらず右派メディアで書き続けられるのならば(多分、そうなるだろうが。売れっ子だしね)、右派の救いようのなさも相当なものである。

# by kollwitz2000 | 2007-09-11 00:48 | 佐藤優・<佐藤優現象>
安倍政権に敗北したリベラル・左派
安倍政権が、日朝国交正常化に向けて動き始めている。正確には、米朝協議の急展開によって、動かされていると言うべきだろうが。
http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/24268195.html

私が呆れるのは、結局、日本で2007年に「日朝国交正常化」を公然と言い出した最初の勢力は、左翼でもリベラルでも「健全な保守」でもなく、安倍政権だったことである。

当然であるが、安倍政権を評価しているわけでは全くない。情勢の急展開に強制されているに過ぎない。私が呆れているのは、こうなるのは少なくともここ何ヶ月かでは誰の目にも明らかだったのに、それでも「日朝国交正常化」を言い出せなかった左翼はじめその他の勢力だ。

安倍政権が北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)外交に敗北したのは明らかである。だが、日本のリベラル・左派も安倍政権ごときに敗北したのである(それは北朝鮮外交に敗北したことを意味しない、はずであるが)。

今後、「拉致外交」の転換を評価する意見がマスコミでも出るだろうし、リベラルや左派の一部は、「それ見たことか」と安倍政権を嘲笑するだろう(『金曜日』とかやるんだろうな)。だが、本来嘲笑されるべきは、朝鮮半島情勢の緊迫化や在日朝鮮人弾圧に対し、ほとんど声を上げることをせず、沈黙するか強硬論に加担すらしたリベラル・左派であることは言うまでもない。その沈黙・加担の象徴が、対北朝鮮武力行使を肯定し、在日朝鮮人弾圧を煽動する佐藤優を、『金曜日』などのリベラル・左派が重用する<佐藤優現象>である。

以前のエントリーで、安倍政権の狙いが、拉致問題に関しては「国民」一丸となって対処する体制をつくることであることを指摘したが、それは実現した、と言わざるを得ない。「平和」「人権」に本当に関心がある人間は、こうしたリベラル・左派の救いようのなさから出発しなければならない。

こんな批判をしても、受け止められるリベラル・左派が日本にいるかは分からないが。
「自分が奴隷であることを意識しない奴隷が、最も奴隷的」というようなことを、確か魯迅は言っていた。

# by kollwitz2000 | 2007-09-08 01:02 | 韓国・朝鮮(在日朝鮮人)
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