2007年 01月
女性のナチ党支持から考える「ジェンダーフリー・バッシング」問題(3) [2007-01-07 00:54 by kollwitz2000]
女性のナチ党支持から考える「ジェンダーフリー・バッシング」問題(2) [2007-01-07 00:52 by kollwitz2000]
女性のナチ党支持から考える「ジェンダーフリー・バッシング」問題(1) [2007-01-07 00:51 by kollwitz2000]

女性のナチ党支持から考える「ジェンダーフリー・バッシング」問題(3)
ジェンダーフリー・バッシングを行なっている連中が言っているのは、「家庭」「家族」の復権であり、「女らしさ」の擁護である。手元にないのでうろ覚えだが、『美しい国へ』でも、安倍は「家族のきずな」やら「家庭」の大切さ、子供を持つことの大切さを強調していたはずだ(注:この辺は、後日確認します)。『美しい国へ』を読みながら、子供のいない安倍が、子供を持つことの大切さを語るくだりで笑ってしまったが、「ヒトラーのように金髪で、ゲーリングのようにすらっとやせていて、ゲッベルスのように筋骨たくましい」人種的に純粋な子供を育てようというドイツ人の冗談(クーンズの紹介による)のように、イデオロギーの必要性は政治家個人の現実を乗り越える。安倍などある意味では「家族」イデオロギーの被害者だと思うのだが。

自民党への女性の支持率が高いのは、女性がワイドショーなど「テレビ政治」に影響されやすいから、党首である小泉・安倍の男性としての魅力が高いから、といった見解がまだ支配的である。こうした見解を徹底的に潰さなければならない。念のために言っておけば、この結果は、ナチ党が女性から支持されたのは、メディアを駆使したからではない。ナチ党がメディアを駆使できるようになったのは、1933年の政権獲得後であり、当時はテレビもなかった。

以前にも書いたが、女性の自民党への支持は、女性労働が企業社会内部で周辺的である点から説明する必要がある。「女性の社会進出」と言うが、現在の企業社会、そしてそれを支える企業内組合の下では、大多数の女性にとっては周辺的な労働者として組み込まれることしか意味しない。その場合、女性は、「家族」と「女性らしさ」を擁護して自らの社会的地位を保証し、男性ホワイトカラーをリストラして雇用機会を増やす政策を支持するだろう。こうした層と、イデオロギー的により保守的な専業主婦層の合同で、ほぼ女性からの得票は説明できると思う。もちろん、同一労働同一賃金が望ましいことは言うまでもないが、それを主張する政党(社民党)が力を持たない以上、自民党か、棄権ということになるのではないか。

荷宮和子は、1989年の参議院選挙で社会党が大勝した理由について、80年代に大量に社会進出した女性労働者――フェミニストではないが「フェミニズムのようなもの」を支持した――が、土井たか子率いる社会党ならば男性中心社会を是正してくれると期待して投票したからだとする(『なぜフェミニズムは没落したのか』。この指摘の画期性については後日また触れたい(注:手元にないので後日、ちゃんと確認します))が、小泉・安倍政権において、同じような現象が逆方向で進んでいるのではないかと思う。男性中心社会への変革ではなく、変革の可能性への幻滅という点からの。

ジェンダーフリー・バッシングへの対抗は、主張それ自体への反論だけではなく、企業社会(組合も含めた)の男性中心主義の変革と、家族イデオロギーをどう乗り越えるかの代案が必要だろう。後者は私にも今のところ成案はないが、前者に関しては、同一労働同一賃金など、実現すべき課題はいくらでもある。ジェンダーフリー・バッシングは、女性にだけ影響を与える問題ではない。クーンズは、「反ヒトラー派は当初からヒトラーの旧式な政治見解を直接的に攻撃していたものの、彼の社会革命の中核である性と人種については、ほとんど指摘されることがなかった」(上巻、203頁)と述べている。ここで有効に対抗できない限り、安倍政権には勝てまい。

# by kollwitz2000 | 2007-01-07 00:54 | 政治・社会
女性のナチ党支持から考える「ジェンダーフリー・バッシング」問題(2)
クーンズは、女性がナチ党を支持した要因をいろいろ挙げている。主な点をまとめると、

男女同権への幻滅。ワイマール憲法の下、男女平等が公的に謳われたにもかかわらず、社会民主党も含めて男性は政治的にも社会的にも権力を放棄しようとせず、「男女平等」の理念に多くの女性が幻滅したこと(クーンズは、1920年代に、特に若い女性の間でフェミニズムが衰退したことを指摘している)。

低賃金労働への幻滅。第一次世界大戦による総動員体制下での女性の社会進出により、ドイツでは、1920年代には賃金労働者に占める女性の割合が約三分の一に達しており(アメリカでは15%)、女医や女性弁護士も続々と登場し、ホワイトカラーの事務的な仕事は若い女性に担われつつあるという女性の社会進出の「先進国」だったが(クーンズは、アメリカのフェミニストが羨望のまなざしでドイツの仲間たちを見つめていた、と報告している)、大多数の既婚女性は慢性的な重労働と低賃金にあえいでおり、アメリカのフェミニストが就労を要求したのに対し、低賃金に苦しむドイツの女性は反対に金銭のための労働から逃れることを夢見ていたこと。

「家族」の復権。あらゆる階層のドイツ人の間では、経済的な混乱に立ち向かうためには家族を守らねばならないという点で意見が一致していたこと。また、「新しい女性」による性風俗の壊乱がヒステリックに強調され、「家庭を守る」ことの必要性が唱えられたこと。また、「出生率の低下」の深刻化が社会的問題になり、原因が「女性の出産ストライキ」にあると主張され、「家族」の復権が叫ばれたこと。

「母性」の擁護。最も勢力の強かった中産階級の女性運動は、家事や育児、教育などを「女性の占有領域」とし、政治的進出よりも「女性の本来の場」という枠の中での広大な女性の世界の組織化(ヒトラーよりも早く、1920年代から彼女たちはその世界のことを自らの「生存圏」と呼び始めている)や、「母親としての役割」の社会的認知を要求していたこと。また、「母権制」に関する考察の復権(バハオーフェンの著作の復刻等)や、「母の日」(1927年に生花店団体が始めたもの)の一般への浸透などに表れているように、「母性」の意義を強調する風潮が強まっていたこと。

といった点であろう。こうした要因から、多くの女性が、公的な領域からの女性の撤退、「家庭」と「母性」の復権と尊重を強調するナチ党(女性に関する政策は体系的なものではなかったこともクーンズは指摘している)を支持したとクーンズは述べている。

# by kollwitz2000 | 2007-01-07 00:52 | 政治・社会
女性のナチ党支持から考える「ジェンダーフリー・バッシング」問題(1)
「ジェンダーフリー・バッシング」(以下、「」は省く。どう呼んだらいいのでしょうか)の力が強くなっている原因について最近考えている。ジェンダーフリー・バッシングを表立ってやっている連中よりも、本来声を上げるべき人々の沈黙・黙認について考えたい。

これは、構図としては、近年のマイノリティに対するバッシングと似たものがあるように思う。たとえば、『嫌韓流』的な在日朝鮮人バッシングの隆盛は、非常に大雑把に言えば、リベラル派や一般市民がバッシングを黙認している点に大きな要因がある。<嫌韓厨>が増えているのは事実だろうが、そうした差別主義者は戦後を通して一定数存在してきただろう。これまでは戦後民主主義(?)の「良識」によって、そうした攻撃は表立っては「やってはいけないこと」になっていたが、彼ら・彼女らが「黙認」に転じたからこそ、あからさまな民族差別言説が大手を振ってまかり通っている現状を迎えているということだろう。在日朝鮮人の人口は、せいぜい日本の総人口の0.5%程度なのだから、そうした攻撃に有効に対抗するのは単独では難しい。

ジェンダーフリー・バッシングの場合、女性は人口の半数を占めているのだから、上記の構図は一層あてはまる。性教育批判や「Y染色体論」などの荒唐無稽な言説の批判も重要だが、それよりも、本来声を上げるべき人々の沈黙の点について考える必要があるように思う。政治家がジェンダーフリー・バッシングをやるということは、それが票になる、ないしはやっても票を大して失わないと踏んでいることを意味している。有権者の半数は女性なのだから、女性のかなりの層がジェンダーフリー・バッシングを黙認している、といってもあながち外れてはいないように思う。無論、これは自民党(特に安倍政権)の女性支持率がなぜ高いかという問題とメダルの裏表にある。

最近考えているのは、こうした現象は、ワイマール共和国期にナチ党が選挙で躍進した背景に女性の強い支持があったのと似ているのではないか、ということである。

クローディア・クーンズ『父の国の母たち――女を軸にナチズムを読む』(全2冊、姫岡とし子監訳/翻訳工房「とも」訳、1990年(原書1987年))によれば、ナチ党は、ユダヤ人を「アーリア人」社会から排除し、女性から公的な影響力を奪うこと(ワイマール憲法で認められた女性参政権の廃止や、専門職からの女性の排除など)を公約していたが、「1928年以降、女性有権者は男性よりもゆっくりとしたペースながらもナチ党を支持する態度を取るようになり、1932年7月の選挙以後は多くの新有権者と同様、あっという間にナチ党に傾いていった。行き詰まりの様相を呈するようになったナチ党を多くの男性が見捨てた後でさえも、女性はナチ党を支持し続けたようである。また、以前は投票所にまったく足を運ばなかった女性が、自分にとって初めての票をナチ党の候補者に投じたということも言えそうだ。」(上巻、187頁)

# by kollwitz2000 | 2007-01-07 00:51 | 政治・社会
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