2005-08-03
ケンカ
ある掲示板で、また内藤朝雄さんとケンカをしてしまいました。情報交流が主の、普段は議論なんてない掲示板なのに。。。「荒らし」同然、というか「荒らし」そのものでした。関係のない人にも嫌な思いをさせてしまったかもしれないと思います。書き込みは既に削除されています(妥当な措置だと思います)が、内藤さんがブログに転載されています。その後削除されたようです。
http://d.hatena.ne.jp/suuuuhi/20050803
今読み返してみると、とてもいや〜なやりとりですね。売り言葉に買い言葉で、相手を挑発するような書き方をしてしまっています。感情的になって、勢いにまかせて書いてしまいました。自分の中にこのような攻撃心が眠っていたのかと気づかされ、愕然としています。
一つには、ネットだけでのやりとりで、お互いに敵意が際立ってしまったのだと思います。内藤さんの『学校が自由になる日』を拝読し、リベラリズムには根本的に共感できないと思いつつも、分析の鋭さに感服しました。実際にお会いして話していれば、もう少し違ったコミュニケーションができたかもしれないと思います。ただ、内藤さんは事実に反することを書いていらっしゃるので、そのことはやっぱりおかしいと思います。
って↑のような優等生的な言い方の方がイヤらしいかもしれない。。。やっぱり思ったことはハッキリ言った方がいいのかもとも思います。う〜ん。ともかく、自分は人格的に本当にまだまだだな〜と思いました。
今回のケンカの発端になったやりとりは↓です。これも削除されたようです。
http://d.hatena.ne.jp/suuuuhi/comment?date=20050501#c
内藤さんの書き込み部分のみ、一部復活されたようです↓。
http://d.hatena.ne.jp/suuuuhi/20050806
とりあえず、「電話工作」の疑いは晴れたようでなによりです。
さて、感想ですが、あれでは常野さんがシューレと闘っているのか、内藤さんともめているのかよく分からなかった。ああいう書き方では、シューレのネガティブ・キャンペーンを貼っているも同然じゃあないのかな? ブルジョワたたきなんてやっているんじゃまるでサヨク・ファシズムだし。たとえば、宮地健一さんのサイトをググって探してもみてください。充実した旧ソ連批判が読めます。(内藤さんの主張に対しては、反ユートピア小説の紹介のなかでもとりわけ「水晶宮」批判が参考になるでしょう。彼のサイトにない情報を加えるとすれば、オクタビオ・パスの政治評論「くもり空」現代企画室くらいかな。)どういう事情でああいうパフォーマンスをやるに至ったのかは知らないけれど、世代錯誤のサヨクぶりっこなんてやめたほうがいいと思う。
わたしはかつて東京シューレの人たちとイベントでご一緒したり、奥地さんとは電話でお話したり、そのほか本やTVやラジオなども通じて親しみを持っています。兵庫や愛媛の別のフリースクールにいったり、名古屋ではフリースペースのスタッフをしていたこともあって、仲間意識もあります。十代のころからのイリイチおたく(w)でもあります。貧乏で生きられるかどうか分からないくせに、文化優先主義により、関西地区にオルタナテイブな図書館や大学を作ろうと構想しているうつけものでもあります。
話がうつりますが、こういう問題を語るのは難しくて、なぜかというと、自分の実感に沿った言葉と、登校中心主義の人たちの使いそうな言葉との間に落差があるから。それで、いいたいことと言ったことがズレてしまうことがある。主観と客観のズレというのか、支配的な言語と被支配的な言語の齟齬というべきか。
はじめ本屋で常野さんの本を見たときには「敵かな?」とも考えましたが。こちらのブログを見て、ひょっとしたら同じ問題を共有できるかもしれないと考えを改めました。
それでは、今日はこのへんで。
今事情があってネットカフェからです。もうすぐ弊店ですので、また改めて連絡したいと思います。
(なお、もしこのカキコに対して内藤さんから苦情があった場合、わたしをかばわずに、削除を願います。わたしは彼には大きな貸しがあるので。)
「いいたいことと言ったことがズレてしまうこと」、僕もしょっちゅうあります。だからあえて否定的に用いられてきた言葉を肯定的に用いたり、その逆をしてみたり、工夫もしていますがうまくいくとは限りません。。。
あとから気づいたのですが、なんか日本語として意味がめちゃくちゃになっていました。
訂正させてください。
()内の彼→宮地さん(まぎらわしいけれど、内藤さんじゃありません。)
弊店→閉店
2つめの()内貸し→借り
お目汚ししてしまい、すみません。
ところで、中国映画の「活きる」ごらんになったことがありますか? 文化大革命期の中国で、国家総動員が行われ、そのために主人公の子どもの亡くなる衝撃的シーンがあります。また、金持ちが金持ちであるだけで処刑にされたり、伝統芸能が弾圧・迫害されるところもあります。そのほか、居丈高な紅衛兵が、お医者さんを市中引き回しの刑にしてしまい、見習い看護士らだけで病院を運営する状況も。結局、主人公の子でもある妊婦の出産を助けられず、死なせてしまうんですよ。
市民的自由というのも流動的な概念です。はじめはヨーロッパの白人の男性の……だけだったものが、女性や黒人や文化的少数派にも広がりつつあり、さらには自然の権利・動物の権利なども検討されていることはご存知かと思います。それを全部否定するようなことをなぜおっしゃるのでしょうか? かりにも「普遍的な」人権だからこそ、「人間」以外にも認めろと論争する余地があるのに。
かりに内藤さんが特権を持つとしても、大学の先生になるというのは職業選択の自由という人権でしょう。特権は一部の人しか持てないが、人権はすべての人が持てる。日本国憲法にもうたわれた、人の権利を侮辱するようなことを主張されていますが、わたしは到底賛成できません。失業者でなければものを言ってはならない(?)ということですか?
今、世界の特権階級は、各国に跋扈する2世・3世政治家ではないでしょうか?(ブッシュ、金、小泉など) 東大の大学院に「ロンダリング」で入り、私立の大学の教員をしている、それも職場でのいじめに悩まされながら「万年講師」をしいられている人にむかってかみついても仕方がないのではないでしょうか?
自分たちの立場がますます不安定化しているのだとしても、だったら相手と同じような収入や保証等を求めてゆくべきであって、相手の人権を否定しないほうがいいと思うのですが、どうでしょうか?
むしろ、世代的にも立場的にも、そういった人たちと、わたしたちとは上の世代の横暴に抵抗するために、うまくいけば協力できたのではないでしょうか?
貴戸さんに関して2ちゃんでの悪ふざけは、いっときの2ちゃんに比べればマシなほうかもと思います。わたしもときどき貴戸さんの茶髪・ピアス等にからむ悪口には数度にわたり「バカらしい。やめようよ」という内容のかきこをしています。なかにはちゃんとものを考えていて、話せる人もいるんですが……。
もちろん、内藤さんのおっしゃることも絶対ではありません。わたしはわりと日本文化に純粋培養されたようなところもあって、神学論争をやるような伝統文化になじんでいませんが、一点でもシューレに理があれば、情報発信してゆくべきだと考えています。ルサンチマンが絶対に悪いのか? キリスト教は奴隷解放に効果がありましたよ。 ルサンチマンはゼロにできるのか? など焦点はいくらでも見出せます。
あの人もひとりの人間です。以前、社会臨床学会というところで、まだ院生時代の内藤さんについて、社会学系の人が「あの人は学校へのルサンチマンが強すぎる」と語っていたのを思い出してしまいました。
>「いいたいことと言ったことがズレてしまうこと」、僕もしょっ
>ちゅうあります。だからあえて否定的に用いられてきた言葉を肯
>定的に用いたり、その逆をしてみたり、工夫もしていますがうま
>くいくとは限りません。。。』
なるほど。そのへんが「アクロバット」と見られたのかもしれませんね。まだまだ自分たち登校拒否者は、自分たちの言葉とか文化を獲得していないのだと思います。獲得できそう! と思ったとたんに社会的圧力によりスポイルさせられることの連続ですから。それでも、なんとか生き残って、自分たちの納得のいく言葉を残していきましょうよ。たとえば沖縄の文化のように、独自の香りのする言葉や文化を作って、伝えてゆけたらいいですね。
『活きる』観ました! すごく面白かったです。個人的には、最初の方の、ダメ親父がギャンブルにはまってるシーンがお気に入りです。
僕が全体主義や暴力について語ったりするのは、何も「全体主義国家にしようぜ!」と言いたいからではありません。そうではなくて、自らの内なる全体主義や暴力に無自覚であるようなものこそ恐ろしいと思っているのです。たとえば、北朝鮮は、公式イデオロギーによれば「最も全体主義から遠い社会」ではないでしょうか? 逆に自らの暴力を自覚することによってこそ暴力をコントロールすることが可能になると思います。
コメントをながながと書くのもどうかと思い、TBを書きました。
だけど、TBがなぜかつけられない。
http://blog.goo.ne.jp/egrettagarzetta/e/4ef471ab60a7f927c2ad892aafc1928f
不愉快なこともあるかもしれませんが、よろしければごらんください。
あと、東大という学閥の特権を制御するか、人権として一般に広く開放する(たとえば図書館の開放など)といったことについては、また別の問題になります。だから、「特権」をよく思わない東大内部・外部の人と話し合ったほうがいいと思います。ただし、なるべく非暴力の、平和的な方法で。どんな手段を使っても、というのは、誇張表現としても使わないほうがいいと思う。(かくいうわたしもある人からどうも全共闘扱いされているようで、あまり人のことを言えないかもしれないけれど。恥。)