2005-07-15
フロイト講演会「精神分析の起源と発展」翻訳にあたって
精神分析 |
ナツメ社から出ている『図解雑学』というシリーズがあります。様々な学問についてとてもわかりやすい解説を読むことができます。これまでに『図解雑学 サルトル (図解雑学シリーズ)』と『図解雑学 ニーチェ (図解雑学シリーズ)』を読みました。左側のページに解説があり、右側のページにそれに対応したイラストがあるという構成で、楽しく哲学を学ぶことができます。基本的に1ページに1項目ずつ解説してくれるので、無理なく読み進めることができるようになっています。最近、このシリーズのフロイトの巻を立ち読みしました。
これも非常にわかりやすい本で、数時間にしてフロイトの精神分析の全貌が理解できてしまいました。というのは嘘ですが、基本は押さえることができたと思います。この入門書はあまりにも優れているのでフロイト自身の著作はもう読まなくてもいいのではと思えるほどですが、ネットサーフィンをしていてフロイトの講演録を見つけました。
Freud, Sigmund (1910) "The Origin and Development of Psychoanalysis," first published in American Journal of Psychology, 21, 181-218.
これもフロイト入門としてとてもわかりやすいものでした。翻訳の修行のため、このブログでこの講演を訳していこうと思います。
Fancherさんによると、これは1909年にアメリカで行われた講演の記録だそうです*1。フロイトはアメリカの著名な心理学者の招きではるばる船に乗ってヨーロッパからアメリカに渡りました。フロイトは当時まだまだマイナーな存在だったので、アメリカの有力者からの招待はうれしいものだったそうです。講演は大成功で、アメリカでフロイトがメジャーデビューするきっかけとなりました。
翻訳は上記のサイトのテキストからのものです。テキストには、一部読み取りミスと思われる箇所があります(heをbeとするなど)。訳語はできる限り『フロイトの精神分析 (図解雑学-絵と文章でわかりやすい!-)』に合わせるようにしますが、立ち読みしただけなので完全ではありません。誤訳・誤字・脱字・意味不明な箇所などがありましたらコメント欄でご指摘ください。また、一部人名の発音が不明なものは原語のままにしてあります。もしご存知の方はぜひお教えください。その他、翻訳上のアドバイスなどがあれば、細かいことでもけっこうですのでよろしくお願いします。
フロイト講演会「精神分析の起源と発展」 第一講義(1)
精神分析 |
みなさん。新世界[=アメリカ]の学士の方々の前に講演者として立つというのは私にとって新しくてやや恥ずかしい経験です。このような栄誉をいただいたのは私の名前が精神分析のテーマと結び付けられているからでしょう。したがって私がこれからお話しするのは精神分析についてです。とても手短に、この研究と治療の新しい方法の起源とそのさらなる発展について歴史的に振り返ってみたいと思います。
精神分析を創造したのは功績と言えるでしょうが、それは私の功績ではありません。私が学生で、最終試験に忙しく取り組んでいたころ、ウィーンの医者であるヨゼフ・ブロイアー博士が、この方法をヒステリー症の少女に初めて適用しました(1880-82)。今からこの症例の履歴とその治療について検証してみましょう。これについては、後にブロイアー博士と私自身によって出版された"Studien über Hysterie"に詳しく出ています。
しかし最初に一言申し上げておきます。たいへんうれしいことに、聴衆のみなさんの多くは医療を専門とはしておられないようです。私がこれからお話しすることを理解するために、医学教育が必要ではないかと心配される必要はありません。これから数人の医者についてしばらくお話しますが、すぐにお話は彼らのもとを離れ、ブロイアー博士の実に独特な歩みを振り返ることになります。
ブロイアー博士の患者は21歳の少女で、高い知能を持っていました。彼女は2年間に渡る病にかかり、深刻に受け止められてしかるべき一連の心身の障害を患いました。彼女の右腕と右足は重篤な麻痺状態にあり、また時には左の手足も同じ疾患をきたしていました。彼女は頭の位置を安定させることに困難を示し、激しい神経性の咳をしていて、食物を摂ろうとする際に吐き気を感じ、またある時には数週間に渡って飲む力を失いました。のどの渇きに苦しんでいたにも関わらずです。彼女の話す能力も落ち込み、この症状は母語を話すことも理解することもできないほどまでに進行しました。そして最後に、彼女は「心ここにあらず」の状態になり、混乱して、錯乱し、人格全体が変わってしまうような状態に陥りました。
このような症例を耳にしたならば、医者でなくともこう思いたくなることでしょう。ここには深刻な傷害があり、それはおそらく脳の傷害で、治癒の望みはほとんどなく、おそらく患者は間もなく亡くなることになるであろう、と。しかし、医者の言うところでは、まさに同じくらい否定的な症状を示すあるタイプの症例においては、別の、ずっと有望な見方が正当なものなのです。重要な臓器(心臓や腎臓)が客観的な検査によって正常であるとわかっていながら激しい感情的な障害を患っている少女の症例においてそのような一連の症状が見られ、その症状がいくつかの細かい特徴において論理的に予想できるものとは異なっている場合、医者はそれほど心配しません。医者はこう考えます。脳には器質性の損傷はないが、ギリシャの医者の時代からヒステリーとして知られてきた不可解な状態が見られる。このヒステリーは様々な病気のあらゆる症状を仮装することができる。そのような症例においては患者の生命は危険にはさらされておらず、健康への回復は自然に訪れるであろう、と。そのようなヒステリーを重篤な器質性の損傷と区別することは必ずしも簡単であるわけではありません。しかし私たちはこの種の区別する診断がどのようになされるのかということは知らなくてもいいでしょう。ブロイアーの患者の症例は熟練した医者であれば誰でも間違うことなくヒステリーと診断するようなものだったということは保証します。病歴についてここでもう一言申し上げておきましょう。病気は、患者が父親の世話をしていた頃に初めて現われました。彼女は父親を深く愛していました。その頃父親は重篤な病気にかかっており、やがて亡くなりました。彼女は父親の世話をするという仕事を彼女自身が病に陥ったために断念せざるをえませんでした。
ここまでのところは、医者の見解に沿ってお話しするのがよいように思われましたが、私たちはすぐに医者に別れを告げることになります。器質性の脳障害ではなくヒステリーという診断が出たからといって、医学的な援助に関しての患者の見込みは本質的に改善されるとはお考えになってはいけません。深刻な脳の病気に対しては医学の技術は多くの場合、無力なものですが、ヒステリーの疾患の場合も医者は何もすることができません。医者は、いついかにして希望的な経過予想が実現されるかを、恵み深き自然に任せるほかありません*2。とどのつまりは、病気をヒステリーであると認識しても、患者の状況はほとんど変わることはないのです。しかし、医者の態度には大きな変化があります。医者が、ヒステリー患者に対して、器質性の病を患う患者に対する時とはかなり違う接し方をするのを私たちは見ることができます。医者は前者に対しては後者に対するのと同じような関心は示しません。というのも、前者の苦しみはずっと深刻度が低いのに全く同じように深刻に受け止められるべきであるという要求を突きつけるように思われるからです。
しかし、このような態度にはもう一つの動機があります。医者は、研究を通して素人からは隠されていることを学んできており、卒中や痴呆を患う患者の脳障害ならば原因や経過を頭に思い描くことができます。そのような想像は、ある程度までは正しいに違いありません。というのも、そうすることによって医者はそれぞれの症状の性質を理解できるようになるからです。しかしヒステリーの症状を前にすると、医者の全ての知識は、彼の解剖学的-生理学的・病理学的な教養は、役立たずなものとなってしまいます。医者はヒステリーを理解することができません。ヒステリーを前にすると、医者は素人と同じ立場になってしまいます。そしてそれは誰にとっても愉快なことではありません。医者は自分の知識を実に高い価値をもつものと考えるのを常にしていますからね。こうして、ヒステリー患者は医者の共感を得られないことが多いのです。医者はヒステリー患者が自分の科学の法則を踏み越える存在であると考えます。ちょうど、正統派が異端者を見るようなものです。医者はヒステリー患者に可能な限りあらゆる罪悪を押し付け、彼らが誇張しており意図的な偽り、「シミュレーション」をしていると責め、関心を示さないことによって彼らを罰します。
さて、ブロイアー博士はこの症例においてこのような非難を受けるには値しませんでした。彼は患者に共感と関心を示しました。当初はどうしたら助けてあげれれるのかわかりませんでしたが。おそらく、このことが彼にとってより容易になったのは、この患者の知性と性格が優れていたためでしょう。博士は報告の中でそのことを証言しています。
*1:http://psychclassics.yorku.ca/Freud/Origin/intro.htm
*2:この見方は今日では正しくないことはわかっていますが、この講演では私たちは1880年以前の時代に戻ることになります。その時から事情が変わったとしたら、それは主に私がまさに今その歴史を描いている仕事によるものでした。
(下のフランス語うんぬんのエントリー、kleinbottleさんも同じようなことを以前書かれてましたよね。ちょっと探したのですが、見つからなかったのでリンク貼りませんでした)