2006年 12月
「思想・良心の自由」による反対論の陥穽 [2006-12-20 07:37 by kollwitz2000]
赤木智弘氏の所論について――ファシズム論のために [2006-12-14 03:33 by kollwitz2000]
ちくま・イデオロギー(2) [2006-12-12 03:50 by kollwitz2000]
ちくま・イデオロギー(1) [2006-12-12 03:46 by kollwitz2000]
藤永茂『『闇の奥』の奥』(三交社、2006年) [2006-12-11 02:45 by kollwitz2000]
なぜ過去の罪を「天皇制」のせいにして「日本人」を救わなかったのか [2006-12-10 01:48 by kollwitz2000]
若者や女性は「メディア政治に踊らされている」のか [2006-12-10 01:40 by kollwitz2000]
左派陣営に在日朝鮮人が少なかった影響 [2006-12-07 03:42 by kollwitz2000]
政党は「外国人」をどう見ているか [2006-12-06 02:17 by kollwitz2000]
「本気で憲法第9条を守ろうとするなら、日朝国交正常化を何より実現させねばならない」 [2006-12-05 02:03 by kollwitz2000]
梶村秀樹の苛立ち [2006-12-05 01:26 by kollwitz2000]
佐藤優を使い続けるリベラルの無神経 [2006-12-04 06:27 by kollwitz2000]
朝鮮総連弾圧を批判する [2006-12-04 06:11 by kollwitz2000]

「思想・良心の自由」による反対論の陥穽
改悪教育基本法成立がここまで延びたことは、予想外だった。というのも、土俵設定の段階で負けたと思っていたからである。

教育基本法改悪をめぐる論議では、上からの愛国心の押し付けが「思想・良心の自由」を侵害する、という論理で批判した声がリベラルでは多かった。私は、こうした批判を聞いて、東京都による日の丸・君が代の都立高校教職員・生徒への押し付け時の議論を思い出していた。

当時、メディアでの反対の声は、日の丸・君が代の押し付けが「思想・良心の自由」に反するから問題だ、という論理が支配的だった。一般紙ではないが、当時購読していた「しんぶん赤旗」もこれ一色だった。

何が言いたいかというと、日の丸・君が代の押し付けへのメディア上での批判において、なぜ日の丸・君が代自体への批判がほとんどなかったのか、ということである。東京都による押し付け以前にも、日の丸・君が代問題は戦後ずっと存在したが(田中伸尚『日の丸・君が代の戦後史』(岩波新書、2000年)参照)、大雑把に言って、大日本帝国との連続性の象徴として問題にされてきたのではなかったのか。90年代のどこかで、日の丸・君が代問題の「問題」としての認識が、大日本帝国との連続性という問題から、「思想・良心の自由」の問題に変容したように思われる。

問題が「思想・良心の自由」の問題として扱われるということは、強制に反対する人々が少数派であり、「日の丸・君が代」を肯定するのが「世論」であることを前提としている。一旦、「世論」と少数派の問題として確定してしまえば、後はごり押しだ。抽象的(と解釈される)原理は「世論」に訴える力を持たない。「思想・良心の自由」は、個人が上からの押し付けに反対する理由としては必要にして十分である。だが、運動として展開していく上では、これだけでは弱いと思う。

東京都の日の丸・君が代の強制・大量処分のケースは、教育基本法改悪の前哨戦だったと思う。構図が完全に同じではないか。

問題にされるべきは、「思想・良心の自由」だけではなく、新自由主義的教育改革と、軍事大国化の中で、教育基本法改悪がどういった画期になるかを具体的に示すことだったと思う。渡辺治や大内裕和によって、論文その他では精力的に展開されていたが、結局メディア上では大きな声にはならなかった。

あと、「教育基本法」(今や「旧」だが)の中身の良さを礼賛する声も一部であったが、それはあまり意味がなかったのではないか。安倍政権の仕掛けた「いじめ」報道を待つまでもなく、戦後教育にポジティブな認識を持っている人間は少数派だろう。そもそも、1948年4月の朝鮮学校弾圧(阪神教育闘争。朝鮮人少年一名が射殺される)には、「教育基本法」第8条(政治教育)が使われた。「教育基本法擁護」ではなく、「反・教育基本法改正」でなければならなかったと思う。




# by kollwitz2000 | 2006-12-20 07:37 | 日本社会
赤木智弘氏の所論について――ファシズム論のために
本ブログのエントリーをブックマークに入れてくださっていた、kmiuraさんのブログのエントリーのリンクをたどって、赤木智弘氏のブログに行き着いた。

赤木氏のこのエントリーを読んで心底驚いた。「若者の小泉政権支持」について私が以前書いた内容の趣旨が、私よりもはるかに分かりやすく論じられている。彼とは政治的立場が完全に異なるが、嬉しかったと同時に、私が彼の議論をパクッたと思われないか少し心配になった(笑)。まあ、赤木氏言うところの「不安定な貧困層」に身を置いたことがあれば、普通こう考えると思う。

若者弱者問題への無理解に関する彼の左翼批判には、私はほぼ全面的に賛成である。特に労働組合がひどい。アリバイ的に若者の労働組合や団体を支援して事足れりとしているように思える。以前にも書いたが、若者を馬鹿にして何でも「メディア政治」のせいにすることをやめ、若者の社会的要求に応じるよう左派が努力しない限り、左派は永久に勝てないと思う。

ただ、私が彼の議論が重要だと思うのは、彼の左翼批判という点よりもむしろ、彼がネット右翼の論理と世界観を非常に分かりやすく表現しているからである。彼は、「リベラルであることを志向」しているとのことだが、彼のこのエントリーの「もはや差別などほとんど無きに等しいのに今だに非差別者としての特権のみを得ている、女性や在日や部落」という発言を読む限り、私は「リベラル」とは言いたくない(今の日本の「リベラル」の基準からは合格かもしれないが)。

若者弱者問題を語っておきながら、こうした発言を平然とできる神経に呆れざるをえない。『嫌韓流』やその類の主張を鵜呑みにせず、ちゃんとマイノリティの問題を知ろうと少しでも努力していれば、こうした発言は出てこないはずである。

「特権」云々の発言を聞いていつも思うのは、本気でそう思っているのならば今後、「金」「朴」といった朝鮮人の名前で社会生活(就職・転職、部屋探しも含めて)を送ってみてはどうか。パジチョゴリ(男性用の朝鮮の民族衣装)を着て通学したり、街を歩いたりするようしてみてはどうか。公務員や参政権の国籍条項などに関しても、自分に対して在日朝鮮人と同じ境遇を設定してみてはどうか。自分で「自分は朝鮮人」とした前提で、ネット上の朝鮮人バッシングや『マンガ嫌韓流』の朝鮮人の醜悪な顔を見てはどうか。自分たちの子どもが日本の学校でいじめを受けて帰ってくるのを待ってはどうか(そうかといって朝鮮学校に通わせようとしても、いまだに法的地位は「各種学校」(そろばん学校や英会話学校と同じ)であるため、『嫌韓流』その他のデマとは異なり、国庫からの助成金はゼロ、地方自治体の助成金の額も、公立とは桁違いで、私立と比べても格段の差がある。民族教育を受ける権利が保障されていないのだ)。または、「自分は被差別部落出身者です」と「カミングアウト」しながら生活してみてはどうか。若者弱者問題は解決に向かうのではないか。

彼は「リベラル」を「福祉国家的な方向で」志向しているという。はじめは渡辺治や後藤道夫らの提唱する「新福祉国家」かと思ったが、むしろこれは「国家社会主義」(または「国民社会主義」)と考えた方がいいと思う。私はこれを罵倒用語として使っているわけではなく(批判対象ではあるが)、彼の善意にかかわらず(あるいは、むしろそれゆえに)、そうなると思う。彼の言う「安定した労働者層」=中間層が、「富裕層」と「不安定な貧困層」の連合(当然、前者主導の)により駆逐された後は(あるいは、同時並行で)、彼(ら)の矛先は「特権」集団と外国人労働者に向かうだろう。

別に私は「国民社会主義ドイツ労働者党」(ナチ党)の歴史に詳しいわけではない。むしろ、彼(ら)の主張や動きを見ながら、改めてファシズム運動について勉強し直したいと思う。

# by kollwitz2000 | 2006-12-14 03:33 | 日本社会
ちくま・イデオロギー(2)
(1)で挙げたようなモノ書き連中への批判としては、私は、丸山真男の『日本の思想』(岩波新書)一冊を読んでおけば足りるのではないかと思う(念のために述べておくと、「筑摩VS岩波」などと考えているわけでは全く無い)。

丸山は、同書の中で、ヨーロッパ的伝統への必死の抵抗として生まれた反語や逆説(丸山は例として、まさにニーチェを挙げている)が、日本のように生活のなかに無常観などの逃避意識がある中では、実生活上の感覚と適合し、現実への反逆よりも順応として機能しやすいことを指摘している。また、丸山は、日本の思想史の特徴として、思想に対する批判を行なう際にその内在的な価値や論理的整合性から批判するのではなく、その思想が現実を隠蔽している、美化している点を暴露することに主眼を置いて批判を展開していることも指摘している。

このほか、丸山は、思想批判の「伝統」として、「イデオロギー一般の嫌悪あるいは侮蔑」「論敵のポーズあるいは言行不一致の摘発によって相手の理論の信憑性を引下げる批判様式」といった要素を挙げている。

私が付け加えることもない。これらの全共闘系による左派批判は、日本の思想風土の反応そのものであり、目立つ活動を行なう人間に対し、その主張の妥当性よりも動機や利害を詮索する「ムラ社会」の論理そのものである。

ついでに言うと、丸山は、「思想相互の優劣が、日本の地盤で現実にもつ意味という観点よりは、しばしば西洋史の上でそれらの思想が生起した時代の先後によって定められる」傾向も指摘している。私から見れば、内田樹も仲正昌樹も竹田らと同じことを言っているとしか思えないのだが、彼らが「デリダ」「レヴィナス」を使うから「説得力がある」と信じる人間も結構いるのではないか。

竹田や加藤といった手合いならば分かりやすいが、困ったことに、「ちくま・イデオロギー」は、左派にも染み渡ってきていると思う。

香山リカを私があまり評価できないのも、以前読んだ『<私>の愛国心』(ちくま新書、2004年)の結論部分で、以下のようなことが述べられていたからである。日本が軍備をして強くなってほしい、といった、何らかの政治的・社会的見解を<私>が持った場合、「この<私>のなかにあるごくごく個人的な何らかの感情――不安や不信感、自己不全感や理不尽さへの怒りなど――の裏返しである可能性はないだろうか」と自分自身に問い直すべきだ、と。

同書は、日本社会の精神障害者バッシングを批判しながら、小泉やブッシュは「患者」として扱う奇妙な本であるが、むしろ問題は、こうした形で政治的見解の背後に個人的な動機を見いだそうとする回路を肯定してしまっていることにあろう。香山は、これにより「右傾化する若者」に自省を促そうとしているのだろうが、勿論これは、政治的見解が「日本が軍備をして強くなってほしい」ではなく、「日本社会の差別をなくしたい」でもあてはまる。そうした「動機」ではなく、あくまでも「内在的な価値や論理的整合性」で勝負するべきだと思う。

90年代的な「自意識」ゲームを抱えていては、2000年代は戦えないのではないか。

# by kollwitz2000 | 2006-12-12 03:50 | 日本社会
ちくま・イデオロギー(1)
2ちゃんねらーやネット右翼の思想的教祖を、小林よしのりとする見方がある。北田暁大が確かそうだった。2ちゃんねらーを彼のように「政治的ロマン主義」と見る立場(私には馬鹿らしく思えるが)に立たず、単純に右翼的な人々と見る人たちも、2ちゃんねらーは小林よしのりや西部邁らの右派系文化人に洗脳された人々と見る傾向があるのではないか。

私は違う認識を持っている。非常に大雑把かつ図式的に言えば、むしろ、2ちゃんねるやネットの全体としての右翼的な傾向を作ったのは、竹田青嗣や加藤典洋といった、90年代に筑摩書房などの出版物で活躍した文化人の影響を強く受けたコテハンや、ネット上の書き手の存在である。

あくまでも私の印象であるが、数年前の2ちゃんねるは、ネット右翼ばかりというよりも、むしろ、左派知識人や市民運動の諸活動を「ルサンチマン」として嘲笑・否定しはするが、「右翼」との距離を強調するようなコテハンが、雑多な知識と執拗な左派批判のゆえに尊敬され、スレッドの議論をリードし、そうした左派への嘲笑・批判の雰囲気の下で小林よしのり信者のような連中が暴れる、といった構図が支配的だったように思われる。今は言葉通りの「ネット右翼」ばかりのように見えるが、2ちゃんねるやネット全体の右翼的傾向を決めた数年前は、「2ちゃんねらー」というように一枚岩で括るよりも、むしろコテハン=中間層(?)が「世論」を方向付けていたように思われる。そして、そのコテハンの思想的バックボーンを形成したのは、小林よしのりや右翼的な書き手よりも、竹田や加藤のような書き手だったと思う。論理としてはこの二人が一番典型的だが、橋爪大三郎、呉智英といった面々も挙げるとよい。要するに、吉本隆明の影響を受けた全共闘系のモノ書きということだ。

こうした全共闘系の書き手の中心的な論点は、大まかに言えば以下の主張だ。左翼や市民運動は、「ルサンチマン」「怨恨感情」によって動いているだけであって、「人権」「平和」「民主主義」といった主張は彼ら・彼女らの権力意志の発散でしかない。そこでは、彼ら・彼女らが攻撃対象とするものとの道義上の優劣などない、と。「プロ市民」という、まるで市民が市民運動をするのが異常だと言わんばかりの馬鹿げた言葉が発生したのもこうした文脈であろう。

私はこうした主張を、便宜上、「ちくま・イデオロギー」と呼びたい。これは、徐京植が「リベラルの自壊」と名づけた現象を推進したイデオロギーである。別に筑摩書房をことさらに批判したいわけではない。最近でも、他社に比べればいい本も出しているし、岩波書店、平凡社、晶文社といったところも傾向としては似たようなものだ。あくまでも人文系出版社の範囲でだが、市場ニーズの把握と商品生産力によって、筑摩書房が目立ってしまっただけの話である。

# by kollwitz2000 | 2006-12-12 03:46 | 日本社会
藤永茂『『闇の奥』の奥』(三交社、2006年)
http://www.sanko-sha.com/sankosha/editorial/books/items/167-1.html

まだ出たばかりの新刊。大傑作である。喫茶店で読み始めたのだが、あまりの面白さに一気に全部読んでしまった。近年、これだけ熱中して読んだ本はないと思う。

といっても、これは「謎解き本」ではない。上のサイトにあるので紹介は省くが、同時代の文脈からの『闇の奥』(1899年)読解とその解釈史の検討を通じて、『闇の奥』を「帝国主義・植民地主義批判の小説」とする評価がいかに欺瞞的であるか、『闇の奥』の時代の帝国主義の搾取システムや思考様式がいかに現在にまで貫徹しているかを明らかにする。アレントも徹底的に批判され、サイードですら、該博な知識と徹底した明晰さに基づいた著者の批判からは逃れられない。ちまたの「ポストコロニアル批評」を読むのが苦痛になりそうなほどの切れ味を持った批評の本であり、かつわれわれの通俗的なアフリカ観、ヨーロッパ観、世界史及び現代世界への見方を変える本である。『西欧人の眼に』『ロード・ジム』など、コンラッドの小説の愛好家である私にはつらい本でもあったが、自分の認識の浅さを思い知らされた。

特に、19世紀末のコンゴで、ベルギー国王レオポルド2世(が作り上げたシステム)によって行なわれた数百万人を超える規模の住民虐殺(著者は、「この驚くべき大量虐殺をアフリカ人以外の人間のほとんどが知らないことこそ、私には、もっとも異様なことに思われる」という)や、コンゴの統治の実態を暴こうとするモレル、ケースメントと、コンラッドとの関係の下りは、文字通り無我夢中で読んだ。

本書で紹介される在コンゴ英国領事ケースメント(1864~1916)の生涯は鮮烈だ。彼は、イギリス外務省の指令でコンゴ内陸を調査し、コンゴ国内での白人による余りにも多くの残虐行為を詳細に報告する(1904年)。「コンゴの森の孤独の中で私はレオポルド2世を見いだしたが、また、のっぴきならぬアイルランド人としての私自身をも見いだした」「私がアイルランド人であったからこそ、コンゴで機能している悪行のシステムの全体像を把握することができた」と友人宛の書簡で書いた彼は、その後、アイルランド独立運動に邁進し、第一次世界大戦ではドイツを足場にして独立運動に従事し、1916年にイギリス軍に捕らえられて処刑される。

また、ケースメントと協力してコンゴの実情を暴露したモレル(1873~1924)の生涯も非常に興味深かった。詳しくは本書に譲るが、著者が絶賛する『黒人の重荷』(1920年)は是非読みたい。日本語訳は出ないものか。その中での次の一節は特に印象的だった。

「コンゴをずたずたにし、廃墟と化した政策と全く同一の政策、原理を、イギリスの熱帯アフリカ植民地経営に適用しようとする動きが現在進行中である。その背後にある動機も全く同一であり、それは抜け目なく巧みに工作され、詭弁を操って力説され、新しい装いをつけて世に披露されている。これは大変な脅威である。その動きは大富裕階級によって支持され、さらにはまた、買収されてしまったか、あるいは、せめてそう信じたいのだが、無知の故に方途を見失った民主的勢力からの支持もうけているからである」

左派が植民地主義を支持していたことと、それへのモレルの苛立ちと絶望が鮮明に表れている。無論こうした現象は当時のイギリスだけではあるまい。

印象深かった点を挙げ出すときりがないのでやめるが、とにかく、少なくとも『闇の奥』を読んだ人は必読であり、読んでいない人も、『闇の奥』を読み(著者による新訳が出ているのでこれで読むべきだろう。私もこちらは未読なので、是非読みたい)、その上で本書を読むべきである。それくらい薦める。『季刊前夜』読者には特に薦める。

なんと、著者の藤永茂さん(1926年生まれ!)は、ブログをしておられる。まだちゃんと読めていないが、非常に興味深い内容のようだ。

# by kollwitz2000 | 2006-12-11 02:45 | 読書
なぜ過去の罪を「天皇制」のせいにして「日本人」を救わなかったのか
1995年のマスコミ報道はオウム真理教一色だった。そのとき浪人生だった私が、報道の中で一番衝撃を受けたのは、当時読んだオウムの憲法案(だったと思う)に、「「日本」という国号は、天皇統治と切り離せないため、国号を「真理国」と改める」(大意)という条文があったことである。

「日本」という国号云々は網野善彦あたりの影響だろうが、私が驚いたのは、この「日本」と呼ばれる「国」土の上で展開される運動で、「日本」とは別の「くに」をつくることを志向する構想が存在しうるし、存在したことである。

さて、西尾幹二は、加害の罪に関する戦後ドイツの歴史認識について、「日本では賞賛されているが、ドイツ人は過去の罪をヒトラーとナチスに押し付けて、自分たちを救おうとしているのだ」(大意)とよく語っている。『マンガ嫌韓流』にも、有名なヴァイツゼッカー元大統領の演説について、「(ヴァイツゼッカーは)ようするにヒトラーとナチスに罪があり、ドイツ人には罪はないと言っているのです。ドイツ人の罪ではないけど責任は負う。つまり、お金は支払うが罪は認めないと言っているんです!!」とある。

私は、西ドイツの連邦補償法(1956年6月29日「ナチスの迫害の犠牲者のための補償についての連邦法」)前文の一節の、

「信念に基づいて、もしくは信仰または良心のために、ナチズムの権力支配に対して行なわれた抵抗は、ドイツ民族と国家の福利への貢献であること」

といった文言(広瀬清吾「ドイツにおける戦後責任と戦後補償」(粟屋憲太郎ほか『戦争責任・戦後責任』朝日選書、1994年)より孫引き)を読んで、素直に感動してしまうので、この「ドイツ人」と「ナチス」の区分自体がそう悪いものでもないと思う。

むしろ、なぜ日本人は、戦略でも狡猾さからでもいいが、侵略や植民地支配の罪を「天皇制」もしくは「天皇制国家」のせいにして、「日本人」を救おうとしなかったのか。

戦後直後は、共和制を謳った高野岩三郎の憲法案や、日本共産党の憲法案など、天皇制の廃止の声はそれなりに強かった。確か丸山真男の「ある自由主義者への手紙」(1950年)の「自由主義者」も共和制論者だったはずだ。しかし、どこかで(または「なだらかな」)転換があり、「天皇制の廃止」が日本共産党や左派知識人など、左翼の側から(実現を目指して)主張されなくなったと思う(いつ頃からか今後調べなければならないテーマだが)。

仮に、「昭和天皇の戦争責任の追及」「天皇制の廃止」といった政治プログラムが実現され、侵略と植民地支配を「天皇制国家」のせいにして「日本人」(と呼ぶことになるかは不明だが)と切り離すという作業が十分に行なわれていれば、過去の罪が問われたことへの逆ギレではない「「日本人」としての誇り」、戦前のファシズムへの抵抗者や朝鮮人との連帯を追及した人々を先人として持つ「「日本人」としての誇り」を「国民」レベルでより容易に担保できただろう。過去の罪にも「天皇制国家」の罪として、今よりはましに認め、補償したと思う。

戦後の「天皇制」は政治的に無力であり、民衆にも「定着」しており、テロの危険性もあるため、変革しようとすることに労力をかけるのは馬鹿げている、というのが「戦後民主主義」者や左翼の大多数の認識だったのだろうが、一見賢明に見えるそうした政治的配慮は、戦前と戦後の連続性の最大の「象徴」を根本的に問えなかったという点で、実は最悪の選択肢だったのだと思う。

現在、靖国参拝や歴史認識など、「天皇制国家」に由来し、関係者は「天皇制国家」を支えた勢力の系譜にある問題に対する中韓の正当な批判が、「反日」として回収されてしまい、ナショナリズムを高揚させるという構図になっている。「天皇制」との対決の回避が招いた結果は、これだ。90年代のアジアからの戦後補償の追及の声に、「天皇制」下の日本人は応えられなかった。(なお、私は「反日」を全面的に肯定するが、「反日」ということば自体が、「抗日」ということばにはない、「日本人にとって不愉快な」という意味を含意していることは明らかである)。

私たちは昔の人たちの、歴史認識の浅さと妥協と怯懦のツケを払わされている。

# by kollwitz2000 | 2006-12-10 01:48 | 日本社会
若者や女性は「メディア政治に踊らされている」のか
2005年の衆議院選挙で自民党が大勝したのは、メディアに踊らされた若者と女性のせいだという見方がある。彼ら・彼女らは、メディアの流す善悪の図式をそのまま信じ、実際には自分に不利になるのに愚かにも新自由主義改革を支持したのだ、と。

こうした見方には、渡辺治の根本的な批判がある。衆院選は、自民党が、「構造改革」に期待する大企業ホワイトカラー上層を民主党から根こそぎ奪い返したからああいう結果になったのであり、「メディア政治」の結果にするのは間違いであると(渡辺治『構造改革政治の時代――小泉政権論』花伝社、2005年)。渡辺の論文は強い説得力を持つし、私も基本的には説得されているのだが、ただ、小選挙区制のトリックはあれ、大量の若者と女性が自民党に投票したことがなければ、あれだけの自民党大勝はなかなか説明できないのではないか。

ただ、私は「若者と女性がメディアに騙された」とは考えない。むしろ、彼ら・彼女らにとって、自民党に投票したのは合理的な政治行動だと思う。若者と女性の共通項は、「無知でメディアの影響を受けやすい」ではない。彼ら・彼女らの企業社会や会社での位置が、周辺的な点にある

以前私はとある中小企業に勤めていた。大会社の仕事からの外注を受ける仕事であるが、大会社社員からは、自分たちの仕事を取る連中と思われていたようだ(実際そうなのだが)。私や同僚たちの認識では、その大会社の社員は「仕事もできないのに組合に守られた正社員という特権集団」であり、社会の公益のためにも全員リストラされた方がいい、といった声も同僚との飲み会ではよく上がった。

「郵政民営化が切り捨てる層」が象徴していたのは、「組合に守られた「使えない」正社員、中高年ホワイトカラー」である。そして、そうした人々が切り捨てられるのは、多くの中小企業の正社員、非正規雇用の若者にとってはメリットがある。端的に言って、雇用機会が増えるからだ。若い世代の雇用の状況がひどく、「上層」に上がる道が極めて狭いため、中高年正社員がリストラされて雇用機会が生まれる方が、「上層」にはい上がったり労働組合を組織して賃金・所得を上げたりするよりも、はるかに現実的なのである。

女性についても、世代を問わず、パートや派遣労働、正社員でも低い地位など、企業社会で周辺的な地位にある。いまや専業主婦は少数派なのだから、「ワイドショーの影響」といった解釈ではなく(ましてや「政治家の男性としての魅力」といったそれ自体女性差別的な解釈ではなく)、女性の政治行動は、企業社会との関係から考えたほうがよいと思う。彼女らの場合、雇用の機会だけではなく、企業社会のホワイトカラー男性の浅ましさをより強く認識しているだろう。特に、桐野夏生言うところの「見えざる階層」(でしたっけ)、パート労働者がそうだと思う。

要するに、彼ら・彼女らにとっては、負担増はあっても、今よりも雇用機会の増える社会の方が、格差構造が固定化して「上層」への道が閉ざされている状況の中では、生活水準の漠然とした予感からメリットがあると映ったのではないか。そして、その判断はあながち間違っていないと思われる。彼ら・彼女らか企業社会で実際に直面する、ホワイトカラー層の振る舞いへの反発も強かっただろう。いずれにせよ、メディアの虚像に踊らされたのではあるまい。

衆院選の自民党大勝を「メディア政治」のせいにしたまま、若者や女性の社会的要求に応じるよう対抗勢力が努力しない限り、若者や女性は上記の論理に取り込まれるだろう。

# by kollwitz2000 | 2006-12-10 01:40 | 日本社会
左派陣営に在日朝鮮人が少なかった影響
一部のネット右翼によれば、日本の左派陣営(いい言葉が見つからない)は帰化者を含めた在日朝鮮人に支配されているらしい。恐らく、ナチスのプロパガンダを意識しているのだろうが(余りにも荒唐無稽すぎて大して広がっていないように見えるが)、私の印象では、むしろ日本の左派陣営には在日朝鮮人が少なすぎるように思われる。文化人は確かに見かけるが、端的に言って、現役で活躍しており、カミングアウトしている在日朝鮮人の社民党員や日本共産党員を聞いたことがない。

これは本当に印象論で本来ちゃんと実証すべきなのだが、海外のニュースを読んでいてよく思うのは、海外の左翼政党や左派の政治家には、移民などのマイノリティ出身者が多いことだ。近現代史を振り返っても、ドイツの社会民主党の理論家などユダヤ人ばかりである。確か、ワイマール共和国期のドイツ国内におけるユダヤ人の人口比率は、大体0.5~1.0%(奇しくも戦後の在日朝鮮人の人口比率と近くて、以前本で読んだときに非常に印象深かった)だったはずだ。民族的には少数派にもかかわらず、左派陣営に多くの人数を供給する(民族団体をつくるから、ではなく)ということは、それほど珍しくないように思われる。

以前にも少し触れたが、戦前から戦後直後の日本もそうだった。その時期、日本共産党に朝鮮人党員が多かったことは有名である。金天海のように、戦後直後の日本共産党中央委員会の政治局員だった人間もいる。戦前の労働運動関係の資料を見ていて、地方の労働争議の指導者に朝鮮人の名前を見かけることは珍しくない。以前にも挙げた梶村秀樹「解放後の在日朝鮮人運動」(『梶村秀樹著作集 第6巻』)でも触れられているが、戦後直後から朝鮮戦争停戦ごろまでの日本共産党の運動の展開に、在日朝鮮人が果たした役割は大きかったと言える(むしろ、共産党の運動にエネルギーを費やしたおかげで、在日朝鮮人運動側が、米軍と日本政府の在日朝鮮人弾圧に有効に対処できなかった面も少なくないと思うのだが)。

この関係が、1955年の朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)の発足やその手前あたりで切れる。前回のエントリーにも挙げたように、共産党の規約に「国籍条項」が入ったのもそのあたりではないかと思う(要調査)。

なぜこんなことを書いているかというと、戦後の左派の大勢の、在日朝鮮人問題に対する無理解の背景に、こうした歴史的な点、左派陣営(特に左派政党)に在日朝鮮人が少なかったことが、因果関係の因とも果ともなり絡んでいるのではないかと最近考えているからである。無論、戦後直後の左派が在日朝鮮人問題に理解があったかというと非常に疑問であるが、その時期の無理解がその後の状況を生み出したともいえる。

これは半分冗談だが、左派陣営が、戦後の一時期をのぞき政権を取れなかったのは、在日朝鮮人のエネルギーを汲み取れなかったことも関係していると思う。

左派陣営に在日朝鮮人が少なかったことは、現在の日本の左派の言説にもかなり大きな影響を与えていると思う。例えば、左派ジャーナリズムは「言論の自由」の擁護には熱心だが、マスコミなど、言論表現による少数者(在日朝鮮人だけではない)への差別や攻撃に対して、少数者の人権をどう守るか、については驚くほど無関心だ(先進国で唯一、人種差別禁止の法がないこととも絡んでいる)。この辺が、私が日本の大抵の社会派ジャーナリストを全く信用できない点である。

よく指摘される日本共産党の官僚体質、閉鎖性も、在日朝鮮人党員がほとんど消えたことは影響を与えているように思われる。1950年半ばから60年代前半にかけて、花田清輝、中野重治をはじめ、キャラクター性、自主性のある人間を党が除名していったが、時期的に近いのも興味深い。また、共産党の部落解放運動への唖然とさせられるバッシングも、こうして形成された閉鎖性のなせるわざだと思う(私はこれが気持ち悪くて『しんぶん赤旗』購読をやめた)。

労働組合や市民運動、特に中高年中心のものに感じる閉鎖性にもつながる「歴史性」ではないか。無論、在日朝鮮人の一部の民族団体もその幣を免れていないが。

# by kollwitz2000 | 2006-12-07 03:42 | 韓国・朝鮮(在日朝鮮人)
政党は「外国人」をどう見ているか
主要政党の規約・党則から、党員資格について調べてみた。外国人、特に在日外国人に対する各党の認識は、政策ではなく、むしろこういう点に表れると思う(一応、新社会党も調べてみたが、ネット上では公開されていなかった)。以下、太字は私によるもの。

日本共産党規約 第4条
18歳以上の日本国民で、党の綱領と規約を認める人は党員となることができる。党員は、党の組織にくわわって活動し、規定の党費を納める。

国籍条項(笑)。暇があればなぜ在日外国人が党員になれないか公式見解を聞いてみたい。朝鮮人党員がいた戦後直後はどうなっていたか、今度調べてみよう。


自民党党則 第3条
本党は、本党の目的に賛同する日本国民で、党則の定めるところにより忠実に義務を履行するとともに、国民大衆の奉仕者として積極的に党活動に参加するものをもって党員とする。

まあ、自民党ならばそうかなと。


社会民主党党則 第4条第1項
本党の党員は、党員及び協力党員とし、本党の基本理念及び政策・党則に賛同する18歳以上で日本国籍を有する者及び18歳以上で、日本に3年以上定住する外国人で、入党手続きを経た者とする。

相対的に評価できる。


民主党規約 第3条第1項 
本党の党員は、本党の基本理念および政策に賛同する18歳以上の個人(在外邦人及び在日の外国人を含む)で、入党手続きを経た者とする。

「個人」か(笑)。規約でこういう曖昧な文言を使うことにまず引っかかる。この「個人」の規定の仕方では、在外の外国人は当然駄目なのだろうから(もしよいのならば、カッコ内は必要ないはずだ)、「個人」は漠然と「日本」に国籍または生活レベルで関わっている人を意味していることになる。「個人」という抽象語が実は「日本」に対応しているというのは、一見開明的に見えて、却ってタチが悪くないか。
文言上は、「在日の外国人」ということで、定住年数の条件を設ける社民党の党則より進んでいるように見える(あるいは「在日」で定住者を意味させたいのか?それには無理があろう)。だが、この大雑把さからは、むしろ定住者としての在日外国人について大して何も考えていない、という感がしなくもない。


公明党規約 第4条
わが党の綱領及び規約を守り、その政策及び諸決議を実現するため党活動に参加しようとする18歳以上の者は、国籍を問わず党員となることができる。

あまりのラディカルさに驚く。政界での右往左往ぶりが嘘のように格好いい。公明党の、定住外国人への地方参政権付与の推進も、単に党略でやっているだけではないと思う。


どの党でも、規約・党則は割りと頻繁に改訂されているから、「外国人」が党員資格でどう位置づけられてきたかの変遷をたどってみると面白いと思う。既に消滅した政党についてもいつか調べてみたい。

# by kollwitz2000 | 2006-12-06 02:17 | 日本社会
「本気で憲法第9条を守ろうとするなら、日朝国交正常化を何より実現させねばならない」
安倍晋三の『美しい国へ』についての論評は山のようにあり、私も全部読めているわけではないが、どれを読んでも肝心な点に触れていないように思われる。

私の見るところでは、この全232頁の本のキモは、イランでのアメリカ大使館人質事件(1979年)をめぐる一節だ。

「(注・反カーター陣営の)演説会で、意外に思ったことがある。人質事件に触れると、どの候補者もかならず、「私は大統領とともにある」(I am behind the President.)というのだ。ほかのことではカーターをこきおろす候補者が、そこだけは口をそろえる。
もちろん、人質にされている大使館員たちの家族に配慮するという意図からだろうが、アメリカは一丸となって事件に対処しているのだ、という明確なメッセージを内外に発しようとするのである。国益がからむと、圧倒的な求心力がはたらくアメリカ。これこそがアメリカの強さなのだ。」(『美しい国へ』87~88頁。太字は引用者)

文中の、「人質事件」を拉致問題に、「大統領」を安倍に、「アメリカ」を日本に置き換えてみよ。含意は明白であろう。そして、総連弾圧をめぐる日本の状況は、安倍の狙いが実現しつつある(既に実現した?)のを物語る。

安倍政権を批判する左派は山のようにいるが、安倍の拉致問題への野蛮な対処の仕方や、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)バッシング、総連攻撃を黙認している時点で、君たちは負けているのだ

和田春樹は、「最近(注・2001年5月)の講演」で、「本気で憲法第9条を守ろうとするなら、日朝国交正常化を何より実現させねばならない」と主張していたという(『日朝条約への市民提言』明石書店、2001年)。小泉訪朝前の発言であるが、現在でも、いや、現在こそそれは正しい。

# by kollwitz2000 | 2006-12-05 02:03 | 韓国・朝鮮(在日朝鮮人)
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