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2009-02-11 19:29:11 stanford2008の投稿

桜井淳所長から東大大学院人文社会系研究科のH先生への質問 -神学研究の方法 8-

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H先生



文学や映画にはさまざまな形で神や預言者が描かれてきました。これまで観た映画で特に強く印象に残っているのは「十戒」と「ベンハー-キリスト誕生の物語-」です。前者は、20歳台後半に弟と一緒に有楽町で、後者は16歳の高校1年生の時に友人数人と観ました。ただし、その時に一度だけしか観なかったわけではなく、前者については、気になったので、3年前に2回目を、後者については、時々観ており、すでに、十数回も観ています。特に、後者は、アンケート調査に拠れば、男性が、歴史的に、ナンバーワンに挙げる映画であり、まったくそのとおりで、大変重要なテーマ、すなわち、一般的なテーマとして、愛や信頼、スペクタクル、イエスの描き方等がすばらしく、イエスの描き方では、右に出るものがないくらいすばらしい出来栄えです。なお、後者の監督は、「ローマの休日」の監督のウィリアム・ワイラーです。


前者の内容は旧約聖書の内容に忠実に描かれています。すなわち、エジプトで奴隷として働いていたヘブライ人(ユダヤも人)の人口が増え過ぎたため、エジプト王ファラオは、ヘブライ人に子供が生まれたら、躊躇することなく、殺すように命じました。あるヘブライ人の家に子供(名前はモーセ)が生まれ、両親は、殺さずに、パピルスで編んだかごに入れ、出生の経緯を記した手紙を添えて、ナイル河に流しました。偶然にも、そのかごは、王家のひとりに拾われ、その赤ん坊は、手厚く育てられましたが、自身の出生の秘密を知り、ある争いに巻き込まれ、その過程でヘブライ人を助けるために、エジプト人を殺してしまい、ファラオの追っ手から逃れるため、多くのヘブライ人を連れて、シナイ半島のミディアンで羊飼いをしながら生き、やがてその土地で知り合ったツイポラという女性と結婚し、生活していました。ある日、激しい紫色の閃光に包まれ、神ヤハウェから「十戒」を授かり(「モーセの十戒」とも呼ぶ)、預言者となり、40年間もシナイ半島をさまよい、パレスチナ近くの約束の地カナンを目指します。途中、ファラオの追っ手に追い詰められましたが、海がふたつに割れ、陸路が現れ、そこからすべてのヘブライ人を逃しました。モーセはカナンにたどり着く前に亡くなりました。


後者は、4時間の放映時間うち、イエスに触れた映像は、約30分しかなく、あまり語らないことによる神秘さと効果がみごとに引き出されており、すばらしい表現法です。新約聖書に実に忠実にていねいに描かれています。なお、主人公のベンハーは、ユダヤの豪商の息子という設定です。エルサレムに現れたナザレの大工ヨゼフ(いまの大工ではなく、家具職人)と妊婦マリアが検問に合うところから始まり、イエスの誕生へ。ベンハーは、宿敵の陰謀に遭い、囚われの身になり、囚人として歩いている時、ひとりの痩せたヒゲの弱々しい人物が水を差し出し(実はこの人物がイエスだったのです)、その時、ベンハーはその人物の顔を見て、「もしやあなたは・・・・・・」と、見張りの兵士は、その水を足で蹴り、こぼしてしまいます。時は過ぎ、ベンハーは、らい病で死の谷に隔離されていた母と妹を助け出し、街に出ると、見張りの兵士にせかされ、犯罪者として、十字架を背負った多くの人たちの中に、やはり十字架(本当は、十字架でなく、T字架でした)を背負って処刑場に向かおうとしている痩せて弱々しいヒゲの人物に出会い(実はこの人物がイエスだったのです)、いつか手にした器と同じもので水をやろうと近づき、「あの時の・・・・・・」と、しかし、この時も、見張りの兵士は、水を蹴飛ばし、水はこぼれ、一滴も飲めませんでした。ベンハーは、回りのひとたちに、「あの方が一体何をしたというのだ」と、しかし、誰もが、「何もしていない」と。イエスは、ひとびとに向かい、「あのひとたちは何も知らない、どのような罪を犯したかさえ、私は、すべての罪を背負い死ぬ、死ぬために生まれたのだ」と。そして、イエスは処刑されました。稲妻・落雷・豪雨が続き、天地が清められ、すると、ベンハーの母と妹の病気も直り、感動的な最後の場面へと進みます。その時にはイエスは34歳か36歳でした(本当は、紀元前の4年か6年に生まれたとされていますが、いまでも、断定されていません)。この映画では、イエスは、弱々しい何の神秘性もないひとりの人間のように描かれています。見事な描き方です。イエスからキリストへの物語です。イエスは、神であり、預言者です。イエス誕生の物語ではなく、キリスト誕生の物語です。昔は、その違いが分かりませんでしたが、いまではよく分かるようになりました。


先生 ! 神学も仏教も人間救済の学問でしょう ! 少なくとも私自身は、確実に、救済されていますから・・・・・・。



桜井淳

2009-02-11 19:04:27 stanford2008の投稿

桜井淳所長から東大大学院総合文化研究科のR先生への手紙 -理工学・科学史・哲学・神学の研究室2-

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R先生



先のメールに書き忘れたことが二点ありました。

(5)
来年東大駒場で開催される米科学社会学会4S(Society for Social Studies of Science)の口頭発表は学位論文に新しく追加した部分を中心に発表することを考えています。

(6)
今年1月15日14:30-15:30に東大大学院人文社会系研究科のH先生に会い、神学研究の方法について相談し、人生最後の研究テーマとして、神学の勉強・研究をすることに決心しました。ヘブライ語で旧約聖書・新約聖書を読んだり、宗教哲学・比較宗教学(ユダヤ教、仏教、キリスト教、ヒンドゥー教、イスラーム教)の研究が中心になります。教皇ベネディクト16世ヨゼフ・ラツィンガー著・里野泰昭訳『ナザレのイエス』(春秋社、2008)や市川裕『ユダヤ教の精神構造』(東大出版会、2004)を読んでも意外とよく分かりました(2冊の感想については本欄バックナンバー参照)。


桜井淳

2009-02-10 16:05:44 stanford2008の投稿

桜井淳所長から東大大学院人文社会系研究科のH先生への質問 -神学研究の方法 7-

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H先生



日本にいるとあまり強く感じませんが、と言っても、あるいは、私の関心が薄く、中には、熱心なひとたちもいるのかもしれません。米国のひとたちは、どうかよく把握していませんが、欧州や中近東には、信仰に熱心なひとたちが多くおり、特に、イスラエルのユダヤ教のひとたち、それから、イランやイラク等のイスラーム教のひとたちは、熱心です。前者は、朝5時半から始まる朝のお祈りに毎日参加し、後者においては、毎日決まった時間にアッラーの神にお祈りしたり、さらに、定期的に断食したりと、日常生活の中に宗教が入り込んでいるように感じています。私が30年前に欧州先進国の一部の国々のカテドラルで建物の外観や建築物としての価値・歴史的位置付けとともに、中に入り、少なくとも1000名、大きなところでは、3000名も収容できそうなカテドラルでのお祈りの様子に接し、やはり、日常生活の中に宗教が溶け込んでいるとの印象を強く持ちました(私の報告文3回連載、「いばらき新聞」、1978年12月19日-12月21日)。日本では、キリスト教でも仏教でも、それほど熱心ではないでしょう。キリスト教では週1回のお祈りでしょうか。仏教でも毎日お線香を上げたり、お経を読むひとは、多くないでしょう。欧州先進国の大きくて立派なカテドラルは、個人や特定の小さな団体・組織の管理下にあるようには思えず、と言うのは、おカネがかかり過ぎ、管理できないでしょう。日本は、個人やごく小さな団体・組織が管理しており、必要経費は、信者が分担して収めています(キリスト教では財政的な献身のことを「献金」と呼んでいるようです)。欧州先進国やイスラエル等の立派な施設はどのような方法で必要経費を捻出しているのでしょうか。日本では、聞くところによりますと、月に信者ひとりが収めるおカネは、月給の一割がめやすのようです。ごく普通の大きさの教会であれば、神父(カトリックの場合の呼び方)あるいは牧師(プロテスタントの場合の呼び方)の月給・光熱費・施設管理費だけでも、少なくとも、月に約100万円かかり、熱心な信者が50名から100名いないと成立しないように思えますが、中には、特に、熱心な団体・組織・個人がいて、大口の寄付等もあるのでしょうか。私は、キリスト教等の神学を研究対象としているだけで、信者ではありませんから、おカネは、まったく収めていません。



桜井淳

2009-02-09 22:17:26 stanford2008の投稿

桜井淳所長から東大大学院人文社会系研究科のH先生への質問 -神学研究の方法 6-

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H先生



日本は、神道と仏教の国で、仏教の場合、先祖代々のお墓は、多くの場合、天台宗(最澄、767-822年、「万人成仏」を説く、寺数約12000・信者数150万人、総本山は比叡山延暦寺)真言宗(空海、774-835年、「即心成仏」を説く、寺数約12000・信者数1100万人、総本山は高野山金剛峰寺)浄土真宗(親鸞、1173-1262年、「絶対他力」と説く、寺数約20000・信者数1300万人、たとえば東本願寺派の総本山は東本願寺)のいずれかの系統のお寺によって管理されており、その流れに沿って、引き継がれていますが、途中で変更しても、また、仏教からキリスト教に変更しても、自由ですが、伝統もあることで、そうするには、なかなか勇気がいるようです。私は、比較宗教学の研究のために、半分は観光気分ですが、近い将来、先祖代々の総本山を訪ね、修行コースを体験してこようと考えています。神学研究において、比較宗教学のひとつとして、みな、真面目に、そのようなことをしているのでしょうか。



桜井淳

2009-02-09 21:49:50 stanford2008の投稿

桜井淳所長から東大大学院人文社会系研究科のH先生への質問 -神学研究の方法 5-

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H先生



1月15日にお目にかかってから、しばらく後、いくつかの偶然の出来事が重なって、ぜひ会いたいと考えていたハーヴァード大大学院神学研究科のW先生と話す機会があり、ハーヴァード大における神学研究の方法と詳細な内容を把握することができました。すでに、1月15日に先生からおうかがいしていたため、特に耳新しいことはひとつもありませんでしたが、それでも、直接聞き出せたことは、大きな自信になり、また、ひとつ、前進したという感じです。先日描いた神学研究の方法を記したピラミッド構造的概念図は修正する必要がないことが分かりました。



桜井淳

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