ボスは迷文家シリーズ |
韓国人が朝鮮戦争孤児に冷たい反応
理解できないことです
昨夜27日金曜日、僕はジョージ・ドレイク博士と夕食をした。彼はベリングハムのWestern Washington State University社会学部部長職を91年に退いた社会学者だ。中南米先住民族研究の第一人者でもある。僕の自転車仲間であり、アマゾン訪問の隊長でもあった。来年の二月には僕は彼とともに再びアマゾンを訪れる予定にしている。ジョージは朝鮮戦争で戦争孤児救援の為のグループを組織化して孤児たちの里親探しに尽力した。戦争終結後も活動は続き、戦争で両親を失った子供達10,000人にアメリカ家庭をあてがった。この仕事にかかわったGIたちは今は高齢化し、一人一人消え去っていっている。この戦争で敵を倒すのではなく、倒されて両親を失った孤児たちを助けたアメリカ兵たちがいたという事実を歴史に残そうと、彼はワシントン州知事を巻き込んで活動を続けている。彼のプロジェクトに応えてくれているのは彼が影響力をもつワシントン州とベリングハム市だけだ。韓国政府は彼の協力依頼を断固として断っている。在米韓国人協会も同様だ。「アメリカ兵が勝手に孤児たちをアメリカに移住させた。どうせ米兵と娼婦たちの間にできたアイノコばかりに違いない。愛の子はアメリカの責任だ。」というのが彼らの言い分だ。ジョージは、彼らが示す冷たさに怒りをおさえている。
僕が知り合う韓国人の人たちは誰もがいい人ばかりだ。しかし、人づてにだが、韓国人の冷淡さを耳にすることが多々ある。一歩、家族や村を出ると、韓国人子女たちは村八分になるということだ。黒人と結婚した韓国人娘は親から勘当を受けるだけでなく、地域社会からも排他される。日本に強制連行された韓国人たちは、半島に戻ってから韓国人として受け容れられることはない。純粋な韓国人ではないからだ。この晩、ジョージは酒で気が緩んだからか戦争の頃の話をしてくれた。まだ生きている孤児たちの身から臓器がとびだしていようが、韓国人たちは子供を助けるのではなく、その子の傷ついた体を踏みつけにして歩いき去ったという。ジョージがその子供を抱き上げて車に乗せようとした時、幼な子の息は絶えた。ジョージは目に涙をためてこの話をした。当時、こんな光景はあちこちで見られたそうだ。ジョージは、これが戦争という異常事態のなせる業と思っていたが、戦争孤児救援記念碑建立の資金集めに見せた韓国政府、総領事館、そして韓国人協会の反応をみると、自分達が結束させた家族や仲間以外を排他する韓国人の反応が、戦争中のそれとどこも変わることがないと確信をした。
1980年代、僕の知り合いのアメリカ人を含めて多くのアメリカ人たちが韓国へ入った。孤児たちを引き取る韓国人家庭が少ないので、アメリカ人家族が里親になる為のものだった。昨夜の夕食に同席したベッツイーの友人も一人の孤児を引き受けた。韓国人にとって同じ韓国人でも孤児は部外者として排他してしまうようだ。
僕は、NHKの番組で戦争孤児たちを育てた中国人たちのドキュメンタリーを観た。終戦となってそこに残された日本人孤児たちが憎き日本人の子供であるにもかかわらず、責任は戦争にあるので孤児たちには罪はないとして日本人の子供達を育てた、それも貧困の中で育てた中国人の両親たちに僕は頭が下がる思いがした。その両親達も今は年老いている。そして孤児たちは恩ある育ての親たちを苦しい中国に残して日本へ移った。子が去った後、中国人両親達は今淋しく暮らしている。そして彼らは声をそろえるようにして言う。「子は戻るべきところに戻ったのだ。これでいいのだ。」 誰を責めることもできない悲しさがあった。
中国人たちは敵の子さえも我が子として育てたのに、韓国人に関する限りどうして上のような話を頻繁に耳にするのだろうか。侵略、占領、強制連行、、これらは許せることではないが、戦争中に日本軍は、朝鮮と台湾に対しては全く異なった対応をしていた。これも人種的な性格が左右していたのだろうか。一般論で、韓国人は、、と決め付ける事はできない。韓国にも家族や部族を超えて人間愛を示す人だって多くいる筈だ。ただ、そうでないと決め付けたくなるような一般論が横行していることも事実だ。この国は元々儒教色の強い国。孔子の教えを尊ぶ人たちにはあるまじき事実だけが観られてしまうのは、韓国人が日本人と同様に演出が苦手だからかもしれない。
本日28日土曜日、朝鮮戦争孤児たちを受け容れた家族たちの全米ネットワークの会合がシアトルであり、ジョージはそこで記念碑建立の為の支援を求める。ワシントン州知事も出席する。彼は、韓国総領事館や在日韓国人協会からの支援拒絶について語り、どうしたら彼らからの理解を得る事ができるのか話し合う予定だと言った。
記念碑のためにつくった彼のHP
http://www.koreanchildren.org/
ジョージの略歴は、当サイトの
楽の後に楽あり「フレンドシップ」に掲載されています
おのざわショージ
07/28/01