週刊金曜日 日の丸の旗の下に・・・大集会
これまで読者の批判に答えることのない週刊金曜日だが、前回の記事で取りあげた金光翔氏のブログで批判された日の丸を掲げる自由の女神ポスターに今週の編集長後記で答えている。
むちゃくちゃな言い訳だ。モチーフに使ったドラクロアの「民衆を導く自由の女神」に描かれているフランス7月革命に無理矢理こじつけているが、そりゃ無茶だ。デタラメであることは説明するまでもないだろう。
旗こそがこの絵のテーマを表しているのに、革命旗である三色旗が日の丸に代われば、意味はまったく逆になる。日の丸が何を象徴しているのか、週刊金曜日編集長が知らぬはずはない。日の丸がまるで主権を象徴しているように北村氏は言っているが、それは悪質なごまかしだ。これまで週刊金曜日が記事にしてきた「日の丸・君が代問題」は何だったのだ。日の丸は天皇制軍事覇権国家を象徴し、国粋主義の最重要アイテムだったはず。革命旗で打ち破られる側の旗だ。
まして、日の丸に導かれる民衆に「在日外国人」の存在はない。
日の丸が導くのは排外主義であり覇権国家への野心でいっぱいの醜いナショナリズムだけだ。
こんな反動的なポスターが平然と作られ、批判にも強弁でそらそうとする週刊金曜日の考えは、<佐藤優現象>に冒された病状の一つの表れといえよう。リベラル・左派が国益を中心とした論理と”新自由主義”という共通の敵を与えられて、保守・右派と共闘態勢に再編されようとしている。この「国民戦線(*)」路線は当然排外ナショナリズムを伴う。
週刊金曜日のバックナンバーをパラパラみると、2008.4.11(698号)の佐藤優の「飛耳長目」に
ー 沖縄「集団自決」裁判の判決に安堵してはならない ー
むしろ重要なことは、この機会に山崎氏や『月刊日本』編集部をはじめとする偏見なき眼で沖縄を見て、日本の国家統一をまじめに考える右翼・保守派の人々と左派・市民派並びに沖縄の有権者が対話を強化することと思う。
という文章がある。いつもの佐藤の主張なのだが、裁判の判決について言及しながら沖縄集団自決事件の本質を歪曲し、狂信的ナショナリズムの犠牲者を再びナショナリズムに吸収しようと主張している。こんな悪質な詐欺的言動を吐く人物をなぜ批判しないのだ。それ以前に「日本の国家統一のために」などという国家主義者の常套句に平気で共感するリベラル・左派の存在ってなんなんだ。
強弁で言い訳するのなら週刊金曜日は、リベラル・左派のフリをせず、素直に『SAPIO』辺りに吸収された方がいい。
(*) 金光翔 「<佐藤優現象>批判」 7. 「国民戦線」としての「人民戦線」
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (1)
最近のコメント