2005-07-30
[精神分析]フロイト講演会「精神分析の起源と発展」 第二講義 (1)
みなさん。ブロイアーが「お話治療」を患者に施していたのとちょうど同じころ、Cbarcot氏は、Salpetrièreの患者たちと共に、この病気の新しい理解に結びつくことになった研究を開始しました。しかし、こうした研究の結果は、ウィーンではまだ知られてはいませんでした。けれども約10年後にブロイアーと私がヒステリー現象の精神的なメカニズムについて仮の報告(それはブロイアーの初めての患者のカタルシス治療に基づくものでした)を発表した時には、私たちは二人ともCbarcotの研究の強い影響下にありました。私たちは、私たちの患者の精神的なトラウマなった病原的な経験が、Cbarcotが発見したヒステリーの麻痺状態に影響を与える肉体的なトラウマ(外傷)に等しいものと考えました。そしてブロイアーの類催眠状態の仮説は、それ自体Cbarcotがこれらのトラウマによる麻痺状態を催眠状態で人工的に再現したことに影響を受けていました。
1885年から86年にかけて私が指導を受けていた偉大なフランス人研究者は、心理学的な理論を創造することには向いていませんでした。彼の学生のP.ジャネはヒステリーの精神的なプロセスにより深く切り込もうとした最初の人物でした。そして私たちが心の分離と人格の分裂を私たちの理論の中心に置いたのは、彼に倣ってのことでした。ジャネは、フランスで流行っている遺伝と退化の主要な諸理論に依拠するヒステリーの理論を提起しています。彼の見方によれば、ヒステリーは一種の神経組織の退化現象であり、精神統合機能の先天的な「弱点」に姿を現します。ヒステリー患者は初めから多様な精神的なプロセスを相関させて統合することができず、それゆえに精神が分裂するようになります。平凡ではありますが明確な例を使いますと、ジャネのヒステリー患者は、買い物を終えて、家に帰る途中、箱や色んなものの束を抱えている虚弱な女性のようなものです。彼女は2本の腕と10本の指では全ての物を抱えきれず、やがて荷物を1つ落としてしまいます。これを拾おうとして身を屈めると、もう1つの荷物が落ちてしまい、きりがなくなります。
ところが、ヒステリーの症例においては、機能の衰えに加えて、一種の代償として機能が部分的に強化される例を見ることができるという事実は、ここで想定されているようなヒステリー患者の精神的な弱点とはうまく符号しません。ブロイアーの患者が母語と、英語以外の全ての言語を忘れてしまった時、彼女の英語力はドイツ語の本を差し出されると、目に入る内容をすらすらと完璧に訳すことができるほどの水準に達していました。後になってブロイアーによって開始された研究を私が自前で継続し始めた時に、私はすぐにヒステリーの分裂(または意識の分離)の起源について別の見方をするようになりました。私の見解が大きく根本的に異なるものとなることは不可避のことでした。というのも、私の出発点はジャネのような実験室での研究ではなく、治療の試みだったからです。私を駆り立てていたのは、他の何事よりも、実際的な必要でした。ブロイアーが利用したカタルシス治療は、患者は深い催眠状態に置かれるべきであるということを前提としていました。というのも、催眠状態にあって初めて、通常状態においては知られていない患者の病原的な結合について知ることが可能となるからです。ところで、催眠は、奇抜で、言わば神秘的な道具ですが、私はすぐに気に入らなくなりました。そして、いくら努力しても、患者たち全員に催眠術をかけることができるわけではないということに気づいたとき、私は催眠術を放棄して、カタルシス治療をそれとは切り離そうと決意しました。
思ったようには患者の多くの精神状態を改変することができなかったので、私は通常状態にある患者と共にやっていこうと努力するようになりました。これは、一見、とても意味のない、目的を失した企てのように見えます。問題はこうでした:患者から、医者も患者自身も知らない何かを引き出すこと。そのような方法をどうやって成功させようというのでしょうか? とても注目すべき示唆に富んだできごとの記憶が私の救いの手となりました。それを私はナンシーのBernheimのクリニックで目にしたことです。Bernheimが示したところによれば、催眠によって夢遊状態に置かれて、様々な経験をさせられた患者は、そのような夢遊状態での経験を失うように見えるに過ぎず、彼らの記憶は通常状態でも呼び起こすことができます。彼が患者たちに夢遊状態での経験について尋ねると、最初は覚えていないと言うものの、粘り強く促し、知っているはずだと請け合うと、必ず忘れられた記憶が戻ってきたのです。
それに続いて私も自分の患者に対して同じことをしました。彼らとのやりとりの中で彼らがもうこれ以上は何も知らないと言い張る点に達すると、私は、知っているはずなのでただそれを言えばいいだけですと請け合い、私が手を患者の額に乗せた瞬間に浮かぶ記憶が正しいものなのですと思い切って断定したものです。このようにして私は、催眠を使わずして、患者から、彼らが気づかずにいた、忘れられた病原的な情景と症状との結びつきを構築するのに必要なものの全てを引き出すことに成功しました。これはやっかいで全体を通して骨の折れる作業であり、完璧な技法とはなりませんでした。しかし、収集したデータからはっきりとした結論を下すまでは、あきらめませんでした。ついに私は、忘れられた記憶は失われたわけではないという事実を実証しました。そうした記憶は患者の手にあり、姿を現してその他の心の部分と連想を形成しようとしているが、意識的なものとなることを妨げられていて、なんらかの力によって無意識に留まることを強いられているのでした。この力の存在は確信できるものでした。というのも、この力に抗して無意識の記憶を患者の意識に引き上げようとすると、私はその力に打ち勝とうとする自分自身の努力に興奮してしまったからです。私はこの力について、患者の抵抗から気づくことができました。その力は、病原となる条件を維持しているものでした。
2005-07-29
2005-07-25
選択の幻想から反学校の政治へ 第一回 無人島主義
登校拒否 |
学校から家へ泣きながら逃げ帰ったことがあります。当時10歳だった僕がどんなことを考えていたのか、今となっては正確に思い出すことはできません。ただ、一つ確信をもって言えるのは、学校から逃げ出した当時の僕にとって、学校が世界の全てだったということです。学校の外には何もないかのように思えました。だから、自習時間中の教室を抜け出して校門を出た時には、生きる場所を失ったような気がしました。それからずいぶんと経ち、登校拒否・不登校に関する多くの言説に触れてみてわかったのは、学校から逃げ出した当時の僕の見方は、学校に行かないことを認めない人の多くによって共有されているものだということです。
かつて登校拒否・不登校は、学校に行かない本人やその家族の個人的な病理であるとされていました。たとえば、1988年に出版された本の中で稲村博さんは、「登校拒否というのはその多くが独特の病理を含む一種の社会不適応状態というべき」であると主張しています。その上で彼は、次のように警告します:
適切な治療的対応をしなければ、あるいはこじらせれば、二十代、三十代以後まで延々と不適応状態が続いていく。したがって、その克服には、人間としての土台を築き直し、社会に適応する力を身につけさせることが不可欠であり、そうしない限り、あたら生涯を無為自閉のうちに台なしにしかねない。*1
ここで登校拒否は、あくまでも個人の問題としてとらえられています。だからその解決のためには、学校や社会の変革などではなく、学校に行かない者への「適切な治療」が必要であるとされます。子どもは学校に行くものだということは彼にとって説明不要の前提となっているようです。
このような考え方は現在でもなくなってはいません。しかし一方で、特に80年代終盤から90年代以降、学校にも問題があるとする者も出てきました。彼(女)らは、稲村さんが学校に行かない者を一方的に異常視して治療の対象にしていたのに対して、そのような者を生みだす学校のあり方もまた変革されるべきであると主張します。
「登校拒否児童・生徒の教育実践に取り組んでき」た病弱養護学校にかかわる大藤栄美子さんらも、学校の現状を厳しく批判しています。*2彼女らは、「教育的眼差し」という言葉への楠原彰さんによる解説(「自分が自分自身であることを決して許さず、つねに、果てしなく、自分以外のものになることを『やさしく』期待(子どもにとっては強要)する」)を引用した上で、次のように言います:
現在、「日本の中学校のなかに南北問題が生じてきている」と言われています。すなわち、「教育的眼差し」に「過剰適応」させられていく子どもたちと、「教育的眼差し」からのドロップアウトを強いられ、学校の学習内容からも仲間集団からも疎外されていくことによって学校のなかに「居場所」を喪失させられていく子どもたちとに、二極分解させられてきているのです。……登校拒否の問題は、一方では、「教育的眼差し」に必死になって応えようとしつづけることによって「本来的な自分」を犠牲にさせられてきた子どもたちの上に、もう一方では、さまざまな原因によってその「教育的眼差し」からドロップアウトしていかざるをえなかった子どもたちの上に生じてきています。*3
このような見方の当否はともかくとして、現在の学校のあり方を彼女らが非常に否定的にとらえているということは読み取れます。
しかし、そのような認識をもちつつも、彼女らは学校の重要性を疑おうとはしません。そのことは、彼女らの「フリースクール」に対する評価にも表れています。彼女らは、「フリースクール」が一定の役割を果たしてきたことを認めつつも、「そのようなフリースクールの運動が公教育そのものを否定するようなものになっていくと、かえって、登校拒否状態に追いつめられている子どもたちの教育権を公的に保障していく運動と敵対」*4することになると警告します。いくら問題があろうとも、学校を否定してしまうのではなく、改善することを目指すべきであるというのが大藤さんらの主張です。
このような態度は、いわゆる「進歩的」な人々に多く見られるものです。では、なぜ学校に行かなければならないのでしょうか? 学校に問題があることが明らかであるにもかかわらず、なお学校に行かないことを問題視する根拠は何なのでしょうか?
熊沢誠さんによればそれは、学校に行くことによって得られるものが、将来、仕事をするために必要になるからだそうです。*5彼は、才能に恵まれた者は学校に行かなくともよいとしながらも、「地味な仕事」に就くことになる多くの者が必要とする「言語能力・社交性・文化の享受などを開発する機会」から疎外されることになるから不登校は問題であると言います。その上で彼は、「学校や教師の可能性を探り、それゆえにそれらの現実を批判し続ける視点」*6が必要であると主張しています。
小寺やす子さんによる『いじめ撃退マニュアル だれも書かなかった<学校交渉法>』は、よりわかりやすい言葉で学校に行くことの重要性を説いています。*7彼女は、「いじめ」から身を守るために「一時的に」登校拒否をすることを認めつつ、「現行の学校制度を否定してしまっては、子どもの将来の選択を大幅に狭めてしまう結果にな」*8ると断じます。「金持ち」や「ズバ抜けた才能の持ち主」は例外としても、「ふつうの子どもたち」はいつか「社会」に出て働かなければならない。この現実を無視して安易に登校拒否を容認する評論家らは無責任であると小寺さんは言います。彼女は、学校に行かない者に対して、以下のように言い聞かせるべきであると主張します:
今の学歴社会を考えると、小学校も出ていない子は、会社が雇ってくれない可能性があるわよ。会社に毎日通勤しないと給料はいただけないのだから、学校に毎日来ない子はやっぱり採用してくれないかもね。
そうすると勤め人は無理っぽいから、自営業かな? お店をやるにもお金がないから、無理かな。浮浪者もイヤだし、過疎地に行って休耕地でも安く貸してもらって、農業をやろう。*9
彼女は、「農業」の他に、「ビルメンテナンス」、「掃除夫」、「新聞配達」などを例示しています。ここに表れている職業観の問題性はともかくとして、ここで言われているのは、学校に行かないと将来ロクなことがないから、とにかく学校に行け、ということでしょう。ちなみに、上記引用部の小見出しは「不登校児の治し方」というものです。
学校の現状を厳しく批判する視点は、登校拒否を個人の病理として説明した稲村博さんと比べて、一見、学校に行かない自由を目指す者にとって歓迎すべきものに見えます。しかし、このような視点を持つ者たちが現在の学校を批判するのは、決して学校制度そのものをラディカルに問い直すためではなく、むしろその重要性を強く認識しているからであると言わなければならないでしょう。原因論や問題の所在をめぐってどんな対立があろうとも、「将来の恐怖」を煽って登校を迫るやり方は、稲村さんからさして変化していないことは明らかです。
彼ら全ての主張の根底にあるのが、「学校=社会」という図式です。学校に行かなくては生きていくことはできない。学校の外に生きる場所はない。そこから逃げ出すことは、社会の外に出て無人島で暮らすようなものだ。しかしいつまでも無人島にとどまるわけにはいかない、いつかは大人として社会に「復帰」しなければならないのだから、不登校を認めるわけにはいかない……。
この「無人島主義」とでも呼ぶべき立場の問題点の一つは、問題をいわば「無人島」に閉じ込めてしまうことによって、「社会」の側が永遠に変わることのない普遍的な現実として不問に付されてしまうことです。たとえば熊沢誠さんは「地味な仕事」に就くことになる者が必要とする「言語能力・社交性・文化の享受などを開発する機会」を奪われることになるから不登校は問題であると言いますが、ある種の仕事が一部の人間に押しつけられる現在の不平等な社会的分業のあり方を問おうとはしません。
しかし「無人島主義」の問題点は、もっと根本的なところにあると思います。そもそも、「社会から逃げ出す」などということは本当に可能なのでしょうか? 子どもは学校から逃げ出すことによって社会からの脱出をはたすのでしょうか?
学校に行かなくなった者は、実に様々な方向から圧力を受けます。親・教師・専門家・子ども本人、ほとんど誰もが学校へ戻そうと働きかけてきます。その目的のために彼(女)らは殴られ、投薬され、監禁され、そして時には殺されます。そのような目に見える暴力がなくとも、「学校には何があっても行かねばならない」という掟(おきて)は誰もが知っているものです。有形無形の力が、彼(女)らを学校に戻そうと襲いかかります。
このように子どもたちは、学校に行かなくなることによって社会から脱出するどころか、むしろそれまでよりも強烈に社会を経験することになります。皮肉にも、「社会の外では生きていけない」という言説の存在そのものが、極めて社会的な現象であると言えるでしょう。結局、社会から逃げ出すことなどありえないのです。私たちは、何をしていようと、どこにいようと、同じ一つの社会の中にあります。問われるべきは、学校に行かない子どもやひきこもりを社会にどう「復帰」させるかではなく、彼らがいま現に生きているこの社会をどう変えるかということでなければなりません。
2005-07-19
フロイト講演会「精神分析の起源と発展」 第一講義(4)
精神分析 |
ここまでのところは、ヒステリーの症状と患者の成育史との関係についてお話しただけです。ここからは、ブロイアーが観察したさらに2つの現象について考えることを通して、病気が始まる過程と治療の過程についての手がかりをお示しできたらと思います。前者については、特に、ブロイアーの患者が、ほとんど全ての病原となる経験において、強い興奮を抑えなければならず、その感情を適切な言葉と行動によって発散できなかったことは注目に値します。家庭教師の犬とのあの小さな経験において、彼女は社会的慣習を考慮して、とても強い嫌悪の感情を全て抑圧しました。病に臥す父親に付き添っていた間、彼女は不安や苦しいうつ状態を彼の前に決して表さないように気を配っていました。後になって、医者の前で同じ情景を再現した際、その時に押さた感情が、まるでそれまでずっと閉じ込められていたかのように、激烈に爆発しました。医者がその情景の記憶を呼び戻そうとすると、それによって引き起こされた症状はピークに達し、完全に明らかにされた後、消滅しました。一方で、経験的にわかったことなのですが、患者が医者にトラウマとなった情景を話す際に、もし感情が湧き上がらないと、その過程には治療的効果がありません。どうやら、患者の病気と健康への回復は、こうのような感情的な過程にかかっているようです。「感情」というものは、増加されたり何かに由来したり置き換えられたりするものと考えてよいでしょう。というわけで、病原となる経験の中で生まれた感情が正常に発散されることを妨げられたために患者は病気になったのであり、この病気の本質はこういった「囚われの身の」感情が一連の異常な変化を経験するという事実にあるのだ、と考えなければなりません。そのような感情は持続する重荷*1として、また精神生活の絶え間のない障害の素として維持されたり、あるいは身体の異常な神経支配や抑制に変化し、身体的な症状となって現われたりします。私たちは、この後者の過程を「ヒステリー転換」と名付けました。私たちの精神的なエネルギーの一部は、正常な状態ならば、身体の神経支配によって処理されて、「感情表現」と呼ばれるものを生み出します。ヒステリー転換は、精神の過程のこの感情的に彩られた部分を誇張するものであり、それよりもずっと強烈な感情の表現にあたります。その表現は、新しい通り道を経て出口を見つけます。水が2本の溝を流れているとすると、一方の流れが障害物に塞がれてしまったら、もう一方もすぐに溢れてしまいます*2。
私たちはそろそろ純粋に心理学的なヒステリーの理論に行き当たりそうですね。そこでは、感情的な過程が最重要視されます。ブロイアーのもう一つの観察結果によると、意識の状態の変化が、病気の特徴を決定するのに大きな役割を果たしています。彼の患者は、正常な状態に加えて、「心ここにあらず」の状態や混乱、性格の変化といった様々な精神状態を示しました。正常な状態にある時、彼女は全く病原となる情景に気づいていないか、そうでないにせよとにかくそうした情景を病原的なつながりからは切り離していました。催眠術をかけられた時、(たいへんな苦労をして)彼女はそういった情景を記憶に呼び戻すことができました。そしてこのように思い出すことによって症状は取り除かれました。もし催眠術とその実験が道を示していなければ、この事実は極めて理解の困難なものであったことでしょう。催眠現象の経験をとおして、このような考えが(当初は奇妙に思えたものですが)よく知られるようになりました。つまり、一人の個人の中には複数の心のグループ分けが可能であり、そのようなグループはお互いに相対的に独立しており、お互いのことは「何も知らない」のであり、そのようなグループ分類に沿って意識の分裂が引き起こされるかもしれない、という考えです。そのような、「二重人格」(「二重意識」)として知られる症例が、時として自然に現われます。そのような人格の分離において意識が常に2つの状態の一方と密接な関係があるとすれば、片方は意識的な精神状態と呼ばれ、もう片方は無意識と呼ばれます。いわゆる催眠後暗示というよく知られた現象においては、催眠状態で与えられた命令が後になって正常な状態にある時にまるで強制的な暗示であるかのように実行されます。この現象は、無意識状態が、その存在に気づいていない意識に影響を与えうるのだということを理解するためのすばらしい手がかりとなります。同じようにして、ヒステリーの症例の事実を説明することができます。ブロイアーは、ヒステリーの症状は独特の精神状態に起源をもつという結論に達しました。この精神状態を彼は「類催眠状態」(hypnoide Zustande)と名付けました。そのような類催眠状態下での、感情的な性質をもった経験は、容易に病原的なものとなりえます。というのも、そのような状態は興奮状態の感情を正常に排出する条件を示さないからです。そしてその結果として、この興奮状態の独特の産物が姿を現します。つまり、症状が現われます。そしてこれはよそよそしい塊のように正常な状態に投影されます。ということは、後者は、その類催眠状態の病原的な経験の重要性を全く把握できないわけです。症状が現われるところに、記憶喪失、記憶の欠落も見ることができます。そしてこの欠落を埋めることは症状の起源となる条件を取り除くことにもなるのです。
私の治療法のこの部分はあまり明確なものには見えないかもしれませんが、私たちはここで新しくて困難な考えを前にしているのだということはお忘れにならないでください。それはおそらくこれ以上は明確にはできないのです。このことからわかるように、この分野の私たちの知識はまだあまり高等なものではありません。さらに申し上げると、ブロイアーの類催眠状態についての考えは無用のもので、さらなる研究の障害となることが明らかとなり、現在の精神分析の考えからは廃棄されています。後ほど、類催眠状態の他にどんな影響や過程が明らかになったのかについて触れさせていただきます(ブロイアーは類催眠状態だけに原因を見たわけですが)。
ブロイアーの研究は私たちが観察した現象のとても不完全な理論と不十分な説明しか提供していないとお感じになったかもしれません。それは正しい感想です。しかし完全な理論は天国から降ってくるわけではありませし、また観察の初期に全く欠落のない、練り上げられた理論を提示されたとしたら、なおいっそう懐疑的であるべきでしょう。そのような理論は憶測の産物でしかなく、事実の先入観ない研究の成果ではありえませんから。
2005-07-18
フロイト講演会「精神分析の起源と発展」 第一講義(3)
精神分析 |
もちろん、犬がグラスから水を飲んだことによって引き起こされた嫌悪のために水を飲めなくなることの他にも、ヒステリーの症状が引き起こされる例についてお聞きになりたいことでしょう。しかしながら、計画通りお話しするためには、ごく少数の例にとどめる必要があります。たとえば、ブロイアーによれば、以下のようにして、彼の患者の視覚異常が外的要因によって引き起こされたものであることがわかりました。
患者は、病に臥す父親に涙を浮かべながら付き添っていた時に、父親から時間を尋ねられた。彼女ははっきりと見ることができなかったので、目を瞠(みは)り、文字盤がとても大きく見えるように腕時計を目に近づけたり*1、病人に気づかれないように涙を抑えようとふんばったりした。
全ての病原となる印象は、彼女が病気の父の看病を手伝っていた時に生じたものでした。
ある時、彼女は患者のことを大変心配しながら夜間の看病をしていた。彼は高熱を出しており、気がかりな状態にあった。というのも、ウィーンから外科医がやって来て、手術をすることになっていたからだ。母親はしばらくの間出掛けており、アンナは、右腕を椅子の裏にやりながら、病床に付き添っていた。彼女は空想に耽り、黒い蛇が壁から現われて、病人に噛み付かんばかりに近寄るのを見た(おそらくこういうことだろう。家の裏の草地で何匹かの蛇を実際に目撃し、彼女は蛇に対して既に恐怖を感じていた。そしてこういった以前の経験が幻覚の素材となったのだ)。彼女はその生き物を追い払おうとしたが、まるで体が麻痺したかのようになってしまった。椅子の裏にあった彼女の右腕は「眠り込んでしまっており」、麻痺状態になっていて、それを見つめていると、指が髑髏(どくろ)頭の小さな蛇になってしまった(爪)。おそらく彼女は麻痺した右腕で蛇を追い払おうとしたのだろう。だからこの腕の麻痺が蛇の幻覚と連想されるようになった。これが姿を消した時に、彼女はなんとかしゃべろうとしたが、できなかった。彼女はどの言語でも自分を表現できなかった。そしてとうとう彼女はイギリスの童謡の単語を思い浮かべた。それ以来、彼女は英語でだけ考えたり話したりできるようになった。
この情景の記憶が催眠状態で呼び覚まされた時、病気の当初より存在していた右腕の麻痺は治癒し、治療は終了しました。
何年も経ってから、私がブロイアーの研究結果と治療法を自分の患者に使い始めると、私の経験は完全に彼のものと一致しました。40歳くらいの女性の場合、チック、奇妙な舌打ちの音が見られました。それは明らかな理由は何もないのに、彼女が興奮して作業しようとすると必ず現われるのでした。その起源は、音を出さないようとしていたのに意思に反して音が出てしまったという共通点を持つ、二つの経験にありました。1回目は、ずいぶんと苦労して病気の子どもをようやく寝かしつけて、起こさないようにとても静かにしようとしていた時でした。2回目は、二人の子どもと馬に乗っている時で、激しい雷雨に遭い、馬が怯えたので、さらに恐怖を加えるといけないのでどんな音も出さないように注意していました。この他にも、"Studien über Hysterie"には多くの例が出ています。
みなさん、一般化することをお許しいただけるなら(このような短い説明ではそれが不可欠ですので)、ここまでの結果をこのような公式で表現できます:私たちのヒステリー患者は回想を患っている。彼らの症状はある(トラウマ的)経験の残存物であり、記憶の象徴であると言えます。
他の素材からの他の記憶の象徴との比較をすることによって、この象徴性をよりよく理解できるようになります。私たちが大都市を装飾するのに使う記念碑も、そのような記憶の象徴です。ロンドンを歩けば、広大な駅の前に豊かに装飾されたゴシック様式の塔を見ることができます――「チェアリング・クロス」です。プランタジェネット家の王の一人が、13世紀に、愛する后エレノアの遺体をウエストミンスターに運ばせて、棺(ひつぎ)がおかれた各駅にゴシック様式の塔を立てさせました。チェアリング・クロスはこれらの記念碑の最後にあたりました。記念碑は、悲しい旅路の記憶を守っています*2。
この街の別の場所には、モニュメント(記念碑)とだけ呼ばれる高い近代建築の塔があります。これは1666年にこの地区で発生し、この街のかなりの部分を焼き尽くした大火事を記念するものです。
こうした記念碑は、ヒステリーの症状と同じように、記憶の象徴です。ここまでのところは、この比較は正当なものに見えます。しかし、今日、現代の産業の状況に没頭する代わりに、あるいは、自分自身の女王と共に歓喜する代わりに、エレノア女王の葬儀の記念碑の前に悲しみを抱いて立っているロンドン人がいるとしたら、何とおっしゃいますか? あるいは、「モニュメント」の前で愛する出身の街の炎上を悲しむ人がいるとしたら? ロンドンは、もう立ち上がってかつてよりも華麗となってから長く経つというのに。
ヒステリー患者や全ての神経症患者はこれらの実際的ではない二人のロンドン人のようにふるまうのです。というのも、遠い過去のつらい経験を覚えているというだけではなく、彼らは未だにその経験の強い影響下にあるからです。彼らは、過去から逃げることができず、現在の現実が目に入りません。このような精神生活の病原トラウマへの固定は、神経症の本質的で、実質的には最も重要な特徴です。ブロイアーの患者の病歴を振り返りながら、異論を心の中で巡らせていらっしゃるかもしれませんね。彼女の全てのトラウマは、病気の父親の世話をしている時に始まったものであり、彼女の症状は彼の病と死の記憶の象徴であるとしか考えられません。それは喪(も)に適したものであり、死後間もないときに死者のことばかり考えるのはもちろん病的なものではなく、むしろ正常な感情にあたります。わたしはこのことを認めます:ブロイアーの患者によって示されたトラウマについての感情の固定にはどこも異常なところはないと。しかし、先ほどお話したチックのような他の症例においては、この過去への異常なこだわりの特徴は明らかです。10年も15年も前のことなのですから。そして、トラウマとなる経験と病気の始まりから間もない時に「カタルシス治療」を受けていなければ、ブロイアーの患者もおそらくそのようなこだわりを患うことになっていたことでしょう。
2005-07-16
フロイト講演会「精神分析の起源と発展」 第一講義(2)
精神分析 |
彼の共感的な観察により、応急手当を可能にする手段がすぐに発見されました。患者は、「心ここにあらず」の、精神的な変調の状態の中で、たいていはいくつかの単語を独り言でブツブツ言っているということが明らかになりました。こうした単語は彼女が忙しく思考していたこととの連想から生まれているようでした。博士は、こうした単語の意味がわからなかったので、彼女を一種の催眠状態に置き、単語が持っているかもしれないあらゆる連想をも呼び起こすため、彼女の耳元で単語を何度も何度も繰り返しました。患者は彼の暗示に従い、「心ここにあらず」の時に思考を支配していた精神的な創造物を彼のために再現しました。そうした創造物は個々の話し言葉の中に姿を現しました。これらの創造物は、妄想であり、深い悲しみと、しばしば詩的な美しさをもった白昼夢とでも呼ぶべきもので、共通して父親の病の床に寄り添う少女の状況から始まっていました。そのような妄想をいくつか語ったあとは必ず、彼女は、いわば、解放されて正常な精神状態に回復しました。この健康状態は数時間続き、そして次の日には新しい「心ここにあらず」の状態になってしまうのでした。そしてその状態は同じようにして新しくつくられた妄想を語ることによって取り除かれました。「心ここにあらず」の状態となって現われる精神的な変調は、こうした強い感情を伴う妄想-イメージから発生する興奮状態の結果であるという印象を抱かないわけにはいきませんでした。患者自身は、病気のこの時期には奇妙なことに英語だけを理解し話していたのですが、この新しい類の治療を"talking care"(お話し治療)と名付け、あるいは冗談めかしてそれを"chimney sweeping"(煙突掃除)と呼びました。
博士は間もなく、そのような魂の掃除によって、絶えず繰り返し発生する心の「雲」を一時的に取り除く以上のことができるという事実に突き当たりました。催眠状態の患者が、症状が最初に現われた際の状況とそれとの連想的な結びつきを思い出した時に、そうした結びつきが引き起こす感情に対して開いた排気孔が与えられれば、病気の症状は姿を消すであろうという事実です。
夏の間、すごく暑くなることがあった。そして患者はのどの渇きにたいへん苦しんでいた。というのも、はっきりした理由は何もないのに、彼女は突然飲むことができなくなったからだ。水の入ったグラスを手に持っても、グラスが唇に触れるや否や彼女はそれを押し返してしまうのだ。まるで水恐怖症になっているみたいだ。明らかにこの数秒間の間彼女は「心ここにあらず」の状態にあった。彼女はこの苦しいのどの渇きを癒すために、メロンなどの果物しか食べなかった。これが6週間ほど続いたある日、彼女は催眠状態でイギリス人の家庭教師について話していた。彼女はこの家庭教師を嫌っていた。そしてついに彼女は、いかにも嫌そうな表情を浮かべながら、かつて家庭教師の部屋に入り、家庭教師の子犬が、グラスから水を飲んだのを見たということを語った。彼女はその犬を忌み嫌っていた。社会的慣習を顧慮して、患者は沈黙を保ってきた。今や、抑制されていた怒りをエネルギッシュに表現した後で、彼女は飲み物を求め、大量の水を難なく飲み、唇にグラスをつけた状態で催眠から覚めた。症状はそのあと直ちに永久に消滅した。
この経験についてしばらく考えさせてください。それまでは、そのような方法によってヒステリーの症状を治療したり、その原因の理解にここまで近づいた者は一人もありませんでした。もしさらに他の、ことによると症状の多数が、このようにして発現するのであり、同じ方法で取り除くことができるだろうという期待が確かめられれば、これは可能性に富む発見であるでしょう。ブロイアーはこのことを確認するために苦労を惜しまず、その他のより深刻な症状の病原をより秩序だったかたちで調査しました。実際に、その通りでした。ほとんど全ての症状はまさにこのようにして、感情に彩られた経験のいわば残りかすとして、沈殿物として、発生するのです。そのため私たちは後にこうした経験を「精神的トラウマ」と呼びました。症状の性質はその原因となった光景との関係を通して明らかになりました。症状は、専門用語を使って言うと、症状が体現していた記憶の痕跡をもつ光景によって「測定される」(determiniert)*1のであり、だからもはや神経症の恣意的なあるいは不可思議な機能としては説明されえないのです。
予想されるかもしれないこととは違う点について言っておかねばならないことは一つだけです。症状の誘引となるのは必ずしも一つの経験ではなく、通常はいくつかの、ことによると多くの似たような、反復的なトラウマが合わさってこの効果をもたらしていました。一連の全ての病原となる記憶を時系列に、そしてもちろん逆順に、つまり最後の記憶を最初に最初の記憶を最後に再現しなければなりませんでした。後にくる記憶をまず片付けておかないと、最初のしばしば最も本質的なトラウマに直接到達するのは全く不可能なことでした。
*1:訳注。不適切な訳語かもしれません。
2005-07-15
フロイト講演会「精神分析の起源と発展」翻訳にあたって
精神分析 |
ナツメ社から出ている『図解雑学』というシリーズがあります。様々な学問についてとてもわかりやすい解説を読むことができます。これまでに『図解雑学 サルトル (図解雑学シリーズ)』と『図解雑学 ニーチェ (図解雑学シリーズ)』を読みました。左側のページに解説があり、右側のページにそれに対応したイラストがあるという構成で、楽しく哲学を学ぶことができます。基本的に1ページに1項目ずつ解説してくれるので、無理なく読み進めることができるようになっています。最近、このシリーズのフロイトの巻を立ち読みしました。
これも非常にわかりやすい本で、数時間にしてフロイトの精神分析の全貌が理解できてしまいました。というのは嘘ですが、基本は押さえることができたと思います。この入門書はあまりにも優れているのでフロイト自身の著作はもう読まなくてもいいのではと思えるほどですが、ネットサーフィンをしていてフロイトの講演録を見つけました。
Freud, Sigmund (1910) "The Origin and Development of Psychoanalysis," first published in American Journal of Psychology, 21, 181-218.
これもフロイト入門としてとてもわかりやすいものでした。翻訳の修行のため、このブログでこの講演を訳していこうと思います。
Fancherさんによると、これは1909年にアメリカで行われた講演の記録だそうです*1。フロイトはアメリカの著名な心理学者の招きではるばる船に乗ってヨーロッパからアメリカに渡りました。フロイトは当時まだまだマイナーな存在だったので、アメリカの有力者からの招待はうれしいものだったそうです。講演は大成功で、アメリカでフロイトがメジャーデビューするきっかけとなりました。
翻訳は上記のサイトのテキストからのものです。テキストには、一部読み取りミスと思われる箇所があります(heをbeとするなど)。訳語はできる限り『フロイトの精神分析 (図解雑学-絵と文章でわかりやすい!-)』に合わせるようにしますが、立ち読みしただけなので完全ではありません。誤訳・誤字・脱字・意味不明な箇所などがありましたらコメント欄でご指摘ください。また、一部人名の発音が不明なものは原語のままにしてあります。もしご存知の方はぜひお教えください。その他、翻訳上のアドバイスなどがあれば、細かいことでもけっこうですのでよろしくお願いします。
フロイト講演会「精神分析の起源と発展」 第一講義(1)
精神分析 |
みなさん。新世界[=アメリカ]の学士の方々の前に講演者として立つというのは私にとって新しくてやや恥ずかしい経験です。このような栄誉をいただいたのは私の名前が精神分析のテーマと結び付けられているからでしょう。したがって私がこれからお話しするのは精神分析についてです。とても手短に、この研究と治療の新しい方法の起源とそのさらなる発展について歴史的に振り返ってみたいと思います。
精神分析を創造したのは功績と言えるでしょうが、それは私の功績ではありません。私が学生で、最終試験に忙しく取り組んでいたころ、ウィーンの医者であるヨゼフ・ブロイアー博士が、この方法をヒステリー症の少女に初めて適用しました(1880-82)。今からこの症例の履歴とその治療について検証してみましょう。これについては、後にブロイアー博士と私自身によって出版された"Studien über Hysterie"に詳しく出ています。
しかし最初に一言申し上げておきます。たいへんうれしいことに、聴衆のみなさんの多くは医療を専門とはしておられないようです。私がこれからお話しすることを理解するために、医学教育が必要ではないかと心配される必要はありません。これから数人の医者についてしばらくお話しますが、すぐにお話は彼らのもとを離れ、ブロイアー博士の実に独特な歩みを振り返ることになります。
ブロイアー博士の患者は21歳の少女で、高い知能を持っていました。彼女は2年間に渡る病にかかり、深刻に受け止められてしかるべき一連の心身の障害を患いました。彼女の右腕と右足は重篤な麻痺状態にあり、また時には左の手足も同じ疾患をきたしていました。彼女は頭の位置を安定させることに困難を示し、激しい神経性の咳をしていて、食物を摂ろうとする際に吐き気を感じ、またある時には数週間に渡って飲む力を失いました。のどの渇きに苦しんでいたにも関わらずです。彼女の話す能力も落ち込み、この症状は母語を話すことも理解することもできないほどまでに進行しました。そして最後に、彼女は「心ここにあらず」の状態になり、混乱して、錯乱し、人格全体が変わってしまうような状態に陥りました。
このような症例を耳にしたならば、医者でなくともこう思いたくなることでしょう。ここには深刻な傷害があり、それはおそらく脳の傷害で、治癒の望みはほとんどなく、おそらく患者は間もなく亡くなることになるであろう、と。しかし、医者の言うところでは、まさに同じくらい否定的な症状を示すあるタイプの症例においては、別の、ずっと有望な見方が正当なものなのです。重要な臓器(心臓や腎臓)が客観的な検査によって正常であるとわかっていながら激しい感情的な障害を患っている少女の症例においてそのような一連の症状が見られ、その症状がいくつかの細かい特徴において論理的に予想できるものとは異なっている場合、医者はそれほど心配しません。医者はこう考えます。脳には器質性の損傷はないが、ギリシャの医者の時代からヒステリーとして知られてきた不可解な状態が見られる。このヒステリーは様々な病気のあらゆる症状を仮装することができる。そのような症例においては患者の生命は危険にはさらされておらず、健康への回復は自然に訪れるであろう、と。そのようなヒステリーを重篤な器質性の損傷と区別することは必ずしも簡単であるわけではありません。しかし私たちはこの種の区別する診断がどのようになされるのかということは知らなくてもいいでしょう。ブロイアーの患者の症例は熟練した医者であれば誰でも間違うことなくヒステリーと診断するようなものだったということは保証します。病歴についてここでもう一言申し上げておきましょう。病気は、患者が父親の世話をしていた頃に初めて現われました。彼女は父親を深く愛していました。その頃父親は重篤な病気にかかっており、やがて亡くなりました。彼女は父親の世話をするという仕事を彼女自身が病に陥ったために断念せざるをえませんでした。
ここまでのところは、医者の見解に沿ってお話しするのがよいように思われましたが、私たちはすぐに医者に別れを告げることになります。器質性の脳障害ではなくヒステリーという診断が出たからといって、医学的な援助に関しての患者の見込みは本質的に改善されるとはお考えになってはいけません。深刻な脳の病気に対しては医学の技術は多くの場合、無力なものですが、ヒステリーの疾患の場合も医者は何もすることができません。医者は、いついかにして希望的な経過予想が実現されるかを、恵み深き自然に任せるほかありません*2。とどのつまりは、病気をヒステリーであると認識しても、患者の状況はほとんど変わることはないのです。しかし、医者の態度には大きな変化があります。医者が、ヒステリー患者に対して、器質性の病を患う患者に対する時とはかなり違う接し方をするのを私たちは見ることができます。医者は前者に対しては後者に対するのと同じような関心は示しません。というのも、前者の苦しみはずっと深刻度が低いのに全く同じように深刻に受け止められるべきであるという要求を突きつけるように思われるからです。
しかし、このような態度にはもう一つの動機があります。医者は、研究を通して素人からは隠されていることを学んできており、卒中や痴呆を患う患者の脳障害ならば原因や経過を頭に思い描くことができます。そのような想像は、ある程度までは正しいに違いありません。というのも、そうすることによって医者はそれぞれの症状の性質を理解できるようになるからです。しかしヒステリーの症状を前にすると、医者の全ての知識は、彼の解剖学的-生理学的・病理学的な教養は、役立たずなものとなってしまいます。医者はヒステリーを理解することができません。ヒステリーを前にすると、医者は素人と同じ立場になってしまいます。そしてそれは誰にとっても愉快なことではありません。医者は自分の知識を実に高い価値をもつものと考えるのを常にしていますからね。こうして、ヒステリー患者は医者の共感を得られないことが多いのです。医者はヒステリー患者が自分の科学の法則を踏み越える存在であると考えます。ちょうど、正統派が異端者を見るようなものです。医者はヒステリー患者に可能な限りあらゆる罪悪を押し付け、彼らが誇張しており意図的な偽り、「シミュレーション」をしていると責め、関心を示さないことによって彼らを罰します。
さて、ブロイアー博士はこの症例においてこのような非難を受けるには値しませんでした。彼は患者に共感と関心を示しました。当初はどうしたら助けてあげれれるのかわかりませんでしたが。おそらく、このことが彼にとってより容易になったのは、この患者の知性と性格が優れていたためでしょう。博士は報告の中でそのことを証言しています。
*1:http://psychclassics.yorku.ca/Freud/Origin/intro.htm
*2:この見方は今日では正しくないことはわかっていますが、この講演では私たちは1880年以前の時代に戻ることになります。その時から事情が変わったとしたら、それは主に私がまさに今その歴史を描いている仕事によるものでした。
kleinbottle526
英語で書かれた文章を日本語に訳す、ということは、シンプルなようでいて非常に意味のあるものだと思っています。また、逆も然りであり、日本語で書かれた多くの素晴らしい文章を英語で発信するということの意味深さに、自分の語学能力の弱さに落胆しながらも、勉強をする気にさせられるものです。特にこういったネット上の文章、講義録、また翻訳が自動的に行われるような大きな仕事でないメディアを翻訳するという作業は、並々ならぬ努力と人の協力が無ければ不可能であり、またそれを継続、持続するエネルギーが必要とされます。それをこうしてお一人で、かつ淡々と一定のペースで行っていらっしゃる toled さんを尊敬致します。今後もこのような意味深い作業をこちらで拝見するのが楽しみです。失礼致しました。
toled
kleinbottleさんはじめまして。激励のお言葉ありがとうございます。3日坊主で挫折するところでしたが、ガゼンやる気が出てきました! ただペースは落ちるかと思います。。。おかしなところとかあったらぜひご指摘ください。
(下のフランス語うんぬんのエントリー、kleinbottleさんも同じようなことを以前書かれてましたよね。ちょっと探したのですが、見つからなかったのでリンク貼りませんでした)
toled
↑僕の勘違いだったらすみません。
kleinbottle526
http://klein-bottle.orz.ne.jp/index.php?%BA%B9%B0%DB%A4%C8%BA%B9%CA%CC 恐らくここの事かと思います。 toled さんのフランス語のエントリーも、何度も頷きながら読ませていただきました。ペースのことはお気になさらずに。また来ますね。では。
2005-07-14
反差別主義者は差別主義者に反論してはならない
社会 |
石原都知事:「フランス語は国際語失格」発言で提訴される
石原慎太郎・東京都知事が「フランス語は数を勘定できず国際語として失格」などと発言したのは名誉棄損に当たるとして、都内のフランス語学校校長、マリック・ベルカンヌさん(46)や日本人のフランス語研究者ら21人が13日、石原知事を相手に、新聞への謝罪広告掲載と計1000万円余の慰謝料を求めて東京地裁に提訴した。
石原知事は昨年10月、首都大学東京(今年4月開学)の支援組織設立総会で「フランス語は数を勘定できない言葉だから国際語として失格しているのも、むべなるかなという気がする」と発言。フランス語は「70」を「60+10」、「80」を「4×20」などと数えるため、知事の発言はこうした数え方を念頭に置いたものとみられる。
これに対し、原告は「フランス語は数を数えられ、国際機関や多数の国で公用語として使われている。虚偽の発言で母国語として話したり研究する者の名誉を傷つけ、学習者の意欲をそぐことで語学校の業務を妨害した」などと主張している。
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20050713k0000e040036000c.html
全ての人民のみなさんこんばんは。反自由党中央委員会です。この事件についての反自由党の公式見解を発表します。
1. 帝国主義的言語であるフランス語が「被害者ヅラ」をするのは、なんかおかしいと思う。
2. 「数を勘定でき」ないという中傷に対して、「フランス語は数を数えられ」ると反論すると、「数を数えられるかどうか」ということを評価基準として受け入れることになってしまう。しかし「言語は数を数えられて当然」という一見ニュートラルな発想にこそ都知事の自民族中心主義がある。反差別主義者の正しいリアクションは、こうでなくてはならない:「数は数えられない。悪いか?」。
というわけですのでよろしくお願いします。
なお、同じようなことは、他の「差別発言」についても言えます。たとえば「女性はすぐ感情的になる」という偏見があります。リベラルはこれに対して実証主義的な調査を行い、「男性よりも女性のほうが感情的になりやすいとは言えない」とか、「男性よりも女性に感情的な人が多いとは言えない」といったことを示そうとします。あるいは、「不登校は社会性の欠如のあらわれだ」といった偏見に対して、リベラルはコミュニケーション能力に優れた不登校児を「発掘」してきて反論しようとします。
しかしそうすることによって差別主義者が勝手に設定した「感情よりも理性」とか「社会性はいいものだ」というルールを受け入れることになります。その過程で、被差別者の中にも「より理性的な女性とより感情的な女性」「より社会的な不登校児とよりヒッキーな不登校児」という序列が生まれ、反差別の言説のはずが、いつのまにか差別主義者の下請け工事をやることになってしまいます。
これにたいして私たち正しい反自由主義者はこう言います。女性は感情的だ。不登校児に社会性はない。それがどうした。それで生きにくいなら、社会の方を変えればいいんじゃん。
変態左翼の日比野真さんの言葉に、こうあります。
ホモやオカマは決して「普通の人」ではありません!!
ホモやオカマが嫌われるのは、それらが異常(=時代の多数派権力が生き延びるために恣意的に創り出した生け贄/スケープゴート)だからなのだ。「異常な私たち」が、異常なままで、堂々と今の社会の中に生きることが大切だ。決して「同性愛者は正常な普通な人だ」などと言ってはならない。そう言ってしまうことは私たち自身に対する最大の裏切りだ。正常化され毒抜きされた「普通の姿をした」同性愛者を社会が受け入れることが大事なのではない。私たちが生きる今の社会秩序---性別2分法と「男らしさ・女らしさ」の性別役割を押しつけ、ホモフォビア(同性関係嫌悪)で、強かんや暴力などの「男のわがまま」を黙認し、セックスを悪いことだと考える社会秩序を、変態で性的倒錯者でホモで異常でオカマな「私たち」こそが、堂々と解体しなくてはいけない。
櫻井のりこ
慎みの無い慎太郎オヤジ殿のこの発言と、“変態左翼”日比野真さんの言説を並列されられるtoledさんに、とことん脱帽っすーー♪
あたしは偶然地元がかぶるので日比野さんのイスラエル滞在報告を聞いたことがありますが、もちろん、これまで勤めた会社にいたオヤジどもなんぞよりとっても普通の(笑)、自らのある不可思議な階層にも自覚的な、ちゃんとした方でした!!!
お会いしたのが冬だったのでウールのダッフルコートとロングスカート(腰巻?)をお召しで、その色合いの美しさ(彩度・明度とバランスの良さ)に魅かれ「いい色ですねー」と話しかけると、ハニカんで「お気に入りなんです〜」と言っておられたのを思い出します。…あのオレンジと黄緑ゲッツは、そうそう真似できんわ〜♪
『しかしそうすることによって差別主義者が勝手に設定した「感情よりも理性」とか「社会性はいいものだ」というルールを受け入れることになります。その過程で、被差別者の中にも「より理性的な女性とより感情的な女性」「より社会的な不登校児とよりヒッキーな不登校児」という序列が生まれ、反差別の言説のはずが、いつのまにか差別主義者の下請け工事をやることになってしまいます。
これにたいして私たち正しい反自由主義者はこう言います。女性は感情的だ。不登校児に社会性はない。それがどうした。それで生きにくいなら、社会の方を変えればいいんじゃん。』
はたして『理性』は『感情』から完全に自由になれるものなのでしょうか? この二つは対称化し得るとする“西洋”的な概念は、私たち(少なくとも第二次大戦後“日本語”教育を受けてきたヤマト列島在住者)には、どこまで浸透しているのでしょう?
それが自明な世の中/世間なら、大阪市立付属小学校事件も西鉄バスジャック事件も奈良ロリコン拉致殺害事件も、少なくとも、これらに類する女性加害者が、同等に出るだろうと私は思っています。(女は女であるがゆえに理性の恩恵は浴し得ない…と言う方は悪いけど単性生殖をしてくださいネ。ご苦労様です☆)
この場合、佐世保の女児による女児殺害事件は、非対称性の観点では“女性性”問題より“子ども性”問題の範疇に入ると私は考えています。つまり佐世保事件は非対称性によるプレッシャーの関与の少ない稀有な事例であり、前出3事件は私にとってDVにも匹敵するありきたりな“男性性(男ジェンダー)”問題事件なのです。
オトココドモは大変さー。オンナコドモはどーせ死ぬまでオンナコドモさー。でもオトココドモは死にたーなきゃー“ワシゃーもーコドモ違う〜”言うて、なんぞ証を立てにゃー“一人前のオトコ”扱いしてもらえんさー。でも孕みもできん、巫女(ユタ)にもなれんオンナーもー、それはそれは辛きゃーのー。
…なーんてエラそーに言うてる私も、カレシとエッチしてる時は“オンナらしい(…AVくさ〜い;)”アエギ声出したほーがえぇかなーなんて意識してるんですが…(^^;)
toled
櫻井さんこんにちは! 男ジェンダーの呪縛は本当に深刻ですね。「事件」にも少なからずからんでると思います。ただ、それだけで説明できるかというとちょっと疑問ですが。。。
一方で「女らしさ」のプレッシャーも大変だろうなと思います。「女らしさ」を体現する人にとっても、その基準からこぼれ落ちる人にとっても。
などと言ってる僕は単性生殖について日夜研究中ですw
長文コメント大大大歓迎ですのでこれからもよろしくお願いしますね〜。
sarutora
今日は。お久しぶりです。『図サル』お読みいただいたようで、ありがとうございます。私も『不登校、選んだわけじゃないんだぜ!』もちろん読みましたよー。とても面白かったです。
ところで、ちょっと感想が遅れてしまったのですが、このエントリ、学歴詐称事件の話に続くヒットですね!面白かったです。(というと凡打差別になってしまうかもしれませんが……)。語学学校長の訴えもなんだかな、と思うのですが、明大教員が石原に学習セット贈呈という話http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20050726k0000e040055000c.htmlは、さらにおいおいと思いました。もちろん、石原がどうしようもないのは言うまでもないのですが……。
toled
こんにちは! 本を読んでくださってありがとうございます。こちらの方も『図サル』から進んであと2冊の本に収録されている論文も拝読しました(立ち読みですみません。。。)。
サルトルについてはほとんど何も知らなかった僕ですが、今ではとても引きつけられています。「自由」とか「選択」ということをリベラリズムの枠組みを越えて考える手がかりになるかも、と考えているのですが、どうでしょうか? って言いながらサルトル自体の文章はまだほとんど読んでないんですが。。。いつかセロトニンが
湧いてきたら挑戦したいと思います。その時にはぜひ質問させてください。
学習セット、僕も欲しいです。
2005-07-07
『Fonte』(旧・不登校新聞)メーリングリストへの投稿
登校拒否 |
『Fonte』(旧・不登校新聞)のメーリングリストに以下の文章を投稿しました。
こんにちは。
このたび経済的事情により、定期購読を継続しないことにしました。『Fonte』の社会での必要性はますます高まっていると思いますが、お金があまりないもので。。。
編集局の方のメールに紙面についての意見をとありましたので、この機会に僕の思うことを書かせていただきます。もうすぐこのメーリングリストの参加資格もなくなってしまうので「言い逃げ」になってしまうかもしれませんがどうかご容赦ください。
ちゃんと読んできたわけではないので間違っているかもしれませんが、僕の『Fonte』を読んでの感想は、「偏っているな」ということです。一部の人の同じような意見ばかりが目に付くように思います。
偏っているから悪いということではありません。『Fonte』は一般のマスコミに大きくは取り上げられないような、不登校を支える立場に立つメディアですからある意味「偏って」いて当然です。紙面の内容は学校に行かない者や行かなかった者を応援するような、あるいは彼らが自ら語ることを可能にするようなものでなければならないでしょう。
ただ、学校に行かないことを何らかの形で肯定する人々の声が中心になるのは当然として、彼(女)らの内部にも実はさまざまな違いがあるのではないかと思うのです。僕の印象では、その多様性がうまく掬(すく)い上げられているようには見えません。
一例を挙げますと、去年の11月に、貴戸理恵さんが『不登校は終わらない―「選択」の物語から“当事者”の語りへ』という本を出されました。この本は、かつて学校に行かなくなり、現在は成人している若者たちへの社会学調査をまとめたものです。貴戸さん自身も不登校経験者です。インターネットではこの本のことがたいへん話題になり、また『朝日新聞』の書評でも取り上げられました。ところが、『Fonte』ではこの本のことを見かけることはありませんでした。
また、自分のことを言うのは恥ずかしいのですが、貴戸さんと僕は一緒に『不登校、選んだわけじゃないんだぜ! (よりみちパン!セ) (よりみちパン!セ)』という本を書きました。非常に傲慢な言い方になってしまうのは承知で書きますが、貴戸さんと僕はこの本で不登校を肯定する思想に新たな視点を提供しています。この本は代表理事の奥地圭子さんにも献本させていただき、またこのメーリングリストでも恥ずかしながら宣伝させていただきましたが、『Fonte』では取り上げてはいただけませんでした。
貴戸さんや僕の考えが奥地さんをはじめとして編集局の方々と一致したものではないということはわかっています。編集局の方からすれば、正しくないように見えているかもしれません。これは一朝一夕にして決着のつくことではないでしょうし、違いがあることは認めたいと思っています。
しかし、仮に貴戸さんや僕の意見がいかに間違ったものであるにせよ、本を読んでいただければ、少なくとも学校に行かないことを肯定したい、学校に行かなくても嫌な目に遭うことがない社会にしたい、という欲望が根底にあるということは理解していただけると思います。編集局の方々からすればあまりにも低レベルで誤ったことを言っているかもしれないけれど、貴戸さんも僕も不登校肯定という「同じ陣営」にいることだけは確かではないでしょうか?
僕は、貴戸さんや僕の本がいつか取り上げられるのではないかと思って『Fonte』が来るたびにドキドキしながらページを捲ってきました。しかしついにそれはありませんでした。紹介もなければ批判もなかった。そこで感じたのは、昔なつかしいある「におい」です。そう、あのシカトという嫌なにおい。まだ批判していただいた方が、こちらとしてもありがたかった。しかし完全に無視されてしまったことは正直こたえました。
これは一つの例です。学校に行かなくてもいいじゃないか、と思っている人は少数派です。しかしその少ない人々の中でも、様々な意見があるはずです。『Fonte』は、その多様な声の交差点であるというよりは、あらかじめ決められた「正解」を布教するための拡声器のように見えます。
たとえば、このごろ、文科省が「フリースクール」などの運動に近づこうとしています。これは果たして歓迎すべきことなのか? それとも警戒した方がいいのか? 僕も確信を持った「答え」はもっていません。だからこそ、いろいろな人の意見を知りたいと思います。不登校を肯定するという一点は共有した上で、しかしお互いに譲れないところは妥協しないで、活発な対話があってもいいのではないでしょうか。もちろん、「現場」におられる方はそのような話し合いを日々行っておられると思います。それを、紙面と言う公開の場で、間違ったことを掲載してしまうというリスクを引き受けた上で、行うことができないものでしょうか?
現在の体制だと、東京や大阪にいる「指導者」が「正しい」見解を教えることが目標になってしまっていると思います。しかし、そのような立場にある人々は、誰かから教え導かれて現在の思想に到(いた)ったのでしょうか? 奥地さんの本に特に詳しく書かれていますが、彼女自身、さまざまなとまどいや失敗を生き延びながら、自分自身の手で言葉を獲得し、場をつくってきた人です。その過程にはあらかじめ確定された「正解」などなかったはずです。
だとしたら、現在のようなワンパターンな紙面はどうかと思います。もっと色んな人の文章が読めないものでしょうか? 激しい論争があってもいいのではないでしょうか? 時には編集局や理事に批判的な意見が載ってもいいのではないでしょうか? もちろん、学校に行かないことを肯定するという一点は守った上で。そのような批判は決して理事の方たちを貶(おとし)めるものではなく、むしろ深い「度量」を示すものであると思います。僕は奥地さんは個人的に存じ上げていますが、彼女がそのような人間的深みをもっていることは知っているつもりです。
不遜ながら、もしお誘いいただければ、僕はエッセーでもインタビューでも座談会でも喜んでお引き受けします。現在ほとんど働けておらず、時間はありますので。
毎号ていねいに読めていたわけではないのに、思いつくままに書いてしまいました。僕が提案したようなことはすでに一部実現されていて、「釈迦に説法」だったかもしれませんね。そうであればどうか聞き流してください。なお、このメールは僕のブログにも掲載させていただきます。批判的な内容ではありますが、このようなものを積極的に出していくことが「私たちの陣営」(そうです、この文章は一人称で書きました)の豊かさを示し、少しでも風通しをよくしていくことになることを期待してのことですので、どうかお許しください。
p.s. 173号の要友紀子さんへのセックスワーカーについてのインタビュー記事、たいへん興味深く読みました。
http://d.hatena.ne.jp/toled/20050414#p1 と一部矛盾していることはくれぐれもご内密に。。。
Fonteホームページ
元登校拒否児
登校拒否に批判的な意見が読みたければ批判的な意見を持って
いるメディアを読めばいいのでは。斎藤環氏とか…。
自分は東京シューレも奥地圭子氏も大嫌いですが、何故「肯
定派」の団体の発行物で批判意見を読まなきゃいかんのですか
ね?
批判的な意見と肯定的な意見を両方読んで判断を下すのは
読者の権利であって、発行者の義務じゃないでしょう。
東京シューレが意見を押し付けてくるのなら、無視すれば
良いだけの話でしょう? 東京シューレの意見は発言力が大
きい? 世間の「登校拒否児はクズ」という意見の方がずっと
発言力大きいですよ。これ以上、身内からも批判されたいので
すか?(東京シューレを身内だなんて思いたくは無いですけど
ね)
貴方が「登校拒否児はダメ人間。登校拒否だった自分はダメ
な人間」と思うのは勝手ですが、「自分を批判してくれ」という
加虐趣味をさも登校拒否経験者全員が持っているように主張する
のは止めていただけませんか。
「自分自身で主張しているように無視すればいいだろう」と言わ
れれば、それまでですが。
元登校拒否児
>加虐趣味をさも
被虐趣味でした。やはり学校ロクに行ってないとダメです
ね(自虐
ついでに継ぎ足しますが、もし文部科学省等が
「やはり当事者の子供達と元登校拒否だった人々が「登校
拒否だった自分は肯定できない。登校拒否になどなるんじゃ
なかった」と言っている。このような不幸な人間を出さない為
にも、もっと登校刺激を与えて登校拒否の子供達を学校に復帰
させなねばならん」
とか言い出したら、責任とって下さいね。
toled
元登校拒否児さんコメント乙です! もしよろしかったら『不登校、選んだわけじゃないんだぜ!』お読みください。
アールグレイ
元登校拒否児さんに質問。
1 「『登校拒否に批判的な意見を、肯定派団体の発行物に載せろ』という主張を、toledさんが行った。」という解釈を元登校拒否児さんがなさった、ということでしょうか?
もしもそうだとしたら、エントリーのどの部分をどのように捉えてこの解釈に至ったのか教えてください。
2 「自分を批判してくれ」という被虐趣味 という表現がなされていますが、この場合の「批判という言葉」は、どういう意味で使われているのでしょうか? 教えてください。
「物事に検討を加えて、判定・評価すること」の意味でtoledさんはこの言葉を使用した(「非難」の意味で使用してはいない)と、私は解釈しています。
3 「元登校拒否児さんがtoledさんを批判するのはO.K。しかし、toledさんがこのエントリーのような批判をするのは不可。」と主張しておられるように、私には見受けられます。(「責任とってくださいね」という書き方から、私はそのように解釈しました。)
もしもそうだとしたら、「元登校拒否児さんだとよくて、toledさんだといけない」とする根拠は何でしょうか? 教えてください。
「このエントリーにおけるtoledさんの主張は、次のことである」というふうに、私は解釈しました(toledさんが登校拒否を否定していないというふうに、私は解釈しました)。
・ 学校へ行かないことを何らかの形で肯定する人々の内部にも、さまざまな違いがあると思う。
・ 貴戸さんもtoledさんも不登校肯定の立場を取っている。ただし、編集局の方々とは、考えが一致したものではない。
・ 『Fonte』には、編集局や理事に批判的な意見が載ってもいいと思う。もちろん、学校に行かないことを肯定するという点は守った上で。
ふやふや
「終わらない」読みましたよ。(思ったより読みにくくなかった)周辺で起きた色々なことに合点がいきました。
文章では表現しにくい考えが色々と浮かびました。
今度会ったとき色々話しましょう。って文も話も巧くない(だから美術で表現しているわけで)んで、会ったからってちゃんと伝えられるかわからないですが。
toled
>アールグレイさん
要約をどうもありがとうございます。僕も元登校拒否児さんの「読み」は僕の意図したこととズレがあるように感じました。ただ、そのような「解釈」の背後には、元登校拒否児さんなりの思想があるのかもしれないと思います。それがどのようなものなのか、話を聞いてみたい気がします。
toled
>ふやふやさん
話しましょう!!! そうですか、合点がいきましたか。僕は「騒動」になったことは想定外で、本を最初に読んだときには予想だにできなかったよ。。。
こっちに来られる際はMLにて告知してくださいね。
toled
2ちゃんねるのリンクからこのエントリーに来られた方、スレのURL貼ってもらえませんか? どこの板に曝されてるのか気になります。2ちゃんねる大好き!なので。
toled
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/hikky/1120530361/54-
ようやく見つかた! たくさんのレス、乙カレさまです。
櫻井のりこ
いっやーーー!!!
2ちゃんスレ、ようやっと1/4くらい読みましたが、すっっっごいっすねーーー♪ まさに乙カレさまで御座いますです。プリントアウトして盆休みにでもじっくり読みますわ。
ヒッキー&ニート「問題」には、当事者の辛さにもジェンダー臭が強すぎて個人的に参ってる面も強かったんですが、まぁ上山氏は著作も拝読しましたが、やはり“男ジェンダー”の権化/犠牲者という感想も私だけのものやなかったんですね〜〜〜☆
toiedさんには、また今度、仕事のスキを見てDMさせてもらいますですぅ♪
櫻井のりこ
さっきの投稿「toiodさん」になってました…(xx;)
toledさんやのに、、、失礼しましたm(x_x)m
カナ入力って哀しいわぁ…間違いもヘンで・・・
toled
プリントアウトってw
名前は適当に決めたものなので気にしないでください。
> 同じ一つの社会の中にあります。
そうそう、まさにその通りなんだよ。
ただ、それは以前ツネノが指摘したように、現代日本社会に適応して
生きる者にとって根本的に認めがたい事実だよね。
関係ない話だけど、日本の学歴主義って西欧のいくつかの国より
意外にゆるいと思うんだけど、どう?ポルトガルである写真家の
展示を見たとき、経歴に統一試験(フランスのバカロレアに相当)の
点数が書いてあったよ。もう一人の日本人(大卒)と二人で驚いたことがある。
これはけっこう同意できる記事でした。実はわたしも同じようなことを10代のころから考えていました。
いわゆるリベラルというのか、管理教育批判や子どもの権利啓蒙などをしている人たちが、「学校がこれほど本来の姿から逸脱しているために、登校拒否・不登校のようなカワイソウな例も出てくる」といわんばかりに人を宣伝に政治利用するのを許せないと思っていたことを思い出しました。
>「言語能力・社交性・文化の享受などを開発する機会」から疎外
>されることになるから不登校は問題である
見事な論理のすりかえですね。それではブルデューとイリイチの視点を援用してこう反論しましょうか。
もし学校にアクセスしない権利を子どもが行使した場合、「言語
能力・社交性・文化の享受などを開発する機会」から疎外される
ことになる。だから、学校が、「言語能力・社交性・文化
の享受などを開発する機会」を独占し、独学が肯定評価されることのない学校化社会は問題なのである。
なお、「開発」や「社交性」といった価値が神聖視され、希少化・必要化されることもまた、問題といえる。
多くの場合、学校批判、教育批判は「理想の学校・教育」に対する幻想と裏腹ですよね。「よりよい学校」「よりよい教育」を求めるのではなく、「教育<に対する>オルタナティブ」を求めるイリイチのような発想が必要だと思います。
ぱれいしあさんは佐々木賢さんの著作はお読みになっていますか? 僕は10代のころ彼の教育批判に触れて影響を受けました。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4938427311/qid=1123377221/sr=1-9/toled-22/249-7968110-4723568
>「よりよい学校」「よりよい教育」を求めるのではなく、「教育
><に対する>オルタナティブ」を求めるイリイチのような発想が
>必要だと思います。
そうなんですよ! alternative for schoolとかalternative to
schoolではない、alternative from school またはalternative beyoud schoolこそ、脱学校志向の人間にとって、あるいは学校による教育の独占をやめたいと願う社会にとって、「必要」なのです。(schoolはをeducationにおきかえることもできます。)
>ぱれいしあさんは佐々木賢さんの著作はお読みになっています
>か? 僕は10代のころ彼の教育批判に触れて影響を受けました
え? 10代のころの読書ですか?
ええ、もちろん佐々木さんは読んでいますよ。名古屋にいたころ、戸塚ヨットスクールを実質免罪する判決が出たときに、抗議集会の実行委員会をしていたときに、司会をお願いしようと電話でお話させてもらったこともあります。(結局ほかの人に決まったけど。)リアル世界では、一度、社会臨床学会という変わったところでもお会いしました。不思議な雰囲気の方ですね。