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2007-12-26

twitterから再利用

03:59 | twitterから再利用 - (元)登校拒否系 を含むブックマーク はてなブックマーク - twitterから再利用 - (元)登校拒否系 twitterから再利用 - (元)登校拒否系 のブックマークコメント

さっきサンタに会ったんだけど、今年はプレゼント配れなくて悪かったって皆に伝えといてって言われた。だから代表して、いいよいいよ気にするなよって言ってハグておいた。来年も気を使わなくていいよってちゃんと言っといたから安心して。

イオイオ 2007/12/30 21:02 オレはサンタからプレゼント、貰ったけど。
まわりに聞いたら、みんなも貰ったって……

toledtoled 2007/12/31 10:37 あ、それはゴン太ですね。サンタがああいう状態だということで、とにかく何かしたいという思いがあったようです。

>まわりに聞いたら、みんなも貰ったって……

みんな、気を使ってるんですねぇ。サンタも喜ぶでしょう。

イオイオ 2007/12/31 20:13 そういえば、髭がごま塩だったような。

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2007-12-25

博士号の売買をもっと楽しくしよう

13:20 | 博士号の売買をもっと楽しくしよう - (元)登校拒否系 を含むブックマーク はてなブックマーク - 博士号の売買をもっと楽しくしよう - (元)登校拒否系 博士号の売買をもっと楽しくしよう - (元)登校拒否系 のブックマークコメント

 けしからん!


医学博士号謝礼:国公立大、65%が調査・注意せず−−毎日新聞調査

http://mainichi.jp/hokkaido/shakai/news/20071225ddr041040003000c.html

 

 これはよくない!


 不透明です。払った方がいいのかどうかはっきりしません。ちゃんと空気読める人ならいいんですが、こういうことだと、非コミュのお医者さんは困ります。プンスカ!

 そこで提案です。

 これからは、オークション形式で学位を販売することにしましょう。

 まず、国が毎年の総量を決めて、各大学は入札して学位を仕入れる。その上で大学が個人に学位を販売する。大学のブランドによってこの際にプレミアが生じるので、名門は強気で大量に仕入れる。

 非コミュは地道に根回しするよりも、金でカタがつく方がありがたいです。博士号を狙うような医者は既に金持ちなので、何の問題もありません。

 ていうかこのシステムができると非コミュの医者は家でデイトレしてればいいのです。

 ただこれだと、国も大学もより多く学位を販売しようとするので、そのうちインフレになってエライことになります。うああ、上がった上がったと喜んでいても、ふと気がつくと価値がなくなっていて、紙切れ同然に暴落します。そうなったら巨額の投資をした博士号取得者が破産し始めます。しまいには、ヤフオクで500円もつかなくなるでしょう。

 そこで国が総量を引き締めます。

 なんてのはグローバライゼーションの時代には通用しません。国際的な協調行動が必要です。

 京都に主要国首脳を集めて、談合します。国ごとに学位発行件数の上限を決めるのです。

 その上限が余るような国は、枠を売るのもOKです。

 『ほえる犬は噛まない [DVD]』って韓国の映画は面白いです。

 ごめんなさい、オチは考えてないです。


ほえる犬は噛まない [DVD]

ほえる犬は噛まない [DVD]

松本松本 2007/12/25 13:56 学位取得で重要なのは金銭的代価だけではないでしょう。既存の枠組みに順応するために意味のない儀式を繰り返す忍耐力が計測されているのだと思います。入札制度では、この不毛の忍耐力(「努力」とか「根性」という言葉で置き換えてもいいかもしれません)が計量されません。そこで、ポスティングに参加するための最低条件の設定が必要かと思います。腕立て伏せを100回やったことの証明書とか、念仏を1万回唱えた実績とか。もちろんそれらの証明をオークションで購入することもできるかもしれませんけれど。

toledtoled 2007/12/29 22:13 あはは、それもいいですね。ただ、学位をオークション制にすることのメリットの一つがまさに忍耐が不要になるということだと思うのですが。。。

> 腕立て伏せを100回やったことの証明書とか、念仏を1万回唱えた実績とか。もちろんそれらの証明をオークションで購入することもできるかもしれませんけれど。

ああなるほど、それはいいですね。

そうやって学位自体だけではなくデリバティブが開発されていくともっと楽しくなりそうですね。

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2007-12-20

Twitter始めたじぇー!

06:37 | Twitter始めたじぇー! - (元)登校拒否系 を含むブックマーク はてなブックマーク - Twitter始めたじぇー! - (元)登校拒否系 Twitter始めたじぇー! - (元)登校拒否系 のブックマークコメント

https://twitter.com/toled


固有名詞だとは知りませんでした。

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2007-12-17

「私はペーパーナイフではない」――サルトルとリベラルの違い

22:00 | 「私はペーパーナイフではない」――サルトルとリベラルの違い - (元)登校拒否系 を含むブックマーク はてなブックマーク - 「私はペーパーナイフではない」――サルトルとリベラルの違い - (元)登校拒否系 「私はペーパーナイフではない」――サルトルとリベラルの違い - (元)登校拒否系 のブックマークコメント

 

 サルトルとリベラルの違い


 番号を選ぶ自由によって

 宝くじを民主化しようとするのがリベラル

 機会の平等によって不平等を永続化しようとするのが

 リベラル


 買ってもない宝くじの当選金を受け取りに行くのがサルトル


 選んだことだと

 言われても

 選んだ次の瞬間に

 選んだことを選ぶかどうかを

 もう選ぼうとしてるのがサルトル


 未来の結果によって

 現在を

 あらかじめ裁くのが

 リベラル


 都合の悪い結果が出たら

 とりあえず

 ちゃぶ台を ひっくり返すのが

 サルトル


 過去の原因が今を規定するのだとしても

 過去をも選びに行くのがサルトル


 未来のために

 今をあきらめなくてはならないとしても

 そうだということを選んでいるのは

 今なのだと知っているのが

 サルトル


 世界をバラバラの個人に分割して

 自己の半径3メートル以内の責任に

 投獄するのがリベラル


 責任が牢獄だとしても

 牢獄においてこそ

 よりいっそう自由を感じる ように

 なるのが

 サルトル


 ぶつ切りで支給された

 自己責任ではなく

 全世界に関して責任を引き受けるのが

 サルトル


 選ぶ自由を与えて自由を忘れさせようとする

 のがリベラル

 自由を礼賛しながら

 設計された自由によって

 自由の息の根をとめようとするのがリベラル


 ただただひたすら自由でしかなく

 だから二者択一の選択にも

 897849786763424543465434513.41532くらいの

 可能性があるのがサルトル


 全てのペーパーナイフが 人を殺すわけではない

 と言って

 ペーパーナイフ を

 擁護するのがリベラル


 私はペーパーナイフではないと

 言いながら

 ペーパーナイフが囚われた牢獄で

 ペーパーナイフのコスプレをしてるのがサルトル

 

 合理的選択を強制して人間をロボットにするのがリベラル

 

 たとえ

 ロボットだとしても

 人間のフリをして

 平然としているのが

 サルトル


 美しい怪物を発掘して陳列しようとするのがリベラル

 怪物を愛するために

 愛せない怪物を抹殺するのがリベラル

 美しくなろうとしない怪物に

 足を引っ張られているような気分でいるのがリベラル


 人間は怪物に滅ぼされるよりほかないと

 知っているのが

 サルトル


 鬼は人間に誤解されていると 言って

 やさしい鬼の見世物で

 蒙を啓くのが

 リベラル


 そんなやさしい鬼も

 心で牙を研ぎ続けていることを

 知っているのが

 サルトル


 だからサルトルは

 やさしい鬼をも恐れない

 やさしい鬼にも また

 次の瞬間には

 角を伸ばす自由が

 あるからだ


 だからサルトルは

 美しい鬼でさえも恐れない

 どこかに醜さの かけらが

 残っていると信じるからだ


 ロボットがいじめられていると

 なんだか

 動きが カクカクしてくる

 のがサルトル 


 ロボットは安全だと言いながら

 人間を一人や二人

 ころしたくらいの

 ささいなことで


 あんなのはロボットじゃない と


 言い出すのがリベラル


 そうやってロボットのために

 ロボットを殺すのがリベラル


 そうやって最後の

 ロボットが死んだ日には

 新たなロボットが発明されるに違いない


 だからサルトルは あらかじめロボットに なっておくのだ


 

  D


Dear Mr. President - Walk Hard in theaters December 21st

 2007/12/22 12:36 こんなんどうですか?
http://japan.cnet.com/blog/shingee/2007/12/22/entry_25003296/

toledtoled 2007/12/26 04:00 明日あたりに見てみますね。情報ありがとうございます。

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2007-12-13

プチ全体主義体験をした日

21:28 | プチ全体主義体験をした日 - (元)登校拒否系 を含むブックマーク はてなブックマーク - プチ全体主義体験をした日 - (元)登校拒否系 プチ全体主義体験をした日 - (元)登校拒否系 のブックマークコメント

 あ、オレオレ。え? やだなあ、オレだよオレ。ガキのころ毎年のように会ってたじゃん。最近どうよ景気の方は?

 え、忙しいの?

 あ! オレもだよ。なぁんだ、未だにシンクロしてんのな。

 でさあ、ちょっと聞いてよ。昨日さあ、パリパリニートのパリパリくんとさあ。

 え? パリパリくん覚えてないの?

 そう…。かもね。まぁ、パリパリくんもガキの頃は色々あったからなあ。

 でさあ、パリパリくんと遊びに行ったのよ。

 ヒマだったんでメールしたら、「カニカマ裂くのに忙しい」とかってよ。

 だから言ってやったのよ、「わかった! じゃあサキイカをボンドでくっつけに行こう!」ってさ。

 でその30分後に集合したわけ。じゃあこれから何しようかって話になってさ。だから、新宿まで歩いていってビデオカメラを買おうって提案したの。欲しかったから。

 そしたら「ありがとう」とかってさ。

 なわけねぇだろ!

 「でも行くところはもう決まってるから」って宣言してくるわけ。あり得なくない? 普通いきなり自分の都合を押し付けたりしないよ普通の人は。

 まあ普通の人じゃないからこれが普通なんだけど。

 で運転免許試験場に行ったわけ。

 パリパリくんが色々手続きしてるあいだヒマだったね。

 『ソラニン 1 (1) (ヤングサンデーコミックス)』読んじゃったよ。

 「ヤングサンデー」でやってる『おやすみプンプン 1 (1) (ヤングサンデーコミックス)』っていいよね〜。

 それがさあ、こないだ話が一段落ついてさあ。ええええ終わっちゃうのNO? あのな! 見捨てるのかよ!

 と悲しかったのに、次の週にはイキナリ新展開してて、それがまた面白いの。

 権力にハートを鷲づかみにされる瞬間だわ、こういうギャップって。

 で、案の定その翌週からは休載。

 マイ スタマック ズ スタンディングよもう。

 どうしてくれるのようもう。

 最前線の心理学でこういう研究があるの。山場CMムカつくでしょ。でさぁ、スゴイんだよ、こういう調査したの。あなたは、山場CMがムカつきますか? って。

 どんな結果が出たと思う? 知りたい?知りたい?知りたい?

 な、大丈夫だよもう。最初っから言うつもりなんだから。

 あのね、オレは必要のないことは言わない主義よ。だって、必要な情報を伝えたら、相手は次からオレの話を聞いてくれるようになるじゃん。そうなったら、逆に何言っても重宝されるようになるわけ。

 だからこの話も、大切だからしてるんだよ。山場CMね。そういうのって、不快ですか? ってアンケートやったの。

 したらさ。

 言うよ。結果、ムカつくって人が大半だったの。

 笑う! CMってスンゴイ金かかるんだよ。それが逆効果!

 ザマアミロだよね〜。墓穴掘ってんじゃん。しかも有料で。

 あ、オレはこう言う情報、ここで仕入れてるから。まあ、裏サイトってほどのものじゃないんだけどね。一応教えとく。

 でさあ、もうムシャクシャしちゃったから、『おやすみプンプン』と同じ浅野にいおの『ソラニン』全巻大人買いしちゃったわけ。

 オレ被害者だよね。

 そうこうしてるうちにパリパリくんの手続きも済んで、後は新しい免許を受け取るだけになったわけ。

 で、交付会場に移動したの。小学校の体育館を少し狭くした感じかな。まてよ、子どものころに見ていたものを大人になってから見ると小さく感じるじゃん? その分を補正すれば、同じくらいってことかも。

 そこに入った瞬間、超超超大音量のマイクでシャウトしてるおじさんがいるの。

 15人くらいずつ、まとめてホヤホヤの免許を交付するんだけど、全員の番号と名前よ読み上げるわけ。

 まあ、オレは普段から「超」を使いすぎてるから、80%引きくらいでイメージしちゃうかもしれないけど、違うんだよ。今回だけは、マジでうるさいの。

 でも、免許ができあがるのは10分おきくらいだから、まあいいかと思ったらさ。

 オッサン、止まんねんだよ。とにかく叫んでんの。しかもマイクで。あんたならマイクいらないよ。と思うんだけどマイクで。しかもそのマイクの音量が横綱級。

 あのね、音がね、耳から聞こえるっていうか、内側から聞こえる感じ。

 オレは思ったよ。ああ、心の声って、こういうことを言うんだ。今まで一種の比喩表現かと思ってたけど、違うんだ。文字通りなんだよ。

 とにかく、番号と名前を連呼する。あと、免許を受け取ったらそのICタグで本籍をどうちゃらするために機械にさらさないといけないんだけど、その説明を繰り返す。

 ICタグって、あの機械を買う口実のために導入したんだろうね、きっと。

 もう、聞いてるうちに笑いが止まらなくなってさあ。

 だっておっさんかわいいんだもん。すぐにキレるの。いっせいに名前を読み上げて取りに来させるんだけど、ぐずぐずしてる奴がいるとキレるの。

 そういう個人を叱ったりするのもマイクでさ。

 ごくたまに一息はつくんだ。そういう時は、横長の窓口なんだけど、その木の窓っつうか横長の扉みたいのをガーッと閉めるの。で、そういう時にオッサンがつまづいたり独り言を言ったりするんだけど、その音もしっかりと拾ってるんだよね、マイクが。

 と思ったらすぐに開けてまた「次にお呼びしたらすぐに〜」とかってやり始めるわけ。

 しまいには、「もうすぐお呼しますので、全員立ってください。はい、立ってください。立ってください」とかって言い出して、オレは立っちゃったよ。

 そういう時、パリパリくんは立たないのな。

 オレは思ったね。あ、これがジャパンなんだって。

 だからオレは決めたんだ。これを世界に伝えようって。現状では、ハリウッドの陰謀で日本の間違ったイメージが振りまかれてる。

 オレが、変える。

 この光景をドキュメンタリーにして、YouTubeで発信するんだ。

 だから、今年はこれでいいわ。


[asin:B000WZARL0:detail]

 え、ダメなの? じゃあいいよ、他にもあてがあるから。変わっちゃったね、サンタ。

 





大切な人にクリスマスプレゼントを贈りたい!*1


(え? どこに「クリスマスにプレゼントを贈りたいあの人への感謝の気持ち」が書いてあるのかって? あのね! パリパリくんには、これで伝わるような、そんな関係なの! プレゼントするの! あ! マンガへのリンクも貼っちゃったけど、とうぜん贈りたいのはカメラの方なの!)

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2007-12-11

反自由党は「ビラ配布→逮捕→有罪」を歓迎する——はてなとmixiと秋葉原グアンタナモ天国の比較自由論

| 08:55 | 反自由党は「ビラ配布→逮捕→有罪」を歓迎する——はてなとmixiと秋葉原グアンタナモ天国の比較自由論 - (元)登校拒否系 を含むブックマーク はてなブックマーク - 反自由党は「ビラ配布→逮捕→有罪」を歓迎する——はてなとmixiと秋葉原グアンタナモ天国の比較自由論 - (元)登校拒否系 反自由党は「ビラ配布→逮捕→有罪」を歓迎する——はてなとmixiと秋葉原グアンタナモ天国の比較自由論 - (元)登校拒否系 のブックマークコメント

[改題、大幅に加筆して37倍くらい面白さアップしました。13日早朝。]


 全ての人民の皆さん、こんばんは、お久しぶりです、こんばんは、そちらのあなたもこんばんは、あ、ハぁイこんばんは、おじさんおばさんこんばんは、はい、ありがとうございます、こんばんは、初めての方もこんばんは、あ、きんさんぎんさんもお見えですね、こんばんは。こちら、反自由党左派の左派の左派プロパガンダ開発局です。


 皆さん。

 

 「はてなダイアリー」というネットブログ日記落書きサイト提供会社をご存知ですか? 我が党の覆面シークレット潜入部員によると、どんな意見を書いても削除にならないそうです。ケシカラン!です。mixiなんか、ちょっとでもヤバイこと書いたら即アボーンです。っていうか、ヤバイこと書くような空気の読めない奴が友達であるというだけで気がついたらアカウント飛んでますですよ。だから空気の読めない奴なんかと友達にはなれないんですよ。だからいつもお互いに監視し合って支えあってるんですよ。変なこと書いてる友達がいたら即メッセですよ。「あのね、友達だから言うんだけど」って、いつもそんなことしてるんですよ。そうやって、僕らは必死で明るいコミュニティを築いてるんですよ。それがなんです! はてなって! こっちがはてなですよ。困るんでちシよ。いいかげんにしてくださいですよ。今ちょっと噛んだですよ。陰謀ですよ。自由闊達ですよ。どれだけ可能性に開かれているんですよと。

 そんな心のウサを晴らしてくれるような気分爽快判決が出ました。やっぱり、我が国の司法制度って、いいですねえ。上へ上へと行くほど良くなります。進歩です。今晩は*1、万国全国津々浦々八百八町分倍河原、全ての人民がインターナショナルを合唱しながら勝利の美酒に酔っていま。え? 自分は歌なんか歌ってないって? まあまあまあまあ、あなたも今日から全ての人民になってくださいよ。だってホラ、ねえ、ご覧なさい。

共産党ビラ配り、僧侶に逆転有罪


http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/071211/trl0712111536004-n1.htm

 ここで問題になっているのは無色透明の観念的な「表現の自由」などではありません。攻撃されているのはあくまでも「共産党が表現する自由」です。言い換えれば、普遍的な「表現の自由」から除外されるべき「例外」の線引きをめぐる争いが行われているのです。

 もちろん、判決には「共産党、ウザイぞ! こっち来んな!」などとは書かれていません。判決のポイントを、t-ohyaさんは次のようにまとめています。

 判旨も各紙で報道されているが、要するにすでに述べた通り[ビラを配布した]被告側の法律的な主張は(原審同様)すべて退けられており、ただ住民の意思が明確に表示されているにもかかわらずそれに反する立ち入りをした場合には住居侵入にあたるという規範に関して原審は本件では住民意思の表明が十分とは言えないとしたのに対し、控訴審はその点の事実認定を覆したということであろう。


http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/000482.html

 当該マンションの管理組合理事会は、部外者の立ち入りや区の公報以外のビラ配布を禁止していました。それを知りながら件のお坊さんは共産党のビラを入れに行ったわけだから住居侵入罪が成立している、と判決は主張しています。

 まるでここには共産党に対するピンポイントの悪意はないかのようです。これがオモテの掟と手続きです。しかし、これが共産党の政治活動に対する弾圧であるということは、共産党に限らず警察も、裁判所も、マスコミも、我々一般読者も、全員が知っていることです。

 ここには、一種の「いじめ」と似た構造があります。我々が普段「いじめ」を行うとき、気に食わない人間の人格を直接否定するということはしません。そうではなくて、あくまでも校則や子どもとしての一般的な仁義からのささいな逸脱を見つけ出し、それを告発するという形態を取ります。校則と仁義は元々両立していませんから、誰もが何らかの形で逸脱しています。そもそも、逸脱一般を許さないとしたら学校は維持不能に陥ります。たとえ一般的な規範に違反したという「正当な」理由でなされる「いじめ」であっても、そこに恣意的な悪意が含まれていることは、「いじめっ子」も、「いじめられっ子」も、「傍観者」も、誰もが了解しています。共同体の規範を傷つけられた「被害者」が違反者を糾弾するという外観を保ちながら、恣意的にターゲットとされた「いじめられっ子」を攻撃する。——この、「加害」と「被害」の倒錯にこそ「いじめ」の享楽があります。そしてだからこそ、恣意的な悪意を知りつつ「いじめられっ子」の逸脱自体は重大なものであるか、「いじめっ子」による制裁は適切なものであるかといったことについて「客観的に」思案していると想定される「傍観者」の役割が重大なのです。この「傍観者」を想定することによって、具体的な対象に対する個別的な悪意と攻撃は、あたかも一般的な規範の自動的な適用であるかのように偽装されます。しかしそれが偽装であることは誰もが理解しているのです。そしてもし「いじめっ子」による制裁が行き過ぎであると「傍観者」が感じると想定されようものなら、我々はその瞬間に新鮮なターゲットを獲得します。*2

 特定の対象に対する悪意が全員に了解されていながら、不偏不党、公平中立な外観が維持されます。このようなカラクリを可能にするのが、(日常)空間のグアンタナモ化とでも呼ぶべき事態です。

 キューバのグアンタナモ米軍基地には、アルカイダとの関わりを疑われた数百人の人々が収容されています。彼らの多くは、裁判にかけられる予定もなく「無期限に収容」されています。また拷問が行われているという報告もあります。このようなことは、通常の法の枠内では正当化することが困難です。というわけで、アメリカではこのような収容が行われていいのかということが論争になっています。ジジェクによれば、ある討論番組で、次のような収容擁護論があったそうです。*3いわく、「彼ら(囚人)は爆弾が当たらなかった者たちである」。つまり、彼らは米軍の正当な軍事活動の対象であったにもかかわらず偶然に生きのびたのだから、彼らを収容することに問題はない。どんな状態であるにせよ、死ぬよりはマシなはずだ。彼らは死ぬはずの者たちであったのだから、彼らには何をしても許される、というわけです。

 これは遠い国のテロリストだけの話でしょうか? 街を歩けば、そうではないことに3分で気づきます。いたるところにある掲示板・看板・スピーカーが、「お前はもう、死んでいる」と我々に告げています。

 とよちゃんと共に、何をするでもなくプラプラ歩いていた時のことです。ふと気がつくと、秋葉原の歩行者天国に来ていました。かなりの数の人々がいました。数十メートルおきにコスプレをした人が路上ライブなどをしていて、それをカメラを持って取り囲む人々の輪ができていました。僕はあまりこのような様子を直に見たことがなかったので、とても新鮮な気分になったことを覚えています。とは言え、個々のパフォーマンス自体にはあまり興味をそそられなかった僕たちは、そのまま特に足を止めることもなく歩いていきました。しかし、立ち止まらずにはいられないほど不可解なものを見つけてしまいました。

 警察による立て看板です。

f:id:toled:20040820022749j:image


歩行者天国内での路上ライブ物品の販売等人寄せ行為は禁止されております。

気づいてみると、この看板はたくさん置かれていました。

 僕は、もう革命が始まっているのかと思って慄然としました。警察によって明確に禁止されていることを、これほどにも多くの人々が公然と行っているのです。ついに秋葉原は過激派によって占拠され、国家権力は解体されてしまったのでしょうか? 警察官らしき人々も歩いているのですが、あれも新手のコスプレなのでしょうか?

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 そのような疑問を抱いていた僕にとって、シロクマさんによる「「想像力の欠如した」路上パフォーマーが、秋葉原の歩行者天国を危機に晒す」というエントリーは、興味深いものでした。「憶測に過ぎない」という断りをつけつつ、シロクマさんは次のように書かれています。

 ……そもそも、秋葉原の歩行者天国で見世物を行うことが禁じられている事ぐらいは、殆どのパフォーマーの人達も知っている筈なのだ。事実、ゲリラライブを試みる人達などは、警察官が来ると速やかに解散・退散する。とは言っても、警察官が来るまでは「ちょっとぐらい出来ちゃう」ことをいいことに、パフォーマンスを実行しているわけだ。また、女の子が一人でコスプレして写真を撮られるぐらいであれば、大きな問題に発展することも少ない。

 ……この辺りは、とりわけ最前線でオタクパフォーマー達に注意を促しているような警察官の方は、案外、実情を把握したうえで致命的な禁止措置をとらずにいてくれているんじゃないか、と私は推測している。建前としては、歩行者天国でのパフォーマンスは禁止なわけが、公序良俗や秩序維持に大幅に反したり、誰かが迷惑として申し出てこない限り、致命的な禁止措置をとるよりは現在の多少ルーズな措置のままのほうが皆が幸せでいられる事を、彼らは分かっているんじゃないだろうか。また、苦情の申し出などがない限りは、「これは秩序の敵だ」という判断も警察としては難しい以上、あまり厳格な対応をすべきでないと心得ている筈だ。だから、パフォーマンスに警察官が遭遇したら注意して解散させるにしても、(かつての原宿ホコ天がそうなったような)致命的禁止措置を繰り出すには至っていないんじゃないだろうか。

 ガッテン、ガッテン、ガッテン、ガッテン! 納得しました。

 つまり、「ウェルカム トゥ ザ・パラダイス オブ グアンタナモ!」ということです。

 歩行者天国のパフォーマーたちは、あらかじめ「お前はもう、死んでいる」という宣告を受けているのです。ああ、だから「天国」なのか。

 パフォーマンスは原則として禁止されつつ同時に黙認されている。だから、いつ警察から弾圧されようとも、文句を言えた分際ではないわけです。なぜならば最初から死んでいたからです。あらかじめ死んでいる者を殺しても罪にはなりません。同様に、警察がいつ特定のパフォーマーを逮捕しても、全面的な弾圧に乗り出そうと、そこには一片の不当性もないのです。

 空間のグアンタナモ化が進行しているのは、盛り場に限ったことではありません。神田・御茶ノ水の街を見下ろす、巨大なタワービルをご覧になったことはありますか? これが自由の塔です。

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Liberty Tower: 明治大学創立120周年記念館)

 リベラリズムの自由とは、領域の中の自由のことです。それを防衛するために、リベラルは領域外にある者と戦います。というのは不正確な言い方かもしれません。規格外の者たちを「外部」に排泄することによって初めて内と外の境界が確立されるからです。

 ともあれ、このリベラリズムの暗黙の伝統を、わざわざ看板にして明示してくれているのが明治大学です。

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(下の写真の掲示には、「当大学の方針に基づき、当大学学生ではない下記の者の入構は認めません。/入構した場合は必要な法的措置を講じます」と書かれており、その下には数人の個人名が列挙されています。)

大学のキャンパスを散歩して回ると、明治大学は決して例外ではないことに気づきます。門前で、構内のいたるところで、「お前はもう、死んでいる」という宣告のメロディが鳴り響いています。

 そして共産党の僧侶がビラを入れようとしたマンションも、グアンタナモ系列でした。産経新聞によれば、

 マンション住民の意思表示としては、マンションの玄関ホールの張り紙があった。張り紙には「チラシ・パンフレット等広告の投函(とうかん)は固く禁じます」「当マンションの敷地内に立ち入り、パンフレットの投函、物品販売などを行うことは厳禁です」と記してあった。


http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/071211/trl0712112035008-n1.htm

 ここで、さっきの「いじめ」の話を思い出しながら、我々の「知」の二重構造を確認しておきましょう。言うまでもなく、ビラを入れた人が皆ターイホされているわけではありません。っていうかこのマンションにビラを入れて逮捕されたのは共産党のお坊さんだけでしょう。これが思想弾圧であることは誰の目にも明らかです。そのことは、全員が了解しています。しかし一方で、形式的には、特定の思想に対する規制がなされたわけではなく、あくまでも住民の私的領域の侵害の禁止という一般的な規則が適用されただけです。そのような二重性を可能にしているのが、空間のグアンタナモ化という事態でした。*4

 だから、ただ「表現の自由が奪われている」などと批判してみても、ノレンに腕押しすることになります。特定の思想に対する悪意は、始めから織り込み済みなのです。それは暴露されるまでもありません。

 ではどのような批判がなされるべきか?

 革命的非モテ同盟のfurukatsuさんをご覧になった方いらっしゃいますか? いつもヘルメットにサングラス、マスクというコスプレでしょ? あれは何のためだかわかりますか? 実はfurukatsuさん、めっちゃイケメンなんですよ。革命的非モテの方限定の情報でので、他の人には絶対に言わないでください。素顔を見たら、まず間違いなく心の中でドラクエのレベルアップのメロディが止まらなくなるんですよ。嘘だと思ったら、furukatsuさんのブログを訪れてみてください。まあなんというか、本当にかわいそうかわいそうかわいそうと言う他のない人々が、必死で足を引っ張ろうとしてますよ。それが証拠です。

 ではなぜfurukatsuさんは美しい顔を覆うのか?

 革命家だからです。

 スパルタカスの反乱を思い出してください。奴隷反乱が鎮圧された後、数百の捕虜が集められます。ローマ軍の兵士が尋ねます。スパルタカス(=指導者)はどこだ、と。

D


お前たちのご主人様で、イタリア司令官であられるマーカス・リシニアス・クローサス様よりのメッセージだ。慈悲深き閣下から、お前たちの命は助けるようにとのご命令だ。お前たちは奴隷であったし、これからもそうあり続ける。だが、恐ろしい絞首刑は免除された。お前たちが、スパルタカスという奴隷の死体か生ける姿を特定するということが唯一の条件だ。*5



(……ざわざわ……ざわ…)


アイム スパルタカス!

アイ アム スパルタカス!

アイム スパルタカス!

アイム スパルタカス!

アイム スパルタカス!

アイム スパルタカス!

アイム テラ豚丼!

アイム テラ豚丼!

 ・

 ・

 ・


 

 つまり、そこにいる全員が革命家だったのです。*6

 革命家はなぜテラ豚丼を名乗らずにはいられないのでしょうか? 言わずもがなのことを、『ザ・コンテンダー』においてジョーン・アレンが親切にも説明してくれました。

 現職副大統領の死をきっかけに始まるドロドロとした抗争を描いた映画です。事件を受けて、大統領は女性を新しい副大統領候補に指名します。ただし、新しく副大統領を任命するためには、上院の承認が必要です。その審査において、政敵たちが女性候補への誹謗中傷を行い、妨害しようとします。しだいに彼女への攻撃はエスカレートしていき、学生時代の「スキャンダル」の疑惑がもちあがります。乱交パーティーに参加していたというのです。男性ならば勲章になるようなことが攻撃材料となるという、絵に描いたようなダブルスタンダードです。

 さて、上院での聴聞会でこの「疑惑」について詰め寄られた副大統領候補は、回答を拒絶します。それは疑惑の火に油を注ぐことになり、彼女はピンチに陥ります。で、そのあと色々とありまして。ええ、まあ映画ですので。結局はハッピーエンドです。彼女は勝利して副大統領に就任します。そのあとです。ホワイトハウスの庭で二人っきりなると、大統領は彼女に尋ねます。ぶっちゃけ、本当のところはどうだったのよと。ここで彼女は、乱交パーティに参加したことを初めて否定します。「ではなぜ聴聞会で否定しなかったのか」と迫る大統領に、彼女が答えていわく、

そうすることは、彼ら(政敵)があんな質問をしたことを正当化してしまうから。

 彼女は、疑惑を否定することが自分の利益になるとわかっていながら、上院での答弁を拒絶ました。なぜならば、そんなことを「疑惑」にすることがそもそも間違っているからです。乱交パーティーが事実であるかどうかではなく、そんなことを攻撃材料にすること自体を彼女は拒否したのです。*7

ザ・コンテンダー [DVD]

ザ・コンテンダー [DVD]

 今や、抽象的・一般的な「表現の自由」は存在しません。ただ共産党の主張を叫ぶ者だけが自由です。あなたは、さっそく地区細胞に入党申込書をファックスしたでしょうか? 現在、共産党員は30万人くらいです。たぶん。今週末の時点で、それは何人に増えているでしょうか? その人数だけが日本国憲法への忠誠を誓っているのであり、それ以外の者は裏切り者に他なりません。共産党員以外の全員に、まとめて破防法を適用すべきです。今日、全ての自由主義者が共産党員になりました。なぜならば、ことここに及んで共産党員を名乗らない者は、市民的自由の敵に他ならないからです。明治大学は、来週になっても共産党員を名乗っていない者をリストアップして、Liberty Towerの門前にある「下記の者の入構は認めません」という掲示にその全員を加えることでしょう。

 ではなぜ、私たち反自由党は今回の判決を歓迎することを全員一致の圧倒的多数で決議したのか?*8 

 ビラは、弾圧されることに意義があります。ビラが弾圧されないような社会の前衛党は、まずそのことを恥じます。他の全てのことを投げ出して、ビラを撒く自由のない明るい社会を実現することに全ての活動を集中させます。

 そもそも、ビラを渡して共感してもらえると思ったら大間違いです。一枚の文章で思想信条を変えてもらえると思うとしたら、それほど読者をコケにした話はありません。

 革命家は逆に、共感されることをこそ恐れます。共感されるようなヌルい文章を書いてしまった担当者には謹慎処分が必要です。

 desdelさんがこう書かれています。

 ……集会は何のために行なわれるのか。苦笑をもって受け止められるかもしれないが、あるいは、何を言われているか解らぬかもしれないが、意志統一のために行なわれるのだ。空気入れのために、気合い入れのために行なわれるのだ。もっとハッキリ言う。特定の日時と場所に何を措いても結集する同志たちを確認して連帯を強化するために行なわれるのだ。

 ……私は、MLの「転送歓迎」を基本的に無視してきた。自分が行かない(行けない?)のに、他人に行けと進めるのは無責任ではないか。知らせてやれば行く人がいるかもしれない? 自分で調べておけと言いたくなるが、知らされたおかげで行くことになる人がいるとしよう。強調しておくが、それでは〈内輪〉の動員にしかなっていないのである。運動は、〈他者〉に対して〈他者〉のために為されるべきだと習わなかったか。MLのどこに〈他者〉がいるのか。刺激的に言っておくが、いまやMLは反動的な役割を果たしている。

 ……先日、ある労組員(若い人だった)がハンドマイクを使って街頭宣伝をしていた。今時珍しいことだと感心して聞いていると、“お騒がせして済みませんが・・・この場を少し借りて・・・お忙しいところ申し訳ありませんが・・・”と言い訳めいたことしか話さず、暫く待っても、何を訴えたいのかその内容については終に一言も話さなかった。呆れた。そもそもハンドマイクは、その可聴域を通行人が通過する数十秒の間に、訴えの核心を叩き込んで繰り返すためのツールである。数十秒ですべてを外部注入しなければならないのだ(いまでは、その使用法を伝承しているのは警察だけだ)。それができないなら、連呼する政党選挙カーと同じ騒音にすぎないのだから、やらない方がマシに決まっている。騒音条例や共謀罪に反対する資格などない。事ほど左様に、人は〈他者〉に怯えている。


http://d.hatena.ne.jp/desdel/20071030

 かなり良い線を行っています。このオレ様文体を見習いたいです。でも、おしいです。運動は、決して「〈他者〉のために」やるものではないからです。

 運動は、他者を撲滅するためにやるのです。ビラは宣戦布告です。ケンカを売っておきながら、でもそれがあなたのためなんですよ、うふん、なんて、それほど他者に失礼なことはありません。

 以下は、神戸高塚高校での校門圧殺事件に際してDPクラブが撒いたビラの抜粋です。

次はオマエの番だ!!

石田遼子さんの死をムダにするオマエたち。


 校門が猛烈な勢いで

閉まってると分かっていながら

たかがテストのために突進していく。

そこまでロボット化したオマエたち。

オマエらを気付かないうちにそこまで追いやってるのは誰だ?


 友達を殺した教師を、今までどおり

「センセイ」と呼びつづけるオマエらが

石田さんを死に追いやったんだ。

オマエも、殺人を生み出す学校の

しくみを支えている一人なんだ。


今、またオマエが校門に挟まれて

耳から血を出して死んだら、お前

の友達はオマエの死体の上を

飛びこえて登校し、何もなかった

ように平然と授業を受ける

だろう


石田さんが殺されて、本当に怒って

いるのならTVのインタビューで顔と

声かくして文句たれてるだけじゃ

なくもっと他にやることがあるん

じゃないか。ボーッとしていると

自由はドンドン奪われる。

戦わない奴は、自由を

奪われて当然だ。


みんなでうたおう

※今週の朝礼でうたうことになっています。

おぼえておいてください。 (←ウソ。当り前か)


2. ゲゲゲの校門

ゲ、ゲ、校門でゲッ!

倒れた上からピョン、ピョン、ピョン

そら急げ そら急げ

 試験の時間だぞー

怒りも涙もない。


「オレは

 無実だ〜〜」

 (校門 談)


撒くに値するビラとは、こういうものです。

 こんなビラを撒く人は、心臓に毛の生えたような超人なのか? 違います。外山恒一いわく、

 ぼくはちょうど東京に遊びにきていたので、沢村、中村とともに、ヒッチハイクで神戸へ向かった。

 7月16日(月)の朝8時前、ぼくらは事件の起こったその現場に立った。すでに約10日が経過してしていたが、事件の衝撃は大きすぎて、つい2、3日前のでぎごとのように思える。

 ぼくは、到着したとたんに、足がガクガク震え、胸の鼓動が激しくなるのを感じた。

 ぼくらの作成した生徒向けビラ約百枚の内容は、起ち上がらない生徒を口汚く罵倒するような、度を越して不謹慎なものだったからだ。


[強調は引用者]

http://www.warewaredan.com/contents/b89-3.html

 対立している政治勢力がある時に、その対立がどのように展開すべきかという一般的なルールはありません。共存できてしまうとしたらそれはニセの対立なのだし、対立しているのであればその対立がどのように対立していくべきであるかということについてそもそも対立しているのです。あるいは、共存もまた一つの対立の形式です。

 本来であれば平和で調和のとれた秩序があるべきなのに、現在の政府のせいでそれが貶められているなどと考えてはいけません。逆です。本来ならばガチンコで敵対しているべきなのに、「自由を保証する」ブルジョア法によってそれが曖昧にされているのです。

 ブルジョアジーにはブルジョアジーの、プロレタリアートにはプロレタリアートの流儀があります。両者の利害は裁判所のような「第三者」によって仲裁されることは決してありません。革命的プロレタリアートは、ブルジョア法に無関心です。そうすることが都合よければ合法的に振る舞うし、そうすることが都合よければ違法・反法に振る舞います。

 今回の判決で自由が奪われてしまうなんてことはありません。逆です。むしろノーマルな状態が回復されつつあるのです。

 ブルジョア法によって「自由」が保証されるとしたら、そっちの方が異常事態です。

 我々は、戦争をしているのです。どっちかが敗北するまでは終わりません。

 だから、ビラを撒く平和な活動が不当にも暴力として裁かれたなどと驚いている場合ではありません。ビラは、そもそも暴力です。それを恐れたブルジョアジーが、ビラ撒きなどの表現活動を合法化することによってビラ撒きという暴力の牙を抜いてしまったのです。暴力の無痛化です。つまり、「表現の自由」とは、プロレタリアートの暴力に対してブルジョアジーが送り込んだ刺客だったのです。

 今回の判決により、再び好機が訪れました。やっと、共産党の凡庸なビラでもただ撒くだけで暴力になるようになったのです。そのうち、ビラを撒いていたら国家が消滅していた、なんてことになりそうです。

 再び、外山恒一を参照しましょう。

他の二人については知らないが、ぼくがこんな「不謹慎」なビラを作った理由は、前述したような、生徒に対する憤りを表現するとともに、この異常な状況の中で何とか保たれている高塚高校の「秩序」を—挙に粉砕して、混乱を生み出し、生徒を怒らせて本音を吐かせるためだ。

 後で聞いた話、神戸の市民団体がぼくらより2日早く、事件についての緊急集会の案内ビラを同じ校門前で生徒に配布したが、何の反応もなかったという。

 ──勇気をふりしぼって、ぼくら3人は、登校中の生徒にビラを渡しはじめた。

 「笑いながら読んでる奴がいるよ」

 沢村が複雑な表情でぼくに云った。

 テレビ局が2社ほど朝から取材に来ていて、そのうち1社のテレビカメラが、中村に近づいてインタビューを始める。

 ──ビラ配りを始めて、15分くらい経過したころだろうか、中村は少なくなったビラを補充し、ぼくはテレビカメラを向けられているうちに、ダダダと足音が聞こえ、振り返ると3、40人の生徒がビラ配り中の沢村のところへ集団で押し寄せ、

 「なんなんですか、このビラ──」

 「バカにしてるんですか?」

 と口々に抗議の声をあげている。

 呆れた話ではあるが、沢村と中村は、生徒が怒って出てくるという事態は予測しておらず、もっぱら教師に制止される事態を心配していたらしい。沢村は生徒に詰め寄られて、何も云えずオロオロしている。

 女生徒の一人が、沢村の目の前でビラをビリリと破り捨てる。

 ぼくはそこへ割って入った。そして、生徒らに向けて大声で訊いた。

 「あんたがたは、ぼくらのビラに対して怒っているのか、それとも石田さんを死なせた学校に対して怒っているのか、どっちなんだ?」

 ここで、じつはぼくのヨミも甘かったのだということを正直に告白しておこう。ぼくは、あらかじめ事態を予測して用意しておいたこの問いで、生徒らに自分らのバカさ加減に気づかせ、場の流れを変えることができると考えていた。しかし、ぼくの「期待」は、一人の女生徒の言葉によって、あっさりと裏切られた。

 「なんでアタシらが学校に対して怒らなあかんの?」

 ぼくは愕然として言葉を失った。

 学校の管理主義によって友人が殺された、という認識がまるでないのだ。今回の事件が、ほんとうに「単なる事故」としてしか、彼女らにはとらえられていない……。

 次の瞬間、さらに恐ろしい光景が目の前で展開された。

 一人の教師が慌てて中から出てきて、必死で生徒らをなだめ、校門の中へ何とか彼女らを押し入れた。

 なんという絶望的な構図あろうか。

 生徒が一人、実質的に学校によって殺されるという事件が起きていながら、生徒が学校を守り、また教師がその生徒たちを守る。

 ぼくは夢中で叫んだ。

 「そういうオマエらが石田さんを殺したんだ!」

 また生徒の群れの中から怒りの声がいくつか上がったがよく聞き取れない。

 沢村が続けて叫ぶ。

 「そんなふうに学校を守って、オマエら楽しいか?」

 すると生徒の中から、「帰れ!」との声が上がった。その声はたちまちのうちに群れの中に広がって、「帰れコール」になる。

 中村の、

 「オマエら、何も学校に不満ないのかよ」

 という声が空しかった。

 校舎の窓から顔を出した男子生徒が、

 「楽しい学校や!」

 と叫んだ。

 ぼくらはしばらく呆然と校舎を見上げて立ち尽くした。

 http://www.warewaredan.com/contents/b89-3.html

 これが、暴力と暴力の衝突です。反発されないようなビラなんか書いたって虚しいだけです。弾圧されないような路上パフォーマーは、もっと芸を磨きましょう。

 ビラは暴力です。一番怖いのは、スルーされることです。*9なのに、東京高裁は、マジレスを返してきたのです。ありがたいことです。もはや全面戦争です。ブルジョア憲法が断末魔の叫びを上げています。

 ここまで書いたところで、IRさんからいただいた以下のコメントを読みました。

わたしは、あなたの言う「合理的思考」に基づいて、いま、自分の「やりたいこと」から距離をおいて、働いています。その方が、いろいろな意味で「賢明」だと思ったからです。


そう、あなたの言う通り、その賢明さは、「負ける」ということなのかもしれません。


でも、まだ負けきってはいない、つもりです。


勝てる見込みはまだ立っていないけれど。


もう少しお金をためて、もう一度カムバックしたいところがあります。


そんな迂回も、結局は、合理的思考や賢明さにがんじがらめされて、負けにむかって退却戦を演じるだけに終わるかもしれません。


でも、心にはいつも「テラ豚丼」を隠しつつ、そしてそれを手放さず、もうちっとがんばります。


http://d.hatena.ne.jp/toled/20071210#c1197391595

 僕はこれを読んで男泣きに泣きました。これまで嘘ばっかり書いてきたけど、これだけは事実です。ごめんなさい、「男泣き」というのは嘘です。でも本当に15分ほど涙が出ました。いや、ホントだってば。

 なぜならば、僕自身が二十四時間の全ての一瞬に思っている思いでありながら、けれども書けなかったことが書かれていたからです。

 僕は、叩かれるようなことをしたら叩かれて当り前と言いながらテラ豚丼を叩くような人を軽蔑します。アキバ歩行者天国のパフォーマンスが「過激」化すると警察が本格的な弾圧を行ってオタク文化圏全体が被害を受けるということを想像しろ、などと、頼まれたわけでもないのに警察の下請け恫喝を飛ばしながら、「私が不快に感じるからやめてくれ」と言うことができないシロクマさんの臆病を憎みます。

 しかしではなぜ、僕は「アイ アム スパルタカス」とmixiに書かなかったのでしょうか? なぜ吉野家の本社に電凸しなかったのでしょうか? 全て私がやりましたと。真実のレベルにおいては、私以外にテラ丼はいないはずなのに。なぜアキバに行ってフルチンで歩かないのでしょうか? なぜ僕は、常にクエスチョンマークがついていて、だから何を書いても許されるような「はてな」で書いているのでしょうか?

 なぜか?

 もちろん待っているのです。「適時」が来るのを。

 いつか、僕も、僕にとってのテラ丼を作るはずです。そうでないとしたら、いったいぜんたい、何のために生まれてきたのでしょうか? 

 けれども、まだ時期が来ていない。まだ、足場もできていないのです。泥の上に杭を突き立てて、それに飛び乗ろうなんて、無茶です。

 けれども、いつか。いつか、いつかが今になるはずです。

 いつか、誰もがテラ丼になる日が来ます。きっと来ます。その日には、僕も晴れて僕なりのテラ丼を作るのでしょう。ずっとやりたかったことをするのでしょう。イヤだイヤだと思ってきたことから逃げ出すのでしょう。その時に、僕は真の自己を実現するのです。

 もはや誰も彼もがテラ丼を作ってるのだから、テラ丼を作ったって全然平気です。万が一、「おい、ここにテラ丼を作ってる奴がいるぞ!」なんて告発されても、「いや、私もさっき作ったとこですが」「っていうか、そんなのテラ丼じゃないし」「え? レシピレシピレシP〜!」という人々がワラワラワラと沸いてきて、別の意味で収集がつかなくなってしまいそうです。

 そうなったら、僕らは、一人目のテラ丼を、迷いなく敬い誇ることができるでしょう。銅像を建てるかもしれません。そして、息子に英雄物語を語るのです。

 その日が来ます。そして、そのハッピーエンドをパーにしてしまわないためにこそ、今日はテラ丼を作ってはいけないのです。

 このブログは、その未来のためにあります。ささやかなテラ丼気分をリスクフリーで味わって仮の満足を得て、今すぐにでも本当にテラ丼を作ってしまいかねない自分を縛るために。先走って犬死にしないために。未来で現在を縛ることができる者のみが、果実を味わうことができます。いつの日にか。それは確実だし、確信しています。確実なものは確実なのだから確実です。

 だから僕は待っています。

 けれども、けれどもけれどもけれどもけれどもけれどもけれどもけれども。

 けれども革命は、いったい、どこで行われているのでしょう?

 革命は、いったい、どこで行われているのでしょう。すくなくとも、私たちの身のまわりに於いては、古い道徳はやっぱりそのまま、みじんも変わらず、私たちの行く手をさえぎっています。海の表面の波は何やら騒いでいても、その底の海水は、革命どころか、みじろぎもせず、狸寝入りで寝そべっているんですもの。

 けれども私は、これまでの第一回戦では、古い道徳をわずかながら押しのけ得たと思っています。そうして、こんどは、生まれる子と共に、第二回戦、第三回戦をたたかうつもりでいるのです。(太宰治・斜陽より)

 ここで言う革命とは、真の意味での「人間的」な革命のことである。ここでのかず子(斜陽の主人公)の言葉は、いまの僕の心境にぴったりとあてはまる。僕の革命は、……(略)……することから始まった。さまざまの悩みや葛藤を経て、現在は……(略)……することが、僕の、古い道徳(価値観)に対するたたかいである。革命や、その闘争の形式は、人によってそれぞれのやりかたがあると思うし、また、いろんなやりかたがなければいけないと思う。たとえば、所謂「暴走族」にとっては、オートバイに乗って突っ走ることが革命であり、闘争の形式だと思う。また、所謂不良中学生にとっては、教師に暴力をふるうことが革命であり、闘争の形式なのだろう。そして、学校や社会と自分、その葛藤に悩み苦しんで自殺していった少年たちにとっては、自殺が革命である、そして最後の闘争の形式であったのだろう。

 僕は、暴走族を負け犬の遠吠えとののしり、不良中学生を落ちこぼれとさげすみ、自殺した少年たちを意気地が無い、弱虫だと軽蔑するような人達を、殴り倒してやりたい。その人達は、人間の必死な生きて行く努力を嘲笑する人達だ。人間の命を嘲笑する人達だ。

 私は港の息づまるような澱んだ空気に堪え切れなくて、港の外は嵐であっても、帆をあげたいのです。憩える帆は、例外なく汚い。私を嘲笑する人たちは、きっとみな、憩える帆です。何も出来やしないんです。——(中略)——この問題に就いて、何も、ちっとも苦しんでいない傍観者が、帆を醜くだらりと休ませながら、この問題を批判するのは、ナンセンスです。私を、いい加減に何々思想なんて言ってもらいたくないんです。私は無思想です。私は思想や哲学なんてもので行動した事は、いちどだってないんです。

 世間でよいと言われ、尊敬されているひとたちは、みな嘘つきで、にせものなのを、私は知っているんです。私は、世間を信用してないんです。札つきの不良だけが、私の味方なんです。札つきの不良。私はその十字架にだけは、かかって死んでもいいと思っています。万人に非難せられても、それでも、私は言いかえしてやれるんです。お前たちは、札のついていないもっと危険な不良じゃないか、と。(斜陽より。傍点筆者)

 このかず子の話は、僕の、暴走族の、不良中学生の、そして自殺していった少年たちの言いたかったことを、全部代弁してくれたようなものだ。札つきの不良。僕は、まさにそれを自分だと言いたいのだ。また、暴走族や不良中学生の諸君は、このかず子の話をぜひ聞いてもらいたい。「お酒をやめて、ご病気をなおして、永生きをなさって立派なお仕事を、などそんな白々しいおざなりみたいなことは、もう私は言いたくないのでございます。『立派なお仕事』などよりも、いのちを捨てる気で、所謂悪徳生活をしとおす事のほうが、のちの世の人たちからかえってお礼を言われるようになるかも知れません。」(斜陽)

 最後に、いま、僕の知らないところで、きっと若者が自分なりのやりかたで、古い道徳とたたかっているに違いない。その人たちに僕は言いたい。たった一人の革命でも、いつかきっと……。

 

篠原史 「たった一人の革命でも」*10

 そう、いつかきっと。いつかきっと、いつかが今になるのではなく、今をいつかにするいつかを今にするんだ。だから僕はテラ豚丼が怖いんだ。

 革命は、いつも時期尚早です。革命は他のいつでもない。今起こっています。いつか起こることが決まっている革命があるとしたら、その決まっていることに対して今は反逆するでしょう。過去の原因が現在さらに未来の結果を規定するとしたら、結果は原因に対して原因として刃向うでしょう。革命は他のどこでもない。ここで起こっています。革命は他の誰によるのでもない。たった一人の革命です。もし全人民が革命に集結したら、たった一人の革命家は反革命をやり始めるに違いありません。

 テラ丼は、いったい、どこで行われているのでしょう。


D

via: http://cyborg.relove.org/thought/mujahideen.html



関連エントリー

「登校拒否解放の(不)可能性」前編 中編 後編

『禁じられた川』

『「民主主義よ、お前はもう、死んでいる」——グアンタナモ化した政治と敵対性の外部化について』

『テラ豚丼祭りと「自由への恐怖」』

*1:←これは挨拶ではなくて、トゥナイトのことです。

*2:「いじめ」というもの一般に対する大人社会の憎悪の上昇と それに伴う「いじめっ子」への厳罰化といった最近の傾向は、この享楽に新たなエネルギーを供給することでしょう。

*3http://www.lacan.com/zizartforum1205.htm

*4:本当はグアンタナモ「化」って言っちゃうのは不適切なんですが、それは将来の宿題とさせてください。

*5:I bring a message from your master, Marcus Licinius Crassus, commander of ltaly. By command of His Most Merciful Excellency, your lives are to be spared. Slaves you were and slaves you remain. But the terrible penalty of crucifixion has been set aside, on the single condition that you identify the body or the living person of the slave called Spartacus.

*6:「私がテラ豚丼だ」という叫びは、『イン&アウト [DVD]』のラストシーンでも見られます。

*7:もちろん、ここには一つの重大なゴマカシがあって、観客が最後に「真相」を知ってしまうということです。ま、それは置いておきましょう。

*8:これがスターリン語です。

*9http://d.hatena.ne.jp/toled/20071015/1192441864でリンクした動画を見てください。外山恒一、かわいそうです。

*10:『子どもたちが語る登校拒否―402人のメッセージ』, 1980[?] = 1993, pp. 431-432.『斜陽』の引用は篠原のものをそのままコピー。

松本松本 2007/12/14 13:55 常野さん、了解です。前回エントリーにつけたコメントは、私の読み込みが浅かったようです。私がいちばん嫌なのは話の途中で(前フリに対して)反論されることですが、どうも今回は私がそれをやってしまったようです。
で、「イリュージョン」ですが、「かもめのジョナサン」の作者が、後に変な方向に行ってしまう前に書いた最後の傑作です。アメリカ的なあまりにわかりやすいハンバーガーのような味付けですので決して常野さんにはお勧めしませんが、私は若いころ、これを翻訳で少なくとも30回、原文でも同じくらいは読みました。根本にある思想には最終的に賛同できなかったものの、いまだにバイクの燃費が伸びたときなど、「おっ、俺も救世主に近づいたか」なんて思ってしまいます。

またまた長文ですまたまた長文です 2007/12/16 08:52 「長文ですみません」で書いた者です。
あなたも「またしても長文で恐縮なのですが」
と書かれていたのであえて個人的な意見を言いますと、
私も長文は長いから嫌いですし、あなたの長文を読んでも
私のそのような好みの基準は変わりませんでした。

『> toledさんの言っているように無限に自由という概念が正しいとしたら、身分の高い人が人々を苦しめてもそれは肯定的という事になりますよね?

この辺りから不同意です。それに対して「肯定的」であるかどうかということも自由なんです。』

あなたの意見だとあなたは肯定派になりますよね?って事です。
あなたが自由に判断した場合どんな判断をするのかを聞いてるわけで、
「どうかということも自由なんです」は私の聞きたい答えの一歩手前です。

あと私の使った「強者・弱者」系の言葉はその時点での関係性で言っています。
例えば「身分が高い人」は、当時そうだった人の事を指していますし、
本文であなたが「労働者は奴隷じゃないです。」と書いていたので
あなたが(バイト生は現時点で「弱者」と捉えられている)と判断している
と私は判断しましたし、
私もバイト生は現時点で「弱者」と捉えられていると判断しました。


『人間の歴史は、「強い」「弱い」がひっくり返ったり、違いがなくなったり、ひっくり返ったのがまたひっくり返ったりという繰り返しです。』

私もそう思います。
だからもし「もはや誰も彼もがテラ丼を作ってる」日が来ても、
それを「ハッピーエンド」と思わない人がまたいつか
それをひっくり返す日が来る事もありえると思います。

私はあなたの言う「自由は無限である」という考えは持っていませんが、
仮に「自由は無限である」という事ことが正しいとするならば、
私はテラ丼を作る事は悪い事だとは思いません。
言動の自由だと思います。

そしてテラ丼を作った事を多くの人が批判するのも悪い事だと思いません。
それも言動の自由だと思います。

ただテラ丼を作る自由は認めるのにテラ丼を作る事を批判する自由は許されない
とする考え方は、矛盾しているんじゃないかと思います。

『「1人の自由」と「その他60億人の自由」を天秤にかけても、天秤が重みに耐えかねてかわいそうなだけです。』
という考えをお持ちのわりには
あなたの意見は「1人の自由」ばっかりに
重点を置いているように見えるんですけど、どうなんでしょうか。


あなたの文章を読んで私が思ったことを率直に言うと、
あなたは自由という言葉をいいように使って
あなたの考えと一致しているテラ丼を作る行為を擁護し
あなたの考えと異なるそれを批判する行為を許されない事とする見解を
無理矢理正当化させようとしているようにしか見えないです。

toledtoled 2007/12/20 06:33 >>松本さん 2007/12/14 13:55

ちょっと検索してみましたが、『イリュージョン』、面白そうですね。来月にでも読んで見ます。最近デジカメの調子が悪いです。救世主かもしれません。

>> またまた長文ですさん 2007/12/16 08:52
> あなたも「またしても長文で恐縮なのですが」と書かれていたのであえて個人的な意見を言いますと、私も長文は長いから嫌いですし、あなたの長文を読んでも
私のそのような好みの基準は変わりませんでした。

すばらしい! 実は、「基準」云々について書いたのは「またまた長文です」さんに対する厭味を意図したものではありませんでした。けども、逆に誤解されたことがうれしいです。なぜならば、あなたが誤解した上で、なお、長文を書いてくれたからです。元エントリ―も、あなたへのレスも、書いてよかったと本当に思います。これも皮肉に聞こえるかもしれないけど、そして僕はあなたとは根本的に対立した意見を持ってるのだけど、その気持ちだけは本当に本当。

『> toledさんの言っているように無限に自由という概念が正しいとしたら、身分の高い人が人々を苦しめてもそれは肯定的という事になりますよね?

> あと私の使った「強者・弱者」系の言葉はその時点での関係性で言っています。

そうです。結論が逆なのに、前提が共有できるのは奇跡です。うれしいです。

> 『人間の歴史は、「強い」「弱い」がひっくり返ったり、違いがなくなったり、ひっくり返ったのがまたひっくり返ったりという繰り返しです。』
> 私もそう思います。だからもし「もはや誰も彼もがテラ丼を作ってる」日が来ても、それを「ハッピーエンド」と思わない人がまたいつかそれをひっくり返す日が来る事もありえると思います。

ですね。

> あなたの文章を読んで私が思ったことを率直に言うと、あなたは自由という言葉をいいように使ってあなたの考えと一致しているテラ丼を作る行為を擁護し
あなたの考えと異なるそれを批判する行為を許されない事とする見解を
無理矢理正当化させようとしているようにしか見えないです。

ご理解いただけたようで、何よりです。そうなんです。その通りです。その前提のもと、このエントリーを再読いただけるとしたらそれほどうれしいことはありません。

2007-12-10

テラ豚丼が問題化されたという問題についての記事のコメント欄が長すぎるので続きはこちらで

13:24 | テラ豚丼が問題化されたという問題についての記事のコメント欄が長すぎるので続きはこちらで - (元)登校拒否系 を含むブックマーク はてなブックマーク - テラ豚丼が問題化されたという問題についての記事のコメント欄が長すぎるので続きはこちらで - (元)登校拒否系 テラ豚丼が問題化されたという問題についての記事のコメント欄が長すぎるので続きはこちらで - (元)登校拒否系 のブックマークコメント


 http://d.hatena.ne.jp/toled/20071202/1196589952

 

 ↑の記事、多くの方にアクセスいただいたようで嬉しいです。また、コメントもたくさんつけてくださってありがとうございます。現時点で、とっつぁんさん(2007/12/06 15:13)までレスさせていただきました。これまでにコメントしてくださってるその他の方には、後ほどここで全レスさせていただきます。

○ 2007/12/10 17:19 今日初見でした。最高のご意見です。
今や国民総ヒステリックばばあ時代ですからね
僕の一番きらいな僕は常識ぶってるときの僕です。
「あんたもあいつもきちがいばっかり!
あんたも私も同類なんだよ!」
というラモーンズの歌が身に染みます。
昨晩オナニーしてひいひい言ってたやつや、変態プレイに身をよじったやつが、
翌朝にはお外で糞まじめに常識とか語ってるんですよねえ。誰かをしかっちゃったりもして。
ギャグですよね。まあ、だから人間面白いんですけど。

TAGTAG 2007/12/11 12:55 昔読んだリチャード・バックのイリュージョンを思い出しました
※欄を見るにつけ、自由は制限されるものだけどその制限の中で行使する私の自由に他者からの反作用は認めない、みたいなのが世間の常識になっているのですかね

YBBYBB 2007/12/11 20:23 残念なことに、テラ豚丼の二人は処分されてしまった。だが、これは反動勢力の勝利を意味しない。革命成功の第一歩なのである。「テラ豚丼が問題化された」ことによりテラ豚丼の威力がこの世界に知れ渡った。電凸の多さは威力の大きさの証明である。電凸した輩の意図とは正反対にテラ豚丼を封じ込めることはできない。反動勢力と資本家に与える打撃の大きさを知らしめ、後に続くものがテラ豚丼を作る意義があることを知らしめているのである。第二第三のテラ豚丼調理者は先駆者に学び、足がつかない方法、身の安全を守る方法を検討すれば良い。道は既に開かれている。撮影するアングルを工夫し、映像にモザイクをかける。漫画喫茶か無線LANの野良APからアップロードする。我々の勝利こそ不可避である。なんたってテラ豚丼は楽しいwwww

IRIR 2007/12/12 01:46 わたしは、あなたの言う「合理的思考」に基づいて、いま、自分の「や
りたいこと」から距離をおいて、働いています。その方が、いろいろな
意味で「賢明」だと思ったからです。

そう、あなたの言う通り、その賢明さは、「負ける」ということなのか
もしれません。

でも、まだ負けきってはいない、つもりです。

勝てる見込みはまだ立っていないけれど。

もう少しお金をためて、もう一度カムバックしたいところがあります。

そんな迂回も、結局は、合理的思考や賢明さにがんじがらめされて、負
けにむかって退却戦を演じるだけに終わるかもしれません。

でも、心にはいつも「テラ豚丼」を隠しつつ、そしてそれを手放さず、
もうちっとがんばります。

toledtoled 2007/12/14 07:51 この連載の続きを↓のウプしてます。

http://d.hatena.ne.jp/toled/20071211/1197417341

ますます面白くなっています。また、皆さんからいただいたコメントも、直接引用してはいないものも含めて、大いに参考にさせていただいて書きました(当初のものを出した翌日に大幅に加筆してます)。

では、今日これからがんばる自分へのご褒美として、残りの皆さんへ全レスさせていただきます。

>> 心理学講師さん 2007/12/06 19:36
> 主さんが本気でこういう考え方してるなら自由を提唱する以前に、生きる自由は“結局”得られないんだから普通に人間してる私が言えるのは「まぁがんばって生きて」のひと言くらい。

ありがとう( ´∀`)! そう言わせたキミの自由に幸あれ。

>> 主さんみたいな人も世の中にはいるんだからもちろん存在は認める。でも長く存在できるかどうかは定かじゃないね。

でもあなたは自由なので、全てのことに責任を負っています。だから「長く存在できるかどうか」ということの責任からも逃れることはできないのです。

> 個人的には
>>> 自由とはなんぞや?さん 2007/12/05 04:19
>> 責任を負い、義務を果たし、自由を得る。
>> 違うか?
>
>違います。
>
>の「違います」を「何故違うのか」説明してほしい。どんな持論を繰り広げてくれるのかとても興味があります、ぜひお願いします。

「心理学講師」さんのご質問に直球でお答えようとしたら、あまりにも長くなりすぎたのでコメント欄には収まりきらなくなりました。別エントリーとして、↓に書きましたのでぜひご覧ください。

http://d.hatena.ne.jp/toled/20071211/1197417341

>>釣りさん 2007/12/07 01:15
> 釣りだろ?皆釣られすぎ

ブログの場合、釣りかどうかを判断するのにちょっとした裏ワザがあります。過去エントリーを全て読むんです。「全て」っていうのが大切ですよ。30時間かけて9割がたは見たからもういいや、なんて中途半端なのはダメです。あともう1エントリー読めば、「ここに書いてることは全部釣りだから」って書いてあるかもしれません。

>>釣りだろw 2007/12/07 02:12
> 釣りだとしても元々頭悪いんだろうけど、ネタとして つ ま ら な い w

でもあなたは笑ってくれた。そのやさしさにサンクスアロッ! 大人になると、本当に面白い話をすると逆に笑ってもらえなくなります。逆につまらない話をすると笑ってくれるだけじゃなくて、もう、かわいい奴め! って思ってもらいます。ただし、これは僕のように実際にかわいい場合だけですので注意してください。

>> 松本さん 2007/12/07 10:20

どうもお久しぶりです。これまでにもコメントをくださっていた松本さんから批判を含むコメントをいただき、うれしいです。お気づきかと思いますが、↓は松本さんへの応答を試みたものでもあります。

http://d.hatena.ne.jp/toled/20071211/1197417341

> 人間が本来的に自由であるということが強調されているわけですが、それは現象の一面に過ぎませんよね。本源的に自由から逃れようのない人間が、不自由さを引き受けるというところに社会学の視点があるわけで、そういう視点を抜きにして「本来自由なのに...」という部分だけを強調しても、あんまり意味はないと思います。

このへんは、自由という言葉をどう定義するか、あるは定義をどのように使い分けるか、どんな時にどんな意味を持たせるか、ということだと思います。僕は未だに反自由党ですし、自由の幻想を粉砕すべきであると確信しています。
 けれどもそれはもちろん、ブルジョア的自由のことです。たとえば、年末ジャンボでは、くじ番号は有無を言わさず暴力的に押し付けられます。でもロト6の場合、自分の好きな数字を選ぶことができます。ここでは各個人の選択が許されており、その選択と当たり外れとのあいだに因果関係を見出すことができます。こうして成立するのが「自己責任」という概念です。
 もちろんこんなものは粉砕しなければなりませんし、資本主義は乗り越えられなければなりません。けれどもそれをするのは誰なのでしょうか。また、変革を求める行動がシステムに回収され補完物になってしまうとしたらどうでしょうか。もちろん、僕が念頭においているのは↓で紹介していただいた「寓話」です。

http://www.allneetnippon.jp/2007/07/2no.html#comment-315

変化はどこからやってくるのでしょうか? 変化は無からやってくる。人間を縛るものは何もない。縛るものに縛られるかどうかということを縛るものはない。あるは逆に言うと、人間は無に縛られている。どこまで行っても、人間には無が張り付いている。今回の「テラ豚丼」エントリーにおける自由とは、この無というもののことです。

> そして、その本源的な自由を圧殺している理由を構造的なところに求めないで個人の資質に求めてしまったのでは、いわゆるカギカッコ付きの「右翼」の言説と変わりません。左翼(そして反自由党党首)を自認される常野さんとしては、この部分で失敗しているのではないでしょうか。

ですから自由とは「個人の資質」ではなくて、人間の普遍的な条件です。何の本質も持たず、常に今あるものからズレていくということが人間の唯一の本質です。だからこの本源的な自由は「圧殺」されることは永久にないのです。

>>通りすがりさん 2007/12/07 12:24
> 自作自演多いね。

自作自演、まさに人生のことです。ただし映画と違って何もないところから物語が突然始まるわけではなくて、人間は状況に放り込まれます。その状況に無として関わるというのが人間の自由です。

>>ナナシさん 2007/12/08 01:32
> それにしてもテラ豚丼、一度食ってみたかったな。

そういう方、多いみたいです。でも、↓でt-hirosakaさんがいいことを言われています。

http://d.hatena.ne.jp/t-hirosaka/20071212
> toledさんは難しい議論をしているのだが、私に言えることは、家庭で自分で作ったテラ豚丼はただの大盛りの豚丼であってテラ豚丼ではない、ということだけである。

>>へうたむさん 2007/12/09 02:24
>いやいや〜、プチ炎上…。

まだまだ炎上とは言えないと思います。

> 超米異罵詈コメにていねいにお返事を… 頭が下がります。愚生のメールにはお返事いただけませんでした(アホ・メールでした(^^;)ゞ)し、ANNのこちら http://www.allneetnippon.jp/2007/10/7_5.html にもレスいただけず〜(泣)。

ありゃ、それは失礼しました。ごめんなさい。

> 「自由」をあんまり理詰めで考えようとは思わないんですが、「自由」というものが単一で存している or 存していない、のではなく、自由はいつも他者との関係性において生ずるものです。だから、まさに
>>俺が常野を殺すのも自由ということでよろしいでしょうか。夜道には気をつけてwww by ニヤニヤ動画氏
>となるわけで、夜道に気をつけなくてもよい人なんかいないのです。ナントカ丼の映像ばかり云々されるけど、‘映像を見る大勢’(=大勢に閲覧される映像)はあんまり関係なく、‘その店で食べる人’との関係性だけが「自由」の問題に上(のぼ)ってくる、ような。定食屋でメシ食ったとき、バイト・スタッフさんは異様なほど大忙し。会計と配膳で死に物狂い。その合間に、ふと髪をいじる、そのままの手で皿を触る、それはやはり気になる…。でも、私は咎める気にはなれませんでした。時給数百円で必死に仕事をこなす彼、と、そのサーヴィスを受ける私、との関係。そこにはスタッフの9割ががバイトという形で収益を上げるチェーンの存在も関わり、そいうところでしか食事ができないフリーターの私、という構図もあり。人と人、の関係のうちに「自由」の存在と非在とがあるようです。

上の松本さんのコメントとも通じる、大切なポイントだと思います。

ただ僕は、他者とどんな関係にあろうとも、自分が自由であるということは死ぬまで寸分も動かないと思います。たとえば大企業にフリーターが搾取されているという関係がある場合に、フリーターを「被害者」として捉えてその「救済」を図る、という問題の立て方をしたくありません。フリーターは自由です。フリーターは世界を選んでいます。だからフリーターが世界を変えるんです。

>>○さん 2007/12/10 17:19
> 僕の一番きらいな僕は常識ぶってるときの僕です。

僕もそうです。常識なんてクソだと確信しながら常識的に振る舞う自分を憎みます。

>> TAGさん 2007/12/11 12:55
> 昔読んだリチャード・バックのイリュージョンを思い出しました

それはなんでしょうか? 今度検索してみますね。

>>YBBさん 2007/12/11 20:23
> 残念なことに、テラ豚丼の二人は処分されてしまった。だが、これは反動勢力の勝利を意味しない。革命成功の第一歩なのである。

な なんだってー!

> 第二第三のテラ豚丼調理者は先駆者に学び、足がつかない方法、身の安全を守る方法を検討すれば良い。道は既に開かれている。撮影するアングルを工夫し、映像にモザイクをかける。漫画喫茶か無線LANの野良APからアップロードする。我々の勝利こそ不可避である。なんたってテラ豚丼は楽しいwwww

それは楽しいとは思うんですが、ただ、安全になってしまうとそれはもうテラ豚丼ではなくなってしまいます。さきほど上で引用したt-hirosakaさんのエントリーをお読みください。

むしろ大切なのは、次に「テラ豚丼」が出現したときに、僕は「全て私がやりました」と電凸してまわるであろうかということだと思います。

>>IRさん 2007/12/12 01:46
あなたのコメントを何度も何度も何度も読みました。まともな応答にはなっていませんが、↓でも引用させていただきました。

http://d.hatena.ne.jp/toled/20071211/1197417341

またしても長文で恐縮なのですが、どうかお暇な時にでも。。。

他の皆さんも、もしさらにレスをいただけるとしたら上に移動して投稿してくださると嬉しいです。

2007-12-02

テラ豚丼祭りと「自由への恐怖」

| 19:05 | テラ豚丼祭りと「自由への恐怖」 - (元)登校拒否系 を含むブックマーク はてなブックマーク - テラ豚丼祭りと「自由への恐怖」 - (元)登校拒否系 テラ豚丼祭りと「自由への恐怖」 - (元)登校拒否系 のブックマークコメント


 とんでもない話です。ユユしき事態です。批判されてしかるべきです。


吉野家テラ豚丼 まとめ


http://d.hatena.ne.jp/ruushu/20071201/yoshinoya

 

 許されないことです。

 もちろん電凸とかしてる奴らのことです。

 ちっとも悪くないことが悪いことにされてしまうとしたら それは恐ろしく悪いことです。

 労働者が、職場で ほんのちょっと ごくささやかな息抜きしてるだけです。それをカメラに撮って万国の労働者と分かち合おうとしたのです。

 労働者は奴隷じゃないです。時給を払ってるから時間いっぱい思い通りに動くと思ったら大間違いです。意思を持った人間です。というか、奴隷だとしたとしても本当は自由です。

 そもそも、労働者が遊べるような明るい職場の方が生産性は高いです。資本家にとっても その方が得です。

 なんて、資本家の利害はどうでもいいです。

 労働者が遊んでいる。誰もを楽しくさせるような光景に憤ってる人々は、羨ましいのです。校則違反を ご親切にも当局に密告してくださる小学生と同じです。

 自分だって、楽しく遊びたいのです。なのにガマンしてるのです。だから遊んでる奴が許せないのです。

 要するに「妬み」です。

 それからズバリ言いますと「不安」です。

 あるいは言い換えますと「自由への恐怖」です。

 テラ豚丼とは自由の別名です。

 自分は自由ではないと信じ込んでいるのが我々です。縛るものがあるからです。「縛るもの」とは法律とか道徳とか合理的計算とかのことです。

 たとえば、仮にテラ豚丼をつくったとしても、その様子を写した動画をアップするのは愚かです。電凸されるに決まってるからです。そう予期するのが合理的思考です。

 テラ豚丼動画は、ブルジョア法規上も、うp主の自己利益としても、あり得ないことです。

 あり得ないはずなのに突如として現れたのがテラ豚丼です。

 だからテラ豚丼は、人間が自由であるということ、「縛るもの」が頼りないものであるということを暴露しているのです。

 だから叩かなければならないのです。

 それはどういうことか? それについて考えているのが↓の文章です。


ロッキーの狂気と加護ちゃんの喫煙問題について

 『いじめ撃退マニュアル―だれも書かなかった「学校交渉法」』という本がある。詳しくは覚えてないけど、我が子を守るためには権利意識をもって学校と交渉しよう、みたいな内容だったような気がする。 現在の「消費者化」していく保護者意識のさきがけとなったような本だ。

 この本のもう1つの主張は、いじめられたからといって学校をやめたら人生台無しになるよ。脅すなり叱咤激励するなりしてちゃんと学校に行かせなさい、というものだった。著者はシルベスター・スタローンを引用している。

4年間、毎日8時間も図書館で勉強した。高校へ行っていたほうが楽だった。学校へ行かないのは人生をあきらめることだ[。] *1

大スターになれたんだから別にドロップアウトしてもよかったんじゃないの、と思ってしまうが、ともかく子どもは学校に行かせなさい、というのがこの本の主張だった。

 ところで『ロッキー・ザ・ファイナル (特別編) [DVD]』では、ロッキーとその息子の葛藤が1つのテーマになっていた。息子は若いサラリーマンで、僕などからはエリートに見えるけど、なんかウダウダしている。さすが「強い父親」に育てられただけのことはあるね。その息子に今さらボクシングなんて恥かしいからやめてよ、みたいなことを言われて、ロッキーがぶち切れる。

 ……でもどこかで、お前は変わってしまった。お前はお前であることをやめた。他人がお前の顔に指を突きさしてお前なんかロクデナシだと言うのを許している。そして生きるのがつらくなったら、何か言い訳はないかと探し始めた――「自分は影だ」って具合にな。*2

 お前が知っているはずのことを言わせてくれ。世界はまるっきり太陽と虹のようというわけじゃない。卑劣で汚れた場所だ。どんなにタフでも、手をこまねいていたら張り倒されて いつまでもひざまずいていなければならない。お前も、俺も、誰も、「人生」というものほど強く打つものはない。だが大切なのはどれだけ強く打たれるかということじゃなくて、撃たれてなお前進し続けることができるか、どれだけやられてもなお前進し続けることができるかということなんだ。勝つというのはそういうことだ。

 自分の価値がわかっているなら、それを掴みに行け。だが打たれる覚悟が必要だ。なりたいものになれないのは奴や彼女や誰かのせいだ、と指を指すんじゃなくてな。臆病者がそうするんだ。それは本当のお前じゃない。お前はそんなものじゃないんだ。


 さてこのスピーチを聞いた息子。これからはフニャフニャ不平を言ったりしないでエリート街道を突っ走るのかな、と思ったら翌朝にはいきなり会社を辞めてしまい、それをきっかけにして親子の仲は修復されるのでした。あれ? 『いじめ撃退マニュアル』とは何か結論が違うような……。

 『マニュアル』は、人権派の「問題親」に対して、教師は次のように反撃すべきだと言っている。

 不幸になる自由も保障されてはいるけれど、登校拒否しないで学校に行くということは、人生を踏みはずさない一歩ではないですかねえ。そんな基本的なこともわからないで、何年人間やってんだ!

 自分のことを反省もせずに、『学歴社会がよくない』『管理教育がよくない』『昔より教育現場の条件が悪くなっている』などと、外に攻撃目標を設定しているのは、恥の上塗りみたいなもんだしょうが!

 制度なんかは、あなたたちが少々がんばったくらいでは、残念ながらびくともしません。しかし、その制度の中で、子どもは生きていかなければならないのです。それこそが現実だとしたら、もっと知恵を働かせて、その制度に適応していくしかないのではないですか! それとも無人島に住みますか?*3


いじめ撃退マニュアル―だれも書かなかった「学校交渉法」

いじめ撃退マニュアル―だれも書かなかった「学校交渉法」

現実は厳しいということ、かといって自分以外のものの存在を言い訳にしてはならないということ、これはロッキーの言っていることと似ている。似てるんだけど、なんか全然違うような気がする。何が違うのか?

 少し前にアイドルが年齢を詐称したり喫煙したりして問題になった。これについて、鈴木紗理奈というタレントがこう書いたんだそうだ。

喫煙しただけで追放になる芸能界ってどないなん?年ごまかしてただけで真面目に謝罪せなあかん芸能界ってどないなん?あたしにとってはどっちも全然たいした問題じゃない

悪い事は一通りしましたが何か????20歳過ぎてからタバコ吸う人の方が少ないやろっ!!!年齢で女を判断する日本の社会がおかしいやろ!!!!芸能人やからって真面目にせなあかんのはおかしくねぇか?等身大でいいやんか。芸能人がみ〜〜〜んな真面目になったら何か夢ないよなぁ

100%賛成だ。僕はこの記事(削除済み)を直接は読まなかったんだけど、これを話題にしたブログをいくつか見た。未成年は喫煙しちゃダメだとか女の価値は年齢で決まるとか言ってるのもあったけど、そういうのはまあどうでもいい。ま、革命が成功したらちょっと収容所に入ってもらうことになるかもしれないけどね。

 問題は、喫煙するかしないかは本人の自由だし、年齢で人間を判断するのはおかしいと自分は思うけど、アイドルが年をごまかしたり喫煙したりするのは賢明ではないとかいう人である。そういう人によれば、「若い」とか「タバコを吸ったりはしない」とかいう幻想にアイドルの商品価値がある。そこから逸脱したら迫害されるのは当たり前。そういう社会の「お約束」がわからずに素朴に正論をぶっている鈴木紗理奈はバカ、ということになるんだそうだ。

 でもさ、そんなこと言ったら、たとえば『ブロークバック・マウンテン プレミアム・エディション [DVD]』で同性愛者がボコボコにされて死んじゃうエピソードが出てきたけど、あの人もバカでしょ。昔のアメリカの田舎で同性愛はタブーだったわけだから。「自分は別に同性愛は悪いことであるとは思わないが、この社会ではそれを隠し通すのが賢明だ」。あるいはローザ・パークスが「黒人は後ろに行け」と言われても白人席に座り続けたのも正気の沙汰とは思えない。「もちろん、人種差別はよくない。しかし白人専用席に黒人が座るのは賢明ではない」。それをきっかけにして抗議のボイコット運動をするのだって、そんなことしたら困るのは移動手段を失う黒人だし、対立を煽って「良心的」白人の反感を買うことになりかねない……

 『ブロークバック・マウンテン』の主人公が少年時代に見た同性愛者は虐殺されたけども、ローザ・パークスは現在では偉人ということになっている。でもたぶん、ロッキーの言う「勝つ」というのはそういうレベルにはない。

 仮に両者に違いがあるとしても、それは後になってから言えることだ。今だったら、「賢明な」人は言うだろう。ローザ・パークスの行動は歴史を動かし、社会を変えたと。でも彼女が白人席に座った時点でそうなる保証はなかった。そしてきっと、彼女と同じようなことをしてボコボコにされた人は無数にいたことだろう。今にして思えば公民権運動によってアメリカ社会が変わるのは必然だった。しかしその必然性は、人間の自由によって作り出されたものである。

 問題はタバコを吸ったらどうなるかということではない。そんなの関係ねえ! そうじゃなくて、私はタバコを吸いたいのかどうかということだ。私は私のやりたいことをやっているかということだ。ロッキーの言う「勝つというのはそういうことだ」。

 キング牧師は、暗殺される前の日の演説で、次のように述べていた。

D


 ……そして脅しをかけたり、すでに出ている脅しについて話し始める者が出てきた。我々の病んだ白人の兄弟たちのために私の身に何が起きるだろうかと。

 さて、私はこれから何が起きるのかを知らない。我々は困難な日々を前にしている。しかしそれは私には今や重要ではない。なぜならば私は山の頂に立ったからだ。

 私は気にしない。

 誰でもそうであるように、私は長生きがしたい。長寿には価値がある。しかし今や私はそれには関心がない。私はただ神の意思を行いたい。そして神は私が山を登ることを許された。そして私は見渡した。そして私は<約束の地>を見た。私は皆さんと共にそこに行くことはできないかもしれない。しかし今宵、皆さんには知ってもらいたい。我々は人民として<約束の地>に到達するのだということを!

 だから今宵、私は幸福である。私は何の心配もしていない。私は誰も恐れてはいない。我が目は主の到来の栄光を見たのだ!

ここでキング牧師は「私は山の頂に立ったから」もう何も恐れていない、と言っている。「我が目は主の到来の栄光を見たのだ」と。今日からすると、キング牧師はアメリカ史上最も偉い人、ということになってるから、それを予知させるなんて神様はスゴイね、とも思えるし、キングがブッシュにも祭り上げられる一方で大半の黒人の状態はむしろ悪化してるから結局大したことなかったとも思えるかもしれない。しかしキング牧師は何も形式的な差別が解消される未来を予知しようとしたのではないと思う。

 そうではなくて、彼は確信したのだ。私はタバコが吸いたいのだと。「主の到来の栄光を見た」というのはそういうことだと思う。

 加護ちゃんの喫煙が、別に未成年やアイドルがタバコを吸ってもいいと思ってる人まで苛立たせるのはなぜだろうか? 共産党の政策には共感すると言う人までもが、絶対に当選しない候補者を立てるのを見て心の平安を乱されるのはなぜだろうか(『「民主主義よ、お前はもう、死んでいる」――グアンタナモ化した政治と敵対性の外部化について』)? なぜ我々は、明らかに自己利益に反するようなことをしている人を見かけると不快になるのだろうか?

 それはズバリ、そういう人々の存在が、私たち自身もまた自由であることを暴露しているからである。僕らはいつも、「○○がしたい」とか、「もうここにはいたくない」とか、「逃げ出したい」とか思っている。しかし「奴や彼女や誰かのせい」、あるいは社会のせい、制度のせいで、やりたいことをやったり いたくないところから逃げ出したりしたら とんでもないことになるということもまた知っている。だからまるで自由ではないかのように振舞おうとする。「賢明」とか「現実主義的」とか「合理的」とかいうのはたぶんそういうことだ。

 なのにあのアイドルは、商品としての自覚ももたずに、タバコを吸ったという。喫煙するアイドルは、私もまたいつか私のやりたいことをやってしまいかねないという不安をかきたてる。私のやりたい「とんでもないこと」をやるのは自己利益に反する。だからそんなことを私はやらないはずだ。そういう合理的計算によって封印した私の自由が漏れ出してくる。蓋をしたつもりが、実はメッシュ状になってて意味なかったように思えてくる。何ものも、「自己利益」さえも、私を私の自由から守ってはくれない。

 以前sarutoraさんがホームレスへの反感は「憧れ」の裏返しであると書かれていた(『ホームレスは良いご身分だねえ』)とき、いや、いくらなんでもホームレスになりたいとは思わないよと最初は思った。でもたぶんこの場合の「憧れ」というのは、いつ少年たちに殴り殺されるかもわからないようなスリリングな生活がしたい、っていうことじゃなくて、あくまでも僕が「○○がしたい」と思ってることがしたい、あるいは「○○なんかやりたくないよ〜」と思っていることから逃げ出したいということかもしれない。ふだんの僕は「そんなことしたら〜〜だ」といった言い訳をして自分の自由をごまかしている。ところが「自由なホームレス」という(現実のホームレスとは関係ない)イメージは、たとえそれがどんなに愚かで不合理で悲惨な結末を招くことは目に見えていても、ひょっとしたら僕もまた「やりたいこと」をやってしまうかもしれないという恐怖をかきたてる。

 私もまた、ふと気がつくと、手にテラ豚丼を持っているかもしれないのだ。

 だからホームレスは排除されなければならないし、加護ちゃんは追放されなければならない。蓋をしたはずの自由が溢れ出して、そこらじゅう水浸しになっている。我々は加護ちゃんを叩いたり、「単純な」正論で加護ちゃんを擁護する鈴木紗理奈が芸能人は商品であることを理解していないことをあざ笑ったりして、自分自身の得体の知れない不気味な自由に対するハードルを上げようとする。


 「賢明」であるというのはそういうことだ。そしてたぶん、負けるというのは まさにそういうことだ。


(4月28日のmixi日記を改変して転載)


関連エントリー

『仮病で何が悪い』@オールニートニッポン


『「永遠の嘘をついてくれ」――「美しい国」と「無法者」の華麗なデュエット』

http://d.hatena.ne.jp/toled/20070726/1185459828 (前編)

http://d.hatena.ne.jp/toled/20070727/1185459989 (後編)

*1:p. 4.

*2:偉大なボクサーの息子であるために自分の存在が霞んでいること

*3:p. 256.

hakuhaku 2007/12/02 22:47 おまえばかじゃねーの?w

通りすがり通りすがり 2007/12/02 22:51 途中で読むのやめた私が言うのも申し訳ないが、
あなたはアホですか?

でぃ・きゅう・えぬでぃ・きゅう・えぬ 2007/12/03 00:14 痛いとこから来ますた。

VIPからVIPから 2007/12/03 01:01 今北産業

   2007/12/03 01:08 どうしても職場で息抜きしたいのならまず
・会社の物を無断使用する
・社外秘の動画をアップロードする

この2点の正当性を教えてくれませんか?
他にもまだ問題ありますけどね。

   2007/12/03 01:10 本気擁護が秀逸すぎるw
釣りだろ?釣りだよな?

akiaki 2007/12/03 01:30 まぁ。どうしようもないアホだよな。

吉野屋吉野屋 2007/12/03 02:21 電凸する自由くらいくれ

死ね死ね 2007/12/03 02:48 お前ネトウヨだろ?
どっから金もらってんだよ。まわりくでぇ。死ね。カス

^p^^p^ 2007/12/03 04:40 もし殺人犯がお前の親、兄弟などを殺されても
殺人犯が「人を殺したかった」と言えば、許してしまうのか。
トンデモ理論だな

アフィリアフィリ 2007/12/03 07:09 アフィリンクの多い記事ですね。

toledtoled 2007/12/03 08:29 > haku さん 2007/12/02 22:47
> おまえばかじゃねーの?w

まあまあまあまあ。せっかく来てくれたんだから、ついでに↓も読んでいってくださいよ。
http://d.hatena.ne.jp/toled/20071116/1195221093

> 通りすがりさん 2007/12/02 22:51
> 途中で読むのやめた私が言うのも申し訳ないが、
> あなたはアホですか?

もったいない! 実は最後まで読むと感動します。

> でぃ・きゅう・えぬさん 2007/12/03 00:14
> 痛いとこから来ますた。

ようこそいらっしゃいました。このブログも相当痛いからどうぞごゆっくり。

> VIPからさん 2007/12/03 01:01
> 今北産業

今日から、毎日3行ずつ読んでください。いつかは読み終わります。

>  2007/12/03 01:08
> ・会社の物を無断使用する
> ・社外秘の動画をアップロードする
> この2点の正当性を教えてくれませんか?

それは機密事項です。

>  2007/12/03 01:10
> 本気擁護が秀逸すぎるw
> 釣りだろ?釣りだよな?

↓の下から2番目の写真を見て!
http://d.hatena.ne.jp/toled/20070607/p1

> akiさん 2007/12/03 01:30
> まぁ。どうしようもないアホだよな。

それをわざわざ言いに来てくれてありがとう。大人になってからアホだと言ってくれるのは友達だけです。

> 吉野屋さん 2007/12/03 02:21
> 電凸する自由くらいくれ

自由は譲渡不可能です。むしろ捨てることもできないのが自由です。

> 死ねさん 2007/12/03 02:48
> お前ネトウヨだろ?
> どっから金もらってんだよ。まわりくでぇ。死ね。カス

CIAからの送金を待っているところです。

> ^p^さん 2007/12/03 04:40
> もし殺人犯がお前の親、兄弟などを殺されても
> 殺人犯が「人を殺したかった」と言えば、許してしまうのか。

人を殺すのはよくないです。

> アフィリさん 2007/12/03 07:09
> アフィリンクの多い記事ですね。

これでも少ない方です。このブログの他の記事も読んでください。もっと多いのがありますから。

i2ii2i 2007/12/03 09:54 すごく面白かった。そこそこ同意。
50の地点から少しでもダメな方に傾くと世論まとめてダメってことになる世の中だよな、実際。思考がデジタルなお方多すぎではないかと。あんさん、その意見は粋だね、って思うことが少なくなってんじゃないかと。

こんなこと言ってると犯罪擁護してんじゃねーよとか思われたりもするわけで、なんかもうほんとにいい子ちゃんばかりで素晴らしい世の中です事。

あ、テラ豚丼は叩いてもいいと思う。あれは汚いし、ネタとしても面白くないし。

おじゃましますおじゃまします 2007/12/03 11:30 軽くてネタにしやすい事件が切り口だから『考え飛躍させすぎ』っていう人も多そうですが、これは滅茶苦茶的を得ている考えだと思います。面白く読ませていただきました。
叩いてる人たちはそこまで深く考えていないからこういう文章もピンと来ないのかもしれません。

なんというか、こういう騒動見てるとちょっと寂しくなりますよね・・・。

ななしななし 2007/12/03 13:23 とりあえずテラ豚丼がたたかれてる理由をもう一度よくみてみろよ.

通り通り 2007/12/03 13:38 普通にテラ豚丼andテラサラダwの材料分、私物化使用は処分対象でしょう。
加護ちゃんの喫煙や年齢詐称とは違う気がしますよ。

いやはや‥いやはや‥ 2007/12/03 14:04 批判が多いようですね‥。

こんな時代だからモラルやマナーの分野にまで規則を持ち込まなきゃいけなくなる‥。

toledtoled 2007/12/03 14:20 > i2iさん 2007/12/03 09:54
> すごく面白かった。

ありがとうございます。

> あ、テラ豚丼は叩いてもいいと思う。あれは汚いし、ネタとしても面白くないし。

まあ「つまんない」っていう感想はあっていいと思いますが。会社に電話するのは問題だと思います。

> おじゃましますさん 2007/12/03 11:30
> 面白く読ませていただきました。

ありがとうございます。

> なんというか、こういう騒動見てるとちょっと寂しくなりますよね・・・。

悲しいです。

> ななしさん 2007/12/03 13:23
> とりあえずテラ豚丼がたたかれてる理由をもう一度よくみてみろよ.

実はざっとしか見てないんですが、ポイントは外してないと思います。

> 通りさん 2007/12/03 13:38
> 加護ちゃんの喫煙や年齢詐称とは違う気がしますよ。

豚とタマネギは違います。けど一緒に食べるから美味しいんです。

> いやはや‥さん 2007/12/03 14:04
> こんな時代だからモラルやマナーの分野にまで規則を持ち込まなきゃいけなくなる‥。

ただ、叩いてる人の側からすると、「規則」は既にあって、それに(も)違反してるってことなんだと思います。でもそれはブルジョアの規則であって、労働者が従う義理はないと思います。

りだるりだる 2007/12/03 14:30 今回のようなちょっとした事件にも色々な背景が絡み合っていますよね。
しかしこの視点はなかった。

ななしななし 2007/12/03 14:53 分かりづらい書き方してうやむやにしているが、やっていいことと悪いことの区別はついているか?自由なんてものは他人に迷惑がかからない範囲で許されるものでしょう?それこそあなたが言うように「規則」なんてものではなく人間として最低限守るべきものじゃないの?
少なくとも豚丼の件に関しては”ブルジョアの規則”なんてものじゃないと思いますが。

痛ニューより痛ニューより 2007/12/03 16:28 労働者と資本家の間には「契約」があるのでは?
労働者は働き、資本家は賃金を支払う。金と労働力の取引です。
どちらに主導権があるかはさておき、互いの利益の為のもののはずです。
ですから、資本家の利害はどうでもいい等という事はありえないと思います。
(資本家無視で労働者マンセーでは、共産革命を見ることに成ります)
それが商品で遊び、不衛生な食品を客に提供し(とは完全には決定していないが)、
そんな営業妨害紛いの事を“ちっとも悪くないこと”“ほんのちょっと ごくささやかな息抜き”と是認するのはいかがなものかと思います。
>テラ豚丼は、人間が自由であるということ、「縛るもの」が頼りないものであるということを暴露しているのです。 だから叩かなければならないのです
とは本文中の言葉ですが言わば社会の自浄作用として叩いている者も
多くいるはずです。(必要以上に吠える者もいるのですが)
(電凸は関係ない吉野家社員にはいい迷惑ですが)
出る杭は叩かれるものですが、叩かれるにはそれなりの理由が在る事も多いかと思います。
そして“「縛るもの」が頼りないものであるということ”はなく、
こうして叩かれる事で、世間の必罰主義により、「縛るもの」は堅固に存在しているのです。
“蓋をしたはずの自由が溢れ出して、そこらじゅう水浸しに”なるのは
総合的に見て決していい事ではありません。自由の洪水は無辜の市民の生活に害をなす事が多いです。

たろうたろう 2007/12/03 19:24 全面的に賛同というわけではありませんが・・・まぁテラ豚丼なんてそんなに問題にすることじゃあないっていうことはよくわかります。そして、無駄に叩いている人のキモさ、これは際立ってますね。この文章のどこにそんなにむきになってて叩く理由があるのかが僕にはわかりません。

NasiNasi 2007/12/03 19:29 全部読んでみました。以下感想
テラ豚丼はしたいことをしている、ですか。自由。悪いことではない、と。
これで祭ってる人間としては、彼らもしたいことをしてるわけですよ。許されることですよね?
行動原理にあるのは、おそらく「こういうことをする人間は社会的に抹殺したい」というものがあるでしょう。
テラ豚丼を作ってネットに動画をアップすることを自由というならば、そういう人間を社会的に抹殺するのも自由でしょう。
祭るのも祭られるのも、「自由」の結果ですわな。

あぁそれと、喫煙みたいに法律に明記されていることをわざわざすることを自由という神経は理解できません。年齢詐称はたしかにどうでもいいですね。

ていうかなげーよていうかなげーよ 2007/12/03 19:57 とんだ自由の履き違えですね。全部読んでないけどwww。
電凸するやつもどうかとおもうけど、テラ豚丼つくったやつは悪いよ。
それを自由っていうのはとんだゆとり教育な賜物ですね。


って、釣られたのかな

これはひどいこれはひどい 2007/12/03 20:20 夜勤は暇なのもわかるし、遊びたいのもわかる。だが、やっちゃいけないことの区別ぐらいはつけないとまずいだろう。
・吉野家にそれほど衛生面の期待はしていない。だけどさ、自分が食ったものを鍋に戻すって論外だろ。お前はそれを金払って食べようと思うか?
・テラマックとかは自己責任で買った上で、完食したからネタとして成立するわけで、こいつはこの無駄なテラ豚丼とテラ生野菜の代金を払ったのか?それに完食したのか?鍋に戻したんだろ?
・たいして影響力がないとはいえ、内部資料流出は機密保持の関係からもまずいだろ。

^^;^^; 2007/12/03 21:29 なんつーか、あれだよ?常識の範囲を逸脱した行為を自由なんて言葉でくくっちゃ駄目だよね。
不衛生だとか店で禁止されている撮影だとかまあ色々あるけれど、就業時間中に売り物で遊ぶなんて、論外ですがな。

我慢しているから?そんな訳ない。自らの労働に誇りを持てないのならそんな仕事止めるべきです。
消費者、労働者、どちらの観点からみても断じて許されない、社会的制裁を加えられて然るべき行為であるという結論に達するのは極めて当然の論理の流れだと私は思いますけどね。

chintaro3chintaro3 2007/12/03 22:19 応援するよ。俺もそう思うよ。

toledtoled 2007/12/03 23:11 > りだるさん 2007/12/03 14:30
> しかしこの視点はなかった。

そう思っていただけてうれしいです。ただ、2ちゃんねるでも良く見ると別にいいじゃんって声もありますね。

>ななしさん 2007/12/03 14:53
> 分かりづらい書き方してうやむやにしているが、やっていいことと悪いことの区別はついているか?自由なんてものは他人に迷惑がかからない範囲で許されるものでしょう?

許す許さないというよりは、人間は無限に自由なんです。自由からは逃れられません。

> 痛ニューよりさん 2007/12/03 16:28

まず、しっかりと全体を読んでくださった上でのコメント、ありがとうございます。

> 労働者と資本家の間には「契約」があるのでは?

明らかに不当な契約は、同意があっても無効です。これはブルジョア法においてもそうで、たとえばグレーゾーン金利問題では当事者が自由な意思に基づいて結んだ契約も(上限超過分は)無効になりました。

で、人間は無限に自由なので、自由を売り渡す契約を締結することが、そもそも不可能です。

> (資本家無視で労働者マンセーでは、共産革命を見ることに成ります)

同意します。

> たろうさん 2007/12/03 19:24
> この文章のどこにそんなにむきになってて叩く理由があるのかが僕にはわかりません。

お気遣いありがとうございます。ただ、今回のエントリーの導入部分は、自分を棚に上げた書き方になっていた面があったかもしれないと思います。自己批判的なことも書いていれば もっと気持ちよく読んでもらえたのかもしれません。

>Nasiさん 2007/12/03 19:29
> 全部読んでみました。

ありがとうございます。

> テラ豚丼を作ってネットに動画をアップすることを自由というならば、そういう人間を社会的に抹殺するのも自由でしょう。
祭るのも祭られるのも、「自由」の結果ですわな。

そうです。まさにその通りです。だから、法も道徳も常識も宗教も、何ものも言い訳にはなりません。

>ていうかなげーよさん 2007/12/03 19:57
> とんだ自由の履き違えですね。

自由は履くものではありません。生きるものです。

> 全部読んでないけどwww。

たしかに長文でした。けど、このブログには↓みたいのもあるからよかったら ついでに見ていってください。
http://d.hatena.ne.jp/toled/20070803/1186158901

> これはひどいさん 2007/12/03 20:20

論点整理乙彼さまです。ただ、僕が言いたいのはそういう論点は関係ないということです。

> ^^;さん 2007/12/03 21:29
> なんつーか、あれだよ?常識の範囲を逸脱した行為を自由なんて言葉でくくっちゃ駄目だよね。

というか、常識を守るのも自由なんです。

> 我慢しているから?そんな訳ない。自らの労働に誇りを持てないのならそんな仕事止めるべきです。

「誇り」を持つことと仕事中に遊ぶことは特に矛盾しないと思いますが。

> chintaro3さん 2007/12/03 22:19
> 応援するよ。俺もそう思うよ。

ここまでで唯一の「はてな」IDでのコメント、涙が出ましたw

イオイオ 2007/12/04 01:34 ツネノチャン、ガンバー!!!
そういえば、今疑惑のマック。
昔さ、作り置きは10分だかで捨てるとかいう話でさ、バイトしてる奴にもったいないって、エコなこと言ったら、
「でしょ、だからうちの店は30分はもたしてる」
とか言われちゃってさ。
そうなるとちゃんと捨ててくれって気にもなったわけ。
悩ましいよね、生きるのって。

AA 2007/12/04 03:17 論理の展開がアクロバティック過ぎて私には理解できませんでした。
自由を享受する為には社会的なモラルは蹂躙されても良いという考えでしょうか。
動画を投稿した人間は、自腹で食材を買って私の場所で実行すればよかった。
彼(彼女?)がTPOを弁える事の出来る人間だったならば、
ここまでの騒ぎにならなかったでしょう。
今回の件は、労働に従事する、つまり社会的に責任を負う立場の人間ならば
誰でも「あ、これやっちゃマズいよな」と回避できるものだったと思います。
それを敢えて行う人間に対してはもちろん忠告すべきです。
更に言えば、投稿者はその忠告を聞き入れるどころか
まるで何も無かったかのように一方的に動画を削除しました。
これは責任の放棄です。
では、その放棄された責任は今度は何処へ向かうのでしょうか?

^^;^^; 2007/12/04 03:40 常識を守らないのを自由とするならば、それは明確に社会から逸脱した社会不適合者であり、社会から叩かれるのは当然ですよね。
そういった自由を選択する方は社会から外れたところで生活すべきでしょう。
社会的に悪いと規定されていることは、それはもう何がどうあっても社会では悪いことなんです。悪法も又法なりですね。
一体、何がどう許されない行為なのかさっぱり理解できません。

自身の仕事に誇りを持っていれば自らの仕事を自ら侮辱する様な行為なんてとても出来ませんし、やりたいとも思いませんよ。

馬鹿だね・・・馬鹿だね・・・ 2007/12/04 05:52 馬鹿じゃねーの。
給料を会社からもらってるんだから、その間の
拘束時間は会社の為に真面目に働くのは当然の事だろ。
馬鹿なうp主の動画のどこを見て「自由」うんぬん
言えるんだ。脳みそ腐ってるだろ

VIPからきますたVIPからきますた 2007/12/04 05:55 長くて読む気しないから3行にまとめてくだしあ

^^;^^; 2007/12/04 06:52 登校拒否して嫌なこと辛いことから逃げてきた
社会不適合者は発想が違いますね><

ささささ 2007/12/04 07:38 全文読んでませんが・・・
テラ豚丼事件はこれ以上燃え上がらせる必要はないと思いますが、
この犯人の行為そのものは従業員としてだめだと思います。
個人の自由としてはともかく、従業員として。
職場が明るく楽しい事で、そんなに生産性があるのでしょうか?
私自信適当な性格なのでよく分かるのですが、動画のようなおふざけが
出来る環境は「いきすぎ」で、お客様に良い接客は出来ないと思います。
お客様第一の接客業として、ありえない動画です。

いやいやいやいや 2007/12/04 07:39 自由云々以前に、汚いでしょ。
消費者としてはあんなこと店にやられてたらたまらんよ。
吉野家ガキのころから家族で食ってるから正直怒りが凄いよ。
そういう人って俺だけでは無いと思ふ。

足りない頭で考えろ足りない頭で考えろ 2007/12/04 08:17 おまえは消費者としてああいうものを金を払ってでも食べたいのか?
従業員の食べかけ、腕を伝った汁、不衛生だとは思わないのか?

orz66orz66 2007/12/04 09:42 これ釣り??

toledtoled 2007/12/04 10:04 > イオさん 2007/12/04 01:34
> ツネノチャン、ガンバー!!!

ありがとうございます。

> 悩ましいよね、生きるのって。

そこでソレルです。

> Aさん 2007/12/04 03:17
> 自由を享受する為には社会的なモラルは蹂躙されても良いという考えでしょうか。

モラルを作るのは人間の自由です。それに従うのも自由だし、修正するのも無視するのも破壊するのも自由です。倫理的であるというのはそういうことです。

> では、その放棄された責任は今度は何処へ向かうのでしょうか?

自由と同じように、責任はそもそも放棄することは不可能なので安心してください。

> ^^;さん 2007/12/04 03:40
> 常識を守らないのを自由とするならば、それは明確に社会から逸脱した社会不適合者であり、社会から叩かれるのは当然ですよね。

そういう言い方を僕は批判したいんです。「叩かれるのは当然ですよね」と言っているあなたが叩いてるんです。あなたは自由な人間です。だからあなたは全てのことに責任を負ってます。

> 馬鹿だね・・・さん 2007/12/04 05:52
> 給料を会社からもらってるんだから、その間の
> 拘束時間は会社の為に真面目に働くのは当然の事だろ。

「当然の事」も、自由を前にしては無力です。ひょっとしたら、明日出勤したら誰もいないかもしれません。ゼネストです。

> VIPからきますたさん 2007/12/04 05:55

このように板を明示してくださると嬉しいです。

> 長くて読む気しないから3行にまとめてくだしあ

たしかに長いですね。そこでお勧めしたいんですが、まず、↓を読んでください。最後まで。
http://d.hatena.ne.jp/toled/20071128/1196213285
そしたら今回のエントリーも、ぐっと楽に読めます。イチローが、バッターボックスに入る前に あえて重いバットで素振りをするのと同じです。

> ^^;さん 2007/12/04 06:52
> 登校拒否して嫌なこと辛いことから逃げてきた
> 社会不適合者は発想が違いますね><

今回、一番嬉しかったコメントです。最近は不登校も当り前のことになって肩身が狭い思いをしてました。これからもよろしくお願いします。

> さささん 2007/12/04 07:38
> 個人の自由としてはともかく、従業員として。

「従業員として」振舞うとしても、それは自由でやってるのです。

> 職場が明るく楽しい事で、そんなに生産性があるのでしょうか?

ごめんなさい。上で生産性という言葉を出してしまったのは僕ですが、正直それはどうでもいいです。

> お客様第一の接客業として、ありえない動画です。

「ありえない」、良い言葉ですね。

> いやいやさん 2007/12/04 07:39
> 自由云々以前に、汚いでしょ。

僕はあの程度なら気になりませんし、これからも平気で外食産業を利用するつもりですが、あなたがそういう気持ちをもつのは自由です。好みの問題ですね。

> 足りない頭で考えろさん 2007/12/04 08:17
> おまえは消費者としてああいうものを金を払ってでも食べたいのか?

吉野家にわざわざ行きたいかと問われれば、「別に」と思います。でも食べないと死にます。だからよく入ります。

どんだけーどんだけー 2007/12/04 10:49 >ちっとも悪くないことが悪いことにされてしまうとしたら それは恐ろしく悪いことです。
>ちっとも悪くないことが悪いことにされてしまうとしたら
>ちっとも悪くないことが

ニヤニヤ動画ニヤニヤ動画 2007/12/04 12:56 俺が常野を殺すのも自由ということでよろしいでしょうか。
夜道には気をつけてwww

toledtoled 2007/12/04 14:04 > orz66さん 2007/12/04 09:42
> これ釣り??

釣りじゃありません。ダイビングです。

> どんだけーさん 2007/12/04 10:49

リピート練習は最強の勉強法だと思います。

> ニヤニヤ動画さん 2007/12/04 12:56
> 俺が常野を殺すのも自由ということでよろしいでしょうか。

すごくいいポイントをついています。そうなんです。それも自由です。けれども不思議なもので、自由だとわかると人が殺すのがとてつもなく難しくなります。

これも自由?これも自由? 2007/12/04 18:24

  〃 ̄ヽ
 r-|| O|
 `ーヾ、_ノ
   ||
 r-/ ̄|、
 ヽ__シ

    ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛
    ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛
  ∧∧γ⌒ヽ ア゛ア゛
  ( ゜∀iミ(二i ア゛ア゛
  /  っ、_||ノ ア゛ア゛
〜( ̄_)_)r-||-、
     `――′

   ゴル゛ァ゛ァァァー
  ∧∧γ⌒ヽ
  ( ゜Дiミ(二i
  /  っ、_||ノ
〜( ̄_)_)r-||-、
     `――′

ARTEMISARTEMIS 2007/12/04 19:42 自由を理解したとき
私は自由が悪だと改めて思いました
一般的に言われている自由は善とされていますが
それは自由とは別物です
自由は自由でしかなく まして善でも悪でもありません
だから私は自由が悪であると思うのです

ていうか気持ちワリーていうか気持ちワリー 2007/12/04 20:15 韓国人みたいな気持ち悪さを感じる。

おまいらおまいら 2007/12/04 21:59 こいつは構ってほしくてこんな事書いてるんだから
構った時点でお前らの負けだw

toledtoled 2007/12/04 23:47 > これも自由?さん 2007/12/04 18:24

殺伐としていたところに和み系AAありがとうございます。ちなみに僕は、AAに限らずコピペが大好きです。いつかコピペされるような文章が書けるようになりたいです。そのためには、まず短文を作る練習が必要でしょうね。どこか短いところがあって、それを文章を長くすることで補おうとしてるのかもしれません。なんて、また長くなっちゃいました。でも優れたコピペは、どんなに一所懸命に書いた文章よりも高い価値をもっています。あなたが一瞬で与えてくれた感動に応えようとして、思わず言葉が止まらなくなってしまったのです。ちなみに↓のエントリー、ちょっと自身があります。

http://d.hatena.ne.jp/toled/20060609#p1

僕の夢はこれをAA化することです。実現したら、まずあなたにコピペしてもらいたいです。

> ARTEMISさん 2007/12/04 19:42
> だから私は自由が悪であると思うのです

しかしそう思うのもまた自由なんです。自由を捨てる決断をしても、その決断を捨てるかどうかを一瞬ごとに永遠に決断し続けなければなりません。このことについて考える素材として、『ブラッド・ダイヤモンド』という映画をお勧めします。ディカプリお
主演です。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000S6LHRG/toled-22

当然これもアフィリエイトです。

> ていうか気持ちワリーさん 2007/12/04 20:15
> 韓国人みたいな気持ち悪さを感じる。

「韓国人みたいな気持ち悪さを感じる」と書くようなあなたに「韓国人みたいな気持ち悪さを感じる」と書いてもらえなかったとしたら絶望的に不名誉になるところでした。助かりました。ほんのお礼として、超絶エロシーンのある映画をこっそり紹介します。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000C7P89/toled-22

ブライアン・デパルマ監督の『ファム・ファタール』です。非モテで悩んでいる友人がいたら、プレゼントしてください。非モテであることを神に感謝して何かの宗教に入ってしまうかもしれません。セックスする義務がないぶん、全力を挙げてこの映画を鑑賞できるからです。

ただ、DVDを買う人の気がしれません。レンタルすればいいじゃないですか(レンタル店が近所にない場合は無理だけど)。何度も観たいという気持ちはわかるけど、買うお金で10回借りれます。で実際にはまず10回も観ません。

だから買うことはありません。でもレンタルしてみて、「これは確かにエロイ」と思われたら、次にアマゾンで本を買うときに僕のIDをつけてください。

ところで『ファム・ファタール』ですが、観ているうちに自由について考えるのが止まらなくなるかもしれません。

> おまいらさん 2007/12/04 21:59
> こいつは構ってほしくてこんな事書いてるんだから
> 構った時点でお前らの負けだw

図星です。でもそれを あえて書き込みに来てくれた あなたの英雄精神に感動しました。革命が成就した暁には、あなたに名誉党員メダルを進呈します。eBayで100万ドルはつくかもしれないです。ただし、革命が起きるとドルは無効になります。それまでは、↓を観ながらマターリしててください。

http://jp.youtube.com/watch?v=57hSqLLfOv4
今YouTubeで一番人気の動画なので既に ご覧になってるかもしれませんが、何度見ても幸せになれます。この動画をリピートするために、一分でも長生きしましょう。

taigiitaigii 2007/12/05 00:22 豚丼ぐらいドーってことないさ。
騒ぎすぎだよね。

自由とはなんぞや?自由とはなんぞや? 2007/12/05 04:19 責任を負い、義務を果たし、自由を得る。
違うか?

通りすがり通りすがり 2007/12/05 05:21 すいません、主さんのコメント見てたら腹立ったんでちょっと書かせて貰います
今回のこの件についてあなたは自由がどうとか言ってますけど
自由は一定水準のモラルや常識の範囲内で好きに行動することを言うんですよ
テラ牛丼の件については確実に「勝手」になります、アウトローって事ですね
あなたは主張している事はただの詭弁です、義務の放棄で好き勝手している方々が自由の主張の象徴だと言いたい訳ですか?
自由と勝手を同じモノにしないで頂きたい

それにもしあなたの目の前であんなにボトボトと落とされて遊ばれた肉が
ご自身の目の前に提供された場合どんな心境ですか?
アウトロー精神も好きですけど布教するのはやめて下さい

それともう一つ、ただ単に馬鹿にして来た方々煽るのは勝手ですけど
真剣にあなたの意見に対し反論を申し出た方々に下らないジョークはいりません

corpvscorpvs 2007/12/05 09:36 >お前ネトウヨだろ?
がんばってください。ネトウヨらしいですよ。
はてな民も2chの人たちみたいに、ブクマするんじゃなくてこうやってコメント書けばいいのにね。

俺的には俺的には 2007/12/05 09:54 まぁ考え方は人それぞれ
この動画のどこが気に入らないか悪いか悪くないか思うのも人それぞれ
この動画upした本人が豚丼を少しだけ食べて元(鍋)に戻したと言ってる
のをご存知ですか?
この自分が食べたものを鍋に戻したというのが一番の問題なんだが
それを含めてみんな叩いてるんじゃないの?

何人目かの通りすがり何人目かの通りすがり 2007/12/05 11:29 みんな自由が恐いんだなあ・・・。
怪物ではあるかもしれませんけどね。
一番笑ったのは「勝手」という新手を繰り出してきた方ですがw

自由がぶつかり合った際の調整役として「常識」やら「道徳」やら「法」やらが
呼び出されるという順序(というか序列)が把握されてないような・・・。

日本に民主主義は早かったのかな・・・。
地歴ばっかで公民とか倫理をおざなりにするから・・・。

とーりすがりとーりすがり 2007/12/05 14:02 売名行為テラ痛いwww
炎上うれしいよねーw
常識ね〜な、ゆとり

tomotomo 2007/12/05 15:46 斬新ですね。
会社VS労働者、会社は自由を縛れない、
そういう切り口だとそういうことになるかもしれないですね。
僕にはたいして見識がないので評価しかねますがw

ただ、動画閲覧者が消費者になりえる食べものを、
粗末にした映像を、公共的な場にあげちゃったのが
問題だと思います。
たとえば、水道局の上水道で顔を洗われたようなw
気持ち悪さを喚起しちゃうと思うので。

祭られさえしなければ、風評や株価にも影響なく、
会社も対応しないで済んだでしょうが、
気持ちの悪いものはさすがに攻撃を免れないんじゃないかと。

まぁ、僕は今日も吉野家行ってきましたけどね。

修理に出さなきゃ‥修理に出さなきゃ‥ 2007/12/05 15:51 オレの携帯の辞書は壊れてるかも‥。

「自由」をしらべたら‥。

「他から支配や強制を受けず自分の思いどおりにできること」となってる‥。

toledtoled 2007/12/05 18:00 >> taigiiさん 2007/12/05 00:22
> 豚丼ぐらいドーってことないさ。

昔、ブレヒトっていうドイツの共産主義者が「銀行強盗がなんだっていうんだ。銀行創立に比べたら」と言ったそうです。

>> 自由とはなんぞや?さん 2007/12/05 04:19
> 責任を負い、義務を果たし、自由を得る。
> 違うか?

違います。

>> 通りすがりさん 2007/12/05 05:21
> 今回のこの件についてあなたは自由がどうとか言ってますけど
自由は一定水準のモラルや常識の範囲内で好きに行動することを言うんですよ

不思議なもので、モラルや常識に100%忠実であろうとすると、気がついたらテラ丼を作っていた、ということがあります。これはジジェクという旧社会主義国出身の芸人がよく使うネタなんですが、スターリンが演説しているときに、「そんなの間違ってる!」と叫んだら、もちろん銃殺されます。けれども、もしそこで「気でも狂ったのか? 同志スターリンを批判することが許されるわけはないだろう!」と突っ込む者がいたら、そっちの方が先に処刑されるんです。あくまでも一定の自由が保証されている環境の中でスターリンが支持されているという外観(=見た目)を保つことが重要だからです。モラルや常識を人々が大真面目に語るようになったら、もう半分崩壊しています。道徳教育は、道徳に対する反逆行為です。だから、「教育再生会議」の皆さんには、革命後は違法薬物の配給クーポンを通常の二倍支給させていただくことが、先日の党大会で決定されました。

> アウトロー精神も好きですけど布教するのはやめて下さい

信仰に自信を持っている人は、どんな邪教や異端の「布教」も怖れません。なぜならば、そんなものに引っかかることは確実にないからです。逆に「布教」を見て不安になるとしたら、テラ豚丼を作る素質大です。

> それともう一つ、ただ単に馬鹿にして来た方々煽るのは勝手ですけど真剣にあなたの意見に対し反論を申し出た方々に下らないジョークはいりません

僕は本気です。

というのは半分冗談ですが、ジョークを言うときに「相手が笑ってくれるだろうか???」という不安を抱えていると必ず失敗します。むしろ、「嫌われたい!」くらいの自爆精神が必要です。

>> corpvsさん 2007/12/05 09:36
> はてな民も2chの人たちみたいに、ブクマするんじゃなくてこうやってコメント書けばいいのにね。

たしかにブクマとこのコメント欄だと雰囲気が全然違いますね。でも、スーパー銭湯に行くと、サウナ室の隣に水風呂があります。その温度差がいいんです。ブクマと※欄を見比べることで、思考の血行が促進されます。ただし、やはりアクセスが上がるブクマの方が嬉しいです。正直なところ。だから「はてな民も2chの人たちみたいに、ブクマするんじゃなくてこうやってコメント書けばいい」というよりはむしろ、2ちゃんねらーにも はてなーのようにブクマしてもらいたいと僕は思ってます。もちろん、ブクマと※欄両方に書いてくださるcorpvsのような方に一番ハートを刺激されます。

>> 俺的にはさん 2007/12/05 09:54
> この動画upした本人が豚丼を少しだけ食べて元(鍋)に戻したと言ってるのをご存知ですか? この自分が食べたものを鍋に戻したというのが一番の問題なんだが
> それを含めてみんな叩いてるんじゃないの?

それについては↓こういう話もあります。
http://tail.s68.xrea.com/blog/2007/12/post_112.html

ただ、僕は真相なんてどうでもいいです。おフランスの電波系芸人で、こういうことを言った人がいます。妻が浮気をしているのではないかと疑ってヤキモチを妬いている男は、浮気が事実であったとしても病的である、と。それと同じです。これについては、↓で書いてます。

http://d.hatena.ne.jp/toled/20050714/p1
僕としては長短文ですね。

>> 何人目かの通りすがりさん 2007/12/05 11:29
> 日本に民主主義は早かったのかな・・・。
> 地歴ばっかで公民とか倫理をおざなりにするから・・・。

そういう発想もまた、自由からの逃走であると僕は思ってます。インテリ版の自己欺瞞です。バカな「大衆」を想定して、自分が反逆しないことの言い訳にしているからです。これについては、↓で中島みゆきの「永遠の嘘をついてくれ」という神曲をネタにしつつ論じています。
http://d.hatena.ne.jp/toled/20070726/1185459828

長いんですが、これでも途中です。とりあえず[後で読む]でブクマしてください。ただ、中島みゆきは本当に神なので、リンクしている動画を見るためだけにでもURLを打ち込む価値はあります。

>> とーりすがりさん 2007/12/05 14:02
> 売名行為テラ痛いwww
> 炎上うれしいよねーw

嬉しいです。それが分かってる人までが こうやってコメントを入れてくれたわけですから。

> 常識ね〜な、ゆとり

そのうち、ゆとらーたちが中年になって子育てをしたり教師になったり繁華街をうろついて若者に声をかけて回るようになります。そうして育った子どもたちもやがて大人になるのです。やがて、国全体がテラゆとり王国になります。ゆとらーに常識がないのだとすると、常識って一体なんなんだろうって思いますね。

>> tomoさん 2007/12/05 15:46
> 僕にはたいして見識がないので評価しかねますがw

「たいして見識がないがないので」というのは、並外れて見識がある人しか言っったりはしないというのが見識ある人の見識です。だから、大丈夫です。自信を持ってください。

> 祭られさえしなければ、風評や株価にも影響なく、
> 会社も対応しないで済んだでしょうが、
> 気持ちの悪いものはさすがに攻撃を免れないんじゃないかと。

「攻撃を免れない」という言い方を僕は批判してるんです。そうじゃない。自分が攻撃するかどうかを選ぶんです。実はあなたも自由なんです。つまりあなた自身がテラ丼です。

> まぁ、僕は今日も吉野家行ってきましたけどね。

僕も昨日の夜に行きました。そしたら、店の片隅に50円引きのクーポンが高く積まれてました。それを見つけた人は皆その場で使ってました。オチはないです。

>> 修理に出さなきゃ‥さん 2007/12/05 15:51
> オレの携帯の辞書は壊れてるかも‥。
> 「自由」をしらべたら‥。

安心してください。裏ワザを伝授します。秘密の呪文です。「自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由……」と5分間唱えてください。声に出すのが重要です。恥ずかしかったら、電話ボックスを探して、電話しているフリをしながらやってみるといいでしょう。ふと気がつくと、心の辞書が開いています。ジブンピディアです。

ただ、最近は公衆電話がないですね。この前、携帯を忘れたせいでヒドイ目に遭いました。

支離滅裂支離滅裂 2007/12/05 22:10 どう考えようが究極的には自由なんてありはしないんだから、一人で社会規範に反論を唱えても無駄。まぁありはしないと諦めてかかって何もしないのは愚行だが

自由だどうのっていいつつ、電凸は許されないとか何なの。自由ならいいんじゃないの。何が良いだとか悪いだとかあなたの考え方でいくなら個々人が判断していいんだから、やりたいようにしとけばいいでしょう。その結果、あなたが食中毒おこそうが、死のうが一つの自由の結果だったってこと。

不安だの妬みだのいってるけど、単に気分悪いからだろ。
あとはノリじゃないの。不安も妬みも感じてるやつなんざほとんどいない


確かに、今の社会の奴隷みたいなやつは腐るほどいるけれども、ルールはある。
かえれる力もないやつが、逆らったら然るべき処置を受けるのは当然でしょ
弱いやつは単に駆逐されるだけ。
君ここがどこだかわかってるの?日本です。あなたのつくった国じゃないんだよ
国から保護うけてます。だからルールには従えって話
選択権はないけどな。金もらってるのに商品で遊んでたらよく思われないのは当然、っていうルールが浸透してるからそれはダメなんだよ。


常識は何かって、そりゃ大衆が盲信するものだ。
ゆとりと皮肉られてるバカなやつは昔っからいくらでもいるし、そうはかわらんだろ。

aiai 2007/12/05 22:27 何一つとして同意出来ない。
どんな環境で教育受けて来たのか、どんな環境受けたらこんな人間が生まれるのか不思議だ。是非教えて欲しい。

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1063957.html
まだまとめはないみたいだけど、これを読んでも何をしても自由だと言えるのか、どう思うのか聞かせてくれ。
これさえも自由の範疇なのかな?
やっぱり程度関係なく、どんなことをしても自由だと許すのかな?
お前はこれすらも許容出来るんだよね?
誰かの犠牲の上に成り立つ自己中心的な自由を認めるんだよね?
誰かの自由のために、誰かの自由が害されてる矛盾って何なんだろうね?
自分だけが唯一の被害者であっても同じことを言えるんだよね?

tata 2007/12/06 00:34 これだけ常識に洗脳されている人間が多いということは日本もかなりの先進国という事ですねw

すき家すき家 2007/12/06 01:20 日本人は曖昧さや沈黙を美徳としますが、食の問題だけは絶対に許せないんですよ。そういう民族性なんだからしょうがない。

kk 2007/12/06 01:56 むしろ洗脳されてるのは自由だのなんだの言ってる奴の方w

長文ですみません長文ですみません 2007/12/06 04:01 ・テラ豚丼を作ってその動画をうpするのも自由
・それを不衛生、不愉快だと批判して抗議の電話をするのも自由
・そのような抗議を受けて経営者がそのバイト生に処分を下すのも自由
・そして抗議した人たちをtoledさんが批判するのも自由
・そのtoledさんをみんなが批判するのも自由

自由って言葉を使ったら全て肯定的になっちゃうんですけど…。

例えば
・権力者がどんな内容の法律を作るのも自由
・それを人々が守るのも守らないのも自由
・ただ権力者が法律を守らない人を処罰するのも自由

toledさんの言っているように無限に自由という概念が正しいとしたら、
身分の高い人が人々を苦しめてもそれは肯定的という事になりますよね?

自由という言葉は封建的身分制からの解放のために使われた言葉なのに、
toledさんの意見だと封建的身分制を肯定する形になるんですが…。

で、本題に戻りますが、toledさんは
バイト生(立場的には弱者)と
経営者、また顧客である一般市民(立場的には強者)
どっちを批判してどっちを擁護しようとしているんですか?
ホントに人間は無限に自由という考えをお持ちなら、
バイト生は批判され処分されても仕方ないという意見になるはずなんですが…。

ちなみに私の考えは、
この出来事に関わる人物=バイト生・会社の関係者・顧客
・食べ物で遊びたい(バイト生)
・不衛生で不快な印象の物は食べたくない(顧客)
・自社の商品のイメージを悪くするバイト生にはいて欲しくない(会社)

・バイト生一人が我慢すれば他のみんなの自由を確保できる。
・もしくはバイト生を処分するという形で他のみんなの自由を確保できる。

バイト生の行為を悪とする見方は相対的に正しい。

って感じです。
バイト生の行為は顧客にとっても会社にとっても害のある行為であり、
抗議や処分の対象として充分成り立つと思います。

誰かの自由のために他の多くの人たちの自由が
奪われなければいけなくなる場合は多々あると思います。
みんながみんなの自由をできるだけ確保しようとし、
それに反する偏った思想や行動を規制しようとして、
今の道徳や規則や契約や法律が生まれたんだと思います。
そして今まだ奪われている多くの自由を守るために
これからもそれらを変えていく必要があるのだと思います。
だから一人の自由でなくみんなの自由を考えるなら
道徳や法律などはとても大切なものだと思います。

ちなみに一人の自由で考えたなら、
なぜその一人にこのバイト生を選んだのか教えてください。
バイト生の擁護のために自由という言葉を使ったわりに
経営者らや顧客の自由を考えてない点において、
toledさんの考えは偏った視点からの意見、不十分な内容だと思います。

pokepoke 2007/12/06 08:37 > 祭られさえしなければ、風評や株価にも影響なく、
> 会社も対応しないで済んだでしょうが、
> 気持ちの悪いものはさすがに攻撃を免れないんじゃないかと。

「攻撃を免れない」という言い方を僕は批判してるんです。そうじゃない。自分が攻撃するかどうかを選ぶんです。実はあなたも自由なんです。つまりあなた自身がテラ丼です。

なぜこの言い方を批判されるのかわからない。
世の中では倫理道徳感はとても重要視されているわけで、しかも多数の人が道徳を信じているわけです。
そしてテラ豚丼をうpしたわけです。
そうなれば叩かれる、非難されるのは目に見えているわけです、当然といってもいいのでは?
私はこの店員さんがテラ豚丼を作ることを非難するつもりはありません。ただあまり賢い行動ではないな
と思うのです。実際店員さんはさんざん叩かれて、処分されたじゃないですか。

60com60com 2007/12/06 09:36 叩いて喜んでいる奴らはバカである
こういった下層階級同士の叩きあいは見るに耐えない
われわれの敵はもっとほかにいるはずである
叩いている側の矮小さのみが悲しみとして残る
法やモラルを支持することが唯一の自己防衛であるとしても
現実のところ誰もアナタを守ってはくれないのだ
叩いている側はなにか「見えざる見返り」を
求めているだけのように見えてならない

KOJIMARUKOJIMARU 2007/12/06 12:24 私が思うに、
『みんなそんなに真面目に物事をやってますか?』
です。

隠れていい加減なことばっかやってるでしょー。
みんな自分がすることはいいと思ってるから。
他人がやると許せないのにね。

私の提案としては、吉野家はこの騒動を逆手にとって
一時的にテラ豚ドンを商品化することです。

名無し名無し 2007/12/06 13:14 あなたの言いたいことはなんとなくわかる。

制度や規則というものが、いがいと虚構で、
見苦しい丼を作っちゃうのは、自由への希望というか、
歪みへの反動としてあるんだろう、というモノを感じ取ったんかな?

実は民主主義の存続のためのシステムを、一生懸命回してるだけのように思えるんだろうと。

ひとにはそれぞれ、ゆるがせられたくない価値観っていうのがあって、
たとえ虚構だとしても、それが必要な人もいるんですね。きっと。

だから、怒る人達の気持ちもわかるわ。

とっつぁんとっつぁん 2007/12/06 15:13 この便所の落書きでいっぱい釣れて主はさぞかし満足だろうwwwww

心理学講師心理学講師 2007/12/06 19:36 釣りでも何でも私にはどうでもいいけど、
主さんが本気でこういう考え方してるなら
自由を提唱する以前に、生きる自由は“結局”得られないんだから
普通に人間してる私が言えるのは「まぁがんばって生きて」のひと言くらい。
主さんみたいな人も世の中にはいるんだからもちろん存在は認める。
でも長く存在できるかどうかは定かじゃないね。

個人的には
>> 自由とはなんぞや?さん 2007/12/05 04:19
> 責任を負い、義務を果たし、自由を得る。
> 違うか?

違います。

の「違います」を「何故違うのか」説明してほしい。
どんな持論を繰り広げてくれるのかとても興味があります、ぜひお願いします。

釣り釣り 2007/12/07 01:15 釣りだろ?皆釣られすぎ

釣りだろw釣りだろw 2007/12/07 02:12 釣りだとしても
元々頭悪いんだろうけど、
ネタとして つ ま ら な い w

松本松本 2007/12/07 10:20 いつも愛読させてもらっています。
今回のエントリーは、ちょっと突っ込みが足りないんじゃないかという気がしました。人間が本来的に自由であるということが強調されているわけですが、それは現象の一面に過ぎませんよね。本源的に自由から逃れようのない人間が、不自由さを引き受けるというところに社会学の視点があるわけで、そういう視点を抜きにして「本来自由なのに...」という部分だけを強調しても、あんまり意味はないと思います。そして、その本源的な自由を圧殺している理由を構造的なところに求めないで個人の資質に求めてしまったのでは、いわゆるカギカッコ付きの「右翼」の言説と変わりません。左翼(そして反自由党党首)を自認される常野さんとしては、この部分で失敗しているのではないでしょうか。

通りすがり通りすがり 2007/12/07 12:24
自作自演多いね。

ナナシナナシ 2007/12/08 01:32 悪ふざけがたいへんな事になっちゃいましたね。処分されて然るべき事とはいえ、まあここまで大事になってやった方もやられた吉野家もついてなかったですね。でも私のようなニコ好きが時折思い出すくらいで、すぐに忘れ去られるのでしょう。それにしてもテラ豚丼、一度食ってみたかったな。

へうたむへうたむ 2007/12/09 02:24 いやいや〜、プチ炎上…。超米異罵詈コメにていねいにお返事を… 頭が下がります。愚生のメールにはお返事いただけませんでした(アホ・メールでした(^^;)ゞ)し、ANNのこちら http://www.allneetnippon.jp/2007/10/7_5.html にもレスいただけず〜(泣)。

>(資本家無視で労働者マンセーでは、共産革命を見ることに成ります) by 痛ニューより氏
逆じゃなかったっけ? まいっか。

おっと、電凸、じゃなかったコメ凸しようという者ではありません。しかし米異諸氏は善良なる市民ですね。

「自由」をあんまり理詰めで考えようとは思わないんですが、「自由」というものが単一で存している or 存していない、のではなく、自由はいつも他者との関係性において生ずるものです。だから、まさに
>俺が常野を殺すのも自由ということでよろしいでしょうか。夜道には気をつけてwww by ニヤニヤ動画氏
となるわけで、夜道に気をつけなくてもよい人なんかいないのです。ナントカ丼の映像ばかり云々されるけど、‘映像を見る大勢’(=大勢に閲覧される映像)はあんまり関係なく、‘その店で食べる人’との関係性だけが「自由」の問題に上(のぼ)ってくる、ような。定食屋でメシ食ったとき、バイト・スタッフさんは異様なほど大忙し。会計と配膳で死に物狂い。その合間に、ふと髪をいじる、そのままの手で皿を触る、それはやはり気になる…。でも、私は咎める気にはなれませんでした。時給数百円で必死に仕事をこなす彼、と、そのサーヴィスを受ける私、との関係。そこにはスタッフの9割ががバイトという形で収益を上げるチェーンの存在も関わり、そいうところでしか食事ができないフリーターの私、という構図もあり。人と人、の関係のうちに「自由」の存在と非在とがあるようです。

toledtoled 2007/12/10 12:52 >>支離滅裂さん 2007/12/05 22:10
> どう考えようが究極的には自由なんてありはしないんだから、一人で社会規範に反論を唱えても無駄。

そう決めているのが あなたの自由です。

> 自由だどうのっていいつつ、電凸は許されないとか何なの。自由ならいいんじゃないの。何が良いだとか悪いだとかあなたの考え方でいくなら個々人が判断していいんだから、やりたいようにしとけばいいでしょう。その結果、あなたが食中毒おこそうが、死のうが一つの自由の結果だったってこと。

そうなんです。自由です。しかし一つだけ訂正させていただくと、自由は「結果」であると同時に、「原因」でもあります。だから自由は恐ろしいんです。私が生きる一瞬一瞬が倫理です。

『シンドラーのリスト』のラストシーンを思い出してください。オスカー・シンドラーが泣き崩れます。この指輪を渡せば あと6人救えた。この車を売り払えば あと4人リストに載せることができた……。「死ぬ死ぬ詐欺」が「本当にお金を必要としている人」から寄付金を奪っているというのは馬鹿げています。100円寄付した人は、「なんで200円入れなかったんだろう」と自問自答して眠れなくなります。気がついたら、年末ジャンボの3億円を全額差し出してるんです。まあ100円入れたらスッキリするということもありますが。

> 確かに、今の社会の奴隷みたいなやつは腐るほどいるけれども、ルールはある。かえれる力もないやつが、逆らったら然るべき処置を受けるのは当然でしょ
> 弱いやつは単に駆逐されるだけ。

「かえれる力もないやつ」なんてどこにもいません。全ての人間は変わり続け、変え続けています。変わっていないように「見えて」いたとしても、それは変わり行くものが変わっていくのを変わらないように変えようとする不断の努力の結果です。

> 常識は何かって、そりゃ大衆が盲信するものだ。

違います。大衆が常識を盲信しているというまさにその言い方自体が常識なのです。

>>aiさん 2007/12/05 22:27
>どんな環境で教育受けて来たのか、どんな環境受けたらこんな人間が生まれるのか不思議だ。是非教えて欲しい。

自由は、どんな教育をも、一瞬でキャンセルしてしまいます。だから、aiさんがそのことに気づいた今、たとえaiさんがどんなに立派な教育を受けていたにせよ、あなかたが今自由であるということが重要です。つまり、あなたも明日辺り、テラ丼を作っているもしれないのです。

> http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1063957.html
>まだまとめはないみたいだけど、これを読んでも何をしても自由だと言えるのか、>どう思うのか聞かせてくれ。
> これさえも自由の範疇なのかな?

自由です。

>>taさん 2007/12/06 00:34
> これだけ常識に洗脳されている人間が多いということは日本もかなりの先進国という事ですねw

自由は無限です。だから、「日本」なという単位はつきぬけてしまいます。私は、世界全体に対して責任を負っています。

>> すき家さん 2007/12/06 01:20
> 日本人は曖昧さや沈黙を美徳としますが、食の問題だけは絶対に許せないんですよ。そういう民族性なんだからしょうがない。

「しょうがない」と言ったらそこで試合終了です。どんな「民族性」があるにせよないにせよ、それと どう関係するかということを決めるのは他ならぬ私やあなたの自由です。

>> kさん 2007/12/06 01:56
> むしろ洗脳されてるのは自由だのなんだの言ってる奴の方w

脳は洗わないでください。死にます。『ハンニバル』のあの終盤のグロいシーンの時に目をつぶっていたのですか。


>>長文ですみませんさん 2007/12/06 04:01
僕は長文が嫌いです。長いからです。けど、良い長文は、ただ良いだけではなくて、そのような好みの基準自体を変えてしまいます。これを「モテナガ」と言います。

> ・テラ豚丼を作ってその動画をうpするのも自由
> ・それを不衛生、不愉快だと批判して抗議の電話をするのも自由
> ・そのような抗議を受けて経営者がそのバイト生に処分を下すのも自由
> ・そして抗議した人たちをtoledさんが批判するのも自由
> ・そのtoledさんをみんなが批判するのも自由

同意します。

> 例えば
> ・権力者がどんな内容の法律を作るのも自由
> ・それを人々が守るのも守らないのも自由
> ・ただ権力者が法律を守らない人を処罰するのも自由

同意します。

> toledさんの言っているように無限に自由という概念が正しいとしたら、身分の高い人が人々を苦しめてもそれは肯定的という事になりますよね?

この辺りから不同意です。それに対して「肯定的」であるかどうかということも自由なんです。

まず、「身分の高い人」の側の事情については、上で『シンドラーのリスト』を例に書いた通りです。でもそんなことはどうだっていいんです。なぜならば、「身分」であるとか「強い」「弱い」ということを支えているものもまた他ならぬ一人ひとりの自由であり、だから次の瞬間にはもうないかもしれないからです。

人間の歴史は、「強い」「弱い」がひっくり返ったり、違いがなくなったり、ひっくり返ったのがまたひっくり返ったりという繰り返しです。けれどもそれは、どこかに公平な神サマがいて、これは不当だとか、これが正義だとか、これは肯定できないとか、という審判を下した結果ではありません。神の名に行われた革命であっても。

そうでなくて、「弱者」が「強者」なり社会の掟なりに反逆した結果です。

けれども、秩序を転覆してしまえる「弱者」って、一体何なんでしょうか? 「弱者」が「強者」を打倒することに成功するとしたら、強いのはどっちなんでしょうか?

これは難問だと思います。一つの解答は、「結果」で判断するというものだと思います↓。

http://f.hatena.ne.jp/toled/20040910085606

たとえばソ連は崩壊しました。ということは反体制派の方が強かった。それに対
してアメリカは崩壊してない。ということは反米勢力は大したことない。

けれども「結果」は常にそれ自体が出発点です。その内ソ連らしきものが復活してまた大弾圧をやるでしょう。アメリカは滅んで数百年後に復興されるでしょう。「結果」で判断するのだったら、いつだって もう「結果」なのだし、いつになっても まだなのです。

> ちなみに私の考えは、
> この出来事に関わる人物=バイト生・会社の関係者・顧客
> ・食べ物で遊びたい(バイト生)
> ・不衛生で不快な印象の物は食べたくない(顧客)
> ・自社の商品のイメージを悪くするバイト生にはいて欲しくない(会社)
> →
> ・バイト生一人が我慢すれば他のみんなの自由を確保できる。
> ・もしくはバイト生を処分するという形で他のみんなの自由を確保できる。
> →
> バイト生の行為を悪とする見方は相対的に正しい。

> って感じです。バイト生の行為は顧客にとっても会社にとっても害のある行為であり、抗議や処分の対象として充分成り立つと思います。

自由を足し算で発想されていると思います。このような論理によって、皮肉にも市民的自由さえもがなし崩しになろうとしています。500万人を殺してしまうポータブル核爆弾の場所を知っているかもしれないテロリストを拷問することが正当化できます。

でも、自由は無限なんです。無限は何回足しても無限なので、「1人の自由」と「その他60億人の自由」を天秤にかけても、天秤が重みに耐えかねてかわいそうなだけです。っていうのは数学的にはちょっとアレな言い方かもしれないけど、自由は比較不能なのです。

>>pokeさん 2007/12/06 08:37
> そうなれば叩かれる、非難されるのは目に見えているわけです、当然といってもいいのでは?
> 私はこの店員さんがテラ豚丼を作ることを非難するつもりはありません。ただあまり賢い行動ではないなと思うのです。実際店員さんはさんざん叩かれて、処分されたじゃないですか。

上でも書いたように、何が「結果」っていうのは結果が本当に出てからじゃないとわかりません。そしてそれは永遠に出ないんです。

>>60comさん 2007/12/06 09:36
> 叩いて喜んでいる奴らはバカである

まあそれはそうだと思います。しかしそう書きつつも、僕はまだテラ豚丼を作ってないんです。僕はいつテラ豚丼を作るのだろかと思います。

>>KOJIMARUさん 2007/12/06 12:24
> 私が思うに、『みんなそんなに真面目に物事をやってますか?』です。

僕もそう思います。

> 私の提案としては、吉野家はこの騒動を逆手にとって一時的にテラ豚ドンを商品化することです。

実は、僕は電通から3,000万円もらってプロモーション記事を書いているのだ、というオチになるといいですね。

>>名無しさん 2007/12/06 13:14

> ひとにはそれぞれ、ゆるがせられたくない価値観っていうのがあって、たとえ虚構だとしても、それが必要な人もいるんですね。きっと。

虚構ってことも織り込み済みなんだと思います。この点については、↓の解説がわかりやすかったです。

http://d.hatena.ne.jp/kusamisusa/20071205/p1

>>とっつぁんさん 2007/12/06 15:13
> この便所の落書きでいっぱい釣れて主はさぞかし満足だろうwwwww

先日、さんまさんから伺ったお話です。俺はなあ、釣りかどうかなんて、ホンマはどうでもええんよ。釣りだったとしても、こっちが引っ張ったるつもりでいっつも食いついてってるで。最後に生き残るのは、その度胸がある奴だけや。長澤まさみもなぁ……。

そこで頭をパクッといってしまったので、続きは聞けませんでした。

今回はここまで! 現時点でコメントしてくださってる方には全レスしますのでまた見に来てね〜。

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