2008-11-30
id:realiste0よ、それは自己責任だ
「天誅、文科省局長ら殺害」と東大卒の男がブログに、逮捕
文部科学省局長らの殺害予告をインターネットのブログに書き込んだとして、警視庁は29日、東京都文京区本駒込、無職前田記宏容疑者(25)を脅迫の疑いで逮捕した。
同庁幹部によると、同容疑者は東大を卒業後、定職には就いておらず、「理想を持って勉強してきたが、教科書で勉強したことと社会の現実が違っていたことを思い知り、文科省にだまされたという感情が高まった」などと供述しているという。
発表によると、前田容疑者は今月20日、自分が開設したブログに「1週間以内に次の者を、その自宅において刺殺する」などと書き込み、同省局長や課長クラスの実在する幹部職員10人の名前を列挙して脅迫した疑い。
同庁幹部によると、前田容疑者は「目的は詐欺教育に対する天誅(てんちゅう)。国民主権を回復し、抵抗権を行使して悪を殺害する」などとブログに書き込んでいた。
今月2日ごろ、インターネット上のウェブサイトに、現職の東大教授を名指し、「殺害する」などと書き込んでおり、同庁が通信記録などを照会した結果、文科省幹部の脅迫も判明した。
(2008年11月29日19時17分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20081129-OYT1T00510.htm
文部科学省官僚への殺人予告をしているのは私です
(前略)
殺害予告の動機は、真に知的なことがらであり、要は、子どもにどうでもいいことや嘘ばかり教えたり、子どもを欺くことで子どもを操作し、最終的にはシステムに食わせようとしている狡猾な政府役人に対して、天誅を食らわせるということであり、通俗的な政治的経済的意図を持つものではありません。このような非論理的な支配体制は、結局、子どもを欺いて大人の都合の良いように操作するためのものであり、理想を真面目に信じた子どもに対する裏切りであり、醜悪極まりないものであります。実質的には、体制側には何も正当性がなく、屁理屈や強弁をするしか能がないのです。連中の考えていることは、子どもとは政治をする必要がない、の一点だけです。クズ中のクズであり、これを殺害しないでおくべきではありません。
教育とはなにか?
子どもとは誰か? 人間とはなにか?
そしてかつて子どもとして教育を受けたrealiste0よ、きみは何者なのだ?
結論から言おう。なぜならば僕はいつも結論から出発するのだから。
わたしたちは、責任という概念を取り戻さなくてはならない。
きみが受けた教育の詳細は知らない。
また、きみが現在の教育をどうらえているのかということは、知らない。きみのブログをこれからよく読めばわかるのかもしれない。
僕もまた教育が嫌いだ。
ただ、それはきみとは少し違うかもしれない。
繰り返す。
僕は教育が嫌いなのだ。
そしてそう言うときに、「醜悪な」とか「腐敗した」といった限定的な修飾語を使わない。
僕は教育が嫌いだ。
良い教育も悪い教育もない。ただ教育があるだけだ。
しかしきみの受けた教育はひどいものだったのかもしれない。
だがしかし。
きみはそのことに気付いているではないか。
そして、きみは現在の教育に対して批判的な考察をしているではないか。
その内容について、僕はまだ十分には理解できずにいる。
だが、教育がどのようなものであったにせよ、あるにせよ、それはきみの批判精神を破壊することはついにできなかった。
それだけはたしかだ。
もういちど問う。
教育とはなにか?
僕の答えはこうだ。
教育とは状況である。
人間とはなにか?
状況に対して責任をもつ者のことだ。
状況と関わり、状況に介入し、状況を変え、状況をまもる。
そしてそれが自由だ。
そして人間は常に自由だ。
自由であり続ける。
自由は目指すべきものではない。
自由は生まれたときから人間と共にあり、縁を切ることができない。
自由は無からやって来る。
今日、何人の人間が生まれるのだろうか?
そのときまた自由が誕生し、状況と関わり始める。
子どもとは誰か?
決して教育の被害者と思ってはならない。
人間だ。
教育とはその人間にとっての状況である。
どんな教育も、人間の自由を消し去ることはできない。
教育に従うのも、教育を疑うのも、教育から逃げるのも、教育を呪うのも、教育と戦うのも、すべて、きみの責任だ。
なぜならば、きみは人間だからだ。
そして人間は自由だ。
ただ一つ自由でないことがあるとすれば、それは自由でなくなることができないということだけだ。
そしてきみは牢獄にいる。
そしてそうなのだ、きみは今なお自由である。
それがきみで、きみはすべてについて責任を負っている。
なぜならば世界とは全体であり、それと人間が関わる限りにおいて全体は状況だからだ。
それがきみで、きみは自由だ。
では、僕はなにをしているのだ?
僕は人間だ。
したがって自由だ。
したがって全体が僕の状況だ。
きみも僕の状況だ。
マスコミも僕の状況だ。
警察も僕の状況だ。
きみは全世界に対して全責任を負っている。
そして僕もまた全世界に対して全責任を負っている。そして僕にとっての全体には、きみが含まれているのだ。
さあ。
僕は次の一瞬になにをするだろうか?
僕は上の記事を読んで泣いた。
なんでだろ。
きみがなにを言いたいのかはわからない。
ただきみが教育を嫌いなのだということはわかった。
僕は教育が嫌いだ。
しかし僕ごときに何ができる?
そうやって、僕は自分の自由を必死に忘れようとして生きている。
これをサルトルは「自己欺瞞」と呼んだ。
けれども、ときどきあるのだ。
ふとしたきっかけで、「見えてしまう」ことが。
僕はいま泣いている。
そして同時に不安だ。
さあ。
僕は次の一瞬になにをするのだろうか?
ふと、スパルタカスの反乱を思い出した。
お前たちのご主人様で、イタリア司令官であられるマーカス・リシニアス・クローサス様よりのメッセージだ。慈悲深き閣下から、お前たちの命は助けるようにとのご命令だ。お前たちは奴隷であったし、これからもそうあり続ける。だが、恐ろしい絞首刑は免除された。お前たちが、スパルタカスという奴隷の死体か生ける姿を特定するということが唯一の条件だ。*1
(……ざわざわ……ざわ…)
アイム スパルタカス!
アイ アム スパルタカス!
アイム スパルタカス!
アイム スパルタカス!
アイム スパルタカス!
アイム スパルタカス!
アイム テラ豚丼!
アイム テラ豚丼!
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スパルタカス スペシャル・エディション (ユニバーサル・セレクション2008年第1弾) 【初回生産限定】 [DVD]
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今日は仕事だ。
もう家を出なければならない。
けれどもその代わりに警察に行ったら?
今日は仕事だ。
通勤電車の中で、このブログを更新して、きみと同じような犯行予告を書いたらどうなるだろうか?
一人でそんなことやったってむだだ。
けど、はてな民が一斉にそれをやったら?
けど、はてな民が一斉にそれをやったとしたら、
どこかに最初の一人がいたことになるはずだ。
スパルタカスのときもそうだった。
さあ。
次の一瞬に僕は何をするのだろうか?
ふだん僕は「自己欺瞞」に守られていて、安心している。
けど、今朝はきみについての新聞記事をみて心がざわつきはじめた。
不安だ。
めまいがする。
サルトルはこれを「可能性の眩暈」と呼んだらしい。
もう家を出る時間だ。すぐに出ないと間に合わない。
*1:I bring a message from your master, Marcus Licinius Crassus, commander of ltaly. By command of His Most Merciful Excellency, your lives are to be spared. Slaves you were and slaves you remain. But the terrible penalty of crucifixion has been set aside, on the single condition that you identify the body or the living person of the slave called Spartacus.
2008-11-28
10万はてなポイントを進呈します。東浩紀の歴史修正主義を基礎づける記述が<デリダの文献にある>ことを発見できたら
東 世界にはいろんな立場の人がいます。たとえば、南京虐殺があったという人となかったという人がいる。ぼくは両方とも友達でいます。このふたりを会わせて議論させても、話が噛み合わないで終わるのは目に見えている。なぜならばふたりとも伝聞情報で判断しているからです。歴史学者同士なら生産的な会話は可能でしょう。しかしアマチュア同士では意味がない。(中略)ちなみにぼくは南京虐殺はあったと「思い」ますが、それだって伝聞情報でしかない。そういう状況を自覚しているのが、大塚さんにとっては中立的でメタ的な逃げに映るらしいですが、それはぼくからすれば誤解としかいいようがない。
大塚 南京虐殺があると思っているんだったら、知識人であるはずの東がなぜそこをスルーするわけ?知識人としてのあなたは、そのことに対するきちんとしたテキストの解釈や、事実の配列をし得る地位や教養やバックボーンを持っているんじゃないの?
東 そんな能力はありません。南京虐殺について自分で調査したわけではないですから。
大塚 でも、それを言い出したら何も言えなくなる。柳田國男について発言するのは柳田國男以外できなくなってしまう。歴史学自体がすべて成立しなくなってしまう。資料はすべて伝聞情報だからね。一次資料だって誰かのバイアスがかかっているわけで、南京虐殺論争だって、そのバイアスの部分で虚構と言うのか、あるいはバイアスを取り除いたところであったと言うのか。とにかく、東浩紀っていうのは、結局は人は何も分からないって言ってるようにしか聞こえないよ。
東 ある意味でそのとおりです。
大塚 (前略)つまり君が言っていることっているのは、読者に向かって、君は何も考えなくていいよと言っているようにぼくにはずっと聞こえるんだよね。
東 ええ。それはそういうふうにぼくはよく言われているので、そういう特徴を持っているんだと思います。
大塚 そうやって居直られても困るんだって。(209〜211頁)
http://watashinim.exblog.jp/8879908/ より孫引き
[↑読んでません。]
東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第6回(11/14)
(前略)
南京大虐殺について僕はあると思っている
しかしあるという奴とないという奴がいてこれを調整するのは不可能
いくらでも理論武装することは可能
この世界で公共性を考えるなら、まずあるいう奴とないという奴がいるんだ、
ということからはじめないといけない
と書いたところ、案の定批判が来た
批判が来るに決まっている発言
まさにそのまんまの反応が来る
何故分かっているということを信頼できないのか
左翼系の公共性の議論は突飛に見える
しかし公共性の定義の通りやったらそうなる
絶対的な真理なんかない
討議は無限に開かれていないといけない
僕はそういうところが出自なのでよく知っている
そのまんま実現するなら、南京大虐殺はあるという奴とないという奴が要る、という包摂
しかし歴史的真実は一個である云々
僕の発言がどこから出てきているのか
デリダ
指導教官は高橋哲哉 『靖国問題 (ちくま新書)』で有名
デリダを通ってしまうと、歴史的真実とか言えなくなる
言うということはデリダを裏切る
左翼とかポストモダニストが言っていたことはそういうこと
という文脈で話をしていたのだが、本では南京の部分だけが残された
それがネットにコピペ
ばーっと批判
いやいやいやいやいやいや。それはないないないないない。
まず、へんなエクスキューズがあってごちゃごちゃしていますが、東はここで明確に歴史修正主義の立場に立っています。7兆歩ゆずっても、容認はしてるでしょう。
で、それがデリダから出てくる?
ありえないってwww
言っておきますが、僕はデリダを読んだことがありません。
けど断言できます。それはないってば。
あのね、もちろん、いま私が見つめているスクリーンは本当に存在するんだろうか? とか。このコップをつかんでいる感覚はあてになるんだろうか? とか。自分以外の人間は実は火星人で、自分が見てないときにはパパもママも爬虫類のような姿をしてるんじゃないだろうか? とか。エッフェル塔は本当に存在するんだろうか? とか。
そういう疑問はありえます。っていうか、だいたい誰もが子ども時代に一度は思うことじゃないでしょうか?
そしてそのレベルにおいてであれば、当然「南京虐殺はあったと「思い」ますが、それだって伝聞情報でしかない」と言えますよ。そのような懐疑を一貫させれば、社会生活は不可能になりますが。
けどね。その種の懐疑というのは別にデリダの専売じゃないし、さっきも書いたように普通の人がふと抱いたりするものです。
それじゃあ東はデリダから何を引き出したのでしょうか?
というわけで、年末特別企画です。
デリダの文献から、歴史修正主義を正当化ないし容認する記述を見つけてください。
第一回ツネオ杯ゼロ道場アカデミー
一等賞:南京大虐殺否定論への容認を見つけた人→30万はてなポイントを進呈します。
二等賞:ホロコースト否定論への容認を見つけた人→20万はてなポイントを進呈します。
三等賞:具体的な事件への言及ではなくても、歴史修正主義一般を容認している記述を見つけた人→10万はてなポイントを進呈します。
締め切り:年内
*もし各賞に該当する記述を見つけた人が複数いた場合は、賞金は先着一名様のみとさせていただきます。また、一人で複数の賞に該当する場合は、最も高額な賞のポイントのみをお支払いします。
**日本語・英語で比較的容易にアクセス可能な文献に限らせていただきます(デリダは山のように翻訳されてるんだから、いいでしょ?)。
***該当箇所だけでなく、それがデリダ哲学全体の文脈の中でどのように位置づけられるのかということも示してください。っていうのが難しくても、少なくとも該当箇所を含む論文または章の文脈を踏まえてください。
****人によっては違う意味で使うこともあるようですが、ここでの「歴史修正主義」とはホロコースト否定論や南京大虐殺否定論などなどなどのことです。したがってデリダがこの言葉を肯定的に使っているかどうかということではなく、↑の意味での歴史修正主義を容認しているかどうかを探してください。
参考
みなさま、ふるってご応募ください。もちろん東さんご本人からの応募を最も期待します(東さんのお友達がいらしたら、この企画のことをお伝えください)が、誰でも応募できます。
なんで賞金を用意するのかって? 絶対に見つからないと100%確信してるからです。
逆に入賞者が出なかったとしても、僕は何も求めません。リスクフリーだからです。
なんでデリダを読んでないのにそんな自信があるのかって?
常識があるからです。
ところで最後に、よい子のみんなにツネオからのお願い。
「永遠の嘘をついてくれ」――「美しい国」と「無法者」の華麗なデュエット
↑これをブクマして。読んで。そして知り合いの編集者に紹介してください。これと「はてなサヨク」数名の方の文章をセットにして出版すれば、飛ぶように売れると思います。なお、これは確信じゃなくて、「根拠なき希望」です。
jam-014
デリダがデリダの本を書いているところを、ありありと見たことのある人に2万ポイント、
ほんとはデリダの本は俺が書いていたんだと、正直に名乗り出てくれた日本人には、3万ポイント進呈するというのはどうでしょう。
PS高額所得者は辞退が望ましいと思います。
gensyou
東氏は南京事件に関してもアレですか、金光翔氏のエントリ前半部の引用にある在日差別容認論がさらに超ウルトラまずいよね。
takashi
「言うということはデリダを裏切る」
この発言には切れました(怒)。東は自分の言論の権威づけのためにデリダの名前を利用することは、本当にやめてもらいたいと思います。デリダの名前は東の人生設計のための「ネタ」ではありません。鵜飼哲や高橋哲哉らデリダ研究者は真剣に反論すべきです。デリダのためにも、東は有害です。東はいまだ「デリダ研究者」を名乗っているのですから。「僕は郵便的誤配」と居直って、東はデリダを利用しているだけです。
残念ながら、デリダの中に歴史修正主義的言説は一言たりともありません。
彼の言説は一貫して下記の意識に貫かれています。初期も中期も後期デリダも関係ありません。
「ヘーゲル・マルクス・ハイデガーにたいして歴史の終わり(ここ注目)や没歴史性を対立させるためではなく、逆にこの存在−神学−始原−目的論が歴史性に閂をかけ、歴史性を無力化し、そして最終的にはそれを無化してしまうことを示すためであった」(「マルクスの亡霊」p168)
takashituji
さらに引用を続けます。できれば、大々的に取り上げてもらいたいと思います。
上記の本は1990年以後、つまり東のいう「大きな物語」の終焉以後書かれています。「歴史が終わった」から、と「動物化する」東とえらい違いです。
「(・・・)もうひとつ別の歴史性を考えることであった。歴史性を断念しないことを可能にし、むしろ逆に約束としてのメシア的かつ解放的な約束の肯定的思考へアクセスを開くことを可能にするような歴史性としての出来事の別の開口を考えることであった」
「それはあくまで約束としてであって、プログラムとしてではない。というのも開放への欲望を断念すべきかどうか。むしろかってないほど、その欲望に執着しなければならないと思われるからである。しかも「ねばらなない」の「破壊不可能性」そのものに対してと同様に執着しなければならないと。これこそ、再−政治化の条件であり、もしかすると別の「政治的なもの」の概念の条件でもあるかもしれない。」(「マルクスの亡霊」)
toled
>jam-014さん
すごい! すばらしい企画です。ぜひコラボで実現しませんか? 僕は釣り文作成を担当します。jam-014さんはスポンサーになってもらえますか? 僕はこのエントリーですでに10万円つんでるので、とりあえずこれに専念したいと思います。
>gensyouさん
まずいっすね。ただ、普通のネット右翼の水準ですんで、東さんが特別ひどいわけではないですけどね。でもひどいよねー。
>takashitujiさん
デリダ自身のテクストご紹介ありがとうございます。僕自身は、デリダはどっちかっていうと嫌いなので、彼の名誉が傷ついても気にしないのですが。。。でも、僕もマルクスについては崇拝してるので、takashitujiさんの気持ちもわかるような気がします。
引用していただいたデリダの文章は、残念ながらというか予想通り100%理解できませんでした。けど、(トンデモ版)歴史修正主義を誘発しそうなものでは、とりあえず少し安心しました。ありがとうございます。
toled
↑ごめんなさい、タイプミスです。
×とりあえず少し安心しました
○とりあえずなさそうなので安心しました。
まお
南京事件に関しては、南京市を攻めた日本軍の兵隊の総数と南京市民の犠牲者の数を勘案して、小規模の虐殺があったかもしれないという程度のもので、事件後南京市の人口は増加している。という説があるんですが。
あったなかったをすべて伝聞情報と片づけるのは少々乱暴な気がします。
一次史料自体にバイアスがかかっているのは当然であって、総合的に一次史料を多く調査して検証するしかありません。
事実を客観的証拠で裏付けるならこの場合、法医学と考古学での鑑定作業も必要になります。
話を純化してはどうでしょうか。
takashi
TOLEDさん、ども。
ところで私もTOEIC学習しているんですが、はっきり言って恥ずかしながら点が伸びません。750前後で止まって嫌になっています。デリダとか余計なもの読んでるからかもしれません。とりあえず学習法としては、旺文社の「英単語・英熟語1800」を聞く。「英語耳」(ASCII)をやる、日経ウイークリーを読む。グレゴリークラークのNIKKEIWEEKLY解説を聞く。です。テスト対策は特にやっていません。実感としては、学校で習った英語学習洗脳が忘れられず、なにか努力が空回りしている、という印象を持っています。グレゴリークラークのゆるい、経済記事解説英語守ピーキングは、文脈が分かっているからか、聞き取れます。何かTIPはあるでしょうか?。
Apeman
>南京事件に関しては、南京市を攻めた日本軍の兵隊の総数と南京市民の犠牲者の数を勘案して、小規模の虐殺があったかもしれないという程度のもので、事件後南京市の人口は増加している。という説があるんですが。
文部省ですら「日本や東アジアの近現代史の専門家がおらず諸説には含めない」としている「説」ですなぁ。ちなみに「南京市を攻めた日本軍の兵隊の総数」って、南京城およびその近郊に向かった部隊だけで6個師団(プラス司令部直轄の諸部隊)、中支那方面軍全体では9個師団以上になるんだけど、それがどれくらいの人数になるか、わかってます?
toled
>まお
>Apeman
あはは、まさに話がかみ合ってないですね。でもね、まおさん、ちょっぴり厳しい言い方になりますが、今回はApemanさんの方が正しいです。ごめんなさい。でも事実なのでいかんともしがたいのです。
toled
> Takashiさん
まず、学校英語は理想とはほど遠いですが、そこで努力したことは決して無駄にはなりませんよ。「自分は間違ったやりかたをしてきた」と考えるよりも、「学校英語で得た知識を基礎にして、さらに英語学習を続けよう」とポジティブに考えた方がいいと思います。
A: TOEICにまだ慣れていない場合の対策
1.
TOEICはテストです。そしてテストには傾向があり、それに対応した攻略法があります。まず、TOEIC参考書を1冊やって、ストラテジーを習得しましょう。ただし、一般に流通しているストラテジーが必ずしも万人に有効というわけではありません。専門家の指導を参考にしながらも、最終的には自分にベストな解き方を作っていきましょう。なお、僕の友人が書いた以下の書籍には、一般的な攻略法が、そのメリット・デメリットまで手短に示されています。
http://www.amazon.co.jp/新TOEIC-TEST「正解」一直線-増補コンパクト版-神崎-正哉/dp/4896848217/ref-toled-22
2.
TOEICでは、特にリーディングセクションで全ての問題を解ききることが重要です。『新・公式問題集』で、本番同様に時間を計って時間配分の練習をすることをオススメします。
ながくなったのでこの辺にしますが、YouTubeにはデリダの英語でのインタビューなどが結構ありますよ。"derrida"で検索してみてください。
takashi
>toledさん
どうもありがとうございます。TOIC4回受けたのですが、まだなれないということなのでしょうか?(とほほ)推薦の本買っています。
ところで東氏から以下のコメントを頂いていますね。ありがたい話です。
>デリダが上記のような主張をしたとは、授業ではひとことも言っていな
>いし、ぼくもそんことは主張するつもりはまったくありません。それは単純な誤解、というか速記の恣意的な読みこみです。
>したがって、「東浩紀のデリダ解釈がおかしい!」とか言っているらしいひとは、単に的を外しています。この点については速記者(id:nitar)に確認をとってもらってもけっこうです。
しかし真実は分かりません・・・なぜならその東工大の授業を見たわけではない訳ですし、一次資料である現場はもはや存在しないわけですから、われわれとしては東氏本人を含む、その過去の授業に対する伝聞情報で判断するしかありません・・・(なんちゃって)結局人は何も分からないと言わざる得ない・・・(なんちゃって)
つまり東氏の情報技術論・ネット議論論・公共財論を敷衍するとこういう形での議論の展開を受け入れざるを得ないんじゃないか?という疑問があるわけです。
「ぼくが公認してもいない速記の断片的引用ばかりがコピーされ」てもシステムが回るような公共財を思考しようとするのが、東氏の議論の肝なのではないでしょうか?
takashi
>そもそも、そんなに真実が大事だと思うのならば、そのかたがたは実際にぼく
>の授業に来て質問したらいいのではないでしょうか。
つまり肝心のところは、公共財ではなく、公共的議論に頼らざるを得ない、ということになってしまうのではないかと、思うのです。
takashi
>推薦の本買っています。
すいません。買ってみます、です。
takashi
>つまり肝心のところは、公共財ではなく、公共的議論に頼らざるを得ない、ということになってしまうのではないかと、思うのです
この問いに、「それは反論のための反論」、「議論のメタに悪意を持って立っている」と言ってもらいたくないわけです。
東氏の言うとおり、
「ポストモダニズム系リベラリズムの立場とは、このようにハードで、ときに自己矛盾を抱えかねない」わけで、そのアポリアに答えようとしている東氏だからこうして注目されているわけですから。
z
このへんですかねえ……
もしフォリソンが、単に、「私が歴史研究をする権利を残しておいて下さい、私にあれこれの証言を言葉通り信じない権利を残しておいて下さい」と言っただけなら、私としては、彼に仕事をさせておくことに賛成したでしょう。彼が、大量の証拠に反して、これらの批判的問いから、確証され証明された真理の観点からは受け入れられない断言へと移行すると主張するときには、その場合には、彼は能力が欠如していることになります。その上、悪事を働いていることに。しかし、まず能力が欠如しているのです。したがって、大学で教授を自任するにはふさわしくないということになります。その場合には、討論は不可能です。しかし、原則として、大学は、批判的討論が、無条件的に開かれたままでなくてはならない唯一の場所であり続けています。それこそが、私が固執する遺産なのです。たとえ私の大学への関係が複雑なものであったとしても、それはヨーロッパの、そしてギリシャ哲学の遺産であり、他の場所で生まれたものではありません。そして、この哲学を主題として私が提起するあらゆる脱構築的問いにもかかわらず、私はそれに、ある種の〈然り〉を言い続けており、けっしてそれを投げ捨てることを提案したりはしないでしょう。
……だけどデリダはその馬鹿を制裁を受けるべき馬鹿だと言うことを躊躇してません。
まあ東が右よりの世相を泳ぎきるための布石をパンラパラやってるチキン野郎だってことだけは分かりますね。
西科学
始めまして。史学を学んでいる者です。今回の東浩紀氏の発言及びその信者達の状況は嘆かわしい。歴史の一次資料へ向かう必死の努力というものを全く無視しており憤りを覚えます。
http://d.hatena.ne.jp/nitar/20081128#p1
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/subcal/1227521323/
上記等で東と東信者が平然と歴史が蔑ろにする態度、歴史の一学徒として腹立たしさを隠せません。東信者はアフガニスタン爆撃は正しいなどと唱えています。
西科学
再度の書き込み申し訳ありません。私はデリダの思想なるものに関しては全く知らないのですが、少なくとも、歴史を真摯に学ぶ態度なくしては、再びの過ちを防げないと考えます。このたび、高名な学者が歴史を極端に蔑ろにし、それに賛同する者達がいるという事実に衝撃を受けました。デリダ思想なるものは一体どのようなものなのか、よろしければご教授頂けると幸いです。お手数をお掛け致します。
takashi
>西様
はじめまして。基本的にデリダの「歴史修正主義」観に関してはZ氏の引用で論点は尽きていると思います。デリダは「大学は、批判的討論が、無条件的に開かれたままでなくてはならない」としながらも、「馬鹿は制裁を受けるべき馬鹿である」と言う態度を崩していません。「個人的には(東氏の用語です)」その観点は間違っていると思うけど、スルーするとは、とは絶対言わないでしょう。デリダはさらに『きたるべき大学』ではこの大学観を社会全体にも拡張させる社会がくるべきであるとしていますから、なおさらです。
つまり、http://d.hatena.ne.jp/KGV/20081203#1228309384で言われているように、
>「声に耳を傾ける、少なくともその声に場所を与える」というのは、「あなたの意見は意見としてわかりま>すよ。私の意見は違いますが、そういう意見があるというのは理解します。ええ、ええ」というような東>浩紀的態度では全くない。
>このような意見に反対する者が、絶えず本気で反論することだけが「場所を与える」ということだ。
とはいえ、こう言っただけでは、東氏の論点をとり逃がすことになると思います。東氏は、南京大虐殺などについては「個人的には、私的には」きわめてリベラルな考えを持っているはずです。また「南京大虐殺」が存在しなかったと考える社会がメジャーになっていい、と思っているわけでもありません。
東氏は平たく言うと、現在のネット社会における、怨恨と中傷の言説、根拠も責任も何もなく語る言説、あるいは、いわゆる「ネトウヨ」などについて、従来の「啓蒙」と「討議」の発想で、処理できるのか?と問うているのです。
東氏の答えはNOです。誰も人がネットに書く、カキコすることを止めることはできないと彼はします。たとえそれに対して読むことのリテラシーはつけることができたとしても。情報化社会になり、人との細かい差異が簡単に目に付きだし、嫉妬と怨恨と小さな自己承認と自己満足を人が求める(→そしてカキコする)のは避けることができないとするわけです。
そのうえで、
「歴史修正主義者」(これは東氏の論点の一つの例にすぎません)がどれほどネットの中で暴れ回ろうとも、結果として歴史修正が実現しないような社会であればそれでいいし、その結果として「歴史修正主義」を容認したように見えたとしても、それよりない、とするわけです。それが彼の言う討議による「公共圏」よりネットインフラやグーグル的な工学的制度設計の「公共財」に可能性を見出すわけです。
とはいえ、この論点(公共圏より公共財の優位)を東氏がつらぬいているかというと、上での私の疑問のようにはなはだ疑問ですし、
そもそも私は彼の「公共」という言葉の意味がさっぱり分かりません。まだ極めてあいまいでねれていません。
ttp://d.hatena.ne.jp/nitar/20081128#p1では「ぜんぜんわかっていない。説得する気すらなくなる
名無しの空間に公共性があるとは僕は思わない 」と言います。
しかし彼は2ちゃんを2000年代、ケータイやWIIより最大の発明物としますし、2ちゃんにも積極的に「降臨」しましたし、彼が主催する「ゼロアカ」では積極的に2ちゃんを盛り上げのメディアとして、「門下生」たちは使いました。「はてな論壇」も彼に批判的な論調がでるまでは、閲覧していたし、そのメディアとしての可能性を発言していたのではないでしょうか?
また、ネットで「南京大虐殺」をググれば、賛成も反対もばーっといっぱい出てくる。証明不可能、と彼は言いますが、そもそも人はそんなにページを見るでしょうか。Wikipedeiaを見れば賛否両論アル、終了。ですむし、最近のWikipedeiaはある程度情報の正確さも保たれているはずです。学者も書き込んでいるでしょう。
西科学
>takashi様
詳しいお答えを頂き、ありがとうございます。私は一次資料へ向かって、より精度の高い歴史を積み重ね、そこから歴史の悲劇を学ぶべきと考えます。出鱈目な歴史が蔓延するような社会は危険であると考えるので、「その結果として「歴史修正主義」を容認したように見えたとしても、それよりない」という東浩紀氏の意見には賛同できません。
takashi
>私は一次資料へ向かって、より精度の高い歴史を積み重ね、そこから歴史の悲劇を学ぶべきと考えます。出鱈目な歴史が蔓延するような社会は危険であると考えるので、「その結果として「歴史修正主義」を容認したように見えたとしても、それよりない」という東浩紀氏の意見には賛同できません。
基本賛成です。ただ私は東氏の言動には賛否を抜きに注目しています。彼はWEB2.0環境における言論を考察しようとしていますが、それはかなり影響力を与えることのできるコアなところで行われており、「あずまんが、ま〜た思いつきでしゃべってネットで炎上、祭りになって叩かれているよ」で済まず、波及する可能性があるからです(本人はた〜ぶん結構無自覚ですが。)
たとえば彼のGLOCOM時代、機関誌『智場』で、はてな取締役で「WEB進化論」の梅田望夫とGLOCOM所長公文俊平の対談を司会鈴木健で実現させていますが、これなど、興味深い。公文俊平と言えば情報社会学会の会長です。鈴木健氏といえば、検索すると出てくると思いますが、「天才プログラマー」認定(?)を国家から受けている人です。・・・他にもあれこれ余計な情報も書きたいですが、今のところディーセントではないと思われるため書きません。
東氏本人的には、多分情報工学的財の設計など内々からでないとできない、右・左の政治的立場を強調するのは無意味だ、と自覚的かつ綱渡りをやっている意識があり、そこから言論がでていると思うんですが(彼の著「キャラクターズ」にちらっとでています)、それならばもっと慎重かつ大胆にやってもらいたい、と願っています。そうしないと、彼が本当は信用されたいと思う人たちから信用されないという循環を繰り返すのではないか、と思います。
o-tsuka
東部屋弟子がトンデモ擁護発言。
http://d.hatena.ne.jp/naoya_fujita/20081208
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2008-11-27
幻想上の女教師と小学校英語について対談しました(画像あり)
教育 |
結論:小学校英語に賛成
動機:id:terracaoが反対派だから
いつごろだったでしょうか。ふと気がつくと、twitterでid:terracaoをフォローしてました。
そしてterracaoさんも僕をフォローしてくれました。
terracaoさんは女教師です。というわけで僕は気になりつつも、話しかけようとするとドキドキしてしまい、あまりメッセージを送れずにいました。
ところがふとしたきっかけから、会話がはずむようになりました。話題は小学校英語です。
正直なところ、僕はこのテーマに思い入れはありません。
けれどもterracaoさんは言語学者の卵で、そうとう入れ込んでいるようです。
というわけで、僕は必死に「共通の関心」を装おうとして、積極的にレスを送りました。
で、twitterでのやりとりが盛り上がってきたところで、思わず誘ってしまったんです。「南大沢の白木屋で、この続きを話さないかい?」って。
勢いで、terracaoさんにマイミク申請もしちゃいました。
再現VTRです。
そしたら、すぐにterracaoさんからメッセージが帰ってきて、僕は有頂天になりました。
あざーす!
またオフりましょう!
これを見て、僕はハッピーな気分に満たされました。
題:俺のマイミキシイ
ところが、そのすぐ直後に、terracaoさんは次のようなエントリーをブログにアップしたのです。
「学会語」翻訳辞典20
「学会語が難しい!」という話をたまに聞くので翻訳(意訳?)してみました。他にもたくさんあった気がするんですがとりあえずこれだけ。
「太字」=学会語
(ふつうの字)=日本語
「大変興味深い発表をありがとうございました」
(お前の発表に興味深いところは特になかったので具体的に言及しないよ)
「非常に示唆に富むお話でした」
(具体的にどんな示唆が得られるかさっぱりわからなかったよ)
「私はこの分野にはぜんぜん詳しくないのですが...」
(ぜんぜん詳しくない私から見てもお前の発表には変なところがあるよ)
「膨大な資料を駆使していて大変な努力の跡が伺えるのですが…」
(努力すりゃあいいってもんじゃないよ)
「非常に丁寧にまとめられていて、大変勉強になりましたが...」
(「まとめ」なんて誰だってできるよ)
「単なる用語の確認ですが…」
(お前の用語の使い方、間違ってるよ)
「単なる質問ですが、XXXの定義を教えてください」
(お前、もう少していねいに言葉を使えよ)
「最初のほうで聞き漏らしてしまったかもしれませんので、リサーチクエスチョンについてもう一度お聞かせ頂けないでしょうか?」
(お前が何をしたいのかさっぱりわからんよ)
「最初のほうで聞き漏らしてしまったかもしれませんが、研究の意義についてもう一度お聞かせ頂けないでしょうか?」
(この研究が何のためになるのかさっぱりわからんよ)
「枝葉末節の指摘で恐縮ですが…」
(こんな基本的なところをミスってるんじゃねえよ)
「内容にはあまり関係のない技術的な質問で恐縮ですが…」
(学部生でもできるような技術的な部分でつっこまれてるんじゃねえよ)
「......(特に質問が出ない)」
(お前の発表、全然おもしろくねえよ!!!)
あはは。面白いね。言語って。
と思ってから先のmixiメッセージを読み直してみて、僕は愕然としました。
またオフりましょう!
(おめーなんかと会ってられるかよ。豆腐にぶつかって死ねば?)
ガーン!!!!!
それからしばらくは落ち込んで、何も手につきませんでした。
けれども僕は、ふと思い出したのです。『<女>なんていないと想像してごらん』という書名を(内容は読んでません)。
terracao = 女教師 = いない
なーんだ、存在しないんだ。じゃあ気をもんでもしょうがないね。
次に僕は、『あなたはもう幻想の女しか抱けない』という書名を思い出しました(内容は読んでません)。
そうか! terracaoは幻想なんだ! っていうことは現実に会えるわけないんだ! ってことは幻想上のterracaoとデートすればいいんだ!
というわけで、以下はその記録です(会場:池袋のHotelマリオン)。
toled: 今日は、お忙しい中どうもありがとうございます。小学校英語については、僕は以前からとても気になっていました。すごく関心を持っています。今回は専門家のterracaoさんと語り合えるということで、本当に楽しみにしていました。
terracao: こちらこそ。小学校英語は、国家100年の計を左右する重要テーマです。私は以前からこの問題について警鐘を鳴らしてきましたが、残念ながら十分な議論がつくされているとは言えない状態です。特に、反対派に発言の機会が与えられることはありませんでした。あの、これ、つまらないものですが、よろしかったらどうぞ。
toled: あ、ガラナチョコですか? 好物です。ありがとうございます。僕の方は、立場を決めかねている部分もあります。ただ、terracaoさんは明確に小学校英語反対の立場に立たれていますので、今日は「悪魔の弁護人」を務めるという意味で、なるべく推進派的な視点から質問させていただきたいと思います。まずお聞きしたいのは、なぜ反対するのかということです。いや、いきなり核心なのですが。仮に積極的に推進する理由がないとしても、小学校英語導入は既に決まっています。わざわざ反対する必要なくなくなくなくなくなくなくなくなくなくなくなくなくね? と思うんでしょうがどうでしょうか?
続きはid:terracaoにて。
2008-11-23
小中高大就職アムウェイ創価学会天国一貫教育案ーーすべての問題を一気に解決する教育改革ウルトラCを思いついた!!!
本日の朝日新聞より。
小中一貫 連携手探り
(前略)
中学に進んだとたん、勉強の内容や生活の変化になじめず、学校に適応できなくなる「中1ギャップ」。小中一貫教育はその対応策という意味合いが強い。
な なんだってー! 先日、とよちゃんと品川を散歩していて一般の小学校と公立小中一貫校の外観の落差に驚き、これはネオリベ・エリート教育の陰謀に違いない、と勝手に思ってたのですが、そんな背景があったとは! 実は中学校に1日も行ったことがないので、そんなハードルがあるなんて知りませんでした。
端的なのは不登校やいじめだ。07年度の国の調査では、不登校は小6で約8千人だが、中1では3倍強の約2万5千人に跳ね上がる。いじめも小6の約1万件から中1で約2万1千件になる。
日本教育相談研究所長の木下貴博さんは、小中の「段差」の大きさを指摘する。
まず、勉強のスピードと量だ。教科担任がそれぞれ宿題を出し、定期テストの前には遅れを取り戻そうと授業を急ぐ。さらに、部活動やふだんの学校生活では、小学校で経験しなかった先輩、後輩の厳しい上下関係がある。
(略)
小中の「6・3制」は戦後、内閣に設けられた教育刷新委員会が提言し、47年に始まった。当時の米国の制度の影響を受けたとされるが、その米国ではいま、高校を合わせて「5・3・4」が主流になっている。品川区の若月秀夫教育長は言う。「6・3制という靴はもう子どもの足に合わなくなった」
ただ、区切りを変えても、新たな境目でまたつまづく可能性もある。小中一貫は学校が始めた模索の第一歩だ。
なるほど。わかったようなわからないような話ですが、なんとなくわかりました。
ただ、「新たな境目でまたつまづく可能性」というのが心配です。
「高1ギャップ」が生まれたらどうするのでしょうか?
「中1ギャップ」を経験していないひ弱な子どもたちに克服できるでしょうか?
そして、「ギャップ」を言い出したらそれ以降の人生も似たようなことの連続なのではないでしょうか?
そこで、反自由党からの提案です。
全人生を一貫化してはどうでしょうか?
小中だけではなくて、それに高校・大学もくっつけてしまうのです。さらに会社もつなげます。これで「教育と雇用のミスマッチ」は解消されます。すでに一体だからです。ちなみにニート問題も解決します。仕事がなくても常に教育機関に籍があるため、ニートの定義に該当する人がゼロ人になるからです。さらに副業・人脈構築・生きがい実感のために、アムウェイもセットにします。さらに死の恐怖と戦うために、宗教も用意します。大手の創価学会がいいでしょう。
「ギャップフリー教育」です。「ジェンダフリー教育」をめぐる対立を乗り越え、すべての勢力が大同団結したら実現できると思います。
最後に、品川区立小中一貫校日野学園の校訓を引用します。
つかれたという言葉は
その人をつかれさせ
もうだめだという気持ちは
そのひとをだめにする
瞬間だけに生き
その余韻に満足することは
停滞のはじまりである
くずれたあたたかみで
心をうめつくすな
常にひとすじの意思をもとう
すきとおった心をもとう
いまいちピンと来ませんが、たぶん「ひとすじ」っていうのがポイントなんでしょうね。
ではごきげんよう。
ぜひこの機会に「(元)登校拒否系」を永久購読してください。
関係ないけど超オススメ↓
- 「学校は社会を救えるか――「学校効果」論批判」(1999年)
KY
『常にひとすじの意思をもとう
すきとおった心をもとう』
『常に・・・
すき・・・』
『常の・・・
好き・・・』
・・・・・・『常野好き』。
つまり!この標語は反自由党を称える言葉だったのだ!!
toled
な なんだってー!
それだとしたらこのポエムの作者をつきとめなきゃな。
これは特に根拠のない想像なんだけど、
石川さゆり似の品川区事務職員(33)なんじゃないだろうか?
もしよかったら、そうかどうかつきとめてください。
gensyou
革命後のtoled粛正が決定しました。
http://twitter.com/toled/status/993381106
toled
ぎゃー! ごめんなさい。
でも先週は『トロピック・サンダー』っていう超大爆笑の映画を見て感性が磨かれたので、きっと壮大な作品になると思います。
まあ人民裁判にかけられるのはしかたがないし、僕も「極刑をのぞみます」と言うつもりですが、
人民たちは「たしかにtoledは罪を犯した。しかし彼はあまりにも偉大なので、許してあげよう」
と口々に言い出す光景が目に浮かぶようです。
madashan
その前にtoledセンセイは革命の礎になって記念碑が立てられている予定なので、裁判時に答弁することはできません!そして、裁判は人民裁判ではなく政治裁判です。
toled
そうですか。「革命の礎」になるということはもう生きていないということでしょうか?
できることなら、革命成就後も生きながらえて、マオ主席のようなセレブになり、辛酸なめ子さんにプロポーズしたいと思ってました。
けれども何ごとも思い通りにならないのが人生です。生きながらえることができなくても、銅像となって人民を見つめていることができるなら、それもまた一つの道かなあと思います。
もちろん革命が真に成功したならば個人崇拝は禁止されると思います。けれど、人民が「toledだけは例外だ!」と叫ぶんでしょうね。
いずれにせよ、「<佐藤優現象>スルー現象」は当初の構想を超えて、超大作になりそうです。ぜひ期待して待っていてください。
2008-11-20
What I look forward to looking backwards at
Roll a dice
It's either one, two, three, four, five, or six
It's either an even or an odd number
Now make a predication
Let's say it's an even number
What are the odds?
One in two. 50%
Now let's say it's gonna be an even number twice in a row
Which means your odds are gonna be 25%
What if it's gonna be three times in a row?
That'll be a half of 25%
Four times?
A half of a half of 25%
Now think
Now just imagine
You keep throwing your dice millions of times
Billions of times
Trillions of times
I-don't-know-what-llions of times
And every and each time, it's an even number
What are the odds?
Impossible you say
But it's mathematically possible
Even if the possibility is little different from impossible
You just can't rule out the possibility
And that's the moment I'm talking about
That's the moment I wanna start at
Impossible is nothing
But almost impossible is something
That's the moment that should be the starting point
I declare
I declare that I start with the moment that's almost impossibly possible
That's what I mean when I say hope
That's what I mean when I say freedom
That's what I mean when I say retroactivity
Retroactivity
That's a word you should learn
It means looking backwards
And hope is something you look forward to looking backwards at
My platforms: no slavery, no patriarchy, no capitalism
But not only that: no schooling, no prison, no work
But not only that: no state, no party, no leader
I accept that's almost impossible
But I declare, I argue, I hope, it's possible, even in an almost impossible way
And I was born only once
I have only one life
Therefore the only logical thing to do is stick to that hope that I hope to be possible even if it seems almost certainly impossible
That's my life, my hope
I respect your rights for having a different dream
But let me be clear
Anything you say, any obstacles ahead, any "realism" you preach
They don't matter
They don't matter in front of the hope I look forward to looking backwards at
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(反自由党はsweat shopsに抗議します)
2008-11-17
反自由党は神田高校元校長助命嘆願に署名します
【神田高校問題】「校長先生を戻して」「服装で合否、正しい」保護者や生徒が嘆願書
神奈川県平塚市の県立神田高校が入試で服装や態度がおかしい受験生を不合格とした問題で、更迭された渕野辰雄前校長(55)を学校現場に戻そうと保護者や生徒らが16日までの予定で署名活動を実施、週明けに松沢成文県知事と山本正人教育長あてに嘆願書を提出する。前校長は教頭時代から同校建て直しに取り組み、信頼を得ていた。多数の中退者など生徒指導に悩む学校現場。同校だけの問題ではない。(中村智隆、鵜野光博、福田哲士)
http://sankei.jp.msn.com/life/education/081115/edc0811152132002-n1.htm
たしかに悪いと言えば悪い。しかしいかなる基準に照らして悪いと言うのか?
通常の試験であれば合格したはずの者が不合格になったことが不正義なのか?
しかし問われなければならないのは、「試験」というものそれ自体である。
保坂展人の内申書裁判を思い出してみよう。
彼は学業成績が優秀であった。
一方、彼は中学生にして左翼活動に参加していた。
結果として、進学校は彼を不合格とした。
しかしここにある不正義は何なのか?
その後、保坂は政治家となった。
そして彼は、予算委員会において当時の森首相が産経新聞に「裏口」的に入社したことをあげつらった。
僕が保坂展人を「敵」認定したのはその瞬間である。
要するに、彼は優等生のおぼっちゃまくんだった。
そして進学校に進み、その特権を享受する道をたたれた。思想調査のために。
だが、問題の本質はそこにはない。
服装検査や思想調査が「正当な試験結果」をゆがめたことにあるのではない。
試験というものそれ自体が裁かれなければならないのだ。
進学校のリベラルな文化を謳歌したものたちは、くだんの校長の野蛮に驚くだろう。
底辺校の現実を知るものは、「ダーティ」ではあれ必要な措置を講じた彼の勇気を称えるだろう。
だが問題はそのレベルにはない。
服装による選別が不当だとして、なぜ試験による選別が不問にふされるのか?
思想による選別が不当だとして、なぜ試験による選別が許されるのか?
これが、意義のある唯一の問いだ。
ほかのすべては問われるべきではない問いであり、
それが問われていることこそが問われるべきだ。
2008-11-16
ゆめ
こくじんが だいとうりょうに なった
だれが よそうしただろうか
けれども
われわれは しゅくはいを あげない
まだだ
イスラエル政府の味方
大企業の味方
そして彼は
パキスタンで戦争をやろうとしている
ただ彼が くろいひとであるというだけだ
けれども100年前に
いや50年前に
いや10年前に
だれがよそうしただろうか
われわれは しゅくはいを あげない
オバマの勝利をよろこばない
けれども 僕は泣いている
そしてこれは うれし涙で「も」あるのだ
なぜならば 不可能が可能になったからだ
きみは今日、言うかもしれない
学校をなくすことなどできないと
労働のない社会は成立しないと
刑務所がなければ安心できないと
そうだ
それは不可能だ
けれども
半世紀前にキング牧師が見た夢も
不可能であったのだ
彼はそれを知っていたし、人からもそう言われたのだ
しかし彼は夢見た
きみは言うかもしれない
キング牧師の夢は現実的であったと
けれどもそれは今から振り返って言えることなのだ
ぼくは学校と労働と刑務所がない世界を夢見る
そしてその時点から振り返る
なんて現実的なんだ!
2008-11-12
田母神っちはかわいそう
ふだん「言論の自由」を叫んでる左翼どもはどこに行ったんだ! 日の丸君が代訴訟とかNHK訴訟とかのやつらよう!
もし本当に侵略戦争を反省して、二度としませんと誓いを建てるのならば、自衛隊が存在すること自体がそもそもおかしいっしょ。自衛隊の存在を容認しておきながら、ちょっと元気のいい発言をした田母神っちをスケープゴートにするのは汚い大人のやり方だ。とかげのしっぽきりだね。
[id: kmizusawa さん]
自衛隊廃止。
これ以外に正しいサヨク的立場はありえない。
ところでこの際だからはっきり言っておく。たとえば日の丸君が代の強制は強制だから悪いんじゃなくて、日の丸君が代だから悪いんだよ。
というわけで↓は必読です。
2008-11-03
麻生さんの家に、普通に行けた
やっほー! 人民のみんな! 反自由党書記局です。
今回は、若者が麻生さんの豪邸に向かって歩いているだけで逮捕されてしまったということで、ビックラ仰天しました。
こ、これはすごい。
これを見て、僕は思ってしまいました。ひょっとして、麻生さんの家になにかあるんじゃないだろうか? 実は麻生邸が火星人との通信基地になってたりとか。
そういうことでもなければ、こうまでして弾圧しようとするだろうか?
麻生さんの家に行けば、「何か」を見つけることができるんじゃないだろうか?
そしてこの日常から飛び立っていけるのかもしれない……。
というわけで、昨日とよちゃんを誘って行ってみました。
まずは渋谷に集合。ちゃんと地図も用意してきました。
よし、出発。
あっと言うまに「逮捕現場」に到着。
ここからほんの少し歩いて小道に入ると、、、突然高級住宅街でした。
僕はこういうところを散歩するのが好きです。もし辛酸なめ子さんとデートする機会があったら、ここを手をつないで歩いてみたいです。
あ、そうそう、麻生さんの家に行くのでした。はい、ありましたよ。あっさりと見つかりました。
僕は、窓の1つから麻生久美子がこちらを見ているかもしれないと思ってドキドキしました。
そんな僕の周りにお巡りさんがわらわらと集まってきて、5分ほどトークタイムとなりました。
僕は怖くて怖くてビクビクしながら、こんな姿を久美子に見られたくないなーと思っていました。
しばらくすると別の警官が出てきて「まあまあまあまあまあまあまあ」という感じで丸く収めてくれました。
「外から建物を撮るぶんにはいいんじゃねーの」などと、コワモテのお巡りさんの面目丸つぶれな結論をだしてくれたので、もう1枚、記念撮影することにしました。
[表情が萎縮してますが実物はこの5倍ハンサムです]
ともかく、お屋敷であることは確認しました。革命が成功したらあそこを党首公邸にして、麻生さんとモノポリーとかやって過ごそうと思います。
では最後に漫才です。
A:「転び公妨」って、たしかにけしからんのだけど、同時になんか滑稽でもあるような気がする。
B:なんで?
A:だって、自分で転んでおきながら「公務執行妨害だ!」って逮捕するわけだけど、わざと転んでることは、やってる本人にも、逮捕される人にも明らかなわけじゃん。だったら無言でストレートに手錠をかければいいものを、なんで「転ぶ」必要があるわけ? ↓なんかもさ、深刻な場面ではあるんだけど、思わず笑っちゃうんだよね。
B:なるほど「転び公妨」っていうのは警察が誰でも好きに逮捕できてしまう方法だ。それなら最初から警察にはそういう権限があるということにすればいいものを、なぜあえて「転ぶ」のか、ということだね。
A:彼らは、いったい誰に見せるために転んでるんだろうか? 実はこのテーマについて僕は「「永遠の嘘をついてくれ」――「美しい国」と「無法者」の華麗なデュエット」というエントリーでジジェクをパクリながら論じているんだよ。
B:宣伝かよ! でも、今回の事件のやつは、よく見ると転んでさえもいないぜ。
A:おー。そうだね。あ、これもジジェクのネタなんだけど、アメリカは「テロとの戦争」において、拷問などを公然と行っている。ただ、拷問はどこの国でもいつの時代にも行われてきた。ジジェクの分析では、現代アメリカの特徴は、かつては陰で行われてきた拷問が正当な論題となってしまっているところにある。ジジェクは次のように言っている。
では、拷問に関する懸念や重箱の隅をつつくような差異で拷問を区別しようとすることに対する、以下の回答――人気があり表面的には説得力のある――についてはどうであろうか。
「何を空騒ぎしているんだい? たった今、合衆国が拷問を行うことを公認したってだけじゃないか。少なくとも合衆国は黙認状態でつねに拷問を続けてきたし、他のあらゆる国家も拷問を行ってきたんだ。むしろ今の僕らは以前よりも偽善的では無くなったんだよ」
これに対しては以下のような単純な反問を返すべきだろう。
「そのことが合衆国政府の声明が意味する唯一のことだったら、『なぜ』彼らは拷問を公認したんだ? 以前からそうしていたように、黙って拷問を続けていれば良いじゃないか」
「語る内容」と「語るという行為」との間に存在する、解消できない裂け目――たとえば「あなたはそのように語るけれど、でも、『なぜ』あなたはそのことを公然と私に語るのだろうか?」のような――は、人間の発話に内在しているものである。
たとえば我々は皆、知人の話が退屈でバカバカしいことを婉曲に伝えるために「それってとても興味深いね」(“That was very interesting.” )という言い回しを用いることができることを知っている。もしその代わりに「退屈でバカバカしいよ」と公然と知人に語ったとしたら、彼は驚愕するだろう。何かを公言するという行為は決して中立なものではない。語るという行為は語った内容それ自体に影響を及ぼすのだ。
B:ふむふむ。で、それがなんか関係あるの?
A:うーん、自分で何言おうとしてたのか忘れた。
B:なんじゃそら!
万物を反映した
スピノザのように
ただ硝子玉を磨き
ざわめきを抑えること
サルトルや東みたいな小物は
とりあえず脇へやることです
自由を考えるのなら
なるほど
たいへんな思い違いでしたね
ご無礼仕りました
酢ピノ座って美味しそうですね
スピリッツに合いそうです
イカの塩辛持ってきました。