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2008-12-31

はてなインテリ、公園で自分の限界を知る

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D

YouTubeに飛んで見る人は、URLの最後に&fmt=18をつけるといいかも。関係ないかも。























とりあえず、ファーストトライだから、こんなもん。

次からはものすごーーーーーーーーーーく面白くなるよ。


あ、あとニコ動への転載大歓迎っていうか誰かお願いします

じゃ、またね!

idea_glueidea_glue 2009/01/01 19:42 こんにちは。ニコニコに転載しておきましたよ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5723640

toledtoled 2009/01/02 17:34 ありがとっす!!!

2008-12-26

おめでとう!

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クリスマスイブ


http://anond.hatelabo.jp/20081225032012


 むかーし、まだ僕が子どものころに、NHKで部落差別をテーマにしたドラマをやってた。

 菅原文太が出てたような気がする。

 なにせ、ずいぶんと前のことなのでよくは覚えてない。


 そして、部落差別のサブテーマとして、結婚差別のエピソードが出てきた。


 誰のセリフだったか覚えてないけど、

 おめでとう

 ってのがあったと思う。


 いや、違うかな。

 ともかく、祝福の言葉があった。

 だって、そんなやつと交際を続けたり、ましてや結婚しちゃったらマジで超ウルトラ悲劇じゃん。


 その意味で、おめでとう!

 泣きながらおめでとう!

 悲しみの底から、せいいっぱいおめでとう!

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/toled/20081226

2008-12-25

飯島愛の先生

飯島愛の先生 - (元)登校拒否系 を含むブックマーク はてなブックマーク - 飯島愛の先生 - (元)登校拒否系 飯島愛の先生 - (元)登校拒否系 のブックマークコメント

 最近はテレビをほとんど見なくなってしまった。ネット中毒だからだ。

 正確にはテレビ番組を見ることはあるが、YouTubeで見る。


 さて、このたびの訃報にせっして、ふと思い出したことがある。

 僕がまだテレビっ子だったころのことだ。


 久米宏が司会。たぶん。よく覚えてないけど。

 それは「成功者の半生」を再現して、本人がスタジオでコメントする、みたいな番組だった。

 それで飯島愛が出てきた。

 そう、彼女が「成功者」であった時代があったのだ。

 そしてこれはそのころの話だ。


 彼女の半生は壮絶なものだった。

 その中のエピソードとして、超ウルトラ最低な教師に出会ってしまったという話があった。

 そしてそれを「きっかけ」の一つとして彼女は不良街道に突入するのであった。。。

 詳しくは覚えてない。たぶん、彼女の自伝を読めば書いてあるんじゃないかな?

 僕は特に興味がないから、記憶を確かめたいとまでは思わない。


 さて、たとえば不登校児の語りを収集してみるとわかることなんだけど、この「きっかけ」というものほどアテにならないものはない。

 少なくとも「原因」とはまったく別物として見るべきだ。


 というのはここではどうでもいいことだ。

 話を続けよう。


 再現VTRが終わって、久米宏が、以下のような発言をした。

 いや、もちろん発言内容は覚えてない。

 ただ、悪い教師に出会わなくて、良い教師に出会っていればよかった。

 と解釈しうる発言をした。


 それに対して飯島がどんなリアクションを示したかは覚えていない。


 でも僕にとってはショッキングなことであった。

 さまざまな感情がごちゃまぜになって到来した。

 怒りなのか、悲しみなのか、くやしさなのか?





 当時の飯島は「成功者」であり、そういう者としてそこにいた。

 そして彼女は過去に壮絶な体験をしていた。

 そういう役割を、その番組のなかでは与えられていた。


 であるとするならば、彼女の半生における重要なエピソードがなかった方がよかったと捉えることは、現在の(=当時の)彼女にとってどんな意味があるのか?


 過去を取り消すことはできない。

 取り消すことが可能なのだとしたら、答えは決まっているのかもしれない。

 けれどもそれが無理だとしたら、これは難問である。


 そして彼女は「成功者」だった。


 そのことが、この問いに対して一つの角度を与えていた。

 あの苦しみがあったからこそ、今の彼女がある、という例のあの言い方だ。

 これについては、ずいぶんと前に↓で書いた。


「登校拒否解放の(不)可能性」前編 中編 後編


 さてそれから時間がたった。

 半生があり、半生を振り返る時点があり、それもまた半生、いや全人生の一部となった。


 そして最後の瞬間に飯島愛は「成功者」ではなかった。

 実際のところは知らない。

 しかしマスコミ物語的にはそうだ。


 そして今こそあの問いが本当の意味で試されている。

 少なくとも僕にとっては。






プラトニック・セックス

プラトニック・セックス

  • 作者: 飯島愛
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2000/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

jam-014jam-014 2008/12/25 02:46 ≪さて、たとえば不登校児の語りを収集してみるとわかることなんだけど、この「きっかけ」というものほどアテにならないものはない。
 少なくとも「原因」とはまったく別物として見るべきだ。≫

どうでもいいこと、と書いてある部分にコメントするのもあれですが、
仏教の一派では、因は縁によりて果となるという考え方がありますね。
結果から原因を特定もできないし、原因が必ずしも、結果を生むわけではない。
「きっかけ」は縁に近いものだと思いますが、それもまた独立してあるわけでもないのでしょう。

ビタースウィートビタースウィート 2008/12/29 12:19 某サッカー選手は、高校の頃先輩からいじめに会い、オリンピックに出て見返してやると見栄切って、実際日本代表まで上り詰めたようです。彼は当時のことを振り返りあれは当時としてはマイナスの出会いだったが今となってはプラスの出会いとなっている・・だから彼らにも感謝しないといけないのかもというような言い方してました。後、普通のOLしてた人が余命○年だがの病気を宣告されて人生について深く考え始めるとか・・何が起きるか、誰と出会うか私たちは選べないのでタラレバっていうのは本当に無駄ですね。少し前子供に悪魔という名前をつけようとした人がいて、その子に逆境を乗り越えて強く育って欲しいからその名前をつけたようです。でもそれは(少なくとも親には)選べるから逆境にならないと思いますね。

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2008-12-22

The Riots: Add Japan to the List

The Riots: Add Japan to the List - (元)登校拒否系 を含むブックマーク はてなブックマーク - The Riots: Add Japan to the List - (元)登校拒否系 The Riots: Add Japan to the List - (元)登校拒否系 のブックマークコメント

My dear friends and enemies of the world,


I cried for those who died, and I've been crying as hard as I can for what many of you have been doing about it. Be assured: we are aware of what's happening in Greece, Spain, France, Italy, and possibly the United States, and on behalf of all the residents of my country, Japan, I express unequivocal solidarity with you.


On the other hand, I'm troubled by the length of the list. The same thing is happening all over the world, and it can't be contained in Europe. This is a world revolution, my comrades, and I urge you to expand the list.


For example, this is what happened in Japan in 2008.


D


You probably failed to notice this, due to the specific nature of the mainstream media in this country. But I'm telling you, and now you know it. I hear similar events (in a variety of ways) have been taking place in Korea and China.


The rest of the world? Well, my knowledge is restricted, but my imagination makes it possible to believe that this is a global phenomenon: I hear the screams and gunshots from everywhere, and I'm crying in advance for those of you I don't yet know about.


So my friends, I have a proposal. Let's revise the list: why don't we include every single country and area on the earth? Actually, I have an even better and much more economical solution: radically shorten the list so it includes only one phrase: the world.


What about the Red Planet? Ok, then probably "the universe" is a better alternative, although it might trigger a string of questions about the definition of the word "list," and ways of thinking about a part and the whole.


Yujiro Tsuneno,

Tokyo, Japan

通りすがり通りすがり 2008/12/24 23:43 革命の火は中国の人権侵害にも向かってますね
http://sankei.jp.msn.com/world/china/081211/chn0812112224002-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/photos/world/china/081211/chn0812112224002-p1.jpg

中国が現実と向き合って自由で民主的な国家になってくれることを望みます

SessoSesso 2009/01/24 22:39 Great site.

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/toled/20081222

2008-12-20

ここで実況します。

ここで実況します。 - (元)登校拒否系 を含むブックマーク はてなブックマーク - ここで実況します。 - (元)登校拒否系 ここで実況します。 - (元)登校拒否系 のブックマークコメント

 [日付が便宜上20日になってますが、書いてるのは19日です。]


 今回、僕は本当に100%確実な安全策をとります。安全性のために、明日からの好感度を犠牲にすることになるのですが。その経過は逐一ここで報告していきます。最終的には、「こら!」って叱られるかもしれないけど。そう思ったらコメント欄にそう書いてください。あと、サヨクは行ってもぜんぜん楽しくないと思います。大学というもの、現実の大学ではないにしても「来たるべき大学」に希望を持ってる方だけを煽ってます。あずまんのファンはまあ、関係なく行く人は行くだろうし、行かない人は行かないでしょう。そして平和に授業が行われ、僕も静かに散歩するだけです。一人で。


13:32 まだ自宅。


14:43 ちょっとだけ昼寝する。


17:55 ごめん、マジごめん。大失敗。いま大岡山にいません。自宅です。ごめん、実は本当に東工大に行くつもりでした。しかし寝過ごしました。「安全策」は昨日の帰りの電車の中で思いついて「これSUGEEEEEEE! でも好感度下がりそう。でも、ま、いいか」。ってことで実際にやるつもりでいました。しかし寝坊しました。みたいな。


18:07 東工大のホームページ開いて、一番左下を見てください。


18:38 ↑の左下のボックスです。すずかけ台キャンパスに行こうと思ったんです。で、実況。「家を出た」→「駅なう」→「隣に座ってる人に惚れたけど、告白したら犯罪になるかな?」→「ドゥルーズ充なう」→「乗り換えるなどする」→「富士そば。僕、3,000円のそばはそりゃあ好きだけど、600円のそばと富士そばなら富士そば。創業者のポスター貼ってるし」→「到着」→「たまたま歩いてたかわいい子に、門をバックグラウンドにして写真撮ってもらう」→「警備員さんとちょっとだけおしゃべえり。めっちゃいい人」→「いろいろ写真とってます」→「一人でしゃべる相手がいないからつまんない」→「そろそろ帰ります」→「警備員さんが握手してくれた」。こんな感じで計画してました。けど、昨晩2chやり過ぎて予告エントリーも書かなければならなかったので徹夜でした。タイマー2つを10分セット。目覚ましもセット。10分後に鳴りました。止めました。また寝ました。気がついたら手遅れだった。まさにサルトルです。


すでにはじまっていることについて

| すでにはじまっていることについて - (元)登校拒否系 を含むブックマーク はてなブックマーク - すでにはじまっていることについて - (元)登校拒否系 すでにはじまっていることについて - (元)登校拒否系 のブックマークコメント

 ところで関係ないんですが、現在、世界同時多発的に学生運動が盛り上がってます。残念ながら、僕はここ数週間、あまりニュースをフォローしていませんでした。何がどういうことなのか、まだよくわかってません。

 なんとなくのイメージとしてはこんな感じ。とりあえず急いで書いときたいので本当に適当ですが、詳しい人がいたら訂正とかお願いします。

 

 ギリシャで国家がウルトラひどいことをした

 ↓

 若者がマジギレ→暴動

 ↓

 海外在住のギリシャ人まで暴れはじめる

 ↓

 それを見たヨーロッパの若者が、「じゃあ俺も」「いや、私も」。と言って暴れはじめる

 ↓

 ついにニューヨークに飛び火。New Schoolを占拠。


 New Schoolの場合、「引き金」となったのは、トンデモ学長がトンデモトンデモしたトンデモマネージメントを強行しようとしたことです。で、New Schoolというのはしかし、極左の巣窟なのです。学生ではなくて教授が。「私、サヨクだからね! ぜったい、ぜったいにサヨクなんだから!」と宣誓しないとポストが得られません。というわけで、まず教授陣が学長に対して「んざけんな!」とキレました。学長は逆ギレしました。

 それに乗っかるかたちで、学生たちが大暴れしだしたのです。っていうか部外者もワラワラよってきて一緒に暴れました。これ、学生運動では普通のことです。


 けれどもこれは決して局地的な現象ではありません。


 学生たちの「要求」の中にはいくつかの具体的な項目があります。けれども、そんなものは口実に過ぎない。そしていつどこにでも口実はあります。

 ではなぜ今なのか?

 もちろん、ギリシャを見たからです。

 あんなことが始まってるのに、何かしないなんて常識的にありえなくなくなくなくなくなくなくなくない? そう言えば、学長ひでーよなー。よし、あれをネタにしよう!


 というのが今回の話です。*1


 ちなみに全共闘とかも似たようなもんです。東大の場合は医学部の不当処分問題、日大の場合は理事会が授業料ガッポリ取って私腹をこやしてうっほっほ問題。というような口実がありました。しかし、その程度の問題はいつでもどこにでもあるのです。ではなぜ1968であったのか? と考えないと、何にも見えてきません。


 New Schoolの若者たちは、次のように訴えています。

ニューヨーク市より:


我々はNew School大学をたったいま占拠した。我々はこの空間を自分たち自身、そして我々に加わりたい全ての者が何にでも自律的に使えるようにするために、解放する。我々は、ギリシャで、そしてイタリアで、フランスで、スペインで大学やストリートを占拠している人々への連帯を明らかにしつつ、この大学を奪取する。


大学の企業化と教育一般の疲弊というNew Schoolでの具体的な状況への応答として、この占拠は始まる。だが、危機にあるのはこの大学だけではなく、ニューヨーク市にもわたる。つまり、これからの数ヶ月間において、我々のうち何千人もの者たちが職を失い、また他方では多くの者は住居費を支払うことができず、住む場所が得られず、生活費は高騰するだろう。


だから、このような耐え難き状況の一般的本質は資本制のスペクトラムを横断して、大学に、街に、我々の社会関係の全てにおいて存在することを強調しておこう。この理由により、New Schoolにおいて こよい始まることは、ここにとどまることはありえず、またあってはならない。


したがって。我々はこの占拠を期として、ニューヨーク市と合衆国における占拠を連鎖させ、この危機の時代に到来しつつある占拠やバリケード封鎖、そしてストの波をうち放つ。


約束しよう。これは始まりに過ぎない。


ニューヨークよりギリシャへ連帯と愛を込めて

イタリアへ、フランスへ、スペインへ、

到来しつつある暴動へ。


New School占拠委員会


[原文はこちら→ http://mail.kein.org/pipermail/nettime-l/2008-December/001108.html ]


 このいざこざ自体は、収束の方向に向かいつつある。問いは、「次はどこだ?」というものだ。


 その前に。

 ちょっとこのサイトに行ってみてくれ。

http://www.newschoolinexile.com


 英語なんか読めなくていい。写真とか動画とかをクリックしてみてくれ。


 あるいは、これだな。

http://www.youtube.com/user/givehimdanger


 どうだ? ワクワクしてきたか?

 これが、大学というものだ。

 大学はただこのためだけに存在する。

 大学は、これをやるためだけに存在する。








 そして今朝も書いたように、僕はこういうものはダメだと思ってる。ギリシャについては本当に知らないけど、ニューヨークの学生運動に革命的意義はない。


 ここからはちょっとジジェクをパクることになる。このような「抵抗」は、悪の親玉に依存している。親玉に「要求」をつきつける。しかしその親玉が倒れたらどうなる? 学長を打倒したらどうなるっていうんだ? 誰かが「よりまし」な学長になるのだろう。そしてシステムはいっそう強固なものとなっていく。岩盤浴やゲルマニウムみたいなものだ。そして今回きっかけとなったような問題は、別のかたちで当然のように存続するだろう。




 それじゃだめだ。

 学生運動なんてやってるようじゃだめだ。

 それも含めてシステム全体をぶっ壊さなきゃいけないんだ。



 ただ、これに同意しない諸君も多いことだろう。

 けっこうなことだ。


 数ヶ月前に、新宿駅ルミネ下の広場で、中核派がビラを配っていた。ついに福田辞任を勝ち取る、とかなんとかって言って。あのー、ごめん、それ、もまいらの手柄じゃないから、って言いたくなったよ。


 それに関連して言おう。

 このままだと、日本の大学は大学でなくなる。

 学生運動のない大学は大学の名に値しない。

 自滅するであろう。


 それじゃあ反自由党の立場はどうなっちゃうわけ? 僕たちは、僕たちの力で大学をぶっつぶしたいんだよ。



 というわけで、いいじゃないか、大学に希望をもつ諸君はその方向でがんばってくれ。な! 本来の大学とは何か、考えてくれ。そして学生運動がないことがいかに異常な事態であるかということに驚がくしてくれ。


 繰り返す。我々は、「さかさまの世界」に生きている。何があたりまえで、何がおかしいのか? 何が普通で、何が異常なのか?


 その問いに諸君が覚醒し、学生運動に身を投じたときに、大学が息を吹き返すだろう。


 それでこそ我が敵にふさわしい。

 それでこそたたかう意味があるというものだ。


 次は、お互いにゲバ棒を用意してから会おう。今日は、とりあえずハグして別れよう。





 革命は、いつどこで行われるのだろうか? 誰が始めるのか? もう始まっているのか? それはどこで行われているのか?


 革命は、いったい、どこで行われているのでしょう。すくなくとも、私たちの身のまわりに於いては、古い道徳はやっぱりそのまま、みじんも変わらず、私たちの行く手をさえぎっています。海の表面の波は何やら騒いでいても、その底の海水は、革命どころか、みじろぎもせず、狸寝入りで寝そべっているんですもの。

 けれども私は、これまでの第一回戦では、古い道徳をわずかながら押しのけ得たと思っています。そうして、こんどは、生まれる子と共に、第二回戦、第三回戦をたたかうつもりでいるのです。(太宰治・斜陽より)

 ここで言う革命とは、真の意味での「人間的」な革命のことである。ここでのかず子(斜陽の主人公)の言葉は、いまの僕の心境にぴったりとあてはまる。僕の革命は、……(略)……することから始まった。さまざまの悩みや葛藤を経て、現在は……(略)……することが、僕の、古い道徳(価値観)に対するたたかいである。革命や、その闘争の形式は、人によってそれぞれのやりかたがあると思うし、また、いろんなやりかたがなければいけないと思う。たとえば、所謂「暴走族」にとっては、オートバイに乗って突っ走ることが革命であり、闘争の形式だと思う。また、所謂不良中学生にとっては、教師に暴力をふるうことが革命であり、闘争の形式なのだろう。そして、学校や社会と自分、その葛藤に悩み苦しんで自殺していった少年たちにとっては、自殺が革命である、そして最後の闘争の形式であったのだろう。

 僕は、暴走族を負け犬の遠吠えとののしり、不良中学生を落ちこぼれとさげすみ、自殺した少年たちを意気地が無い、弱虫だと軽蔑するような人達を、殴り倒してやりたい。その人達は、人間の必死な生きて行く努力を嘲笑する人達だ。人間の命を嘲笑する人達だ。

 私は港の息づまるような澱んだ空気に堪え切れなくて、港の外は嵐であっても、帆をあげたいのです。憩える帆は、例外なく汚い。私を嘲笑する人たちは、きっとみな、憩える帆です。何も出来やしないんです。——(中略)——この問題に就いて、何も、ちっとも苦しんでいない傍観者が、帆を醜くだらりと休ませながら、この問題を批判するのは、ナンセンスです。私を、いい加減に何々思想なんて言ってもらいたくないんです。私は無思想です。私は思想や哲学なんてもので行動した事は、いちどだってないんです。

 世間でよいと言われ、尊敬されているひとたちは、みな嘘つきで、にせものなのを、私は知っているんです。私は、世間を信用してないんです。札つきの不良だけが、私の味方なんです。札つきの不良。私はその十字架にだけは、かかって死んでもいいと思っています。万人に非難せられても、それでも、私は言いかえしてやれるんです。お前たちは、札のついていないもっと危険な不良じゃないか、と。(斜陽より。傍点筆者)

 このかず子の話は、僕の、暴走族の、不良中学生の、そして自殺していった少年たちの言いたかったことを、全部代弁してくれたようなものだ。札つきの不良。僕は、まさにそれを自分だと言いたいのだ。また、暴走族や不良中学生の諸君は、このかず子の話をぜひ聞いてもらいたい。「お酒をやめて、ご病気をなおして、永生きをなさって立派なお仕事を、などそんな白々しいおざなりみたいなことは、もう私は言いたくないのでございます。『立派なお仕事』などよりも、いのちを捨てる気で、所謂悪徳生活をしとおす事のほうが、のちの世の人たちからかえってお礼を言われるようになるかも知れません。」(斜陽)

 最後に、いま、僕の知らないところで、きっと若者が自分なりのやりかたで、古い道徳とたたかっているに違いない。その人たちに僕は言いたい。たった一人の革命でも、いつかきっと……。

 

篠原史 「たった一人の革命でも」*2

「反自由党は「ビラ配布→逮捕→有罪」を歓迎する――はてなとmixiと秋葉原グアンタナモ天国の比較自由論」からの使い回し。

*1:というわけで稲葉さん、今回ばっかりは残念賞です→ http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20081219/p1

*2:『子どもたちが語る登校拒否―402人のメッセージ』, 1980[?] = 1993, pp. 431-432.『斜陽』の引用は篠原のものをそのままコピー。

Schrodinger2008Schrodinger2008 2008/12/19 18:09 実況まだ?

石川石川 2008/12/20 11:14 ゼロアカ道場のプロモーション動画をみた。開いた口が塞がらない。

2008-12-19

今日、東工大に行きます。散歩に。煽るけど。

今日、東工大に行きます。散歩に。煽るけど。 - (元)登校拒否系 を含むブックマーク はてなブックマーク - 今日、東工大に行きます。散歩に。煽るけど。 - (元)登校拒否系 今日、東工大に行きます。散歩に。煽るけど。 - (元)登校拒否系 のブックマークコメント


 煽ってないよ。煽ってないよ。

 と主張してて、

 多数派かどうかはわかんないけど、

 たくさんの人がこりゃー煽りじゃないね。

 と書いてくれた。

 授業妨害だと言われた。

 いや、ふつうに考えてそうじゃない、

 って言ってくれる人がいた。


 泣いたよ。


 ありがと。





 ただ、泣きながら

 ふと

 思ったんだ。


 煽ったとしたらどうなんだ?

 授業妨害したらどうなんだ?







 オバマのミドルネームはフセインだ。



 僕は決してオバマを支持しない。

 もし投票権があったら、迷わず外山恒一に投票しただろう。


 けれども、今回の選挙はすごく興味深いものだった。





 詳しくは長くなるから書かないけど、「建前」と「本音」の人種差別を観察することができた。




 マケインの集会で、あるおばさんがこう言った。

 オバマはアラブ人だって。

 それに対してマケインは一瞬の迷いもなく明確に否定した。


D




 さて、このエピソードは誰を利しただろうか?


 それは微妙だ。

 現代のアメリカ社会では、このような人種差別主義者はまともに相手にされない。

 それが「建前」のレベルだ。

 だからマケインのリアクションは当然のものであり、

 もしそうしてなかったら

 その時点で彼は完全に抹殺されていたことだろう。


 けれども、「本音」はどうなるのだ?


 このような「本音」と「建前」を同時に露わにしたことは、

 共和党を利するのか否か?




 という観点から、今回の大統領選挙は非常に興味深いものだった。





 さてそれからしばらくして、パウエルが出てきた。


私はマケイン上院議員の発言ではなく、(共和)党員が言っていることにも当惑している。そしてそれは容認されている。たとえば、オバマ氏はイスラム教徒ですよね、といったようなことだ。正しい答えは、彼はイスラム教徒ではないということだ。彼はキリスト教徒だ。彼はずっとそうだった。だが、本当に義にかなった答えは、What if he is(もしそうだったらなんだって言うんだ)?である。何かまずいことでもあるのか? この国においてイスラム教徒であるということに。答えはノーだ。そんなものはアメリカではない。


D

[4:30以降]




 さて、どうだろうか?






 僕は号泣した。

 なぜか?

 「泣いた」と1回書くごとに、はてな女子からの好感度が78ポイント上昇すると聞いたから。



 そして

 僕は

 思ったんだ。


 What if?


 What if?と。







 僕は自分が弁解し、意図を説明し、文脈への喚起を促し、誤解を解こうとしたことを恥じた。

 泣いた。

 泣いたよ。


 78xいくつか覚えてないくらい。




 だから

 僕は

 前言を撤回する。

 そうだ。僕は煽った。

 そうだ。僕は授業妨害がしたかった。

 そうだ。僕は危険人物だ。

 そうだ。そうだ。排除されて当然だ。排除されない不名誉を拒否する。

 ってね。





 うははははっは。かっこいいな。




 でも、実際にかっこいいんだからしょうがない。






 もし、先週、最低最悪のシナリオが実現していたとしよう。

 それが何だって言うんだ?





 若い諸君に言っておく。

 大学ってのはそういうところだよ。

 まあ、これを見てくれ。


D



 これが、本来の大学の姿です。

 嘘だと思ったら井口先生に聞いてみて。


 で、ここで暴れ回ってる薄汚い「学生」たちのうち、

 半分くらいは東大生じゃないんだな、実は。


 でも、誰も不思議に思わない。

 それが常識だから。

 それが大学の本来のあり方だから。






 そして、終わってみると、本当になんでもなかった。

 東大生の大半は普通に就職し、まっとうな人生を歩んだ。

 一部を除いて。その「一部」を僕は見たことがある。

 やはり泣いた。


 まあともかく、これは普通のことだった。


 ちなみにハッシー橋爪大三郎は、この敗北のあと悲嘆にくれ、

 もう爆弾しかないのかも。

 と思った。

 しかし寸前で思いとどまった。

 おかげで、彼も真人間になり、普通に社会に貢献している。


D







 これが、大学ってものだ。



 もし大学に少しでも希望を持っている者がいるとしたら、

 今日、東工大は群衆に埋め尽くされることだろう。

 ま、3万人くらいかな。

 たぶんだけど、可能性としては100%の100万倍。





 それは異常事態だと思うだろうか?

 しかし、異常事態においては、常識的行動が異常なのだ。


 これを、丸山眞男は「さかさまの世界」と呼んだ。

 ま、それについて話し出すと長くなるから、

 また今度ね。



 

 ともかく、これが常識だ。

 そして99%の者が非常識であるとき、残りの1%は非常識に「見える」。






 だから、今日は常識人が集まって祭りになるだろう。

 祭りが起こったらなんだって言うんだ?

 What if?

 So what?









 言うまでもなく、僕はそんな祭りには参加しない。

 1968の教訓は、そんなんじゃダメだってことだから。





 このような「抵抗」は、システムの補完物に過ぎない。

 これも話し出すと長くなるけど、爆弾テロをガチで謀っていた人物が

 立派な社会人となり、今やあずまんを呼び寄せるに至ったことだけ指摘しておく。




 こんなんじゃダメなんだ。

 学生運動なんかやったって無駄だ。

 それは大学の一部だ。

 大学と共につぶせ!




 それが我が党の主張だ。





 だから、今日は相当な騒ぎになると思うが、

 僕はそれには加わらない。







 ただ一人で静かに東工大を訪れ、

 建築をめぐり、

 写真を撮って

 帰る。




 面白いことが起こってたら見物はするかもしれない。

 ただそれだけだ。







 良い大学も悪い大学もない。

 ただ大学があるだけだ。




 「良く」することに手を貸してなるものか。



 しかし良くしたい諸君が何をしたって自由だ。

 これは煽りだ。

 しかしこれは君の責任だ。

 煽りに煽られるかどうか

 ってことを選ぶ自由を君は持っているのだ。




 ああ、すべてが自由だ。そしてすべてに対して責任がある。


 泣けてくるね。




 ん? ハッピーな諸君もいるか?

 ほうほう、それはよかった。「当たりクジ」だよ。









 だが君は苦しいかもしれない。

 悲しいかもしれない。

 痛いかもしれない。

 不安かもしれない。

 何がなんだかわかんないかもしれない。





 その君に言おう。

 それはマトリックスだ。





 荒唐無稽に聞こえるかもしれないが、

 そしてそれを証明することはできないが、

 反証もできない。





 君の本当の人生は、超ウルトラ大サービスにハッピーなのだ。

 そして君は思ったのだ。

 不幸とはなんだろうかと。

 痛いとはどんな感覚だろうかと。

 不安とはどんな状態だろうかと。

 混乱するとどうなるのだろうか。取り乱すとどうなるのだろうかと。


 そして君はうなるほど金を持っていた。

 だからマトリックスの人生を買った。



 だから、君は不幸なのだ。





 なんてラッキーなんだ!





 その不幸を噛みしめろ。

 味わえ。

 1分1秒でも長く。

 決して死ぬな。

 君はあと50年生きる。

 その権利を買ったから。

 そして目覚める。


 もしそれを1秒でも縮めたら、

 損だろ! どう考えても。



 味わえ。不幸を味わえ。




 そして、それが自由というものなのだ。

 そして、それが責任というものなのだ。









 というわけで、僕は東工大に行く。

 静かに。

 落ち着いて散歩する。

 いくつかの建物に入って写真を撮る。



 「行く」と書いたら、

 「行かない」という意味だと思われるかもしれない。


 だったら、そんな君のために書こう。

 行かないよ。


 それにもウラがあると思ったら、↑の2段落をループし続けてくれ。







 僕はいま泣いている。

 こんなに泣けるなんて、

 なんとラッキーなことだろう。






 姜尚中は来るだろうか? どっち側につくかな? もし来たら、暴力沙汰になるかもしれない。しかしそれを決めるのは姜尚中の自由だ。








 あるいは、こういう方法もある。


D


 また泣いちゃった。


 笑いが聞こえるだろうか?

 そしてポリースへの拍手を見て、君はどう思うだろうか?


 そう。

 そうなんだ。

 これが「さかさまの世界」だ。




 それが今だ。

 そして今ほど、君が自由であったことはない。









 そして人生には、楽しいこともある。

D



 わはははははは。

 これは笑える。





 しかしやっぱり悲しいのだ。

 なんせ、こんな後日談があるからね。




 そしてまた最近こんなことがあった。



D



 わははははは。

 こりゃいいね。



 こいつこれからどうなるの?

 なんの利益があるの?

 バカじゃねえ。





 もう、泣くしかないよ。




 けど、これが自由なんだ。





 そして「さかさまの世界」ほど、自由に満ちあふれる状況はないのだ。

 そしてこの一瞬のために全世界と全歴史があり、それが君の人生で、

 自由なんだ。




 ああ、なんと悲しいのだろう。





 ってことはなんて幸せなんだ!









 

 オバマは、就任演説で「バラク・フセイン・オバマ」と名乗るそうだ。













 お断り

 99.999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999%はセーフです。歓待されます。ただ、ぜーんぶ自己責任だからね! そして僕は安全策を取るからね! 絶対にないと思うけど、もしなんかあって、僕だけ助かったからって僕を恨まないでね! 本当に自由だから!


 追記1

 ああそうそう。昨日、僕は実際にリベラルに行動する人々と話した。感動した。そして、思うところがあった。『あなたが平等主義者なら、どうしてそんなにお金持ちなのですか (こぶしフォーラム)』って本がある。彼らがリベラルであったかどうか知らない。だが彼らは僕に極めてリベラルに接してくれた。で、じゃあ左翼である僕は何なの? と思った。


 追記2

 すべてが自由だ。何かに縛られていても、それは人間にとっての状況である。そしてサルトルによれば、自分で決めたことについても、次の瞬間にそれをどう決めなおすか、という自由から逃れることはできないのだ。たとえば、もう一生、酒は飲まないと決めたとする。しかし一瞬あとには、そのルールもまた状況となり、また自由となるのだ。だから人間は何をするかわからない。これが不安というものだ。そのことを自覚したとき、人間は可能性の眩暈(めまい)におそわれる。僕は今クラクラしている。そしてそれが生きるということだ。


D


 なんちゃって。

 僕ちゃん、やっぱりかっこいいね。

 でも同時にかわいいんだよ。


 ピースアウト!

 

 と言いつつ追記3

 これ、いま世界同時多発的に起こってることだからね。関係ないかもしれないけど。「ギリシャ」「フランス」「イタリア」「ニューヨーク」で検索してみて。

 

図解雑学 サルトル (図解雑学シリーズ)

図解雑学 サルトル (図解雑学シリーズ)

米津篤八米津篤八 2008/12/19 10:15 本日多忙ゆえ東工大にお散歩には行けませんが、
連帯のご挨拶です。

「はい」「いいえ」で答えてはならない質問
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1027109935&owner_id=580881

toledtoled 2008/12/19 10:34 ありがとうございます。
mixi拝読しました。
賛成です。
あ、賛成って言うとヘンですが、いろいろと考えました。

ミアミア 2008/12/19 10:35 人生一貫教育のコラムに感激、面白いなーと思って。オバマ論も共感。他のコラムも読んでみたけど、難しくて、過激な思考が私の心にとどかない。右翼的?左翼的?新興宗教的?こわい感じ。

Schrodinger2008Schrodinger2008 2008/12/19 17:09 オバマは社会主義政策を実行すると思うので、左翼には歓迎なのでは?

米津篤八米津篤八 2008/12/19 20:24 mixi

米津篤八米津篤八 2008/12/19 20:27 mixi日記にお目通しいただき、ありがとうございます。
同じものをブログにも掲載しました(こちらは写真入りです)。

東工大への散歩が中止になったのは残念でしたね。

mizuki_yumizuki_yu 2009/01/07 23:46 このノリでアメリカの高官が「彼(彼女)はアカではない。しかし彼(彼女)が共産主義者だとしてもそれがどうしたというんだ」といつか言う日が来るのでしょうか。……まあ、こんなこと言われたら共産主義者もオシマイだと思いますが。

2008-12-17

国籍なくすか、なりたい奴はみんな日本人にしろ!

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 国籍法改正問題について、反自由党からの絶対に正しい談話です。


 さて、この件については全く新聞もブログも読んでません。

 ただ、見出しからDNA! DNA! DNA!

 っていうのがどうやらキーワードらしいということはなんとなくわかりました。


 まず言いましょう。

 反自由党の蜂起が成功したら、DNAを廃止します。




 次に、国籍を廃止します。




 っていうと、こう言われるかもね。

 もちろん理想としてはそう思ってるよ。

 でも、いきなりそれを主張しても、ごく少数の人にしか理解してもらえないじゃないか。現実的じゃない。

 とりあえず、現行のシステム内で、少しでも「よりまし」な実践をしようぜ。


 まったくその通りです。それはやればいいでしょう。




 けど、まず言わなければならないのです。

 国籍をなくせって。




 学校をなくせ!


 理想としてはいいけど、現実的ではない。とりあえずできることからやっていこう。まず体罰という具体的な問題を焦点化しよう。




 死刑をなくせ!


 それは無理だから、終身刑を推進しよう。現実主義的になろう。






 根本的に間違ってます。

 死刑廃止論者(A)がいて、穏健なリベラル(B)がいて、とにかく吊せ吊せと叫んでるやつら(C)がいる。

 この順で直線上に並んでて、(A)と(C)はものすごく「遠い」。けど(A)と(B)は「近い」。

 だからとりあえず(B)にも共感してもらえるように譲歩しよう。終身刑はそのための方便だ。


 だめだめ。人間はそういうもんじゃないです。

 (A)にとっては(B)の方が(C)よりも「近い」。そんなことないです。

 直線とかスペクトラムで発想するのはやめましょう。

 ただただ、(A)だけがひたすら正しいのです。他は論外。



 まずは体罰をなくして、その上で可能であればさらなる理想を追求する。ワンステップアットアタイム。

 間違いです。

 学校を廃止すべきだという境地に到達してはじめて、体罰が悪であるということが本当の意味で理解できるのです。

 学校廃絶という遙かなるガンダーラがあり、「よりまし」な地点に体罰のない学校がある。とりあえずそこに行こう。

 逆です。

 三歩前進一歩後退ではなくて、いきなりガンダーラに跳躍すべきです。体罰をなくすにしても、それが実は近道。


 みんな!

 現実主義になろうぜ!

 現実主義者じゃないと意味ないよ。


 現実的であれ!

 不可能を要求せよ!

D


 関連エントリー

 「死刑廃止を推進する議員連盟」の非モテ思考と「フレーバー納豆」について

 http://d.hatena.ne.jp/toled/20080213/p1



 (たくさんいただいたコメントにレスしてなくてごめん! そのうちやる、きっとやる!)

hashillaneyehashillaneye 2008/12/18 09:17 手塚治虫が"エネルギー"って言葉、概念を広めた時と同じ現象。DNAも同じ。"日本人のDNA"なんて言葉は、"宇宙エネルギー"とか"生命エネルギー"とかと同じレベル。

2008-12-16

世論調査に本心あかす奴ってなんなの?

世論調査に本心あかす奴ってなんなの? - (元)登校拒否系 を含むブックマーク はてなブックマーク - 世論調査に本心あかす奴ってなんなの? - (元)登校拒否系 世論調査に本心あかす奴ってなんなの? - (元)登校拒否系 のブックマークコメント


 こんばんは。

 今日はニコニコしてます。


D



 ウホッ!

 いいな、この姉弟。


 と思ってたらとつぜん動画が中断して世論調査に協力しろとか言われた。





 麻生さんを支持しますか? はい。

 どの党が・・・? 自民党

 どの党が・・・? 自民党

 どの党が・・・? 自民党

 どの党が・・・? 自民党

 どの党が・・・? 自民党

 どの党が・・・? 自民党

 だれが首相に・・・? 麻生さん

 どの党に・・・? 自民党





 って答えたよ。

 もちろん。




 反自由党は、民主主義に反対します。


 世論? あははははは。

 そんなのどうでもいいよ。

 正しいことは正しいし、悪いことは悪い。

 人数なんて知らないよ。


 なんせ僕はサルトルで集列的思考を克服したもんね。

 サルトル読んでないけど。


 

図解雑学 サルトル (図解雑学シリーズ)

図解雑学 サルトル (図解雑学シリーズ)

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2008-12-15

今週、すが秀美が東工大をテロルぞ!

今週、すが秀美が東工大をテロルぞ! - (元)登校拒否系 を含むブックマーク はてなブックマーク - 今週、すが秀美が東工大をテロルぞ! - (元)登校拒否系 今週、すが秀美が東工大をテロルぞ! - (元)登校拒否系 のブックマークコメント


 わはははは。

 居酒屋でクダを巻く元全共闘、実際に初めて見た。


D

(↑たぶんヘッドフォンをつけないと声がききとれないです)

 

 レーニン党が必要、ってのは賛成。


 ただね。

 やれやれ、ってあのな。じゃああんたがやれよ。


 っていうかやってんだよな。ごめん。

 たしかこのオヤジ、「姜尚中トラメガ事件」の関係者だよね? これを『情況』に持ち込んで拒否られた人じゃん。『世界』でも『論座』でもないよ。こんだけちゃんとした文章を書いて、『情況』に拒否られるって、現代の状況を照らし出す偉業ですわ。その後、僕が最も尊敬している左翼の一人である太田昌国がこの雑誌に書いてる、っていうかボイコットしてないのを知ってショック受けたもんな。ま、僕も、依頼が来たら文春にだって魂売るけどね。


 さて、他にやることがあるかもしれないから、東工大には来ないかもしれない。

 でも来るかもな。

 来るんだったら、姜尚中にぶっこわされたトラメガ持ってきてよ。友達になろうぜ。

 っていうかトラメガって信じられないくらい高いのな。

 姜尚中にちゃんと補償してもらったかい?



 ま、来れないかもしれない。他に用事があったらしゃーないもん。交通費とヒマが必要。金はもってそうな感じだが、ってことはヒマなく働いてんのかもしれないし。



 けど、秀ちゃんが来れないようだったら、ひごろから「来たるべき民主主義」とか「条件なき大学」とかゆってる連中が「じゃあ私が」「私も」「では私も」「いえいえ私こそ」「はい、もちろん私も」「ついでに私も」って言って来るかもな。絶対。絶対ってことは絶対にありえないけどね。だとしたら絶対ってことは絶対にありえないってことは絶対にありえないわけだから?

 あれ? なんか論理おかしいかな?

 ま、いいや。


 でも常識的にそうなるはずだと思う。



 あ!

 バトラーやオースティンを読んでパフォーマティビティってすげえ! でもどうやっってやるの?

 と悩んでた諸君。

 「常識的に」っていうのが初心者も安心のお手軽ワードだよ。






 最後にあずまんへ個人的なメッセージ。

 「煽る」っていうのはこういうことだよ。

 前回のやつは本当にウルトラ絶対に煽りじゃないです。


 というわけで、今すぐ姜尚中に電話しろ!

 井口先生じゃいい人すぎるから。

Schrodinger2008Schrodinger2008 2008/12/16 04:59 >これを『情況』に持ち込んで拒否られた人じゃん

「これ」が読めない(mixiのアカウント持ってない)ので、UPして欲しい

jam-014jam-014 2008/12/16 12:46 ツネオさんに代わって、UPしときます。
≪転送・転載は自由である。≫
って書いてあるし。
アアア、ちなみに私はニコニコ動画が見られません。トホホ。
誰かユーチューブにUPしなおしてちょ。

以下の原稿は、「情況」2008年5月号のために書かれたものである。原稿執筆については、われわれから「情況」編集部に申し入れ、同編集部もそれを了解した。原稿は4月4日に送付し、6日にもゲラが出るということであった。ところが、いっこうにゲラが出てこないので、6日以降何度も問い合わせを行うことになった。当初は、「まだ、出てこない」という返事であったが、8日お昼過ぎの電話で、編集部員のI氏が「ゲラは出ているのだが、大下編集長が掲載を渋っている」という返事を得た。そこで、大下氏には、改めて掲載を求めるメールを出したところ、8日深夜に大下氏から「掲載できない」との返事が来た。その理由なるものは、われわれの思考では全く理解不能なものである。意味が不明なので、ここで説明することはさしひかえる。大下編集長が「情況」誌で言及すべきことと思われる。
われわれが、なぜこのような原稿を書かねばならなかったか、そして、それが何故「情況」誌に掲載を求めたかについては全て本文に記されているので、繰り返さない。この「事件」に鑑み、われわれ二人は、今後は「情況」誌への執筆を拒否する。

本稿の重要性に鑑み、原稿を緊急にここにアップする。
本稿はコピーレフトであり、転送・転載は自由である。
                                  花咲政之輔
                                  スガ秀実







ネグリはどこに行ったか?
   ――3・29東大ネグリ講演会におけるわれわれの行動と姜尚中らへの批判
     付・4・1早大入学式での学友不当逮捕に抗議する

                    花咲政之輔
                    スガ{糸+圭}秀実


以下、本稿で便宜上「われわれ」というところの、一方の花咲は、二〇〇一年七月に一つの頂点に達し、その後も様々な問題を惹起してきた早稲田大学サークル部室撤去反対闘争を担ってきた当該の一員であり、他方のスガ{糸+圭}は、当時早稲田大学の非常勤教員をしていたかかわりから、その闘争を支援してきた者の一人である。同闘争の現在にいたる経過については、当該のホームページhttp://wasedadetaiho.web.fc2.com/を見られたい。また、われわれが、この闘争を契機にして編集・執筆した論集『ネオリベ化する公共圏』(明石書店)も参看されたい。そこには、ネグリの協働者であるマイケル・ハートも寄稿している。

 昨年、われわれはアントニオ・ネグリが来日するという情報に接した。また、来日に際しては、ネグリが早稲田大学においても講演を行うという企画が存在するということも、同時に知った(結局、開催されなかったが)。そこで、われわれは、ネグリのこれまでの思想と行動に鑑み、ネグリへの「質問状」を作成し、「情況」編集部をとおして、その質問状をネグリに渡した。当時、ネグリの日本招聘に関しては「情況」編集部が積極的にコミットしていたからである。「質問状」は「情況」二〇〇七年九・一〇月号に掲載されており、また前掲HPにもアップされている。
 われわれの主張は、早稲田大学のみならず現下の日本の大学において、ネグリを招聘して講演会等のイヴェントを開催することが、いかなる意味を持っているかと問うことにある。ネグリ(+ガタリ)の著作のタイトルを用いれば、「自由の新たな空間」を切り開こうとするわれわれの運動を弾圧し、新自由主義の時代にふさわしい監視/管理体制への大学再編を目論む当局の尖兵として行動する教員のなかには、ネグリをはじめとする左派知識人の著作を肯定的に援用(紹介、翻訳etc)することで「大学人」としてのステイタスを誇示しているものが少なくない。端的に言えば、ネグリは反動的に横領されているとさえ言えるのである。そうした状況下でネグリ・イヴェントが行われるとすれば、それは、ネグリのこれまでの思想と行動に反することではないだろうか。われわれとしては、「質問状」を媒介にして、そうした状況に積極的に介入し、ネグリ・イヴェントをラディカルに組み替えることを考えた。そうすることがネグリの思想と行動に応接するにふさわしいと信じるからである。
 周知のように、ネグリは日本政府によって来日を阻止された。われわれは、このことについて断固として抗議するものであり、抗議の意味も含め、また、以上略述した当初からの目論見を追求すべく、ネグリ不在のまま開催された三月二九日の東大安田講堂でのイヴェントに介入をこころみた。ネグリが「自由の新たな空間」の出現として不断に記憶を喚起するのは「一九六八年」だが、安田講堂は日本の「六八年」の象徴的な建物である。その建物で、ネグリ・イヴェントが「東京大学130周年記念事業」として行われるということは、さまざまな問題を顕在化させずにはおかないだろう。いや、顕在化させなければならないのである。
 われわれ(他数名)は開催一時間前から安田講堂前にタテカンを設置、ハンドマイクを使って主張を訴えるとともに、行動の意図とネグリへのわれわれの送付済み「質問状」を印刷したビラを、集まってくる聴衆に配布しはじめた。その時、最初の奇怪な出来事があった。イヴェント・スタッフ数人(学生であろう)が、東大の警備員数人とともにやってきて、ハンドマイクの使用中止を要求してきたのである。われわれが、その要求を斥けたことは言うまでもない。当日のイヴェントのタイトル(ネグリ講演の演題)「新たなるコモンウエルスを求めて」に照らせば、また、近年、ネグリやハートが積極的に押し出している「<共>(the common)の生産」という主張に徴しても、われわれの行動は、それにかなうものであると思われるからである。
いうまでもなく、「<共>の生産」とは無差異な同一性のことではない。それは「社会的な多数多様性が、内的に異なるものでありながら、互いにコミュニケートしつつ共に行動する」(『マルチチュード』)空間を模索することであり、闘争と議論を前提とする。ネグリ来日を前に刊行された『さらば、“近代民主主義”』は、その日本語版の惹句にも、またネグリ自身の「序文」にも記されているように、聴衆からの激烈な野次や罵声と討議のなかで生まれた。ネグリは、それらの罵声や野次をも「<共>の生産」の一過程として肯定したのである。それに較べれば、われわれの行動など申し訳ないくらい穏健なものだろう。
しかし、この学生スタッフの奇怪な行動は、その後のさまざまな出来事の序曲に過ぎなかったのである。
イヴェント開催の数分前、当日の主催者の中心人物でありコメンテーターでもある姜尚中(東大情報学環教授)が到着した。われわれはビラを手渡そうとしたが、姜は受け取らないばかりでなく、タテカンを横目で見て「これは撤去できないのか」と側近の学生(?)に例のシブい低音でつぶやいたのである。さすがに、その学生は姜をたしなめていた様子だったが、われわれが、この姜の発言に驚愕し呆れたことは言うまでもない。もちろん、われわれの目的は集会破壊ではないし、姜がそそくさと入場したこともあり、その場は、マイクで批判するだけでやり過ごした。
集会が始まっても、驚き呆れる主催者側の発言が頻出する。以下、簡単に列挙・報告しておこう。
開会するや否や、主催者側学生の司会者が、「不規則発言禁止」を宣言し、続いて姜が「ネグリの思想に反するかも知れないが、不規則発言には『生政治的』に対応する」と言った(「生政治」ではなく「生権力」であったかもしれないが、姜の例の声故に聞き取り不能)。姜にも多少の疚しさがあるのであろう。しかし、それ以上に「東大創立130周年記念事業」と銘打ったこのイヴェントは、官僚的につつがなく終らせたいという意味だろう。ところで、この場合、「生政治」(「生権力」?)というのは語の濫用・誤用であり、単純に「肉体的かつ暴力的に対応する」という意味であろうが、まあ、こんな時にコジャレて「生政治」などという言葉を使ってみる姜という人には苦笑を禁じえなかった。つまり、ネグリでも呼んでコジャレた集会を企画してみたというのがミエミエではないか。ちなみに、当日のパネリストの一人である石田英敬(東大情報学環教授、後述)は、かつてbiopoliticsを「生体政治」と訳しており、この訳語{2字圏点}の方が、当日の姜の言う「生政治」のニュアンスに近い印象を与える。まあ、いいコンビだということだ。姜により好意的に考えれば、姜の言う「生政治」は、フーコーがその概念を出した時に参照した「警察学」を想起させるが、もちろん、それもきわめて俗なイメージとしての「警察{ポリツァイ}」のことである。
もう一人のコメンテーター上野千鶴子(東大文学部教授)は、「一九六八年年というのは私たちにとって、特別な年であった。その四〇年後である、この二〇〇八年に、在日と女が教授としてここに立っているのは、当時からしたら考えられないことであり、皮肉ですよね{6字圏点}」と言った。上野の発言からは、当日のその官僚的空間に対する皮肉は聞き取れないのだから、このことこそまさに「皮肉」である。
昨今の上野は『おひとりさまの老後』の著者として著名だが、その本は、すでに斉藤美奈子や金井美恵子も批判しているように、女性ロウアークラスに対する配慮を欠いた、「勝ち組」女性のイデオロギーを敷衍したものに過ぎない(上野は、その同じ二九日に、近くの中学校で、約一六〇〇人を集めて「反貧困フェスタ」が開催されていたことを知っているだろうか)。その本と同様に、上野のイヴェントでの発言は、「六八年」が提起したフェミニズムや在日の運動の今日的帰趨が「勝利」であることをことほいでいるわけだが(そういう側面があることは否定しない)、しかし、その「勝利」が、その場において官僚的空間へと変質していることに、まったく無自覚なのである。ネグリも不断に参照するドゥルーズ/ガタリは、マイノリティー問題を論じて、その多数多様性が「1」に回帰することを警戒し、常に「n−1」でなければならないと言った。その日、安田講堂の演壇に立っている二人は、まさに「1」に回帰してしまった「マイノリティー」ではないのか。
パネリストの一人として登場した石田英敬は、学生時代は革マル派(のシンパサイザー?)として著名な存在であった(立花隆『中核vs革マル』参照)。現在はシチュアシオニストなどを援用して社会批判もおこなうフランス文学者となっているが、東大駒場寮廃寮反対闘争では、運動弾圧の尖兵として「大活躍」した。われわれが携わってきた早稲田大学地下部室撤去反対闘争は、駒場寮闘争とも連動・連帯して闘われた。それゆえ、石田のような人物が、ネグリ・イヴェントに登場すること自体が、きわめて訝しいと感じられる。石田の登場に対して、われわれは、その問題を問う野次と罵声(といっても、おとなしいものだが)によって応えた。ところが、その時、姜尚中が「野次は止めろ、終ってからにしろ。止めないなら出て行け」と怒鳴り、それにわれわれが反論するや、こちらに歩み寄ってきて、われわれの持参したハンドマイクを持ち上げ、地べたに叩きつけたのである。この威圧的かつ「警察」的な暴挙に対して、われわれがイヴェント中も随時声をあげたことはいうまでもない。
かつて姜は、丸山真男を「『異質なるもの』に対する問題意識はほとんど伝わってこない」と批判したことがある。これは、丸山のナショナリズムにかかわって言われたもので、別段独創的なものではないが、姜の主張にもそれなりの理はある。しかし、一九六八年の東大闘争時の丸山は、最後にはブチ切れたとはいえ(それにも、それなりの理由はある)、東大全共闘とは、野次と怒号のなかで「対話」を続けていたのであり、この面での「「『異質なるもの』に対する問題意識」は、この度の姜などより、はるかにあったと言えるのである。ネグリ・イヴェントで見せた姜の「思想と行動」は、単に条理的な均質空間の維持に、官僚的に腐心しているだけであり、「六八年」の丸山真男にさえ遠く及ばない。上野千鶴子と一緒になって、「六八年」の懐古にふけっている場合ではないだろう。
イヴェント終了後、われわれグループは、再び安田講堂前で情宣活動を行いながら、姜を待った。しかし、「議論は終ってからにしろ」と言った張本人の姜は、ついに、われわれの前に姿を現さず、後に仄聞したところによれば、こっそりと別の方向へ去っていったということである。考えてみれば、最初からビラの受け取りさえ拒否し、タテカンの撤去をも考えた姜であれば、当然のことではあろう。上野千鶴子よりはマシな「皮肉」を記せば、ネグリが来なくてよかったネと言いたい。繰り返して言えば、ネグリは姜らの官僚的なイヴェント運営に、当然のことながら異をとなえただろうからである。姜らは、結果的に、ネグリ来日を阻止した日本政府に守られたとは言えないか。
イヴェント前後の情宣活動中、参加者からは賛否さまざまな意見が寄せられ、意見を交換することができた。われわれの行動を支持する意見も多く、その中には、ネグリ招聘や他のネグリ・イヴェントに携わった者も少なからず含まれる。また、「姜さんも辛い立場なんだから、手加減してやってよ」という意見も、関係スジから複数あった。ここでその内容を記す必要はないだろうが、われわれも姜のいわゆる「辛い立場」なるものは仄聞している。しかし、それは「辛い立場」であるとしても、「官僚」としてのそれであろうと認識している。そして、われわれの行動は、自身の力量不足もあって、「手加減」以上の初歩的な介入であった。
われわれの行動に対する批判として、以上のこれまでの論述がそれへの回答とはならぬものとしては、「ハンドマイクやタテカン(それに野次であろうか?)といった闘いの方法は、やり方として古い」というものが一番多かった。それについて、一言しておこう。そういう人たちは、何が「新しい」方法かを決して示さないのである(せいぜい、ネットとか馴れ合い的な議論の方向といったものだ)。いや、「古い」と批判することによって、彼らは「闘争」から逃避することを合理化しているだけではないのか。
彼らが「古い」と批判するのは、半ば以上に「異質なるもの」に対する拒絶反応ゆえであろう。もちろん、われわれが全て正しいなどと言うつもりはないが、彼らに「異質なるもの」を提示しえたということだけでも、われわれの行動の意義はあったと思う。それが単純な拒絶反応から、姜の言う「『異質なるもの』に対する問題意識」へと生成変化していくことを期待する。もちろん、われわれも、そうしたものに接し係争するよう務めていく。闘争のスタイルに古いも新しいもない。出来うるかぎり多様なスタイルを、「異質なるもの」として押し出していくことが、さしあたって必要なのではあるまいか。

最後に、もう一つ重大な報告がある。
東大のネグリ・イヴェントの三日後の四月一日には早稲田大学の入学式であり、われわれは例年どおり、抗議行動としてビラまきと情宣活動をおこなっていた。ところが、大学当局は、そこで抗議行動をおこなっていた一人の学生を突然とりかこんで拉致するや、牛込署を呼び逮捕させたのである(いわゆる常人逮捕である)。前掲HPを見てもらえば知られえるように、二〇〇六年一二月にも、文学部キャンパスにおいてビラをまいていた人間が不当逮捕されたが、今回のケースも全く同様であり、理不尽きわまりない暴挙という以外にない。このような恒常的な管理・弾圧体制は、単に早稲田だけではなく、全国の多くの大学に波及していることは周知のとおりだが、同時に、われわれが報告してきた東大のネグリ・イヴェントに見られる事態とも深く通底していると考える。
四月一日の不当逮捕については、今後、前掲HPなどにおいて迅速かつ詳細に報告していく心算である。注目し、かつ支援をお願いしたい。もちろん、本稿で批判の対象とした姜尚中や上野千鶴子といった方々にも、そのことは切にお願いする。

takashitakashi 2008/12/16 15:36 今回の東工大大教室講義学生証セキュリティーコントロールは東氏の「へたれ」な性格から
出ていると見なすより、むしろ「思想」からでているとみなすのが的確だと思います。したがって、東氏は、上記のネグリ(さらにドゥルーズ・デリダ)のこういう発想は「非現実的」で、言ってみれば古臭いサヨ、で、「頭が悪い」。自分の方が「賢く」「現実的」だと思っているはずです。

ドゥルーズの「コントロール(監視社会)」を念頭に置きつつ彼は新しい、「公共性」とセキュリティを考え実践しているわけです。その適用の第一号が常野さんだったわけです。つまり、僕たちはみんな「動物」です。

+++++++++
「リアルのゆくえ」P111ー2002年の対談
「むしろタコツボ化を完成させるように機能するのがセキュリティです。
ドゥルーズが「記号と事件」であげた例ですが、今後の社会の権力は、カードを
国民に持たせて、そのカードで通れるところと通れないところ、ある時間には通れるけど
別の時間には通れないところというかたちで人の流れをコントロールする権力になるだろう
と思われます。常時監視の目を光らせているオーウェル的な「ビッグ・ブラザーとは異なり、アクセス権を時間と空間に応じて制限していくような一種のフィルタリング型権力ですね」

★2008年のエントリー
http://www.hirokiazuma.com/archives/000394.html

不安ベースのテクノリバタリアンな社会を実現できる、少なくともその実現を想像できる時代に生きているのです。
(・・・)
信頼ベースの社会では、社会設計が信頼(主観的な安全保障)と技術(客観的な安全保障)に頼る比率が7:3だとする。他方で不安ベースの社会では、その比率が3:7だとする(信頼が主観的で技術が客観的と言えるのかとか、それってなんの数字かとかは問わないでください。あくまでも比喩です)。信頼の醸成には特別のコストはかからないが監視社会のインフラにはコストがかかるのだとすれば、前者のほうが社会投資が半分で済むのでいいということになる。それに、なによりも「人間」を見ている感じがする。

しかし別の見方もできる。たとえばここに、ある日本人がいて、彼は同じ日本人は信頼度が1だけど、アメリカ人は0.7ぐらいで、中国人ともなれば0.3がせいぜいだと考えているとする。信頼ベースの社会では、彼にとって日本人の総合安全値は 10(7+3)だけど、アメリカ人は8(7×0.7+3)、そして中国人はわずか5(7×0.3+3)で、これじゃ中国人とはとても取引できないという話になる。他方で不安ベースの社会では、その数字はそれぞれ 10(3+7)、9(3×0.7+7)、8(3×0.3+7)であって、まあ中国人と取引してもいいかという話になる。つまりは、セキュリティのインフラがしっかりしているから、信頼できない相手と取引してもそれほどリスクが増えないという計算になる。こういう見方をすれば、不安ベースの社会だって悪くないという話になる。それはある点では、信頼ベースの社会より「平等」だからです。

(・・・)
不安ベースの社会は、人間を人間扱いしない、ぼく風の言い方をすれば「動物」扱いする社会です。だからひどい社会といえばひどい社会です。しかし、社会の構成員全体をひとしなみに動物扱いするのであれば、それはそれで人間的な社会とも言えないことはない。

takashitakashi 2008/12/16 15:49 言ってみれば、東氏の「動物」的公共圏では、すが氏のいう「異質なるもの」
は「うざい」「さよ」「きもい」とレッテルを貼られ、フィルタリングされるということでしょうか?親密なもの同士で、まったりするためには全く適切な行為です。

>「社会設計が信頼(主観的な安全保障)と技術(客観的な安全保障)に頼る比率が7:3」

その東氏がいう「信頼」を数値化するのは、誰がやるのか?


もちろんわれらがあずま〜んでしょう!あるいは、あずま〜んが信頼するマザーコンピュターでしょう!

我々はこの一世代前のSFか、手塚漫画の「火の鳥」の未来社会にでてきそうな発想を、真剣に、「公共圏」として検討しているわれらがあずま〜んに注視する必要があると思います!

あ、あずま〜んは、「ある意味僕は社会に絶望しきっている」(「リアルのゆくえ」)と言っていることも付け加えておきます!

takashitakashi 2008/12/16 15:59 東氏の次の著作は「動物と公共性」がテーマであり、デリダやルソーの「社会契約」
を念頭において、このセキュリティーについての実践を理論化するものとなうはずです。

2008-12-13

次は、トラメガを持って東工大に行きますーーポストモダニズムを体で感じて、人類に希望をもった話(重要な追記あり)

次は、トラメガを持って東工大に行きますーーポストモダニズムを体で感じて、人類に希望をもった話(重要な追記あり) - (元)登校拒否系 を含むブックマーク はてなブックマーク - 次は、トラメガを持って東工大に行きますーーポストモダニズムを体で感じて、人類に希望をもった話(重要な追記あり) - (元)登校拒否系 次は、トラメガを持って東工大に行きますーーポストモダニズムを体で感じて、人類に希望をもった話(重要な追記あり) - (元)登校拒否系 のブックマークコメント


 いきなりビックリ予告in!


次は、トラメガを持って東工大に行きます。


参考VTR

D


(YouTubeが技術的に見れない諸君、視覚障害者の諸君、ごめんな。気になる場合は「素人の乱 3人デモ」でググってくれ。)


 わはは、今日は楽しかった。やっぱり現場に行くべきだよね。っていうのは言い過ぎかな。だって人にはいろいろ事情があるし、金とヒマが必要になる。だから他人に対して「現場に行け」とは言えない。ロト6が当たったら札束渡して言うかもしれないけど。ただ、僕は今日、超ウルトラ現場現場した現場体験をしたんだ。なんと言っても、ポストモダニズムを実感したからね。今まで文字情報といっしょうけんめい格闘して何度も挫折したけど、実は、現物があるんだよ。


 どこに? 

 大岡山に。

 



 たらーん!

 見よ、これがポストモダンだ!

f:id:toled:20081213022255j:image

[東京工業大学大岡山キャンパス]


 僕は、この中に入ったよ。

 すぐに灰を探した。灰はなかった。

 ただ、僕には霊感がない。

 だから、ここで大虐殺があったかどうかまでは判断できない。





 はい、ここから本題です。

 まず、ネットの一部にある誤解を解きたいと思います。


 僕は、東浩紀さんの授業を受けようとしました。

 しかしそれはかないませんでした。それが今日の出来事です。


 で、それを、大学当局・事務方が主導して行ったと考えている人がけっこういるようです。


 違います。


 僕が教室に入ろうとすると、事務の人が「学生証を机の上に置いたままにしておいてください」と連呼してました。


 僕は学生証を持ってなかったので、いいのかな、とは思ったんですが、常識的に考えてOKだろうと判断し、入室して座ろうとしました。そしたら、別の事務の人に学生証の提示を求められました。僕の大学像からすると考えられないリクエストでしたが、ま、それはともかくとして、実際問題として学生証を持ってなかったので「持ってません」と言いました。すると退出を求められました。僕はビックリ仰天して、「ななななんでですか?」その他、いくつかの質問をしました。


 いただいた答えです。

 「東先生に聞いてください」

 「私にはわかりません」

 「東先生の指示です」

 「東先生に聞いてください」

 「それも東先生に聞いてください」


 ということでしたので、事務の人は何にも悪くないです。仕事を淡々と遂行していただけです。

 ネットを読んでいると、事務が過剰反応をし、それに東さんが「まあいいじゃん」というような介入をしなかったのは大人げない、みたいな書き込みが散見されますが、誤解です。


 さて、授業開始予定時刻を少し過ぎると、「東先生」がつかつかと歩いてきて、宣言しました。「はい! 前回以前から潜ってた人、入っていいよ」。


 ここで僕は、さっき「東先生に聞いてください」と言われた質問を東先生にしてみました(記憶が曖昧なんですが、一緒にいた友人によると僕はこのとき名前とidを告げたそうです)。

 以下、覚えている限りの会話です。ただ、僕はよく記憶間違いをします。正確に一字一句暗記する能力もありません。特に、発言の順序についてはよく覚えていません。けれどもわざと嘘をつくということは決してしていません(この部分に関してはね)。


あずまん:プンスカプンスカ! プンスカ! ピュー!(すごく怒っていて圧倒されました) あのね、僕は君のことなんか知らないよ。会ったことない。君のブログも読んでないよ。なんで僕が君を入れなきゃいけないの。


ツネオ:え、いや、だって東さんのブログで……。


あずまん:あのね、君はわかってるの? 君がやってるのは挑発だよ。


ツネオ:いや、それはそっちじゃないですか。いや、挑発じゃないけど、招待してくれたじゃないですか。


あずまん:してないよ!


ツネオ:してますよ、ブログで。


あずまん:してない。(事務の人に)井口先生どこ?


ツネオ:授業に来て質問してよ、って書いてたじゃん。僕のブログへのレス・エントリーで。


あずまん:だから僕は君のブログなんて知らないって。


ツネオ:いやいやいやいや。それで次の週のブログで、誰もこなかったからがっかりした、みたいなこと書いてましたよね? 僕はあれを見て、ああ、この人は僕に来てもらいたいんだな、と思ったんですよ。


あずまん:君なんか呼んでないってば!


ツネオ:ええ、だってー。


あずまん:あのね。(事務の人に)井口先生来ないな。いや、さっき会ったばっかりなんだよ。どこ行っちゃったのかな?


ツネオ:入っていいですか?


あずまん:だめだって! あのね、君、自分のやってることがわかってる? 君は煽ったんだよ。


ツネオ:いやいやいやいや、煽ってないよ。


あずまん:君が煽ったから、こんなに来ちゃったんじゃないか!(東工大生ではないモグリ希望者が、8-10名ほど廊下で待機してました)


ツネオ:煽ったりしてません。


あずまん:ふざけるなよ、僕はちゃんとプリントアウトして持ってるんだよ。(と言って、僕の昨日のエントリーを取り出しました)


ツネオ:読んでるんじゃん!


あずまん:危ないんだよ。わかってるのか? (事務の人に)井口先生まだかな?


ツネオ:危なくないって。何にもしないよ。


あずまん:現にこんなに集まってるじゃないか!


ツネオ:いや、みんな弱そうじゃん。大丈夫だよ(←もし、この発言に傷ついた人がいたらごめんなさい。みんな男の子でした。僕は「弱い」ということを悪いことだとは思ってません。そして実際にあずまんに比べたらみんな圧倒的に弱そうでした。でも男の子に対して面と向かって言うべきことではありませんでした)。


あずまん:とにかく……。


ツネオ:っていうか、知り合いじゃないですよ。この人(Xさん)は友達です。この人(Yさん)はその友達です。でも、それ以外の人は知りません。


あずまん:だからブログに……。


ツネオ:いやたぶん関係ないって。


モグリ希望者Aさん:あの、すいません、東先生。僕、???で見て、それで来ました。


あずまん:そうか、じゃあ君は入っていいよ。


モグリ希望者Bさん:あの、以前XXXでお会いしたんですが。


あずまん:おお、覚えてるよ。入っていいよ。


モグリ希望者Cさん:あの、

モグリ希望者Dさん:あの、

モグリ希望者Eさん:あの、

モグリ希望者Fさん:あの、

モグリ希望者Gさん:あの、


(同じようなやりとり。結局、あずまん、事務の人、Xさん、Yさん、僕だけが廊下に残りました。あ、あと知らない人(Zさん)が立ってました)


ツネオ:じゃあ僕も。


あずまん:おい! 僕は君のこと知らないって言ってるだろ! だいたいなんだ、ここにプリントアウトしてあるけど、ほら見ろよ、「ただし、糾弾会みたいなのは今回はやめとこうね。東浩紀は悪いのだし、そのことは指摘されるべきだけど、それはユーモアを維持しつつ穏やかにできるはずですから」って書いてるじゃないか。これは煽りだろ!


ツネオ:いやいやいやいやいやいや。それは煽りじゃないでしょ。


あずまん:煽りだよ。


ツネオ:煽ってないってば。それは違う(ここで、一瞬terracaoさんのエントリーを思い出しました)。


あずまん:煽ってるじゃないかあ!


ツネオ:違うってば。あのね、じゃあこうしてみてよ。それ5部くらいコピーして、東さんが信頼してる人に配って読んでもらいなよ。それで聞いてみてくださいよ。


あずまん:なんで僕が君のブログをコピーしなきゃいけないの! だいたい他にもYouTubeにアップしろだとか書いてるし。


ツネオ:面白いじゃん。きっとみんな見たいと思うよ。


あずまん:ふざけるなって。しかも、僕は読んでるんだぞ。前のエントリーも。はてなポイントをプレゼントするとかいうやつ。


ツネオ:読んでるんじゃん!


あずまん:そこで、君は僕には関心がないとか言ってるじゃないか。何が目的なんだ!


ツネオ:そんなこと言ってないよ。う? 言ったかな? いや、言ってないと思うよ。少なくともそういうニュアンスじゃない。


あずまん:あれ? (XさんとYさんに)君らはXXXで……。ああ、久しぶり。じゃあ君らはいいよ。


ツネオ:じゃあ僕も。


あずまん:お前だけ残れ!




 さて、ここまで読んでくれてありがとうございます。さらに続きます。

 おそらく多くの人は、ツネオってなんてしつこいんだ! とウンザリしてると思います。

 ただね。大学ってそもそも何? あるいはどうあるべき? ということをまず考えてもらいたい。ちなみに僕の答えは廃絶すべきだ、というものだけど、普通の人はそう思わないんじゃないかな。そう思わない人は、この問いに1分でいいから取り組んでください。そう思う人、同志です。ハグしよう。


 あと、言い訳がましくなっちゃうけど、経緯があるんです。↑の問いはもう忘れていいから、続きを読んでください。


 さかのぼればきりがないけど、とりあえず僕がこれを書いたわけ。

10万はてなポイントを進呈します。東浩紀の歴史修正主義を基礎づける記述が<デリダの文献にある>ことを発見できたら


http://d.hatena.ne.jp/toled/20081128/p1


 まあ、宣伝目的のネタ記事だな。文体もふざけてるし。ただ、僕は一人でも多くの人に読んでもらいたいと必死なんだ。そのための努力だ。で、僕はこの記事と最後にあるリンク先で、歴史修正主義について真剣に考えてるんだ。特に、なぜ欧米ではホロコースト否定論者はまともに相手にされないのに(即スキャンダル→追放)、日本では政治家や知識人が平気でデマをふりまいて無傷なのか? 南京大虐殺や慰安婦制度といったことが存在したかどうかというようなことが、「論題」になってしまうのか? っていうことについての問題提起をしようとしたんだ。


 で、僕の主張はこういうものだ。

 これは「知識」が足りないためでも、日本人がバカなせいでもない。

 現にあずまんは頭がいいはずだ。彼はデリダの解説を書いて有名になった。

 デリダって読んだことある?

 すっごく難しいんだよ。なんせ、20世紀において一番かしこかったチョムスキーがお手上げだと言ってるんだ。

 たしかに短いエッセーやインタビューもあって、その大半はまあ読める。けど、そこでは大したことは言ってない。ふつうのサヨクの当たり前の主張だ。歴史修正主義批判とかね。歴史修正主義のもとの意味、そのトンデモバージョンとの区別とか、勉強にはなるけど、Wikipediaで間に合う。

 けれども分厚い本となると、てんで意味不明なのだ。なんで難しいのかな? たぶん、想定されている読者が、西洋哲学史をすでにマスターしていることを前提にしてるんだ。たぶんね。

 そのテクストに向き合って、わかりやすくかみ砕いてみたわけだから、あずまんはスゴイに違いない。読んでないから確証はないけど。少なくとも、平均的な人にはとても期待できない知力があるはずだ。


 だから、あずまんが歴史修正主義的な発言をしたのを読んで、僕はこう思った。これは僕の主張の補強材料となると。


 そして僕はサヨクに訴えたかったんだ。知識や知恵の問題じゃないって。教科書検定なんてどうでもいいって。たとえ『新しい歴史教科書』が普及しようが、ほかにも情報はいっぱいある。もしそれを信じるとしたら、本人の責任なんだって。つまりこれは自由の問題だって。


 それについて僕がせいいっぱい努力していっしょうけんめい考えて、ジジェクをパクリながら書いたのが↓だ。

「永遠の嘘をついてくれ」――「美しい国」と「無法者」の華麗なデュエット


前編: http://d.hatena.ne.jp/toled/20070726/1185459828

後編: http://d.hatena.ne.jp/toled/20070727/1185459989


 僕はこれの宣伝がしたかった。必死で。そのための材料として、あずまんの発言を使った。

 知識人に対してこういうことをやるのは、僕は全然OKだと思ってる。

 あとは読んだ人が判断すればいいことじゃん。それで僕の書いてることが間違ってると思われたら、それでもいいよ。


 そしてある程度それは成功した。たぶん、20人くらいの人が新たに↑の記事に関心を持ってくれた。そのうち少なくとも5人は最後まで読んでくれたと思う。僕は嬉しかった。本当に。


 さて一方、僕のネタ記事の方は、当初は意図していなかったような反響も呼んだ。反響って言うと語弊があるかな。ま、ある種のきっかけを作ったんだよ。主にはてサの人が、歴史修正主義についてさまざまな批判的分析を行なった。僕のネタにつきあって、デリダと格闘してくれた人もいた。僕は嬉しかった。そして新たに多くのことを学んだ。


 たぶん、あずまんは僕ごときにキレるほど度量は小さくない。たぶん、たぶんだが、はてサの人が書いた一連の記事に傷ついちゃったんだと思う。かわいそうっちゃかわいそうだが、出版された知識人の発言がつっこまれてるわけだから、これはしょうがない。


 さて、話を戻そう。このような中で、あずまんはまず↓を書いた。

歴史認識問題についていくつか


http://www.hirokiazuma.com/archives/000465.html


 どうだろうか? 僕はこれを読んで、少なくとも僕がきっかけの一つにはなってるんだろうなと思った。うーん。誤解かな? 僕にはそう読めちゃうんだ。著者の意図とは違ったのかもしれない。ただ、テクストは書かれた瞬間に著者の手を離れる、って話もあるからね。まあともかく、僕はそういう解釈をした。


 で、この記事の「5.付録の付録」を見て、僕はこう思った。あずまんは、僕を含むはてサに授業を見に来てもらいたいんだなって。そして質問してもらいたいんだなって。


 現に、あずまんの授業に毎回出席してる人によると、この週から突然ガラリと講義内容が変わったらしい。政治-倫理的転回、みたいな。まあそれは後で知ったことだけど(←これ、僕はオフレコじゃないと判断したので書きました。講義録が公開されてるし。もし問題があったらこのパラグラフ消します)。


 ただ、僕は初対面の人と話すのが苦手なんだ。だから尻込みした。そしてこれも後になって知ったことだけど、この記事が出た次の授業の日は、とても大切な用事があってどうせ行けなかった。


 その翌週、あずまんは↓をアップした。

中途半端な告知


http://www.hirokiazuma.com/archives/000466.html


 これを見て、僕はこう思った。あずまん、本気で来て欲しいと思ってたんだね。社交辞令じゃなくて。僕(やその他はてサ)が行かなかったせいで、がっかりしちゃったんだね。誤読だろうか? でも、ストレートに読んだら、そう思うのが普通だと思う。って、普通じゃない僕が言ってもあれだけどね。ま、実際に読んでみてよ。


 ただし一方で、僕はこうも思った。そんなに来て欲しいんだったら、なんでメールしないんだ。あと、いつどの教室で授業があるかわかんないのに行けるわけないじゃん。っていうか地方に住んでるはてサだっているし。ぶっちゃけ、はてサの立場を離れて言えば、民間だったらありえない。


 と思ったんだけど、思い直した。これも宣伝になるかもしれない。あと、さっき書いたように、かしこい人が歴史修正主義に染まってしまうという現象について、僕は深い関心を持っている(ここであずまん自身は歴史修正主義者じゃないって突っ込みが入るかもしれないけど、僕の基準ではそうです。それについて説明し出すと終わらなくなるので、とりあえず僕はそういうふうな判断をする人なんだな、と思っておいてください)。だからあずまんがこの件についてどのように語るのかということに興味が湧いてきた。質問を繰り返すうちに、どんな反応が見れるだろうか? そしてあずまんもそれを望んでいるというのが僕の解釈だった。というわけでwin-winだなこれは。と考えて行くことにした。


 それで場所と時間を調べて、見つかんなくて、っていう苦労もあったんだけど、そこは割愛しよう。


 ただ、さっきも書いたように、僕は一人で立ち上がるのが怖いんだ。それに対するあこがれはある。その気持ちから、「大阪府KY若手職員と「姜尚中トラメガ事件」について−−米粒が立ち上がった日」っていう記事も書いた。でも怖いものは怖い。


 また話がそれた。ごめん。


 それで、当日(金曜日)の朝になって、↓を書いたんだ。

あずまんの授業行こうぜー!


http://d.hatena.ne.jp/toled/20081212/p1


 まあ、今になって読み返してみて、ふざけた文体だとは思います。けど、さっきも言ったように僕は多くの人に読んでもらいたいと必死なんだ。かつて非常に真面目な登校拒否論をこのブログで書いたこともある。けどそれはあんまり読まれなくて、へこんだ。だから僕はサービスしたくなっちゃうんだよ。


 はてサに参加を呼びかけたのは、一人じゃ怖いから。あと、あずまんが「あいつら」とか「そのかたがた」って書いてたので、少なくとも二人には来て欲しいんだと思ったから。


 で、あずまんが問題にした↓だけど。

 ただし、糾弾会みたいなのは今回はやめとこうね。


 東浩紀は悪いのだし、そのことは指摘されるべきだけど、それはユーモアを維持しつつ穏やかにできるはずですから。


 糾弾会ってみんな知ってる? 部落解放同盟が昔やってたことがある。数年前、ムネオが辻元清美に吊し上げ食らってた。そのすぐ後には、辻元自身が同じような目にあっていた。あれを思い出してくれ。

 僕は、糾弾行為一般について全否定はできないと思ってる。このへんについては「「弱者による暴力」に対する暴力について」という記事で書いた。

 ただ、もしそれが起こってしまうとしたら、悲しいことであることは確実だ。実は僕の親しい関係で、数年前に「糾弾会」が発生してしまい、すごくショックを受けて、泣いたことがある。


 というわけで、「糾弾会みたいなのは今回はやめとこうね」っていうのは本当にストレートに文字通りの意味を意図したのだ。デリダ信者にとっては、著者の意図は言い訳にならないけどね。僕はデリダ信者じゃない。まあterracaoさんのエントリーには笑ったし、「逆言葉」は大好きだし、機会があったら語用論の勉強をしたいと思ってる。けど、糾弾会にしちゃいけないってのは本当にそのままの意味なんだ。そしてそれが伝わるように書いたつもりだ。


 糾弾っていうのは、たんに相手を傷つけるためにやるものではない。そうではなくて、相手に自分が間違っているということを自覚させることが重要とされる。だからそれは愛情と憎悪が複雑に絡み合った興奮から始まる。

 けど、僕は歴史修正主義者に対して1%の希望も持っていない。必要なのは、対話でも説得でも論争でも、まして糾弾ではなく、暴力だ。


 ここでの暴力ってどういう意味? という話をしだすと終わらなくなるからやめとく。いつか書くからRSSに登録しといて。


 さて糾弾において主要な役割を果たすのは、一人のいじめっ子じゃない。それを眺めながら享楽に浸る傍観者だ。


 だから、「一人VS多数」という構図は、けっこう危ないんだ。そういう配慮で、僕は↓の一言を付け加えた。

もちろん、あずまんと波長が合いそうなネット右翼の諸君もたくさん来たらさらに楽しくなると思うよ。ってなんか勝手に許可を与えてるみたいだけど、あずまんのブログを見ると明らかに部外者歓迎姿勢が伺えるからたぶん大丈夫。


 左翼があずまんを問いただしたり批判したり、で、それにあずまんが反論して、ネット右翼がそれに賛意をあらわして。というふうになったら楽しそうだし、「糾弾会」になっちゃう可能性は防げると思った。ま、実際には「中立」の学生や批評家の卵がたくさんいるから、ガチで右翼の人が来なくても大丈夫だったと思うけどね。


 ここで「出羽の守」モードを少し。アメリカに留学してたことがあるんだけど、大講堂でのレクチャーでも学生が突発的に質問したりするのは普通だったよ。先生は批判されても動じない。少なくともそれを表情に出さない。一度だけ、学部生でも院生でも取れる講義で、院生と先生がガチンコでケンカを始めてビビったことがある。次の日には仲直りしてたけど。

 日本の大学の授業はそういうノリではないということは常識として知っている。けど多くの先生は、本当は活発に質問してもらいたいんじゃないかなとも思う。で、あずまんの場合は、対立する相手に乗り込んで質問してもらたいと書いてたので、それだけの度量があるのだなあと判断した。


 というのが僕の弁明だ。もう時間がたってるので、無意識に後付けの正当化をしてるかもしれない。まあ、リンク先を読んで、また、この件について別の人が書いているレポートを探したりして、各自で判断してくれ。

 僕には悪気はなかった。悪い方向に行ってしまわないような僕なりの配慮もした。と今でも僕は思ってる。


 さて時間を戻そう。あるいは進めよう。


 あずまんが切れ、大半のモグリ希望者は入室し、事務の人とXさんとYさんとZさんと僕が残った。


 このあたりで大御所が登場した。

 井口先生だ。


 あずまんは「あ! 井口先生!」と叫んで、僕の入室を認めないことが正当であるということをせつせつと訴えた。


 井口先生は、ニコニコしていた。

 そして言った。

 「まあ、そうだねえ」。


 で、井口先生は、僕に対して、あずまんが真っ赤な顔で言っていたのと同じことを、落ち着いて、ゆっくりと、スマイルを維持して、説明してくれた。


 それを聞いて、僕はたちまち井口先生のことが好きになってしまった。


 ハリウッド映画に出てくる、good cop, bad copっていうのを知ってるだろうか?

良い警官・悪い警官の解説

良い警官・悪い警官の例


 これがスゴイのは、わかってても引っかかっちゃうというところだ。心理学って、だから勉強しとくといいよ。ちなみに僕は↓に深い感銘を受け、合コンに行く機会があったら活用したいと思ってる。

恋愛心理学 (図解雑学)

恋愛心理学 (図解雑学)


 というわけで、僕は「この人の言うことなら何でも聞こう」という気になった。

 今でも僕は井口先生のことが好きだ。

 じっさいいい人だった。

 「まあまあまあまあまあまあまあまあまあ」という感じで、全てが丸く収まってしまった。

 ちなみに僕は常識的な判断として、警察が大学内に来ることは絶対にないと思ってた。

 けど警備員を事前に配備しておくことはできたはずだ。

 そしてそれをやるとしたら、それは井口先生の権限だ。

 で、警備員はいなかったし、来なかった。

 ま、それでも全共闘的にはNGかもな。けど本当に差が激しくてものすごく良い人に見えたんだよ。


 というわけで、あずまんは15-20分遅れくらいで、無事に授業を始めることができた。


 僕もポジティブな気分に満たされた。


 ただこのまま帰っちゃったらアレかなと思い、僕は井口先生にお願いしてみた。

 一緒に写真に写ってもらえませんか? って。

 いいよ、いいよ。なんで?

 ブログに載せたいんです。載せていいですか?

 いいよ、いいよ。

 ありがとうございます。これで交通費をかけたことについて自分なりに満足できました。

 わはは、そうかそうか、よかったな。



 というわけで、今日の収穫です(Xさんが撮影してくれました)。


f:id:toled:20081212170928j:image

(大サービスで、先生は一瞬だけ表情を厳しくしてポーズまで取ってくれました。僕はあずまんがマジで怖く憔悴しきってたので、青ざめてます。)


 さて、もうそろそろこの物語もクライマックスです。


 さっき書いたように、僕の友人のXさんとその友人のYさんは入っていいよ。ってことになりました。あと、Zさんという初めてお会いする方とあずまんの間にもちょっとしたやりとりがあって、入っていいよ。ってことになりました。


 けれどもXさんとYさんとZさんは、教室に入ろうとしませんでした。








 それを見て、僕は泣きたくなりました。必死に涙をこらえました。悪いな、僕のせいで、と思ったけど、ものすごく嬉しかった。


 そのあと喫茶スペースみたいなところに行って、僕はトイレで顔を洗いました。





 ま、っていうのはちょっと脚色な。けど、本当に嬉しかったよ。人類に希望を持った。


 というわけで、実はハッピーエンドなのです。

 あずまんの希望はかない、井口先生の顔は立ち(ズバリ言いますが、ギャップがすごかったので、事務の人からの評価が倍増したと思います)、僕は幸せ。しかもあずまんはふだんよりもハイテンションで授業をし、この出来事自体を即興でネタにし、学生も満足。


 何の心配もありません。みなさん、どうか安心してください。


 さてそろそろ終わりにしますが、僕はこのエントリー自体であずまんをネタにしました。そこであずまんに最後に言っておく必要があると思うのです。

 あずまん、大丈夫だよ。もしあずまんが僕に対して似たようなことをやったとしたらアレかもしれない。一般論として。僕はされても全然平気。っていうか歓迎だけどさ。で、逆にだよ、僕ごときに文章で何を書かれても何にも恐れる必要はないよ(もちろんプライバシーの暴露とかはNGだけど、それはやってないし)。もし事実に反する部分があると思ったら、反論すればOK(さっきも書いたように、意図的に嘘はついてないけど、記憶はたしかじゃないから、あずまんの言い分もあるかもしれない)。だから安心して寝てください。僕もこれからハルシオン飲むわ。


 ただ。あ、本当にこれで終わりにするからもうちょっとだけ読んでね。

 あずまん、そうとう男を下げちゃったな。今回。


 そこで僕から超ウルトラスーパーCの挽回策を提案します。

 僕をゼロアカ優勝者にしてください。

 知らない人のために言うと、講談社から10,000部の本が出せるというコンテストです。


 そしたら、みんな思うと思う。あずまん、大人だなって。器として。これだけのいきさつがあった上でそうしたら。思わん?


 で、僕はお金も欲しいが、「永遠の嘘をついてくれ」を膨らませて出版したいという熱い夢を持っているのです。そのためにはむしろお金を払ってもいいくらいです。


 だから僕をゼロアカの優勝者にしてくれたら、印税は全額フジタくんにやる。なんせ、今回の最大の功労者かもしれないからな。ある意味。




 どうです?

 win-win-winです。





 大切な追記

 東さんが今回の件について書かれています。


東工大授業の顛末について


http://www.hirokiazuma.com/archives/000470.html


 まさにポストモダンですね。。。みなさんお願いですから僕が本記事で貼ったいくつかのURLクリックしてくださいね。


 この中に、次のような指摘があります。


[前略]問題の本質(というか本質のなさ)に関わる点で、二つほど報告者=潜り希望者[=常野]が抜かしている単純な事実があるので、記しておきます。たいした話ではないので、興味があるひとだけ読んでください。


1.この報告者(非東工大生)の方は、最初に嘘をつきました。


該当エントリにもあるように、ぼくはまず教室外の廊下で、「前回まで潜っていたひとは教室に入っていいです」と言いました。10人弱の人間が残りました。しかし、そのときに彼は黙って、しかもぼくの背後のドアから教室に入ろうとした。ぼくが気づいて止め、「君は出てたかな」と問いただしたところ、彼は「出てました」と答えました。これはおかしいな、と思ってぼくが「でも顔を知らないよ」とあらためて問いただしたところ、その男性は「ブログを通して出てるんです、入っていいでしょう」とへりくつをこねはじめました。それで問題のひとだとわかりました。それが、このひととぼくが最初に交わした会話です。


 ごめんなさい、これは本当でした。動揺していたので、記憶から消えてました。さきほど、昨日(金曜日)一緒にいた友人に確認しましたが、たしかに僕はこのような発言をしたそうです。言われてなんとなく思い出しました。僕はこのとき嘘をつきました。これは本記事でのまとめの冒頭に含まれるべき情報でした。

 ただ、繰り返しますが会話の再現部分で意図的に嘘をつくことはしていません。また、僕がだめだと言われているのに何度も入ろうとしたことについては触れてます。


 このやりとりの特に前半は、10数人の人が見てました。もしこの他に僕の再現に重要な欠落や誤りが含まれていたら、指摘していただけるとありがたいです。


 なお、この嘘が再現に欠落していたことについては反省しますが、このシチュエーションで嘘をついたこと自体については全く後悔していません。むしろ誇りに思います。

 嘘と事実と倫理の問題については、以前↓で書きましたのでぜひご覧ください。

学歴詐称事件と「反学校の倫理」


http://d.hatena.ne.jp/toled/20050324/1111673660

tari-Gtari-G 2008/12/13 11:17 まずは本当にお疲れ様でした。

とにかくこのイベントを実行されたのは、ほんとうに尊敬します。
私も人類に希望を持ちました。

内容は、ほとんど予想通りというか、全てが「あぁ、そうだろうなぁ」という納得の展開ですね。
それを形にして確認できただけでも歴史に残る収穫だったように思います。

それにしても東君、怯えすぎだとは思うけどw

つねのさんの今後のご活躍にとっても期待しています。
はやく本が出るといいですね。

樹珊樹珊 2008/12/13 12:35 リンク先の東さんブログ読まない人もいるでしょうから一応補足として引用しときます。


>そもそも、そんなに真実が大事だと思うのならば、そのかたがたは実際にぼくの授業に来て質問したらいいのではないでしょうか。

http://www.hirokiazuma.com/archives/000465.html


>結局、東工大の授業に歴史認識問題を問いただす学生などだれひとり現れず、それどころか先週はいたゼロアカ生さえすっかり消え、いささか拍子抜けした東浩紀です。つまりは、あいつらにとっては東浩紀はネタでしかないんだよなあ、とあらためてコミュニケーション志向社会の現実に思いを馳せてしまったりしました。

http://www.hirokiazuma.com/archives/000466.html


というか、東さんの(普通の)人としてのダメダメっぷりというか欠陥こそが逆に知識人として偉大さをしめしているのかもしれない、と思うことにしましたw

樹珊樹珊 2008/12/13 15:09 あーあと、「授業来れば?」「来ないのかよ」といわれても授業の「内容」に関係ないことで邪魔すんのはどうよ?的な方々もいそうなんで、12月5日の授業の内容も。


この記録がだいたいあってるという前提で。歴史も歴史認識も南京事件も<はてサ>も<はてサ>も<はてサ>も授業でガンガン語ってる模様。


とりあえず<はてサ>部分をいくつか。


>これがわからないのは本当に頭が悪い


>おそらく今、どこかで展開しているらしい、僕に対するはてなサヨクの批判はこの構図 東は相対主義、東の言い方では歴史修正主義に場所を与える 高橋・野家論争を見ればはてなでブロガーがやってることはほとんどわかる


>昔から思ってる 2chブログとかで吼えてる人 じゃあ質問に来い、お前知ってんの、というと何も知らない


>南京とか何とか書いたらはてなのサヨクが知りもしないでばーっと書いたように、
彼らは党派性でうごいている 友とか敵 話を聞いてくれない 面倒だから相手にしたくない 僕は高橋さんの本もほとんど読んでる 少しはみなさん勉強したほうがいいと思ってしまった


東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第9回(12/5)
http://d.hatena.ne.jp/nitar/20081205/p1



まあとにかく、学生が邪魔されてかわいそう的なことをいって学生を「無垢な子ども(として人質)」にするのはアレですね。それも現代思想関係の授業なんだから。まるで「計算ドリルをせっせとこなす授業に出てる小学生」のように扱うなんて学生たちに失礼すぎかと。

goothgooth 2008/12/13 17:38 はてブのコメントでも書きましたが(私の他にも同様のことを感じた人が複数いたようで同じURLが張られています http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20081120 )貴方の稲葉氏のブログでのコメントを読んでいる人間としては、正直言って、なにか貴方は根本的な勘違いをされているような気がしてならないのですが。稲葉氏のところで、あなたは醜態を晒してしまい(それは貴方も認められてますが)稲葉氏にやんわりと諭されたわけですよね、以下のように。
>それから「嫌い」というほどあなたに関心はありません。普段あなたの日記も見てないし。「せっかく賢そうなのにつまらない恨みつらみに囚われてもったいないな」と思ったこともありますが、若いってそういうことだしね。まだ先は長いし、人間は成長し、変わるものです(堕落もしますが)。世間に迷惑をかけない範囲で頑張ってください。
それで今回の東氏の件も、基本的には稲葉氏の件と同じことに思えるのですよね。
ちなみに私が貴方と同じにおいがすると感じた方のブログはこちらです。http://nekodayo.livedoor.biz/archives/610128.html

gerlinggerling 2008/12/13 18:01 そんなふうに、「排除されたのは決して倫理的な矛盾などではなくお前の人格に問題があるからなのだ!ほら現にお前は以前にも理性をなくしてこのような問題を起こしている!!」とひたすら言い募るのが、理性的で論理的な帰結なのでしょうか?
理性的で論理的なものなど存在しない、というのがポストモダン的な価値観だというならなら、なるほどそうでしょうけどね。

goothgooth 2008/12/13 22:10 ポストモダン的な価値観なんて関係ありません。物事を判断する材料はたくさんあった方がいいと思ったまでのことです。東問題を捏造する人間がどういう人間であるかを知らないと片手落ちでしょうと思ったまでのことです。

gerlinggerling 2008/12/13 22:22 筆者の人格がなにか事実の判断の材料になるのでしょうか?
例えば、東の人格を批判する材料は山ほどあるのに?(おそらく、それは常野さんのより当然多いでしょう。むこうは、売れっ子批評家さまで情報は山のほどありますからね。)

tikani_nemuru_Mtikani_nemuru_M 2008/12/13 22:57 >gooth
>東問題を捏造する人間
って、誰が何を捏造してるの? 捏造って、すんごく強いコトバだよ?
この一連の問題で東を批判しているヒトが何を捏造したのか興味あるんで教えてください。
捏造とまでいったんだから、説明できないわけはないよね?

樹珊樹珊 2008/12/13 22:59 だいぶ脇それますが一応書いときます。


goothさん、以前稲葉さんはこんなこと書いてました。あちらのコメント欄にもありますが。


>常野みたいなバカを相手にして、バカがうつったというわけですね
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/Wafer/20080523%23p2


↑のは私自身は見てなかったのですが、同じ時期に他の場所でも稲葉さんは「常野みたいなバカを相手にするな」的なことを書いていて(すいません、少し探したのですが見つかりませんでした。おそらくfuku33さんに対しての言葉だったと思います)、そっちの方を見て、「ああ、常野さんは稲葉さんに嫌われているのだなw」と当時私は普通に思いました。なので、toledさんが「自分は稲葉さんに嫌われている」と思っていたとしても当然のことかと思います。


こんなことを書いておいて「「嫌い」というほどあなたに関心はありません」なんていう稲葉さんもどうかと思います。強がりすぎ。知識人が素人?相手に威嚇してどーすんのと。今回の東さんもそうですが、強がりすぎ。素直になろうよ、と思います。


ただ、稲葉さんのこの「バカ」という書き込みを考慮しても、稲葉ブログでのtoledさんの「醜態」はよろしくないと私は思いますが。toledさんについては、なにアホやってんだか、と思いました。


>物事を判断する材料はたくさんあった方がいいと思ったまでのことです。


とにかく、今回の東さんについてもそうですが、物事を判断するのに前提とするべき材料ををすっとばしすぎるのはどうかと思いますよ。

ktutuiktutui 2008/12/14 01:32 「リアルにぼくと話したいのなら、相応の礼儀と手順を踏んでください。」

http://www.nicovideo.jp/watch/sm5033082

では、物事を判断する基準を増やしましょう。
東氏は都合が悪くなると、「迷惑」「相応の礼儀と手順」といっていますが、
上記のMAD映像は一体なんでしょうか?しかも東氏は自分の持っているNHKの公開=まさに『公共』番組で
この「ピストン東」キャラを許しているではないですか。

この自らのイメージの「ピストン」キャラ化を、「またなんかネタになることがあればね〜」とNHKBSの秋葉原公開番組で許しておいて、

「相応の礼儀」も何のないと思いますよ。一体東氏は芸人なのでしょうか?あるいは批評家なのでしょうか?あるいは批評家キャラの芸人なんでしょうか?芸人キャラの批評家なんでしょうか?

ふざけるのがおすき、あるいは根本的にふざけている人なんでしょうから、それを徹底したらいいんじゃないか?今回の件もネタとして「東浩紀」キャラの祭りの一環として利用あるいは甘受すべきと、「個人的には」思います。

歴史認識問題も東浩紀キャラ立ち上げの「ネタ」なんでしょう?

terracaoterracao 2008/12/14 01:32 goothさん、
id:toledさんはとてもすばらしい人格者です。私が言うんだから間違いありません。稲葉さんのところのコメントも彼の真意ではありません(ふざけて私が書いてしまった記憶があります、2ミリバールくらい。今は反省しています)。
私が「toledの人格は非の打ち所がないくらいすばらしい」というんだからもうそれでいいじゃないですか。もう少し客観的に話し合えるテーマについて議論しましょう(と言える俺の人間力53万)
具体的には、あなたの発言中の「捏造」に関してその主語と目的語をお聞きしたいです。つまり、誰が何をねつ造したんでしょうか?

ID:tari-GID:tari-G 2008/12/14 07:43 少し残念なのは、なぜ誰も録音・録画してないようなのか?、ですね。>
<
「解釈の争い」がテーマになっているときに、できるだけ「テキスト」の確定はしておくべきだったと思いますから。>
<
ていうか、カメラがあればまさにマイケル・ムーアだったのに(笑)

通りすがり通りすがり 2008/12/14 12:19 正直、こんなに骨のある人物だとは思わなかった。東の最近の言動はおかしな部分が多い(純粋に思想に関することだけではなく、ゼロアカで某大学院生のモミアゲを剃り落とすなど・・・大学教授にあるまじき蛮行の数々、秋葉原無差別殺傷事件へのコメントで「厳罰」を求めるなど、左派的ではない、むしろ、右派・保守的傾向が見え隠れしていた)。
こういう東の状況に、直接行動で意志を示した気概に尊敬の念を覚える。中々、実際に実行できる行動ではない。東の姿勢には「ウヨク」的な部分が潜んでいた。しかし、それを指摘することは容易ではない。今回ほど、分かりやすく東のウヨク性・小市民性を露呈させた出来事は無いだろう。
正直、貴戸理恵との共著を書いているような者が、ここまで気骨溢れる人物だったとは思わなかった。貴戸はあまり好きじゃないし、共著者ってことで評価していなかったのだが、この一件で少し見直した。

名無し名無し 2008/12/14 12:22 記事を一通り見ましたが人として最低ですね。

高津高津 2008/12/14 13:34 あずまってのはどうも変な人ですね。自分で「授業くれば?」「誰も来なくてガッカリ」とか散々っぱら煽っておいて、いざ行ったら、あのゴム風船みたいな顔を真っ赤にして怒り出すなんて(笑)
彼は準公務員のくせして、公の場で、平気で「ニコ動」とか「リア充」とかオタク用語を連発するようなゴミ粕みたいな人間ですからね。
ああいうのは放っておいても勝手に潰れて行くと思いますよ!

石川石川 2008/12/14 13:53 井口先生が立派だということがわかった。だいたい、師弟の契りを結ばない人に対して、師匠みたいな態度をとる教師の多いことにムカツク今も昔も。だいたい、指導者たるもの、人を見て選別してはいかんだろ。授業に迷惑だというならば、授業が終わった後に5分でも、来た人に時間を割いて接客するとか、本を腐るほどもっているなら、本のプレゼントとサインをするとか。井口先生と同じように、いっしょに写真を撮るとか、人情だろ。学問だけのつきあいしかしないと突き放すなら、それを薄情というんだよ。

gensyougensyou 2008/12/14 21:09 今回の件で以前にtoledさんが書かれていたこれを思い出しました。
http://d.hatena.ne.jp/toled/20071211/1197417341
>リベラリズムの自由とは、領域の中の自由のことです。それを防衛するために、リベラルは領域外にある者と戦います。というのは不正確な言い方かもしれません。規格外の者たちを「外部」に排泄することによって初めて内と外の境界が確立されるからです。

つまり、あずまんの考える「ポストモダン系リベラル」ではレイシストや歴史修正主義者は「領域内」だけど、サヨクは「領域外」なんでしょう。

2008-12-12

あずまんの授業行こうぜー!

あずまんの授業行こうぜー! - (元)登校拒否系 を含むブックマーク はてなブックマーク - あずまんの授業行こうぜー! - (元)登校拒否系 あずまんの授業行こうぜー! - (元)登校拒否系 のブックマークコメント


 なんか、どうしても来て欲しいみたいです。

 なのに案内状は送られてこないのでちょっと戸惑いますが。。。

 たぶん、ツンデレです。


 というわけで、行くことにしました。


 と言ってもいつどこでやってるのかわからない。

 困った!


 という状況だったんですが、twitterで情報を流していただきました(東さんじゃない人に)。


東工大大岡山キャンパス

本館H111教室

金曜日16:40(つまり今日)


http://www.titech.ac.jp/access-and-campusmap/j/access-j.html

http://www.titech.ac.jp/access-and-campusmap/j/o-okayama-campusmap-j.html


 っていうか金曜日の夕方って普通は気軽に呼び出せる時間じゃないぞwww 

 僕も先週なら無理だったな。


 一人で行くのはなんか恥ずかしいなあと思ってたら、id:buyobuyoさんも行くそうです。buyobuyoさんとは、かつて都知事選をめぐって対立した敵同士*1ですが、この際は敵の敵は味方ということになろうかと思います。


 きっと、一人でも多くのはてサが来た方が楽しくなると思うので、ヒマな人はぜひ逝きましょう!


 ただし、糾弾会みたいなのは今回はやめとこうね。

 東浩紀は悪いのだし、そのことは指摘されるべきだけど、それはユーモアを維持しつつ穏やかにできるはずですから。


 というわけで、今日、今日だよ!

 See you soon!


 あ、そうだそうだ。キャムコーダー持ってる人は、撮影してYouTubeとかにUPすればたのしいんじゃね?


 追記1

もちろん、あずまんと波長が合いそうなネット右翼の諸君もたくさん来たらさらに楽しくなると思うよ。ってなんか勝手に許可を与えてるみたいだけど、あずまんのブログを見ると明らかに部外者歓迎姿勢が伺えるからたぶん大丈夫。


 追記2

僕個人はあずまんを論破したり知識を伝授したりということに興味はありません。そうではなくて、あずまんのような(少なくとも普通の人よりは)勉強をしていて賢そうな人が、なぜこんな残念な末路に至ってしまったのか、ということを観察してみたいと思ってます。「永遠の嘘をついてくれ」をより深める分析材料にするつもりです。

takashitakashi 2008/12/12 09:10 関西在住で、行けないのが残念です。

今日はデリダのいわゆる「倫理的転回」を遂げた後の代表的な書物「法の力」
をあずまんが読むということで、あずまんとしても滅茶苦茶気合が入っている
記念すべき講義ですね♪

それと最近の言説
+++++++++++++++++++++++++
誤解を受けそうな例ですが、僕は最近、従軍慰安婦問題については、それがあったのかなかったのか、あまりにも情報が錯綜しているので考えるのをやめる、というか、「考えるのをやめる」ところからスタートしないと、何も始まらないと考えるようになりました。一方に、従軍慰安婦はいたと怒っているひとがいて、他方に、慰安婦は存在しないと主張しているひとがいる。ぼくに、というか、たいていのひとにわかるのは、そういう両者がいるという事実だけであり、あとはそこから出発して、日本という国家に最適なのはどのような選択なのか、合理的に粛々と考えるしかない。その点から言うと、「慰安婦なんてなかったんだ」と主張し続けることが、かえって国益を損ねることはある。たとえば、このあいだの米国議会の決議のように。(日本放送出版協会、2008年、p.255-256)
+++++++++++++++
とどう関わりがあるのか、気になるところですね♪

「1980年代以降のデリダは理論的な問題から倫理的な問題へと関心を移し、エクリチュールの哲学的位置づけをめぐる議論はむしろ後景に退いてしまった」(あずまんのネット上の文)が自分はその可能性を追っている、というかもしれませんが、

あずまんが拘っている中期デリダの代表的書物「グラ」にしても、
ジュネを論じながら
「彼は昨日知らせてきた、自分はベイルートに、戦争中のパレスチナ人、
排除され包囲されている人々のもとにいると。私は知っている、私の関心を呼び覚ますことは、常にかの地に起ること、かの地に(その場)をもっていることを。
しかし、それをどのように示したらよいのか?」

と、歴史性と切り離せません。

もちろん賢いあずまんは分かっていることでしょう♪

takashitakashi 2008/12/12 09:22 「永遠のうそをついてくれ」読みました。
あー、ジジェクも「やかんの論理」引用していたんですね。

あずまんの代表作「存在論的・郵便的」が、かなりの示唆を受けた
デリダの「真実の配達人」にも思いっきり出てきますよ

なにか、シンクロニシティーを感じますね・・・

t-hirosakat-hirosaka 2008/12/12 09:43 リポートを楽しみに待ちます。
30万はてなポイントに釣られたおっさんより。

kmiurakmiura 2008/12/12 10:55 外圧があるんで、従軍慰安婦はいたことにしましょう、ということか。そうなると国益のためなら歴史を捏造するのもやむなし、って理屈も可能だよなー。(そもそもいたかいないかなんて議論している人は最近いないけど)

質問の時間とかあったらぜひご活躍を。

buyobuyobuyobuyo 2008/12/12 11:15 こんにちは!別に敵じゃあないですよお。俺の敵って言えば(ry
さてさて、教室を調べるのめんどいなと思っていたので助かりました。本館H111教室は大教室なのでもぐりこむのは簡単っすよ。

font-dafont-da 2008/12/12 11:44 ひゃー!toledさんエライ!!さすが!!いってらっしゃいませ!!

o-tsukao-tsuka 2008/12/12 11:45 行きたいよ〜シクシクシク。

takashitakashi 2008/12/12 11:53 気になったので、下の文の出典表示を。単行本として出版されていません。
批評空間II期-22号, 1999.7 p240を当ってください。

「彼(ジャン・ジュネ)は昨日知らせてきた、自分はベイルートに、戦争中のパレスチナ人、排除され包囲されている人々のもとにいると。私は知っている、私の関心を呼び覚ますことは、常にかの地に起ること、かの地に(その場)をもっていることを。しかし、それをどのように示したらよいのか?」(「グラ」)

takashitakashi 2008/12/12 15:26 藤田氏の業務連絡を読んで感じるものがありました。もちろん皆さん、あずまん、憎し!つぶすべし!葬り去るべし!というわけでもないと思いますが、

「絵葉書」(1980)においてデリダは確かに、「僕がただ一通の「本当の」手紙よりも絵葉書、同じ封筒に入れた百枚の絵葉書か複製のほうを好むのは、唯一無二の悲劇の暗号を「俗化」するためということが少しある」と書いているということも
つけくわえておきます。

ふぃくしょねーるふぃくしょねーる 2008/12/12 16:12 永井和が秦郁彦の結論を認めてしまった以上、バカサヨクには勝ち目がないんだが、
東は秦郁彦読んでいるのかな。

つねおつねお 2008/12/12 18:18 今日の結論。井口先生はいい人。

NakanishiBNakanishiB 2008/12/12 19:52 >takashiさん
 「俗化」することと「リアルのゆくえ」のように意味を持たないと決め付けることは正反対の気がしますね。それが「俗化」に耐えられないことの現れであるからこそ「唯一無二」と同様に結局は他の歴史への抑圧的な振る舞いとして現れるというところですかね。

NakanishiBNakanishiB 2008/12/12 19:53 >つねおさん
 おつかれさまでした。

takashitakashi 2008/12/13 06:21 ・・・・「やかんの論理」・あるいは「なべの論理」の使い方は、デリダよりジジェクのほうがユーモアがきいていていいですね!デリダだと、今回の件は、こんなつまんないことしか言えません!

★「鍋」の論理とは、と或るユダヤの笑話に出てくるものを指す−−或る男が、人から借りた鍋を穴だらけにして返したかどで訴えられた。彼の弁護人はこれに対し、完璧な弁護を展開すべく、次のような論理をもって対抗した。すなわち、1.鍋は新品同様の状態で返した。2.穴は借りたときにすでにあいていた。3.それに、そもそも鍋を借りたおぼえはない。



★デリダはそんなこと言っていない!についての完璧な反論・弁護。

1.鍋(デリダのテキスト)は新品同様の状態で返した(ちゃんと解釈した)。

2.穴は借りたときにすでにあいていた(テキストそのものにすでにその穴があった)。

3.それに、そもそも鍋を借りたおぼえはない(それに、そもそもデリダを読んだおぼえはない)

通りすがり通りすがり 2008/12/14 21:57 あなたを知って教育の重要性がわかりましたよ。

2008-12-10

特報:「「<佐藤優現象>批判」スルー現象」を構想中です。

特報:「「<佐藤優現象>批判」スルー現象」を構想中です。 - (元)登校拒否系 を含むブックマーク はてなブックマーク - 特報:「「<佐藤優現象>批判」スルー現象」を構想中です。 - (元)登校拒否系 特報:「「<佐藤優現象>批判」スルー現象」を構想中です。 - (元)登校拒否系 のブックマークコメント

 一年ほど前に、↓の論文を読みました。

金光翔「<佐藤優現象>批判」(『インパクション』第160号(2007年11月刊)掲載)


http://gskim.blog102.fc2.com/blog-entry-1.html


 僕はこれを読んで、衝撃を受けました。近年に日本語で書かれた論文で最も感銘を受けました。そして、2008年はこの論文をめぐってケンケンガクガクの論争が始まるに違いないと確信しました。


 ところが、僕の予想は完全に外れました。この論文で批判されている人々は全く反論しようともしません。

 佐藤優さんは、そうとう汚い工作をやったようです。しかし、金さんの論文の焦点は佐藤個人ではなく、彼をめぐるリベラル・サヨク界隈の言説を現象として分析することにありました。

 また、岩波書店は経営・労働組合が一体となって壮絶ないじめを金さんに対して行っているようです。僕はこれまでにリベラルを自称する人や組織が極めて非リベラルに振る舞うことを目撃することに慣れてきましたし、別の出版社の労働組合でのいじめについて聞いていたのでそれ自体は驚きではありませんでした。

 しかし、金さんの画期的な論文がストレートな反論を受けるのではなく、ひたすら陰湿な攻撃を招くに止まったことは、僕にとって新鮮であり、また憤りを感じずにはいられませんでした。

 そこで僕はこれを「「<佐藤優現象>批判」スルー現象」と名付け、僕なりの分析と批判を試みたいと考えるにいたりました。そこで構想を色々と練っているのですが、そうしているうちにどんどん話が広がっていって、ブログエントリーとして完成させるためには、まだ少し時間が必要な気がします。


 で、今回このエントリーを書いているのはなんのためか? なんでかな? 

 僕はサヨクなので、団結が好きです。

 けども、みんなが誤った方向に熱狂するなかで、「王様は裸だ!」と叫ぶ一人の勇気を尊敬します。歴史上、そのような人は各時代に存在しました。そしてその一部は、現代では英雄としてまつられています。

 けども、現代に生きる私たちにとって、ソクラテスは偉かったと言うことは簡単です。問題は、ソクラテスが死罪になろうとしたそのときに、何を言うのか、ということです。


 僕には何の影響力もないだろう。出版界の事情もよくわからない。

 けれども。

 これだけは言いたい。

 金さんの論文はスゴイと思う。

 そして彼がいじめの渦中にありながら岩波に籍をおきつづける一日一日を思う。

 涙が出てくる。

 自分だったらそれができるか?

 わからない。

 けれどもそれを尊敬する気持ちだけは、絶対に手放したくない。

 

 今日はそれが言いたかった。 


私にも話させて(←金さんのブログ)


http://watashinim.exblog.jp/


首都圏労働組合 特設ブログ(←労働者としての金さんの活動記録)


http://shutoken2007.blog88.fc2.com/

rawanrawan 2008/12/11 16:38 はじめまして。
私は、金氏のこの論文の存在を知らなかった者です。
常野さんの今回の文や、金氏の置かれている状況を垣間見て、
山崎豊子の「沈まぬ太陽」を思い出しました。
この作品は、自己犠牲的で正義感あふれる主人公が、
そのモデルといわれた人物の実像とかけ離れているなど、
文学的価値とは違った部分による批判に晒されましたが、
皮肉にも、今、現実の世界において、
この作品の中で描かれている現象が起っていることを痛感しました。

gensyougensyou 2008/12/11 20:38 http://kirik.tea-nifty.com/diary/2007/12/post_0a94.html
こういうのを見つけたんだけど。
で、思ったんだが、若手の「リベラル」が切込隊長なんぞを持ち上げたのも<佐藤優現象>と同型の現象だよね。

toledtoled 2008/12/16 05:39 >rawanさん
逆に僕は、『沈まぬ太陽』を知りませんでした。機会があったら読んでみます。

>gensyouさん

若手の「リベラル」が。。。あははw ま、革命が成功したら若手熟練に限らずリベラルは殲滅しますんで、安心してください。

米津篤八米津篤八 2008/12/17 00:20 はじめてコメントします。

金光翔(キム・グァンサン)さんの闘いがほぼ無視されている状況に胸を痛めている者のひとりです。

本来ならまっさきに声をあげてしかるべき“文化人”の多くが、沈黙している(いや、裏ではかなりあわてているのでしょう)異常さ。実はこの沈黙こそが、金光翔さんの日本リベラル批判の正しさを逆説的に証明してしまっているわけですが。

私が昨年、あるメーリングリストに投稿した呼びかけが下記ブログに転載されていますので、ご参考まで。
http://blogs.yahoo.co.jp/fwapy7777/53481571.html

toledtoled 2008/12/18 04:49 こんにちは。常野です。

読ませていただきました。

ボイコット。

僕はふだんはボイコットという戦術に疑問を抱いてるんですが、今回はやってみようかなという気になりました。って言っても元から岩波の本をそんなに買ってるわけじゃないんですけどね。

とにかく、一番大切なのは、金さんの論文がもっともっと多くの人に読まれるべきだと思います。そこには現代の状況が圧縮されて明らかとなり、鋭い批判が加えられていると思います。

逆に言うと、金さんへのいじめは、まさにあの論文の重要性を再確認するものであると思います。そしてそれに抗議の声をあげることこそが、現代の状況に対する左翼の責任であると考えます。

junkojunko 2008/12/18 12:19 はじめまして。
金光翔さんのブログを拝見していて感じることの一つは、強い被害者意識をもっているのは金さんではなく、岩波書店や岩波労組のほうだということです。金さんは何事も見逃さず一所懸命観察し思考しようとしているのに対し、岩波書店や労組はアタマから「書いてはいけないはずのこと(つまりは秘密)をアイツは書いた。」とか「自分たちは非難された。」としか考えないがために、いじめやいやがらせがどんどんエスカレートしていったのではないでしょうか。「厳重注意」を行なうにあたっての理由づけも支離滅裂だったと思います。

toledtoled 2008/12/19 05:40 こんにちは。
そうですね。

僕は金さん側の言い分しか読んでないので、いじめっ子にはいじめっ子なりの理屈があるのかもしれないと思います。しかし、金さんの論文がスルーされてる現状、そして会社側が何らの公的な声明を出していないことから、とりあえず全面的に金さんの言ってることを信じます。そして本当にひどい話だと思います。

2008-12-07

「才能あるレジのおばさん」の足を引っぱれ!

| 「才能あるレジのおばさん」の足を引っぱれ! - (元)登校拒否系 を含むブックマーク はてなブックマーク - 「才能あるレジのおばさん」の足を引っぱれ! - (元)登校拒否系 「才能あるレジのおばさん」の足を引っぱれ! - (元)登校拒否系 のブックマークコメント


才能あるレジのおばさんにはそれ相応の給料を払ったほうが良い


http://d.hatena.ne.jp/kotorikotoriko/20081201/1228091980


才能あるレジのおばさんにそれ相応の給料が支払われない理由


http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51146535.html


 ポケイーブニン!!

 すべての人民のみんな、元気か?

 反自由党だよ。


 あのな、これから大切な話をしたいと思う。

 よく聞いてくれ。

 ただし、この話は、資産が10億円以上ある諸君、もしくは1億円以上の資産と3,000万円以上の年収がある諸君を除く者を対象としている。

 ということはほぼ全員、99.9%だ。


 むかし、お歳暮の時期(ちょうど今ごろだね)に、宅配便の集配所で仕分けのバイトをしてたことがある。

 僕は今ではずいぶんと不健康になってしまったけど、当時は体力もそれなりにあった。

 仕事内容は、ベルトコンベアーを流れてくる荷物の伝票を剥がしたりラッピングしたり運んだりとかだったかな。


 あるとき、流れてくる荷物を荷台に移し替える作業をペアで担当することになった。

 それで僕はハァハァ言いながら励んでたんだけど、ふと気がつくと、相棒がぼーっとしてるの。

 何もしてないの。

 ただ突っ立ってるの。


 たしか時給1,000円くらいの仕事だった。

 たぶん、僕も彼も同じ額をもらってたと思う。


 それで僕は不思議に思い、聞いてみたのさ。彼に。じゃなくてマルクスおじさんに。


 ねえねえねえねえマルルン、僕の方が少なくとも10倍は働いてるのにどうして給料が同じなの?

 っていうかあいつクビにして僕に倍額払うべきじゃなくなくなくなくなくなくなくなくなくなくなくなくなくなくない?


 そしたらマルクスにいきなりゲンコツ食らったよ。


 んざけんな! お前、倍がんばったら自分の価値が倍になると思ってるだろ!

 違うよ、逆だよ、倍がんばったらお前の価値は半分になるんだよ!


  「なっ なんだってーーー!」


D


http://d.hatena.ne.jp/toled/20071116/1195221093 ←より使い回し。動画作ってくれた人、ありがと。


 より正確に言えば、労働者全体が倍の成果を同時間にあげるようになったら。ということだそうだ。

 で、職種によっては個別の労働者のがんばりぶりや能力によって細かく給料に差をつけることもあるし、そもそもどの職業につくかという段階で選抜がある。


 そうやって、労働者はお互いに競わされている。

 しかしそれはまやかしの競争であって、本当の敵は資本家なんだ。

 労働者のがんばりは、労働者間の格差があることによって、一見、自己利益に一致しているように見える。

 でもそうやってみんなががんばりだしたら、一単位あたりの「がんばり」の価値はどんどん目減りしていっちゃうんだ。

 それで、気がついたら前と同じだけのお金をもらうために、がんばってがんばってもっとがんばってはいそらもうひといきがんばってほらがんばって。

 みたくなっちゃうんだ。

 そんなのイヤだろ、目を覚ませ、と叫んでマルクスは回し蹴りを入れてきた。


 そうなのだ。

 人間の潜在能力ははかりしれない。

 どこまでがんばれるかわかったもんじゃない。


 時給は、資本家と労働者の力関係やかけひきによって決まってくる。

 労働者の「がんばりの限界」はそのときの大切な宝で、

 みんなで守らなきゃならないんだ。


 ということは。

 あのとき僕が精一杯がんばる横でぼーっと突っ立っていた彼は、革命家だったんだ。

 あれは階級闘争だったのである。


 後に僕は、『ハマータウンの野郎ども』という本を読んだ。そして工場労働者がそのような階級意識をはぐくむことにより、適度に力を抜いて働くことを倫理としてきたということを知った。がんばることは仲間たちへの裏切りなんだ。僕は労働者階級の出身ではなかったので、そういう文化コードを持っていなかった。というわけで、宅配便のバイトの相棒のふるまいも「読めなかった」んだ。


 というわけで、99%の諸君よ。

 がんばるな。

 なるべくがんばるな。

 がんばってるやつがいたら、そいつの足を引っぱれ!



 オススメ作品コーナー


 労働者としての自覚と誇り。連帯。闘争。そしてやむにやまれぬ事情ゆえにそれを裏切らなければならない悲しみ。ネオリベ総本山、イギリスの物語です。

trshugutrshugu 2008/12/08 10:40 釣りタイトルかと思ったけど納得した!ひっぱゅ!

オナニートオナニート 2008/12/09 17:27 俺もついさっき、同じような事を考えていたよ。ニート達はこの国の宝だ。みたいなの。
実社会における人間の評価など所詮相対的なものなんだから、必死に頑張っている誰かの為に別の誰かが怠けてあげないと頑張っている人が報われない。みたいなの。
それで、頑張って金を儲けた人達が怠けていて貧乏な人達を経済的に支えてあげれば互いの既得権が守られ相互扶助になるよ、と。
さらに言うと、どうせ頑張るならなるべく他の人と同じ事をしないように心掛けるといい。人と同じ事ばかりしていると同じような生産物ばかりが複製コピーのように出来上がってしまい、需要が重複してパイや利益を奪い合う事になり結果的に競争が激化する。競争が激化すると働く人々は疲弊するので、他人の指図は受け付けずやりたい事だけをやる人や怠けていて何もしない人達が大勢必要になる。
別に今さっき言われ始めた事じゃないと思うけどな。

toledtoled 2008/12/16 05:32 >trshuguさん
ピューピュロロ!

>オナニートさん
がんばらない方がいいという点では一致してますね。
ただ、僕は「どうせ頑張るならなるべく他の人と同じ事をしないように心掛けるといい」というのには反対です。そこで労働者間に「ニセの格差」ができてしまうからです。
がんばるべきではない。
がんばってるやつがいたら、みんなで監視して阻止すべきだと思います。

ぜんぜんちがうよぜんぜんちがうよ 2008/12/20 21:26 再生産って知ってる?下層の労働者同士で足を引っ張り合うこと自体を資本化とかへの抵抗として見るのって、『ハマータウン』の不良のダイアローグに感化されてるだけじゃないの?分析パート読めてないでしょ。あと、『ビリーエリオット』にしたって、そんな労働者としての自覚なんて汗にまみれたものを後生しっかり持っていても銭にもならんし、そもそも次の世代の希望をつぶしてきただけだってのに目覚めるって話じゃない。

ぜんぜんちがうよぜんぜんちがうよ 2008/12/20 21:26 再生産って知ってる?下層の労働者同士で足を引っ張り合うこと自体を資本化とかへの抵抗として見るのって、『ハマータウン』の不良のダイアローグに感化されてるだけじゃないの?分析パート読めてないでしょ。あと、『ビリーエリオット』にしたって、そんな労働者としての自覚なんて汗にまみれたものを後生しっかり持っていても銭にもならんし、そもそも次の世代の希望をつぶしてきただけだってのに目覚めるって話じゃないの。

2008-12-06

大手新聞社の友人が教えてくれなかった業界事情ーーはてなサヨクの立場を離れてあえて言う

大手新聞社の友人が教えてくれなかった業界事情ーーはてなサヨクの立場を離れてあえて言う - (元)登校拒否系 を含むブックマーク はてなブックマーク - 大手新聞社の友人が教えてくれなかった業界事情ーーはてなサヨクの立場を離れてあえて言う - (元)登校拒否系 大手新聞社の友人が教えてくれなかった業界事情ーーはてなサヨクの立場を離れてあえて言う - (元)登校拒否系 のブックマークコメント


 僕には大手新聞社に勤めるエリート記者の友人がいます。

 そして彼が教えてくれたのですが、日本酒に氷を入れて飲むのは反則だそうです。


 それ以外の「裏話」的なことは、多くを語ってはくれませんでした。


 僕、ひょっとしてあんまり好かれてないのかなあ。

 と悲嘆にくれていたところ、↓の記事を読みました。


大手新聞社の友人が嘆く「一次情報の蹂躙」


http://anond.hatelabo.jp/20081204113724


 まずここでの「一次情報」の定義がよくわかりませんが、大丈夫です。嘆く必要はありません。嘆くとしたら、重症の非モテ思考です。


 想像してみてください。

 記者がネタをゲットして、記事にする。

 それを受けて、ネットや他社が後追い報道する。


 それ、何かいけないことですか?


 うーむ。


 じゃあ、今度は逆の想像をしてみましょう。

 もし面白ネタをゲットして報道したのに、他のマスコミはそれを完全にスルーする。


 具体例を挙げましょう。

 たとえば、リクルート事件です。

 記憶違いでなければ、あれは朝日新聞の川崎支局によるスクープが発端でした。


 けども、間髪置かずして、読売も、毎日も、産経も、報道しました。

 NHKもニュースステーションも同様です。各種週刊誌だってそうです。


 そうして始めてこの事件は広範囲にわたって、一般庶民のレベルまで認知されました。


 もちろん、各社は後追いをするにあたって独自の取材を緊急に行いました。そのことによって、この事件についての全容が徐々に明らかになっていきました。




 さて、逆のシナリオを想定してみましょう。

 朝日がスクープする。その日の他社の夕刊を見ても「リクルート」の「リ」の字もない。

 要するにスルーです。


 となると、朝日の読者にしかこの大ニュースは知らされないことになるし、他社による裏付け調査も行われないので、なんだかうさんくさい話になります。



 さて、ここで質問です。あなたが一流新聞社の記者だとして、どっちが嬉しいですか?





 どう考えたって前者でしょ?



 というわけで、何も嘆く必要はありません。



 ネットのニュースサイトが登場したことによって、一記者を発端とする報道のリーチ(ホリエモン用語)は格段に拡大しました(ってゆっても大したことないけどね)。ってことは、それに対する検証もまた必要になってくるのであり、ということはつまり、記者の当初の努力はますます大きな成果につながっていくということです。




 というわけで、普通に考えて、新聞記者がニュースサイトや他社に後追いされて困ることは何もありません。



 ただ、大手新聞記者って、どうですか? もし旧友がその道で成長を続けているとしたら、嬉しいことですよね。普通の感性だったらそういう感情が浮かびます。

 けどね。ただしね。もしその友人が自慢話ばっかり始めたらどうですか?

 正直、感じ悪いです。


 で、増田さん、あなたの友人はそこまで読んでいるのです。

 で、本当は特に不満はないのだけど、グチらしきことも言っておかないとなあ。

 そう思って、あなたにその話をしたのです。


 逆に聞く側のマナーもあります。そうか、そうか、どの業界も大変なんだね。まあ、飲めよ。ほら。まあまあまあまあまあまあまあ。あ、もう入ってないや。すみませーん!!! お銚子もう一つお願いします。


 これが、大人です。


 さて、以上を踏まえて言いますが、いわゆる「スクープ」に何の価値もないわけではありません。逆です。もんのすごく大切です。

 ただし、それは読者にとってのことではない。

 読者からすれば、「後追い報道」というシステムのおかげで、どの新聞を読んでも(少しばかりの時間差はあれ)同じ情報を得ることができます。


 では、「スクープ」にいかなる価値があるのか?

 ズバリ、同業者からのリスペクトです。

 これ、マスコミに限らず「プロ」や「芸術家」にとっては最も大切な栄誉で、もちろん出世にも関係あります。

 けど、出世とか度外視しても、同業者からの評価が気になって気になってしょうがないのがプロというものです。


 新聞では、最初に記事にした人の名前なんか載ってないことも多いし、たとえあっても一般読者の目にはとまりません。が、同業者にはわかってます。

 そういうのが、プロの快感です。繰り返しますが、これは出世にも関係するし、金銭にも換算できないこともない。

 けど、そういうのを超越した次元で「ウーーーーーヒャッホーーー!!!」となるのです。


 というわけでまとめますと、無問題です。安心してください。

 今日も平和です。

 

 グッナイ!


 そして最後に、本当に大切なことを言います。


 id:kokoroshaさんが繰り返し強調していることですが、仕事以外でネットを長時間やってるのはごく少数派です。

 たとえばj-castと朝日新聞なんて、影響力はまったく比較にもなりません。

 もし、仮に増田さんのご友人が本当の本当に嘆いているのであれば、いや、僕はそれはないと思うんですが、万が一そうであるとあなたが思われるのであれば、そう言って慰めてあげてください。

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