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連載コラム 鈴木貴博氏コラム「ビジネスを考える目」

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「映画のパート2は駄作」というセオリー

 さて、この映画作品の「パート2」というものは、いわゆる“映画通”の方々に言わせると「ろくな作品がない」ということが多かった。

 それが最近、変わってきた。

 パート2がパート1を超えることが重要視され始めているのである。特にコンテンツ業界においては「パート2が面白くなければビジネスにはならない」というほどだ。

 今日は、このことについて説明しよう。

 1970年代ぐらいまでのハリウッド映画界の常識では、続編は粗製濫造(そせいらんぞう)されるものだった。だから映画のタイトルに「続」や「パート2」という文字が使われている作品は、楽しみに見に行っても、基本的に駄作であることが非常に多い。

 第一作を超えた作品といえば、唯一『ゴッドファーザー』が例外だったぐらいで、ほとんどの場合、第二作が第一作を超える作品となることはなかったと言っていいだろう。

 続編がつまらない理由はいくつもあるが、主な理由に絞ると、(1)最初の作品が偉大であるため、そもそも超えるのが難しいこと、(2)最初の作品にはきちんとした原作があるが、続編では別のライターがオリジナル脚本を書き下ろしていること、(3)関係者のエネルギーが続編では最初の作品ほど続かないこと、(4)最初の作品のキーパーソンである俳優やスタッフが続編でごっそり抜けること……などの原因が複合し、駄作が生まれる構造を作っていた。

 ところが1980年代に入って、ハリウッド映画界は、これらの要因を取り除くことで、ビジネスを拡大できることに気付くようになった。

 実際、この年代以降、単に「続編」というレベルではなく、3作目、4作目と続くシリーズ物として大作映画が次々と誕生している。

 『スターウォーズ』『ロッキー』『ターミネーター』『バック・トゥー・ザ・フューチャー』『エイリアン』『インディ・ジョーンズ』『ダイ・ハード』『ハリー・ポッター』『パイレーツ・オブ・カリビアン』……と、題名を挙げればきりがない。

 以前のように、「第一作が最高、第二作が駄作で、第三作も一応作られるが中身はとんでもない」ということはなくなった。ヒット作が長く続くような、一連のビジネスとして映画が企画される時代に変わってきたのである。




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