42847 | 従軍慰安婦考 |
(最新見直し2007.3.12日)
【「従軍慰安婦考」についてのれんだいこ見解】 |
戦前の日本軍部の戦争犯罪が様々に告発されている。南京大虐殺事件、百人斬り事件に並んで「従軍慰安婦問題」もその一つとなっている。この流れは、日本の反戦平和運動から作り出されている。ところが、「日本軍部の戦争犯罪告発事例」は悉く反証されており、素人では判断できにくい。本サイトででは、「従軍慰安婦問題」の基礎知識を整理して、後日の判断の証としておく。
れんだいこは次のように思う。慰安婦の存在は歴史的事実である。問題は、1・それが日本政府が歴史責任を負うべき拉致=強制連行によって為された事件であり、2・それが日本政府が歴史責任を負うべき国家的性奴隷拘禁事件なのか、、3・当時の国際法に照らして戦争犯罪なのかどうか、ということにある。これらの歴史責任は、「従軍慰安婦制」が、国家的要請を受けたものであれ、1・民間業者の請負で運営され、2・相当の金額を呈示した上に成り立っており、3・奴隷的拘束ではない、いわゆる商取引の範疇のものであり、4・その商取引が騙されたものでなかったことが証明されれば免責される。 興味深いことは、南京大虐殺事件、百人斬り事件でも然り、「従軍慰安婦問題」についても、実証的なのは右派系論者の方である。左派系論者のそれは「頭からの決め付け」でしかないように見受けられる。あぁこの貧困をなんとせんか。もう一つ、現在のイラク戦争でも判明するが、米英ユ同盟による残虐非道な市民虐殺に対する批判は高まらず、「従軍慰安婦」について声高な批判が罷り通っている変態さであろう。米軍の日本の主要都市無差別大空襲、原爆投下の歴史責任が免責され、「従軍慰安婦問題」が殊更論われるのは、俗に云う片手落ちだろう。 れんだいこが思うのに、こういう史実解明はどんどんやれば良い。だがしかし、今現になされている米英ユ同盟が専ら為している悪逆非道蛮行に対する批判に結びつかなければ、何のために為しているのだということになるのではあるまいか。普通の感性ならそうなるべきところが妙に切断されており、単に「従軍慰安婦問題」が採りあげられていることが胡散臭い。 2005.1.16日、2007.3.12日再編集 れんだいこ拝 |
【「中曽根証言」考】 | |
「ウィキペディア中曽根康弘」 は次のように記している。
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(私論.私見) これによれば、中曽根は戦時中、海軍主計として慰安所設置に関与していたことになる。してみれば、従軍慰安所施設が設置されていたのは史実だろう。しかし、よりによって、こんなところに中曽根が顔を出すとは。思えば奇妙なもので、戦後首相で唯一人、戦前一平卒として従軍した田中角栄が護憲を云い、戦前高級将校の海軍主計として従軍慰安婦施設を設営していた中曽根が改憲派となっている。中曽根の安逸さが見えてくる話ではないか。2007.3.10日 れんだいこ拝 |
【「小野田寛郎証言」考】 | |
小野田寛郎氏の「私が見た従軍慰安婦の正体」が「正論1月号」に掲載されており、それがサイトアップされているので、これを転載しておく。それによれば、慰安婦制度の実態が判明し、全体として商行為として存在しており、奴隷的拘束に基づくものではなかったことが明らかにされている。れんだいこは、これを貴重証言と思い、これをベースに理解すべき ではないかと思う。
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【「従軍慰安婦問題提起」考】 | |||
1973年、千田夏光氏が「従軍慰安婦」を著作した。千田氏は、「従軍慰安婦」の歴史的背景として、次のように記している。
千田氏は、1993年の講談社文庫発行「従軍慰安婦」の中では、次のように記している。
1983(昭和58)年、吉田清治氏がか自叙伝「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」を著し、次のような体験証言を発表した。
1989年、この本が韓国語に翻訳され広がった。しかし、韓国の地方紙の女性記者が済州島の古くからの住民と会い、事実関係を調査したところ、吉田氏の自叙伝の信憑性は裏付けられなかった。むしろ、氏が金目的で出版したことが分かった。1989.8.14日、彼女の記事が掲載されたが、地方紙であったため殆ど注目されなかった。 |
【「従軍慰安婦問題で公式謝罪と賠償を求める訴訟提起」考】 | ||
1989(平成1).11.19日、日本の大分市の主婦、青柳敦子氏が、日本政府に「公式謝罪と賠償を求める裁判」を起こし、これを法廷で争うため、証言してくれる女性を捜しに韓国を訪れた。以下、証言者の証言能力を検証する。 残る2人の内一人が金学順であり、今一人は文玉珠。文玉珠は、日本政府に対する訴訟で、慰安婦であったことを自ら明らかにし、「私は無理矢理に慰安所に連れて行かれて慰安婦にされました」と告発した。同女は当初は、娼婦として売られたと主張していた。 |
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「奪われた記憶を求めて 元日本軍「慰安婦」沈達連さんの強制連行の現場から」は、「姉と一緒に拉致・誘拐された沈連蓮さん(69歳)の強制連行の証言」をルポしている。それによると、姉妹はある日、赤い腕章をした兵隊に突然手を捕まれ、幌をかぶせた一台のトラックに乗せられ、抵抗したが無駄であった。強制連行された女性は船に乗せられて海を渡り、20人ずつに分けられたと証言している。 「慰安所」での生活について次のように語っている。
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【朝日新聞が従軍慰安婦問題を採り上げる】 |
1991(平成3)年、朝日新聞は、この年から翌年にかけて4回にわたり「従軍慰安婦問題」を報道した。1991(平成3).8.11日、社会面トップで「思い出すと今も涙」、「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」とのタイトルで、概要「日中戦争や第二次大戦の際、女子挺身隊の戦場に連行され,日本軍人相手に売春行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦のうち、一人が名乗り出た」と報じた。 |
【1990年代初頭、訴訟が相次ぐ】 |
1991.12月、元従軍慰安婦だったという複数の韓国人女性が名乗り出て、過去を語り始めた。この頃より、日本の植民地主義・侵略による犠牲者の側から、日本の謝罪と補償を要求する訴訟が東京の裁判所に数十件なされている。訴えた人は、従軍「慰安婦」、南京などの大虐殺の犠牲者たち、戦時徴用から生きて帰った人たち、そして日本が中国で使用した生物学的・化学的攻撃の犠牲者およびその家族たちであった。 |
【1990年代初頭、従軍慰安婦問題への直接関与を示す証拠書類が発見される】 |
この頃、中央大学の吉見義明教授は、防衛庁(現防衛省)の図書館に足を運び、2日間の調査で日本政府による従軍慰安婦問題への直接関与を示す証拠の書類を発見した。吉見教授によれば、旧日本軍が前線部隊のために慰安所を設置する命令を下した関係書類を、偶然、発見したのは1980年だったと語っている。書類には、中国北部を占領する旧日本軍の参謀が、慰安所の設置を求める内容が記されてた。旧日本軍兵士が、中国女性に性的暴行を加え、現地住民の怒りを買うことを避けることが目的だったという。一部の歴史家によれば、終戦までに約20万人の女性がアジア各地の慰安所で慰安婦として働かせられていたとも言われる。 |
【朝日新聞が、従軍慰安婦問題記事を再度採り上げる】 |
1992(平成4)1.11日、一面トップで「慰安所、軍関与示す資料」、「部隊に設置指示 募集含め統制・監督」と報道した。吉見教授の従軍慰安婦に関する研究が紹介されていた。翌日、政府が、この問題の調査に乗り出すことを約束した。 朝日新聞は、この問題を取り上げる記事の中で、彼女らの最初の証言である「娼婦として売られた」云々のくだりの重要証言を報道しなかった。同社は、この歪曲報道に対し居直っており、「吉田清治の告白の嘘」についても沈黙している。 朝日新聞の記事は、宮沢首相訪韓のわずか5日前に発表されたことにより、ソウル市内では抗・糾弾のデモ、集会が相次ぎ、日の丸が焼かれるなど扇動記事効果を発揮した。 |
【「宮沢首相が日韓首脳会談で謝罪】 | |
1992(平成4).1.16日、訪韓した宮沢首相は、事実を確認する余裕もなく、首脳会談で8回も謝罪を繰り返し、「真相究明」を約束した。 廬大統領(当時)は、次のように述べている。
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【国連人権委員会に直訴される】 |
1992(平成4).2.17日、宮沢首相の訪韓直後のこの日、日本弁護士連合会の戸塚悦郎弁護士が、国連人権委員会で、慰安婦を人道上の罪と位置づけ、国連の介入を求める発言をした。慰安婦問題を国際スキャンダルに仕立てようとするアプローチが展開されたことになる。 |
【「日本政府の調査」考】 | ||
その後、日本政府は、独自の調査を勧めていくが、「強制連行はなかった」とする報告書を纏める結果となった。この発表のために、政府はおおがかりな文書調査と、元慰安婦への聞き込みを行った。この調査を実施した平林博・外政審議室室長は、1997(平成9).1.30日、参議院予算委員会で、片山虎之助議員(自民党)の質問に対し、次のような答弁をしている。
この判断の過程について、当時、内閣官房副長官だった石原信雄氏は、次のように明らかにしている。
つまり、元慰安婦からの聞き取り調査では充分な裏付けがとられていないと明かされいる。「韓国側の強い要請」のもとで、「納得できる証拠、証言はなかったが強制性を認めた」という政治的判断に基づく決着であったことが証言されていることになる。 |
【「インドネシアでの聞き取り」考】 | |
(この項、転載元不明あしからず)
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【「河野官房長官談話」考】 | |
聞き取りが終わったのが7.30日。そのわずか5日後の1993(平成5).8.4日、 河野洋平・官房長官が談話で次のように発表された(「河野談話」)。
石原副長官がすかさず軍・官の強制連行の証拠は発見出来なかった、と添えた。同日、宮沢政権は総辞職をした。 日本政府は、この河野談話で、「心から」の「お詫びと反省」を内外の関係者に示し、旧日本軍が従軍慰安婦問題に、「直接あるいは間接に」関与した過去を認めた。 |
【「従軍慰安婦問題」が教科書に掲載される】 |
「河野談話」は「政府の公式見解」となり、日本政府は、慰安婦が軍によって強制徴集されたことを公式に認めたことになった。これを契機として、中学高校のほとんどの歴史教科書に、「従軍慰安婦」が記述されることになった。平成8.6月末、中学校用歴史教科書の7年度検定結果が発表され、教科書を発行する7社が一斉に「従軍慰安婦」を掲載していることが明らかになった。いずれも、「強制連行」の一環として書いていた。これに対し、平成8年末、「新しい歴史教科書をつくる会」が結成され、「慰安婦」記述削除を訴えた。 |
【「従軍慰安婦問題」が国連に提訴される】 |
「従軍慰安婦問題」が韓国、北朝鮮からアジア諸国に波及し、国連にまで持ち込まれている。国連は南京大虐殺以上の非人道的行為の大問題として近く断を下すための準備を進めている。この問題をマスコミが取り上げ、支援報道している。 1994.3月、 ジュネーブに本部をおく国際法律家委員会が家庭内暴力を主テーマにした会合を開き、クマラスワミ女史が報告書の付属文書で「戦時の軍用性奴隷制問題に関する報告書」と題して、戦前の日本の慰安婦問題を取り上げた。幼い少女たちを含む多数の女性たちが戦時中、日本の軍事施設に監禁されたのみならず、殴打や拷問を受け、繰り返し強姦されたと指摘した。 その中で、北朝鮮在住の元慰安婦の証言として、仲間の一人が一日40人もサービスするのはきついと苦情を言うと、ヤマモト中隊長は拷問したのち首を切り落とし、「肉を茹でて、食べさせろ」と命じたなどという話が紹介されている。この元慰安婦は、1920年に生まれ、13歳の時に一人の日本兵に拉致されたというのだが、1933年の朝鮮は平時であり、遊郭はあったが、軍専用の慰安所はなかった。その程度の事実確認もされていない証言が、4例紹介され、その上で日本政府に対し、被害者への補償、犯罪者の追及と処罰を勧告している。 戸塚弁護士は、この時にもジュネーブで本岡昭次参議院議員(社会党→民主党)とともに、デモやロビー活動を行っている。報告書は、吉田清治の本や、慰安婦たちの証言を取り上げている。 日本のジュネーブ外務省はこの文書に関する40頁の反論を作成し、根回し工作をしたもようだ。西側諸国代表の間では、クマラスワミ報告書の欠陥が理解されたが、韓国、北朝鮮、中国、フィリピンなどの関係国は立場上、強く反発した。 このような攻防の結果、人権委員会では家庭内暴力に関する本文は「賞賛する」という最高の評価を得た一方、慰安婦に関する部分は、take note(留意する)という最低の評価であった。 ソウルやマニラ、ジャカルタなど、過去「大東亜共栄圏」に属した多くの都市で、憤慨した犠牲者がぞくぞくと立ち上がり、50年前に彼女たちが体験 したことを語り始めた。韓国(南北)やフィリッピン、中国、タイ、インドネ シアなど各地で女性が名乗り出、自分たちが体験したことを活字や口頭で証言 し始めた。その人数は1997年初め、すでに23,000名に達した。 |
【国連人権委員会が「性的奴隷」規定する】 |
1996.2月、国連の人権委員会は、「慰安婦」を「性的奴隷」と規定し、 この女性たちに日本がおかした行為を「反人道的犯罪」と断定した。この委員会は、日本が犠牲者に補償すること、公訴時効に関係なく責任者を処罰すること、さらに日本は教育課程にこの歴史的事実を含めることなどを勧告(クマラ スワミ勧告)した。 |
【アメリカ司法省の犯罪局が、戦犯と認められる日本人入国「不適格者名簿」を準備したと発表】 |
1996.12月、アメリカ司法省の犯罪局は、戦犯と認められる日本人入国「不適格者名簿」を準備したと発表した。その名簿に入っている(名前 が明らかにされていない)12名中、3名は慰安婦組織に関係している一方、 残り9名は中国で細菌戦を行い、囚人たちを相手に数知れない残酷な罪を犯し たハルビンの「731部隊」関係者とされている。事件後50年たった現在、ワシントンは日本人をナチ戦犯と同じように扱うことに決めたが、これは彼らの犯罪が格別嫌悪すべきものであり、これに荷担した嫌疑がある者は公訴時効の保護を受けてはならないと宣言したことになる。 |
【朝日新聞が特集記事】 |
1997(平成9).3.31日、朝日新聞は、見開き2面を使って慰安婦問題の大特集を組んだ。この時、吉田著作に関し、「間も無くこの証言を疑問視する声が上がった。済州島の人たちからも氏の著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない。吉田氏は『自分の体験をそのまま書いた』と話すが、『反論するつもりはない』として、関係者の氏名などデータの提供を拒んでいる」と記述し、「真偽は確認できない」と従来記述を修正した。 この特集で、見出しには「従軍慰安婦 消せない事実」、「政府や軍の関与明白」、「無理やりを認める供述/ “指示”“便宜”文書残る」と記しており、軍の強制連行を臭わせている。併せて、「裏を取らずに名乗り出た人の一方的な話だけで『無理やり』と決めつけた」、「軍の関与は強姦防止・性病予防であった」とも書いている。 |
【ゲイ・マクドゥーガル女史が、「元慰安婦への法的賠償を履行する機関の設置」を日本政府に勧告】 |
平成10年8月、ゲイ・マクドゥーガル女史が、旧ユーゴスラビアなど戦時下における対女性暴力問題を調査した報告書を作成したが、その付属文書で、またも慰安婦問題を取り上げ、「レイプ・センターの責任者、利用者の逮捕」と「元慰安婦への法的賠償を履行する機関の設置」を日本政府に勧告した。 慰安所は「レイプ・センター(強姦所)」と改称されている。しかし、これは人権小委員会の勧告としては採択されず、日本政府はマ女史の個人報告書に過ぎない、としている。 |
【米カリフォルニア州上下院が、「大戦中の日本軍犯罪に謝罪と賠償請求決議」を採択】 |
本年8月には、米カリフォルニア州上下院が第二次大戦中に日本軍が行ったとされる戦争犯罪について、「日本政府はより明確に謝罪し、犠牲者に対する賠償を行うべきだ」とする決議を採択した。この「戦争犯罪」には、捕虜の強制労働、「南京虐殺」とならんで、「従軍慰安婦の強要」が含まれている。 カリフォルニア州議会の決議には、アイリス・チャンの「レイプ・オブ・ナンキン」の影響が指摘されている。チャン氏は、中国政府の資金援助を受けたシナ系米人の団体に支援されている。 |
【「従軍慰安婦の実態」考】 |
現在判明しつつあることは次の通り。慰安所は約400カ所存在した。大部分は、1カ所で10人〜20人の女性たちがそこで働いていた。全体ではおよそ4000の〜8000いたことになる。慰安所の労働条件は日本での女郎部屋と同等待遇であった。慰安婦の95%が戦場から生還した。 従軍慰安婦達の高収入については多くの証言がある。1992.5.12日、毎日新聞が、一例として「文玉珠が2年間で2万6千円も貯めた事が、彼女の貯金通帳から明らかになった」と報じている。当時の帝国陸軍大将の年収は約6600円でしたので、その2倍の年収に相当する。尚、当時の2等兵の給料は僅か年間72円にすぎなかった。 |
【「南京攻略戦争時の貴重証言」考】 | ||
「南京攻略戦」時下における「従軍慰安婦問題」に関する貴重な記録が紹介されている。渡辺卯七「第9師団経理部将校の回想・4,南京戦の思い出」参照。概略次のように記されている、とのことである。
中支那方面軍は指揮下の上海派遣軍や第10軍に37年12月1 1日、軍慰安所設置の指示を命じた。これを受けて第10軍の山崎正男少佐は、湖州における軍慰安所の設置について、日記(12月18日)に次のように書いている。
つまり、慰安所は好評であった。 1940年、軍中央は 「軍紀振作対策」をたて、「主として事変地に於て著意(ちゃくい)すべき事項」として慰安施設の「意義」を次のように評価している。 陸密第1955号「支那事変の経験より観たる軍 紀振作対策」(陸軍省、1940)には次のように記されている。
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【「肯定派の吉見教授見解」考】 | |
糾弾派の中心人物である吉見義明・中央大学教授は、岩波新書の「従軍慰安婦」で、次のように述べている。
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【「否定派の藤岡教授見解」考】 | |
藤岡教授は次のような見解を述べている。
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【国会審議】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
「日本会議」の「慰安婦「強制連行」はなかった」参照 こうした世論を反映して平成九年の通常国会でも、いわゆる「従軍慰安婦」問題についての論議が相次いだ。一部この問題に触れたものも含めると、次のような議員が質問している。 1月30日 参議院予算委員会 片山虎之助議員(自民)・田村秀昭議員(新進) 2月3日 衆議院予算委員会 西村眞悟議員(新進) 2月7日 衆議院予算委員会 栗本慎一郎議員(自民) 2月19日 衆議院文教委員会 池坊保子議員(新進) 3月12日 参議院予算委員会 小山孝雄議員(自民) 3月18日 参議院予算委員会 板垣 正議員(自民) 特に片山虎之助議員、小山孝雄議員、板垣正議員による質問によって、重要な政府答弁が相次いで引き出された。まず、片山議員は次のように追及した。
平林博外政審議室長は次のように答弁している。
調査は〈資料〉と〈証言〉に基づいてなされたが、〈資料〉には、軍や官憲が「強制」連行を行ったことを示す記述は一切なかった、ということがこの答弁で明らかになった。そこで片山議員は、〈資料〉すべての公開を求めたところ、政府はこれを了承した。 それでは、「総合的に判断した結果」とはいかなることを意味するのか。〈証言〉が「強制」を裏付けたということなのか。この点を鋭く追及し、画期的な答弁を引き出したのが、公開された政府資料のすべてを調査するなど万全の準備を整えて質問に臨んだ小山孝雄議員であった。平林博外政審議室長が答弁した。
以上の国会質疑・答弁によって、教科書に「従軍慰安婦」を記載する第一の根拠となっていた河野官房長官談話は全く権威を失ったといえる。 結論から言えば、政府は「河野官房長官談話の根拠となったものは、客観的裏付けのない元慰安婦の証言だけであった」と認めたのである。 「談話」のもととなった調査資料の全貌と、公開・非公開の別が明らかとなった。「政府が発見した資料の中には強制連行を示す記述は見出せなかった」と平林外政審議室長が繰り返し強調したのは、公開文書のことを指している。ということは、「強制連行」を認めた河野官房長官談話の根拠となったものは非公開のものに限られる。 すなわち韓国の遺族会がまとめた元慰安婦の証言集、および元慰安婦を中心とした関係者からの聞き取り調査である。この非公開資料について、「その証言集の裏づけはとっておりますか」と小山議員が質問したところ、「それは行っておりません」という答弁であった。河野談話は、公開もできない、裏づけ調査もなされていない、極めて信憑性の低い証言のみを根拠にしてなされたものであると結論された。 今後、私たちはすべての議論を、「慰安婦の強制連行を認めた河野談話は公開もできない、裏づけ調査もなされていない、極めて信憑性の低い証言のみを根拠にしてなされたものである」こと、かつ政府もそれを国会の場で公式に認めたという点から始めてゆくべきである。 課題は、二つある。一つは、「河野談話」は非公開の、裏付け調査もしていない韓国の元慰安婦の証言に基づいている。現在の私たちの状況は譬えて言えば、証拠能力があるかどうかも分からない非公開の資料によって一方的に「性犯罪国家」と有罪宣告されてしまったようなものである。 政府の公文書が無罪を証明している以上、裁判のやり直しをするべきであり、そのためには「談話」の決定打となった「非公開の証言」を政府はすべて公開し、専門家によって客観的、学問的に徹底的に検証させるべきである。 もう一つは、小山議員も最後に指摘していたが、宮澤首相や河野官房長官(当時)はなぜ、裏付け調査もしていない不確かな証言に基づいて、私たち日本人すべてに「アジアの女性たちを軍・官憲が拉致・監禁して性奴隷とした」という汚名を着せるようなことをしたのか、ということだ。「慰安婦の境遇にあった人々にも同情を禁じ得ないが、いくら調査しても強制性を示す文書は発見できなかったし、元慰安婦の証言も裏付けがとれない以上、現段階では『強制性』を認めるわけにはいかない」と、なぜ明言することができなかったのか。 |
【石原信雄元官房副長官発言】 | ||||||||||
この点について産経新聞(平成九年三月九日付)のインタビューの中で、当時、「河野談話」作成に直接関わった石原信雄元官房副長官はこう述べている。
内閣官房副長官と言えば、単なる一官僚とはわけが違う。総理大臣を直接サポートする内閣の事務方の最高責任者である。そうした信憑性の高い証言から浮かび上がってくるのは、学問的な検証は二の次で、強制性を認めよと迫る韓国政府の圧力に屈してしまった日本政府の姿である。 この石原元官房副長官の証言には幾つかの重大なポイントがあるが、整理すると次のようになる。いくら探しても日本側資料には強制性を認めるものは見つからなかった。韓国政府はあくまで強制性を認めるよう要請していた。そこで韓国政府は、強制性を認めさせるために、韓国政府が用意した元慰安婦の証言を聞くよう要請した。元慰安婦への聞き取り調査をするのは、強制性を認めるためであることを知りながら、日本政府は聞き取り調査を決定した。 元慰安婦の証言を踏まえた河野談話の内容については、発表前に、外政審議室が、在日韓国大使館と連絡を取り合っていた。韓国政府の要請に応じて、元慰安婦への聞き取り調査を行い、強制性を認めれば(つまり日本が自らを性犯罪国家だと認めて謝罪すれば)、この問題は収まると、在韓大使館、宮澤首相、河野官房長官、谷野作太郎外政審議室長、田中耕太郎外政審議官、そして石原官房副長官(いずれも当時)は判断した。 日本側が強制性を認めるかわりに、韓国側は補償を求めないというような密約・取引はなかった。日本側がたとえ「強制性」を認めても、韓国側がこれで元慰安婦への補償問題を決着させるかどうかは確認していない。(これでは、強制性を認めれば韓国政府は納得してくれるだろうという一方的な希望的観測だけで、あえて「強制性」を認めたことになり、「密約」説よりももっと始末が悪い。) ▼ 韓国政府主導で作成された「河野談話」 日本政府はあくまで強制性を認めるよう要求する韓国政府の要請に屈して、韓国政府が用意した元慰安婦の証言を聞きに出掛け(これをヤラセと呼ばずして何と呼ぼう)、その証言の裏付けもとらないまま、〈証言〉を唯一の根拠にして「強制性」を認めるような「談話」を外政審議室が在日韓国大使館と連絡を取り合いながら作成し、更に日本側はその談話の趣旨を事前に韓国政府に了解を求めた上で、発表した――。 石原元官房長官の証言を総合すると、これが、「河野談話」の作成・発表経緯である。 この証言は事実なのか。平成九年三月十八日、参議院予算委員会において、この石原証言の真偽を質した板垣正議員に対して、平林博外政審議室長はこう答えている。 「一言で申し上げれば、(河野談話は)韓国側と協議をしたり交渉したりというたぐいの性格のものではなく、事前に通報してできるだけポジティブ(肯定的)な反応が出るようにという働きかけをやったものというふうに伺っております。」 つまり、河野談話の内容について韓国政府と協議はしなかったが、韓国側が強制性を認めさせるために準備した元慰安婦の証言に基づいて日本政府は「談話」を作成し、発表前にその趣旨を韓国政府に通報したが、それは、韓国政府に「ポジティブな」(肯定的な)対応をしてもらうためだったというのである。要するに形式的にはどうあれ、実質的に「河野談話」はまさに韓国政府主導によって作成されたと認めたに等しい。 それではなぜ、歴史の真実をねじ曲げ、我が国を「性犯罪国家」に仕立てあげてまで、韓国政府の意向を受け入れなければならなかったのか。石原元官房副長官は「強制性を認めれば問題は収まるという判断があった」としているが、「強制性を認めれば問題を収める」という韓国政府の言質を正式にとったわけではない。要するに何ら確証のない希望的観測に基づいて、強制性を認めたわけで、その後の展開は憂慮した通り、問題をこじらせただけであった。 軍や官憲による強制を認めた以上、政府は国家補償すべきだという主張に屈して、「アジア女性基金」などという訳の分からないものを作って実質的に補償に踏み切ったが、あくまで国家補償を求めるグループの反発を買い、両国関係は更にこじれ、いまや韓国政府の中にさえ元慰安婦への国家補償を求める声が出始めている。歴史の真実をねじ曲げ、ありもしない「強制性」を認めたツケが、歴史教科書ばかりでなく、両国関係にも廻ってきているのである。 敢えて韓国政府の意向に全面的に屈して「強制性」を認めたのは何故か。石原元官房副長官が証言したように、「これで韓国政府が慰安婦問題を決着させてくれる」という確証のない希望的観測からだけであったのか。それとも「強制性」を認めなければ、我が国の存亡が脅かされる事態が起ったとでもいうのだろうか。 かくなる上は、「河野談話」の最高責任者である宮澤元首相や河野元官房長官に質すしかあるまい。櫻井さんは、宮澤元首相に取材を申し入れ、日時も了承されていたが、直前になって「なにを話しても影響が大きいから今は語り得ない」とキャンセルされている。であるならば国会で、「河野談話」に関わった宮澤元首相ら政治家や外務官僚に対して証人喚問を行い、その責任を追及するべきである。 ▼失墜した国家行政の権威を回復するために それにしても国会での「慰安婦」論議を振り返って痛感させられるのは、国家行政の権威が著しく失墜していることである。教科書の権威の失墜と国家行政の権威の失墜は、当然のことながら連動している。政府が過去の官房長官談話の権威を守ろうとするのは当然であるし、教科書検定の権威を守ろうとするのも当然である。安易に間違いを認めることは出来ない。そんなことを安易に認めていては行政の連続性が断たれてしまうからである。一連の政府答弁は、概ねこの線から出ているものであろう。 しかしながら、問題となっている河野官房長官談話や教科書検定は、行政の権威としての中身をかなしいほどに持っておらず、石原元官房長官の証言や片山、小山、板垣議員らの質問によってその中身の杜撰さばかりが明らかになり、その権威を守ろうとする政府の姿はまるで漫画になってしまうのである。「なかった」ことを「あった」と言った官房長官談話を「正しい」と主張しなければならない苦しさが、政府側答弁にはにじんでいる。 しかし、もう取り繕うことはできまい。国会という国権の最高決定機関において、「政府資料には強制性を示す文書はなかった」「河野談話の根拠となったのは、韓国政府が用意した元慰安婦の証言であり、その証言は裏付けをとっていない」「韓国政府の用意した元慰安婦の証言によって強制性を認めた河野談話を、韓国政府が肯定的に受け止めてもらうように談話発表前に韓国政府に働きかけた(河野談話は韓国政府主導で決定した)」という新事実が次々と明るみに出てきている。 残念ながら、石原元官房長官の証言や小山議員や板垣議員の質疑は産経新聞にしか掲載されていない(「河野談話」が裏付け調査もしていない韓国の元慰安婦の証言に基づいていることなどを、朝日、読売などは一切報じていない。自社の方針に合わない情報は一切報じない朝日らが「国民に知らせる権利」を主張しているのだから笑止である)。しかし、慰安婦問題に対する国民の関心の高さを思えば、真実はやがて国民すべての知るところになろう。 一連の慰安婦論議の最後に登場した板垣議員の質問に対して、橋本首相(当時)はこう答え、「慰安婦」記述見直しの可能性に含みを持たせた。 「慰安婦というものがあったことを消す事はできないと思います。それを形容詞がつくのか、いわゆるという言葉がつくのか、子供たちの教育の中にそれを取り込む必要があるのかないのか、むしろある程度自らの専門分野を決めた上での一般教養に移すべきものなのか。そうした点で文部省も検定委員会も今まで十分お考えになってこられたと私は思います。しかしこういう問題は幾ら考えても、よりよいものがあるならば考え直す事を妨げるものではないと、私はそのように思います。」 平成八年、「河野談話」に基づいて中学校歴史教科書に一斉に登場した「従軍慰安婦」だが、「河野談話」の根拠は無残にも崩れ去った。学術的根拠のない「従軍慰安婦」は、教科書の学術性を守るためにも即刻削除するべきだ。 それが難しければ差し当たって次善の策として、「日本を含めどこの国にも戦時中、慰安婦が存在した。特に我が国では、軍や官憲が直接『慰安婦』を強制連行したという疑いをもたれたが、あらゆる政府資料を調査した結果、軍・官憲が強制連行したという事実は発見されなった」と、教科書に記述させるべきである。(初出、『祖国と青年』平成九年四月号) |
1980年にフランスの文学者ロベール・フォリソンが述べ た言葉をとりあげよう。
この発言の文脈で仮にヨーロッパを東アジアに変えると、犠牲者の入れ替えなどがそのまま通用するのである。 |
参照 上杉千年著『検証従軍慰安婦』(全貌社)
参照 小林よしのり『新ゴーマニズム宣言3』(小学館)
従軍慰安婦強制連行捏造報道
■ 参考 ■
1. 「慰安婦の戦場の性」、秦郁彦、新潮選書、H11.6
2. 「闇に挑む!」、西岡力、徳間文庫、H10.9
3. 「慰安婦強制連行はなかった」、太子堂経慰、展転社、H11.2
4. 「歴史教科書への疑問」、日本の前途と歴史教育を考える
若手議員の会編、展転社、H9.12.23
5. 「日本人が捏造したインドネシア慰安婦」、中嶋慎三郎、
祖国と青年、H8.12
6. 「従軍慰安婦」、吉見義明、岩波新書、H7.4
7. 産経新聞、H11.08.27 東京朝刊 4頁 国際2面