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2658 | 日本軍慰安婦「強制動員」の公式資料が発見 | 愛 URL | 1/4-22:30 |
日本軍慰安婦「強制動員」の公式資料が発見 太平洋戦争の当時、日本軍の性的対象となり被害をこうむった軍隊慰安婦らが、 日本政府の強圧や詐欺によって動員されたということを記述した米軍情報局(OS S)の公式資料が初めて発見された。 ソウル大の鄭鎮星(チョン・ジンソン)教授と米リバーサイドカリフォルニア大 のチャン・テハン教授チームは3日、記者会見し「ここ1年間にわたって、米国立 文書保管所(NARA)の捕虜尋問記録を調べたところ、以前の日本軍の性奴隷制 度が強制動員によるものであったことを裏付ける公式文書が見つかった」と発表し た。 これまで軍隊慰安婦らは証言を通じて、自分らが強制的に引きずられたと主張し てきたが、日本政府は、日本政府や企業による強制動員について否定する立場を取 ってきた。 鄭教授チームが見つけた資料は、1944年から1945年まで、中国西南部の 昆明地域を占領した米軍が、77人の日本軍と23人の韓国人慰安婦らを対象に調 べた内容だ。米軍当局は「23人の韓国人女性が『詐欺によって強制的に』慰安婦 になった」と明示している。 この資料は、また「15人の慰安婦女性がシンガポールにある日本工場への就職 を保障する韓国新聞の広告に騙され、1943年7月に韓国を発っており、少なく ともおよそ300人の韓国女性らが、同じように就業詐欺により軍隊の慰安婦にな った」と詳述している。 鄭教授は「現在、軍隊慰安婦被害者らが日本政府を相手取って米ワシントンで進 めている損害賠償請求の訴訟において、貴重な証拠として採択されるだろう」と話 した。 ムン・キョンラン記者 < moonk21@joongang.co.kr > 2003.01.03 18:17 中央日報 http://japanese.joins.com/html/2003/0103/20030103181728400.html |
2659 | Media Watch: 「従軍慰安婦」問題(上) | 愛 URL | 1/4-22:36 |
記事番号2658へのコメント ■1.米軍がレポートする慰安婦の実態■ 米軍情報部は、北ビルマのミチナ慰安所で収容された慰安婦か らの聞き取りをもとに、以下のような報告書を残している。 女性たちはブローカー(および経営主)が、300〜1000円の 前借金を親に払って、その債務を慰安所での収入で返還してい る。経営者との収入配分比率は40〜60%、女性たちの稼ぎは月 に1000〜2000円、兵士の月給は15日〜25円。[1,p270] 慰安婦たちは、通常、個室のある二階建ての大規模家屋に宿 泊して、・・・・寝起きし、業を営んだ・・・・彼女たちの暮らしぶり は、ほかの場所と比べれば贅沢ともいえるほどであった。 慰安婦は接客を断る権利を認められていた・・・・負債の弁済を 終えた何人かの慰安婦は朝鮮に帰ることを許された[1,p275] また、ビルマのラングーンで慰安婦をしていた文玉珠さんの手 記では、その生活ぶりを次のように語っており、米軍のレポート を裏付けている。 支那マーケットにいって買物した。ワ二皮のハンドバッグと 靴をわたしのために買った。母のためにもなにか買った。 将校さんたちに連れられてジープに乗って、ぺグーの涅槃像 をみに行った・・・・ヤマダイチロウ(日本兵の恋人)と大邱の母 の無事を祈って帰ってきた。[1,p276] ちなみに文玉珠さんは、平成4年に日本の郵便局を訪れ、2万 6145円の貯金返還の訴訟を起こして敗れている。千円もあれば故 郷の大邱に小さな家が一軒買えると体験記で述べているが、現在 の貨幣価値なら、4〜5千万円程度の金額を、3年足らずで貯め たことになる。[2,p301] 「従軍慰安婦」というと、海外では"military sexual slavery (軍用性奴隷)"などと呼ばれるように、日本軍によって郷里から 強制連行され、戦地では何の自由もなく、もちろん無給で、ひた すら兵士にもてあそばれた、というイメージが定着している。し かし、この米軍の報告書では、まったく違う実態が報告されてい る。一体、どちらが真実に近いのか? ■2.慰安婦問題の経緯■ まず慰安婦問題の経緯を時系列的に見渡しておこう。 1) 昭和58(1983)年、吉田清治が、著書「私の戦争犯罪・朝鮮 人連行強制記録」の中で、昭和18年に軍の命令で「挺身隊」と して、韓国斉州島で女性を「強制連行」して慰安婦にしたとい う「体験」を発表。朝日新聞は、これを平成3('91)年から翌 年にかけ、4回にわたり、報道。 2) 同3年8月11日、朝日新聞は、「女子挺身隊」の名で戦場 に連行され、売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」の一 人が名乗り出た、と報道。 3) 同4年1月11日、朝日新聞は、一面トップで「慰安所、軍 関与示す資料」、「部隊に設置指示 募集含め統制・監督」 と報道。この直後の16日から訪韓した宮沢首相は首脳会談 で8回も謝罪を繰り返し、「真相究明」を約束。 4) 同5年8月4日、河野官房長官談話、政府調査の結果、「甘 言、弾圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例 が数多くあり、更に、官憲等が直接に荷担したこともあっ た」と発表。 この河野談話によって日本政府は、慰安婦が軍によって強制徴 集されたことを公式に認めてしまったことになる。これを契機と して、中学高校のほとんどの歴史教科書に、「従軍慰安婦」が記 述されることになっていった。 今日では、各方面の調査が進み、以上の報道、発表がどれだけ の事実に基づいていたのかが明らかになってきた。以下、この4 点を検証する。 ■3.吉田清治の慰安婦狩り■ まず1)、吉田清治の「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」 では、韓国斉州島での、慰安婦強制連行を次のように、描写して いる。 若くて大柄な娘に、山田が「前へ出ろ」とどなった。娘がお びえてそばの年取った女にしがみつくと、山田は・・・・台をまわ って行って娘の腕をつかんで引きずりだした・・・・女工たちはい っせいに叫び声を上げ、泣き声を上げていた。隊員たちは若い 娘を引きずり出すのにてこずって、木剣を使い、背中や尻を打 ちすえていた。・・・・女工の中から慰安婦に徴用した娘は十六人 であった。 当時は、戦地での強姦事件を防ぐために、公娼業者に戦地で開 業させていた。戦地であるから、業者の指名、戦地への移動、営 業状態の監督などは、軍の関与が当然あった。これらは当時、合 法であった公娼制度の戦地への延長で、特に問題はない。 「従軍慰安婦」問題とは、本人の意思に反した「強制連行を、 軍が組織的に行ったか、どうか」の問題なのである。したがって、 吉田の言うような強制連行が事実であったら、これは日本の国家 的犯罪となる。 ■4.日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物■ 吉田の記述は済州島の城山浦にある貝ボタン工場という設定だ が、この記事に疑問をもった済州新聞の許栄善記者が現地で調査 し、以下のような記事を書いている。 島民たちは「でたらめだ」と一蹴し、この著述の信想性に対 して強く疑問を投げかけている。城山浦の住民のチョン・オク タン(八五歳の女性)は「250余の家しかないこの村で、15 人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はな かった」と語った。 郷土史家の金奉玉は「1983年に日本語版が出てから、何年か の間追跡調査した結果、事実でないことを発見した。この本は 日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」と憤慨 している。 現地調査を行った秦郁彦日大教授は、許栄善女史から、「何が 目的でこんな作り話を書くのでしょうか」と聞かれ、答えに窮し たという。[1,p232] この吉田清治を、朝日新聞は、宮沢首相の訪韓前後1年の間に、 4回も紙面に登場させたのだが、秦教授の調査の後は、ぷっつり と起用をやめた。今日では、慰安婦問題の中心的糾弾者である吉 見義明中央大教授すら、吉田清治の著作は採用しなくなっている。 ■5.名乗り出た慰安婦■ 次に2)の自ら名乗り出た慰安婦について。平成3年8月11 日付け朝日新聞は、社会面トップで「思い出すと今も涙」「元朝 鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」とのタイトルで、「日 中戦争や第二次大戦の際、女子挺身隊の戦場に連行され、日本軍 人相手に売春行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦のうち、一人 が」名乗り出たと報じた。 しかし、この女性、金学順さんは、「女子挺身隊」として連行 などされていない事を、8月14日の記者会見で自ら語っている。 ある韓国紙はそれを次のように報じた。[2,p291] 生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌のあるキ ーセン検番(日本でいう置屋)に売られていった。三年間の検 番生活を終えた金さんが初めての就職だと思って、検番の義父 に連れていかれた所が、華北の日本軍300名余りがいる部隊 の前だった」「ハンギョレ新聞」'91年8月15日付 当時、内地でもよくあった気の毒な「身売り」の話なのである。 国家による組織的な強制連行とは関係ない。 そもそも「女子挺身隊」とは、昭和18年9月に閣議決定され たもので、金学順さんが17歳であった昭和14年には存在して いない制度である。さらに「女子挺身隊」とは、販売店員、改札 係、車掌、理髪師など、17職種の男子就業を禁止し、25歳未 満の女子を動員したものであり、慰安婦とは何の関係もない。 さらに「従軍慰安婦」という言葉自体が、当時は存在しなかっ た。従軍看護婦は、軍属(軍隊の一部)であり、従軍記者、従軍 僧は、法令により定められた身分で指定された部隊につく。慰安 婦は公娼業者が雇ったもので、それはたとえば、県庁の食堂に給 食業者を入れていた場合、その業者の被雇用者は、県の職員では なく、身分も契約も県とは関係ないのと同じ事だ。「従軍慰安 婦」とは、従軍看護婦などとの連想で、あたかも部隊の一部であ ると読者に思い込ませるための造語である。 金学順さんは、その後、日本国を相手とした訴訟の原告の一人 となるが、それを支援しているのが太平洋戦争犠牲者遺族会であ り、この記事を書いた朝日の槙村記者は、会の常任理事の娘と結 婚している。当然、韓国語も達者であり、金学順さんの話した内 容はよく知っていたはずである。 金学順さんが「売られた」という事実を隠し、「女子挺身隊と して連行された」というこの記事は槙村記者による、意図的な捏 造記事である。その後の訂正記事も出していない。 ■6.強制連行された慰安婦はいたか?■ 韓国で慰安婦問題の取組みの中心となっている「挺身隊問題対 策協議会」は、元慰安婦として登録された55名のうち、連絡可 能な40余名に聞き取りをした。論理的に話が合うか、など、検 証をしつつ、その中から信頼度の高い19人を選んで、証言集を 出版した。 今まで何らかの機会に、強制連行されたと主張しているのは、 9人だが、信憑性があるとしてこの証言集に含められたのは、4 人のみ。さらにそのうちの二人は富山、釜山と戦地ではない所で 慰安婦にされたと主張していて、「従軍慰安婦」ではあり得ない。 残る二人が、金学順さんと、冒頭の4〜5千万円相当の貯金をし たという文玉珠さんなのだが、この証言集では、強制連行された とは述べていない。 結局、韓国側調査で信憑性があるとされた証言のうち、従軍慰 安婦として強制連行されたと認められたものは、ひとつもない、 というのが実態である。[2,p275] ■7.軍の関与とは■ 次に宮沢首相の訪韓直前に発表され、公式謝罪に追い込んだ 3)の「慰安所、軍関与示す資料」の朝日新聞記事はどうか。 発見された文書とは昭和13年に陸軍省により、「軍慰安所従業 婦等募集に関する件」であり、その中では、 民間業者が慰安婦を募集する際、@軍部諒解の名儀を悪用、 A従軍記者、慰問者らを介した不統制な募集、B誘拐に類する 方法を使って警察に取調べられるなどの問題が多発しているの で、業者の選定をしっかりし、地方憲兵警察と連繋を密にせよ [2,p267] と命じている。すなわち「関与」とは、民間の悪徳業者による 「強制連行」を、軍が警察と協カしてやめさせようとした事なの である。 この内容を「慰安所、軍関与示す資料」、「部隊に設置指示 募集含め統制・監督」とタイトルをつけて、一面トップで報道し、 さらに次のような解説を載せた。 従軍慰安婦。1930年代、中国で日本軍兵士による強姦事件が多 発したため、反日感情を抑えるのと性病を防ぐために慰安所を 設けた。元軍人や軍医などの証言によると、開設当初から約八 割は朝鮮人女性だったといわれる。太平洋戦争に入ると、主と して朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は八万 とも二十万ともいわれる。 これらをあわせ読めば、ほとんどの読者は、「日本軍が組織的 に強制連行に関与した」と思い込むであろう。まことに巧妙なひ っかけ記事である。 この記事が、狙い済ましたように、宮沢首相訪韓のわずか5日 前に発表されたことから、絶大な効果を発揮した。ソウル市内で は抗議・糾弾のデモ、集会が相次ぎ、日の丸が焼かれる中で、宮 沢首相は事実を確認する余裕もなく、8回も盧泰愚大統領に謝罪 を繰り返した。(続く) ■ 参考 ■ 1. 「慰安婦の戦場の性」、秦郁彦、新潮選書、H11.6 2. 「闇に挑む!」、西岡力、徳間文庫、H10.9 3. 「慰安婦強制連行はなかった」、太子堂経慰、展転社、H11.2 4. 「歴史教科書への疑問」、日本の前途と歴史教育を考える 若手議員の会編、展転社、H9.12.23 5. 「日本人が捏造したインドネシア慰安婦」、中嶋慎三郎、 祖国と青年、H8.12 6. 産経新聞、H11.08.27 東京朝刊 4頁 国際2面 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/★★読者の声★★_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ DAI HIROSEさんより 昨年、東南アジアを旅行し、バングラデシュのセント・マーテ ィン島という小さな島(ビルマの横に位置します)に宿泊したとき のことでした。本当に人懐っこい住人らに囲まれて食事をご馳走 してもらい、その後村を紹介してもらい、村長と会話する機会が 会った。かなり年をめいた人であった。英語で会話だったので 正確な会話を表現できないが彼等はこのように日本を語った。 「日本は良い国だ。我々は日本が好きだ。戦争中にイギリスか ら我々を解放してくれた。イギリス人は我々を動物のように扱い、 こき使ったが、日本人は優しかった。暴力などなにもしなかった。 島民は日本の軍人と協力して、平和に過ごしていたんだ」 私は本当に驚いた。彼等が戦争時の日本を肯定してたからだ。 ある場所で心無いものがひどいこともしたのは事実であろうが、 このように50年以上過ぎた今でも好意を持ってくれるほど、う まく共存していたのはも事実であろう。彼等島民を日本に連れて いって生きた証人として発言してもらい、戦時中の日本を絶対悪 のように扱うマスコミの糾弾したいものだ。彼等が発言できる間 に日本の誤った歴史認識を変え、日本、アジア、そして地球全体 を誇れる国民になれるだろうか。 アジアを旅行し、本当によかったと思う。 |
2660 | 「従軍慰安婦」問題(下) | 愛 URL | 1/4-22:43 |
記事番号2658へのコメント ■5.強制を示す文書はなかった■ 宮沢首相は、盧泰愚大統領に調査を約束し、その結果が、4) (前号)、翌平成5年8月4日の河野官房長官談話となった。政 府調査の結果、「甘言、弾圧による等、本人たちの意思に反して 集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接に荷担したこ ともあった」と発表され、慰安婦強制連行があったことは、政府 の公式見解となった。 この発表のために、政府はおおがかりな文書調査と、元慰安婦 への聞き込みを行った。前号冒頭に紹介した米軍の報告書も、こ の文書調査で発見されたものだ。それでは、いかなる事実によっ て「官憲等が直接に荷担した」と結論づけたのか? この調査を実施した平林博・外政審議室室長は、平成9年1月 30日、参議院予算委員会で、片山虎之助議員(自民党)の質問 に対し、次のような答弁をしている。[3,p204] 政府といたしましては、二度にわたりまして調査をいたしま した。一部資料、一部証言ということでございますが、先生の 今御指摘の強制性の問題でございますが、政府が調査した限り の文書の中には軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すよ うな記述は見出せませんでした。 ただ、総合的に判断した結果、一定の強制性があるというこ とで先ほど御指摘のような官房長官の談話の表現になったと、 そういうことでございます。 ■6.総合的に判断した結果■ 資料はなかったが、「総合的に判断した結果」、強制性があっ たという。この判断の過程について、当時、内閣官房副長官だっ た石原信雄氏は、次のように明らかにしている。 強制連行の証拠は見あたらなかった。元慰安婦を強制的に連 れてきたという人の証言を得ようと探したがそれもどうしても なかった。結局談話発表の直前にソウルで行った元慰安婦十六 名の証言が決め手になった。彼女達の名誉のために、これを是 非とも認めて欲しいという韓国側の強い要請に応えて、納得で きる証拠、証言はなかったが強制性を認めた。 もしもこれが日本政府による国家賠償の前提としての話だっ たら、通常の裁判同様、厳密な事実関係の調査に基づいた証拠 を求める。これは両国関係に配慮して善意で認めたものである。 元慰安婦の証言だけで強制性を認めるという結論にもっていっ たことへの議論のあることは知っているし批判は覚悟している。 決断したのだから弁解はしない(櫻井よしこ「密約外交の代 償」「文塾春秋」平成9年4月)[3,p58] 元慰安婦からの聞き取り調査は、非公開、かつ裏付けもとられ ていないと明かされいるが、そうした調査の結果、「韓国側の強 い要請」のもとで「納得できる証拠、証言はなかったが強制性を 認めた」ものなのである。 聞き取りが終わったのが7月30日。そのわずか5日後の8月 4日、河野談話が発表された。同日、宮沢政権は総辞職をした。 まさに「飛ぶ鳥跡を濁して」の結論であった。 ■7.日本の言論機関が、反日感情を焚きつけた■ 「強い要請」を行ったという韓国政府の態度について、石原氏 は国会議員との会合で次のように語っている。 もう少し補足しますと、この問題の初期の段階では私は韓国 政府がこれをあおるということはなかったと。むしろこの問題 をあまり問題にしたくないような雰囲気を感じたんですけれど も、日本側のいま申した人物がとにかくこの問題を掘り起こし て大きくするという行動を現地へいってやりまして、そしてこ れに呼応する形で国会で質問を行うと。連携ブレーのようなこ とがあって、韓国政府としてもそう言われちゃうと放っておけ ないという、そういう状況があったことは事実です。[4,p314] この「いま申した人物」について、石原氏は「ある日本の弁護 士さん」として、名前は明かしていない。 慰安婦問題は、日本の一部の人間が焚きつけた、という認識は、 韓国側の盧泰愚大統領の次の発言にも、見られる。 日本の言論機関の方がこの問題を提起し、我が国の国民の反 日感情を焚きつけ、国民を憤激させてしまいました。(文芸春 秋、H5.3 )[1,p302] ■8.インドネシアに現れた日本人弁護士たち■ 日韓関係と同様、インドネシアとの間でも、慰安婦問題が焚き つけられた。平成5年に高木健一氏(金学順さんらの日本政府に 対する訴訟の主任)ら、日本の弁護士3人がインドネシアにやっ てきて、地元紙に「補償のために日本からやってきた。元慰安婦 は名乗り出て欲しい」という内容の広告を出した。[5] 兵補協会のラハルジョ会長は、「補償要求のやり方は、東京の 高木健一弁護士の指示を受け」、慰安婦登録を始めた。会長は取 材した中嶋慎三郎ASEANセンター代表に対して、「慰安婦に2百 万円払え」と怒号したというから、名乗りでれば、2百万円もら えると宣伝している模様であった、と言う。 インドネシアでの2百万円とは、日本なら2億円にも相当する 金額なので、大騒ぎとなり、2万2千人もが元慰安婦として名乗 りをあげた。ちなみに、当時ジャワにいた日本兵は2万余である。 この様子を報道した中京テレビ製作のドキュメンタリー「IA NFU(慰安婦)インドネシアの場合には」に、英字紙「インド ネシア・タイムス」のジャマル・アリ会長は次のように語った。 ばかばかしい。針小棒大である。一人の兵隊に一人の慰安婦 がいたというのか。どうしてインドネシアのよいところを映さ ない。こんな番組、両国の友好に何の役にも立たない。我々に は、日本罵倒体質の韓国や中国と違って歴史とプライドがある。 「お金をくれ」などとは、360年間、わが国を支配したオラ ンダにだって要求しない。 ■9.慰安婦番組での仕掛け■ ちなみに、この番組では、元慰安婦のインタビュー場面が出て くるが、ここでも悪質な仕掛けがあった。元慰安婦が語る場面で、 日本語の字幕で 戦争が終わると日本人は誰もいなくなっていたんです。私た ちは無一文で置き去りにされたんです。 と出ているのだが、実際には、インドネシア語で、 あの朝鮮人は誰だったろう。全員がいなくなってしまったん です。私たちは無一文で置き去りにされたんです。 と話していたのであった。慰安所の経営者は朝鮮人であり、戦 争が終わると、慰安婦たちを見捨てて、姿をくらましたのである。 ■10.あなた方日本人の手で何とかしてください■ この番組の予告が、日本共産党の機関紙「赤旗」に出ていたこ とから、インドネシア政府は、慰安婦問題の動きが、共産党によ り、両国の友好関係を破壊する目的で行われていると判断したよ うだ。 スエノ社会大臣が、すぐにマスコミ関係者を集め、次の見解を 明らかにした。 1) インドネシア政府は、この問題で補償を要求したことはな い。 2) しかし日本政府(村山首相)が元慰安婦にお詫びをしてお 金を払いたいというので、いただくが、元慰安婦個人には 渡さず、女性の福祉や保健事業のために使う。 3) 日本との補償問題は、1958年の協定により、完結している。 インドネシア政府の毅然たる姿勢で、高木弁護士らのたくらみ は頓挫した。この声明の後で、取材した中嶋氏は、数名のインド ネシア閣僚から、次のように言われたという。 今回の事件の発端は日本側だ。悪質きわまりない。だが、我 々は日本人を取り締まることはできない。インドネシアの恥部 ばかり報じてインドネシア民族の名誉を傷つけ、両国の友好関 係を損なうような日本人グループがいることが明白になった。 あなた方日本人の手で何とかしてください。 ■11.国内で急速に冷める関心■ 地道に調査を進める人々の努力により、奴隷狩りのような強制 連行の事実はないことが明らかになると、さすがに慰安婦問題を 糾弾する人々の間でも、強制性の定義を修正せざるを得なくなっ てきた。たとえば、糾弾派の中心人物である吉見義明・中央大学 教授は、岩波新書の「従軍慰安婦」で、次のように述べている。 その女性の前に労働者、専門職、自営業など自由な職業選択 の道が開かれているとすれば、慰安婦となる道を選ぶ女性がい るはずはない・・・たとえ本人が、自由意思でその道を選んだ ように見えるときでも、実は、植民地支配、貧困、失業など何 らかの強制の結果なのだ。[6,p103] 「強制性」をここまで広義に解釈すれば、現代の風俗関係の女 性たちも、貧困や失業など何らかの「強制の結果」であり、国家 が謝罪と補償をすべきだ、ということになってしまう。さすがに このような暴論では、常識ある国民の理解を得られるはずもなく、 国内の慰安婦問題に関する関心は急速に冷めていった。 ■12.国連での攻防■ しかし国際社会では、事実の伝わりにくさを利用して、慰安婦 問題をスキャンダルに仕立てようとするアプローチが今も展開さ れている。その最初は宮沢首相の訪韓直後の平成4年2月17日、 日本弁護士連合会の戸塚悦郎弁護士が、国連人権委員会で、慰安 婦を人道上の罪と位置づけ、国連の介入を求める発言をした事で ある。 平成8年3月にジュネーブで開かれた国連の人権委員会に提出 されたクマラスワミ女史の報告書は、家庭内暴力を主テーマにし ているのに、その付属文書に「戦時の軍用性奴隷制問題に関する 報告書」と題して、半世紀以上前の日本の慰安婦問題を取り上げ ている。 戸塚弁護士は、この時にもジュネーブで本岡昭次参議院議員 (社会党→民主党)とともに、デモやロビー活動を行っている。 報告書は、やはり吉田清治の本や、慰安婦たちの証言を取り上 げている。その中で、北朝鮮在住の元慰安婦の証言として、 仲間の一人が一日40人もサービスするのはきついと苦情を 言うと、ヤマモト中隊長は拷問したのち首を切り落とし、「肉 を茹でて、食べさせろ」と命じた。 などという話が紹介されている。この元慰安婦は、1920年に生 まれ、13歳の時に一人の日本兵に拉致されたという拉致された というのだが、1933年の朝鮮は平時であり、遊郭はあったが、軍 専用の慰安所はなかった。その程度の事実確認もされていない証 言が、4例紹介され、その上で日本政府に対し、被害者への補償、 犯罪者の追及と処罰を勧告している。 日本のジュネーブ外務省はこの文書に関する40頁の反論を作 成し、根回し工作をしたもようだ。西側諸国代表の間では、クマ ラスワミ報告書の欠陥が理解されたが、韓国、北朝鮮、中国、フ ィリピンなどの関係国は立場上、強く反発した。 このような攻防の結果、人権委員会では家庭内暴力に関する本 文は「賞賛する」という最高の評価を得た一方、慰安婦に関する 部分は、take note(留意する)という最低の評価であった。 [1,p259] ■13.情報戦争から、いかに国益と国際友好関係を守るか■ 平成10年8月、今度は、ゲイ・マクドゥーガル女史が、旧ユ ーゴスラビアなど戦時下における対女性暴力問題を調査した報告 書を作成したが、その付属文書で、またも慰安婦問題を取り上げ、 「レイプ・センターの責任者、利用者の逮捕」と「元慰安婦への 法的賠償を履行する機関の設置」を日本政府に勧告した。 慰安所は「レイプ・センター(強姦所)」と改称されている。 しかし、これは人権小委員会の勧告としては採択されず、日本政 府はマ女史の個人報告書に過ぎない、としている。 本年8月には、米カリフォルニア州上下院が第二次大戦中に日 本軍が行ったとされる戦争犯罪について、「日本政府はより明確 に謝罪し、犠牲者に対する賠償を行うべきだ」とする決議を採択 した。この「戦争犯罪」には、捕虜の強制労働、「南京虐殺」と ならんで、「従軍慰安婦の強要」が含まれている。[7] カリフォルニア州議会の決議には、アイリス・チャンの「レイ プ・オブ・ナンキン」の影響が指摘されている。チャンの本につ いては、本講座60号で紹介したように、中国政府の資金援助を 受けたシナ系米人の団体が支援している。 ★ JOG(60) 南京事件の影に潜む中国の外交戦術 http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog060.html 南京事件と慰安婦問題は基本的に同じ構造をしている。チャン の本は、日米関係に対する楔であり、慰安婦は日韓友好への楔と して仕掛けられた。これらの問題について、米国や韓国の対応を 非難することは、友好関係を破壊しようとする狙いに乗ることに なる。 国家の安全を脅かすものは、テポドンや工作船のようなハード の武力だけではない。一国の国際的地位を貶め、友好国との関係 に楔を打ち込むような情報戦争が、外国と国内勢力の結託により 次々と仕掛けられている。こうした攻撃から、いかにわが国の国 益と国際友好関係を守るか、ソフト面の自衛体制が不可欠となっ ている。 ■ 参考 ■ 1. 「慰安婦の戦場の性」、秦郁彦、新潮選書、H11.6 2. 「闇に挑む!」、西岡力、徳間文庫、H10.9 3. 「慰安婦強制連行はなかった」、太子堂経慰、展転社、H11.2 4. 「歴史教科書への疑問」、日本の前途と歴史教育を考える 若手議員の会編、展転社、H9.12.23 5. 「日本人が捏造したインドネシア慰安婦」、中嶋慎三郎、 祖国と青年、H8.12 6. 「従軍慰安婦」、吉見義明、岩波新書、H7.4 7. 産経新聞、H11.08.27 東京朝刊 4頁 国際2面 |
2661 | 「韓国戦争中にも軍慰安婦存在」韓国教授が主張 | 愛 URL | 1/4-22:54 |
記事番号2658へのコメント 「韓国戦争中にも軍慰安婦存在」韓国教授が主張 日本軍の慰安婦制度を真似た慰安婦制度が、韓国戦争当時、韓国軍にもあったという主 張が提起されたと朝日新聞が24日報道した。 韓国の慶南(キョンナム)大学の客員教授の金貴玉(キム・キオック、40)氏は、2 3日京都の立命館大学で開かれた国際シンポジウムでこのように発表したと同新聞は伝え た。 金教授は「1996年以後、5年間『直接慰安所を利用したことがある』、『軍にら致 され、慰安婦になった』など男女8人の証言を聴取した」と明らかにした。 金教授はまた「韓国陸軍本部が1956年編さんした公文書『後方戦史』に『固定式慰 安所−特殊慰安隊』と記録された部分を発見し、これには4カ所で89人の慰安婦が19 52年に限って20万4560回の慰安活動をしたという統計資料が添付されていた」と 同新聞は付け加えた。 一方、国防軍事編纂研究所の関係者は『当時、軍は売春婦と合意の下で場所を提供し た。また慰安行為の対価は部隊運営費から支給されたと聞いている」とし「しかし、日本 の植民地時代に日本軍が人権を無視し、一般庶民を強制に連れてきて運営した従軍慰安所 とは違う」と説明している。 |
2662 | 慰安婦問題の国際的不公平 | 愛 URL | 1/4-23:00 |
記事番号2658へのコメント 慰安婦問題の国際的不公平 投稿者: clean_sweep37 (男性/東京) フランスなど西側占領地では既成の売春宿が利用されたが、東欧方面では既設設備が利用 できず、駐屯地区前線司令官の命令で人攫いのような強制売春も少なからず行われた。 ことにルーマニアやポーランドでは、ドイツの強制連行を拒否した若い女性は、代わりに ドイツ国防軍管理下の売春宿に連れて行かれた。 占領地域にドイツ軍は約500の売春宿を設営管理した。 売春婦達に生活行動の上の自由は無く、性的奴隷以外のなにものでもなかった。 しかしこれは若い女の悲劇と言うだけではない。 ドイツ兵達は性病予防の観点から、欲望を徹底管理され、性行為の不能や中断まで監視さ れていたというから、若い男の悲劇でもある。 性愛が国家によって、物品や書類を整理するように合理的に処理され、軍事力総体の維持 に努めた非人間的メカニズムの極限の悲劇である。 私がこれを書いたのはなにも旧日本軍の「免罪」を言い立てたい為ではない。 ドイツもこんな悪い事をしていますよ、日本だけではありません、という低次元の自己弁 護を述べたかった為では無い。 軍と性とは古くて新しい永遠の問題である。 国によって、時代によって、戦況によってそれぞれ異なった表れ方をするが、人間一般の 宿命として、戦争の悲劇として考えるべきだという意味から、外国の事例を調べる必要が あるのである。 我々はそこから全世界の若い男女の犠牲者に「祈り」を捧げる気持ちが必要だろう。 けれども、どこかの国の一例だけをことさら悪く言い、他の世界のほぼ同じ現象には目を 向けないとしたら、そこには「政治的」意図が発生し,戦争の悲劇一般への「祈り」とは別 の問題が出てくるからである。 私が言いたいのはそういう不公平を避けたいと言う事である。 ドイツ国防軍に管理された外国人慰安婦の実態と日本のいわゆる慰安婦とどちらがより悲 惨で、非人間的で、残酷な扱いを受けていたかなどを比較する事は私にはできない。 しかしどちらもほぼ似たような悲劇性があったと思う。 ただし、日本では50年経って国を挙げての大騒ぎになっている。 子供の教科書にまで罪の記録として書きこんでいる。 ドイツでは誰も問題にしない。 中韓両国は日本を揺さぶる格好の材料としてみている。 ヨーロッパ諸国はこんな問題でドイツを揺さぶろうとはしない。 日本では国内に謝罪と償いの声が高まっている。 総理大臣までが参画している。 ヨーロッパではどの国からもこの種の事でドイツへの謝罪や償いの要求の声は起こらない し、起こってもドイツの首相が相手にするとは思えない。 (中略) 西欧諸国は戦争慣れしている。 ナチスの犯罪が比較を絶して酷すぎた。 慰安婦問題にまで思いが及ばない。 しかしそれよりもなによりも、問題が起こらない一番の理由は、どこの国でもやってきた し今もやっている事を「敗戦国」だけが50年も経って非難される理由はない、という明 確なドイツ側の拒否的意思である。 (中略) しかし性的犯罪はもし問われれば、ベルリン陥落時のドイツ婦人を襲ったロシア兵の輪姦 事件を思い、何故ドイツ人だけが今ごろになって責められるのか、冗談ではない、と一笑 に付すだけであろう。 事実ドイツ市民は東欧のドイツ国防軍直属の売春強制収容所のことなど誰も知らないし、 もちろん教科書に載せるなんてゆめ考えられない。 日本人が自国の旧軍隊の悲劇だけを犯罪と言い立てるのは何かの政治的下心でなければ、 自分を虐げ苛むことで道徳的に自分を美化できると信じる集団ヒステリー的病理である 自ら謝罪と償いを必要とすると自分だけを責める日本人の心理状態が少し狂っているので はないかと常々考えている私は、ドイツの「常識」を尊重している。 人間性の罪業の深さを知り、歴史に対する断念の美学を弁えているヨーロッパ社会の健全 さに敬意を表している。 「歴史を裁く愚かさ」より yahooの投稿より |
2663 | 韓国人の「反日」 台湾人の「親日」より | 愛 URL | 1/4-23:10 |
記事番号2658へのコメント 韓国人の「反日」 台湾人の『親日」 黄文雄 1999 光文社 「朝鮮人の強制連行」問題の著作物は、地方の公立図書館へ行くと、意外なほど多い。戦 前の日本国内では、朝鮮人の犯罪者が多かったので、いかにして朝鮮半島からの人の流入 を釜山港で阻止するかに悩み、たびたび朝鮮総督府に有効な対策を求めていた。だが、 「朝鮮人の強制連行」問題の著書があれほど多くても、「犯罪」「入国阻止」関連研究書 は、大学図書館でさえほとんど見いだすことが困難だ。 (中略) 韓国人の著述には、「日帝36年」について「強制連行」「強制労働」「強制徴集・徴用」 と表現することが多いが、その「強制連行」とは、じつは大陸文化そのもので、戦争や動 乱があるたびに、住民が「強制連行」されたことは、中国史にも、朝鮮史にも繰り返し書 かれている。しかし、日本文化は、中国社会や朝鮮社会とはかなり異なる。近代になっ て、台湾に対しても、朝鮮半島に対しても、いかなる公的な義務労働であろうとも、多か れ少なかれ、工賃を払うのが日本的なやり方であった。このことからも、日本文化は、中 国や韓国の社会文化とはまったく違うことが判明する。 台湾領有初期の日本軍の征伐戦争・戦記、日記を見ると、住民を略奪しながら敗退、逃亡 した清国兵士に対してさえも、米と銭を与え、船で港から大陸へ送還した。地方の村長、 長老を集めて訓示した後でも銭を与え、細かい気配りをしていた。そのような日本的気配 りは、中国や朝鮮半島では、絶対に見られないことだ。 韓国人の「日帝」糾弾のバターンは、たいてい決まっている。それはあたかも日帝のすべ ての悪事悪行が隠蔽されてきたが、それが次から次へと考古学や犯罪事件摘発のように発 掘されていくという図式である。 第二次大戦末期に、台湾からも多くの少年工が来日している。しかし、彼らは「強制連 行」ではなく、厳しい選考をへて、来日が許可されたのだった。 「強制連行」については、台湾人の子供まで連行され、海軍飛行場の建設工場で、酷使さ れ、息を引き取ったと韓国有力紙に報道されたこともある。 この「子供強制徴用の実態」に関して、あたかも「歴史発掘」のように、韓国では一時、 歴史捏造に狂奔した。 「東亜日報」(91年10月23日付)は、「神奈川県で12から18歳の台湾少年工8000名が、軍 需工場で強制労働させられていたことが明らかになった。しかし、8歳の少年強制労働と火 葬というのは、ひょっとすると日本全国で初めて確認されたことではないだろうか」と日 本の大学教授の発言を引用して報道している。 日本の反日大学教授も不勉強であるが、韓国のマスコミも「反日」の話題でさえあれば、 なんでもかんでも派手に報道するという姿勢は問題であろう。 じつは、台湾少年工についての歴史捏造と歪曲ほどひどいものはない。 戦争末期、台湾から日本に来た8000名の台湾少年工は、主に名古屋、大和市、群馬県の戦 闘機工場で働いた。彼らは「強制連行」ではなく、厳しい筆記試験に合格、さらに身体検 査にも合格、校長と両親の許可を得て来日したものであった。「強制連行」どころか、現 在でいえば「東大入試」の狭き門をパスした誇りある少年たちである。私が直接彼らから 聞いたところでは、「隼」以外に「ゼロ戦」をつくったという人もいた。 彼らは現在「高座会」をつくり、生存者は70歳前後になっているものの、なおも5000人以 上の会員を有している。会誌も発行されている。十数歳の台湾少年工の作詞、作曲した会 歌は、日本の寮歌に似ていて、合唱するとじつに感動的である。 彼らは日本人の友人との絆が強く、94年の大和市の大会では、2000人以上の会員が台湾か ら来日し、大和市は、交通大渋滞となるほどであった。当時、日本のマスコミは、彼らを 「強制連行」と報道したため、自尊心を傷つけられ、会長が会員全員を引き連れ、新聞社 へ抗議に行くという話もあったほどだ。 戦争末期の米軍空襲下でともに働いてきた台湾人と日本人は、上官と部下の関係のみでな く、その絆もなかなかに強い。私は台湾から来た昔の少年兵を連れ、かつての日本人仲間 の病気見舞いや、老後の不遇者の生活の面倒に奔走する戦友を案内したこともあった。日 帝の「暴挙」ばかりを追及してきた韓国人には、日本国民として育てられ、ともに国家の 存亡をかけた情熱と戦友としての絆は理解できないだろう。この5000人以上の証人につい て、日本人ももっと「歴史」を勉強する必要があるのではないだろうか。 彼ら韓国人が、いかに「強制連行」「虐殺」「追害」だけを喚(わめ)いているかを示唆 するような話ではないだろうか。 |
2664 | 慰安婦制度は、日本軍にのみ存在したのでしょうか。 | 愛 URL | 1/4-23:17 |
記事番号2658へのコメント 慰安婦制度は、日本軍にのみ存在したのでしょうか。 ---------------------------------------------------------------------------- ---- 結論から言うと、違います。戦地の部隊に随行して将兵を慰安した女性は、古今東西を問 わず、戦争と軍隊にはつきもので、日本軍だけの専有物ではありませんでした。 例えば、18世紀には、両角良彦著『反ナポレオン考』によると、 >当時にあっては、軍隊に女性の従軍を認めるのは各国に共通したことだった。イギリス では正規の妻のほか、一個中隊につき6名の女性を公認したし、ボナパルトもイタリア前線 で一個大隊に4名の女性を許している<と、あります。 また、第一次世界大戦においても、「世界性学全集」の第5巻「戦争と性」には、「西部 の戦争舞台では、アミアン、アベユーユ、アーベル、ルーアンその他、前線の背後のすべ てのフランス都市には連合国軍部隊のための特に設備が良くて繁盛している兵站娼家があ った。・・(中略)・・顧客にはフランス兵の他に、他国民、主としてイギリス人の将校 や兵隊もいた・・(中略)・・ドイツ側にも、兵站地域の大きな街には必ず兵隊用娼家と 将校用娼家とがあった」という具合に、ドイツ・フランス・イギリス・ロシア等にも軍管 理の専用慰安所があったとあります。 そして、第二次世界大戦の時でも、それはあまり変わらなかったようです。 ドイツ軍は、ザイトラー著「売春・同性愛・自己毀損−ドイツ衛生指導の諸問題 1939−45」によれば、軍管理の慰安所を占領地各地に置いたとあります。特に東方占領地 (主にソ連)ではスターリンが売春を禁止していたので、新設する際には、慰安婦はしば しば強制徴用したとあります。 アメリカ軍についても、プラムフィールド報告書によれば、北アフリカ戦線で、打ち破っ たイタリア軍の慰安所を引継ぎ、そのまま同じ軍管理の慰安所を続けたとありますし、米 陸軍軍医部の第二次世界大戦史にも、1943年のシシリー島占領後、米軍はドイツ・イタリ ア軍が運営していた慰安所をシステムと人員ぐるみ引継ぎ、軍医とMPが規制したともあり ます。また、1942年、中国の昆明にシェンノートの航空隊用の軍管理の慰安所を設け、イ ンド人売春婦を呼び寄せたともあります。(セオドア・ホワイト著「個人的冒険の回想・ 上・歴史の探求」より) 確かに、アメリカ軍は当時、自由恋愛方式を採用していました。 ほとんどのアメリカ軍将兵は、慰安するために、ある一定期間、戦場の後方地帯で休養す ることが許されていました。しかし、その対策は、戦場での強姦事件防止より戦争神経症 のための対策です。毒ガスや戦車、潜水艦が戦場に現れた第一次世界大戦の教訓の結果に よるものです。米軍もまたすべての恐ろしい兵器を経験しました。他方、日本軍は当時、 わずかに潜水艦を経験しただけです。日本兵は第一次世界大戦の戦争神経症を経験しませ んでした。なので、米国の自由恋愛方式は、売春を根絶する政策ではありません。アメリ カ兵が、ドルを持ち、気前のよさで売春婦の最も良い上客でした。 そして、現在でも、「『従軍慰安婦は日本軍だけか−アメリカ軍の場合」(佐藤和秀氏) によれば、「韓国の米軍基地・東豆川には、韓国人慰安婦・洋郎がおり、韓国の保健所で 週一回の検診を受け、検査ずみの印を押した健康保健カードを掲示させ、米兵のための肉 体の提供をさせている」とあります。さらに言うと、1945年8月27日から1946年2月まで、 アメリカ軍は日本において、アメリカ兵の性欲を満たすためにRAAに統制よる慰安所を許し ていましたし、朝鮮戦争の際には、米軍はRRセンター(慰安所)を小倉、大阪、横浜に設 立していました。 "AWM54,267/6/17, Part 6"という書類によれば、オーストラリア軍も、シリア、パレスチ ナ、トリポリに慰安所を設立していました(田中利幸「なぜ米軍は慰安所を無視したの か」世界・1996年10月)また、ソ連軍の場合にも「霧に消えた兵隊」鈴木省五郎著には、 ソ連によって強制的に徴発されたユダヤ人、ポーランド人女性からなる巡回慰安婦が、駐 屯地を回っていたと証言しています。さらには、中国軍においても、軍管理の慰安所があ ったようです。 「敗戦の翌年の2月、ソ連兵が日本軍の捕虜を連れて引き上げると、入れ代わりに国民党が 共産軍と戦うために入ってきて、またしても戦争です。大勢の日本女性が殴られ、仕方な く妓女にされました。私は国民党軍の師団長に脅迫されてとらわれの身となり、乱暴され ました。」 (「女たちの太平洋戦争T」 朝日新聞社) 「列車は臨時停車し、そのたびに八路軍兵士が復員者の携帯している貴重品などを強奪す る。・・・そして、彼女らは兵士に列車から引き降ろされて、・・・連行されたところは 元の天津で、『妓女戸』と呼ばれる慰安所であった。彼女たちはここで約2年、八路軍兵 士のために、日夜働かされた・」(富沢繁編「女たちの戦争よもやま物語」光人社) 「応城でのこと、一人の慰安婦が新四軍(中共軍)に拉致された。だが、運よく、日本憲 兵隊で抑留していた新四軍の中隊長の妹と、その慰安婦を交換する交渉がまとまり、新溝 かどこかの橋の上で相互に引き渡された。その折、慰安婦の話によると、向こう側でもや はり慰安婦をやらされたそうである。中共兵は行列を作って順番を待っているので一体、 何人やらされるのかと勘定したが、30人ほど教えて面倒臭くなってよしたそうだ。中共兵 は切符制なのに比べて、日本兵の場合はお金がないと遊べないから可哀想だと思ったとい う」(長沢健一著「漢口慰安所」) そして、韓国軍はベトナム戦争において、米軍と同様に、現地の慰安婦を買い、ベトナム 人との混血児がたくさん生まれています。 吉見教授は、1925年以降、「婦人・児童の売買禁止に関する国際条約」に触発された「廃 娼」という国際社会の潮流に逆らい、国際条約に反する「強制売春」の温床となりかねな い慰安所制度という国による売春制度を設けたことが問題だと指摘しています。 しかし、 第二次世界大戦においても各国ともに慰安所を設けており、軍隊内の売春撲滅の潮流が、 当時の国際社会にあったと認められないと思います。(確かに、アメリカは、第二次戦争 の後半、軍医部の主唱で「道徳と健康に有害な売春を禁絶する政策を採用した」と宣言し ていますが実状は別で、公娼制下の欧州大陸ではドルを持つ気前のよい米兵は娼婦たちの 「上客」でした)「軍隊」内の売春撲滅は、当時徹底した潮流ではなく、実効性はありま せん。 さらに吉見氏の論理に従えば、1955年の「売春禁止法」によって公娼制廃止がなされます が、それまで続いた公娼制度も問題だということになります。公娼にも、慰安婦にも国家 補償せよ、という論理になります。 日本軍は、アジア諸国の女性に対する強制連行や強制売春に 当時の国策として加担したのか? http://www.nc4.gr.jp/y-watch/jp.comfortwomen.html |
2665 | 韓国「基地村」買春 | 愛 URL | 1/4-23:22 |
記事番号2658へのコメント http://www1.jca.apc.org/vaww-net-japan/vaww-j/ja/tribunal/south_korea.htm |
2675 | 書評 「反日」という甘えを断て韓国人“愛国”の正体に迫る作家 大野芳 | 愛 URL | 1/5-16:15 |
記事番号2658へのコメント 書評 「反日」という甘えを断て韓国人“愛国”の正体に迫る作家 大野芳 ( 1/ 5) 金文学による前著『韓国民に告ぐ!』(弟明学と共著)を読んだとき、私は何と痛烈かと おもった。そして内心、こんなに同胞を罵倒(ばとう)してよいのだろうかと、著者の身の 安全を心配した。それが四年前のことである。 著者は、中国瀋陽生まれの韓国系中国人。平成三年に来日し、広島大学で博士課程を修 了した日・中・韓の比較文化学者である。 前著は、主に韓国人の思想と生活を書いたものだが、まず韓国語で出版して日本語に翻 訳された。それがベストセラーとなり、案の定というべきか、“日帝植民史観を忠実に運 用する売国奴”などと罵言(ばり)を浴び、「親日派」として手配写真までインターネット にだされた、と本著の冒頭に紹介している。だが、北京の同胞から「感動してたくさん泣 きました」とか、アメリカからは「国民性を正確に深遠に記述した」と、励ましの手紙も 数多く寄せられた、という。 そして本著で金文学は、タブー視された韓国人の「反日」の正体に迫る。「実は韓国の 戦後の『反日』の対象は、日本人というよりもむしろ『親日的』な韓国人であった」と。 詳しくは本著にゆずるが、二〇〇二年ワールド・カップの日韓共催で見せた両国民の違 いを挙げ、「共催国である日本をライバル視しすぎる偏狭さがあった」と指摘する。「日 本の試合について韓国人の70%が日本の負けを祈り」「日本の勝利や得点に口笛を吹い たり、揶揄(やゆ)した」。そして韓国がベスト4入りして、やっと「日本も一緒に行けた らよかった」と、余裕の声も聞かれるようになった。だが、「韓国のベスト4進出を日本 人たちは自国の勝利のように喜んだ」。そこに著者は、韓国民の恐ろしい「恨(はん)」の エネルギーを見るのである。つまりサッカーゲームも挙国の「愛国戦争であった」と。 また、金完燮著『親日派のための弁明』で見せた日本人の反応にも言及する。「欣喜雀 躍し、興奮する日本人の姿を目にしながら、幼稚な未熟さを読み取った」。韓国人の民族 的トラウマを理解せよ、と手厳しい好著である。 (金文学著/祥伝社・一四〇〇円) 平成15年1月5日 産経新聞 朝刊 |