2005年09月19日
朝日新聞の中川氏への粘着ぶりは昔から
安倍氏と共にNHK番組改編騒動で朝日新聞に攻撃され、下手したら政治生命を絶たれそうにまでなった中川氏だが、随分前から朝日新聞には粘着攻撃を受けていたようである。
陰謀で追い落とそうとするなんてなんという卑劣さ。報道機関として、ホントだめだ。
それはともかく、自分たちの意にそわない歴史認識を抱く政治家は閣僚にふさわしくないと断罪する姿勢は感心しない。閣僚の独自の歴史観を認めない態度は傲慢にして横暴である。「かくかくしかじかの歴史認識をもつ人は閣僚にしてはいけない」では、「朝日流ファシズム」になってしまう。
読売新聞は八月四日付の社説で「ことあれかし、といった騒ぎかたとは、こういうのを言うのだろう。いわゆる従軍慰安婦問題についての中川農相の発言をめぐって、韓国が反発するに違いないと、わざわざ韓国の反発をそそのかしているような報道がある」と、朝日新聞をたしなめた。この社説の見出しは「『慰安婦』問題をもてあそぶな」。まったくその通りである。拙文のタイトルに拝借した次第である。
村山内閣の頃の平成六年八月十二日、閣議後の定例記者会見で各省庁詰めの朝日新聞記者はメモを見ながら戦争観などを問う同じ質問を各大臣に向けた。本社からのうむをいわせぬ指示である。なかにはいやいやながら聞いた記者もいたにちがいない。終戦記念日を前にして各大臣のコメントを並べようというわけであるが、こういう手法を共同記者会見の場でもちいること自体あまり感心できるものではなかった。
環境庁の桜井新長官が、これにひっかけられた。国会の不戦決議を問われて、桜井氏は、マッカーサーが日本としてはやむを得ない戦いだったといっていると述べたあと、「日本も侵略戦争をしようと思って戦ったのではなかった、と思っている」と続けた。どうということのない、常識的な意見である。
その日の各紙の夕刊に桜井発言は報道されなかった。国内で問題になるような内容ではないので、それは当然である。翌十三日の朝日新聞朝刊に、思わず吹き出しそうになるソウル電が載った。韓国外務省の次官補が十二日夕、日本の代理大使を呼びつけ、桜井発言を「時代錯誤的発言できわめて遺憾」と伝えたというのである。
十二日夕方の時点で桜井さんの発言を知っている日本人は、環境庁の記者クラブにいた人たちぐらいのものである。それなのになぜ韓国の外務省が知っているのか。韓国がスパイを環境庁に送り込んでいるはずもない。朝日新聞の“ご注進記者”が告げ口をしたのである。どうしてそんなばかげたことをするかといえば、読売の社説がいうように韓国をそそのかして日本政府をこらしめようという魂胆であろう。西部邁氏(評論家)の著書にこういう一節がある。
ジャーナリズムが政治的策略として、情報の歪曲や捏造を行うというのは許しがたいことである。なぜといって、彼はそれが自分の国に及ぼす政治的帰結に対して責任をとらないし、とることもできないからである。そうならば、彼のやったことは私利や私憤に発するとみなしてよく、そして「私利・私憤のために外国に自国の内情を知らせる」ことを売国とよぶのである。
中川氏は日頃、「わが国の歴史を変えるために、わざわざ外国へ行って扇動することは卑怯である」と述べていた。「従軍慰安婦の強制連行」をなにがなんでも定着させたい朝日新聞担当記者にすれば、面白いはずがない。
それにしても宮沢内閣が退陣する間際に出された「河野談話」(平成五年八月四日)はひどかった。強制連行を認めた談話には、「われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい」というくだりがある。調べもしないで「歴史の真実」とはよくもいったものだ。ときの官房長官の周辺に知恵者がいなかったのが悔やまれる。
宮沢内閣当時の軽率談話に、いまなお閣僚がしばりにあっているのは、なんともはがゆい。ブッシュ政権当時の国務長官談話に、クリントン政権が拘束されて困っているといった話は聞いたことがない。その後、石原信雄・元官房副長官が「強制連行の事実を示す資料はなかった」と証言した。内閣外政審議室長もそう国会答弁している。河野談話は根底から崩れたのであり、そんなものを閣僚の踏み絵にする愚はもうやめたほうがよい。
テープで思い出したが、本誌に朝日新聞の当時の“花形記者”、H氏を批判する論文を掲載したときだ。ご本人から編集部に電話があって、「即刻、書店から『正論』を回収せよ」とえらい見幕であった。このときも、「この電話はテープにとってある」とすごんだものだ。
藤岡信勝氏(東大教授)は産経新聞八月八日付の「正論」欄でこう述べている。
そもそも、慰安婦問題の発端から今日に至るまで、その主役は一貫して朝日新聞であった。慰安婦問題のすべての出発点は、被害者の訴えでもなければ韓国政府の要求でもなく、吉田清治という詐話師の書いた『私の戦争犯罪――朝鮮人強制連行』(一九八三年、三一書房刊)という偽書である。昭和十八年に韓国の済州島で慰安婦の奴隷狩りをしたという著者の「証言」を、朝日は何の検証もせず論説委員が手放しでほめそやした。それがまったくのつくり話であったことが暴露されてからも朝日は、この大誤報についてただの一行の訂正記事も読者への謝罪も行っていない。朝日はいつまで、こうした醜悪・卑劣な「朝日新聞の正義」を貫くつもりなのか。
朝日新聞の“従軍慰安婦”取材班は作戦をまちがえたようである。中川氏にまとわりついて浪費した時間とヒマとカネを「強制連行」の証拠固めに集中すべきであった。最近の朝日の記事には、「強制連行」という言葉は出てこない。「慰安婦の強制連行」という言い方をいつのまにか「慰安婦への強制性」と言い換えているのだ。
これは一歩後退というもので、天下の朝日らしくない。「強制連行」をあれだけ打ち上げたのだから、その手前からももっと努力してほしい。いまからでも遅くはない。済州島に飛んで「強制連行」の有無を徹底的に取材したらいかがか。どうしても検証できなかったときは読者にあやまる。そういう潔「いさぎよ)さが権力機関となった大新聞には必要である。
(平成十年八月十二日記)
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