テレビは見るか見ないか、どちらか。見るというのは一日中だらだらと老猫のように見ることで、毎週定期的に見る番組はない。
なかでチャンネルを適当に回していて、今夜も止めてしまったという偶チャン番組がある。「探偵ナイトスクープ」だ。これは妙に気にいっている。何曜日の何時の番組なのかは知らない。
著者はこの「探偵ナイトスクープ」のプロデューサーである。いまもそうなのかどうかは知らない。なにしろ関西のアホと関東のバカの境界線がどこにあるかを調べた番組が放映されたのは、10年以上前の1991年5月のこと、まだ上岡龍太郎が探偵局長だった。
その番組は賞を総ナメにしたほど好評だったようで、著者は日本方言学会の講演まで頼まれた。
しかしきっかけは単純で、視聴者からの「私は大阪生まれ、妻は東京生まれです。二人でケンカをすると、私はアホと言い、妻はバカと言います。お互いに耳慣れないのですごく傷つきます。いったいどこからどこまでがアホで、どこまでがバカなのでしょうか」という調査依頼が舞い込んだから、という設定になっている。
さっそく北野誠探偵局員が一泊二日の予定で東京駅をば振り出しに、東海道のアホバカ分布を実地調査する。東京はバカ、静岡もバカ、ところが次の名古屋で突如としてタワケが出現した。
岐阜もタワケで、米原がアホだった。ということは岐阜と滋賀のあいだにアホバカ境界線があるらしい‥‥などと、ぼくがこんなに熱心に番組を盛り上げるような報告する義理もないのだが、まあ、いいや。
ともかくもこんなぐあいで調査が終わり、のちのちまとめられたのが分厚い本書である。ちなみに番組では、アホバカ境界線は岐阜県不破郡関ヶ原町大字関ヶ原西今津だったという。
ところがこれで話は終わらなかった。視聴率狙いと学術的興奮がまぜまぜとなり、調査は継続されたのである。そうすると、アホの神戸を過ぎて姫路に進むとダボだった。四国に入ると香川ではホッコ、北陸のほうでは富山がダラということになってきた。すわ一大事である。視聴者から情報提供してもらい、全国アンケート調査を展開し、柳田民俗学や大学教授にも当たることにした。
こうして恐るべき「アホバカ全国地図」が形成されたのだ。だいたい一次的分布図では次のようになっているらしい。これ、書き移すだけでタワケた。
北海道=バカ・ハンカクサイ・タタランケ・タタクラダ
青森=バガ・バガコイ・ハンカクサイ・ホンジナシ・タクラダ
秋田=バカ・バガ・バギャ・バカコ・ホジナシ・ハンカクセー
岩手=バカ・バーゲァ・バガクサイ・ホジナシ・ツボケ
宮城=バカ・バカモノ・コバカタクレ・ホデナス
山形=バカ・ヴァガ・コバガモ・ホロケ
福島=バカ・バーガ・バカメロー・ウーバカ・オンツァ
茨城=デレ・デレスケ・ゴジャ・ゴジャッペ・バカ・カラバカ
群馬=バカ・バッカ・バキャロー・コケ・コケヤロー
栃木=バカ・バーガ・バカツカシ・デレ・デレスケ・コケ
長野=バカ・タワケ・タクラダ・オタクラ・ボケ・ダボ・ウトイ
新潟=バカ・バガメラ・ウスラ・アホ・ダボ・タワケ
埼玉=バカ・バッカ・バカチョン・バカスカシ
千葉=バカ・バガ・バガテン・カラバカ・ゴジャ・ゴジャッペ
東京=バカ・バカヤロー・バカッタレ・バカッケー
神奈川=バカ・バカヤロー・バカスカシ・ウスラバカ
山梨=バカ・オバカッチィ・タワケ・マヌケ・トロイ・アホ
静岡=バカ・サレバカ・トロイ・トンロイ・チョロイ
愛知=タワケ・クソダーケ・バカ・エーサマ・オタンチン
岐阜=タワケ・クソタワケ・トロイ・トロクサ・アホ・アホタレ
三重=アホ・アホロク・ウトイウトスケ・アンゴウ・ボケ
奈良=アホンダラ・ドアホウ・ダラホウシ・ウトイ・ウットボ
和歌山=アホ・アホッタレ・ウトイ・ウトッポ・ボケ
富山=ダラ・ダラブツ・ドスダラ・バカ・アホ・ボケ・アヤメ
石川=ダラ・ダラケ・ダラブチ・コンジョヨシ・ハンカ
福井=ヌクトイ・ノクテー・アホ・コンジョヨシ・ボコイ・ドス
滋賀=アホ・ドアホ・アホンダラ・バカ・ウツケ・マヌケ
京都=アホ・アホウ・ボケ・ホウケ・フヌケ・スカタン
大阪=アホ・アーホー・ドアホ・ボケ・アホンダラ・アホッタレ
兵庫=アホ・アホウ・アホダラ・ボケ・ボケナス・ダボ・バカ
鳥取=ダラ・ダラズ・ダラクソ・アホンダラ・グズイ
島根=ダラ・ダラズ・ダーズ・ダラジモン・アホ・アンポンタン
岡山=アンゴウ・ゴウダマ・アホー・ダァホウ・トロイ・バカ
広島=バカタレ・バカモン・アンゴウ・ホーケ・タラン・コケ
山口=バカタレ・クソバカ・アホウ・タワケ・ボケタレ
香川=ホッコ・ホッコマイ・アホ・アンポ・クリッコ・バカタレ
徳島=アホ・ドアホ・ホレ・ドボレ・トロクソ・チョロコイ
愛媛=バカ・クソバカ・トロイ・ボケ・ボケヤン・アホ
高知=バカ・クソバカ・バカッチョ・アホ・アンポン・ドアホ
福岡=バカ・バカスー・アンポンタン・アホ・アホタレ
佐賀=フーケ・フーケタレ・バカ・バカタレ・ツータン・シイラ
大分=バカ・サラバカ・バカワロー・アホタレ・アンポンタン
長崎=フーケ・フーケモン・バカ・バァカ・ウーバカ・ドグラ
熊本=バカ・バギャー・ホンジナシ・オタンチン・ズンダレ
宮崎=バカ・バカタン・ホンジナシ・ダラ・ゲドー・ヌケ
鹿児島=バカ・バカタレ・ホガネー・アホ・ドンタ・ハナタレ
沖縄=フラー・フリムン・ゲレン・アッポ・トットロー
全県あるのか心配だが(いまチェックしたら大分が入っていなかった)、登録語はこれでも相当に手を抜いた。とても書ききれない。だから、これは目安だ。正確な地図は本書を読むか、巻末付録の地図を見てもらうしかないほど大量のアホバカ・ヴァージョンなのだ。いろいろ複雑に重なりあい、組み合わさっている。
著者のグループはこれらの複雑な分布を徹底して調べ、アホとバカが東西で割れているのではなく、実は同心円的に、かつ飛び火的に広がっているのを確かめる。
アホとバカを分けただけではダメで、たとえばバカタレとバカモンの分布の相違まで突き止める。あきらかにタレとモン(者)では何かが違っている。が、それでも満足できない。語源も知りたい。ついに言語民俗学である。けれどもやりだしてみると、やめられない。語源不明を含めて大半を調べあげた。
ちなみにハンカクサイは「半可くさい」、ホンジナシは神仏習合用語(本地垂迹)の「本地」から採った「本地なし」で、フーケは「惚(ほう)け」、アンゴウはぼうっとした魚の鮟鱇のこと、茨城のゴジャは「ごじゃごじゃ言う」、沖縄のフリムンはおそらく「惚れ者」である。
なんとも痛快無比な調査書である。アホバカだけではない。その逆のカシコイ(賢い)・リコウ(利口)分布も調べていた。近畿中央のカシコイを囲んでエライが広がり、その外側をリコウが拡散していくことがわかった。
ぼくは何度も唸った。どうやら京都で大半の言葉がつくられ、それが近世になるにしたがって新しい罵倒言葉ができあがると、古い時代の罵倒言葉が周辺部に向かって円周的に押しやられるというのだ。かくて、江戸中期あたりで「アホウ・カシコイ」のセットが上方に新たに生まれ、それ以前の「バカ・リコウ」を追い払っていったのだということになってきた。ようするに時間差なのである。
著者はこうした成果を背景に、しだいに「方言周圏論」ともいうべき“体系的”な研究にさえ乗り出している。恐るべきアホバカ研究だ。いったい網野善彦は、この揺るぎない研究成果をどう見るのだろうか。
方言。地域語。スラング。ジャーゴン。これらの生態は日本にひそむ最も大きな保存動物の謎である。
ほかに雑煮の味噌と具の違いの分布、トコロテンを酢醤油で食べるか黒蜜で食べるかの分布、喫茶店モーニングサービスのメニューの分布など、決して軽んじてはならない日本の謎も数々あるが、これらすべては方言分布のヴィークルに乗って全国を撹乱しつづけたというべきなのである。
ぼくも「遊」第3期をつくっていたころに、次は「方言・遊」をつくりたいんだとスタッフに言っていた。それなのにこれは挫折したままにある。いまはただ、このプロデューサーを引き抜きたいばかりだ。
それにしても、「探偵ナイトスクープ」のスタジオセットが実は「シャーロック・ホームズの書斎とリビングルームのつもり」だったとは、聞いて呆れた。絶対に、そうは見えない。大阪やねえ。
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