March 29, 1989

女子高生コンクリート詰め殺人事件

1989/03/29

女子高生コンクリート詰め殺人事件(じょしこうせいコンクリートづめさつじんじけん)は、1988年11月〜1989年1月、東京都足立区綾瀬で起きた猥褻誘拐・略取、監禁、強姦、暴行、殺人、死体遺棄事件の通称である。事件番号は平成2う1058。

この頃少年Cは、家に「面白いのがいる」と知人に公言し、100人程度は監禁について知っていたと見られ、裁判記録に出ているだけで10人が強姦等に参加している。

足立区コンクリート殺人犯人の家
Wiki

この事件は、加害者が全て少年(未成年)であったこと、犯罪内容が重大・悪質であったこと、犯行期間も長期におよび、少女が監禁されていることに気づいていた周囲の人間も被害者を救わなかったこと、などの点で社会に大きな衝撃を与えた。
数名の少年が女子高校生を41日間にわたり仲間の自宅2階の居室に監禁し、レイプ行為や苛烈な暴行を繰り返した挙句、被害者は死亡。死体の処理に困った加害者達は遺体をドラム缶に入れてコンクリート詰めにして東京都江東区若洲の埋め立て地(現在の若洲海浜公園敷地内)に遺棄した。

1989年(平成元年)3月29日、別の事件で逮捕された際の取調中の加害者の供述により、被害者の遺体が発見されたことから事件が発覚した。



女子高生コンクリート詰め殺人
少年犯行時年齢学歴非行歴家庭
18高校中退傷害=審判不開始

母校の中学校に建造物侵入=保護観察

共働き
17高校中退放置自転車を乗り回す=審判不開始両親別居
17高校中退なし共働き
16高校中退家出=保護観察、ナイフ所持、暴力行為・母校に投石=不処分離婚(父親死亡)


  求刑   1審    2審
A 無期懲役  懲役17年   懲役20年
B 懲役13年  懲役5-10年  1審通り
C 懲役5-10年 懲役4-6年  懲役5-9年
D 懲役5-10年 懲役3-4年  懲役5-7年

検察は量刑が軽過ぎるとして控訴、控訴審で量刑が重くなり確定91/7/12
日判決)




月刊ゼンボウ誌上検察側冒頭陳述1枚目
二 被告人らの関係

綾瀬コンクリート殺人被告人ら4名は、右のとおり、足立区立東綾瀬中学校の先輩・後輩関係にあり、最年長の宮野がリーダーとなって、昭和63年10月ころから、湊伸治の両親が共稼ぎで不在がちであることに乗じて、足立区綾瀬7丁目8番6号所在湊靖人方2階の伸治の部屋(以下伸治の部屋と略称)をいわゆる溜まり場として、行動を共にしていた。そして、被告人らは、夜間、電柱あるいは脚立を利用して2回ベランダ経由で同部屋に出入りしていた。
また、宮野は、昭和63年12月11日ころ暴力団極東組関口一家桜誠会幹部
豊田倖一の勧めで、極東組の下部組織(青年部)として極青会を結成し、
自ら会長に就き、小倉を事務局長に据え、湊伸治、渡邊ら中学校の後輩多数をその配下に組み入れていた。

三 被害者(原文では実名ですが私の判断で被害者と書くことにしました)に対する 猥褻誘拐・略取、監禁、強姦、殺人、死体遺棄関係

1 被害者の身上経歴等

被害者は、昭和46年1月18日、父(原文では実名)、母(原文では実名)の長女として生まれ、埼玉県三郷市立高洲小学校、同南中学校を経て、同県立八潮南高校に進学し、平成元年3月には同校を卒業して都内の会社に就職する予定であった上、人柄は明朗で友人も多く、健康で親孝行な女子高生であった。
被害者は、かねて同県八潮市内の株式会社秀英堂八潮センターで週2回アルバイトをしており、後記のとおり、昭和63年11月25日、同会社でアルバイトを終えて帰宅途上、後記のとおり宮野らに取拐されたものである。

2 宮野らが被害者を誘拐略取した状況(公訴事実第一、1事実関係)

昭和63年11月25日、宮野及び湊伸治は、それぞれ原付自転車を運転して、
引ったくりないし強姦するに格好な女性を物色して埼玉県三郷市内を徘徊していたところ、同日午後8時30分ごろ、同市戸ヶ崎2138番地先交差点付近で、折から自転車に乗って信号待ちをしていた被害者を認めるや、被害者を拐取して強姦しようと企て、互いに意思を相通じ、共謀を遂げ、被害者の後を追尾して行き、伸治が同市戸ヶ崎2丁目747番地路上において被害者を自転車もろとも蹴飛ばして側溝に転倒させ、次いで、宮野が偶然通り掛かったように装いながら、被害者に対して「危ないから、送ってやる。」などと甘言を弄して言葉巧みに被害者を信用させて同市寄巻920番地所在駐車場の暗がりに誘い込み、同所で被害者に対して「俺はさっきの奴の仲間で、お前のことを狙っているやくざだ。俺は幹部だから、俺の言うことを聞けば命だけは助けてやる。セックスさせろ。」などと申し向け、同日午後9時50分ごろ、被害者を東京都足立区綾瀬6丁目25番地4号所在ホテル「ウィングス」に連れ込み、もって、猥褻の目的で被害者を誘拐・略取した上、同所で被害者を強姦した。
なお、伸治は、同日午後10時ごろ、一人で自宅へ戻った。
宮野は、被害者を強姦した後、右ホテルから伸治宅に電話をかけ、折から居合わせた小倉及び伸治に右の事情を説明したところ、小倉らが被害者を連れて来て欲しい旨言ったので、足立区東綾瀬1丁目17番8号先路上まで出向くよう指示し、自ら被害者を連れて同所に赴いた。
一方、小倉は、伸治及び折から居合わせた渡邊と共に同所に赴き、宮野および被害者と落ち合った。小倉、渡邊は、同所に赴く途中、伸治から、右のとおり宮野及び伸治が被害者を拐取した顛末を聞いた。

その後、宮野、小倉、伸治及び渡邊の4名は、11月26日午前0時30分ごろ、被害者を連れて同所から足立区東和4丁目6番所在の蒲原公園に赴き、同所において、被害者の拉致先等につき相談した結果、小倉及び渡邊も、宮野及び伸治のなした右一連の被害者拐取行為の内容及びそれによって生じた結果を認識した上、これに承継加担して共同実行しようと考え、ここに宮野、小倉、伸治及び渡邊の4名は、引き続き被害者を拐取して伸治の部屋に連れ込んでさらに強姦しようと互いに意見を相通じ、共謀を遂げ、宮野において被害者に対して「俺は、上からお前をさらってくるように言われたが、お前は俺の女に似ているから助けてやりたい。今日は遅いから仲間の家に泊まれ。明日かあさってには話をつけてやる。」などと申し向けた上、11月26日午前1時ごろ、全員で被害者を伸治の部屋に連行し、もって、猥褻の目的で被害者を誘拐・略取した。

3 J監禁状況(公訴事実第1、2事実)

被告人4名は、右のとおりJを伸治の部屋に連行した11月26日午前1時ごろ以降、Jを同所に監禁しようと企て、互いに意志を相通じ、湊恒治(伸治の兄)と共謀の上、宮野の指示により、主として渡邊、伸治及び湊恒治において絶えず交互にJを監視し、更には逃走を図ったJに対し、後記のようなリンチを加えるなどして、Jが同部屋から脱走することを不能ならしめ、そのころから昭和64年1月4日Jが死亡するまでの間、Jを不法に監禁した。その間、宮野は、昭和63年11月30日ごろから翌12月2日までの間に、Jをして、3回にわたり、自宅に電話をさせ、母親に「家出しているのだから、捜索願いは取り消して欲しい。」などと言わせたのみならず、更にJの友人方へ自ら電話して、同女に対し、「やくざの上の人に命令されて俺たちの仲間でJちゃんを車で轢くことになっていた、しかしその時になって、かわいそうになり、かくまってやっている。今はJちゃんの家のまわりにやくざが集まっているから帰せない。もう少したったら、その人たちと話がつくから、帰してやる。」と言わせて(宮野が被害者の友人に言ったということなら不自然な表現だが原文どおりに入力しました。)右友人を安心させるなどして、警察のJ捜索活動の矛先が自己らに及ばないように画策した。またJは、12月2日ごろの午後、2回にわたり伸治の部屋から逃走しようとしたが、いずれも小倉あるいは伸治に発見され、更に、助けを求める電話を警察にしようとしたが、宮野に阻止されてしまった。それで、宮野において、「どうして警察に電話をするんだ。逃げるとこのようになるんだ。」などと言いながら、Jの顔面を多数回にわたって手拳で殴打した上、その足首等を所携のライターで5〜6回にわたってそれぞれ数秒間焼き、足首等に相当の火傷を負わせ、さらに伸治及び小倉において、なおもその顔面を多数回にわたって手拳等で殴打した。そのため、Jは、「もう逃げません。許してください。」と哀願した。一方、Jの両親は、昭和63年11月27日午後11時5分、前々夜からJが帰宅しなかったので埼玉県警吉川警察署に同女の捜索願を出し、以後同警察署で鋭意同女の行方を捜査していた。


四 J輪姦状況(公訴事実第一、二事実)

昭和63年11月28日ころの深夜、被告人4名のほか、遊び仲間の垣東孝一(当時17歳)及び岩井哲夫(当時16歳)が集まった際、宮野及び小倉において、渡邊らをして被害者を強姦させようと相談の上こもごも被害者に襲いかかるや、それを見た湊伸治、渡邊、垣東、及び岩井の4名は、宮野らとともに被害者を強姦しようと考え、互いに意志相通じ、ここに被告人4名は、垣東及び岩井と共謀を遂げ、全員で手足をばたつかせて抵抗する被害者を毛布をかぶせるなどして押さえつけて被害者を全裸にしてその反抗を抑圧し、岩井、垣東、渡邊の順に強いて被害者を姦淫した。強姦後、宮野および小倉は、部屋にあったT字型カミソリで被害者の陰毛の一部を剃り、さらに、被害者の陰部にマッチの軸を挿し込み、マッチの頭にライターで点火し、被害者が熱がるのを全員で打ち興じて見ていた。


五 被害者に対する凌辱・リンチ等の状況

被告人らは、被害者を監禁中、昭和63年12月中旬ころから次第に被害者をなぶり行為の対象として扱い、さらに12月下旬に至ってはもはや人間ではなく醜い物体とみなし、被害者に対して以下のような凌辱・リンチ行為を加えた。

1 昭和63年12月中旬ころ、被告人4名のほか極青会仲間の星寿和(当時17歳)が湊伸治の部屋に集まっていた際、被害者が「家に帰して。何でも言われたことをするから。」などと哀願したところ、宮野がまず、被害者に命じて全裸になって音楽に合わせて踊らせ、さらにオナニーをさせた上、続いて、宮野、星、小倉および伸治において順次長さ30センチメートルくらい直径3センチメートルくらいの鉄棒の先にコンドームをつけ、これを被害者の陰部に各数回づつ挿入する行為をし、さらには、伸治および星において、オロナミンCドリンクのビンを被害者の肛門に、前記の鉄棒を被害者の陰部に同時に挿入し、また、宮野においてその陰毛をハサミで切るなどして皆で面白がった。それから、宮野は、被害者に対し、「家に帰ったら母親になんて言うんだよ。」などと詰問し、被害者が「今まで新宿で遊んでいました。」などと陳弁に努めるや、「新宿で制服のままそんなに長く遊んでいられるかよ。」などと言って、星と共に持っていたライターで被害者の足首等を焼き、火傷を負わせた。

2 また被告人らは、再三にわたって被害者にシンナーを吸わせたり、ウイスキー、焼酎を一気飲みさせるなどして面白がった。

3 また、被害者は、湊伸治の両親(湊靖人、ます子)がいる間は階下のトイレを使わせてもらえず、500CC用飲料パックに小便をさせられていたが、12月25日頃、その小便がこぼれて伸治の布団を汚した。そのため、小倉および伸治は、「てめえなんで布団の上にこぼすんだ。」などといって、こもごも拳骨で被害者の顔面を数十回にわたって殴打した。その結果、被害者の顔面は頬と鼻の高さが同じになり、目を開けているのか否か外見ではわからないほどに腫れ上がってしまい、それを見た小倉および伸治は、「何だお前、でけえ顔になったなあ。」といって笑った。そしてその翌日、伸治が宮野に自慢気に「先輩あいつの顔を一度見てやってください。ひどく腫れ上がっちゃっているんですよ。」と話したので、宮野は、小倉および伸治と共に伸治の部屋へ行き、ぐったりして寝ていた被害者に対して、「お前は俺に冷たいところを踏ませていたのか。ふざけているな、この野郎。」などと怒号し、被害者が「ごめんなさい。」と繰り返し謝っても聞き入れず、その下腿部(もも)等を拳骨で数十回にわたって殴打し、さらに、被害者の上半身を裸にしてベランダに立たせ、牛乳と水を大量に飲ませた上、たばこを二本一度に吸わせるなどし、引き続いて、宮野、小倉および伸治の3名は、被害者の両大腿部、ひざ、すね等にジャンボオイル(揮発性の高いライター用油)を注いだ上ライターでこれに火をつけ、被害者が熱がって両手で消そうとすると、その手にもオイルをかけて火をつけ、火が消えたら、またオイルをかけては火をつけるという行為を繰り返し、被害者がその間苦しみもだえ、「殺して、殺してよ」と泣き叫ぶ姿を見て笑っていた。そのため、被害者の手の甲は皮がべろんむけ、両大腿部等には水泡ができ、あるいは赤黒く変色し、皮がむけるという状態となった。その後、12月28日頃、伸治および小倉は、被害者の火傷のため異臭がし、その箇所から血膿(血まみれのうみ)が出ていたので、「乾燥させておけ、と言ったのになんだ。」と言って、こもごも拳骨でその顔面、頭部等を多数回にわたって殴打した。


六 被害者の身体の衰弱状況

被告人らは、当初は被害者に湊伸治方近くの飲食店から出前を取って分け与えたり、カップラーメンを食べさせたりしていたが、その内パンや牛乳を買って与える程度になり、前記のとおり、12月20日頃からは、被害者が異臭を放つことから近づくことを嫌い、湊恒治にその世話をさせるようになり、恒治も、12月26日ころまでは、カップラーメンや牛乳に卵を入れたものなどを与えていたが、12月27日ころ以降は、一日200CCくらいの牛乳を与える程度で、昭和64年に入ってからは、水を飲ませるだけの状態になっていた。被害者は、このような飲食の状況に加え、被告人らから右のとおり繰り返し暴行を加えられるなどしたため、昭和63年12月末頃には、自分で立つことも困難なくらいに衰弱し、トイレに行くため一階に降りるにも、数十分をかけてはいずって降りるという状態となっていた。


七 被害者殺害状況(公訴事実第一、四事実)

1 被告人4名は、右のような被害者の衰弱状況を承知した上でその取り扱い方に窮し、昭和63年12月下旬以降、前記フラワーフレンド等において、しばしば今後の対応策について話し合い、たとえば、宮野、小倉および湊伸治の3名で話し合った際、宮野が「被害者を殺してコンクリート詰めにして海に捨てれば、浮かんでこない。コンクリート詰めにするドラム缶の中に、被害者の好きな「とんぼ」のビデオと花束くらい入れてやるか。」と言ったところ、小倉と伸治の2名が「そんなことをしたら、ドラム缶が見つかったとき、誰かを決める手がかりになる。」などと言って反対し、あるいは小倉、伸治および渡辺の3名が話し合った際、まず小倉は「女の子どうする。殺して埋めるか。」と言い出したところ、伸治が「どうするんですかね。誰が殺すんですか。」と言い、さらに渡辺が「殺すんなら、ミンチがいいですよ。」などと言い、また、宮野、渡辺らが集まった際、宮野が「被害者をドラム缶に入れてセメントを流し込み、海か山に捨てよう。」と言ったところ、渡辺が「風呂場でみじん切りにしてしまえば、血も流れてしまって見つからなくていいですよ。」などと言っていた。

2 被告人4名は、昭和63年12月29日から昭和64年1月2日までの間、
湊恒治に被害者の監視をさせ、ほとんど前記フラワーフレンドに寝泊りしていたところ、宮野は、昭和64年1月3日午後9時ごろからJR綾瀬駅付近の麻雀屋で麻雀をして十万円くらい負け、1月4日午前5時過ぎころ、足立区綾瀬2丁目6番地16号所在の渡辺ヤス方で小倉、伸治および渡辺と飲食しているうち、被害者にリンチを加えて麻雀に負けたうっぷんを晴らそうと思い立ち、「麻雀に負けたのは被害者のせいだ。これから被害者をいじめに行くか。」などと言って1月4日午前7時ころ、小倉、伸治、渡辺と共に伸治の部屋に行った。そして、宮野は、小倉と共に一旦外出して付近のコンビニエンスストアでロウソク(直径2センチメートル、長さ20センチメートル)数本と小倉羊羹を購入して伸治の部屋に戻った。

3 その後、宮野、小倉、湊伸治および渡辺の4名は、いずれも殺意を持って、互いに意見を相通じ、湊恒治と共謀の上、昭和64年1月4日午前8時ごろから同午前10時ごろまでの間の約2時間、伸治の部屋において、被害者に対して以下のような暴行を加えて被害者を殺害した。

まず、被害者に小倉羊羹を食べさせて、その名前を聞き、被害者が
「オグラヨウカンです。」と答えると、「小倉を呼び捨てにした。」などと因縁をつけ、被害者が「オグラヨウカンさんです。」と答え直すと、「羊羹にさん付けするとは何事だ。」と文句を言い、さらに被害者が小便をこぼしたと文句を言って、宮野、小倉および伸治が、被害者の脚部(足)、腕部、わき腹等をそれぞれ多数回にわたって拳骨で殴打した。
次いで、宮野および小倉が、ロウソク2本に火をつけ、仰向(あおむ)けにさせた被害者の顔面全体にわたって溶けた蝋(ろう)をたらした上、短くなったロウソクを被害者の両まぶたの上に立てた。
また、宮野および小倉は、被害者に命じて、500CC用飲料パックに入っていた被害者の尿を被害者にストローで飲ませた。
それから、宮野、小倉、伸治および渡辺は、それぞれ多数回にわたって倒れている被害者を引き起こしては拳骨で顔面を殴打したり、足蹴にするなどしたところ、被害者が鼻血を出し、また、被害者の大腿部(ふともも)等の火傷のかさぶたがとれて血の膿(うみ)が出たため、被告人らは手に血がつくのを嫌って、渡辺の発案によりそれぞれビニール袋で手を包んだ上、さらにそれぞれ数十回にわたって被害者の顔面、腹部等を拳骨で殴打して転倒させ、転倒した被害者の顔面等を足蹴にし、さらにまた被害者を引き起こしては被害者の顔面、腹部等を拳骨で殴打する等の暴行を加えた。
さらに宮野、小倉、伸治および渡辺は、ゴルフスイングの要領で、30センチメートルくらいの鉄棒の先に重さ1.6キログラムくらいの鉄球がついたもので被害者の大腿部をそれぞれ数十回にわたって殴打し、湊恒治も、宮野の指示を受け、同様に3回くらい被害者を鉄棒で殴打した。
その後、宮野は、被害者を立たせて回し蹴りをしたり、顔面を数回拳骨で殴打し、伸治も、3、4回くらい回し蹴りをするなどの暴行を繰り返した。続いて、宮野および小倉は、被害者の両大腿部、膝(ひざ)部等にジッポオイルを注いでは火をつけることを繰り返し、そのため、被害者は最初はゆっくりと手を大腿部に移動させ、火を消そうとするしぐさをしていたが、最後には反応を示さなくなるに至った。それから、宮野は、前記鉄球つきの鉄棒で多数回にわたって被害者の大腿部を殴打し、その顔面を足蹴りするなどの暴行を加えた。

4 被害者は、前記のとおり被告人らから暴行を受けたことにより、そのころから昭和64年1月4日午後10時ころまでの間に、伸治の部屋で外傷性ショックにより死亡した。

5 このような暴行を加えた後、宮野らは、1月4日午前10時ころ、後の始末を湊恒治に託して伸治の部屋を出て、綾瀬駅付近のサウナ「一龍」に行った。

八 被害者の死体遺棄状況(公訴事実第二事実)

宮野、小倉、伸治および渡辺は、昭和64年1月4日の夜はフラワーフレンドに泊まり、翌1月5日午後3時ごろ湊恒治から被害者の様子がおかしいとの連絡を受け、宮野、小倉および伸治は、渡辺を留守番のために残して、伸治の部屋に行ったところ、被害者は既に死亡していた。

そこで、宮野、小倉、伸治は、相談の上、その死体をドラム缶に詰めて海にでも捨てようと考え、死体を毛布2枚に包んでガムテープで巻いた上、旅行用かばんに入れ、宮野が前記(月刊ゼンボウ誌上検察側冒頭陳述1枚目)中村タイルから借りてきた貨物自動車にこれを積み込み、さらに付近の工場から盗んできたドラム缶もあわせて積み込んで、宮野方付近路上に赴き、同所で、ドラム缶に死体の入った旅行用かばんを詰め込み、この上に右中村タイルから盗んできたコンクリート、ブロック片、レンガ等を流し込んで固定密閉した。

その後、宮野、小倉および伸治の3名は、1月5日午後8時ごろ、右ドラム缶を海に投棄すべく、右自動車にこれを積載して高速道路を利用して、東京都江東区若洲15号地若洲海浜公園整備工事現場横空き地に赴いたが、恐ろしくなり、同所で右空き地にドラム缶を投棄し、もって被害者の死体を遺棄した。



2004/07/04 産経新聞
コンクリ詰め殺人有罪の男 監禁、傷害で逮捕

昭和63年に起きた「女子高生コンクリート詰め殺人事件」で逮捕された少年四人のうちの一人が、知り合いの男性を監禁して殴るけるの暴行を加えたとして、警視庁竹の塚署に逮捕監禁致傷の疑いで逮捕されていたことが3日、分かった。
逮捕されたのは埼玉県八潮市、コンピューター会社アルバイト、神作譲容疑者(33)。
調べによると、神作容疑者は5月19日午前2時ごろ、東京都足立区花畑の路上で、知り合いの男性(27)に因縁をつけ、顔や足に殴るけるなどの暴行を加えたうえ、金属バットで脅迫。車のトランクに押し込み、約40分車を走らせた後、埼玉県三郷市内のスナックで「俺の女を知っているだろう。どこへやった」などとして約4時間監禁し、殴るけるの暴行を加え、男性に全治10日のけがを負わせた疑い。容疑を認めており、調べに対し「ちょっとやりすぎた」と話している。神作容疑者は先月4日、竹の塚署に逮捕され、東京地検は同月25日、逮捕監禁致傷罪で起訴した。女子高生コンクリート詰め殺人事件では、平成3年の東京高裁控訴審判決で主犯格の少年に懲役20年などが言い渡され、4人の実刑が確定した。
神作容疑者はサブリーダー格として犯行に加わり、懲役5-10年の不定期刑が確定、服役した後、出所していた。



犯人について
小倉という姓でしたが、先の女子高生殺害事件のあと、埼玉県の篤志家、神作某氏の戸籍上の養子になりました。神作某氏は少年犯罪者の更生に力を入れている人で、こいつを戸籍上の養子にすることによって姓を変えさせ、社会復帰しやすくなるよう配慮をした人です。そういう篤志家の誠意も踏みにじったのです。

犯行現場は神作譲の実母が経営するスナックで今回の暴行事件は起こった。
スナックACB(アシベ)住所 埼玉県三郷市三郷…



女子高生コンクリート詰め殺人事件


 少年法改正前のため、2名を除き、犯人は全て6年以内に出所したが、反省する者は少なく、酒場で事件をおもしろく語る者さえいる。
出所後は暴力団=極青会を結成し、暴力行為を繰り返している。
事件に関する意見:TEL 03−3580−4111(法務省)
事件の詳細:http://www8.ocn.ne.jp/~moonston/lynch.htm

宮野裕史=S45.4.30生:東海大附属高輪台高の柔道特待生。
     千葉刑務所に服役中だが法務省は刑期満了前の保釈を検討中。
神作譲(旧姓は小倉)=S46.5.11生:再び暴行・監禁事件で服役中
湊伸治=S47.12.16生:自宅に被害者を監禁 群馬に潜伏?
    父=靖人、 母=ます子、 兄=恒治 (両親は共産党員)
渡邊恭史=S46.12.18生:事件当時 姉は宮野の女 
岩井哲夫=S47生:地元の酒場でこの事件をおもしろく語る。
垣東孝一=S48生:短い刑期後、結婚して子供2人、越谷市周辺。
星寿和=S47生:「極青会」新宿事務所
都築洋=S47生:足立区綾瀬1−33−15、「極青会」
石川あかね(旧姓萩尾)=S47生:事件当時被害者の顔に落書きした通称「落書き女」現在、松戸在住、風俗勤務。

小倉悦子=神作(小倉)譲の母親: 事件当時生活保護を口実に約50万円を賠償しただけで、判決直後にはマンションを購入。以降の賠償額は80万円未満である。息子が再び犯罪を犯した際、「息子は被害者のために運命を狂わされた」と言い、被害者のお墓を壊す。


匿名掲示板などで現在も続く事件の犯人捜し
http://www.amezor.to/main/070218004056.html
http://yy27.60.kg/test/read.cgi/cruel/1154651736/





「COMIC夢雅」にて当該事件を漫画化した『真・現代猟奇伝 女子高生コンクリ詰め殺人事件』が連載とのこと。 著者:氏賀Y太
女子高生コンクリ詰め殺人関連ページ


 真・現代猟奇伝 女子高生コンクリ詰め殺人事件2 真・現代猟奇伝 女子高生コンクリ詰め殺人事件3 真・現代猟奇伝 女子高生コンクリ詰め殺人事件4














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この記事へのコメント

1. Posted by 瑠璃子    September 27, 2007 08:26
この事件は本当に許しがたい内容の事件。
主犯の宮野祐史は2月に出所して、今は埼玉県
川口市蓮沼に住み解体業をしてると聞きましたが、
本当なのでしょうか。
2. Posted by 瑠璃子    September 28, 2007 22:56
事件から19年になるんですね
3. Posted by ふるじゅん    April 15, 2008 09:34
このマンガ抜けます。保証します。
4. Posted by おない年です    May 19, 2008 18:44
この事件よく覚えています。被害者とおない年ということもあり、とても許しがたい事件だと思います。被害者およびご家族の無念はよくわかります。少年法くそくらえ!です。 先日広島母子殺人事件で元少年が死刑判決になりました。この事件だって死刑にできるぐらいひどい事件なのに。
5. Posted by 中井    August 04, 2008 12:27
こいつら 普通に 生かして おけない
6. Posted by 克也    December 25, 2008 17:52
酷すぎる!生き地獄を味わせるだけ味わせて殺し、のうのうと生きてる彼等が許せない!事件は知っていたが、内容がここまで酷いとは...。情状酌量の余地が全くない、死刑だよ!こんな奴らが堂々と生きて行ける日本って.....、また日本国民は世界の恥さらしだな!マスコミは毎年こような事件の特集を組むべきだ、忘れないように!遺族の方の了承があってのことだが.........、彼等を裁けるなら喜んで裁くのだが..........星寿和=S47生:「極青会」新宿事務所、都築洋=S47生:足立区綾瀬1−33−15、「極青会、反省の色がない所か...............日本の警察に期待する!合法的でなくていいから潰してくれ!願うはただひと一つ、彼等にそれ以上の痛みが与えられる事を!
7. Posted by 克也    December 25, 2008 18:11
産経新聞2005年3月1日
コンクリ詰め殺人の元少年、知人監禁で懲役4年

知人男性を監禁、暴行し負傷させたとして、逮捕監禁致傷罪に問われた元会社員神作譲被告(33)に、東京地裁は1日、懲役4年(求刑懲役7年)の判決を言い渡した。

神作被告は1988年に東京都内で起きた女子高生コンクリート詰め殺人事件で有罪となった元少年の1人。

判決理由で菊池則明裁判長は「更生が期待されながら犯行に及んだことは社会に大きな影響を与えた。前の事件を脅し文句に使っており、真に反省し再出発を図ったか疑問の余地がある」と述べた。一方で「前科が周囲に知れ、更生意欲をそぐことにつながったことも否定できない」とも述べた。

判決言い渡し後、菊池裁判長は「責任を果たしたら今度こそ、本当の意味での再出発を期待しています」と説諭した。

判決によると、神作被告は昨年5月、東京都足立区の路上で知人男性に「女を取っただろう。おれは人を殺したことがあるんだ」などと脅して車のトランクに押し込み、埼玉県三郷市のスナックに監禁して暴行し、10日間のけがをさせた。

被告は、女子高生殺人事件の91年の東京高裁判決で懲役5−10年の不定期刑が確定。服役後、この事件を起こした。(共同)    裁判長のぬるい発言!おまえが第二、第三の被害者を増やすのダヨ!
8. Posted by ミーヤ    February 10, 2009 05:37
1 マジで泣いた。
マジでくやしい。人の痛みがわからないにもほどがある!人間じゃない
9. Posted by    February 10, 2009 10:27
被害者以上の苦しみ味あわせるべきだろ
死刑でもあまいぐらいだろ
被害者が生きてることがありえない
10. Posted by    February 10, 2009 10:29
こいつら殺せよ

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