玉川和正+アートランダム 建築・都市研究所art random

ポートフォリオ建築のカレイドスコープコミュニティモデル?チ人生のセイムスケール

人生のセイムスケール

スケールバー

スケールバー

50音インデックス

age 0-9 (???)
age 10-19
age 20-29
age 30-39
age 40-49
age 50-59
age 60-69
age 70-79
age 80-89
age 90-99
age 100-




WWW を検索
art-random.main.jp
  を検索


powerd by Google

 

 

 

+++アンソロジー+++

『余は汝がいずれなるであろうところのものにして、かつては、汝が今かくあるところのものなりき』
Sum quod eris, fui quod sis.
(
ローマ人がつくった墓碑銘---ユリウスさんより)

天国と地獄の選抜チームがサッカーの試合をした。試合前、「勝ったも同然。名選手は皆、天国にいるから」と語る天使を、悪魔が冷笑していわく、「どうかな。審判は皆、こっちにいるさ」
(欧州の小話)

「かみさま、もし しんだあと いきるんなら、どうして にんげんは しななきゃいけないの?」
(ある米国の子ども)

「あなたはどうして じぶんがかみさまだって わかったんですか?」
(ある米国の子ども)

人生は日常の反復である。だが、いつのまにかずれが入りこみ、同じ行為が変質してしまう。反復とずれ、それが人生の時間の意味だ」
(吉田喜重)

神は人間を、賢愚において不平等に生み、善悪において不公平に殺す」
(山田風太郎)

「人はだれでも可能性を持っている。自分の中にある埋蔵資源をできるだけ発掘して、それに形を与えていく。それが生きるということの意味です」
(鶴見和子)

「私の人生は失敗の連続だったが、その都度、全力を出して失敗してきた。失敗も全力を出せば満足に変わるのである」
(佐藤愛子)

「絶望は人生の通過点に過ぎない」
(梁石日)

「線路を走る列車のように、人生は見えないレールの上を走っていく。そして、終着駅が近いと知ったとき、〈別の人生もありえたのでは〉と夢を見る。しかし、列車を乗り換えることはできない」
(田中 誠)

「我が命は地球より重い。他人の命は犬より軽い」
(山田風太郎)

「人は生まれ、苦しんで死ぬ。人生の要点はそれでつきている」
(正宗白鳥)

「みんないう。いつか死ぬことはわかっている。しかし、「今」死にたくないのだ」
(山田風太郎)

「幸福な人々の死だけ悼もう。つまりごく少数の人々だけを」
(フロベール)

「---いろいろあったが、死んでみりゃ、なんてこった、はじめから居なかったのとおんなじじゃないか、みなの衆」
(山田風太郎)

「雪はげし書き遺すこと何ぞ多き」
(橋本多佳子)

「死が生にいう。〈おれはお前がわかっている。しかし、お前にはおれがわかっていない〉」
(山田風太郎)

「昔の死は、人が、死にゆく人物を演技する喜劇的な悲劇であった。今日の死は、人が、自分の死ぬのを知らない人物を演技する悲劇的な喜劇である」
(フィリップ・アリエス)

「死の瞬間に何人も悟るだろう。---人生の目的なるものが、いかにばかばかしいことであったかを」
(山田風太郎)

「死んで不幸せになった人を、ひとりでも見たことがあるかね」
(モンテーニュ)

「どんな臨終でも、生きながらそれは、多少ともすでに神曲地獄篇の相を帯びている」
(山田風太郎)

「大多数の人間は、死なないですますわけにはゆかないので死ぬだけである」
(ラ・ロシェフーコー)

「いかなる人間も臨終前に臨終の心象を知ることができない。いかなる人間も臨終後に臨終の心象を語ることができない。何という絶対的聖域」
(山田風太郎)

「おいとまをいただきますと戸をしめて 出ていくやうにはゆかぬなり生は」
(斉藤史)

「生は有限の道づれ旅
死は無限のひとり旅」
(山田風太郎)

「〈私の死んだ後、私はどうなるのでしょうか。はっきりおっしゃって下さい〉〈それはすべてであり、そして無だ〉」
(ショーペンハウエル)

「幸福の姿は一つだが、不幸のかたちはさまざまだ、とトルストイはいった。同じように、人は、生まれてくる姿は一つだが、死んでゆくかたちはさまざまである」
(山田風太郎)

「女ほど世にも尊きものはなし、釈迦も孔子もひょこひょこと生む」
(「お血脈」という落語のなかの狂歌)

「知らず、生まれ、死ぬる人、何方より来たりて、何方へか去る」
(鴨長明『方丈記』)

「死をはじめて想う。それを青春という」
(山田風太郎)


「死を何とも想わなくなる。それを白秋という」
(玉野安美)

「人間は正視することの出来ないものが二つある。太陽と死だ」
(ラ・ロシェフーコー)

「同じ夜に何千人死のうと、人はひとりで死んでゆく」
(山田風太郎)

「死は終わりを意味するが、残された者には始まりを意味する」
(E・シュウナイドマン)

「人は死んで三日たてば、三百年前に死んだのと同然になる」
(山田風太郎)

「死刑執行人。---もうろくと事故死をふせいでやるために全力をあげる人」
(アンブローズ・ビアス)

「人生の大事は大半必然に来る。しかるに人生の最大事たる死は大半偶然に来る」
(山田風太郎)

「君の骨も乾かぬうちに、君の名も行為も忘れられた」
(ジョージ・オーウェル)

「もし自分の死ぬ年齢を知っていたら、大半の人間の生きようは一変するだろう。したがって社会の様相も一変するだろう。そして歴史そのものが一変するだろう」
(山田風太郎)

「親も、友達も、みんな死んでゆきました。それくらいのこと、私にだって出来るでしょう」
(田辺澄江)

「靴ヲ隔テテ痒キヲ掻ク。生ヲ隔テテ死ヲ描ク」
(山田風太郎)

「生が終わって死が始まるのではない。生が終われば死もまた終わってしまうのである」
(寺山修司)

「臨終の人間〈ああ、神も仏も無いものか?〉。神仏〈無い〉」
(山田風太郎)

「また臨終の人間〈今、神仏が無いといったのはだれだ?〉。答え無し。---暗い虚空に、ただぼうぼうと風の音」
(山田風太郎)

「多病な私はなぜ生き残っているのだろうかと疑ってみる。あの人はどうゆう訳で私より先に死んだのだろうかと思う」
(夏目漱石『硝子戸の中』)

「死は推理小説のラストのように、本人にとって最も意外なかたちでやって来る」
(山田風太郎)

「自分と他人との差は一歩だ。しかし人は永遠に他者になることは出来ない。自分と死者の差は無限だ。しかし人は今の今死者になることも出来る」
(山田風太郎)

「果実に芯があるように、人はだれでも自分の死を自分の中に持っている」
(リルケ)

「この世で最大の滑稽事とは、自分の死ぬことだ。にもかかわらず、およそ人間のやることで、自分の死ぬことだけが愚考ではない」
(山田風太郎)

「死んでどこかわからんとこへゆくということ---見えない風の中に囚われ、宙に漂う地球のまわりを、激しい力でとどめなく吹き飛ばされてゆくということ---ああ、考えただけでも身の毛がよだつ」
(シェイクスピア『尺には尺を』)

「臨終の人間〈神よ、世界の終わりの日の最後の審判などいわないで、今審判してください。なぜ、いま、私が---〉。神〈では、いおう。最後の審判がいまだ〉」
(山田風太郎)

「あの連中も持っていることを承知の上で、それでも君は「死後の世界」があることを望むのか?」
(山田風太郎)

「最愛の人が死んだ日でも、人間は晩飯を食う」
(山田風太郎)

「死の一秒前の生者〈おれを忘れるな、忘れてくれるな!〉。死の一秒後の死者〈おれを忘れろ、忘れてくれ!〉」
(山田風太郎)

死の瞬間には脳に快楽物質が分泌され、恍惚感が味わえる。
(高柳和江)

「生の快楽と死の苦痛は万人平等である。しからば、なぜそれ以上の平等を求める必要があるのだろうか」
(山田風太郎)

「はかない定めの者たちよ!
人とは何か?人とは何でないか?
影の見る夢--それが人間なのだ」
(ピンダロス)

「毎日死を考える努力を---死を前にすれば、それ以外のことは無意味になります。人に尊敬されたいとか、社長になるかどうかとか、お金持ちかどうかなど、すべては無力です」
(弁護士・升永瑛俊)

「かつて二人の人間がまったく同じ人生の旅をしたことはない。これからもないだろう」
(A・キース)

「人はいずれ死にゆく存在であり、いっときの延命を騒ぎ立てるより、病を通じて人生の神髄を体得していくことの方が人間として崇高なのではないか」
(天外伺朗)

「人を残すのは上の上、名を残すのは中の中、金を残すのは下の下」
(TBSラジオより、誰の言葉だったのか聞きそびれてしまった)

「人生いきちょるだけで丸もうけ」(NHKのテレビ小説「わかば」のおばあちゃんのセリフ)

「どん底にいても、夢を持ち続ければ切り抜けられるんです」
(田辺聖子)

「人は生まれてくるとき世界はみんな私のものだと言わんばかりに手を握りしめているが、死ぬときは、ほらごらんなにも持っていかないよ、と言わんばかりに掌をひろげている」
(北御門二郎)

「長生きの秘訣は、素直になることですね。今日一日が生涯と思えば、何でも喜べるし、それが長生きにつながるのかな」
(石川作松 一日一生)

「観念をかなぐり捨てれば、正直も不正直も善も悪も生も死も無色になってしまう、それを見るのは透明な魂でなければならない」
(財部鳥子 萩原朔太郎について)

「心臓が15億回打つと、ゾウもネズミも私たち人間も死ぬ。一生に心臓が打つ回数はほぼ同じだそうである。---人間の場合は40代で打ち終わるのだそうだ。人類の長い歴史を通じて、本来の寿命はそのくらいだった。50歳以降の老いの時間は、自然界には存在しないもので医療技術などにより人為的に作られた、いうなれば“おまけの人生”」
(本川達雄著『おまけの人生』の吉田直哉による書評より)

「人間の成し得ることはすべて風にすぎない」
(ギルガメッシュ叙事詩-3800年ほど前の粘土板に刻まれた文字)

「個性は捨てるためにあるものである」
(しりあがり寿)

「例外的な立派な人もいるでしょうけれど、生物としての限界、脳の限界というものが歴然とあるから、そうなる前に、もう俺はこれで辞めるんだ、とディクレア(宣言)すべき」
(丹羽宇一郎)

「人間とは本能が壊れてしまったため、本能にかわる「幻想」にすがって生きている動物である」
(岸田 秀「唯幻論」)

「大きな山を見ず、足下の小石を見て---」
(朝青龍)

「星を数えるな、井戸に落ちるといけないから」
(ブルガリアの諺)

「狼の首の太いのは、それだけの仕事をしたからだ」
(ブルガリアの諺)

「琴になり下駄になるのも桐の運」
(江戸川柳)

「ボウフラも蚊になる前の浮き沈み」
(ある川柳)

「散る桜 残る桜も 散る桜」
(良寛?)

「「長生き」が地球を滅ぼす」
(本川達雄の著書名)

 

 

人生のセイムスケールとは?


01-セイムスケール(空間のセイムスケール)

建築の世界では、新しい建物を計画する際、よく知られた古今東西の建物の平面図や立面図を同じサイズ、スケール(縮尺)で並べて空間の大きさや高さ、そしてコンセプトを比較するセイム スケールというプレゼンテーションの方法がある。

ボクも処女作「仙録苑」が竣工したとき、その処女作とサンピエトロ寺院やコルビジェのサヴォア邸など古今東西の名建築とのセイムスケールのドローイングを記念に作成しました(図-1)。これから建築の世界で生きていくささやかな宣言でもあったかもしれません。25歳の時でした。

空間のセイムスケールを最初に作ったのはいったい誰だのだろう?
日建設計の林昌二さんに聞いてみよう。
---(昨夜(2006.09.21)SDレビューの25周年記念パ-ティで林昌二さんに久しぶりにお逢いしたので伺ってみた。空間のセイムスケールを最初に作ったのはやはり林さんだった。)


02-人生のセイムスケール(時間のセイムスケール)

ならば時間のセイムスケールを作ってみようと考えた。人生のセイムスケールである。時、あたかも2001年7月9日。

古今東西・老若男女の「存在と精神の系譜」を編年体でも、アイウエオ順でも、概念別でも、分野別でも、地域別でもなく、かといって恣意的な序列や順序、ランキング形式(ベストテンとか千夜千冊とか)でもない、この世に存在した生涯日数のみで再配置してみるというもの。それによって絶対的歴史年やジャンルの枠を飛び越えるのではないか。複雑な全人類史を単純な法則で再構築する。あらゆるヒエラルキーに抗する意味あるフラットな分類を目指して---。

当初、人生の生存期間(享年/行年)によるこの分類は、不遜にも世界初のものだと思って自負していた。世の中にないなら自分で作るしかないではないか。

が、作業を進めて半年後、山田風太郎の『人間臨終図鑑I, II, III』(徳間文庫)に出会ってしまった(図-2)。愕然とした、すでにやられてしまっているのである。臨終場面においては、先人の名著に敵うものではない。この日を以て山田風太郎の信者となった次第。

勝手に二代目・風太郎として、その遺志を継ぐことにした。できうる限り、即物的にデータベースとして使えるよう二代目は方向転換。「質」より「量」である。ボクは大学の先生でも作家でもないのだからそれでいいではないか。「量」が「質」に相転移する日が来ることを願って「一千一人物語」を目指すことにあいなった。

さりとて、人名辞典を作りたいのではない、「存在と精神の箱」を作りたいのです。この「人生のセイムスケール」はジョゼフ・コーネルのように実は「箱」を作っているのです。それは「私書箱」であり「死所箱」であり、「バイオグラフィック・ボックス=VGB」とでも呼ぶもの。略してバイボ。この「形式」こそが重要なのです。

一つのバイボは決して単独で存在しない。繋がっているバイボを次々と呼びあって一つの物語状のかたまりを形成する。

「千人供養」のつもりで写経をするようにコツコツ作業を初めて3年半、2004年元旦にはいつの間にか1191人に達していた。次は
「三千世界」三千世界の烏を殺し 主と朝寝がしてみたい に向かうことになってしまった訳です。かわりに、死ぬまでつぶせる最高の「おつとめ」を手にすることになりました。ライフワークというやつです。

皆さんのサポートのおかげで、2007年06月27日バイボ3000達成、 3000人目の登場人物はお登勢でした。次は「詩仙堂」ならぬ「四千堂」建立が目標です。

この箱さえ作っておけば、いずれボクでない誰かが、音楽や動画、そしてグーグルアースをつかって、出生地などをピンポイントで表示できるよう加上してくれるでしょう。あるいは今世紀末あたりに同じような志をもった人が出てきた時に役立つでしょう。「人セム」は人類の相続遺産なのだから。

「大きな物語」の喪失した現在、「小さな物語」=「人生のショートポエム」の集積とネットワークによる「終わりのない人生の森の物語」は、どこへ向かうのだろうか。まさに「終わりのない旅」でボクにはわからない。  建築家の端くれにして設計図がないのである。ただ言えることは、この「おつとめ」をするためにボクは今生かされている。「かせぎ」ではなく「つとめ」として。

 

03-享年の偶然と必然(人生のシンクロニシティ)

そうした人生のセイムスケールを作り始めてみると、ある人とある人の不思議な縁(えにし)、意外な共鳴現象、思わぬ共時性が見えてきた。「人生のシンクロニシティ」である。享年の非因果的連結と呼び直してもいい。

例えばスポーツの沢村栄治、円谷幸吉、玉の海は27歳で急逝した。ロック界のブライアン・ジョーンズは心臓発作で、ジャニス・ジョプリンはヘロイン中毒で、ジム・モリソンは心臓発作で、ジミ・ヘンドリックスは睡眠薬の多量摂取でそれぞれ27年の生涯を終えた。ちなみに、尾崎豊も26年4ヶ月と26日の生涯で夭折。

青木 繁は28年3ヶ月と12日の生涯で病没。エゴン・シーレも愛した妻の死の3日後に、スペイン風邪で死亡し28年4ヶ月と19日の生涯を閉じた。

反幕派の吉田松陰は安政の大獄で斬首され、29年2ヶ月と1日の生涯。坂本竜馬とともに薩長同盟の実現に努力した中岡愼太郎 も、竜馬とともに京都で暗殺され29年7ヶ月と4日の生涯を閉じた。

幕末の京都に名をとどろかせた新撰組を組織し、初代隊長となった水戸藩浪士・芹沢 鴨は近藤方の手で謀殺され33年?の生涯。その芹沢暗殺を命じた新選組の局長・近藤 勇も官軍に抵抗して捕えられ斬首し33年6ヶ月と16日の生涯だった。

モーツァルトと正岡子規が共に35歳前後で他界している。洋の東西、何の関係もない二人だが、享年が同じというだけで何かがシンクロしてくると感じるのは私だけだろうか。モーツァルトは他殺説もあるが、35年10ヶ月と8日で病死。正岡子規は結核に侵された上、脊椎カリエスで寝たきりになり、34年11ヶ月と5日の生涯だった。

楊貴妃は安禄山の叛乱から玄宗と逃走中、宦官が絞殺され、マリー・アントワネットはフランス革命でギロチン処刑で共に37歳?の人生を終えた。ちなみにクレオパトラは、39歳でローマ軍との決戦(アクティウムの海戦)での敗北で自殺。

ルネサンス期のラファエロは性病を誤診され、誤った処置をしたため衰弱死、印象派のゴッホはピストル自殺で共に37年の生涯。さらに二人とも牡羊座だった。『イリュミナシオン』で知られるフランスの詩人ランボー 、法華経ワールドの詩人である宮沢賢治の二人も37歳で早世した。

ジョン・コルトレーンは40年9ヶ月と24日、そしてジョン・レノンが40年1ヶ月と29日で音楽界の二人の偉大なジョンが旅立っている。

1919年、ローザ・ルクセンブルクとカール・リープクネヒトの革命家カップルがともに虐殺され47年の生涯を閉じた。日本では、前年の1918年、島村抱月がスペイン風邪から肺炎で47年の生涯を終え、松井須磨子が32歳でそれを後を追って自殺。島村抱月は近代演劇の創始者だが、同じく新演劇(新派)開拓の先駆者川上音二郎 も、天井桟敷の寺山修司も47年の生涯。何という因縁。

石原裕次郎は動脈瘤/肝細胞癌で52年6ヶ月と19日の生涯を、美空ひばりは間質性肺炎にともなう呼吸不全で52年と26日の生涯に幕を閉じた。昭和を彩った男女の大スターの人生が重なる。

空海は癰と呼ばれる皮膚や皮下組織に生じる急性化膿性炎症で60年9ヶ月と6日の生涯、日蓮も60年7ヶ月と27日の生涯で共に還暦で他界。「マンガの神様」手塚治虫が60年3ヶ月と6日の生涯、「萬画の王様」石ノ森章太郎が60年と3日の生涯、共に還暦で他界した。

レオナルド・ダ・ビンチが67年と17日の生涯、ポール・セザンヌが67年9ヶ月と3日の生涯、安井曾太郎は67年6ヶ月と27日の生涯。画家ではないが、未来派を推進した詩人マリネッティも67年11ヶ月と10日の生涯だ。

釈迦が78年10ヶ月と7日?の生涯、法然(源空上人)が78年9ヶ月と18日の生涯でともに老衰にて天寿全うしている。また宗教家千石イエス/千石剛賢も78年4ヶ月と29日の生涯だった。
偉大な建築家の享年も78年あたりに集中する。吉田五十八は78年3ヶ月と5日の生涯、アルヴァー・アアルトは78年3ヶ月と8日の生涯、白井晟一 も78年9ヶ月と17日の生涯だった。ちなみに近代建築の巨匠ル・コルビジェは77年10ヶ月と21日の生涯と比較的近い。
さらに、サルトルのパートナーであるボーヴォワールと毛沢東の夫人江青(チャンチン)も同じ78年の生涯だった。

79年の生涯には日本のさまざまな文豪が参集する。永井荷風は79年4ヶ月と27日、谷崎潤一郎は79年と6日、今東光は79年5ヶ月と24日、横溝正史79年7ヶ月と3日、石川達三も79年6ヶ月と29日、大岡昇平も79年9ヶ月と19日、山田風太郎も79年6ヶ月と24日の生涯で人生の幕を下ろした。また、フランス大統領シャルル・ド・ゴールは79年11ヶ月と17日の生涯、フランソワ・ミッテランも79年2ヶ月と13日の生涯で、ともに蠍座だった。

アンリ・マチス、サルバドール・ダリ、イザム・ノグチ、岡本太郎など偉大なる芸術家が84歳で他界している。詳細はわからないが、伊藤若冲も人生のセイムスケールを同じくしている。

87年と言う人生は3人の偉大な女性の生涯がリンクされている。ヘレン・ケラー とマザー・テレサ、そして市川房枝である。ヘレン・ケラーは87年11ヶ月と5日の生涯、市川房枝は87年8ヶ月と27日の生涯、はマザー・テレサ87年?の生涯だった。

88年の米寿には偉大な画家と浮世絵師が並んでいる。ミケランジェロと北斎だ。ルネサンスの巨匠ミケランジェロは88年11ヶ月と30日の生涯、江戸の浮世絵師葛飾北斎は88年6ヶ月と26日の生涯だった。

逆に、夏目漱石と竹久夢二が同じ49歳で他界した意外な事実にも驚かされた。夭逝したというイメージの夢二の方が実際には1ヶ月半長生きしている。

写経のようなつらい「おつとめ」も、この驚きがあるからやめられない。これらはほんの一例だが、はたして結果論だろうか、それとも何かの因縁か?
これらの符合をすべて必然と思うほどオカルティックでもなく、すべて偶然と感ずるほどモダニスティックでもない。ここでの立場は、偶然と必然の淡いの中にあるとしたい。
とてつもなく辛く楽しい作業にハマってしまった。


04-自分の年齢と照合してみる(マイフェアー・マイブーム)

巷では「○○生誕百年」とか、「□□没後200年フェア」 のような企画が溢れている。そうした絶対歴史年ではなく「自分は今年は45歳、だから享年45歳の三島由紀夫を読んでみる」みたいな自分史の中で、それぞれがみうらじゅん的なマイ・フェア、マイ・ブームを作ってみるのもアリではないか。

先人が“いかに生まれ、いかに生き、いかに死んだか”を知ることは、心のビタミン剤となり、脳の「ヒューマニン」を活性化するはず。人生のサプリメントに他なりません。このサプリメントは「読む薬」なので副作用はありません。

「よくぞここまで生きてきた」と自分を誉めるもよし、「思えば遠くへ来たもんだ」と感慨に浸るももよし、「△△に比べて俺は何もしていない」と嘆くもよし、別の人生に思いをはせるもよし。「セラヴィ」(これが人生)です。自
らの人生の道程を栞にしてみましょう。日々のつらい人生に、何かしらの励みを与えてくれるはずです。現世のサウダージ!

人生を歩みだした無限の可能性がある若いあなたには「人生のハローワーク」として読んで頂きたい。時代と環境と遺伝子が織りなす関係性のモザイクを。いろんな生き方があること、あったことを伝えたい。また、ここにあるデータをさらに解体し別の場所へ連れて行ってくれることを楽しみにしています。

「人セム」は「人生」のポータルサイト。「人セム」はいつでもリサイクルできる究極の無尽蔵の資源であり、誰のものでもない人類の相続遺産です。

05-御自由に追加を(オープン・ソース)

「人間の歴史を真に動かすものは、その網目に洩れたる無数の塵芥、雑魚どもである」(田辺聖子)。

「人生のセイムスケール」は偉人伝ではないので、誰をノミネートしても一向に構わない。思想的な右左も宗教の別も関係ない。いわんや、善悪もである。茶席に合わぬ話題を並べた狂歌があるが、これと同じスタンスである。「わが仏、隣の宝、婿しゅうと、天下の軍(いくさ)、人の善悪」。唯一のルールは、この世から離陸しているという一点にあるのでございます。さりとて、隣のおじさんというわけにもいきますまい。

中には忠犬ハチ公や、日本最後のトキ・キン、サルの次郎などの動物や、シャーロック・ホームズなどの作中人物も含んでいます。またボクの個人史の中で忘れられない存在もあります。自分にとって大切な人、思い出のある人の享年をご自由に追加して下さい。「人セム」はオープン・ソースを旨とします。

ある時(重大な転換期)をもって「自分は死んだ」として書き込んでみるのもいいでしょう。人生はリセットできるのです。「リセット」とは“マッサラ”にすることではなく、「あらゆる関係性の再構築」に他なりません。リセットボタンを押して、引っ越しでもするように、何度でも人生をリスタートしてみませう。

ちなみにボクは30年と30日で一度リセットボタンを押しています。来年あたり、またリセットするかもしれません。

06-生涯年月日について(おことわり)

私たちは年齢を数えるとき、ほとんどの場合満年齢を使うが、「数え年」という方法もある。満年齢は、生まれた時を0歳として、誕生日が来ると一つ年を加える数え方。これに対して、「数え年」は、生まれた時を一 歳と数え、そのあとは正月を迎えるたびに一つ年を加えていく数え方。新しい命が母のおなかに宿り、赤ちゃんは「十月十日」を、その胎内で育つ。実際には270日前後、生命の誕生と同時に、すでに母のおなかの中で人間として育てられている、との考え方から数え年がある。

亡くなった人の年を表す「享年」「行年」も数え年をあてることになっている。享年は「天から享けた年」の意味。人の生きていた年数、死んだときの年齢である。

ここでの生涯年数は満年齢、すなわち没年月日マイナス生年月日で統一した。閏年もあるので誤差もあるはずだが、そこまでは厳密ではない。生年月日、死亡年月日までわからないものは、単純に没年マイナス誕生年で割り出したため、実際の享年と最大で1年弱のくいちがいはあると思われる。ご了承いただきたい。


07-暦について(おことわり)

暦にはたくさんの種類がある。【グレゴリオ暦】【ユリウス暦】【旧暦】【天保壬寅元暦】【太陽暦】【太陰暦】【イスラム暦】【皇紀】 などなど。(詳しくは008のコラムで触れている)。

「人生のセイムスケール」は人生の生存期間による分類なのだが、生年月日、没年月日は書籍、新聞、インターネットから入手したもので○○暦と特記がない限り、それは西暦(グレゴリオ暦)であるものと見なして扱っています。

ユリウス暦では1年を365.25日としており、実際の1年にくらべて11分の14秒ほど長くなっているので、128年に1日の誤差が出る。このため、16世紀には春分の日が3月11日まで早まってしまった。そこで、グレゴリウス13世はユリウス暦の改革を断行。この暦は、「グレゴリオ暦」と呼ばれている。まず、新たに「100で割り切れ、かつ、400で割り切れない年は閏年にしない」という規定を加えた。これにより、1年が365.2425日となり、約3300年に1日の誤差となった。また、春分の日を元に戻すため、日附を10日間先に進めて、1582年10月4日の翌日を10月15日とした。

上記のよる閏年の補正もしていません。ボクは暦の専門ではありませんし、ボクの「おつとめ」の範囲を超えるものと思っています。ですから、あくまで人生の並木道の並木の順番を決めるアドレスと思っていただきたい。厳密を求める方は、チャレンジしてみてください。

イエス・キリスト(032)でも書きましたが、キリストの誕生年が西暦のBCとADの境としたのは計算間違えだった。キリストの生没年はわかっていない。ボクたちの歴史はこのようなあやふやな起点を元に測られている“ゆらぎ”や“ずれ”のあるものです。

 

08-文章・写真について(おことわり)

「人生のセイムスケール」は“「編集の編集」の再編集”です。内容の性格上、文章の90%以上は世の中ですでに何時か、何処かで、誰かによって書かれたものです。それを猟歩して書きとめ、再構築したものにすぎません。

とりあげた人物の年表、略歴、内容の多くは、書籍・新聞・インターネット上の様々な文章を引用、ないし参考にせざるを得ませんでした。それらの諸著書籍の文章に対して深く謝意を表すものです。

また、20年来サンプリング、カットアップ、リミクッスしてきた文章はもはや出典もわからないほど迷宮に入ってしまいました。
2003年12月の文章よりリライトも含め、出典先をできる限り明記してまいります。さしさわりのある文章がありましたらご連絡下さい。削除させていただきます。

画像についても同様に書籍・新聞・インターネット上から入手したものです。(したがって、ほとんどの画像は私どもに版権は一切ありません)「許可なく転載を禁ず」以外の画像を使っていますが、さしさわりのある画像がありましたらご連絡下さい。削除し、他のものに差し替えさせていただきます。

文章・画像の掲載については「フェアユースの法理」に則るものとします。(フェアユース:fair use)
その他の免責事項は「
Wikipedia:免責事項」に準ずるものとします。

すべての存在のプロフィールは、地図と同じように人類共通の情報インフラであると考えます。「人セム」は情報基盤であり地図作りと一緒であると考えます。

 

09-「バイボレーター」募集のおしらせ

「人生のセイムスケール」(バイボ)の登場人物のイラストを広く募集します。いつの日にか分かりませんが、いずれ出版(特に出版という形態にこだわるものではありません。むしろ「人セム」は紙媒体に向いてないのかも知れません)することを念頭に置いています。そのため著作権を侵害しない肖像(イラスト)がどうしても必要です。

報酬は今のところゼロ、印税が入ったら山分けしませう。そんなんでよければ、あなたもバイボレーターになって下さい。

絵心は不要です。上手-下手、似てる-似てないは二の次、三の次です。要はその存在に惚れているかどうかです。
ただし、モナリザのポスターに髭を付けただけのデュシャンの作品はありますが、写真を機械的に処理・加工しただけのものは不可とさせていただき来ます。(著作権的に)

バイボレーターはプロアマは全く問いません。30人集まれば一人100点、300人集まれば一人10点で3000点のバイボレーションになるのです。どこかの学校の美術の授業でやってみるのはどうでしょう。美術と世界史・日本史の統合授業になるはずです。さらに、現代国語と古典と英語も含めた総合授業になるでしょう。物理と化学も入ってきますね。そして、なにより「生きることの意味」を考えるきっかけになりませう。ご要望さえあれば、ボクと玉野安実は全国どこへでも協力に行く覚悟です。

本来ならば、プロのイラストレーターや敬愛する南伸坊大先生に3200人分のイラストをバーンと発注したいところですが、その夢も資金不足ゆえ叶いません。今は障害のある玉野安実嬢の細腕と数人の協力者に頼る以外ありません。そのためスポンサーも大募集です。

今年はこの広告を定期的に流します。目障りかとは思いますが、ご理解とご協力を!
I am calling you!

20未満のキミもオジサンは待ってます。



10-「人生のセイムスケール」の基本姿勢

かつて建築家コルビジェは「設計---それは考えるに価することに秩序を与えることである」といった。しからば「人生のセイムスケール」を作り続けることも設計行為に他ならないだろう。

「都市の遊歩者」と呼ばれたベンヤミンの『パサージュ論』は重層的な範列性を特徴とする。この本の構造は、ほとんどが引用と思想断片からなっている。一種独特の形態をもったこの本は、本と呼ぶにはふさわしくなく、彼自身がそう名付けたように「仕事」と呼んだ方がいいようだ。

『パサージュ論』は「書かれた」ことに意味があるのではなく、「書きとめられた」ことに意味を持つ本である。その精神はこの「人生のセイムスケール」の基本姿勢としたいものです。

作家の森 絵都さんが書いている。「---やがてあの瞬間が訪れた。ぞわっとするような身体感覚を伴い、文章の一部に「ひどくしびれる」あの瞬間。リーダーズ・ハイとでもいうべきか---それを書いた筆者の感覚と、それを読む自分の感覚とが、まるでその隔たりをはねのけるようにして重なりあう。私が言いたくていえなかったこと。もやもやと胸に抱きながらも形にできずにいたことを、なぜこの人はこんなにも的確な、そして鮮烈な言葉に置き換えられるのだろうか?」。この「リーダーズ・ハイの感覚」は小説などの物語だけではなく、あらゆる情報の中にも潜んでいる。それらをすくい取っていきたい。

また、バイボのデータはほぼ毎日更新中。いろんな情報、ご意見、ご感想、ご批判、叱咤激励などをBBSもしくはメールにてどんどん送ってください。
登場人物は当然ボク自身の偏りがあります。その偏りはリクエストで補正してください。可能な限り掲載してゆく所存です。

アイム・コーリング・ユー!

2004年07月30日から、新しい登場人物をbbsで毎朝紹介、始めました。みんなで目指そう世界遺産!


11-「人生の幸福の量・保存の法則」(蛇足)

蛇足ながら、こうして総覧してみると、人生の幸福の量は一定であるとつくづく感じざるを得ません。何を幸福と呼ぶかにもよりますが、それでもあえて「人生の幸福の量・保存の法則」と呼びたい。これには反論もあるでしょう。

「幸福」という(「不幸」でもいいのですが)曖昧で主観的で、相対的な混沌に目鼻を付けたい、その概念を物質化したい。そこで、あえて「人生の幸福の量・保存の法則」というふうに呼んでみた。幸福の中身、量が計量できないなら、いや、できないからこそ、いっそ「人生の幸福の量・保存の法則」もあり得るのではないか。

ピカソの子どもマリーナ・ピカソを例に出すまでもなく、残された家族や遺族、関係を持った人々の思いを加味するならば、このことはさらに鮮明になることでしょう。

人生とは「サスティナブル(維持可能)な自由を求めること」だとボクは思います。安定した自由などこの世に存在しないから。サスティナブル・フリーダムを求めた存在と精神の軌跡として「人生のセイムスケール」は存在し、その1点においてのみ「人生の幸福の量・保存の法則」は成立するのではないか。

人は、維持可能な自由=サスティナブル・フリーダム(パーフェクト・リバティではない!)を求め漂うしかない。その軌跡こそが「人生」であり、どんな軌跡も「自由-安定」の軸上で積分したならば、その値=「幸福の量」は、ほぼ同じになる。---という冗談のような仮説(でもマジです)。

これはやはり蛇足。ボクの主観が入りすぎて、見た人に拒絶感を与えるかもしれませんね。 しかし最近、「人生の幸福の量・保存の法則」を支持してくださる人も現れました。→校長日記2006年1月 5日 (木)



12-さあ、兎にも角にも時間を超え、空間を越えた

“地球街道での人生の並木道”
“存在と精神のパサージュ”
“人生のスター・ダスト・レビュー”
“時代と環境と遺伝子が織りなす森林”
“人生のハローワーク”
“もう一つのデス・ノート、エンディング・ノート”
“享年の非因果的連結”
“シンクロニシティの周期律表”
“三千世界を目指した別世界通信”
“バイオグラフィーによる人生劇場”
“未来への相続遺産/宇宙人へのデジタル・アーカイブス”
“人生の後成的風景(エピジェネティック・ランドスケープ)”
“鬼籍に入った存在の過去帳・閻魔帳”
“人生のカレイドスケープ”

をつらつらと逍遥散歩してみませう----。 

 (2009.01.18更新-バイボの墓守・たま記)

 

2001年07月09日:「人生のセイムスケール」を思い立ちました。

2003年05月09日:「人生のセイムスケール」をサイトアップ。
 一人目はマリリン・モンローだったと思います。

2003年09月20日:50音インデックスを設置しました。

2003年12月28日:登場人物が1000人に。「千人供養」の達成です。

2004年06月01日:ほぼ全画像をサイトアップ。

2004年07月02日:登場人物が1400人になりました。

2004年07月16日:リンネ記号(♂♀)を鼓動マークとして設置。

2004年07月30日:新しい登場人物をbbsで紹介、始めました。

2004年08月10日:水野哲也氏による新ロゴマークを全ページにアップ。

2004年09月16日:バイボ、1500人目の登場人物は伊藤野枝でした。

2004年10月30日:保存容量をアップするためサイトを引っ越し。

2004年12月14日:bbsリニューアル、簡易検索エンジン搭載。

2004年12月24日:「月刊ランティエ」創刊(角川事務所)。
     コラム「人生のシンクロニシティ」連載開始。

2004年12月28日:バイボ、1600人目の登場人物は中城ふみ子でした。

2005年03月14日:1700人目の登場人物はカミーユ・クローデル

2005年05月23日:バイボ、1800人目の登場人物は大島みち子でした。

2005年09月09日:1900人目の登場人物はジャンヌ・エビュテルヌ

2005年10月24日:「月刊ランティエ」 師走(角川事務所)。
     コラム「人生のシンクロニシティ」は連載打ち切り。

2005年11月26日:バイボ2000人目の登場人物は金子文子でした。

2006年01月24日:2100人目の登場人物はアルマ・マリア・マーラー

2006年03月20日:2200人目の登場人物はロザリンド・フランクリン

2006年05月12日:2300人目の登場人物はアン・サリバンでした。

2006年07月23日:バイボ 2400人目の登場人物は長谷川泰子でした。

2006年07月25日:スパム対策のためBBSを引っ越しました。

2006年09月16日:バイボ2500人目の登場人物はガラ・エリュアール

2006年11月05日:バイボ2600人目の登場人物はアリス・リデル

2007年01月01日:バイボ2700人目の登場人物は李方子/イ・パンジャ

2007年02月26日:バイボ2800人目の登場人物はコジマ・ワーグナー

2007年04月23日:バイボ2900人目の登場人物は湯浅芳子でした。

2007年06月27日:バイボ3000人目の登場人物はお登勢でした。

2007年09月07日:バイボ3100人目の登場人物は安井かずみでした。

2007年12月08日:バイボ3200人目の登場人物は山口小夜子でした。

2008年04月07日:バイボ3300人目の登場人物はハトシェプスト女王

2008年07月25日:バイボ3400人目の登場人物は木村霊山尼 でした。

2008年11月06日:バイボ3500人目の登場人物は麻生和子 でした。

2009年02月10日現在:3588人が登場しています。

遥か彼方のバイボ 4000人目の登場人物は麻耶(マーヤー) 夫人を目標に(目標)。

さらに遥か彼方のバイボ 5000人目の登場人物は聖母マリアを目標に(希望)。


        写経のごとく、ほぼ毎朝どこかを追加・更新中!
    “ひとりでも覗いてくれる人あらば 毎朝更新ボクのおつとめ”
      “人知れず登場人物千五百 三千世界への道半ばにて”
 “日に新また日に新是バイボ 汲めど尽きせぬこのルーティン・ワーク! ”
       “酷暑にてグーグル 人セム ウィキペディア”

 

■contact コンタクト   玉川和正+アートランダム
住所:〒151-0051 東京都渋谷区千駄ヶ谷3-21-10-702
TEL:03-3404-0709
FAX:03-3405-0364
E-mail:art-random@fd.main.jp
URL:http://art-random.main.jp

 

★タイムスケールから、お好きな年代を選んでください。ジャンプします★

 

■セイムスケールの使い方
上部のタイムスケールから、お好きな年代を選ぶと、各年代のはじめの年齢のページに行くことができます。また、50音インデックスをクリックすると、50音順に並んだ人名の中から、お好きな人物のページに行くことができます。


▲図-1:空間のセイムスケール
 「Same Scale」玉川和正 
 1982年 グラフィック社
『現代建築家ドローイング集成』


▲図-2:山田風太郎著
『人間臨終図鑑I, II, III』 
(徳間文庫)

 

「くよくよすることはない。人間の死亡率は100‰」
(綾小路きみまろ)

「神は、われわれを人間にするために、何らかの欠点を与える」
(シェイクスピア)

「チャンスはすべての人の扉をノックする」
(セロン・Q・デュモン)

「オレはやるぜ---」
「何を?」
「何かを。」
(石原まこちん)

「銀河系の星が2000億個あるのに対し、脳の神経細胞は1000億個あることから「内なる宇宙」という言葉ができた」
(伊藤正男)

「あきらめずにいろいろな人生の選択肢を模索してほしい。---著者の林望さんが主張しているのは、貧乏が美しいのではなく、そこそこに働いてほどほどに生きるということ。拝金主義でも清貧の思想でもない、真ん中がいいんです」
(森永卓郎)

「こうしてこうすりゃこうなるものと知りつつこうしてこうなった」
(江戸期の人、都々逸坊扇歌)

「他人(ひと)は変えられないけど、自分は変えられる」
(臨床心理学博士・丸屋真也)

「〈英語がしゃべれない〉と言ったらコンプレックスになる。〈英語はしゃべらない〉と言えばプライドになる」
(伊奈かっぺい)

「母親にあらがふ詭弁のスルドキをわが聴いている参考までに」
(歌人・島田修三)

「小言聞くときゃ頭をお下げ 下げりゃ意見が通り越す」
(俗謡)。

「親の意見と冷や酒は、すぐに効かずに後で効く」
(俗謡)

「余命半年。死ぬのは怖くない。忘れられることが怖い---。」
(秋本康著『像の背中』)

「人生は自分で蒔いた種しだい」
(木原光知子の母の絵手紙)

子ども時代を、カトリック系の施設で過ごした井上ひさしさんは、「この世は涙の谷」と教わったという。「99%は悲しいかも知れない。でも残りの1%の楽しいことを目指して行くのが人生。それには自分の好きなことを見つけることが大事」
(井上ひさし)

「毒性学の一般原理によれば、この世で毒にならないものはほとんどない。同じものが、処方によっは毒にも薬にもなる。愛とても同じことである」
(脳科学者・茂木健一郎)

「今日より若い日はないんだ」
(大澤悠里)

「自由の精神は厳格な規律の中ではぐくまれる」
(池田潔)

「寺は〈心の安らぎ〉を説法するより、様々な揉め事の仲裁機能に回帰したらどうかと考えさせられた」
(高橋秀美)

「勝ちに不思議な勝ち有り、負けに不思議な負けなし」
(野村克也)

〈先憂後楽〉――憂うべきことがあれば、世に先立って憂い、楽しむべきことは、すべての人に楽しませ、自分は最後に楽しむ。

「失敗は、顔だけで充分です」
(綾小路きみまろ)

「人は泣きながらは生まれない。完全に生まれ終わってから、その事実に驚いて、取り返しのつかなさに激しくじっくりと泣くのである」
(池田澄子)

「不幸という単語はケニアには存在しないんです」
(佐藤幸男)

「アイディアは、左からでも右からでも「アイディア」と読むことが出来る」
(田口犬男)

「人間がこんなに悲しいのに 主よ 海があまりに碧いのです」
(遠藤周作)

「命は自分のためだけのもの?あたしはテナーに生かされた、だから生きなきゃいけない、生きて次の誰かに命を引き継ぐんだわ」
(ゲド戦記)

「こころにも筋肉付けましょう」
(森光子)

「毎朝鏡に向かって「今日が人生最後の日だったら、自分は今日するはずだったことをやっぱりしたいと思うだろか」と問うてみる。Noという日が何日も続いたら、何かを変えないといけないタイミングということ」
(スティーブ・ジョブズ)

「ハングリーであれ、愚かであれ(Stay Hungry. Stay Foolish.)」
(ステュアート・ブランド)

「人生は現品限り」
(TBSのあるコーナーより)

「私は生き直すことができない。しかし、私らは生き直すことができる」
(大江健三郎)

「思いっきり笑うと、体が軽くなった気がします」(65歳女性)
「気のせいです。体重は変わってないはずです」(綾小路きみまろ)

「〈ほどほどの養生〉による〈ほどほどの健康〉を得て〈ほどほどの生〉を終えること」
(新村拓)

「本の数だけ学校がある」
(読売新聞2006.12.04)

「親苦労する、その子楽する、孫家を売る」
(読売新聞2006.12.03)

「コンセスター=進化過程で種が分岐した地点に位置する共通通の祖先」
(リチャード・ドーキンス)

「“何もかも”はできなくとも、“何か”はきっとできる」
(チャイルド・スポンサーの新聞広告より)

「生きてるなんて、しょせん死ぬまでの暇つぶし」
(実相寺昭雄)

「万有引力とは
ひき合う孤独の力である
宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ会う」
(谷川俊太郎18歳『20億光年の孤独』より)

「ツケの大きさはだいたい、予兆や事実を無視したり、隠したりして、得をしたつもりになっている金額の300倍くらいになる」
(「失敗学の法則」畑村洋太郎)

「失敗を隠そうというときは、発覚したら、多大なツケを払わなければならないことを覚悟しておかなければならない」
(「失敗学の法則」畑村洋太郎)

「人生にはおもいがけない『まさか』という坂がある」
(瀬戸内寂聴)

「相手が変われば、それはいつも初恋」
(山田詠美)

「合理主義に立てば、確かに星占いは「迷信」だ。しかし、星の物語が自分の内面を旨く説明していると思えるなら、占星術は人が内省するための有効なツールたりうるのではないか」 (鏡リュウジ)
---人生のシンクロニシティも同じスタンスに立つ。

「稽古は大根役者と思え。幕が上がれば千両役者と思え」
(舞台人の心構え)

日本将棋連盟会長の米長邦雄さんは、プロ棋士の内弟子だったころ、七段の師匠に「教えてやる」と言われ、「師匠に教わると私も七段止まり」と断って怒りを買った。今では永世棋聖。

「……今から何十億年か前 そんな 遠い昔からの約束のように 今 ぼくが ぼくという形になって ここにいる ふしぎだ」
高階杞一さんの詩の一節。高階さんは息子を3歳で亡くした悲しみを胸に、いのちの言葉を紡いできた。

「鬱病が(病気の中で)世界二位になったという。---人間は本来「鬱」である」
(北山修)

「誰もが何かしらの身体的傷害がある」
(ジム・ミューラー)

「米国の子供たちが神様に手紙を書いた。〈かみさま あなたは きりんを ほんとに あんなふうに つくりたかったの? それとも あれは なにかのまちがいですか?〉」

「それぞれの空に雲は流れる」
(さいとうたかを「ゴルゴ13シリーズ 第470話 PART6より)

「人間の持つ不思議な力は、脳の70%を占める使用してない部分に秘められている。その脳の部分はこう呼ばれる---『NIGHT HEAD』。
(飯田譲治著『誘発者』の新聞広告より)

「見ないで信じる人は幸い」
(ヨハネ伝より)

「夢と希望とサム・マネー」
(チャップリン)

「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく」
(作家、井上ひさしの座右の銘)

「リチャード・ドーキンスは、人が遺伝的に受け渡される以上の知恵と財産を、長い保育期間やその後の人生を通じて伝達しあっている、それゆえに人類は繁栄を享受していると主張します」
(『延長された表原型』紀伊国屋書店)」

「ヒトが一人では満足に生きていけない生物であるがゆえに、「家族」という仕組み作り出された」
(ジャレド・ダイアモンド 『セックスはなぜ楽しいか』思草社)

「残躯は天の赦すところ 楽しまずんばまた如何せん」
(伊達政宗の詩の一節)

「徳は才に勝る」
(コウ・チョン・ヘソン)

「老いは怖くない。目標を失うのが、怖い」
(三浦雄一郎 74歳)

「答えは自分の中にあるのに、分からなくなることがある。それが生きていくこと」
(内田有紀)

「気に入らぬ風もあろうに柳かな」(吉行淳之介)

どん底に落ちたら 掘れ!」
(養老孟司)

世界を変えるのに、自分を変えた方が安上がり」
(養老孟司)

あなたは抜き身の刀。いつもギラギラしている。でも、本当にいい刀は鞘に収まっているものですよ」
(映画『椿三十郎』)

「論はないぞえ惚(ほ)れたが負けよ、どんな無理でも言わしゃんせ」。理屈じゃないのよ、惚れてしまったのだもの…(江戸の俗謡)

「人間の自由とは、諸条件からの自由ではなくて、それら諸条件に対して自分のあり方を決める自由である」(ヴィクトール・フランクル)

「人間の尊さは 自分を苦しめるところにある」(坂口安吾)

「〈情報とは情けで報いる〉と書く」(森まゆみ)

「家が暖かければ、地球を暖めなくてすむ」
(大和ハウスの新聞広告)

システム生物学にとって、基本概念の一つがロバストネス(しなやかな強靱さ)である。ロバストネスとは、あるシステムがさまざまな擾乱に対して一定の機能を維持する能力のことである」(北野宏明、竹内薫著『したたかな生命』 の書評よりリライト)

いつの時代も、いくつになっても、人は誤りを犯したのでは、と感じるもの。それこそが人生」
(ラホス・コスタイ)

小説とは〈ささやかな説〉ですが、その力のいかに強いものか」
(神坂二郎)

「死ぬまで現状維持」
(林家ペー)

「褒められても褒められなくても、するべきことをして去って行くのだ」 (宮崎奕保)

「衣食足りて、ヘンタイ(SM)を知る」(鹿島茂)

「急ぎの仕事は忙しいヤツに頼め」(石田修大の本の題名)

「故人老いず生者老いゆく恨(うらみ)かな」
(菊池寛)

筋肉はビジネススキル、目的は続けること」
(山本ケイイチ)

私の人生は戦いの連続。心臓の動く限り戦う」
(イビチャ・オシム)

問題は解決するためにある」
(中山素平)

生きてるだけでなぜ悪い?』
(中島義道×香山リカ)

神は見捨てられた場所に降り立つ」
(川本三郎)

「カー・クーラー・カラーテレビのかつての3Cは減っている。増えているCはCO2のみ」
(TBSラジオより)

「「まさか」の坂を越えられず、「よもや」の靄(もや)を抜けられず、思慮の不足を悔いの種に変えながら人は生きている。とはいえ世間には無理にでも坂を越え、あらん限りの思慮を動員しなくては成り立たない仕事もある 」
(読売新聞2008.08.27編集手帳より抜粋)

「幸せという現象は、「私」が感じた時だけ存在します---」
(小林正観著『「人生を楽しむ」ための30法則』の新聞広告より )

「日本人は「人並み」というささやかな幸福の基準さえ失いつつある」 (しりあがり寿)

「因果の帳尻はぴたり合う」
(TBSラジオ)

薬の代わりに笑いが処方される時代が来る?/研究されはじめた「祈り」の医学的効果/くさらない、おごらない、屈しない
(村上和男著「アホは神の望み」の新聞広告より抜粋)

「好きな仕事で偉くなるより、好きな仕事で犬のように働きたい」
(弘兼憲史)

「〈失敗〉と書いて〈せいちょう〉と読む」
(野村克也『野村再生工場』)

「八十歳でポルシェを買う」
(五木寛之『遊行の門』)

「にもかかわらず生きる」
(ブラック・ジャック)

「我事において後悔せず」
(宮本武蔵)

「〈水が引けばアリが魚を食べ、洪水の時は魚がアリを食べる〉――世の中が変われば、身分関係もひっくり返る。栄枯盛衰は世の習いに当たるタイのことわざだ」
(読売新聞2008.12.03夕刊「よみうり寸評」より抜粋)

「立派なことが書いてある本はどうせ嘘だから読まない」
(本田宗一郎)

「人生は小兒の遊戯だ。将棋遊びだ。主権は小兒の手中にある」
(ヘラクレイトス)

「墓場は、いちばん安上がりの宿屋である」
( ラングストン・ヒューズ )

 

スケールバー

スケールバー

 


人生のセイムスケール建築のカレイドスコープコミュニティモデル「やりくり新首都」十箇条ポートフォリオ
トップページprofilelink

メールはこちらまで : art-random@fd.main.jp
Copyright(c) 2003 Kazumasa Tamagawa, All rights reserved.

当サイトは Internet Expolorer4.0 以上、Netscape Navigator6.0以上、Javascript ON でご覧ください。