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社説:イラン 革命30年を変身の機会に

 79年2月10日、イランの首都テヘランで激しい市街戦が続いた。当時のパーレビ王制を支持する親国王派と、ホメイニ師を信奉する革命勢力の衝突である。この戦いはほどなくホメイニ師派が勝利を収め、中東随一の親米国家イランは、独特の統治理論を持つ反米国家に様変わりした。

 それから30年。バイデン米副大統領はドイツ・ミュンヘンで開かれた安保政策会議(7日)で、イランとの直接対話を望む意向を示した。長年、大きな不安定要因といえた米・イラン関係に雪解けの動きが出てきたことを歓迎したい。

 冷戦さなかのイラン革命は世界秩序の転換点だった。「西(米国)でも東(ソ連)でもないイスラム」をスローガンとするホメイニ師は、米ソを「悪魔」と呼んだ。同師を支持する若者たちは79年秋からテヘランの米大使館を400日余りも占拠し、米国は80年にイランと断交した。

 ホメイニ師が敵対したのは米国だけではない。サウジアラビアなどの王制や首長制にも非難の矛先を向けた。80~88年のイラン・イラク戦争は、湾岸の王国などがイラクをいわば「用心棒」として、イランの「革命輸出」を阻もうとした戦いでもあった。イ・イ戦争末期には米国とイランが交戦する一幕もあった。

 しかし、そのイラクは91年の湾岸戦争、03年のイラク戦争で米国の攻撃を受け、ついにフセイン政権が崩壊した。ホメイニ師が生きていれば大喜びしたに違いない。この辺が米国のジレンマといえるだろう。

 米国とくに米議会にはイランへの反感が強い。クリントン政権(民主党)はイランとの「文明の対話」に前向きだった。次のブッシュ政権(共和党)も当初はイランとの関係改善を模索したが、米議会などの猛烈な反対により、結局はイランを「悪の枢軸」の一つに数えるようになった。

 だが、米国とイランが本当に、「悪」「悪魔」と呼び合う必然性があるのかどうかだ。イランは米国のアフガニスタン攻撃にも協力的な姿勢だった。新生イラクでも親イラン勢力は一定の力を持っている。イランを封じ込めることで果たしてイラクの安定が図れるか、という疑問がある。

 イランはレバノンやパレスチナにも影響力を持つ。国際社会の最大関心事といえるイランの核問題の平和的解決にも、米・イランの信頼醸成は有効だろう。核問題でイランの歩み寄りは不可欠だが、米国も武力行使をちらつかせるだけが能ではない。

 イランも真剣に孤立脱却を考えるべきだ。宗教権威者が政治をつかさどるというホメイニ師の政教一致体制を、21世紀の世界で維持することが有益なのか。アフマディネジャド政権下で強硬なイメージを強めてきたイランは「チェンジ」の必要性に迫られている。

毎日新聞 2009年2月10日 東京朝刊

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