医療安全の「10年」といわれる。
何のことか。話は10年前の1999年1月11日にさかのぼる。この日、横浜市立大学病院で2人の患者を取り違えて手術してしまう事故が起きた。
心臓手術を受ける予定だった当時74歳の男性には肺の、肺を手術するはずだった当時84歳の男性には心臓の、それぞれ手術が行われてしまったのだ。
手術を終えて2人は集中治療室(ICU)に運ばれた。そこで、74歳の男性の主治医と麻酔医が、術後に見込んでいた体重と異なることに疑問を持った。この男性の心臓の「音」を聞き、名前を尋ねて患者が入れ替わったと分かった。
執刀医らには手術中におかしいなとの思いもあったという。だが、多くの人間がかかわりながら最初から最後まで誰も患者をきちんと確認していなかった。
単純だが、致命的なミスだった。スタッフのレベルも高いと思われていた大学病院で起きたことが衝撃だった。
事件を思い出したきっかけは、先月開かれた九州大学大学院医学研究院の公開講座だった。「患者参加の医療安全」と題した鮎澤純子准教授の話があった。
講座では米国での取り組みの一端が紹介された。医師や看護師、薬剤師ら医療を提供する側だけでなく、受ける側の患者にも積極的に協力を求めて、事故を未然に防いだり、再発を防止したりする。
医療の安全性を高めるために患者らの参加を促すのは相互の信頼感を高めていくのに有効であろう。日本でも患者や国民との情報の共有、積極的な対話の重要性が強調されるようになった。
ただ、まずは医療機関における管理体制の強化に力点が置かれたといえる。横浜市大での患者取り違え事故後、全国的に医療事故やミスが相次いで発覚し、報道された。その結果、医師や医療に対する不信感が強まったためである。
厚生労働省が2001年に設置した「医療安全対策検討会議」を中心に数回にわたり方針が打ち出された。中には、危うく事故につながる「ヒヤリ・ハット事例」の収集、分析の強化などもあった。
だが、内部の安全意識を高めていくだけでは十分ではない。患者や家族と話し合い、意思疎通を図ることが重要だ。
医療を提供する側と受ける側は当然だが、医療知識に大きな差がある。患者側が過剰な期待を抱いたり、反対に遠慮して聞きたいことも聞かないこともあり得る。それはトラブルのもとともなる。
帝王切開中の妊婦死亡で福島県立大野病院の産婦人科医が逮捕された事件があった。結果は無罪となったが、医療関係者は捜査当局に不信感を募らせた。
だからといって専門家の殻に閉じこもることはできない。「より安全で良い医療」を目指すには幅広い理解と協力が欠かせない。先進的な試みや成果を上げた事例が紹介され、次々と参考にされていくような好循環を強めていきたい。
=2009/02/10付 西日本新聞朝刊=