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ルクスお姉さんの居残り授業

セイバーって言うな!

 「ようみんな 今回は火病の実例を示しているわけだが、同時に、対コリアン用会話マニュアル初級編でもある。

日韓関係について韓国人と話すとどうなるかを作者のWeb上での実体験や他の人の会話文を元に作ったものだ。

あくまで初級編なんで、これで実戦に勝てると思うなよ。

世の中そんなに甘くないからな。

なにせこちとら素人だからいろいろ突っ込みどころはあるわけだが、大抵の韓国人は韓国の教科書以外の資料を知らないので基本的なことを話しただけでも火病(ファビョン)が発病する」

火病(ファビョン/Hwapyung)
世界で朝鮮半島だけに存在する、朝鮮民族特有の病気。
怒りを抑え過ぎて発生する「鬱火病」の略語で、強いストレスを適切に解消できず、我慢することで胸が重苦しくなる症状を指すという。自分の思い通りにならないことが重なることで発生することが多い。
96年米国の精神科で正式に認知されたれっきとした病気であり、韓国人のほとんどは火病にかかっているらしいが、日本人医者には火病の概念が理解できず、普通の鬱病と勘違いされて困っているという。

 「普通の欝病とは違うわけ?」

 「韓国人特有の病気だからな。

日本人には理解できなくて当然だ。

火病なんてものがあることからもわかるように、連中は日本人には考えられないほど歪んだ教育をしているから、まともな思考回路なんぞ持っちゃいなんだよ」

 

 参考資料 : 韓国の中学校用国定歴史教科書1997年版より
〔国権の侵奪〕 高宗皇帝を強制的に退位させた日帝は、軍隊をも解散させた後、大韓帝国を植民地にするため侵奪を続けた。すなわち、大韓帝国の司法権を奪った後、警察権さえ統監府が握り、行政、司法、治安などの支配権を強化した。日帝は、李完用を中心とする親日内閣に対し、大韓帝国を日帝に合併させる条約を強要し、ついに
韓民族の国権を強奪した(1910年)。この結果、長い間、独自の文化を作りながら発展してさた韓民族は、日帝の奴隷的な状態に成り下がることになった。 

 参考資料 : 親日派のための弁明 著者 キム・ワンソプ(元反日現親日韓国人。反日だろうが親日だろうが、やっぱり韓国人は韓国人なんだ、と実感させてくれる貴重なサンプル)
 P,1 韓国人は押さないときから、学校や家庭で、あるいは社会をつうじて、さまざまなやり方で捏造された歴史を学びます。これによって、
ごくふつうの韓国人は「総督府時代とは、あらゆる朝鮮人が日本人の奴隷として生き、搾取されて死に、追い出された時代だった」という認識をもつにいたります。

P,106 たとえば、韓国の子供たちは毎日国旗をみながら胸に手をあてて「祖国のかぎりない栄光のため、身も心も捧げて忠誠を尽くすことを堅く誓います」と、ぞっとするような全体主義式の誓約をしなければならない

 参考資料 : 「再び韓国民に告ぐ!反日という甘えを断て」 著者:金文学(韓国系3世 呉大学社会情報学部講師)
 ある中学で、最近こんな暴力事件が発生して話題になった。学校当局が優秀な教師を選んで、彼らを慰安、奨励するための旅行を組織した。ところがある教師は自分がそのリストの中に入ってないことを知り、机の中から帽を取り出して校長室に乱入し、校長を乱打したという。まるで暴力団のような行為である。
そもそも、なぜ学校の教師が机の中に棒を隠しておいたか理解に苦しむが、韓国では別に特別なことでもないらしい。学校教師の風潮からすれば当たり前だという。
今年の『東亜日報』のアンケート調査にも「国民の85%が教師などの体罰に賛同する」という集計データが出ているほどでもあるから。

 

 「何これ? 

体罰OKな学校教育、国家に忠誠を誓わせるって・・・まるで軍隊じゃないの」

 「つーか、軍隊そのものだわな。

国家に忠誠を誓うこと自体は悪くない。

日本以外ならどこでもやってることだ。

アメリカの小学校は毎朝、授業が始まる前に規律して教室に掲揚されている星条旗に敬礼し、忠誠宣誓を行ってるし、

オーストラリアの学校では、生徒は機会あるごとに「私は神と我が祖国とを愛する。私はわが国の国旗を尊ぶ。私は女王に仕え、また喜んで両親、先生、そして国の法律に従う」と誓う。

イタリアの教科書には「偉大なる国旗の下に、我々はみな兄弟である。風にはためく美しい色。白は祈り、赤は愛、緑は希望。三色旗よ永遠なれ」と国旗を称える文章が載ってるし、

インドネシアの学校では、毎週月曜日の一時限目は国旗掲揚式で、校庭に集合し、国旗掲揚、国歌斉唱の後、建国五原則が朗唱されてるわな」

 「それが普通でしょ?

何もしない日本が特別なだけで。

でもさー、国家の栄光のために身も心も捧げるなんて危険なこと言ってんの西側じゃ韓国じゃないの?

明らかにおかしいわよ、これ」

 「とにかく教育が歪んでいるからどーしようもない。

韓国では教科書自体が物凄く偏ってるんだが、この教科書は国定で学校経営者が選択できないんだ。

みんな国が定めた一方的な教育思想に染まっちまう。

この教育方針の結果、とにかく韓国って国は人権を蹂躙するくせがある。

蹂躙というよりは、『人権』の概念がないんだな。

「自分以外は全て敵であり間違っている」って思想が肯定される文化だから自浄能力もない。

韓国人の6割以上が『韓国社会ではカネで不可能なことはない』と思っているというデータさえもある。

だからアメリカから人権3等国なんて言われるわけだ。

当然、これが凄く気に入らない韓国人ってのもたくさんいて、韓国が嫌いな韓国人の嫌いぶりは、反韓日本人を遥かに上回る。

一度嫌うと、とことん罵倒するのがあいつらの特徴だ。

同じ民族をここまで罵倒できる民族って他には知らないぜ」

 

 参考資料 : 「現代韓国人の国民性格」 著者:李符永(ソウル大学教授)
(1)依頼心が強い
(2)すべきことをせず他人に期待し裏切られると恨んだり非難する
(3)相手も自分と同じ考えだと思い「違う」と分かると裏切られたと思う
(4)せっかちで待つことを知らず「今すぐ」とか「今日中」とよく言う
(5)すぐ目に見える成果をあげようとし効果が出ないと我慢せず別の事をやろうとする
(6)計画性がない
(7)自分の主張ばかりで他人の事情を考えない
(8)見栄っ張りで虚栄心が強い
(9)大きなもの・派手なものを好む
(10)物事を誇張する
(11)約束を守らない
(12)自分の言葉に責任をもたない
(13)何でも出来るという自信を誇示するが出来なくても何とも思わない
(14)物事は適当で声だけ大きくウヤムヤにする
(15)綿密さがなく正確性に欠ける
(16)物事を徹底してやろうとしない
(17)“見てくれ”に神経を使う
(18)「世界最高」とか「ブランド」に弱い
(19)文書よりも言葉を信じる
(20)原理・原則より人情を重んじ全てを情に訴えようとする

 「メタクソに酷い評価ね・・・・」

 「ここで注意したいのは、これらは反日韓国人だけに当てはまるわけじゃないってことだ。

上の表の(3)と(7)と(10)をチェックしてから下の嫌韓韓国人のコメントを見てくれ」

 

 参考資料: 金満哲(韓国済州島出身の韓国評論家)
 同胞韓国人は嘘つきばかりである。私はそのことが恥かしく、情けない。「韓国は独力で近代化を成し遂げた」って。馬鹿を云うな。韓国の近代化は日本の莫大な資本と人材の投与によって成し遂げられたものである。「韓国は日本の統治に抵抗をもって対抗した」だって。馬鹿馬鹿しい。同胞韓国人はロバのように日本の統治を甘受したのが実態だ。ごくごく一部の抵抗はあったが上から下までみんな日本にあこがれ、日本人になろうとしたのだ。「韓国が独立したのは韓国の手によるものだ」にいたっては呆れてものも言えない。誰も日本からの独立など望んでいなかったのにアメリカに強制的に独立させられたというのが真実だ。「漢河の奇蹟」だって!笑わせる。日本から賠償金という名目で莫大な経済援助と技術援助で成し遂げられたものだ。これだけお膳立てしてもらえばどんな未開民族でも経済成長するだろうよ。「日本文化の祖が韓国」とは恐れ入る。一体、併合前の朝鮮半島のどこに「文化」なるものがあったのか。併合前、我々先祖は乞食同然の生活をしていたではないか。現在の韓国の姿、まさに他人により作られた砂の楼閣だ。虚飾と偽善と歪曲とおごりに満ち満ちている、真似と依存と歪曲が全てである。このような韓国の本質を知らず「韓国こそ世界一」などとほらを吹いて自己満足している本国、在日の韓国人は正気の沙汰ではない。これが恥でなくてなんであろうか。

 

 「・・・・これまたズタボロに酷い評価ね。

正気の沙汰じゃないって・・・ホントに同胞と思ってるのかしら・・・?」

 「見ての通り、反日も親日も、その本質はあまり変わらないんだよ。

反日韓国人の言い分を聞いてみると、反韓日本人の言い分と一部を除いてほとんど変わらない。

違うのは「韓国が正しい」が「日本が正しい」になってるだけだ。

「親日派のための弁明」の作者は親日派だが、やっぱり本質は同じだな」

 「そーなん?」

 「読めばわかる

反日が親日に変わっても、キム=ワンソプ自身の本質はほとんど変わってないってことがな」

 

 参考資料 :キム・ワンソプ 雑誌「サピオ」 7/24より
日本人は、憎悪の対象に過ぎず、日本語を使う人を見ただけで非常に不愉快な気分を覚えたものだ。それだけに1995年、阪神大震災が起きたときには正直大変嬉しく思い、インターネット上で日本の被害額を推測した文章を発表した。当時、日本のある中学生がインターネットで、「何故私たちは多くの親戚を亡くして悲しんで居るのに、韓国の人々は喜んでいるのか」と書き込んできたが、これに対して「あなたたちは犯した罪悪によって天罰を受けたのだ」と返事を書いたこともある。

 

 「つい最近まではキム=ワンソプもこんな感じの人間だったそうだ。

そう言えば、リビアのカダフィ大佐も阪神大震災については喜んでたな。

米帝の手先の日本に天罰がどーたらこーたら。

あの爺さんの場合は、日本がどーこうより、ただ単にアメリカが嫌いなだけだろうけどよ」

 「カダフィのじっちゃんは、レーガン政権のときCIAに暗殺されそうになったからしょうがないわね。

自分を暗殺しようとする連中と仲良くなれないのは当然だわ。

結局、アメリカとは喧嘩するより仲良くしたほうが得だとようやく悟ったわけだけど。

つまらない意地を張っても暗殺されたら意味がないしね」

 

 

 参考資料:○カダフィ大佐のリビアとアメリカ
(アドレス:ttp://www.uraken.net/zatsugaku/zatsugaku_70.html)
このカダフィ政権は、国内では外国勢力の追放&国家による資本所有を実行。また、イスラエルで活動をするPLO(パレスティナ解放機構)への援助や、様々なイスラム過激派テロリストにも支援。また、アメリカとの関係は80年代に最悪に達し、81年にはアメリカ軍の航空機がリビアに侵入し、リビア空軍機2機を撃墜。これを契機に、互いに攻撃と報復を繰り返します。
 特に大きな事件は、アメリカのレーガン大統領による、86年のリビア襲撃。カダフィが関与したとするテロに対する報復措置で、リビアに60トンの爆弾を投下し、カダフィの養女を含む101人が殺されたそうです。なお、イギリスのサッチャー政権はこの攻撃に「テロはテロを呼ぶ」として反対しましたが、結局はアメリカに屈して、米爆撃機F-111sの発進基地提供の要請に応えました。この後アメリカは、リビアからアメリカ資本を引き上げさせます。続いて、リビアは報復として88年、イギリスのスコットランド上空で米パンナム機爆破事件(ロッカビー事件)を実行(英米人の犠牲者は270人)。さらに翌89年に、フランスUTA機をアフリカ・ニジェール上空を爆破し、170人の犠牲者を出しています。なお、これらすべてについてリビア側は関与を否定し、容疑者の引き渡しを拒否。そのため、1992年、国連安全保障理事会はリビア制裁決議を採択し、さらに94年、国際司法裁判所は20年間にわたってリビア軍が占領していたアオゾウ地区に対するチャドの領有権をみとめる判決をだしました。
さらに96年8月、アメリカは、リビアが化学兵器工場を建設中だとして、リビア制裁を強化する、通称ダマト法を施行しました。この法律は、リビアおよびイランに大量に投資した国に対してアメリカが対米貿易を制限するというもので、これはEU、特にフランスが反対しています。

 参考資料:(共同通信 2002/11/10)
【ロンドン10日共同】10日付の英紙オブザーバーは、英国情報局秘密情報部(MI6)が1996年、リビアの最高指導者カダフィ大佐の暗殺をウサマ・ビンラディン氏の側近らに依頼、10万ポンド(約1900万円)を支払い、国際刑事警察機構(ICPO)によるビンラディン氏追跡も妨害していたと報じた。
依頼相手は、ビンラディン氏側近のアナス・アルリビー容疑者を含むリビアのイスラム過激派。暗殺計画は銃撃戦の末に失敗した。
リビア政府は98年3月、別の事件でビンラディン氏を国際手配したが、米、英両国の情報機関は無視しており、暗殺計画での協力関係が背景にあるとの見方が出ているという。
同年8月にアフリカの米大使館同時爆破事件が発生、米国政府は後にアルリビー容疑者を重要指名手配したが、同容疑者は2000年5月まで英国に政治亡命者として滞在していた。
こうした内容は、公務機密法違反罪で5日に禁固6月の判決を受けた元情報局保安部(MI5)職員デービッド・シェーラー元被告の話などから明らかになったという。

 

 「ま、リビアはどーでもいいとして、キム・ワンソプみたいな反日韓国人が、なんで今は親日なわけ?」

 「「親日派のための弁明」によると、反日作家として成功したあと、海外で取材ながらアジア諸国の日本に対するイメージとのギャップで洗脳が解けたそうだ。

今まで日本はアジアで最悪的に嫌われてると思ってたが、現実と違うことに気づいていろいろ調べてみたら、日本が好きになっちまっていう典型的なパターンだな」

 

 資料: 親日派のための弁明 P,1〜2
 その後、私の対日観において決定的な方向転換がなされたのは、海外旅行の結果であることはまちがいありません。1995年に書いた『娼婦論』がベストセラーとなったおかげで、私はオーストラリアやグアムをなんどか旅行することができ、とくにオーストラリアには二年近く滞在しました。そして97年に私はシドニーで「日本の朝鮮支配は結果的によかった」という文章を書きました。本書の骨子はこのあたりでできあがりました。私は海外に出て初めて「実物の日本人」と会い、かれらが予想外(?)に洗練された人たちであり、韓国人と比べて立派な点が多くあることを知りました。それ以上に私は、オーストラリアと韓国を比較してみたとき、開発途上国として出発した国は一世代や二世代ぐらいの産業発展では、とうてい先進国にはなれないという事実を痛感しました。オーストラリアと韓国にはそれほど大きな差があったのです。私は海外旅行をとおして、国際社会における韓国と日本の位置をより客観的に認識できるようになり、朝鮮の開国期と日本統治について、一方的に歪曲された歴史認識から徐々に抜け出し、バランスのとれた認識がもてるようになったのだと思います。

 

 「へぇー じゃあ、こーいう人間が増えれば韓国とも仲良くできるかもしれないわね」

 「ところがこの本は韓国じゃ有害図書指定されちまってな。

作者は韓国にはいられない状態になっちまったんだ。

マジで危険だからな」

 「だめじゃん」

 「ま、いつものことだ」

 「なんつーか、日本の常識からするとかなり付き合いにくい民族みたいね」

 「ああ、外国人というより、異世界の住人と考えたほうがいい。

あとついでに言っておくと、「親日派のための弁明」は半分はギャグ小説だ」

 「ギャグって、をい・・・」

 「だって、帯カバーに書かれてる『初めて公平な立場から書かれた日韓の歴史』って評価からしてギャグそのものじゃねえか。

第三国の人間が書いてもないのにどこが公平なんだよ。

内容もかなり電波が蔓延していてるしな。

だが、韓国の捏造をここまで徹底して暴いた本が韓国人によって出版されたってのは評価すべき事実だと思う。

ナチのユダヤ人弾圧についての話題がタブーなドイツも見習って欲しいものだぜ」

 「韓国を見習うねぇ・・・・」

 「いろいろ突込みどころは満載だが、帯カバーに『日韓の歴史』と書かれてあって『韓日の歴史』と書かれてないだけマシだけどな。

高校とか大学に日韓友好を目標とするクラブとかってよくあるだろ?

だが、俺が知ってるのは日本のクラブなのに韓日とか平然と書いてある。

ありゃ友好じゃねぇだろ。

ひたすら韓国に頭を下げるだけ土下座交流のどこに友好があるんだ?」

 「まぁ、普通の国だったら自分とこを先にするわよね。

相手を自分の上に置くのは日本の文化だけど、そんなもんは外国人には通じないわ」

 「だろ?

外人に『以心伝心(言わなくてもわかる)』を求めるほうが無理な話だ。

そんなもんは向こうにはないんだからな。

というわけで、相手の国名を先にあげるってのは自分から「俺の国はあんたんとこより下です」と言っているようなもんだ。

当然相手は自分の方が上だと思って次から次へと調子にのるわな。

そしてそれがトラブルの元になることもまた事実だ。

一般の日本人は『国』ってのは、スポーツにおけるチーム編成くらいの意味しか持ってないと思ってるから困るぜ。

韓国と友好をするのは大いに結構だが、学校のクラブレベルで本当に友好なんぞできるのか?

下手に本当のことを言うと相手が逆切れして会話終了なんじゃねえか?」

 「酷い評価ねぇ。そんなに酷い連中が本当にいるの?」

 「たとえばこんな資料がある」

 

 

 参考資料 : 祥伝社 「韓国民に告ぐ!」著者 金文学 金明学 第6章「見かけばかりで内実のない国・韓国」214P〜215P
【中国のホテルで見た韓国人の醜態】
 また中国でもこんな光景を目撃した事があった。一九九七年の夏のある日、あまりに暑かったので喉を潤そうと繁華街のホテルのコーヒーショップに入った。するとそこは超満員の客でごった返していた。
ところがいちばん隅のテーブルで、ホテルの警備員と何人かの客が英語を使って口喧嘩をしていた。
客の姿格好や英語の発音からして韓国人であることは明らかだった。
おそらくコーヒーショップのウェイトレスをからかったために警備員が駆けつけたようであった。
警備員が注意すると、赤いポロシャツの男が「アイ・アム・ジャパニーズ!」と英語で喚き、いっしょにいた仲間たちも大声を張り上げては相槌を打った。そのうち眼鏡をかけた男が「この中国人野郎、俺達が日本人だってことがわかってるのか?」と韓国語のソウル言葉を口にした。
やはり思った通り、本当は韓国人であった。私は一瞬、同じ民族として顔がまっ赤になるほど恥ずかしくていたたまれなかった。自分が明らかに過ちを犯しても、その愚かな韓国人は「名分」を守るために、躊躇することなく他の民族だと偽って責任を回避したのである。
まったく醜悪極まりない行為だとしかいいようがない。

 

 「マジかよ・・・」

 「こういう連中と話し合うってのがどれほど大変かわかるか?

個人レベルの会話ならともかく、歴史を話題としたまともに会話なんてできないぜ。

ほぼ確実に向こうが先にファビョって泥沼の罵り合戦になっちまう。

相手に主導権を一度でも与えたら負けだと思ったほうがいい。

で、そーいうくだらない罵りあい合戦にならないようにするコツは簡単。

こちらがソースを見せて、向こうにソースを要求すればそれでいい。

大抵の場合、ソースを見せると黙り込む。

向こうはソースなんて持っちゃいないからな。

基本的に補習授業シリーズでソースを表示しないのは、面倒くさいからなんだ。

いちいちソースを表示するってのは面倒なことこの上ない。

だからいつもは省略してる。

読む方もソースが載ってたら邪魔だろうしな。

だが、相手が韓国となれば話は別だ。

欧米人や日本人を相手にするときと同じやり方では全く通用しない。

ソース無しじゃ全てウソだと言い張るし、ソース見せても無視するし、ソース自体が捏造と言い張る連中もいる。

一度でも経験すればわかるが、ソースなしで韓国人との会話は不可能だ。

はっきり言ってコリアンと日韓関係でうまくいく可能性は絶望的だが、ま、こういうのが火病ファビョンなんだと思ってくれ」

 「分かりあえる可能性は絶望的って・・・それじゃ意味ないじゃん」

 「いや、韓国人との会話がどーいうものかを知ってると知らないでは全く違う。

日韓関係について何も知らない日本人は絶好のカモにされるからだ」

 「カモ?」

 「何かあるたびに「過去に日本は悪いことをした」ということで、連中は日本人に対する罪悪感なんぞ微塵も持ち合わせてちゃいないんだよ。

韓国人は、「日本人に対しては何をしても構わない」という歪んだ教育を受けているからな。

おまけにそれが日本人には通用するから「外国人に対しては何をしても構わない」という歪んだ思想に染まっちまってる。

2002年のワールドカップの韓国サポーターの態度の悪いこと。

対イタリア戦では垂れ幕下げて、「日帝の同盟国イタリア消えろ」とか書いてあったし、「墓場へようこそ」などという、非常識な横断幕立てるし・・・

対ドイツ戦の場合は例えばこんなのがある」

↑ 全世界に生放送された衝撃の映像
フジテレビ/FNNスーパーニュース 6月25日放送分より)
(アドレス:ttp://www58.tok2.com/home/letsgokorea/bousou/

 

↑ 韓国人サポーター”レッドでビルズ”のメンバーが掲げた横断幕。
FIFA(国際サッカー連盟)はスタジアムでの一切の政治的、民族的、宗教的プロパガンダを禁止している。
この横断幕はサポーターともども選手が入場する前に撤去された。
(アドレス:ttp://www58.tok2.com/home/letsgokorea/bousou/

 

↑ 写真のハングルは「謹んで敗者の冥福を祈ります」という意味だそうである。
北朝鮮のスパイ組織TBSの日本語訳はわざと歪曲していると見て間違いない。

TBS/筑紫哲也NEWS23 6月25日放送分より
(アドレス:ttp://www58.tok2.com/home/letsgokorea/bousou/

 「・・・・なにこれ。ワールドカップって全世界に中継されるのに、こんなのやったらイメージダウンどころの騒ぎじゃないじゃない。

日本も外国の国旗を鯉のぼりみたいにしたら怒られたことがあったけど・・・・

これは文化の違いもへったくれもないわね」

 「こういう連中なんだよ。

相手が黙って我慢してると図に乗って次から次へと行動がエスカレートしていく。

それを取り締まると民族差別だのなんだのと騒ぎ出す。

だから世界中で「共存できない民族NO,1」とか「追放したい民族NO,1」とか「消滅して欲しい民族NO,1」言われるわけだ。

だが、そこで「韓国の評判が悪いのは日本のせいだ!」って結論になるもんだから反省なんて絶対にしない」

 「おいおい・・・・」

 「韓国に対しては情け容赦は無用。

安易なヒューマニズムなんぞ無用の長物。

日本人は、韓国人を同じ人間だと思わないほうがいい。

あいつらには『モラル』の概念がないんだ。

譲歩=敗北 謝罪=敗北

絶対に頭を下げるなんてことはしない。

これが原因で、日本国内での朝鮮人の犯罪は深刻な社会問題になっている。

いつどこで自分が被害に遇うかわからない。

日本人というだけで犯罪に巻き込まれる理由は十分だ」

 「うーん、理解不能ね」

 「要するにだ」

 

 「韓国を知らぬものは、それだけで韓国の手先である!

 

 「ってことだな。

もっとも韓国だけじゃなくて他のことにも言えることだけどよ。

というわけでいってみよう」

 

 

 

 

Q: 植民地は悪いことである

 「当時は合法でした 終ぅ了。

The game is over (遊びは終わりだ)」

 

 

 

Q:日本は朝鮮を植民地にした

 「植民地ではなく合併だ。すでにこの時点で韓国人の認識はおかしい。

植民地だとマイナスのイメージがあるからわざと使ってるんだろうがな。

こちとら植民地だろうが合併だろうが合法だから問題ないと思っていたが、それを交渉の材料に使う連中がいたとは思わなかった。

ソフィア先生の補習授業では「植民地」と書いたが、やっぱり「併合」と書くべきだった。後悔してるぜ」

 「ところでみんな! 

海外掲示板に出てっても「Colony(植民地)じゃないYO!Annexation(併合)だYO!」な〜んて書込んだりしないようにNE!

実は英語ではColonyよりAnnexationの方がかなりイメージが悪いのよ。

Colonyは本国と植民地国の間に圧倒的な国力差があって、理由はともあれ大国の傘下に小国が入ってる状態だで、Dominion(自治領)、Protectorate(保護国)に近いイメージの単語。

だけど、Annexationは隣国を「強制的に」合併したイメージになるわけ。

欧米じゃ、合併は相手の文化を奪うもんで、併合だとマイナスイメージになるのよ。

逆に植民地の場合は相手の文化を奪わないし、自国の文化を伝えるということでプラスのイメージになるわ。

植民地を持ってて悪かった、じゃなくて、これだけ植民地を持ってて凄いだろ?てな感じかな。

フランスなんて、いまだに植民地政策万歳だしね!

ようするに、日本と欧米じゃ考え方が違うってこと。

嘘だと思うなら辞書引いてみてね♪

習っててよかった英語教育!10億人と仲良くなって残りの30億人と喧嘩しよう!

I’m lucky,You’re lucky, He is lucky, We are all lucky, HAHAHAHA〜!」

 

 

 

Q 日韓併合は、それ自体がそもそも「違法」である。
それは世界も言っている。

 「What are you taking about?(一体何を言ってやがる?)

世界は「合法」と言ってるわよ」

 参考資料 :2001年11月26日産経新聞
 【ソウル26日=黒田勝弘】日韓の歴史認識問題で大きな争点になっている日韓併合条約(一九一〇年)について合法だったか不法だったかの問題をめぐり、このほど米ハーバード大で開かれた国際学術会議で第三者の英国の学者などから合法論が強く出され、国際舞台で不法論を確定させようとした韓国側のもくろみは失敗に終わったという。会議参加者によると、合法論は国際法専門のJ・クロフォード英ケンブリッジ大教授らから出され「自分で生きていけない国について周辺の国が国際的秩序の観点からその国を取り込むということは当時よくあったことで、日韓併合条約は国際法上は不法なものではなかった」と述べた。
 また韓国側が不法論の根拠の一つにしている強制性の問題についても「強制されたから不法という議論は第一次世界大戦(一九一四−一八年)以降のもので当時としては問題になるものではない」と主張した。
 この学術会議は米ハーバード大アジア・センター主催で十六−十七日開かれたが、韓国政府傘下の国際交流財団が財政的に支援し韓国の学者の主導で準備された。これまでハワイと東京で二回の討論会を開き、今回は韓日米のほか英独の学者も加えいわば結論を出す総合学術会議だった。

  参考資料 : ヘレン・ミアーズ 「アメリカの鏡・日本」より
 こうした公式記録を見る限り、なぜ、日本が韓国国民を「奴隷にした」として非難されるのか理解できない。もし、奴隷にしたのなら、イギリスは共犯であり、アメリカは少なくとも従犯である。日本の韓国での行動はすべて、イギリスの同盟国として「合法的」に行われたことだ。国際関係の原則にのっとり、当時の最善の行動基準に従って行われたことである。しかも、その原則は日本がつくったものではない。欧米列強、主にイギリスがつくった原則なのだ。

 

 

Q:合法だろうと、武力で脅して強引に結ばせたから無効である

 「武力で脅して結ばせた条約は無効である」の理屈が成り立つのは「条約法に関するウィーン条約」ができた1969年以降の話だ。第一次世界大戦(1918年以降)という学者もいるが、どちらにしろ1910年当時は合法で有効だ」

 「だいたいその理屈が通ったら、平和条約は全部無効になるわね。アホな話だわ。

You must be joking (冗談は顔だけにしてよ)」

 

 

 

 

Q 合法だろうと有効だろうと、日本が植民地にした事実は変わらない
 「植民地じゃなくて合併だつーに。だいたい植民地だったとしても、それは韓国側の依頼で併合したんだよ。

わざわざ韓国の首相が来日したじゃねぇか」

 

 参考資料 : 「李完用侯の心事と日韓和合」 朝鮮全権大使 李成玉
 「現在の朝鮮民族の力量をもってすれば、とても独立国家としての体面をもつことはできない。亡国は必死である。亡国を救う道は併合しかない。そして併合相手は日本しかない。欧米人は朝鮮人を犬か豚のように思っているが、日本は違う。日本は日本流の道徳を振り回して小言を言うのは気に入らないが、これは朝鮮人を同類視しているからである。そして、日本人は朝鮮人を導き、世界人類の文明に参加させてくれる唯一の適任者である。それ以外に我が朝鮮民族が豚の境涯から脱して、人間としての幸福が受けられる道はない。日韓併合が問題になるのは、変な話だ。我輩の併合観は欧米人の朝鮮人観を基に考察したのだ。」

 参考資料: 日韓併合時の韓国首相 李完用
 私がもう一言いいたいのは、独立説が空しいものであることを私たちがしっかり悟り、朝鮮民族の将来の幸福を祈ることにある。現在のように国際競争が熾烈な時代にこの3000里にすぎない領土と、あらゆるものが不足している1100余万の人口をもつ私たちが独立を唱えることがいかに空しいことか、日韓併合からこの10年間、総督政治の実績をみれば、人民が享受した福祉が多大なものであることは内外が公認するところだ。地方自治、参政権、集会と言論については、朝鮮人の生活と知識に応じて、正当な方法で要求するなら同情を受けることができる。今私たちに迫られているのは独立ではなく実力を養うことだ。

 参考資料: 1909年 12月4日  一進会(公称百万の朝鮮人会員)
日本は日清戦争を通じて韓国を独立させ、日露戦争でロシアに食われかけていた韓国を救ってくれた。それでも韓国はこれをありがたく思うどころか、あの国にくっつき、この国にくっつきし、結局は外交権を奪われることになったが、これは我々が自ら招いたことである。丁未条約を締結することになったのも、やはりハーグ事件をおこした我々に責任がある。伊藤博文公が韓国国民を見守ってくれ、太子を導いて我々韓国のためにご苦労されたことは忘れられない。にもかかわらずハルピンの事件がおきてしまった以上、こんごいかなる危険が到来するのかわからない。これもまた韓国人自らそうしてしまったのである。

(中略)

それゆえ劣等国民として保護されるよりは、いっそ日本と合邦し大帝国をつくって世界の1等国民として日本人とまったくおなじ待遇をうけながら暮らしてみよう。

 

 

 

Q:そんなわけがない!日本が悪いのだ!そうに決まってる!
(※火病が発病してます)

 「決まってるって、をい・・・

だから悪いなら証拠出せって。合法かつ有効な行為をなぜ謝らなきゃならんのよ?

Is that all you have to say? (言うことはそれで全部?)」

 

 

 

Q:日本はアジアの嫌われ者だ。反省しろ
 「まあ嫌われてることは否定しねえよ。だが、好かれてることも確かだぜ」

 参考資料: 「戦後50周年アンケート」(1995年読売新聞の世論調査)
『第2次世界大戦中に行なった行為は、今でも日本との関係の発展を妨げているか?』

妨げている
韓国     71%
中国     49%
タイ      36%
マレーシア  25%
ベトナム   13%
インドネシア 12%

日本に対して良いイメージを持っている
ベトナム   95%
マレーシア  94%
タイ      80%
インドネシア 72%
中国      53%
韓国      30%

 参考資料: INTERTAIMENT NEWS ZAKZAK 2002/6/11
(アドレス:ttp://www.zakzak.co.jp/top/t-2002_06/3t2002061122.html )
【ロンドン11日共同】最も尊敬する国は米国で、次は日本とエジプト−。11日付の英紙デーリー・テレグラフは、英文化交流機関のブリティッシュ・カウンシルがアラブ諸国に住む若いイスラム教徒を対象に行った意識調査の結果を掲載した。ブリティッシュ・カウンシルは、米中枢同時テロ後の外交姿勢に不満を抱きながらも、経済的な要素が反映していると分析している。調査はパキスタンやサウジアラビア、パレスチナ自治政府など9つの国・自治政府に住む15−25歳の約4700人を対象に、今年2月から3月にかけて実施。その結果、米国を最も尊敬する人は約25%、日本とエジプトが各12%、英国が11%で続いた。エジプトが2位に入ったのは、サウジアラビアやパレスチナ自治区で、リーダーとしての期待が集まったためと見られる。

 「・・・日本が東アジアだけでなく、中東アジアでも好かれてるのはわかったが・・・・

中東で尊敬されている国NO,1はアメリカ・・・ 本当かこれ?

しかも、No,3はイギリス? おいおい、英国はアラブの宿敵じゃなかったのかよ?」

 「何よ。

アメリカの政策が中東の発展に寄付したことの証明でしょ?

だいたい中東がアメリカを心底嫌ってるんなら、なんで大量のアラブ系移民がアメリカにいるのよ。

アメリカが好きだから密入国してまで移民するんでしょうが。

日本が嫌いな”はず”の朝鮮人・支那人が日本にいるのと大差ないわ。

アラブ世界のような血統と伝統でがんじがらめの閉鎖社会が嫌だからアメリカに来るんでしょ。

文句があるなら来なくていいわ。

アメリカだってこれ以上移民なんていらなんだから。

そうね、日本かドイツへ行きなさい」

 「そうやって移民を押し付けられても困るんだが…

特にドイツはそのせいで外国人に対する風当たりが酷いし…」

 「それにこの記事で載ってるサウジ、パレスチナ、パキスタンって、これらは全部反米国家じゃない。

サウジなんて政府は親米だけど、国民はアメリカ大っ嫌いでしょ?

それでもこの結果よ。

このアンケート調査はアメリカが正義の国であることの証拠ね。」

 「正義の国ねぇ…その割には世界平和の敵NO,1に選ばれることもあるわけだが…」

 「じゃあ聞くけど、

アメリカと中国じゃどっちがマシ?

アメリカと北朝鮮じゃどっちがマシ?

アメリカと韓国じゃどっちがマシ?

アメリカとロシアじゃどっちがマシ?

 「・・・」

 「どうなの? どこが一番マシな国なの?」

 「・・・台湾」

 「台湾ってバッタもんの国でしょ

 「 き、禁断のネタを――――――」

 「さて、何のことかしら?

何はともあれ台湾だけじゃ中共には勝てないわけだから、台湾以外でパートナーを見つけなきゃならないわけよね」

 「選択の余地がないじゃねぇか…

世界最悪の国家を並べれば必ず候補に上がりそうな国ばっかだし。

確かにこいつらと比べればアメリカも正義の国だわな。

っていうか、アメ公がどうこうの問題じゃないだろ。

比べれるものが悪すぎるぜ」

 「ナに言ってるのよ。

全部日本の隣国でしょ?

日本は周りが脳みそお花畑な国ばっかで幸せねぇ〜」

 「なんで日本の周りはこんな国ばっかりなんだろうな…」

 「で、さっきの記事だけど、もちろんこれだけが決定的な資料になるわけじゃないのはわかってるわ。

でも、無視するわけにもいかないんじゃない? くすくす・・・」

 「・・・にわかには信じられん話だな・・・・。

まさかアラブでもアメリカが好かれているとは・・・。

本当にアメリカは正義の国なのか? 自称じゃなくて? そ、そんなバカな・・・信じられん・・・!

しかも記事は2002年6月!? つい最近じゃねえか!

でぇいっ! 調査した残りの6カ国は一体どこだ?

・・・ったく、肝心なところが載ってないぜ。

もっと細かい情報を提示しろってんだ。

しかし、あの辺の親米国家っていうと、ヨルダン、イスラエル、トルコ、イエメン、アラブ首長国連邦、クウェートといったところか。

だがイスラエルはアラブじゃねぇし

もしかして、国民レベルでも本当に親米なのか?

まさかイラク、イラン、シリアは入ってないだろうな。

リビアはアフリカだし。

・・・・・。

わからん。

アラブの連中はハリウッド映画に洗脳されすぎなんじゃねえのか?

この記事が本当なら、日本人の大半が思ってる「アメリカはアラブ諸国に死ぬほど嫌われてる」ってのが、かなり偏った思想ってことになっちまうぜ・・・」

 「USA(うさ)!USA(うさ)!USA(うさ)!USA(うさ)!

 「・・・・・こういう信じられんアンケート結果が大統領を動かすんだよな。

自分たちの政策が正しいって自信つけるから・・・・。

しかし、ここまで好かれてるのになんでテロられるんだ?

むぅ・・・中東情勢は複雑怪奇なり・・・」

 「それはね。

アメリカが自由を愛しているからよ。

自由を愛しているからテロられるのよ。

ブッシュ大統領はそう言ってるわ!」

 

 

 参考資料: 2002・9・2 ペンシルヴァニア州ピッツバーグでのスピーチより

 「子供たちは恐らくこう思っているでしょう。
『なぜアメリカを憎むの? 私たちは誰にも悪いことしてないじゃない』
いいですか、彼らがアメリカを憎むのは我々が自由を愛しているからなのです」

 

 「ねっ」

 「・・・絶対それだけじゃないと思うぞ。

あのアホ大統領はもうちょっとまじめに説明した方がいいんじゃねえのか?

日本の首相よりも適当な説明だな、おい・・・」

 「Usa(うさ)!Usa(うさ)!Usa(うさ)!Usa(うさ)!

 「これが世界でもっとも進んでる国なんだもんな・・・・はぁ・・・」

 

 

 

 

 

 

Q 世界は決して日本の悪行を許さない

 「決して許さないのは支那だけだ。もっとも、あいつらはそれ以上の悪さをしているがな。

支那の場合、許すなんて文化がないからあれは問題外だ。

それに、世界は日本が悪いことをしたと思っているかもしれんが、それが全てだとも思っちゃいないみたいだぜ」

 

 参考資料:ASEAN諸国における対日世論調査 平成14年11月 外務省のWebサイトより
(アドレス:ttp://www.mofa.go.jp/mofaj/area/asean/yoron.html)
1.結果概観
(1) 日本は、米国とともに「ASEAN諸国以外で一番良く知っている国」として挙げられており、ベトナム、シンガポールを除く全対象国において第2位以内を占めた(ベトナムでは第3位、シンガポールでは第4位)。日本に対する関心は、引き続き日本の「経済」、「科学・技術」分野において示された。
(2) 日本を「信頼できる」又は「どちらかというと信頼できる」とした回答が増加し、タイ、ベトナムを除く全対象国において8割以上となった(タイでは67%、ベトナムでは72%)。
(3) 日本の貢献については、全対象国において「日本はアジアの一国としてアジアの発展のために積極的役割を果たしている」との回答が高い割合を占めており、全体としては引き続き肯定的な評価を得ている。特にインドネシアにおいては「日本はその経済力に相応しい重要な国際的役割を応分に果たしている」とする回答が80%以上となった。
(4)日本の安全保障政策への理解度は改善され、シンガポールを除く全対象国において「日本はある程度の自衛力を持ちながら諸外国との友好関係を維持することによって安全保障を確保している」との回答が第1位となり、マレーシアを除く全対象国において5割以上が「日本は平和愛好国としての立場を堅持し、軍事大国とはならないだろう」と回答した。また、第二次世界大戦中の日本について、全対象国において「悪い面を忘れることはできない」との回答が減少し、「悪い面はあったが、今となっては気にしない」との回答が増加し、全体の約5割を占めた。
(5)日本企業の進出については、全対象国において「歓迎する」が第1位を占めた。

 

 

 参考資料 :朝日新聞 2000/3/6
【ロサンゼルス5日=宮川政明】
日本は侵略者だったと思うが、戦争犯罪行為についての新たな補償は必要ない――。第二次大戦中の日本の行為や現在の対日観などについて、米カリフォルニア州の有権者1000人に聞いたところ、こんな傾向が浮かび上がった。クレアモント・マッケンナ大学のアルフレッド・バリツァー教授(政治学)が2月に調査した。
調査では、まず日本の戦争犯罪行為について十分な謝罪がなく、補償がなお必要だと感じている人々がいると説明した上で、謝罪や補償が必要かどうかを尋ねると、29%が「必要だ」とし、60%が「必要ない」と答えた。当時、日本企業によって過酷な労働を課せられたとする米兵捕虜経験者への補償については、「必要」は35%で、51%は「必要ない」と答えた。
広島、長崎への原爆投下は90%が知っていたが、南京虐殺事件は55%が知らなかった。
日本は戦争の犠牲者でなく侵略者と見る人が83%に達した。
さらに、日本の再軍備の是非については、米国と密接に連携した限定的な武力を「持つべきだ」という答えが55%、「再軍備をすべきだ」は24%だった。
カリフォルニア州では、戦時中の強制労働の犠牲者救済をめざす州法条項が昨年7月に制定され、日本企業の責任を問う訴訟が相次いで起こされている。

※ 賠償問題は1952年のサンフランシスコ講和条約で政府・個人ともに解決しているため、連合国が日本にWW2ネタで訴訟を起こしてもことごとく敗訴している。

 

 

 参考資料 : 韓国大統領 朴正熙パクジョンヒ・・・韓国には極めて珍しい(一応は)親日派大統領。日韓併合時代は、日本の創始改名に呼応して「高木正雄」という日本名を名乗り、敗戦時には中尉にまで昇進。戦後は韓国軍少佐へ昇進し、やがては大統領に就任。キューバ危機直前の1961年当時、アメリカ大統領ジョン・F・ケネディと会談し、親米進路を固める。日韓基本条約によって日本との国交を復活させ、独裁政権を取りながらも韓国の近代化を徹底した。このときの経済成長が無ければ、韓国は北朝鮮に滅ぼされていたと言われている。しかし反日派の反感を買い、1976年10月26日金載圭中央情報部長に射殺され死亡 享年62歳。

中曽根元首相との対談より
「私は貧農の生まれで学校に通うなど思いもよらなかったが、日本人の役人が両親を説得して小学校に行く事が出来た。そしたら学校の教師がお前は頭が良いから無料の師範学校に行った方が良いと推薦してくれた。
師範学校では更に優秀さを認めてくれて陸軍士官学校に推薦してくれた。その結果士官学校首席として日本人同期生のトップで卒業し、陸軍将校に成る事が出来た。
今の私が有るのは清廉で誠実な日本人達のおかげである。

 

 

 参考資料:朴鉄柱(韓国 平成二年一月逝去・六十八歳、韓日文化研究所 昭和四十二年十月)
「ソウルから日本を眺めていると、日本が”心”という字に見える。北海道、本州、四国、九州と、心という字に並んでいるではないか。日本は万世一系の御皇室を頂き、歴史に断絶がない。それに対して韓国は、断絶につぐ断絶の歴史で涙なくしてみることはできない。」

「現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものではなかった。平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取り組んだ。それまで日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。最後はハル・ノートをつきつけられ、それを呑むことは屈辱を意味した。”事態ここに至る。座して死を待つよりは、戦って死すべし”というのが、開戦時の心境であった。それは日本の武士道の発露であった。日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨て身の一撃を与えた。それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。日露戦争と大東亜戦争ーこの二つの捨て身の戦争が歴史を転換し、アジア諸国民の独立をもたらした。この意義はいくら強調しても強調しすぎることはない。

「大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。戦争に勝った敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる、というのはクラウゼヴィッツの戦争論である。日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、”聖なる戦争”であった。ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐに回復できたではないか。二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。」

 

 

 

  参考資料: キムワンソプ 『親日派のための弁明』
 二〇〇一年六月、アメリカの『タイム』誌はウェブサイトをとおして「日本は過去におこなった戦争に対して謝罪をしなければならないか」という内容のアンケート調査をしたことがある。
世界の回答者の六〇パーセント以上が、そんな必要はないという答えを選択した。
これは日本による大東亜戦争が、ヨーロッパ・ファシズムが起こした戦争とは性格がちがうものだという認識が国際社会にひろまっていることを物語っている。
このアンケート調査では、「韓国人が大々的に動員をかけて「YES」をクリックする運動を展開したが、韓国人の視点が国際的な感覚とどれほどかけ離れているかを端的に示す結果となった。

※このアンケートは日本の巨大掲示板「2ちゃんねる」で組織的に行われた自作自演という噂があるが、いつ誰がクリックしたのかが公開されていない以上、詳細は不明である。

 

 

 参考資料 「東洋平和論」 伊藤博文を暗殺した韓国史上の英雄(とされている)安重根
 「日本の天皇の宣戦書には、東洋平和を維持し大韓独立を強固にすると書かれていた。そのような大義は青天白日の光線より勝っていたのであり、韓・清の人々の智恩を論ずることなく、みな心を同じくして、賛同し服従したのである。もう一つは、日露の開戦は黄白両人種の競争というべきものであって、前日までの日本に対する仇敵の心情がたちまち消え、かえって、一大愛種党となるにいたったのであり、これまた人情の順序であり、理に合うものであった。快なるかな、壮なるかな。数百年来、悪を行い続けてきた白人種の先鋒が、鼓を一打したたけで大破してしまったのである。日露戦争の勝利は一千古に稀な事業として万国で記念すべき功績であった。だからこのとき韓・清両国の有志は、はからずも同じように、自分たちが勝ったように喜んだ

 

 

 参考資料 : 元KBS(韓国放送公社)会長 徐英勲 
「近世以来の受難な歴史の中で、島山先生(韓国独立の父、安昌浩)のような偉大な指導者がいることを在日の方が知らないことを憂いて、この本を発行しました。日本は吉田松陰や福沢諭吉ら先覚者が出て明治維新を成功させて独立を守り抜いた。しかし、韓国は余りに形式にこだわって改革を進めることができず、国を弱くしてしまった。島山先生は吉田松陰に似ていて、古い封建体質を改造して国の力を強くしようとしました。責任は私たち自身にあるのであり、日本を恨む暇があるならば、自らの実力の向上に努めるべきであると島山先生は訴えていました。だから暴力に訴えるとか、日本人を恨むとかはしなかった。お互い、日本、韓国、中国がそれぞれに立派になって東洋精神を持って世界に貢献しようと、島山先生は訴えておられたのです。その島山先生の精神に基づいて、アジアの文明の主人公である私たちが世界のために尽くそうではありませんか」

 

 参考資料: 韓日人協会理事長 鄭時東
第二次世界大戦を日本国民は団結してよく戦った。それが契機となってアジア諸国はすべて独立した。この偉業は将来誰も否定できなくなるであろう。そして注目すべきことは、あれほど戦っていた日本が敗戦と決まれば、整然と矛を収めたことである。この見事な収拾ぶりは世界の驚きであった。

 

 

 昭和十七年五月十日づけ 朝日新聞
 昨年の大東亜戦争開始以後の朝鮮人の戦争完遂に関する熱意は、献金にあるいはその他各種の銃後援護に強く表明され、内鮮一体の気運をますます頑固なるものがあるので、政府は朝鮮同胞のこの報国の赤誠に応え、朝鮮に徴兵制を施行し昭和十九年より実施し得るごとく決定した。

※ 戦前の日本が犯罪国ならば、朝日新聞は共犯者である。

 

 

 参考資料: タイ人新聞記者 ククリツト・プラモート(後のタイ国首相)
日本のおかげで、アジア諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体を損なったが、生まれた子供はすくすく育っている。今日、東南アジアの諸国民が、米・英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大な決心をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない。」

 

 

 参考資料: ソムアン・サラサス(タイ側交渉団)
「日本国民は餓死寸前でありました。日本中が焼野原でした。
そして、皇族も華族もいなくなり、有力な軍人と賢明な役人と高潔な政治家は牢に叩き込まれて誰もいません。
アメリカはそっくり返って威張っている。団員は口々に“こんな気の毒な日本を見ていられるか”と言いましたよ」

「(こんな値引きに応じて)“国へ帰ったら、殺されるかな”とフッと思った。
けれど、“まあいいや、友邦日本は悲惨な状態なんだから”と自分に言いきかせました。団員も同じ気持ちだったのです」

※ 大東亜戦争中、日本はタイから20億バール(当時の10億ドル以上)の借金をしていた。
しかし、タイは日本に同情してくれたため、2500万ドルにまで値引きしてくれた。

 

 

  参考資料: 一九五一年九月、サンフランシスコ対日講和会議の席上 
セイロン(現スリランカ)代表のJ・R・ジャヤワルダナ蔵相の発言
 「アジアの諸国民はなぜ、日本が自由になることを切望しているのか。
それは、アジア諸国民と日本との長きにわたる結びつきのゆえであり、また、植民地として従属的地位にあったアジア諸国民が、日本に対して抱いている深い尊敬のゆえである。
往時、アジア諸民族の中で、日本のみが強力かつ自由であって、アジア諸民族は日本を守護者かつ友邦として、仰ぎ見た。
私は前大戦中のいろいろな出来事を思い出せるが、当時、アジア共栄のスローガンは、従属諸民族に強く訴えるものがあり、ビルマ、インド、インドネシアの指導者たちの中には、最愛の祖国が解放されることを希望して、日本に協力した者がいたのである」。

※ セイロンは日本への賠償請求権を放棄。セイロンに続き、インド、ラオス、カンボジア、アメリカも賠償請求権を放棄している。

逆に性質が悪いのは寝返ったイタリアと、永世中立国(だったはず)のスイス。両者ともに日本から賠償金を分捕った。ただしイタリアはソ連に賠償請求されている。どうして半島国家はこーいう連中ばかりなのだろう?

 

 

 参考資料: ミャンマー(旧ビルマ) ビルマ独立義勇軍
アジア人の前衛たる日本人は、自らの社会経済的進歩と教育の発達のみを求めて闘いを進めたのではない。インド・ビルマ・チャイナ・フィリピン・スマトラなどにおいて、政治的にも経済的にも足かせをはめられて抑圧されていた人々のために闘ったのである。

 

 参考資料 : ビルマ外相 ウー・ヌー 1943年8月1日独立時の演説より
「歴史は、高い理想主義と、目的の高潔さに動かされたある国が、抑圧された民衆の解放と福祉のためにのみ生命と財産を犠牲にした例をひとつくらい見るべきだ。そして日本は人類の歴史上、初めてこの歴史的役割を果たすべく運命づけられているかに見える

 

 参考資料 : 初代ビルマ首相バーモウ 『ビルマの夜明け』
「真実のビルマの独立宣言は1948年の1月4日ではなく、1943年8月1日に行われたのであって、真のビルマ解放者はアトリー率いる労働党政府ではなく、東条大将と大日本帝国政府であった

 

 参考資料 : 初代ビルマ首相バーモウ 『ビルマの夜明け』
歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。

 

 参考資料 : バーモウ (ビルマ元首相 独立宣言)より (一問に百答 日下公人 PHP研究所)
 約五十年前ビルマは三回にわたる対英戦争の結果その独立を失えり、英国側はアジアに対する掠奪的野望を以て此等の戦争を遂行せり。英国はさらにその伝統的陰謀賄賂及び想像し得るあらゆる詐欺及び術策の武器をしようせり。・・・ビルマ人は徐々に搾取され時の進むに従い総ての国民的実質、莫大なる物資的資源、機会、文化、言語、さらに遂にはその生活様式までも失い・・・愛国者は挺身的精神をもって鎮圧、入獄、流謫、拷問及びしばしば死そのものを甘受して突進して来れり、これらの英雄はビルマの生存のため苦難を受け遂には斃れたり。・・ビルマ人はアジアを結合せしめアジアを救う指導者を待望しつつありしが遂にこれを大日本帝国に発見せり。・・・ビルマ人はこのビルマに対する最大の貢献に対する日本への感謝を永久に記録せんことを希望するものなり・・・」

 

 

 参考資料 : 「ロンドンタイムス図書週報」1968年5月23日号
「ビルマを長い植民地支配から解放した者は誰か。それはイギリスでは1948年、アトリー首相の労働党内閣だということになっている。しかし、バー・モウ博士はこの本の中で全く別の歴史と事実を紹介し、日本が第二次世界大戦で果たした役割を公平に評価している

 

 

 参考資料 : フィリピン独立記念での演説   パルガス フィリピン大使 
「しかし、大日本帝国は軍政を最終的に撤廃し、フィリピン共和国の独立を承認するというこのうえない形で、その高邁な精神と理念を証明した。帝国はその全ての誓約と宣言を誠実に守り、フィリピン国民が憲法を制定し、自らの文化と伝統に調和する国家を樹立する最大の機会を開いたのである。大東亜において日本帝国はあまりに激しく、あまりに不当に圧政暴虐の侵略者として非難されているが、その寛容と自由の実践は世界も驚くであろう。日本は帝国であったが一つの共和国を認め、まさにその樹立に参画した」

 

 参考資料 :  フィリピン ジョジョ・P・マリグ(フィリピン人ジャーナリスト)SAPIO(小学館)2000年12月20日号「PHOTO & REPORT 神風特攻隊はフィリピンで英雄だった/井上和彦氏」より

「この式典は日本とフィリピンの関係を知るよい機会です。私は先の大戦で戦ったすべての愛国者は”英雄”だと考えています。とりわけその尊い生命を国家に捧げた神風特攻隊員は尊敬すべき”英雄”だと思います。またカミカゼ・アタックを決断した大西瀧治郎中将も本物の”武士”です」

※ 平成12年10月25日、フィリピンでは、パンパンガ州マバラカットをメインに、タルラック州バンバン、同州カパスの3か所で、「神風特別攻撃隊」をはじめ戦没者の慰霊祭が挙行された。この慰霊祭には、特攻隊員の遺族ら日本からの参加者に混じって、フィリピン空軍将校やアメリカ人らも参列したのであった。

 

 

 参考資料 :フィリピン ダニエル・H・ディゾン画伯・・・1974年(昭和49年)、特攻隊の生き様に感動したディゾン画伯は、神風特攻隊慰霊碑の建立を思い立ち、マバラカット市長に進言。マバラカット飛行場跡地に慰霊碑を建立した。(引用は同上)
(アドレス:ttp://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/5410/gaikoku_kamikaze/kamikaze_philip.html)
 「いまから35年前に私は神風特攻隊の本を読みました。涙がとまらなかった。・・・こんな勇気や忠誠心をそれまで聞いたことがなかったからです。同じアジア人として、このような英雄がマバラカットと私の町アンヘレスで誕生したことを”誇り”に思っています

 

 参考資料 :フィリピン ダニエル・H・ディゾン画伯
(アドレス:ttp://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/5410/gaikoku_kamikaze/kamikaze_philip.html)
私達フィリピン人は白人支配の犠牲者ですょ

 

 参考資料 :フィリピン ダニエル・H・ディゾン画伯
(アドレス:ttp://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/5410/gaikoku_kamikaze/kamikaze_philip.html)
フィリピンは今でもアメリカのパペットレジーン(操り人形)ですよ

 

 参考資料 : 地元通訳 マリオ・ピネダ氏(2000年当時 73歳) 同上より引用
「かつて日本の統治を受けた台湾や韓国を見てください。立派に経済的な繁栄を遂げているでしょう。これは日本が統治下で施した”教育”の成果です。・・・・ですが、アメリカの統治を受けたフィリピンでは、自分たちでモノを作ることを学ぱせてもらえなかった。人々は鉛筆すら作ることができなかったのですよ。アメリカが自分達の作ったものを一方的にフィリピンに売りつけてきたからでした」

※ フィリピン人はアジア人でありながらその多くがスペイン風の名前を持ち、かつては英語を強要されていた。
英語はたしかに役に立つが、やはり強制的に欧米化されたことはフィリピン人には苦い歴史となっている。「英語が母国語なら英語の勉強をしなくてもいい」と考える日本人もいるが、大切なものは失ってはじめて気が付くのである。

 

  参考資料 :在比邦人何けテレビ局「WINSチヤンネル」のキャスターでウインズ・インターナショナルの社長・水島総(51)
「フィリピン人は日本で伝えられているような”反日”などではなく、むしろ親日的ですよ・・・。フィリピンの人々は戦争に対しては日本人よりも”リアリスト”です。戦争があれぱ多少なりとも悲劇はあると、現実的な考え方をしています。ですからフィリピンの人々は日本を責めようなどとは思っていません」

※ フィリピンでは日本軍の将軍が祭られていることもある(例 特攻隊の生みの親 大西中将など)
神風特攻隊を例に出して愛国心を教育するフィリピンの先生は少なくない。

 

 

  参考資料: 中華民国 『三民主義』 著者 孫文(中国革命の父)
ベルサイユ講和会議で、日本は五大国の一員として席に着いた。日本はアジア問題代弁者だった。他のアジア諸国は、日本をアジアの「先頭馬」として認め、その提案に耳を傾けた。白人人種にできることは日本人にもできる。人間は肌の色で異なるが知能に違いはない。アジアには強い日本があるから、白人人種はアジアのいかなる人種も見下すことはできない。日本の台頭は大和民族に権威をもたらしただけではなく、アジア全民族の地位を高めた。

※ 台湾の国旗の青・赤・白の3色は、孫文の唱えた三民主義(民族の独立、民権の伸長、民生の安定)を表している。

 

 

  参考資料 : 中華民国 汪兆銘(孫文の第一後継者にして中華民国南京政府主席)
「(日露戦争に対して)中国国民のこぞって願ったのは、日本の勝利だった。今日の現状をみて中日両国はとうてい心から相和することはできないという説をなすものがあると、私はその度に、昔東京で過ごした日露戦争当時のことを想い起こす」

※ 蒋介石は汪兆銘の墓を爆破している。支那人にとって死者を冒涜することは日常茶飯事ではある。このようなところに日本人には理解できない支那人の残虐性が見え隠れしている。

 

 

 参考資料: 1928年 「日本論」 戴天仇(中国人)
 清国はアロー戦争でフランスに敗れ、ロシアは満州を征服して日一日と南下政策を続けた。もし日本が北進に努力しなければ、ロシアは必ずや朝鮮を侵略したであろう。腐敗せる朝鮮王室と両斑ががどうして露国を一掃し得たであろうか。故に日本の北進はやむを得なかったのである。日清・日露の両大戦は、日本にとって民族の興亡、国家の存亡を賭した戦いであった。中国とロシアはともに世界の大国である。小をもって大を抗す、しかも十倍の大に抗するのである。日本人が気狂いでない限り、一歩退いて考えざるを得なかっただろう。<前進は生路であり、後退は絶路である>ということを彼らはよく承知していたのである。

 

 

 参考資料 : インドネシア スカルノ大統領
 「我々が(オランダから)独立を勝ち得たのは、日本があれだけ戦ったのに、同じ有色人種の我々に同じことが出来ない訳はないと発憤したからである

 

 参考資料 :インドネシアの中学3年用の歴史教科書
 「日本の占領は、後に大きな影響を及ぼすような利点を残した。第一に、オランダ語と英語が禁止されたので、インドネシア語が成長し、使用が広まった。日本軍政の3年半に培われたインドネシア語は驚異的発展をとげた。第二に、日本は青年達に軍事教練を課して、竹槍、木銃によるものだったとはいえ、きびしい規律を教え込み、勇敢に戦うことや耐え忍ぶことを訓練した。第三に、職場からオランダ人がすべていなくなり、日本はインドネシア人に高い地位を与えて、われわれに高い能力や大きい責任を要求する、重要な仕事をまかせた」

 

 参考資料 : インドネシアで50年間歌い継がれてきた「祖国防衛義勇軍(PETA=ペタ)マーチの歌詞

 “アジア、すでに敵に向かい、蜂起せり 己を捨てて全力を尽くす
連合国を粉砕せんと 玉散ることもいとわず
進め 進め 義勇軍 アジアとインドネシアの英雄 清き東洋に幸あれ
古きアジア 不幸に苦しむ 烈しき圧制に 幾世紀も忍ぶ
大日本 雄々しく立てり アジアを救い 我らを守る
進め 進め 義勇軍 アジアとインドネシアの英雄 清き東洋に幸あれ…”

 

 参考資料 : インドネシア アラムシャ第三副首相
日本軍政時代の3年半については、オランダ、チャイナ、アメリカなど、戦勝国の学者や、欧米に留学して日本が嫌いになった人々は、悪い面ばかりを誇大にあげつらっている。しかしそれでは全体を語ったことにはならない。

 

 参考資料 : インドネシア サイデマン外務省上級大使(陸軍大学長、駐日大使などを歴任)
 平成7(1995年)年5月29日「アジア共生の祭典」より
 「第2次大戦中、あるいはその直後、植民地の独立のために、外国の人々が力を貸してくれるということが見られました。 私の国インドネシアの場合、多くの日本の青年たちがインドネシアを自由にするために独立の闘士たちと肩を並べて戦ってくれました。そして多くの日本の青年がそのために命を捧げてくれました。今日このアジア共生の祭典において、私たちの独立のために命を捧げてくれたこれらすべての若者たちを偲びたいと思います」

 

※ 日本降伏後もインドネシアには1000人以上の日本軍兵士が残った。
その中にはわずかだが朝鮮系日本人もいたため、韓国が主張する「インドネシア独立は韓国のおかげ」というのも100%の間違いとは言えない。(それでも99%の間違いと言える)

 

 

  参考資料:名越二荒之助  「日韓2000年の真実」国際企画
 今から十五年前ほどの前、アジア各国の軍部代表がマニラに集まった時のことだ。例によってフィリピンと韓国の代表が、延々と戦争当時の日本軍と日本民族と現在の日本企業を罵倒する演説を打った。列席のアジアの親日家たちは「韓国代表の演説は痛烈無残で聞くに堪えなかった。だが、列席の日本代表(自衛官)は一言も発しなかった。」と悔しがった。そこで、インドネシアのアリ・ムルトポ准将は韓国の軍人に向かって次のように日本を擁護した。彼はASEAN(東南アジア諸国連合)結成の仕掛け人である。

中略

日本はアジアの光である。大東亜戦争は欧米人にアジア人の勇敢さを示したもので、チンギス・ハーンとともにアジア人の誇りである。  

中略 

ここで、インドネシアの日本民族の価値についての見方を申し上げる。今、忽然として日本民族がこの地球上から消えたら、アジアとアフリカは非常に困る。その時に韓国が一番困ると思う。韓国は工業大国日本と競争したから、立派な工業国になれたのである。

中略

もし、日本がシンガポールの地点にあったら、インドネシア人は少なくとも百万人が日本に住み、日本人と同等の教育を受けるから、その人間関係から日本の技術、市場、金融、スタッフ等活用することができる。だから企業の成功は容易である。つまり、日本の近いところに位置していることは、幸運なのだ。経済的支援を連続的に受けていると言ってもよいくらいだ。インドネシアが日本に近ければ、今のような貧弱なインドネシアではない。

中略

つまり、我々インドネシア人は「日本はなにもしてくれなくてもよい」と考えている。日本は欧米と肩を並べて進歩しているだけで十分、アジア・アフリカにつくしている、と考えている。だから、我々アジア人は外交面に弱い日本を支援したいと思っている。日本から援助をもらうだけで応援しないのでは運命共同体とは言えないし、対等のパートナーとも言えないのではないか>

 

  参考資料 :『祖国と青年』平成6年2月号、アラムシャ陸軍中将の大東亜戦争肯定論 中島慎三郎より)
インドネシアの元復員軍人省長官で東欧大使を歴任したサンバス将軍
 「日本の戦争目的は植民地主義の打倒であった。その目的の大半は達成したが、南アフリカ、アジアにまだ残っている。そんな時に行った村山演説は、植民地主義打倒の悲願を放棄したことになる。村山さんは日本の果たしてきた歴史を踏まえ、A・A(アジア・アフリカ)の悲願を代表して、まだ残る植民地主義を攻撃すべきであった。かつての日本は、スカルノ、ハッタ、バー・モウ、ラウレル・アキノ、汪兆銘、チャンドラ・ボース等を応援したのに、たった一度の敗戦で大切な目的を忘れてしまったのは遺憾である

 

 

 参考資料 : インドネシア オランダが日本に太平洋戦争での賠償を求めてきたことに対しての新聞記事 『祖国と青年』平成7年4月号P、37より
 「日本政府は、1958年に賠償と援助で8億ドルを出してくれた。ハッタ副大統領は“日本軍はインドネシア独立の恩人だから、賠償という名称は不適当だ。独立達成を記念する祝賀金として戴く”と言っていた。日本政府が3年半の占領の分として8億ドル払ってくれたのだから、オランダは350年分の賠償として800億ドル支払うべきだ。それに独立戦争の死者は80万人だから、一人当たりの補償金を1万ドルとすれば80億ドル、10万ドルとすれば800億ドルになる。つまり、オランダは最低1600億ドルぐらいは支払うべきである。その前に、まず女王に謝罪してもらいたい。」

 

  参考資料 : 名越二荒之助著『世界から見た大東亜戦争』展転社刊より
昭和63年(1988年)9月 マレーシア ガザリー・シャフェ外相 謝罪する日本の政治家に対して
 とくに私(ガザリー・シャフェ外相)が惜しいと思うのは、日本くらいアジアのために尽くした国はないのに、それを日本の政治家が否定することだ、責任感をもった政治家だったら、次のように言うだろう。
「その頃、アジア諸国はほとんど欧米の植民地になっていて、独立国はないに等しかった。日本軍は、その欧米の勢力を追い払ったのだ。それに対して、ゲリラやテロで歯向かってきたら、治安を守るために弾圧するのは当然でないか。諸君らは何十年何百年にわたって彼らからどんなひどい仕打ちを受けたか忘れたのか?日本軍が進撃した時にはあんなに歓呼して迎えながら、負けたら自分のことは棚に上げて責任をすべて日本にかぶせてしまう。そのアジア人のことなかれ主義が、欧米の植民地から脱却できなかった原因ではないか。」

 

 参考資料 : 中京テレビ製作のドキュメンタリー「IANFU(慰安婦)インドネシアの場合には」に対して、英字紙「インドネシア・タイムス」のジャマル・アリ会長のコメント

ばかばかしい。針小棒大である。一人の兵隊に一人の慰安婦がいたというのか。どうしてインドネシアのよいところを映さない。
こんな番組、両国の友好に何の役にも立たない。
我々には、日本罵倒体質の韓国や中国と違って歴史とプライドがある。
「お金をくれ」などとは、360年間、わが国を支配したオランダにだって要求しない。」

※ 中京テレビは恥を知れ

 

 

 参考資料 :インドネシア アリフィン・ベイ(ナショナル大学日本研究センター所長・政治学博士)
「魂を失った日本」未央社、57〜65ページより
 「日本に占領された国々にとって、第二次世界大戦とは、ある面では日本の軍事的南進という形をとり、他面では近代化した日本の精神的、技術的面との出会いであった。日本が戦争に負けて日本の軍隊が引き上げた後、アジアに残っていたのは外ならぬ日本の精神的、技術的遺産であった。この遺産が第二次大戦後に新しく起こった東南アジアの民族独立運動にとって、どれだけ多くの貢献をしたかを認めなければならない。日本が敗戦国になったとはいえ、その精神的遺産は、アジア諸国に高く評価されているのである。その一つに、東南アジアの教育に与えた影響があげられる。(中略)(日本は)目標達成のためにどれほど必死にやらなければならないかということを我々に教えたのであった。この必死の訓練が、後のインドネシア独立戦争の時に役立ったのである。」

 

 

 参考資料: 黄文雄(台湾の評論家)著 「罠に嵌った日本人」より
 アジアの中国・韓国嫌いのなかで最も過激なのはインドネシアだろう。インドネシアの在住華人は人口の3パーセントいるが、華語、華文の使用が禁止され華文の書籍は国内持ち込み禁止である。空港で見つかると没収されてしまうのだ。ただし同じ漢字を使っていても、日本語の書籍は問題ない。

 

 

 

 参考資料 黄文雄(台湾の評論家)著 「罠に嵌った日本人」より
 しかし中国人と韓国人はもともと自分さえ利益を得られたらそれでよいという社会性に乏しい儒教文化で育った人々であり、他人とのあいだに信用というものがなかなか成立しない。だからアジアばかりでなく、どこの国でも嫌われている。

 

 

 「台湾人と日本精神」 蔡焜燦 2000年 日本教文社(台湾出身の著者は岐阜陸軍航空整備学校奈良教育隊に所属していた)
昭和20年8月15日、終戦の詔勅下る。山奥での作業中に年輩の応召兵が『敗けた!』と隊からの伝令を口にしたまま、呆然と立ちすくんでいた。我々は何が起こったのかさっぱりつかめない。無理もない、玉音放送があることすら知らされていなかったのである。ただ中隊長の青ざめた表情は自体の深刻さを物語っていた。しばらくして、敗戦の事実が我々「台湾出身生徒」にも正式に伝達されたとき、悔しさと無念の気持でいっぱいになり、とめどなく込み上げる涙で頬を濡らしたことはいまでも鮮明に覚えている。無性に悔しかった。それは他の台湾出身生徒も同じ心境だった。他方、「朝鮮出身の生徒達」は、その日から食糧倉庫、被服倉庫を集団で強奪するなど、したい放題のありさまで、我々は複雑な心境でただそれを眺めていた。日本人を殴って、『戦勝国になったんだ』と威張りちらす者もいれば、『独立だ!』と気勢を上げる輩もいる。
敗戦の報は、それまで一つだった”国民”を三つの国民に分けてしまったのである。

「・・・一つだけいっておきますが、日本が台湾に謝罪する必要はありません。それよりも隣の大きな国と戦っている台湾を声援してください」

日本人よ胸を張りなさい

 

 「台湾人と日本精神」 著 蔡焜燦より
1999年5月22日 黄昭堂(昭和大学名誉教授)
「帝国主義は当時の世界の潮流であり、日本だけが謝る必要などない

 

 

 「台湾人と日本精神」 著 蔡焜燦より
台湾の実業家 許文襲
「台湾の今日の経済発展は、日本時代のインフラ整備と教育の賜物です。当時、搾取に専念したオランダやイギリスの植民地と違い、日本のそれは良心的な植民地だったのです」

※ 台湾では今でも「日本精神(リップンチェンシン)」という言葉が残っており、それは「勤勉で正直で約束を守る」という誉め言葉の意味である。

「戦前の日本の台湾統治に対し謝罪する必要などありません。戦後の日本政府は深い絆を持ちながら世界で一番の親日国家である台湾を見捨てました。謝罪すべきはむしろ戦後の日本の外交姿勢です」

※ 1970年代、米国が対ソ連戦略から中共と手を組んだ時、米国追従姿勢の日本は台湾と断交した。対ソ連の構えからの断交だったが、台湾を見捨てたことには変わらない。中台戦争勃発のときは日本は台湾を支援して戦うべきである。

 

 

 参考資料: マレーシア ラジャー・ダト・ノンチック元上院議員
この国に来られた日本のある学校の先生は「日本軍はマレー人を虐殺したに違いない。その事実を調べに来たのだ」と言っていました。私は驚きました。「日本軍はマレー人を一人も殺していません。」と私は答えてやりました。日本軍が殺したのは、戦闘で闘った英軍や、その英軍に協力したチャイナ系の抗日ゲリラだけでした。

 

 

参考資料 : マレーシア マハティール首相  黄文雄(台湾の評論家)著 「罠に嵌った日本人」より
 「日本の戦争責任を問うならば、それより以前、非人間的な支配と収奪をつづけた欧米の宗主国の責任はどうなるのか。日本が来たことで植民地支配から解放され近代化がもたらされた

※ マハティール首相は「許す。だが忘れない」ともコメントをしている。つまり大東亜戦争を全肯定しているわけではない。

 

 

 参考資料 : 1991(平成3)年12月 日本軍の上陸50周年特別式典にて
マレーシア ケランタン州(首都コタバルがある州)副知事ロザリー・イソハック
 「1991年、私達は日本のコタバル上陸50周年を祝いました。これがケランタン、つまり当時のマラヤにとって、意義ある出来事であったからです。ここコタバルは、日本軍最初の上陸地です。私は、戦争博物館の館長として記念行事を担当しましたが、多くの人がこの重要な出来事を、長く記憶に留めていただきたいと願っています。」

 

 参考資料 : マレーシア マラヤ大学副学長ウンク・アジス
「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声を上げました。敗れて逃げてゆくイギリス軍を見たときに、今まで感じたことのない興奮を覚えました。日本軍は永い間アジア各国を植民地として支配していた西欧の勢力を追い払い、とても白人には勝てないとあきらめていたアジアの民族に、驚異の感動と自信を与えてくれました。

 

 参考資料 : マレーシア ラジャー・ダト・ノンチック元上院議員(1941年当時16歳)
日本軍がもたらした『大和魂』のような考え方をもつことは、独立のためにどうしても必要でした。日本軍政下の訓練の結果、日本が降伏した後、英国人が戻ってきて植民地時代よりも悪質な独裁的制度をマレーシアに課そうとしたとき、人々は立ち上がったのです。」

 

 参考資料 : マレーシア ラジャー・ダト・ノンチック元上院議員.
新国家マラヤ連邦の建国の基本策と具体策は当時のマレー人青年の日本グループによって進められたと言っても過言ではありません。あの当時の国家計画庁本部は、昭南、マラヤの両興亜訓練所や日本に留学した南方特別留学生の同窓会の雰囲気でした。」

 

 

 参考資料 : マレーシア外務省情報センター所長ニック・モハマド
「これまで独立なんて考えたこともなかったので、徐々に植民地にされたのですが、日本の軍政下で反植民地主義に目覚めたのでした。民族意識は若者に影響を与え、彼らはもはや怠けてはいませんでした。皆、立ち上がったのです。これまでになかった大変貴重な3年と8ヶ月の経験でした。」

 

 

 参考資料 : インド ネール首相 自叙伝に書かれた日露戦争に対するコメント
このときの感動は私の一生をとらえた。私はこのとき初めて、自分の生涯をインドの独立運動に捧げることを誓った。」

※ ネルーは大東亜戦争を肯定してはいない。が、彼は韓国併合を日本の侵略と思っているため、彼の歴史観は当てにならない。

 

 参考資料 インド スバス・チャンドラ・ボース(インドの独立運動のネタージ(指導者))
1944.3.20自由インド放送より
 「…大東亜戦争開始以来、歴史に較べるもののない日本軍の勝利はアジアのインド人に感銘を与え、自由獲得の戦いに参加することを可能にした。日本政府は単に自己防衛のために戦うだけでなく、英米帝国主義のアジアからの撲滅を期し、さらにインドの完全な独立を援助するものである。いまやインド国民軍は攻撃を開始し、日本軍の協力を得て、両軍は肩を並べ、共同の敵アメリカ・イギリスの連合国に対し、共同戦線を進めている。外国の侵略の軍隊をインドから駆逐しない限り、インド民衆の自由はなく、アジアの自由と安全もなく、英米帝国主義との戦争の終結もない。」

 

 

 参考資料 : スバス・チャンドラ・ボースのこの世で最後の言葉 1945年(昭和20)8月18日 享年48歳
 「天皇陛下と寺内さん(寺内寿一・南方総軍総司令官)によろしく

 

 

 参考資料 : インド国会議員にしてインド独立運動家 マハンドラ・プラタップ
(アドレス:ttp://www.geocities.jp/bintan_arak/india/india-03.html)
「(連合国は)日本に対してこそ賠償を払うべきだ

※ インドはサンフランシスコ講和会議への参加を拒否、日本に対する賠償も放棄している。国際会議で一番難しいのは「日本人に喋らせること」と「インド人を騙させること」というジョークがあるほどインド人は熱血な政治家が多い。

 

 

 参考資料 : インド大統領 ラグ・クリシュナン 昭和44年「日本経済新聞」)
インドは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどということは想像もできなかった。それを我々と同じ東洋人である日本が見事に撃沈もした。驚きもしたが、この快挙によって東洋人でもやれるという気持ちが起きた。

 

 参考資料 : 2000年春、インド政府がインド国内で行った世論調査の結果より
インド人が好きな国&行ってみたい国ランキング第一位 日本

 

 

 

 参考資料 : インド 最高裁弁護士ラケッシュ・デヴィーディ
1997年8月に代々木公園野外ステージで開催された「インドの夕べ」での発言
インド独立の為に日本人が共に血を流してくれたことを忘れません

 

 

 参考資料 : インド S・S・ヤダフ(インド国民軍全国委員会事務局長、インド国民軍大尉)
 インドが日本のお陰を蒙っていることは、言語に尽くせない大きなものがあります。偉大な貴国はインドを解放するにあたって、可能な限りの軍事援助を提供しました。何十万人にものぼる日本軍将兵が、インド国民軍の戦友として共に血と汗と涙を流してくれました。インド国民軍は日本帝国陸軍がインドの大義のために払った崇高な犠牲を、永久に忘れません。インドの独立は日本陸軍によってもたらされました。ここに日印両国のきずながいっそう強められることを祈念します。

 

 参考資料 : 1997年8月インド独立50周年式典にてラビ・レイ元下院議長
「日本が日露戦争に勝った事によってインド国民が勇気づけられ独立運動に立ち上がった。」

 

 

 参考資料: インドの指導者マハトマ・ガンジー
世界を個人の自由にとって安全なものにするために戦っているという連合国側の宣言は、インドやアフリカが、イギリスによって搾取されているかぎり、またアメリカが国内に黒人問題をかかえているかぎり、空虚に聞こえる。

※ ガンジーは日本肯定派ではないが、欧米肯定派でもない。

 

 

 参考資料: ロンドン大学教授エリック、ホプスバウ 「過激な世紀」より
「インドの独立は、ガンジーやネールが率いた国民会議派による非暴力の独立運動によってではなく、日本軍とチャンドラ・ボース率いるインド国民軍(I N A )が協同してビルマ(現ミャンマー)経由インドへ進攻したインパール作戦によってもたらされた

※ 英国にとってガンジーは脅威ではなかった。英国の脅威は日本軍と、日本軍に触発されたインドの愛国者だったのである。インド・英国はこれを理解しているが、韓国・支那はこの事実をなかったことにしたいため、教科書問題などで内政干渉してくるのである。

 

 

  参考資料: レイキ博士(インド法曹界の重鎮)
「太陽が空を輝かし、月光が天地を潤(うるお)し、満天に星がまたたく限り、インド国民は日本の恩義を忘れない

 

 

 参考資料 : グラバイ・デサイ インド弁護士会会長・法学博士
1946年、デリーの軍事裁判に参考人として召還された藤原岩市F機関長に対する挨拶より
 「このたびの日本の敗戦は真に痛ましく、心から同情申し上げる。しかし、一旦の勝負の如きは必ずしも失望落胆するに当たらない。殊に優秀な貴国国民においておやである。私は日本が十年以内にアジアの大国として再び復興繁栄する事を確信する。インドは程なく独立する。その独立の契機を与えたのは日本である。インドの独立は日本のお陰で三十年早まった。これはインドだけではない。インドネシア、ベトナムをはじめ東南アジア諸民族すべて共通である。インド四億の国民は深くこれを銘記している。インド国民は日本の国民の復興にあらゆる協力を惜しまないであろう。他の東亜諸民族も同様である。」

 

 

 

 参考資料 :インド初代大統領ジャワハルラル・ネルー
貝塚茂樹編『民族解放の星』講談社、253〜4頁より
 「チャンドラ・ボーズが日本と協力してつくったインド国民軍《INA》の裁判で、弁護士として法廷に立ち「これら立派な若者達の主たる動機は、インド解放への愛情であった・・・・彼らの日本との協力は、インド解放を促進するための手段であった。余はチャンドラ・ボーズ氏の独立への情熱を疑わない」と述べた。」

 

 参考資料: パンデイット夫人(国連総会議長をつとめた女性政治家であり、インドの英雄ネルーの妹でもある) 1945年アメリカにて
日本を貶(おとし)めようとする内外の歴史家や自虐史観に立つ人たちは、これまで太平洋戦争がもたらしたアジアの民族主義への影響をことさら「無視」し続け、あるいは「過小評価」してきました。」

 

 

 

  参考資料: インド ラダ・ビノード・パル極東国際軍事裁判判事
 欧米諸国は日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示する目的であったにちがいない。日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、退廃に流れていくのを、私は平然と見過ごす訳にはゆかない。誤られた彼らの宣伝を払拭せよ。誤られた歴史は書き換えられなければならない。

 

 

 参考資料 : ドイツの歴史教科書 ベスタ―マン社「アノ」=高等教育用
 日本の勢力地域は中国からタイ、フィリピン、インドネシアにまで至り、1942年には4億5000万人を支配したが、当初、日本によって白人の植民地支配から解放されたと考えるものも少なくなかった。

 

 

  参考資料 : ドイツの歴史教科書 
産経新聞「教科書が教えている歴史より」 歴史教科書=中等教育用
 日本のナショナリストや軍国主義者は、黄色人種を白人の支配から解放するために戦争を遂行したと主張した。この中で自分たちの利害を包み隠しているが、真実をついた面もある。ベトナムやインドネシア、インドなど、欧州諸国に支配されていた植民地諸国の国民による独立運動は、日本(初戦)の勝利によって加速された。数年のうちにニッポンは欧州の植民地支配層を追い出し、こうした支配層の特権が大きく損ねられたからだ。

 

 

  参考資料 : ベルリン自由大学ヴィッパーマン教授
 「日本について私が理解できないことがあります。コリアンの強制売春の問題です。日本ではそれが大問題となり、コリアンに対して公式に謝罪が行われました。ドイツでは議論はありません。これはアジア文化と結びついているんでしょう。あるいはコリアンの圧力団体があるのでしょう
戦争においては、これはまったくふつうのことです。例えば、フランスの軍隊も売春宿や売春婦をもちろん持っていました。そうでなければ兵士達はホモになったでしょう。私はこの問題を理解できません」

 

 参考資料 : ドイツ軍退役将軍ウーレ・ウエットラー
 「純粋に軍事史的見地から調べた結論から言うと、兵士の訓練度、司令官の質、全ての面で日本軍の優秀さは群を抜いていた。民間人に対する対応も、占領軍であるにも関わらず、実に礼儀に富んだものであった

※北アフリカにおけるドイツ軍は、占領軍であるにも関わらず、実に礼儀に富んだものであった。リビアやエジプトの人々はドイツ軍を解放軍であると信じてドイツ軍の勝利を願ったのである。戦後、北アフリカ戦線で作ったコネクション、特にエジプトによって多くのナチ戦犯が匿われた。もしもドイツ軍が虐殺しかしなかったらこのようなことは起きなかっただろう。ハリウッド映画の影響でドイツ軍は悪魔のように描かれているが、現存する歴史資料はソ連軍こそ悪魔であると示している。

 

 参考資料 : ドイツ第三帝国総統アドルフ=ヒトラー 1941年9月21日
「(日露戦争の)旅順陥落の授業の時、学校の私のクラスにいたチェコ人の子は泣いていた。他の人はみんな興奮して喜んでいた!この時から私は日本人に好意を抱くようになったのだ

※ ヒトラーは大戦前半は日本人を黄色人種と見下していた。日本軍によってシンガポールが陥落した時、同盟国である日本に敵意を燃やしていたのは、黄色人種に対する白人のプライドが許さなかったからであろう。しかしそれはヒトラーが酷い差別主義者ではなく、当時の白人の感覚で言えば極めて普通であった。また当時の欧州で日本人がもっとも過ごしやすい都市はナチス・ドイツの帝都ベルリンであった。そもそも第二次大戦当時、人種差別が「悪」という価値観のが一般化した現在のような世の中ならば、日本が勝ち目の無い戦争をする必要も無かったのである。

 

 参考資料 : ドイツ第三帝国総統アドルフ=ヒトラー 1942年1月5日
 「我が国にも2種類のドイツがあるように、日本にも2種類の日本がある。一つが資本主義的、親英的日本。もう一つは「日出づる国」「サムライの国」としての日本だ。日本海軍は後者の具現化だ。人間が自分自身の本質に一番近いものを見出すのは海の男の中なのだ。」

※ ヒトラーは坂本竜馬に大きな興味を持っていた。現在でこそ坂本竜馬は英雄であるが、それは1962年〜1966年にかけて産経新聞の夕刊に連載された「竜馬がいく 司馬遼太郎著」が大ヒットしたがゆえであり、それ以前は日本でも無名の英雄だった。ヒトラーは日本人を有色人種と見下していたが、その割には同盟国の歴史はしっかりとチェックしている男でもあった。

 

 

 参考資料 : ドイツ第三帝国総統 アドルフ=ヒトラー 「大日本帝国の興亡」より
「われわれは戦争に負けるはずがない!
われわれには三千年間一度も負けたことのない味方が出来たのだ。
われわれは常に先制攻撃をかける!
ルーズベルトはウッドロー・ウィルソン同様の狂人だ。
やつはまず戦争を煽動し、次に戦争の原因を捏造し、そして汚らわしくもキリスト教の偽善の外套を身にまとって、自分の攻撃が正当なものだという証人として神の名を呼びながら、ゆっくりと、しかし確実に人類を戦争に導いてゆく。
諸君!
諸君は皆ついに救いを見出したと思う。
一つの国家が、その真実と正義の歴史の中で例のない恥知らずな扱いについに抗議する措置をとったのだ。
日本が、日本国政府が、この男と何年もの交渉の末、ついに三文の値うちもないやり方で嘲弄されることにあきた事実は、ドイツ人の全て、そして世界の全ての謙虚な人々を深く満足させるものである。
そこで私は本日、アメリカの代理大使ならびにその部下に対し旅券を渡すよう手配した。
よってドイツ国政府はアメリカとの全外交関係を断絶、ルーズベルト大統領により招来されたかかる状況下において、ドイツもまた本日よりアメリカと戦争状態にあると考える。」

※ 何故ヒトラーが義務ではないのにアメリカに宣戦布告したのかは謎である。しかしドイツよりも先にイタリアがアメリカに宣戦布告しているという事実はさらに謎である。欧州情勢は複雑怪奇なり・・・

 

 参考資料 : ドイツ第三帝国総統アドルフ=ヒトラー 「ヒトラーのテーブルトーク」より
日本人がどれほど狡猾な外交上手であるかを物語るエピソードを披露しよう。白状すると、私自身も危うく罠にはめられるところだったのだ。日本人は平衡感覚の混乱に対して過敏であり第1級のパイロットにはなれないとかいう説を、いつだかどこかの誰かが打ち出したらしい。このもっともらしい説を各国のうぶな軍首脳部がすっかり信じ込んでしまった。これを知った日本の政治家は、この説をさらに広める努力をした。一方で日本軍は、これをカムフラージュにせっせと空軍を充実させた。やがてその充実ぶりが世界をアッといわせることになったわけだ」

 

 参考資料 : H・G・ウェルズ(イギリス人歴史学者)
「この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石をおいた。」

 

 

 参考資料 : イギリス軍東南アジア総司令部司令官マウントバッテン大将(『ビルマ戦線の大逆襲』 ルイス・マウントバッテン著より)
 「かつて不敗を誇った日本軍も半年の死闘に衣服や靴もボロボロとなり、ささえるものは不屈の精神力だけであった。日本軍はインパールにおいて、ついに敗れたが、そこには何かが残った。それは歴史学の権威トインビーがいみじくも喝破したとおりである。すなわち『もし、日本について、神が使命を与えたものだったら、それは強権をわがもの顔の西欧人を、アジアのその地位から追い落とすことにあったのだ』」

 

 

 

 参考資料 : アーノルド・J・トインビー(イギリス、歴史学者) 1965年十月二十八日、英紙「オブザーバー」より 第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したと言わねばならない。その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。

 

 

 参考資料 : スリム中将(イギリス第十四軍司令官) 「敗北から勝利へ」より
 「たたかれ、弱められ、疲れても自身を脱出させる目的でなく本来の攻撃の目的を以て、かかる猛烈な攻撃を行った日本の第三十三師団の如きは、史上にその例を殆ど見ないであろう。」

 

 

 参考資料 : スリム中将(イギリス第十四軍司令官) 「敗北から勝利へ」より
「かくの如き望みのない目的を追求する軍事上の分別を何と考えようとも、この企図を行った日本軍人の最高の勇気と大胆不敵さは疑う余地がない。私は彼等に比肩し得べき如何なる陸軍も知らない。」

 

 

 参考資料 : ベルナール・ミロー(フランス人ジャーナリスト)『神風』より
 「これら日本の英雄達は、この世界に純粋性の偉大さというものについて教訓を与えてくれた。彼らは1000年の遠い過去から今日に、人間の偉大さというすでに忘れ去られてしまったことの使命を、とり出して見せつけてくれたのである。」

 

 

 参考資料 : 英国サッセックス大学のクリストファー・ソーン教授 「太平洋戦争とは何だったのか」より
「日本は敗北したとはいえ、アジアにおける西欧帝国主義の終焉(しゅうえん)を早めた。

 

 

 参考資料: 東京裁判のオランダ代表判事を勤めたレーリンク
日本は西洋諸国の植民地を解放した罪によって罰せられたが、その四半世紀もたたないうちに、昭和三十五年(1960年)に国連が植民地を保有することを不法行為であると宣言し、その後、国連総会が植民地の保有を犯罪として規定すらした」

※ オランダは日本軍と戦って戦死した兵士より、ドイツ軍に協力して連合軍と戦って戦死した兵士のほうが多い。

 

 参考資料 : 参考資料: 英国、ディリー・メイル紙
「日本が戦争を始めた理由は、フィリピンを初めとする東洋へのアメリカの進出を、いかに日本が恐怖に感じたかを理解しなければ分からないだろう。また1941年(昭和十六年)に、アメリカが日本へのいっさいの石油資源の供給を絶った時の日本の感じた深刻さも無視することはできないであろう。
そう考えてみれば、真珠湾攻撃を一方的に卑劣だと非難することはあたらない

 

 

 参考資料: 「新しい現実」 著者:P・F・ドラッガー・・・「マネジメントの父」と呼ばれる経営学の第一人者
 しかし、結局のところ、最後に勝ったのは日本だった。日本のとった道、すなわち、自らの主権のもとに、近代化、西洋化をはかるという道が、結局、西洋を打ち負かした。日本は西洋を取り込むことによって、西洋の支配を免れた。軍事的には、日本は第二次世界大戦(大東亜戦争)において、歴史上、最も決定的な敗北を喫した。自ら植民地大国たらんとする政治的な野望は達せられなかった。しかし、その後の推移では、政治的に敗北したのは西洋だった。日本は、西洋をアジアから追い出し、西洋の植民地勢力の権威を失墜させることに成功した。その結果、西洋はアジア、ついでアフリカの西洋化された非西洋世界に対する支配権を蜂起せざるをえなくなった。

 

 

 参考資料:レジナルド・カーニー博士(黒人史専攻)
 歴史上、日本人が持ち得たもっとも親しい友人、それがアメリカ黒人だった。・・・この本を読んでいただければ、日本の政治家や知識人たちが黒人を差別する発言を繰り返したときに、なぜ黒人があれほどまでに怒り悲しんだかを、心から理解してもらえるはずである。
かつて、黒人から同じ有色人種として敬われていた日本人。そんな日本人が、今ふたたび、その尊厳と親愛の念を取り戻せることを、私は心から祈って止まない。おごりのない、謙虚な日本人−それが私の願いである。

※ ”自称”世界一の親日国家
トルコ インド パキスタン インドネシア ミャンマー ベトナム アメリカ(黒人社会) ドイツ(軍オタ・アニオタ・ネオナチ) 台湾 ブラジル アフガン エジプト アルゼンチン メキシコ 南アフリカ タンザニア、韓国(親日派)・・・その他大勢

 

 参考資料: 太平洋戦争当時、黒人兵士の間で流行ったジョーク
「墓石にはこう刻んでくれ。白人を守ろうと、黄色人種と戦って命を落とした黒人、ここに眠ると。」

 

 

 参考資料: 黒人運動の指導者デュボイス
「アメリカが日本人の権利を認めてさえいれば、戦争は起こらなかったはずだ

 

 

 参考資料:「ピッツバーグ・クリア」紙
「広島と長崎に原爆が落とされた時、何万という人間が一瞬にして殺された。これを残忍と言わずして、何を残忍と言おう

 

 

 米国太平洋艦隊司令長官ニミッツ元帥(尊敬する人 東郷平八郎)
 「この島(パラオ共和国ぺリリュ―島)を訪れるもろもろの国の旅人達よ。故郷に帰ったら伝えてくれよ。この島を守るために、日本軍人は全員玉砕して果てた。その壮絶極まる勇気と祖国を想う心根を!」


↑ 実際の石碑

 

 参考資料 : 元米国司法長官ロバート・ケネディ(ジョン・F・ケネディの実弟)
キューバ危機時の国家安全保障会議執行委員会において、ケネディ弟がケネディ兄(大統領)に渡したメモより

真珠湾奇襲を決断した時の、東条首相の気持ちがよく分かる

※キューバ危機勃発当初、米国首脳部では交渉決裂の際は、奇襲によるキューバ基地爆撃もやむを得ないという意見が優勢だった。

 

 

 参考資料 : 元米国司法長官ロバート・ケネディ(当時36歳)
兄が東条になってしまう

※ケネディ大統領が秘密録音していた会議記録「ケネディ・テープ」によると、21回の会議で「パールハーバー(真=珠湾)」という言葉が13回、出席者の口から出ている。
 当時の米国首脳部は、キューバ危機当時のアメリカの立場が、戦前の日本のそれに極めて酷似していることを理解せざるを得なかったのである。
しかし、ハリウッド映画「13デイズ」ではこの部分はカットされている。

 

 

 

 参考資料 : ジョイス・C・レブラ女史(アメリカ、コロラド大学歴史学部教授)
「東南アジアの開放と日本の遺産」秀英書房、256〜7ページ

大東亜戦争下、アジア諸国に進駐して行った日本軍政の最大の特徴の一つは、各国の青年を教育し、組織し、独立精神を振起した点にある。その遺産は戦後も様々な形で生き続けている。

 日本の敗戦、それはもちろん東南アジア全域の独立運動には決定的な意味を持っていた。今や真の独立が確固とした可能性となると同時に、西洋の植民地支配の復活も、許してはならないもう一つの可能性として浮かび上がってきたのである。民族主義者は、日本占領期間中に(日本軍により)身につけた自信、軍事訓練、政治能力を総動員して、西洋の植民地復帰に対抗した。そして、日本による占領下で、民族主義、独立要求はもはや引き返せないところまで進んでしまったということをイギリス、オランダは戦後になって思い知ることになるのである。(中略) さらに日本は独立運動を力づけ、民族主義者に武器を与えた。日本軍敗走の跡には、二度と外国支配は許すまいという自信と、その自信を裏付ける手段とが残ったのである。東南アジアの人間は今や武器を手にし、訓練を積んでおり、政治力、組織力を身につけ、独立を求める牢固たる意志に支えられていた。

 

 

 参考資料 : モルデカイ・モーゼ(ユダヤ系米国人) 「日本人に謝りたい」より
 戦後すでに三十数年を経た今日、日本人は真の日本歴史を構築してきたという実感を全然感じない、とよく仰る。私にはその意味がよく分るような気がするのである。
 それの意味するところは、経済の驚異的高度成長に反比例する精神面の退化現象とこの二者にみる跛行性のことではないだろうか。戦後は虚妄だといわれて久しい。私がここで考えることは、何よりもこの跛行性の原像を日本人はまだつかんでいないのではないかということである。この病理のルーツが分からないと、治療法も発見できないのは至極当然であろう。日本をこよなく愛する私としては、この間題を解明して日本人が真の日本歴史を生き生きと構築できるよう側面から及ばずながらお助けしなければならないという強い義務感、責任感におそわれるのである。 何故か。それはこれら病巣のルーツが殆ど誤れるユダヤ的思考の所産であるからに外ならないからである。
われわれは信じ難いほど頭が悪かったのだ。

(略) もしユダヤ人が最も大切なことに頬被りしたままで日猶親善を求めるなら、それは間違いなく失敗に終わるであろう。 私は今後の末永き日猶親善のためこの筆をとったのである。この拙稿がささやかな日猶親善の礎となれば望外の喜びである。

一九七九年十一月三日 モルデカイ・モーゼ

 

※ この本は、ナチスの宣伝相 「Goebbels」のことを一貫して「ゲッペルス(正確にはゲッベルス)」と誤って表記していたり、ホロコーストに用いられた偽文書『ユダヤ議定書』 を間接引用していたりしてる怪しい本である。
 ハルノートを突きつけて日米戦争を起こしたルーズベルト大統領はユダヤ人であった。戦後、日系人が強制収容所にぶち込まれたことに「ホロコースト」の名称を使おうとしたが、ユダヤ団体の抗議によって中止された。ユダヤ人には「被害者は一つの民族でいい。謝罪と賠償を請求できるのはユダヤ人だけだ」という捻じ曲がった選民思想があるのである。そんなことばかりしているから嫌われるのだが、それを言うと同じユダヤ人に対してさえ「ネオナチ」のレッテルを貼るため手がつけられない。日本にユダヤ人がいなくて本当に良かったが、代わりに黄色いユダヤ人がいる。日本海があることが唯一の救いかもしれない・・・

 

 

 

 参考資料: 1988年 ロナルド・レーガン米大統領  「沖縄タイムス2000年12月7日号」より
「米国民は戦争のなかで混乱状態にあり、混乱の中で米国は日系人の収容という過ちを犯してしまいました」

※ 米国政府は1941年11ヶ月には収容する日系人のリストを作っていた。
米国政府は真珠湾攻撃の前から日系人を収容するつもりだったのであり、混乱の中でという発言は嘘である。

 

 

 参考資料:1994年4月 レイモンド・イッキース(太平洋戦争当時 米国司法省敵性外国人管理担当) 「沖縄タイムス2000年12月7日号」より
「南米で調査をしたが、日系人を逮捕、抑留する正当な理由は見つけられなかった。国務省のエマーソンと共に強制連行、抑留に疑問を示し、中止を司法省に申し入れたがすべてはもう動きだしている。今さら止めることはできんのだ、と告げられた」

※ ヒトラーがドイツに忠誠を誓うユダヤ人をドイツ国民として受け入れたのに対し、ルーズベルト米国大統領は日本人の血を引いているという理由だけで収容所にぶち込んだのである。この差は非常に大きい。

 

 参考資料: 1999年 クリントン米大統領 「沖縄タイムス2000年12月7日号」より
「(米国は日系米国人を正当な理由なしで強制収容所にぶちこんだという)過去の過ちを認め、よりよい未来を共に創造していくことを約束します」

※ 大多数のアメリカ人にとって太平洋戦争は正義の戦争であり、対日戦争そのものを謝るつもりは毛頭ない。
しかし、当時の米国の行動にも過ちがあったことを認める人間は確実に増え始めている。
問題なのは、そのような良識のある人々がネオナチや共産主義者のレッテルを張られてしまうことである。

ちなみに韓国はベトナムに謝ったことは一度もない(2003年現在)

 

 参考資料: 「産経」01/8/29
【ソウル28日=黒田勝弘】韓国の金大中大統領は先ごろ韓国を訪問したベトナムのチャン・ドク・ルオン大統領に対し、韓国軍がベトナム戦争に参戦したことについて「謝罪」したが、その後、野党サイドや退役軍人らから「謝罪はいきすぎだ。参戦将兵の名誉を傷つける。大統領の歴史認識を疑う」として批判の声が出ている。韓国軍はベトナム戦争に際し米国の要請で一九六四年から一九七三年にかけ延べ約三十万の兵力を派遣し約五千人が戦死した。しかし韓国政府としてはベトナム共産化を防ぎ自由民主主義を守るためで侵略ではなかったとの立場から、九二年の国交樹立以降も「不幸な時期があった」として「遺憾」は表明したが謝罪はしなかった。ところが、金大中大統領は先週、訪韓のルオン大統領との首脳会談で「不幸な戦争に加わり、本意ではなかったがベトナム国民に苦痛を与えたことについて申し訳なく思う」と初めて謝罪した。これに対しルオン大統領は「韓国の参戦でベトナム人に苦痛があったという指摘もあるが、両国は未来志向的に関係を構築していかなければならない」と述べ過去には関心を示さなかった。ベトナムはベトナム戦争に勝利したとの立場もあってどこにも謝罪は要求しておらず、米国も謝罪はしていない。今回の金大中大統領の突出した発言は、参戦当時、韓国軍の一部に残虐行為があったとする国内の左派や進歩派の最近の主張を意識したものではないかとの見方もある。この発言を最も批判しているのが野党ハンナラ党の朴槿恵副総裁。ベトナム参戦を推進した故朴正煕大統領の長女だが、金大統領に対し「自由民主主義体制に対する確固たる信念」がないと語りその「国家観」に疑問を呈している。このほかベトナム派遣軍司令官を務めた蔡命新、李世鎬の両氏も大統領に公開質問書を送っている。

※ 2001年8月23日、朝日新聞は「韓国の金大中大統領はベトナム戦争について謝罪とした」という記事を書いた。しかし、日本経済新聞(8月24日朝刊)では「青瓦台(大統領府)関係者は「謝罪ではなく遺憾の意の表明」と説明している」と書かれているし、金大中の発言内容を見ても、悪いのは米国で韓国は被害者のような言い方であり、謝罪というより言い訳の類である。
また韓国内の世論も反省するつもりはゼロであり、謝罪とは到底言えない。
もしも本気で「謝罪した」と言い張るならば教科書に侵略戦争を行ったと記述し、賠償もするべきである。

1997年 遺憾の意を表す
2000年8月 韓国石油公社がベトナムで油田発見
2001年8月23日午前 金大中韓国大統領謝罪
2001年8月29日 野党や退役軍人、謝罪に反発

 

 参考資料: 「人民網日本語版」2002年6月22日
金大中大統領、二男逮捕で国民に謝罪
韓国の金大中大統領は21日午後、二男の金弘業氏があっせん収財容疑で逮捕されたことでテレビを通じて国民に謝罪した。また、金弘業氏が「法で厳しく裁かれるだろう」と述べた。

 参考資料: スポニチアネックス社会 記事2002/05/17
韓国の金大中大統領の子息をめぐる不正疑惑を捜査しているソウル地検は16日、利権に介入して巨額の金を受け取っていた疑いが強いとして、あっせん収財(金品授受)容疑などで金大統領の三男、弘傑氏(38)に出頭を求め、事情聴取した。容疑が固まれば18日にも逮捕する方針とみられる。逮捕されれば年末の大統領選や来月13日の統一地方選を控えた大統領の信頼は失墜、大きな打撃となりそうで、韓国政界に衝撃が広がっている。

 参考資料: 京都新聞 2003/06/19
【ソウル18日共同】韓国の金大中前政権下の北朝鮮への秘密送金事件を捜査している特別検察官は18日、2000年6月の南北首脳会談の準備を担った朴智元・元文化観光相を逮捕した。韓国の通信社、聯合ニュースによると、朴元文化観光相は現代グループから北朝鮮の金剛山観光でのカジノや免税店事業承認への支援などの請託を受け、150億ウォン(約15億円)を受け取ったとされ、逮捕容疑は収賄や職権乱用という。朴文化観光相の逮捕で南北首脳会談の裏側で贈収賄があったことが浮上、国際的にも高い評価を受け金前大統領のノーベル平和賞受賞の理由にまでなった会談の評価は大きく傷つき、金前政権の対北朝鮮政策の評価にも打撃を与える。金前大統領が首脳会談前に北朝鮮への5億ドル(約600億円)送金の事実を知っていたのかが疑問点として残っており、特別検察官が前大統領への事情聴取に踏み切るかどうかが焦点になる。

※ 韓国では、大統領は退任すると犯罪者になるのは伝統行事である。

 

 

 参考資料 : ジョージ・S・カナヘレ(アメリカ、ハワイ日本経済協議会事務局長・政治学博士)

 日本占領軍がインドネシア民族主義のために行った種々の仕事の中で、最も重要なものの一つは、正規軍及び准軍事組織を創設して、それに訓練を与えた事である。(中略) インドネシア人が軍事訓練を受けたことの意義は極めて重要なものであった。これが後のインドネシア革命軍の大部分の将校と何千の兵士となり、復帰してきたオランダ勢力と独立戦争を戦う際の基盤となった。日本によって与えられたこのような機会がなかったならば、戦後のインドネシア民族革命の経過は違ったものになっていたであろう。

 

 

 参考資料 : 米国の著名な月刊雑誌、フォーチュンの当時の記事(昭和二十四年四月号)より
 「法廷に証人として出廷せず、従って宣誓無しに作成された検事側書類を証拠として受理し、検事と弁護人に異なる(大差ある)審理手続きで弁護側に不利を与えた東京裁判は、判決に批判の余地を残した。

 

 

 参考資料 : アメリカ合衆国ダグラス=マッカーサー元帥
昭和25年(1950年)10月にウェーク島でトルーマンン大統領と会談中の会話
東京裁判は誤りだった

 

 

 参考資料 : 日本糾弾の急先鋒であった首席検事キーナン。東京裁判から数年後の発言
「東京裁判はいくつかの重大な誤判を含むのみならず、全体として、復讐の感情に駆られた、公正ならざる裁判だった」

 

  参考資料 : オーストラリア 東京裁判ウェッブ裁判長
東京裁判は誤りであった

 

 参考資料 : セオボルト米海軍小将
「まさしくハルノートは、日本を鉄棒で殴りつけた
挑発であった。」

 

 

 参考資料 : 元米国大統領ハーバート・フーバー(ルーズベルトの前任者)
「もし我々が日本人を挑発しなかったら、日本人から攻撃を受ける事は決して無かったであろう」

 

 

 参考資料 : フランクリン・ルーズベルト 英国王立公文書館の資料にあるチャーチル首相が大西洋上の軍艦でルーズベルト大統領と昭和十六年(1941年)八月十日と十一日におこなった大西洋憲章制定に関する秘密会談の一部より
如何にしたら日本が先に、米国に攻撃を仕掛けるかを検討中である。

※ 本人が自白していることからも米国に非があるのは明らかである

 

 

 参考資料 : アメリカ合衆国 高学年用教科書「ジ・アメリカンズ」 項目「日本が米国を攻撃」より
 「日本の膨張主義者たちは満州から中国、さらにタイやインドネシアにまで広がる植民地帝国を築く夢を長く抱いていた。この夢が満州侵略、その後の中国侵略を導いた。日本は一九四一年七月、インドシナのフランス軍基地を占領して南進し、米国は経済制裁で対抗した。この経済制裁の中には日本が絶対に容認できないものがあった。軍需機構を維持するのに必要な石油である」

 「十月、好戦的な東条英機将軍が新首相になった。東条は就任早々、天皇に対し米国との和平交渉を成立させる最後の試みを約束し、特別代表をワシントンに送り込んだその日に海軍に出撃準備命令を出した。米国は日本の暗号通信(外交暗号)を解読しており、日本が戦争準備に入っていることを知っていた。ただ攻撃がどこを目指しているのかわからなかった。ルーズベルトは十一月下旬、ハワイ、グアム、フィリピンの米軍司令官に戦争警告を発していた。その警告にはこうあった。戦争が避けられない状況になった場合、日本がまず好戦的行為にでることが望ましい」

※ 2003年現在のアメリカの教科書では、真珠湾攻撃は日本の奇襲攻撃ではなく、アメリカが挑発しまくった結果であるような書き方がなされているものもある。

 

 

 参考資料 : アメリカ合衆国 歴史教科書「ボイヤーズ・アメリカン・ネーション」(1998年版)

 「トルーマンの原爆投下命令は果たして正当化できるのか。大変な過失ではないのか。トルーマンは日本が無条件降伏を拒絶したためと説明している。これによって米軍兵士の損失を防いだ。さらに真珠湾攻撃への代償を日本は何十倍にして返さなくてはならなかったと述べた。しかしこれに対し、歴史家の一部は疑問を呈している。米国は暗号を解読しており、日本がモスクワ経由で降伏条件を打診していることを知っていた。さらにスターリンはドイツ降伏から三カ月以内、つまり八月初旬には日本に参戦すると話していた。ならば原爆投下や本土決戦なしに勝利は可能だったのではないか。そう歴史家は論じている」

※ 2003年現在、米国の中で原爆投下不当論を唱えている教科書はかなり少ないが、しかし確実に歴史の見直しは進んでいる。

 

 

 参考資料: 国際派日本人養成講座 17,674部 H11.12.09
■2.真珠湾の7ヶ月前に日本爆撃計画■
第一のニュースは、日本の真珠湾攻撃の7ヶ月も前に、米軍が蒋介石軍に荷担して、日本爆撃を計画し、陸軍長官、海軍長官、そしてルーズベルト大統領自身が承認のサインを与えていた書類が明るみに出たことである。この作戦には350機のカーチス戦闘機、150機のロッキード・ハドソン爆撃機を使用するとし、また大阪、神戸、京都、東京、横浜の爆撃には木造住宅の多い日本民家に効果のある焼夷(しょうい)弾を使用すべきであるなどとする内容もあった。後の本土空襲の原形がすでに考えられていたのである。実際には、欧州戦線への爆撃機投入を優先したため、この計画は実施が遅れて、その前に真珠湾攻撃となった。[2]
しかし、この案が突飛なアイデアでない証拠として、すでに米軍の最新鋭戦闘機とパイロット約100名、地上要員約200名のフライング・タイガーと呼ばれる一隊が、義勇兵を装って、蒋介石軍に参加していた事実がある。上記の爆撃計画は、この戦闘機部隊に爆撃機を加えて、日本本土を直接攻撃しようという拡張案なのである。[3]
これは完全な中立義務違反で、こんなことが国際法上許されるなら、たとえば台湾が中国に攻撃された場合、自衛隊を台湾に義勇兵として送れば、日本は中立と平和憲法を維持したまま、実質的に参戦できることになる。
2.「米『真珠湾』直前 日本爆撃を計画」、産経新聞、H11.07.15、東京朝刊、1頁総合1面、関連記事が国際2面に2件
3.「発覚したルーズベルトの”だまし討ち計画”、前田徹、正論、H11.10

 

 

 

 参考資料 :  マクホン・ボール(メルボルン大学教授)
「(東京裁判を)もう一度傍聴したら、必ず
病気になる」

 

 参考資料 : 元ドイツ大使・大島浩被告のアメリカ人弁護人オーエン・カニンガム
東京裁判は、報復とその宣伝にすぎぬ

 

 

 参考資料 : ドイツ系アメリカ人 C・A・ウィロビー(GHQ 参謀第二部長) 『The Tokyo Trial and Beyond』より
この裁判は歴史上最悪の偽善であった。こんな裁判が行われたので、息子には軍人になることを禁ずる」

 

 参考資料 : ウィリアム・O・ダグラス(米国最高裁判事)
国際軍事裁判所は政治的権力の道具以外の何ものでも無かった

 

 参考資料 : オランダ レーリング判事
 「我々は戦争法規を擁護する為に裁判をしているはずだったのに、連合国が戦争法規を徹底的に踏みにじった事を、毎日見せつけられていたのだから、それは酷いものだった。もちろん、勝者と敗者を一緒に裁く事は不可能だった。東條が東京裁判は勝者による復讐劇だと言ったのはまさに正しかった」

 

 参考資料 : パール判事(インド人)
日本は国際法に照らし、全被告は無罪である

 

 参考資料 : 英国枢密院顧問官国際法権威ハンキー卿 『戦犯裁判の錯誤』より
裁判官パール氏の主張が絶対に正しいことを、「
私は全然疑わない

 

 参考資料 : 英法曹界重鎮FJPビール 『野蛮への接近』
東京裁判は戦勝者が敗戦者に加えた野蛮な行為にほかならない。

 

 

 参考資料 : 米国国際政治評論家ラティモア 『白人の侵略の終着点』
日露戦争の勝利がアジア民族解放運動の出発点であり、終着点はまさしく大東亜戦争であった。

 

 参考資料 : 米上院議員ハミルトン・フイッシュ  『日米・開戦の悲劇』
日本は、フイリッピンおよびその他のいかなる米国の領土に対しても、野心を有していなかった。しかしながら、ひとつの国家として、日本はその工業、商業航行および海軍のための石油なしに存立できなかった。非常な平和愛好家である首相の近衛公爵は、ワシントンかホノルルに来てもよいからルーズベルト大統領と会談したいと、繰り返し要望していた。彼は、戦争を避けるためには、米国側の条件に暫定協定の形で同意する意思があったが、ルーズベルトは、すでに対日戦、およびその帰結としての対独戦を行なうことを決意していたという理由で、日本首相との話し合いを拒否した」

 

 

 参考資料:『Franklin Delano Roosevelt:Communist Dictator』著Mike Rose(Historical Review Press)
Jewish war profiteers loomed on the horizon, foaming at the mouth. In the 1940 election campaign FDR promised over and over to keep the country out of war while he was doing absolutely everything in his power to involve America in a war. The honorable Congressman Hamilton Fish gave a radio address on the NBC network on April 5, 1939, in which he stated:
(中略)
'The war profiteers, munitions makers and international bankers [Jews] are all set up for our participation in a new world war I believe we have far more to fear from our enemies from within [Jews] than we have from without. All the Communists [Jews] are united in urging us to go to war against Germany and Japan for the benefit of Soviet Russia' (Congressional Record Appendix, Washington, Vol. 84, Part 12, pgs. 1342-43). (Bracketed words have been added by the author.)

※1939年4月5日のラジオ演説で、ハミルトン・フィッシュ米国上院議員は全ての共産主義者がソ連の利益のために日独との戦争を扇動していると言った。

 

 

 参考資料 : オリヴァー・リトルトン生産相(英保守党内閣)の証言(昭和十九年六月)
「米国が戦争に追込まれたというのは、歴史を歪曲するも甚だしい。米国が余りひどく日本を挑発したので日本は真珠湾攻撃の止むなきに至ったのだ

 

 歴史家ジョン・トーランド (「バルジ大作戦」 「Last 100 Days」 「The Rising Sun」などの著者)
日米開戦前にアメリカは日本の暗号解読に成功し、大使館宛の通信は全て傍受していた事は事実です。これは米政府も情報を公開し公式に認めています。私の住んでいるサンフランシスコにも当時、日本領事館の通信を盗聴するため常時諜報部員2人が詰めていたビルが今も雑居ビルとして健在で、私はその一室を見に行ったことがあります。

 

 

 参考資料: 調査団長ニッツ 昭和二十一年(1946年)七月にアメリカ大統領に提出された戦略爆撃調査団報告書
日本の指導部が国家の存亡にかかわる利益の為にと固く信じて、戦争を始めたことは明らかである。これに対してアメリカは、単に自分達の経済的優位と主義主張を押しつけようとしたのであって、国家の存亡にかかわる安全保障のために戦ったのではないと、アメリカ人は信じていた」

 

 

 参考資料 : 参考資料 : 小堀桂一郎編『東京裁判 日本の弁明』より
GHQ(日本進駐連合国軍総司令部)最高司令官 ダグラス=マッカーサー元帥
昭和26年(1951年)5月3日米国上院軍事外交共同委員会での証言

原文:「Yes,sir.In the Pasific we bypassed them.We closed in.You must understand that Japan had an enormous population of nearly 80millionpeople,crowded into 4 islands.It was about half a farm population.The other half was engaged in industry.Potentially the labor pool in Japan,both in quantity and quality,is as good as anything that I have ever known. Some place down the line they have discovered what you might call the dignity of labor, that men are happier when they are working and constructing than when they are idling.This enormous capacity for work meant that they had to have something to work on.They built the factories, they had the labor,but they didn't have the basic materials.There is practically nothing indigenous to Japan except the silkworm.They lack cotton,they lack wool,they lack petoroleum products,they lack tin,they lack rubber,they lack a great many other things, all which was in the Asiatic basin.They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan. Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.」

訳:「その通りです。太平洋において我々は彼らを迂回しました。我々は包囲したのです。日本は八千万に近い膨大な人口を抱へ、それが四つの島の中にひしめいてゐるのだといふことを理解していただかなくてはなりません。その半分が農業人口で、あとの半分が工業生産に従事してゐました。潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまでに接したいづれにも劣らぬ優秀なものです。歴史上のどの地点においてか、日本の労働者は、人間は怠けている時よりも、働き、生産してゐる時の方がより幸福なのだといふこと、つまり労働の尊厳と呼んでもよいやうなものを発見してゐたのです。 これほど巨大な労働能力を持つてゐるといふことは、彼らには何か働くための材料が必要だといふことを意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有してゐました。日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如してゐる。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在してゐたのです。もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであらうことを彼ら(日本政府・軍部)は恐れてゐました。
したがつて彼らが戦争に飛び込んでいつた動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだつたのです

※ マッカーサーは朝鮮戦争で日本を守る立場に立たされたとき、日本の対外戦争が大陸の共産主義から日本を守るための自衛戦争であることに気づいたのである。もし日本を共産主義から守るには朝鮮半島、満州を絶対防衛ラインにしなければならない。大戦当時の朝鮮は日本本国であるから、必然的に満州が日本の生命線となる。ここを死守することは日本を守ることであり、石藁莞爾(いしわらかんじ)が満州事変を起こした最大の理由もここにあった。しかし、マッカーサーがそれに気づいたのは、大戦後の話であった。老兵は死なず、ただ消え去るのみ。

マッカーサーによる「爆弾発言」は彼の証言から三日後の5月6日、『ニューヨーク・タイムズ』紙に全文が掲載され、日本の新聞各紙にも報道された。それがなぜ現在では無視されていると言えば、マッカーサー証言が共産主義者や三国人、それを擁護する売国奴どもにとって都合が悪いからである。

 

 

 参考資料: アメリカ統合参謀本部が1945年8月29日、マッカーサーに伝達した『第一号アメリカ政策文書』項目「究極の目的」より

日本国が再び米国の脅威となり、または世界の平和及び安全の脅威とならざる事を確実とすること。

※ この文書が公開されたことで、現在の日本人の自虐史観がGHQの政策の結果であることが決定的になった。

 

 

 「ま、日本に都合のいい文献を集めちまったが、韓国の歴史観が絶対正しいってのは、韓国だけでしか通用しない。

国家の歴史観は、国家の数だけ存在し、人の歴史観は、人間の数だけ存在する。

真実は人の数だけ存在するわけで、ようするに、日本が韓国に付き合う必要はないってこったな。

それと、日本人も世界がいつまでも日本を悪役にしていると思うな。

『日本は悪くなかった』と認めている連中は連合国にだってたくさんいる。

わかってるヤツらは、みんなわかってる。

それが表に出てこないのは、日本に絶対悪史観から抜け出せない連中がいるように、向こうにも絶対正義史観から抜け出せない連中がいるだけだ。

世界の全てが全て、日本を悪者と思っているわけじゃない。

情報規制や世論操作されてるのは日本だけでなく、どこでも一緒ってわけだ」

 「でもさー  じゃあなんでここまで日本人は悪虐史観なわけ?

これだけ自虐史に走らないで済む資料がたくさんあるのに。

資料を見ていると、大東亜戦争肯定派外国人はアメリカ人が多いような気がするし

たまたま資料が偏ってるだけかもしれないけどさぁ。

少なくとも今のアメリカの教科書を見る限り、旧日本軍が最大の悪者ってイメージは沸かないわ。

むしろ中国の方が悪者よね」

 参考資料 :アメリカの教科書 高学年用教科書「ジ・アメリカンズ」の真珠湾攻撃に対するコメント
「一時間半にわたる攻撃の破壊力はすさまじいものだった。だが、日本側からみれば真珠湾攻撃は大勝利だった」

  参考資料 :アメリカの教科書 高学年用教科書「ジ・アメリカンズ」の天安門事件に対するコメント
「天安門広場では共産党の政策に抗議する平和的な集会が戦車と兵士によって弾圧され、数百人から数千人が殺された。九〇年代に入って中国はいまも人権弾圧を行っている

 

 「うーん、日本もアメリカを見習って欲しいぜ。

日本の学校はアメリカの歴史教科書を使った方がいいな、こりゃ・・・。

しっかし、ベトナムの後遺症でアメリカも自虐史にはしってるって話はホントのようだな・・・。

日本人のイメージと全然違うぜ・・・」

 「アメリカでさえこんな状態なのに、日本は相変わらず自虐史にはしる人間が多いのはどーしてなの?」

 「経験から言わせてもらうと、『一度洗脳された連中の洗脳を解くのは至難の業』ってのが最大の理由だと思う。

経験者ならわかるだろうが、絶対に言うこと聞かない

「日本の卍はハーケンクロイツとは違う」と何度も説明しても無意識に拒絶反応がでるドイツ人と大差がないくらい言うことを聞かない。

歴史的に見れば肯定されるべきなのは明らかなのに、やれベトナムの餓死者だ、マレーシアの虐殺だ、と悪い部分ばかり騒ぎ立てて最初に戻っちまう。

『日本は悪かった』ってのが大前提にあるから、どんなに利点があっても、結局はそこへたどり着いちまうわけだ。

『アメリカが経済制裁したことは、日本は絶対に容認できない』ってのは、アメリカの教科書に書いてあるのにそれをなんで日本人が否定するんだよ。

アメリカが自分で非を認めたんなら、日本もそれに応じて教科書を変えりゃあいいだろが。

つまり、先に『日本は誇れる歴史を持っている』ってのが大前提にあれば、戦争中のマイナス要素を引いても問題ないんだが、洗脳ってのは恐ろしいもので、一度染まると、そこから抜け出るにはかなりの労力が必要だってこったな。

というより、手遅れだと思ったほうがいいかもしれん。

三つ子の魂 百までもとはよく言ったものだぜ」

 「ようするに、末期ってわけ?」

 「そうだ。 完全に染まっちまった連中といくら話しても、時間の無駄だな。

そーいうときは議論なんかよりも、当時のアジアの政治家たちの言葉を見せた方がよっぽど効果がある。

なんせ連合軍当時の軍人や政治家の意見なら文句が言いにくいからな」

 「でも、なんだかんだ言って揚げ足取るんでしょ? 自虐史観に染まった連中にとっては生き甲斐だし、工作員にとってはお仕事だしね」

 「まーな。

自虐史観に染まりちっきまった連中と話してると、教育=洗脳ってのがよくわかるぜ」

 

 

 

 

Q 中国だけではない。韓国も許してない

 「韓国は被害者ではなく、加害者。韓国に許しを得る必要はないわ。

共犯者のくせに態度がでかいわね。捕虜拷問とかで日本兵の悪名が高いのは、捕虜の見張りをしていた兵士の多くが朝鮮人だったからなのよ。日本兵は最前線で戦ってたわけだし。

太平洋で戦っていた連合国の間で、朝鮮系日本人はナチスドイツより残酷という評判だったのは有名ね。日本人と朝鮮人は顔が違うから向こうもわかるんだYO!

Anything else?(他には?)」

 参考資料: 「読売新聞社と韓国日報社がアジア各国でおこなった共同世論調査」
         (1995年5月23日・読売新聞)
『日本と韓国に対してそれぞれ否定的な印象を持っている各国人の割合』

中国人         対日37.8%   対韓31.1%
インドネシア人     対日13.9%   対韓33.3%
マレーシア人      対日 2.9%   対韓33.3%
タイ人         対日21.6%   対韓61.2%
ベトナム人       対日 1.1%   対韓41.3%

 

 

Q 韓国人は加害者ではない。アジアで悪行をしていたのは全て日本人だ

 「香港で暴れてたのは朝鮮人だが何か?

その他の地域でも、日本国籍の朝鮮人の悪名はかなり酷かったそうだな。

GHQは、1948年5月末までで、9万1235名の朝鮮人が犯罪に関与したという具体的な数字をあげてる。
日本は騙せても世界は騙せませないんだYO!」

 

 

 参考資料:『日本軍は香港で何をしたか』
著者:謝永光(日本軍による香港占領を体験した鍼灸医) 森幹夫訳四六判/264頁/9310  価格:2300円 社会評論社 より P.36,37
九龍が占領された翌朝、農夫の姿に変装した二人の女性が、有名な作家侶倫(原名李林風)の家の門を叩いた。頭巾をとると、鑽石山(ダイヤモンド・ヒル)の某映画製作所に避難していた女優であることが分かった。
彼女たちは恐怖に引きつった表情で、日本軍の馬丁に暴行された昨夜の出来事を打明けた。
 当時の鑽石山はまだ一面の荒れ山で、未完成の映画制作所があるだけだった。製作所の経営者は避難してきた彼の会社の管轄下の職員や俳優をかくまっていた。
最初の数日間は平穏無事で、「皇軍」の姿は全くみられなかった。ところがある日、突然五、六人の‘獣兵‘が現れ、麻雀をしていた四人の女優を輪姦したという。
前述の女優は日本軍の馬丁に暴行されたが、この馬丁とは恐らく朝鮮人に違いなかった。
当時朝鮮は亡国の運命を辿り、台湾も日本の植民地であった。日本は兵力不足のため、大量の朝鮮人や台湾人が戦場に駆り出されていた。
香港占領期間中、多くの朝鮮人が日本の軍服を着ていたが、一般の日本人よりも背が高く、日本の正規軍よりももっと凶暴だった。
このとき民家に乱入して婦女暴行を働いたのは、ほとんど日本人の手先となって悪事を働いていた朝鮮人であった。当時香港住民は日本軍に対するよりももっと激しい憎悪の念を彼らに抱いた。
P.142
(日本軍占領下の香港では)アヘン販売や売春市場は朝鮮人が中心となって取り仕切っていた。

 

 参考資料:元パリ・マッチ特派員アルフレッド・スムラー著「日本は誤解されている」日本教文社・昭和六十三年・119ページ
別に日本人戦犯の責任を軽減するつもりは毛頭ないが、占領地域で最も嫌われていたのは、このころ日本国籍を持っていた朝鮮人だったことに注意しておかなければならない。

 

 

 

Q:日本という国は豊臣秀吉の頃から酷い国だった

 「その頃から生きている日本人はいねぇからなんとも言えん。だが、”戦前の日本”の評判はそれほど悪くなかったみたいだぜ?」

 参考資料: ルイス・フロイス(ポルトガル宣教師) 『ヨーロッパ文化と日本文化』より
 「ヨーロッパの子供は青年になってもなお使者となることはできない。 日本の子供は十歳でも、それをはたす判断と思慮において、五十歳にも見られる。」
「われわれの子供は、その立居振舞に落着きがなく優雅を重んじない。日本の子供はその点非常に完全で、全く賞讃に値する。」
「われわれの子供は、大抵公開の演技の中でははにかむ。日本の子供は恥ずかしがらず、のびのびしていて、愛嬌がある。そして演ずるところは実に堂々としている。」

 参考資料: フランシスコ・ザビエル(スペイン宣教師)『聖フランシスコ・ザビエル全書簡3』より
 「私達が今までの接触に依って識ることのできた限りに於ては、此の国民は、私が遭遇した国民の中では、一番傑出している。私には、どの不信者国民も、日本人より優れている者は無いと考えられる。日本人は、総体的に、良い素質を有し、悪意がなく、交わってすこふる感じがよい。彼等の名誉心は、特別に強烈で、彼等に取っては、名誉がすべてである。日本人は大抵貧乏である。しかし、武士たると平民たるとを問わず、貧乏を恥辱だと思っている者は、一人もいない。」
「住民の大部分は、読むことも書くこともできる。これは、祈りや神のことを短時間に学ぶためのすこふる有利な点である。日本人は妻を一人しか持っていない。窃盗は極めて稀である。死刑を以て処罰されるからである。彼等は盗みの悪を、非常に憎んでいる。大変心の善い国民で、交わり且つ学ふことを好む。」

 参考資料: 幕末に来日したアメリカの総領事、タウンゼント・ハリスの1858の手記
「人々はみな清潔で、食料も十分にあり、幸福そうであった。 これまでにみたどの国にもまさる簡素さと正直さの黄金時代をみる思いであった。」

 参考資料: ノーベル物理学賞受賞者 アルバート・アインシュタイン
近代日本の発展ほど世界を驚かせたものはない。一系の天皇を戴いている事が今日の日本をあらしめたのである。私はこのような尊い国が世界に一ヶ所位なくてはならないと考えていた。
世界の未来は進むだけ進み、その間、幾度か争いは繰り返されて、最後の争いに疲れる時が来る。その時人類は、まことの平和を求めて、世界的な盟主をあげなければならない。この世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史をも抜き超えた、最も古く、又、尊い家柄でなくてはならぬ。世界の文化はアジアに始まって、アジアに帰る。それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。
我々は神に感謝する。我々に日本という、尊い国をつくって置いてくれた事を・・・

 

 

 

Q:仮に併合で有効だったとしても、朝鮮は日本に併合されて苦しまされた

 「For example?(例えば?)

併合されて喜んでたって資料なら手元にあるけどね」

 参考資料 : アメリカ人宣教師 ラッド博士
韓国は日本の保護によって新生命、新光明に浴している。高い政治道徳を重んずる進歩的であり、円満である伊藤総監によって、韓国人は暗黒時代から光明世界に導かれ、未開時代から文明時代にに進むべく手を取られて進みつつあり、旧来の久しい悪政から免れ、彼らの生命財産は確実に保護されつつあって、あらゆる面において三年間に二倍の進歩を遂げた』

 参考資料 : 朝鮮の外交顧問であったアメリカ人 ドーハム・スティーブンス
『朝鮮の王室と政府は、腐敗堕落しきっており、頑迷な朋党は、人民の財宝を略奪している。そのうえ、人民はあまりにも愚昧である。これでは国家独立の資格はなく、進んだ文明と経済力を持つ日本に統治させなければ、ロシアの植民地にされるであろう。伊藤統監の施策は、朝鮮人にとって有益で、人々は反対していない。

 参考資料 : 「海外の新聞にみる日韓併合」 杵淵信雄 1995年 彩流社より 
ロシア・ジュルナル・ド・サン・ペテルスブール 1910年8月26日号
 『ニュースはいまだ公式に確認されていないが、日本の朝鮮併合は既成事実となっているように思われる。……文明とは平和主義の道における前進であり、この観点に立てば、朝鮮の併合は極東の繁栄と発展の新たな起因となるだろう

 参考資料 : 「海外の新聞にみる日韓併合」 杵淵信雄 1995年 彩流社より
上海・申報 1910年9月1日号より
 『韓国は滅んだ。しかるに韓国の皇帝はニコニコとし、韓国の家臣は歓び、太上皇(高宗)もまた恨みを残さない。均しく外国の寵遇を得意としているようだ。ただうつうつとして不平を抱いているのは韓国の学生だけだ』

 参考資料 : 「海外の新聞にみる日韓併合」 杵淵信雄 1995年 彩流社より
洪鐘宇(反日派の韓国人で暗殺などの汚れ仕事も行うほどの国王派) 青柳綱太郎著「李朝史大全」
 『こんな国王を戴きながら、韓国が滅びないのは僥倖(幸運)だ』 『韓国も今や末路である。亡びざる国はなく、四千年の旧邦も今は断末魔に近づいている。一進会員ならざるも庶民はこのうえ塗炭の苦しみにまみれたくなかろう。むしろ、日本は速やかに併合して日本天皇陛下の政によりて1200万国民が蘇生する事を得れば、国は亡んでも亡び甲斐ありと言わねばならない』

 資料ヘレン・ミアーズ 「アメリカの鏡・日本」より
 日清戦争は日本からみれば、完全な成功だった。西洋列強は喝采し、日本における彼らの「特権」を相次いで放棄した。そして、日本を対等の主権国家として承認した。日本は韓国に自由を贈り、韓国国王は中国皇帝、日本天皇と肩を並べる皇帝の地位を得た。

 

 

 

 

Q:「土地調査令」とかで搾取する気満々の証拠があるし、植民地支配の方が妥当である。併合とは呼べない

 「土地調査令は李氏朝鮮がその手の情報を全く持ってなかったから行っただけ。

この土地調査には2040万円という巨額の予算を使って八年がかりで実施したんだ。

それも日本人の税金でな。

で、土地調査令で総督府に接収された耕地は約3%
日本企業が約4%で、日本の土地は合計で約7%
つまり90%以上の土地は朝鮮のものであり、これではとても植民地とは言えないな。
『世界一汚い国』とまで言われたほど汚物だらけの朝鮮半島なんざ誰も欲しくねぇんだよ」

 「汚物だらけって言うけど、朝鮮人はス●トロマニアの集まりなの?

なんでそんなに汚いのよ?」

 「これが朝鮮伝来の国防政策なんだよ。

糞だらけで疫病が蔓延しているようなところに異民族が攻めてくるか?

こんなところを誰が欲しがるってんだよ」

 「なるほどね。誰も欲しがらないから安全ってわけか」

 参考資料 : 細井肇 「漢城(ソウル)の風雪と名士」
 「韓国内地を旅行すれば、路傍や街路中に累々たる黄金の花(糞)が場所も嫌わず狼藉と咲き乱れて居て、足の踏み場もなく、潔癖者は一見其不潔と臭気に驚くのだ。現にこの国の中央都会の地たる京城(現在のソウル)の如き、一名を真の帝都と綽名されて居る程で、至る所人糞あるいは牛馬糞を見ざる無で、粉々たる臭気は鼻を襲い眼を顰める者とてない。そこで京城市内を流れて居る川の如き各戸より、排泄する糞尿を混じ、この水は一種の黄色を帯び、ドロドロになって居るなど、実に眼もあてられぬ光景で洗濯などに使って居る。なんと鼻持ちならぬ話ではないか。毎年夏になると伝染病が流行し、その伝染病に罹る患者の多くは韓人で、非常なる大流行を極め何千人を驚かすは珍しくない」

 参考資料 : イザベラ・バード「朝鮮紀行」
 ソウルを描写するのは勘弁してもらいところである。北京を見るまで私はソウルこそ、この世で一番不潔な町と思っていたし、紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世で一番ひどい匂いだと考えていたのであるから。都会であり首都であるにしては、そのお粗末さはじつに形容しがたい。礼節上二階建ての家は建てられず、したがって推定二十五万人の住民はおもに迷路のような横町の「地べた」で暮らしている。路地の多くは荷物を積んだ牛どうしがすれちがえず、荷牛と人間ならかろうじてすれちがえる程度の幅しかなく、おまけにその幅は家々から出た個体及び液体の汚物を受ける穴か溝で狭められている。悪臭ぷんぷんのその穴や溝の横に好んで集まるのが、土ぼこりにまみれた半裸の子供たち、疥癬もちでかすみ目の大きな犬で、犬は汚物の中で転げまわったり、ひなたでまばたきしている。

 

 

 

 

Q:7%でも植民地は植民地だ

 「当時の朝鮮は日本だから、3%の土地摂取は自国の政府が政府機関を作るのは当然だし、4%の企業の場合も東京の人間が大阪に移り住むのと同じよね。

現在の日本でさえ、何%かの土地は国有だし、それは韓国も同じことじゃない?

だいたい、糞だらけの汚物半島なんて欲しくないっつーの」

 

 

 

Q:日本人の移動は自由で、朝鮮人の移動は規制がある。これは差別だ。

 「だって、自由にしたら朝鮮人はみ〜んな日本に来ちゃうでしょうが。

しかも密入国で。

日韓併合は朝鮮を一人前の国家にするのが目的であって、朝鮮にただ飯を喰わせるのが目的じゃないのよ?

だいたい言葉も話せない、文字も読めない書けないような連中を大量によこしても治安が悪くなるだけだっつーに。

当時、地球上でもっとも見下されてた民族が、仮にも独立国の日本人といきなり同じ待遇にしろなんて無理な話よ。

でも、その政策のおかげで、韓国の首都ソウルはわずか十数年には立派な大都市になったんだから結果オーライじゃないの?

少なくとも、台湾は日本の政策に感謝してるわよ」

 参考資料 : 韓国は日本人が作った 黄文雄(台湾人) 徳間書店
 そもそも、中国の属邦の中でも朝鮮の地位は最も低く、下国のなかの下国であった。天朝の朝賀の席では、千官が赤色の礼服を着ていたのに対し、朝鮮の使臣だけは異色の丸首の衣である。また、琉球の使臣は籠に乗って宮廷に入るのに対し、朝鮮の使臣は籠に乗ることを禁じられていたこと、「渓陰漫筆」に書かれている。そして、李朝時代の臣民は琉球以下の扱いを受けたと嘆いている。

 参考資料 : 台湾の中学1年生が使用している教科書『認識台湾』の一説
「日本語の修得は同化を意味しない。むしろ日本語は知識吸収の道具となり、台湾の近代化を促進した

 参考資料 : 台湾の評論家 黄文雄
「日本による統治時代がなかったら、台湾は中国最貧の「海南島」より貧しい島となった」

※ 台湾(中華民国)は太平洋戦争の戦後処理において日本への賠償請求権を放棄している

 

 

 

Q:朝鮮人は差別されてロクな職業につけなかった

 「大学教授もロクな職業ではないと?

軍隊の将校さえもロクな職業ではないと?

朝鮮人の多くがロクな職業につけなかったのは、ただ単に実力がなかっただけだ。

能力のある人間はちゃんと出世してたし。

併合前は欧米からインディアン(ネイティブアメリカン)より下劣な民族扱いされていた朝鮮人が人間扱いされただけでも驚くべきことなのにな。

今でも半島の連中は、実力が無くて失敗するとすぐ民族差別だと騒ぎ立てる。だから嫌われるんだよ」

 参考資料:産経新聞 主張(社説) 1996年6月25日
朝鮮半島出身者で陸軍中将まで累進した洪思翊(こう・しよく)将軍に創氏改名の形跡はない。
敗戦前数年の旧陸軍士官学校の半島出身卒業生の名簿には、なるほど日本名を
併記したものもあるが、半数近くは朝鮮名のままなのである。

※ まだ大尉であったころ、息子の洪国善が近所の悪童から「チョーセン、チョーセン」とからかわれたとき、大英帝国に虐げられても誇りを失わないアイルランド人の例をひき、「どんなときでも必ず『私は朝鮮人の洪国善です』とはっきり言いなさい。決して『朝鮮人の』を略してはいけない」と諭したという。そんな信念の人だったから、日本風の姓に改名などもちろんせずに一生を終えた。指揮官になると常に日本兵の前で、「自分は朝鮮人の洪思翊である。唯今より天皇陛下の御命令により、指揮をとる。異義のあるものは申し出よ」と初訓示したそうである。
立派な武人であるが、現在の韓国人からすれば「なかったことにしたい」人なのである。

朝鮮出身
日本陸軍軍人
陸軍中将
歩兵
1914(大正3)年 陸軍士官学校(26期)卒
1923(大正12)年11月 陸軍大学校(35期)卒
1939(昭和14)年9月28日 支那派遣軍御用掛
1940(昭和15)年8月1日 留守第一師団付
1941(昭和16)年3月1日 陸軍少将 第108旅団長
1942(昭和17)年4月17日 公主嶺校付
1944(昭和19)年3月2日 比島俘虜収容所長
 10月26日 陸軍中将
 12月30日 第14方面軍兵站監
戦後、連合軍から収容所長時代の責任を問われる
1946(昭和21)年9月26日 マニラで死去( A級戦犯として絞首刑)

 

 

Q:朝鮮人は嫌われてなどいない

 「はいはい、そーですか」

 参考資料 :『THISIS 読売』(1992年8月号)
「コリアンはなぜ嫌われたのか  ロス暴動と核疑惑の狭間」 高浜賛(読売新聞調査研究本部主任研究員)
 黒人新聞「マネー・トークス・ニューズ」は「記者は生まれてこのかた、韓国人ほど冷酷で愚劣で無分別で、しかも侮辱的で傲慢な人間に会ったことはない」とまで書き、同じく黒人新聞の「ザ・ロサンゼルス・センチネル」は韓国人の貪欲さ、働き過ぎ、社会的貢献ゼロ、黒人蔑視を手厳しく批判。また黒人学生を対象に行ったある世論調査では、「韓国人は最も距離を置いた人種」との結果が出ている。
 一見したところ日本人だか、韓国人だか見分けがつくと思えないのに、黒人社会でははっきりと日本人と韓国人を区別し、対応を変えていたという黒人側の証言もある。 かつてカーター政権下で厚生教育長官の特別補佐官を努め、また米国進出の韓国企業を顧客に法律事務を担当した経験もあるM・カルフーン博士(現在日本で日本社会について研究中)は、「日本人と韓国人はまったく似て非なる人種。韓国人は妥協するとか、相手の意見を聞こうとかしない点で日本人とは大違いだった」と指摘している。

 

 

 

 

Q:朝鮮人が嫌われる理由は日本人に間違われるからだ!

 「ほざくがいい

吠えるがいい

罵るがいい

お前らにできるのはそれだけだ」

 

 

 

 

 

Q:ウリを舐めるな!謝罪と賠償を請求するニダ!

 「・・・そんなことばかりしてるから嫌われるのよ」

 

 

 

 

Q:アイゴォオオオオオオオ――――!!!(怒)

 「火病(ファビョォ―――ン)!

 「・・・・」

 

 

 

 

 

Q:朝鮮は日本に併合されたことで民族の誇りを奪われた

 「例えば?」

 

 

 

Q:ハングルが無くなった

 「もともと普及してなかったハングルを、黴臭い書庫から引っ張り出してきて普及させたのは日本だが何か?

李氏朝鮮時代のインテリは漢字を学んでた。

ハングル文字は女子供の使うものだとバカにしていたのは朝鮮の特権階級の両班で、連中はハングルをアヘックル(子供文字)とかウォンムンとか呼んで蔑視していた。

ちなみに世宗大王がハングルを開発したのが15世紀。ハングルが普及したのが20世紀。

日本が鎖国を行っていた間、ハングル文字を弾圧していたのは日本ではなく、朝鮮自身だ。

この500年の間に日本がどうやってハングルの弾圧を図ったのか聞かせて欲しいものだ」

 

 

 

 

Q:日本語を無理矢理学ばせた

 「ノリノリで学んだくせに。

植民地ではなく併合だったから朝鮮人は当時の一等国民となり、オリンピックにも出場することができたのよ。

1936年のベルリン五輪では朝鮮人が日本代表で、しかも朝鮮人名で出場してるしね。

日本語を無理矢理と言うけどが、1938年まで学校で朝鮮語は教えられてたわ。

1938年に随意科目になって、1941年に朝鮮語が削られたけど、41年には韓国側の要請で内鮮一体の政策が取られてたからこれも別に大したことじゃないわよね。

名前も使用言語も朝鮮語でOKな統治だったのに、徹底的に文化破壊したっていうのはおかしい話よね。

より日本人に近づきたくて仕方がなかったってのが本当のところじゃないの?」

 

 参考資料 : 「皇国臣民の誓詞」 作者 「大同民友会」顧問  総督府学務局嘱託 李覚鍾

児童用   
一、私共ハ大日本帝国ノ臣民デアリマス
一、私共ハ互ニ心ヲ合セテ、天皇陛下ニ忠義ヲ尽シマス
一、私共ハ忍苦鍛錬シテ、立派ナ強イ国民トナリマス

学生・一般用  
一、我等ハ皇国臣民ナリ 忠誠以テ君国ニ報ゼン
一、我等皇国臣民ハ 互ニ信愛協力シ 以テ団結ヲ固クセン
一、我等皇国臣民ハ 忍苦鍛錬力ヲ養ヒ、以テ皇道ヲ宣揚セン

 

 「説明補足。この歌の作者の李覚鐘は、悪名高い『内鮮一体』『皇民化(日本人化)』を実現化させた張本人の一人。

そして、朝鮮人の多くはそれを喜んで受け入れたわ。

自分から言い出しておいて日本のせいにするんじゃないわよ」

 「さらに説明補足。

この『皇民化』政策は日本の悪い伝統だと思われているが、実は元ネタが存在する。

それは、明治日本が参考にした騎士の国プロイセン。

当時のドイツを統一したプロイセンは、ドイツを一枚岩の国にするために、皇帝崇拝を高め、そして成功した。

日本はこれをモデルにして大東亜共栄圏を作ろうとしたんだ。

実際、多少のトラブルはあったものの、文化も言葉も違うアジア圏を一つにまとめるためにこの政策はかなりの成功を収めたことは、インド・パキスタン・バングラデッシュの宗教対立を例にあげるまでもない。

イスラーム、仏教、ヒンズゥー、儒教・・・エトセトラ。

これらを形だけとは言え、まとめることができたのは、あとにも先にも大日本帝国だけだ。

ま、要するに、皇民化政策はドイツ文化だっつーことだな。以上」

 

 

 

 

Q:それは日本の捏造だ (※火病が発病してます)
 「日本以外の資料もたくさんあるぞ。今まで出してきた資料はほとんどが海外のものだ」

 

 

Q:それも全部日本の捏造だ (※火病が発病してます)
 「それは世界への挑戦と受け取っていいのかしら?

You are a great challenger (あんたは大した挑戦者よ)」

 

 

 

Q:それはプラズマだ
 「ネタか? ネタなのか? 電波ばっかり飛ばしてんじゃねえぞ」

 

 

 

Q:電波ではない。普通のことを述べているだけだ (※火病が発病してます)

 「半島の『普通』は外国の『電波』なの。

Do you understand?」

 

 

 

 

Q:それらは韓国の教科書には書いてない!

 「当たり前だ。韓国の教科書は捏造だらけだからな。

だが、それを言ったら北朝鮮の教科書の内容は韓国の教科書に書いてないぜ。

どうした?

韓国の教科書には、将軍様が分身しただの、縮地法で瞬間移動したとか書いてねぇぞ?」

 

 

 

Q:韓国人に日本人の名前を名乗らせた

 「悪名高い創氏改名は、韓国からの強い要望によって実現したが何か?

創氏改名は本人の自由意志で強制じゃない。

姓はそのままで、それまで存在していなかった「氏」を創るから創氏。

その氏にあわせて名前を変えてもいいから改名。

例えば、朝鮮人作家 『李光洙』の場合は『香山光洙』と変えたが語呂が悪い。

そこで『香山光郎 』と変えたわけだ」

李光洙

香山光洙

香山光郎

 「ここで注目すべき点は「変えてもいい」が「変えなければならない」とされてるところだな。

例えば今から紹介するこいつらは有名な俳優だが、こんな発音の名前では欧米の視聴者にはまず受けないだろう。

東洋人の日本人だって、こんなのは覚えにくいことこの上ない。

ましてや欧米人なら尚更だ。」

 

・成龍(チョンロン)

・李小龍(リー・シャオロン)

・劉徳華(リュウ・ドゥフゥワ)

・李連杰(リー・リンチェイ)

・徐淑娟(スー・ス―・チェン )

 「だが、これを英語読みするとこうなる」

 

・成龍(チョンロン) → ジャッキー・チェン

・李小龍(リー・シャオロン) → ブルース・リー

・劉徳華(リュウ・ドゥフゥワ) → アンディ・ラウ

・李連杰(リー・リンチェイ) → ジェット・リー

・徐淑娟(スー・スー・チェン ) →  ビビアン・スー

 

 「こいつらは、本国の名前だと外国で通用しないから欧米風の名前を名乗っているだけだろ?

だけどプライベートや、本国内では元の名前だわな。

さらにジャッキーの場合、『成龍』そのものすらも芸名で、本名は『陳港生』「だし。

創始改名ってのは、そーいうのと同じで、朝鮮語名だと不便だから、「日本風の名前を名乗ってもいい」という制度だ。

決して、「日本風の名前を名乗れ」という制度じゃない。

嫌なら何もしなきゃいい。

志願制だから本人に変えようとする意思がなければそのまんまだ。

実際、日本軍の高い地位にいた軍人の中にも韓国名のままの人間(洪思翊陸軍中将など)が多数いる。

創始改名が強制ならば、陸軍大将や中将に韓国名の軍人がいるのは何故だ?

台湾は認可制で、変えたくても変えれない人がたくさんいた。

台湾で改名が許されたのはたったの2%だが、朝鮮は79%。

台湾から見れば韓国は特権階級だったんだよ。

「放って置けば氏が姓になるから強制」とかほざく連中はなんとかならねぇもんかねぇ」

 「氏と姓の違いがよくわかんないんだけど・・・・」

 「そうだな。日本の場合、氏と姓が同じだからわからんかもしれんな。

まず、創氏改名についての基礎知識の大前提として日本と朝鮮では名前のつけ方が違うということを知っておかねばならない。

とりあえずこれををみてくれ」

日本人の名前=氏+名

朝鮮人の名前=姓+名

 「姓ってのは、男子のみに受け継がれるもので、朝鮮では夫婦や親子でも、性別が違うと姓が違うんだ。

そのうえ、朝鮮はもともと女性に姓はなかった。

姓は男子の特権だというのが儒教思想だからな。

だが、それじゃ書類を書くときに整理が大変だし、日本式の名前の方が便利なこともある。

だから家族共通の苗字『氏』を名乗るように、新たに氏を創ったことが『創氏』だ。

これは、氏を作っただけで姓を廃止したわけじゃない。

その証拠に戸籍簿には「姓及本貫」の記載欄もある。

つまり、朝鮮人の名前=(姓)+氏+名となったわけだ。

だから氏が嫌なら、朝鮮人の名前=(姓)+名 で通せばいい。

それで社会的に通用するからな。

ここまで言えばわかるように、韓国人の主張する『創氏改名で名前を奪われた』というのは全くのデタラメなんだ。

あーだ、こーだと言ったところで、任意の届出制であった創氏改名に対して、8割の朝鮮人が応じたのは歴史的な事実だよ」

 

 参考資料: 「創氏と私」 著者:李光洙(イ・グヮンス)・・・韓国の民族的作家。朝鮮近代文学の父とも言われる。「香山」と創氏し、「光郎」と改名した
私はよくよく我が子孫と朝鮮民族の将来を考えた挙句に、こうするのが当然だという堅い信念に到達したのである。/内地人との差別がなくなること以外に朝鮮人は何を望むだろうか。、したがって差別の除去のために、あらゆる努力を捧げることが、最も重大にして緊急なこととなる。/我々の在来の姓名は、支那を崇拝していた祖先の遺物である。/今我々は日本帝国の臣民である。支那人と混同される姓名を持つよりも、日本人と混同される姓名を持つのが自然だと信ずる。

「内鮮一体を国家が朝鮮人に許した。故に、内鮮一体運動を行わなければならないのは、朝鮮人自身である。朝鮮人が内地人と差別がなくなる以外に、何を望むことがあろうか。したがって差別を除去するためにあらゆる努力をすることの他に、何の重大でかつ緊急なことがあるだろうか。姓名三字をなおすのも、その努力の中の一つならば、なんの未練もない。喜ぶべきことではないか。私はこのような信念で、香山という氏を創設したのである。これから徐々にわが朝鮮人の氏名が国語で呼ばれる機会が多くなって行くだろう。そのような時に李光洙よりも香山光郎の方がはるかに便利だ。又満州や東京大阪等に住んでいる同胞が、日本式の名をもつことは、実生活の上で、多くの便宜をもつだろう。

 参考資料: 「半島風習のその祖国への合理的発展的帰還を論すの言」 金文輯
 月日がたつにつれ(日本と韓国は)こんなにお互い違ってきたのです。食べ物も、言葉も、着物も、名前のつけ方も、これは私たちが支那をあまりに崇拝した関係もあるのですが、とにかく悔しくてならないことは、その名前のつけ方まで支那のまねをしたということです。したがって、創氏改名、つまり朝鮮人が内地人(日本人)流に氏名をつけるということは自分達の祖先の清風に従うことなんだ。中国の模倣を脱して、古代の朝鮮に帰ることなんだ。ただ単に太古に帰るのみではなく、今日の内地(日本)の一切の風習に向かって、自発的に勇敢に帰還することことによつて、進んで祖国に栄光をあらしめ、ひいては我らの子孫の易きに置くことができる。ならば、創氏改名するに何のためらうことがあるだろうか。

※ 日韓合邦後、叙爵された李朝関係者は公爵6、伯爵3、男爵45。台湾人の叙爵は0。

 

 

 

 

 

 

Q:言いたいことはわかったが、納得できん。 (※火病が発病してます)

 「You are sick (イジョーだよ、お前)」

 

 

Q:とにかく謝れ、賠償もしろ (※火病が発病してます)

 「・・・・」

 

 

Q もし日本が朝鮮にいいことをしたなら、韓国でこんなに反日運動が起こるはずはない(※火病が発病してます)

 「歪んだ歴史教育と、親日運動を弾圧するのをやめてから言って欲しいわね」

 

 

 

Q:韓国は弾圧などしない

 「親日作家が逮捕されたな。朝鮮は北も南も言論の自由なんて無いぜ」

 

 

 

Q:それは犯罪だから逮捕されるのだ。韓国には言論の自由がある
(※火病が発病してます)

 「日本を褒めただけで犯罪ねぇ。大した言論の自由だわ

Here’looking at you (君の瞳に乾杯)」

 

 

 

Q:日本が悪いことをしなければ反日運動が起こるはずがない。戦前、戦中は親日の韓国が戦後になって突然反日というのは不自然な意見だ

 「戦後、朝鮮半島で政権を握ったのは、上海やアメリカに亡命し、反日テロを繰り返してきた李承晩グループ(派閥抗争、血の粛清を繰り返してきた)とソ連の支援を受けて共産主義イデオロギーに染まった金日成グループ。

こいつらが従来の親日韓国人を徹底的に弾圧したから突然反日になったんだ。

韓国は在米テロリストによって建国された国なんだよ」

 

 参考資料: 威錫憲「意味からみた韓国史」
われわれがまず明らかにしなければならないことは、この解放が盗人のように不意に訪れたということだ。解放後の腹立たしいこと、醜いざまは一つや二つではないが、その中でもほんとうに腹立たしいのは この解放を盗もうとするやつらが多いということだ。彼らは、自分だけはこのことを早くからわかっていたという宣伝をする。それは彼らがこの盗人のようにやってきた解放を、さも自分が送りこんだようにして盗もうとするためである。それは嘘だ。もし彼らがあらかじめわかっていたら、それほど先見の明があったなら、どうして8月14日まで(日本に)へりくだって服従していたのか。その時一言でも予告して民衆を慰め、勇気をひきしめさせていたら、いまになってことさら宣伝しなくとも民衆は指導者として迎えただろう。そういうことはやめて素直になろう。君も僕もみな知らなかったのだ。みな眠っていたのだ。神社参拝をしろといわれれば腰が折れんばかりに拝み、姓を改めろといわれると競い合って改め、時局公演といえばありったけの才能を傾けて語り、米英を罵倒し、転向しろといわれれば実にあっさりと転向し、/信用が得られるとなると四つんばいになり、犬の鳴き声もしてみせた。この国の志士・思想家・宗教家・教育者・知識人・文人にまた海外流浪何十年と格好はよいが、その実、互いに博士派・先生派・なになに系・なになに団とハワイやサンフランシスコではアメリカ人の召使いをしながら勢力争いをし、重慶・南京ではとうもろこし粥をもらって食いながら地位争いをしていた人々が、なにをあらかじめわかっていたというのか。思想はなんの思想で政治はなんの政治運動をしたというのか。この国があらかじめ解放されるとわかっていた人など一人もいないのだ。

 参考資料: 麗羅著 「山河哀号」
「日本が敗戦した1945年8月15日までは、日本人に気に入られよううと、われもわれもとペコペコしたくせに、日本が敗けると判ると、今度は自分はこのように独立闘争をしてきたと嘘っぱちを並べる。昨日まで警察にいて朝鮮人の思想を取り締まっていた奴まで、自分が警察にいて庇ってやったから、多くの思想犯が無事でいられたとぬかしやがる・・・・・・」

 

 


Q:この本は日本人の自作自演だ(※火病が発病してます)

 「韓国人は同胞を売る行為に恥を覚えなさい。

同胞を売る行為は世界で一番嫌われる行動よ

 

 

Q:日本の評判が悪いのは日本が悪いからだ。

 「評判はそんなに悪くないってソースはかなり出したんだが・・・・。

まあいい。で、例えばなんだ?」

 

 

Q:戦前の日本は朝鮮から徹底的に搾取したのだ

 「何を?

あんな糞だらけの汚物半島から何を摂取したってーの?」

 

 

Q:資金とか資源

 「では徹底的に搾取した日本が赤字なのはなぜだ?」

 

 参考資料 : 韓国の邦字新聞
 韓国の安寧と幸福、その生活を図るため、母国日本の財政負担は三年間に三千万円に達している。そして、日本及び日本人を益することを少しもやらないで、韓国及び韓国人のために図りてあまりにも忠実である。あくまでも韓国の主権を尊重するため、中央の各部大臣や地方長官はすべて韓国人を任用し、日本人はその下働きになっているに過ぎない。利権は韓国人のみに与えて、日本人には荒蕪地開発の第一号を与えただけではないか。なおその上、韓国通の大陸浪人を追放するなど、日本及び日本人から孤立した政策を採ってきた総監の心事那辺にありやを疑わしめるものがある。

 

 

Q:日本が無駄使いしたからだ

 「韓国を徹底的にバックアップしたことを無駄というならたしかに無駄ね」

 

 

Q:日本は韓国を苛め抜いた

 「併合後、

人口が2倍になった。

文盲率が低下した。

両班・白丁の身分制度が撤廃され法整備が整った。

公共設備が整った。

どこに虐めがあるんだよ?」

 資料 : 「朝鮮総督府統計年報」  朝鮮総督府編
年次総数 (注)年末常住人口・1944年は5月
1910 1312万8780人
1915 1595万7630人
1920 1691万6078人
1925 1854万3326人
1930 1968万5587人
1935 2124万8864人
1940 2295万4563人
1944 2512万0174人
(注)初期の調査は精度が低いとされている

 「韓国の教科書じゃ、明治時代に起こった米不足は日帝が搾取したからだと教えてるよな。

だが、当時の韓国は外貨獲得のために米を日本に売ってたうえ、この人口増加だ。

真相は、日本が何かしたとかじゃなくて、ただ単に食料生産が人口増加に追いつかなかっただけだろうが。

こんだけ人口が爆発的に増加してれば、国内の食料がなくなるのは当然だ。

何も考えずに人口ばっかり増やしまくりやがって。

なんでもかんでも日本のせいにすんじゃねぇよ、ったく」

 

 

 

 

 

Q:日本人は朝鮮人を差別して虐めた

 「それは個人レベルの話でしょう?

それを言うなら朝鮮人が日本人を差別したという記録も残ってる。

少なくとも国家レベルでは虐めていないわ。

だいたい頭下げて「併合してください」と言ってきた連中をどうすれば差別しないですむのよ?

差別されないほうが異常よ。

韓国の主張は理解に苦しむわ、ホント」

 

 

 

Q:参政権がなかった

 「完全な参政権はなかったが兵役もなかったな。

徴兵制が適応されない人間に参政権が与えられると思うなよ。

徴兵制の義務=参政権は当時なら当然だぜ。

「徴兵制の義務を果たすことで一人前」の概念は、今の韓国がまさにそれだろうが。

韓国では、『徴兵されない男は男じゃない』、だそうだしな。

在日が本国に帰りたくないのは、徴兵制を逃れたことが理由で虐められるのがわかっているからだろ?

まず参政権(選挙権+被選挙権)のうち、選挙権は1920年には既に日本人と同じ扱いとなっていた。

つまり「内地在住で、徴兵等に応じる等、様々な義務を背負い、なおかつ規定以上の税金を納め、規定の用件を満たし、選挙人名簿に登録された人」に選挙権が与えられたわけであって、日本人だから与えられたわけじゃない。

日本国内の日本人だって、年代によっては性別・年齢・納税額により選挙権の無い連中は確実にいた。

1920年よりも前の段階で、半島出身日本人(朝鮮人)と、本土出身日本人(日本人)は全く同じ権利と義務を持っていた。

よって、条件さえ満たせば参政権がもらえたわけだ。

ただ、その条件を満たす半島出身日本人(朝鮮人)が少なかっただけの話だな。

だいたい、戦前の日本に完全な普通選挙を要求する方が間違っている。

今でもサイパンの議員なんて、アメリカの議会で発言権はあるけど投票権はないぞ。

アメリカに併合されたの時期が遅いから。

フランスじゃ、未だにフランス国内のアルジェリア人には選挙権はないし、移民に対する差別がかなり残ってる。

ワールドカップ・フランス代表のジネディーヌ・ジダン(アルジェリア移民系)でも差別の対象だったほどだ。

差別ってのがどんなもんか知らないでふざけたことばかり言ってると、他の国から嫌われるだけだぜ」

 

 

Q:朝鮮人は日本軍に無理矢理戦わされたのだ

 「昭和18年(1943年)まで、朝鮮や台湾のような外地には徴兵制度が適用されなかったから、実際に戦地にいた朝鮮人兵士は志願兵だ。

自分から志願しておいて無理矢理とはふざけたことを言う。

欧州戦線ではスターリングラード攻防戦が敗北に終わり、日本もやばくなってきてようやく徴兵制が実施させたが、朝鮮人は朝鮮半島南部に配置され、実際には戦争に参加していなかった。

志願制の連中だって、だいたいは後方送りだ。

前線に出ることは名誉なこととされていたからな。

捨て駒とかいうのは明らかにおかしいぜ」

 

 

Q:志願するはずなどない

 「兵隊は特権階級だからな。

当時は世界恐慌で失業が凄かった。

そんな中で兵隊に憧れる連中が後を断たないのは当然だ。

米国でも徴兵制から志願制に変えたとたんに黒人兵士の数が増えた

あれと同じだよ」

 参考資料:

志願兵(朝鮮)
陸軍特別志願兵制(昭和13年4月実施)
海軍特別志願兵制(昭和18年10月実施)
学徒兵徴募(昭和18年10月実施)
における朝鮮人の志願状況

年度     採用数   応募数   倍率
昭和13年  406    2,946     7.7
昭和14年  613    12,348    20.1
昭和15年  3,060   84,443     27.6
昭和16年  3,208   144,743    45.1
昭和17年  4,077   254,273    62.4
昭和18年  6,300   303,394   48.2

徴兵(朝鮮)
昭和19年4月から開始
徴兵された人数 242,341
戦死者     2,2182

 

 

 

 

 

Q:アメリカ軍には日本の戦争犯罪人を称える人間が多い!日本はそれらを公式否定すべきだ!

 「戦争犯罪人という言葉は原則として避けていただきたい!

無罪にも関わらず有罪とされた人々だからだ!

10倍以上の戦力差でありながら、死ぬとわかっている戦いに命を捨てて国のために挑んだ。

みんな国のために戦った。

負けたとはいえ、その勇気は今もなお世界中から尊敬されている。

だから今でも米軍には、ニミッツ提督をはじめ、日本軍を称えている人間が多いんだ。

朝鮮人の多くは後方に送れてたから、称えれている人数こそ少ないが、米軍に称えられている日本国籍の朝鮮人だっているんだぞ!

コリアンどもは靖国に祭られている当時は日本人だった朝鮮人の英霊の冥福を祈ったらどうだ?!」

 

 

 

Q:日本は朝鮮人を差別して後方に送った。
名誉なことは日本人、雑用は朝鮮人。これは差別だ
 (火病が発病してます)

 「前線に送れば「捨て駒だ!」と文句を言う。

兵士にしなかったり、しても後方に送れば「不名誉だ!」と文句を言う。

どうしろって言うのよ?」

 「旧日本軍の兵士は、同じ出身地同士でチームを編成することが多かった。

大阪8連隊とか、京都9連隊とかな。

当然、数が少ない朝鮮系日本人はチームが組めず、後方へ送られることになったわけだ。

まあ、これが差別と言うなら差別だが、これを差別と言ってしまえば、「捨て駒にされた」という文句は言えなくなるわな。

この時点で、韓国側の主張には矛盾が存在してるって気づいてるか?」

 

 

 

Q:日本軍将校はすぐに殴る。暴力大好きで野蛮な民族だ

 「殴るのは英国海軍からのパクリだ。

船員は艦と運命を共にするというのも英国海軍のパクリだ。

だいたい殴るのが好きだったのは朝鮮系日本人が多かった。

BC級戦犯に指定された朝鮮系日本人の兵や下士官が、監督責任ではなく、暴力行為や虐待の実行行為を特定されて裁かれているのを知らないのか?

まあ、半島じゃそーいうのは全部無かったことになってるからな。

靖国神社にも朝鮮人が祭られているってことを知らないだろ?

同胞を売ることに恥を覚えない民族だからしょうがないがな」

 

 

 

Q: 韓国は日本の戦争に巻き込まれたのだ。謝れ

 「知らんな。当時、韓国なんて国はない

敵国でも中立国でも同盟国でもない。

同じ国だ。

ドイツがオーストリアに謝ったか?

同じ国に謝る必要などない

だいたい、朝鮮人だってやる気満々だったじゃねえか。

日本が負けたからって手の平返すんじゃねえよ」

 参考資料: 申興雨 昭和十六年十二月十日 ソウルでの決戦報告大講演会
「祖父の代から受け継いできた黄色人種の積憤をいまこそ晴らさなければならない。一度、決戦する以上、帝国行路のがんである敵性国家を粉砕し新東亜建設に邁進しなければならない」

 参考資料: 張徳秀 普成専門学校教授
「米英の圧迫と屈辱から東亜民族の解放を叫ぶ決戦を開始したのである。いまや東亜民族は圧迫と摂取を受けて骨しか残っていないが、今やその骨で断固として決起し、仇敵米英を打倒しなければならない。

 参考資料: 李成煥 朝鮮農民運動の指導者
「貧欲の牙城、白人帝国主義の張本人英米をいまこそ撃滅せずには、我等の子孫の発展を望むことはできない。

 参考資料: 「毎日申報」昭和十八年十一月二十日 崔南善
昔から春秋に善戦はないといわれているが、今度の戦争(大東亜戦争)を善戦聖戦といわずして何といえようか。 大東亜の建設、全人類の解放、主義と信念と理想を生かすための聖なる戦いに行くことはなんと快心事であることか。日本国民としての忠誠と朝鮮男児の意気を発揮して一人残らず出陣することを願う次第である。

 参考資料: 昭和十八年十一月二十日 李光洙(韓国近代文学の祖)東京明大講堂
朝鮮半島学徒出陣総決起大会にて
「愛する諸君よ。汚れた朝鮮民族という名にしがみついて、汚辱の生存を送るよりも、栄光ある大日本皇民の名の下に死すべきであります。栄光の死の中にこそ、悠久の大義に生きる不滅の生があるのであります」

 

 

 

 

Q: 韓国は日本の自爆テロ精神に洗脳されたのだ!捕虜になるより死ぬ方がマシなどいう考え方は理解不能である!

 「ならば聞こうか。

捕虜にされ、徹底的に拷問を受けながら死ぬのと、命と引き換えに目にモノ見せてやるのとどっちがマシか?

惨めに死ぬのと、華々しく死ぬのと、”同じ”死ぬならどちらを選ぶか?

同じ白人のドイツ兵ですら、米英ソの捕虜にされて何十万人、何百万人もが死んでいる。

白人でさえそんな状態だったのに、猿同然の扱いをされていた日本人が生き残れると思っているのか?

もし、相手が投降を許さなかったような状態ならば特攻を選ぶのはむしろ当然だと思うぜ」

 参考資料 : チャールズ・リンドバーグの戦時日記』 
著者:チャールズ・A・リンドバーグ・・・アメリカが誇る空の英雄。世界初の大西洋横断無着陸飛行を成し遂げて二万五千ドルの賞金を獲得、一躍世界の英雄となったアメリカの飛行家であり、後に書かれた単独飛行の回想録はピュリッツァー賞を受賞。しかし大戦直前、ナチス党のH.ゲーリングから名誉勲章を受賞しているナチスドイツの英雄でもある(笑)

アメリカ軍は日本兵を捕虜にしようとしなかった

我が海兵隊は、この島の日本軍の降伏をめったに受け付けなかった。戦闘は激しいもので、我が軍兵士の損失も甚大だった。それゆえ、みなの欲するところは、日本兵はすべて殺害してしまって、けっして捕虜にはせぬ、ということだった。たとえ捕虜として連行してきたときでも、彼らを一列に並ばせ、誰か英語を話せるものはいないかと質問し、もし話せるものがいたら彼らだけひきぬいて、尋問のための捕虜とした。残りのものは捕虜にもしなかった」

「日本兵の死体に金歯があると、靴で踏み付けたり、棒でつついてその歯を取り出して集めて、小さい袋にため込んでいる兵士が何人もいる。砲弾で出来た穴の中に日本兵の死体を投げ込む。その上をゴミ捨て場にする例もある。死体処理はブルドーザーでなされ、墓標がたてられることは、けっしてない」

「ちょうどそのころ、日本軍は泰緬鉄道の捕虜犠牲者のために、四メートルの大理石の慰霊碑を立てていたことを考え合わせてみよ」

「わが軍の兵士たちは日本兵の捕虜や投降しようとしている者を射殺することを何とも思っていない。彼らは日本人を動物以下のものとして取り扱い、それらの行為がほとんどみんなから大目に見られている」

ニューギニアでは二千人ほどの日本兵捕虜に機関銃が乱射された。オーストラリア兵のパイロットたちは飛行機で日本人捕虜を輸送中、山の上に突き落としたので、途中で「ジャップたちはハラキリをした」という。

ジャップの病院を占領した時には、病院に生存者をひとりも残さなかった」捕虜として投降してきた者は即座に射殺、そのためわが同胞は投降もままならず、ジャングルの中で飢えに苦しみ抜いて死んでいった。日本人の死体は切り刻まれた。金歯を抜き取る者、おもしろ半分に耳や鼻を切り取り、乾燥させて本国に持ち帰る者、大腿骨を持ち帰り、それでペンホルダーやペーパーナイフを作る者さえいたという。

 「ドイツ人がヨーロッパでユダヤ人に対して行ったことを、われわれアメリカ人は太平洋で日本人に対して行っている」

負傷兵であろうと手を上げようと、みな射殺してしまう。それが残虐な日本兵にたいする報復だとし、自らの残虐行為を正当化した」

 参考資料: ウイリアム・パーソンズ大佐 投下後の記者のインタービューに答えて、
「(原爆で)ジャップがひどい目に遭うことについて、特別な感情はなかった

 参考資料: アメリカの雑誌タイム(太平洋戦争当時の記事)
「普通の日本人は知性が低く、無知である。たぶん人間なのだろうが、人間であることを示すような点はどこにもない

 参考資料: ジョセフ・ハリントン著 「ヤンキー・サムライ」より
「ルーズベルト大統領の息子で海兵隊大尉のジェームズ・ルーズベルトも加わっていたカールソン襲撃隊は、戦死した日本兵の死体を切り刻み、男根と睾丸とを日本兵の口中に詰め込んだ。太平洋戦争について熱心な研究者で著書もあり、またテレビの連続番組(戦線、Battle-Line)のプロデューサーであるシャーマン・グリンバーグが、二十年後にカールソン隊員の一人にその時の模様を(テレビで)詳細に語らせている。その隊員は戦友たちのやった蛮行を写真に撮っていた」

 参考資料: 軍事歴史家デニス・ウォーナー
「しかし彼等は傷つき、おまけに降伏を望んでいます」と、日本軍の大規模攻撃が失敗に終わったあとの戦
場で、大佐が少将に反論した。「私の言うことが聞こえただろう」と、両手を挙げた日本兵からわすか数ヤード離れただけの少将(司令官)は答えた。「捕虜はいらない。全員射殺してしまえ」。そして彼等は撃たれた。」

 参考資料: カリフォルニア大学教授ジョン・ダワー 『容赦なき戦争』より
「終戦直後ある米陸軍大尉が公表した記事には、「第四十一師団、捕虜を取らず」という堂々たる見出しが
付けられていた。この師団が例外的に日本兵を捕虜にしたのは、軍事情報の収集のために捕虜が必要な場合だけであった」

 参考資料: 米国人ジャーナリスト リチャード・トレガキス 『ガダルカナル日記』より
「ジャップは金歯をたくさん入れているそうだが、それを頂いてネックレスでも作るかな」と一人が言う。「おれは奴らの耳を持って帰るよ」ともう一人が宣言する。「塩漬けにしてな」」

 参考資料: E・スレッジ、生物学者、1981年に出版の回想録
太平洋の激戦地ペリリュー島および沖縄で、日本兵の死体から手を切り取って戦果のトロフィーとする、金歯をあさる、死体の空いた口を目がけて小便をする、恐れおののく沖縄の老女を撃ち殺し、「みじめな生活から、解放してやっただけだ」と気にも留めない海兵隊員の様子を目撃した。

 参考資料: 英国人ジャーナリストのラッセル・スーパー 『戦艦大和の運命』より
アメリカ人は絶望的になっている敵国人を殺戮することに、気がとがめなかった。彼らは太平洋において人種戦争を常に派手に戦ってきた。新聞の大見出しになる種を探しているアメリカの高官連中は公然と、日本人を殺すことはシラミを殺すよりも悪いことではないと言明した。この残虐性は四ヶ月後に広島でその頂点に達することになる。」

  参考資料 : ドイツ軍退役将軍ウーレ・ウエットラー(原液時代は北大西洋条約機構(NATO)の作戦本部参謀や戦車部隊司令官を歴任
 「戦争目的(大東亜共栄圏)や敗戦国であるという点から日本軍の残虐行為が強調されるのでしょうが、純粋に軍事史の具体例として検証した場合、むしろ米軍の方の残虐性が目立つ

 

 

 

 

Q:アメリカは、日本から朝鮮を解放してくれたのだ。アメリカは朝鮮を独立した国家と見ていたからこそ、植民地支配をしていた日本を倒したのだ

 「ほぉほぉ、日韓併合を後押ししたのはアメリカだが?」

 「アメリカにとって朝鮮半島は日本以外の何者でもないわ。

沖縄や北海道と同じで、本州と海で離れているだけの日本領土に過ぎなかったのよ。

解放? それってもちろん冗談よね」

 参考資料: 「日韓2000年の真実」名越二荒之助
連合軍は八月十六日、総督府に機密命令を発し、しばらく総督府に朝鮮統治を続けることと、日本の朝鮮統治機構を保全し、これを連合軍に引き渡すように命じたのです。敗戦国日本にとって連合軍の命令は絶対です。八月十八日総督府はやむを得ず、朝鮮建国準備委員会に与えた行政権を取り戻しました。一旦は建国準備委員会の手に渡った統治機構も放送局も新聞社もすべて摂収してしまったのです。太極旗は下ろされました。朝鮮側は激怒しましたが、なすすべがありません。行政権を委譲されたとはいえ実際に朝鮮全土の治安わ維持していたのは日本軍と総督府の警察であったからです。そこで呂運亭は全土に「建国準備委員会」を発足させ、、百四十五の支部を基盤にソウルに一千人余りの代議員を集めて「朝鮮人民共和国」の樹立を宣言しましたが朝鮮半島の命運に決定権をもつ米ソ両国に否認、無視されてしまいます。

 

 

 

 

Q:3・1独立運動が日本の支配の酷さを物語っている

 「 3・1独立運動は、独立運動ではなくただの暴動。朝鮮人に対して暴れていたのは大抵が朝鮮人自身。3・1独立運動について半島が出す資料はいい加減なものばかりだ。

韓国ではソウル起源なのに、北朝鮮ではピョンヤン起源。

数字も違えば、内容も違う

韓国側が使っている資料は、その資料の作者ですら「正確な数字はわからない」と言っているのに、それを無視して平気で使う。

せめて統一見解を出してくれ。 でないと話にならない」

 参考資料 : 韓国の教科書  死者7509人  負傷者1万5961人
*上海にいた人達が、新聞記事や伝聞を元に作った資料をまとめて、翌年に出した資料「血史」にある数字をそのまま引き出したもの。

 参考資料 :総督府の発表  死者553人  負傷者1409人
*村ごと月ごとの事実関係を示して集計されたもの

 参考資料: 1919年3月6日「京城日報」
 ウィルソンの民族自決主義は、第一次世界大戦中、敵国であったロシア、オーストリア、ドイツ等の支配地域の民族に呼びかけたものであって、味方である日、米、英、仏の支配地域は例外である。パリ講和会議に参加した列強に、朝鮮独立を請願しても受けつけられるはずもない。

 参考資料: 1919年3月7日付け 「京城日報」
 運動の指導者は、非暴力を宣言しながら、それは口実であって、至る所で暴力沙汰が広がったではないか。それは公務執行妨害罪であり、騒擾罪に該当する。いわゆる独立運動なるものは、同胞に累を及ぼすような不法の中から生まれるものではない。朝鮮民族にとってそもそも独立とは何であろうか。三韓時代の昔から李朝末までに至るまで、常に支那の直接または間接の支配に甘んじ、朝貢を続けてきたのではなかったか。わずかに日清戦争後、(日本によって)「大韓帝国」の国号を建てたが、ロシアの勢力が強大になると、たちまちその方向になびいていった。もし日本がロシアを抑えなかったら、朝鮮はロシアに支配されていたことは間違いない。現在は国際連盟に期待しているようだが、提唱者のアメリカでさえ、国連は頼むに足らずとして加盟しないではないか。ウィルソンの大手品に踊らされるのはやめて、足元を見よ。

  参考資料 :閔元殖 「朝鮮騒擾善後策−鮮民の求むる所は斯くのごとし」「日韓2000年の真実」名越二荒之助
 <日本政府は併合以来十年近く、朝鮮人の生命財産を保護し、国利民福を向上させる点に於いて用意周到であった。運輸交通、金融機関の整備、農工各種の産業の発達等、旧韓国時代の悪政から朝鮮人を解放し、夢想もしなかった恵沢をもたらせた。にも拘わらず朝鮮人の性情が偏狭・我執に傾いているためか、口では感謝しながら、心では淋しさを感じ朝鮮人の自尊心を傷つけるなどという者が多い。更に朝鮮人は米国を世界の自由郷を現世の楽園のように思っている者が多い。しかし、そこは白人の天国であって、有色人種の人権はほとんど認められない。パリ平和会議で、日本が人種差別撤廃を提案したが、オーストラリアのヒューズ首相が強硬に反対し、それを真っ先に支持したのはウィルソン大統領ではなかったか。米国の庇護に頼って栄光ある独立ができるなど不可能の事である。日本統治下の朝鮮人は、米国に比べてはるかに幸福であることを認識し、穏当な方法によって民権を拡大していくことを講ずべきである。

 参考資料: 「韓国・中国歴史教科書を徹底批判する」 勝岡寛次 2001年 小学館文庫
 1919年に起こった三・一独立運動を韓国の教科書は、日本軍の残虐さだけを強調して書いている。だが、事実は「平和的な方法で独立万方歳を唱え示威をする人々」だけではなかったのである。全国的に及んだこのデモは、地方では暴徒化し、警察署・村役場・小学校等を襲い、放火,投石・破壊・暴行,惨殺を行って手がつけられないありさまとなったのだった。日本側は治安出動を強いられたのであって、決して韓国の教科書の言うように、「無差別虐殺」を行ったのではない。 韓国の教科書の記す犠牲者の数も、問題である三・一運動の犠牲者数は今も正確なところは不明で、韓国の教科書が依拠したと思われる朴殷植『朝鮮独立運動の血史』では、死者7509名、負傷者1万5961名と記されている。しかし、著者の朴殷植は当時亡命していて韓国におらず、この本の中で「今回の独立運動は…確実な実態調査を得ることは難しい。いわんや、海外にあって、ただ新聞報道や個人の伝聞的報告によるものだけであってみれぱ、その事実調査の困難さは推して知るべきであろう」と断っている。
総督府の調査では、死者553名・負傷者1409名であり、韓国側の主張とは10倍以上もの開きがある。

 参考資料 : 名越二荒之助 『日韓2000年の真実』)
 総督府の調査も完全なものとは言えないだろうが、海外にあって「新聞報道や個人の伝聞的報告」だけで書かれた『朝鮮独立運動の血史』の数字だけを、何の疑いもなく、教科書に褐げるのは公平さを欠く。しかも、韓国の教科書も本文では2万名と言い、コラムでは3万名以上と言っており、この事実一つをとっても、いかにいい加滅な数字を並べているかということが明らかである。

 

 

 

 

Q:韓国は間違ってない(※火病が発病してます)

 「なら間違っているのは北朝鮮ね?

It’s OK? (そうでしょ?)」

 

 

 

 

Q:昔のことだから多少のズレはある(※火病が発病してます)

 「起源すらはっきりしない。数字もいい加減。矛盾だらけのデタラメな記述。

多少の一言で片付けるな」

 

 

 

 

Q:どちらにしろ日本人が朝鮮人を虐殺したのは事実だ
(※火病が発病してます)

 「「こうだったに違いない」という思い込みだけで、証拠も無しに事実を作ることを韓国以外の国では捏造と言うわ。

韓国内でさえ、本や学者や年月によって人数がコロコロ変わるのはどういうことなのよ?」

 

 

 

Q:日本は過去のことを反省していない。日本はアジアを侵略したくてウズウズしている危険な国だ。(※火病が発病してます)

 「現在進行形で日本の領土を軍事占領している韓国がよく言う。

竹島は日本の領土だ。さっさと日本から出ていて侵略国家韓国」

 

 

 

Q:竹島は韓国の領土である。日本のものではない

 「なら、日本が提訴している国際司法裁判所に出て来なさいよ。国際司法裁判所は両国の合意がないと手続きができないの。

韓国はあらゆる証拠から、出れば負けると確信しているもんで出てこないのよね」

 

 

 

Q: 法廷に出るまでない。竹島が韓国の領土なのは間違いないのだ。(※火病が発病してます)

 「間違いかどうかは韓国が決めることじゃないわ。国際社会が決めることよ。

もし韓国が本当に自信があるなら法廷に出てきなさい」

 

 

 

Q: 竹島問題はすでに解決済みである。昔のことを持ち出す日本は不道徳である。(※火病が発病してます)

 「解決してないわ。みんな忘れてるだけよ。だから決着つけなさいってば」

 

 

 

 

Q: 竹島問題は日韓友好の妨げになる。大事の前には小事を忘れることだ。日本はそれがわかってない。(※火病が発病してます)

 「自国の領土を守ろうとしない国なんて国際社会じゃ相手にされない

そこがどんなに小さい島だろうと、自国の領土が侵されたら、命を賭けて国を守る。

それは国際社会のワールドスタンダード。

竹島が日本のものである以上、それを守らないことは日本の国際的信用に関わる問題なのよ。

韓国こそ、恥を知りなさい」

 

 参考資料: 「正論自由 第5巻 日本人の誇り」 著者:中村勝範
 フォークランド戦争が終った。勝利を議会に報告したサッチャー首相に対して、イギリスの野党である労働党党首は、フォークランドを国連の信託委任統治にする意志はないかという質問をした。これに対して答弁に立ち上がったサッチャー首相は、「フォークランドを、国連の信託委任統治にするために死んだのではない」と答えた。それで十分である。一万何千キロの遠い波のかなたの、吹けば飛ぶような小さい島でも、粗末にするような国は、いずれ自分の国の中心部を攻撃されても、守る気力なき民族である。イギリスは英国病にかかり、重態であるといわれたが、サッチャー首相のような健全な思想のあるかぎり、イギリスもイギリス民族も共に滅びないであろう

 

 

Q: すでに竹島には韓国の郵便ポストが作られている。もはや実質韓国領である。

 「日本が国際司法裁判所に提訴した時点で竹島は「紛争地域」とされているわ。

だから「そこに人が住んでいる」なんてのは理由にならない。

当然時効なんてのもない。

韓国には裁判か、戦争かの二つに一つの選択肢しかないのよ」

 

 

 

Q:1923年の関東大震災のとき日本人は朝鮮人を大量虐殺した!

 「大量ってのがどれくらいの人数なのか凄く気になるな。

一説によると6000人の朝鮮人が虐殺されたらしいが、この数はだんだん増えてるぜ?

どーいうことかな?

そもそも6000人という数字は、1970年代になって姜徳相という韓国人が言い出した。

この姜徳相は歴史捏造の第一人者で、かなりのペテン師だ。

本も書いているが、ほとんどが捏造だということはとっくの昔に暴露されている。

6000人という数字は全く信用できないな。

仮にこの6000人っていう数字が本物なら、なぜその後の不法入国朝鮮人の数は増えつづけているか?ということだ。

もし6000人が虐殺され、徹底的に差別されたのならば不法入国してまでも日本にいたいとは思わないだろうが。

そして、関東大震災当時、混乱のどさくさに紛れて放火、殺人、レイプ、火事場泥棒を繰り返し、警察と衝突したのはどこの民族だったかな?

もっと徹底的に検証してみる必要があるな、これはよ。

どっちにしろ、当時は同じ国だったんだから謝罪も賠償もする必要ないけどな」

 参考資料: 大阪朝日新聞、大正12年9月3日号外
 目Kと工廠の火藥爆發 震源地は太平洋にも
【早川東朝社員甲府特電】
朝鮮人の暴徒が起つて横濱、~奈川を經て八王子に向つて盛んに火を放ちつつあるのを見た。
震源地は伊豆大島三原山の噴火と観測されてゐるが他に太平洋の中央にも震源があるらしい。
砲兵工廠は火藥の爆發のために全燒し目K火藥庫も爆發した。

 参考資料: 大阪朝日新聞、大正12年9月4日
 各地でも警戒されたし 警保局から各所へ無電
~戸に於ける某無線電信で三日傍受したところによると、内務省警保局では朝鮮總督府、呉、佐世保兩鎭守府並に舞鶴要港部司令官宛にて目下東京市内に於ける大混亂状態に附け込み不逞鮮人の一派は随所に蜂起せんとするの模樣あり、中には爆彈を持って市内を密行し、又石油鑵を持ち運び混雜に紛れて大建築物に放火せんとするの模樣あり、東京市内に於いては極力警戒中であるが各地に於いても嚴戒されたしとあつた。

※ 現在、朝日新聞はこの記事の封印を行っており、国会図書館に行ってもその記事をみることはできない。
証拠隠滅の現行犯である。なお、1923年当時の日本に存在したジャーナリズムは日本の新聞だけである。

 参考資料: 陸軍省関東戒厳司令部が極秘にまとめた軍隊による兵器使用事件の調査表
歩1 1日夜中 月島4丁目付近「爆弾らしい物を投げた」朝鮮人1人撲殺
騎15 2日23時半 千葉県南行徳村「橋を壊した」として朝鮮人1人射殺
近歩1 3日10時 両国橋付近「爆弾らしい物を投げた」朝鮮人1人射殺
近歩2 3日14時半 下谷区三輪町「聴取中短刀で切りかかった」朝鮮人1人刺殺
騎14ら 3日15時 大島町朝鮮人約200人撲殺
野重1 3日16時 永代橋付近「川に飛び込むなどした」朝鮮人32人射殺
野重1 3日16時 大島町「爆弾らしい物を投げた」朝鮮人6人射殺
騎15 3日17時 千葉県浦安町「銃を奪おうとするなどした」朝鮮人3人射殺
工兵学校 4日2時 松戸地先葛飾橋「護送中抵抗した」朝鮮人1人射殺
騎15 4日17時 南行徳村「こん棒などで暴行した」朝鮮人5人射殺

※ 計281人であり、そのうちの何人かは殺されても仕方がないことをしている。

 参考資料 : 在日朝鮮人人口動態 内務省警保局統計 他
                 年在日朝鮮人数 増加人口数(前年比)

1920 3万0175 1903 朝鮮で「産米増殖計画」〜1934
1921 3万5876 5693
1922 5万9865 2万3989 日本への「自由渡航制」
1923 8万0617 2万0752 関東大震災
1924 12万0238 3万9621

1925 13万3710 1万3472 再び日本への「渡航制限」〜1938
1926 14万8503 1万4793

※ 6000人が虐殺されたはずなのに、次の年には4万人近く増加している。

 

 

 

 

Q: 豊臣秀吉は朝鮮で酷いことをした!耳を切り取るなど人間のすることではない!

 「秀吉のことを言うなら、先に元寇を謝れ。

元はモンゴルの国だが、日本に攻めて来たのは元の手先になった朝鮮人が多かったんだぞ。

何百年も前のことを言い出したら切りがない。

それに秀吉の耳切りなんぞ、別に酷くもなんともない。

なんせ、敵兵の耳や鼻を斬るのは中国の文化だからな。

当然、朝鮮にもそういう文化があったわけで、秀吉はそれに従っただけだ。

秀吉の場合は倒した人数を把握したかったってのもある。

最後にはちゃんと供養してるしな。

だいたい、耳を切ったりするのが野蛮で酷いことなら、韓国はベトナム戦争で散々やってたじゃねぇか。

4世紀も前のことをあーだこーだ言う前に、韓国はベトナムに謝れ」

 参考資料: 2000年4月ハンギョレ21305号
【韓国軍キム・ギテ 予備役大佐 インタビュー】

- (ベトナム戦争で)韓国軍が耳を切り、鼻を切ったという話があります。

= 実際にそのようなことがありました。中隊員の中の一名で、死んだ者の目玉を取ってアルコール漬けにした兵士がありました. また、一名は、片方の耳だけを切って集めて針金に通して、幕舎前に掛けたりもしていました。
‘何故そんなことをするのか’と聞いたところ、帰国する時に記念に持っていくと言いました.

 

 

 

 

Q:日本は軍事力の強化をやめない。憲法違反だ

 「自衛隊は軍隊じゃない。あんな張り子の虎で何ができる。

事実を並べれば、韓国は日本へ侵略しようとしているとしか思えないぜ」

・他国の教科書選定に内政干渉
・領土係争地に、大型警備艦配置
・防衛交流完全中止
・姉妹都市絶縁
・大使召還
・当該国の他国との領土係争地にて他国側に追従
・国交基本条約破棄さえ大統領が示唆
与野党双方の国会議員が国交断絶を主張
・当該国の国会与党代表との面談を大統領が拒否
・悪質な風聞の流布をインターネット上で複数回行う

 「国交断絶は望むところよ。

特に機械メーカーは、韓国に製品の技術をぱくられて困ってるくらいだからね♪

何せ9割どころか、10割全てパクリという業者もあるらしいし

国益のためには韓国と国交を断絶すべきよ」

 参考資料:直視せよ「韓国病」 光文社  著者 崔青林(朝鮮日報編集局長代理)
 ソウル大学工学研究所は二年前、国内のある家電メーカーとテレビ新製品の共同開発を行ったことがある。研究所側は、その企業の技術水準の細部までを把握するため、企業側の技術開発担当者に、テレビ技術系統図を要求した。これは国内で動員可能な技術、導入しなければならない技術、国産化すべき技術をまとめて、原価節減要因わ探し出すためだった。しかし、その企業担当者は、一年経過しても画像、音声、調整など、三つの分野の技術があるとの原論を述べるだけで、細部技術、部品、ノウハウなどの目録を載せた系統図を提出しなかった。後日、判明したことだが、提出しなかったのではなく、提出できなかったのだった。この家電メーカーは、驚くべきことに「日本の図面の丸写しが習慣化」していて、独自に設計図を作成する能力がなかったという。工業研究所側は、しかたなしに電子科教授たちに設計図作成に協力を要請したが、時代遅れで役立たずの「日本の設計図」を受け取っただけだった。      

 

 

 

 

Q: 韓国は日本に戦争を仕掛けたりなどしない。日本とは違う
 「みんなそう言うんだよ。信用できるか。

日米同盟、米韓同盟で、親玉がアメリカだから攻めて来ないだけだろうが。

なんで自衛の手段しか持たないはずの韓国が上陸作戦に必要な揚陸艦を欲しがってんだよ。

日本に上陸する気満々じゃねえか。

イージス艦まで買っておいて、あんまりふざけたこと言ってんじゃねえぞ」

 

 

 

Q:日本は南京大虐殺で30万人を殺した最悪の国家だ
 「あれは中国側の捏造。

20万人の都市で、どうすれば30万人の死者が出るわけ?

当時の南京安全区委員会委員長ジョン・ラーベ(ナチ党員)は、一ヶ月には25万に増えているとか書いた資料が残ってるけどさー。

なんで数が増えてるわけ?

ここは虐殺が行われてる場所なんでしょ?

その真っ最中になんで人が増えるのよ。

大虐殺が行われてるのに外部から人が来るわけないじゃない。

あっそーか、水をかけたり、12時を過ぎて食事を取らせると数が増えるんだ」

 「それはグレムリン・・・」

 「うんうん、きっとこれも中国4千年の歴史のなせる技なのね。

民明書房か何かでその技術が紹介されてるかもしれないわ。

とまぁ、こんなふうに当初から矛盾だらけを指摘されてるし、すでに南京大虐殺の情報そのものが、中国国民党のプロパガンダで、それを証明する書類が台湾で見つかってる。

真実が明らかになるのは時間の問題ね。

ま、南京大虐殺について中国はまともに討論したことは一度もないけど。

討論すれば必ず負けるってわかってるから。

だからいつも団体抗議という名の圧力なんだ。

ま、第一、それが本当だとしても韓国には関係ないわね。

日本に南京のことを謝れと言うなら、韓国はベトナムに謝りなさい。

韓国はベトナムで30万人以上を虐殺したじゃないのよ」

 参考資料 : 2003/3/1 SANKEI WEB(産経新聞社)より
 これまで「南京大虐殺」の根拠とされてきた英国の新聞記者の著書が中国国民党の宣伝書籍だったことを示す極秘文書が28日までに、東中野修道・亜細亜大学教授の調査により台湾で発見された。「大虐殺」説を覆す決定的な証拠として注目される。 問題の著書は、日本軍の南京攻略当時、英マンチェスター・ガーディアン紙の中国特派員だったH・ティンパーリーの『戦争とは何か』。「4万人近くの非武装の人間が南京城外または城壁の付近で殺された」などと書かれ、「大虐殺」の証拠とされてきた。 東中野教授が見つけた文書は『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』という題で、「極機密」の印が押され、日本軍が南京を占領した1937(昭和12)年12月から約3年間の中国国民党の宣伝工作を記録していた。

 参考資料 : 99年5月256号ハンギョレ21
(写真/'忘れたい戦争' 韓国軍に殺されたベトナム人の数は、公式統計だけでも4万1450名だ。)

韓国軍は残酷な大量虐殺を行ったため、南ベトナム民族解放戦線(NLF)さえ、できるだけ直接的な交戦は避けようとした程だったと伝えられる. 前線もなく、敵が誰なのかもわからないベトナム戦でベトコンの根拠地を捜索, 破壊するという作戦上の名分が老若男女を区別しない虐殺行為を正当化させた. 筆者が持っている記録は、その内容が非常におぞましく、詳細に明らかにするもので、負担がなくはなかったが, その一部をここに紹介する。

このような捜索掃討作戦は、一次的にじゅうたん爆撃等で作戦地域を公開して, 韓国軍等の地上軍が現場に投入されて村に残っている住民たちを即決処分した後、家を燃やしてブルドーザー等で村全体を押し潰す方式で展開した. 生存者の韓国軍に関する証言で共通な点は, 無差別機関銃乱射, 大量殺戮, 妊産婦, 女性に対する強姦殺害, 家屋への放火などだ. 生存者の証言を土台に韓国軍の良民虐殺方式を整理してみると、いくつかの共通した類型が現れる。
-住民たち(大部分が女性と老人, 子供たち)を一ケ所に集めた後、あるいはいくつのグループにまとめて、機関銃を乱射して抹殺する。
-住民たちを一戸に追い詰めて銃を乱射した後、家と一緒に死亡者も生存者も全部燃やす。
-子供の頭を割ったり首をはね, 脚を切ったり四肢を切断して火にほうり込む。
-女性を強姦した後、殺害して, 妊産婦の腹を胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰す。
-住民たちを村のトンネルに追い詰めて毒ガスを浴びせて窒息死させる。
韓国軍の大量虐殺が強行された所では、子供たちの口にキャンディやケーキが含まされていた。
老人たちの口にはタバコが咥えられていた場合が多かった。恐らく、村人を安心させながら一ケ所に集めるための手段だったようだ。

 参考資料 : キムワンソプ著『親日派のための弁明』P,44
 韓国の場合、アメリカからいくばくかのお金を与えると言われて、何の関係もないベトナムに軍隊を送ったあげく、無辜(むこ)の良民を見分けることができず虐殺したのはわずか30余年前のことだ当時の韓国軍がいかに残酷だったことか。ベトナムでは、「ダイハン」(韓国軍のこと)がきたといえば泣いていた赤ん坊もぴたりと泣きやんで、恐怖に震えたという話が伝わっている。また韓国兵は押さない子どもらにアメをやるといって呼びよせ、悪戯半分で撃ち殺したともいう。このように韓国軍の残虐さを記録した資料は、計りしれないほどある。ベトナムの人びとは韓国軍に抹殺された村ごとに碑(いしぶみ)を建て、「ダイハン」の残虐行為を忘れまいと誓いあっている。米軍はベトコンがいそうな村に入って住民を殺す必要があるときは、きまって韓国軍を利用したという。こうして五年足らずのベトナム参戦中に韓国が虐殺したベトナム人は30万人をこすと推定されている。

 「説明補足。

ベトナム戦争参戦はアメリカの要請ではなく、韓国の名乗り上げで実現。

『いくばくかのお金』は具体的な数字で10億ドル

1965年の韓国の国民総生産は45億ドルで、輸出総額1億ドルのために全力を傾けていたわ。

韓国にとって10億ドルは少ない金額だったみたいだけどね。

ま、韓国の歴史の教科書でベトナムについて書いてあることはたった一行だし、どーでもいいんでしょうね」

 「さらに説明補足。韓国内で韓国がやった悪事をばらそうとするとスパイ容疑で逮捕される

スパイ容疑は死刑になることもあるほどの重罪で、韓国には言論の自由なんてない」

 参考資料 : 野村進「コリアン世界の旅」第六章「サイゴンに帰ってきた韓国兵たち」
 「これまでの通説では、アメリカの要請に応じて朴大統領は派兵を決意したことになっている。ところが、近年アメリカの研究者などのあいだでは、逆に韓国側から派兵を持ちかけたとする異論が出され、こちらの方が説得力を持ちつつあるのだ。いずれにせよ、アメリカは派遣されたすべての韓国兵に戦闘手当てを支払い、その大半は右から左に韓国本国へ送金された。これらを含む、アメリカからのベトナム特需の総額は十億ドル(当時で三千六百億円)をはるかに上回り、実質的には朝鮮戦争時の日本における朝鮮特需以上の利益を韓国にもたらしたのである」

 参考資料: 国定韓国中学校国史教科書
共産侵略を受けているベトナムを支援するために国軍を派兵した。

 参考資料: 国定韓国高等学校国史教科書
共産主義の侵略を受けていたベトナムを支援するために韓国軍を派兵した。

※中学校・高校ともにベトナム戦争についての記述はたったの一行である。

 

 

 

Q: アイリス・チャン著「レイプ オブ 南京(The rape of Nanking)」のような資料がある!南京大虐殺は事実だ!

 「だからそれも中国お得意の偽情報なんだろ。

アメリカで、ひたすら偽情報を流しまくっているようだが、あんな矛盾だらけ穴だらけの捏造本が素人相手ならともかく、学者相手にどこまで通用するのかねぇ?」

 参考資料: スタンフォード大学歴史学部長 デービット・ケネデイ教授
アイリス・チャン氏の最大の意図はどこにあると思うかの質問に対して

 オランダ人の日本研究家イアン・ブルマ氏の著書などを読むと、南京事件に関わったという中国側の人たちは皆奇妙なほど同一の証言をする。当時の回想でも日本側への要求でも、皆同じだ。その点に背後の中国の政治的な組織の存在を感じさせられる。チャン氏も米国内の中国系政治組織に支えられているようだ。この書の執筆にもそんな政治的な動因が大きいと思う。

 参考資料: 元国務相外交官 アメリカン大学 リチャード・フィン教授
 南京での日本軍による中国人虐殺を外国報道陣で初めて伝えたニューヨークタイムズのティルマン・ダーデイン記者は全体の犠牲者数を2万とか3万と推測していた。南京在住の外国人代表のドイツ人、ラーベ氏は4万とか5万という人数を伝えていた。中国側では45万とか50万という数字も語られている。要するに虐殺はあったことは間違いないにしても、その犠牲者の正確な数字は誰にも絶対的な事実としては断定できない、ということだ。日本側はこの点を外部に対して訴えるべきだ。チャン氏の言う35万というのも推測に過ぎない。また、この本の間違いでさらに重要なのは日本の中央政府や天皇の南京事件への関与についての記述だ。私の知る限り、当時の天皇が南京事件に直接関与したり、朝香宮に中国人虐殺を命じたりすることは考えられない。だがチャン氏は天皇の責任に言及し、当時の日本政府や国民全体に虐殺の責任があるような言い方をしている。

 「で? アメリカの学者に相手にされていない捏造本がどうかしたか?

中国は最近インターネットが普及したことで言論弾圧に大変だそうだ。

今まで隠してきたことがどんどん暴露されちまってるからな。

eメールや検索エンジンの監視。

外国ニュースや政治色あるウェブサイトに警戒。

一群のキーワードによる情報検索を感知するシステムを開発導入して、違反者に対しては厳罰をもって臨んでいたりと大騒ぎだが、全部を見張ることがどこまでできるのかねぇ?

ま、そんなことよりも早くベトナムに謝れよ、大量虐殺国家 韓国」

 

 

 

 

Q: ベトナムは日本に関係ない

 「なら南京も関係ないわね。 終了」

 

 

 

 

Q: 違う。日本は悪い。韓国は悪くない。韓国がベトナムで戦ったのはアメリカの要請に答えただけだ。(※火病が発病してます)

 「アメリカは韓国に要請してないわ。

韓国が自分から言い出して、しかも、そのお礼として10億ドルの援助金をもらってるじゃない。

そっか、都合の悪いところはアメリカのせいにする気なのね

はっきり言って、米兵よりも韓国兵の方が嫌われてるのよ。

自分たちが世界中で嫌われている理由がわかってる?

太平洋戦争のときは日本が悪い ベトナム戦争のときはアメリカが悪い

韓国は共犯者のくせに態度がでかいのよ

You are fuck’in stupid!」

 参考資料 : 米国雑誌 ニューズウィーク日本版2000年4月12日号
殺されたのは女や子供ばかりだ。共産主義者なんかであるわけがない」と、チャウは言う。
韓国人は人間じゃない。目の前に現れたら、首を切り落としてやる」
ベトナムで虐殺行為を犯したのは、韓国軍だけではない。アンリン郡から海岸沿いに北へ向かえば、68年に米軍部隊が500人以上の村人を虐殺したクアンガイ省ソンミ村がある。
 それでも戦争体験をもつフーイェン省の村人の間では、米兵の評判は必ずしも悪くない。地方公務員のファム・トゥ・サン(47)は66年のテト(旧正月)のとき、米兵と一緒に遊んだりチューインガムやキャンディーをもらったことを今も覚えている。
 だが米軍はこの年、フーイェンから引き揚げ、代わって韓国軍がやって来た。それから「67年のテトを迎えるまで、韓国軍は殺戮を続けていた」と、サンは語る。「韓国兵に会ったら、死に出会ったも同然だった」と、今は地元の退役軍人会の会長を務めているチャムも言う。
 アンリン郡の村人によれば、韓国軍はとりわけ女性にとって恐怖の的だった。韓国兵は残忍なやり方で女性をレイプしてから、殺すケースが多かったからだ。

 

 

 

 

Q:ベトナムで悪いことをしたのは韓国軍を装った日本だ!(※火病が発病してます)

 「・・・・・ソースは?」

 

 

 

 

Q:ない!(※火病が発病してます)

 「・・・・」

 

 

 

 

Q:しかし、日本のせいに決まっている!(※火病が発病してます)

 「・・・・だからソースは?」

 

 

 

 

 

Q:ソース、ソースと五月蝿い。いちいちソースがなければ話もできないのか!(※火病が発病してます)

 「その言葉、そのままお返しするわ」

 

 

 

 

 

Q:これは民族差別だ!抗議する!(※火病が発病してます)

 「たしかに韓国は、日本肯定論を「日本だから」という理由で全否定しているから民族差別ね。

はやく日本に謝罪しなさいよ、韓国」

 

 

 

 

 

Q:原爆投下で広島にいた朝鮮人も被爆した。日本のせいだ

 「それは、落としたアメリカに言うべきだろうが。 どーいう思考回路してるんだ?」

 「それに、被爆したアメリカ人捕虜だっているのよ。

自分だけが悲劇の主人公ってノリにはついていけないわね」

 

 

 

 

Q:日本人は広島に原爆が落ちる直前、韓国の王族を殺した。
殺した犯人は王族の副官の日本人だった。

 「それは韓国の捏造だ。

おそらく言っているのは、第二総軍司令部の教育参謀で陸軍中佐だった李金禺(金と禺で一文字。変換不能)のことだろう。

1945年8月6日朝、出勤途中、彼は原爆に遭遇し翌日亡くなった。

たまたま出勤に同行できず難を逃れたお付き武官の吉成弘中佐は、通夜を済ませ8日朝、出棺を見送った後、責任を取って自決した。

その後、殿下の遺体は故国の京城に運ばれ、葬儀は陸軍葬として8月15日、玉音放送が流れた後、午後1時から東大門運動場で阿部信行総督以下、各界要人が参列してとり行われた。

これでわかるように、当時の日本は敗戦間際の混乱時においても、韓国の王族に精一杯の礼を尽くしている。

だが、そうなると韓国の反日教育に支障が出る。だから殺したと捏造した。

韓国はいい加減、洗脳教育から目覚めろ」

 

 

 

 

Q:日本人は朝鮮人を強制連行した

 「強制連行ではなく、徴用と徴兵だが何か?

徴用と徴兵は、日本人も対象だった。

だから朝鮮を差別しなかっただけだよ。差別すると怒るからな。

強制連行とか、マイナスイメージの単語を使う作戦は韓国の手口を知っている人間には通用しないぜ」

 参考資料: 男子労働者について
昭和14年9月 一般募集
昭和17年3月 巻斡旋
昭和19年3月 徴用
*強制力を持つのは徴用から、拒否した場合は1年以下の懲役
(実際には1・2度の拒否で捕まる事はなかった模様)

 参考資料: 「韓国・中国歴史教科書を徹底批判する」 勝岡寛次 2001年 小学館文庫
 ひと頃、朝鮮人労働者「強制連行」の問題が頻りに取りざたされたが、この問題に対する一般の認識には多くの誤解が含まれている。/その第一は、終戦時約二百万を超えた朝鮮人労働者の大部分は本人の自主的な意志によって渡航してきたもので、「強制的」に「連行」されたものではない、ということである。所謂「強制連行」は、大東亜戦争勃発に伴う労働力不足を補完するため、戦争中の昭和十七年に、それまで自由募集であった朝鮮人労働者を「官斡旋」即ち、朝鮮総督府が募集することにし、間に立った朝鮮人ブローカーが強引な徴用を行ったことを指して言う場合が多いようだが、その実態は甚だ不明である。そもそも日韓併合以降、貧しい韓国から豊かな日本へ移住しようとする朝鮮人は引きも切らぬ有り様だったのであり、朝鮮総督府や日本政府は法律の網の目を潜ってでも日本で働こうとする朝鮮人の密航者には、終始、頭を痛めていた。法律を犯してでも日本に入国しようとする朝鮮人が一杯いたというのに、何で「強制連行」の必要があるのだろうか。その必要はなかったしむしろ日本側は迷惑していた。

 

 

 

Q:日本人が強制連行したために、現在の在日韓国人が苦しんでいるのだ

 「強制連行が徴用・徴兵を指す言葉なら、それは間違ってるわ。

なんせ、徴用・徴兵された連中は戦後になるとほとんどが本国に帰っちゃったんだもの。

徴用・徴兵されたのなら、必ず書類が残っている。

実際、何人が徴用徴兵されて、それがどこの誰だったのかは全部わかってる

在日の調査で、在日の9割の来日理由が強制連行とは全く関係ないことが証明されてるわ。

たとえば「アポジ聞かせて あの日のことを -我々の歴史を取り戻す運動報告書- (1988 在日本大韓民国青年会中央本部刊)」によれば、在日が言う『強制連行』が原因で日本に住みついた人は全体の13.3%しかいないことが分かるわ。

ただこのアンケートだと、12歳未満の子供は含まれていないからさらに割合は下がるし、そもそも調査対象が在日韓国人で1910年〜45年の間に日本に渡航してきた者なんて広い範囲だから太平洋戦争関係限定とすれば、もっと下がるわね。

国家総動員法が1938年に制定されたけど、朝鮮人には適用されなかった

国家総動員法によって、日本企業が朝鮮人を大量に登用してもよくなったけどね。

朝鮮人を大量に起用すると日本人失業者が増えるからそれまで制限されていたけど、その制限がなくなったのが国家総動員法の結果。

で、1942年になると村ごとに何人かを指定された就職先に当てるような指示が出たけど、辞めても罰則無しだから、気に入らない職場は簡単に辞められたわ。

これは「官斡旋」と呼ばれていて、なぜか強制連行にされているけどね

問題は1944年。

ここでようやく朝鮮人労働者が日本に強制移動させられるようになったわ。

厳密に言えば、「強制連行」と言い換えられた「徴用」が適用された期間は1944年9月から1945年3月の6ヶ月間。

この間に徴用されたのはたった1889人

終戦直後の1945年には在日朝鮮人は200万人いたけど、そのうち移送計画による労働者は32万人に過ぎない。

しかも、この32万人のほとんどは1946年に本国へ帰っちゃったから、太平洋戦争が原因で日本に残っている在日朝鮮人ってのはほとんどいないことがわかるわ。

調べれば調べるほど、”強制連行”に該当する在日は1割以下ってのがわかるわね。

結局、在日のほとんどが戦後の密入国者とその子孫だから戸籍がないわけよ。

密入国者に戸籍がないのは当たり前よね。

在日一世に戸籍がないんだから二世、三世にも戸籍はないのは当然よ。

それに本国に帰らないのは、本国に帰っても差別されるのがわかってるから。

日本の方が居心地がいいからいるだけなんでしょう?

だいたい毎年1万人も日本に帰化しているのに、一向に人数が減ってないのはどーいうことなの?

日本にいるなら、せめて親日になって欲しいわね。

反日の密入国者が偉そうなのは気に入らないわ。

犯罪者のくせに態度がでかいのよね、在日は」

 参考資料 : 

        1998年  1999年 2000年
在日韓国人  638,828   636,548  635,269 人

※ 不法滞在の韓国人は56000人で外国人の中で最も多い。

 参考資料:「教科書が教えない歴史 (4)」 藤岡信勝 平成9年 扶桑社
(アドレス:ttp://www.geocities.co.jp/WallStreet/5502/jiji/zainiti_raireki.htm)
「1939年(昭和14年)から1945年までの間に約70万人もの朝鮮人の人々が強制連行によって日本につれてこられたとされています。」.
中学校の教科書では上のように強制連行という言葉を使っています。そして、いやがる人に暴行を加え、手錠をかけて無理矢理連れて行く様子を描いています。それが6年間続いたと教えているのですが、本当でしょうか。
1938年(昭和13年)に、日本の国会で国家総動員法(国民徴用令は1939年)が成立しました。この法律によって、15歳から45歳までの男子と、16歳から25歳までの女子を、国家は徴用できるようになりました。「徴兵」が兵士になる義務であるように、「徴用」とは、戦時に一定の労働に従事する義務のことです。多くの若者が出征し労働力不足が深刻になり、その穴を埋めるためにやむなくこの法律を作ったのです。徴兵と同様に、国民は、通知された場所に出頭し、指定された軍需工場などで働きました。当時の日本国民のほとんどは、この徴用を国家非常時の当然の義務だと考えていましたから、進んでこれに応じました。さて当時、法的には「日本国民」であった台湾や朝鮮では、この法律はどのように適用されたのでしょうか。台湾では、日本本土と同時に徴用令が施行されましたが、朝鮮では施行されませんでした。その代わり、日本企業が朝鮮で自由に労働者を「募集」することを許可しました。それまでは、朝鮮人労働者が大量に本土に流入すると失業者が増加するので、日本政府は朝鮮人労働者の移住を制限していたのです。制限を取り払ったので、多くの朝鮮人労働者が日本にやってきました。けれども、1942年(昭和17年)になると、さらに人手不足は深刻になりました。朝鮮でも、総督府が自ら乗り出して朝鮮人労働者を集めなければならない状況になりましたこれを「官斡旋」といいました。官斡旋は、面(村)ごとに人数を割り当てました。そのため、役所から就職先を斡旋された場合、それは義務に近いものとみなされされましたけれども、朝鮮における官斡旋は、本土や台湾における徴用と同じではありません。それは、官斡旋で労働現場に来た朝鮮人労働者が就職先を辞めても、罰則がなかったことです。例えば、ある朝鮮人労働者は、官斡旋で本土に来たのですが、なじめなかったかすぐに辞めています。そして、友人を頼って朝鮮人経営の土木会社に就職しました。正規に住居移転の手続きをして、食糧の配給も受けています。
朝鮮にも「徴用」令が施行されたのは、1944年(昭和19年)になってからでした。けれども、総督府では、なるべく自分の意思で徴用に応じてほしいと願い拒否した者への罰則の流用を控えました。そのため目標の達成率は79パーセントにとどまりました。
1944年11月末に徴用令を受け取った鄭忠海氏は次のように書いています。
「…後を振り返りながら、別れの言葉もそこそこに集合場所である永登浦区庁前の広場に向かった。広場は出発する人、見送る人で一杯だった。徴用者の点呼が終わると一同は隊伍を組んで商工会議所の前に集まり、各地から動員された人々と共に壮行会が催された」(「朝鮮人徴用工の手記」河合出版)鄭氏は、その後広島の東洋工業に入社し、終戦時までここで働いて帰国しました。本書には、寄宿舎生活の様子や被爆体験、日本人との交流などが綴られています。これは教科書が描き出す「強制連行」のイメージとはまったく異なっています。

 参考資料:「日韓2000年の真実」 名越二荒之助 平成9年 国際企画
(アドレス:ttp://www.geocities.co.jp/WallStreet/5502/jiji/zainiti_raireki.htm)
また、同年の国民徴用令の公布をもって朝鮮人『強制連行』の起源と誤解している著作が多数見受けられるが(朝鮮人強制連行真相調査団「強制連行、強制労働の記録」、朴在一「在日朝鮮人に関する総合調査研究」等)、国民徴用令が朝鮮人にも適用されたのは昭和19年9月のことであり、厳密に言えば朝鮮人の徴用が行なわれた期間は昭和19年9月から関釜連絡船の閉鎖された昭和20年3月までの6ヶ月間に過ぎない。

 参考資料:「日韓2000年の真実」名越二荒之助編著
昭和11〜15年はまだ民間の自由募集の期間であり、次の16〜19年の中でも「国民徴用令」による徴集は19年の9月以降の僅か4ヵ月間であるから、単純に計算しても、この期間に徴用された者は 16〜19年間の1万4514人の12分の1、つまり1210人ほどにすぎない。そこに次項「昭和20年9月1日以前」の679名を加えた概算1889人ほどが、真に徴用の名に値する在日朝鮮人だという事になる。

 参考資料:産経新聞 平成12年9月26日 西岡力氏の寄稿
(アドレス:ttp://www.geocities.co.jp/WallStreet/5502/jiji/zainiti_raireki.htm)
第一は、昭和14年(1939年)から開始された朝鮮人内地移送計画により渡日した者とその子孫は現在の在日の中にほとんどいないという点だ。終戦時の在日人口は約200万人であり、そのうち移送計画による労働者は32万人に過ぎない。占領軍の命令によって日本政府は引き揚げ船を準備し、運賃無料、持ち帰り荷物制限230キロまでという条件で帰国させた。昭和21年末までに約140万人が朝鮮に帰っていき、自分の意志で残留を希望した約60万人が日本にとどまった。引き揚げにあたっては移送計画により渡日した労働者が優先とされている。結果として、32万人の「連行者」はほとんどこのとき帰国している。このことは在日一世の渡日時期調査によっても裏付けられている。
第二は、そもそも上記の朝鮮人内地移送計画の実態が「強制連行」などというものではなかったという点だ。計画期間中、在日人口は120万人増加する。各種統計を総合すると、このうち出稼ぎ渡航者とその家族が63万人で過半数となる。戦時中、労働者不足が激しかった内地に向かい朝鮮人は自分の意志で大量に渡航していたのだ。前記の32万人が終戦時における戦時動員労働者である。残り25万人は「官斡旋(あっせん)」「徴用」で渡日した後、現場を逃走し条件のよい飯場などで働く「自由労働者」(当時の用語)となった者である。昭和20年内地における朝鮮人土建労働者を見ると、計画による動員労働者一に対して自由労働者七の割合であった。日本政府は移送計画実施期間中も内地に密航した朝鮮人を取り締まり朝鮮に送り返していた。こちらこそが本当の強制連行だ。「官斡旋」「徴用」は出稼ぎで建設現場などで働こうとしていた朝鮮人労働者の働き先を炭鉱、金属鉱山など軍事産業に転換させるというものであり、それは全渡日者のうち四分の一だけしか対象にできず、ほぼ失敗した政策だったのだ。

 

 

 

Q:それは日帝が燃やして証拠隠滅をはかったのだ(※火病が発病してます)

 「なら「日帝が燃やした」という証拠を出しなさい。

本当に燃やしたなら「書類を焼け」という命令書が残っているはずよ。

軍隊を舐めないことね。

どんなにお偉いさんが言ったって、命令書がなければ軍隊は動かないようにできてるのよ。

「証拠隠滅したから証拠はない。けどやったはずだ」ってのは、法治国家では通用しないわ。

同様に、「脅迫されたから言っただけ」って理屈が成立するにも「脅迫した」という証拠がいる。

立証責任って言葉御存知?

ま、韓国は陪審員と賄賂がモノを言う国だから理解できないだろうけどね」

 

 

 

 

Q:在日は戦後の混乱で国籍選択の自由がなくなったのだ!いわば戦争の犠牲者である!

 「それはウソね。朝鮮人の日本国籍が無くなったことはGHQが公式に発表してたもの。

在日は、自ら在日という立場を選んだのよ」

 参考資料 GHQ最高司令官 ダグラス=マッカーサー元帥
 「1948年大韓民国政府の樹立と同時に当然の事ながら在日大韓国民は母国の国籍を創設的ではなく、宣言的に回復し、国連からの承認も国際公法上確認され、
日本国籍は解放と同時に完全に離脱されたのである

※ 朝鮮人は終戦直後から「戦勝国民」を名乗ってやりたい放題だった。連合国が戦勝国と認めないと今度は「解放国民」を名乗ってやりたい放題だった。まさに犯罪者集団そのものだったのである。

 

 

 

Q:違う!日本は絶対に悪かったと決まっているのだ!(※火病が発病してます)

 「証拠もないのに「決まってる」ってのは通用しないって言っているだろうが。

だいたい、てめぇらはソ連に何されたか知らないのか!

ヤツラに虐殺されたのはコリアンだって例外じゃねぇんだぞ!」

 参考資料 : 「醜い韓国人」 朴泰赫 1993年 光文社
 しかし韓国人が日本に対してだけ怒りを向けるのも、論理的ではない。太平洋戦争前に、ソ連のシベリア沿海州に30万人以上の韓国人が住んでいた。ところが、スターリンがこれらの韓国人が日ソ戦争が起こった場合に日本に協力することを恐れて、中央アジアへ強制移住させた。スターリンは妄想にとらわれた暴君だった。カザフ科学アカデミー朝鮮民族センターの調査によると、移住する過程で12万人が死んだ。だが、政府も、マスコミも、ロシアに対して抗議の声をあげることがまったくなく、友好的である。

 

 

 

 

Q:ソ連は怖いからしょうがないのだ!

 「まぁ・・・それはわからんでもないけど・・・言ってて情けなくない?」

 

 

 

Q:言うな!それを認めたら民族の誇りが・・・・!

 「韓国はたしか朝鮮戦争の賠償を中国に請求したら、まったく相手にされなかったな。

で、交渉は終了。

ふー まぁ中国が怖いのはわかるが・・・」

 「なーんか哀れになってきたわね」

 

 

 

Q:だが弱い国には胸張って文句が言える!日本は謝れニダ!

 「前言撤回。バ韓国は逝ってよし

 

 

 

Q:アイゴォォォオオオオオ―――――!!!(怒)

 「火病(ファビョォ―――ン)!

 「さっきもやったなこれ・・・・」

 

 

 

Q:日本が朝鮮人を無理矢理トラックに連れて行ったのは有名な話である!日本の教科書にも載っている!やはり酷い連中だ!

 「ありゃ北朝鮮の情報操作だ。

世の中に『強制連行』という言葉が出たのは朴慶植が書いた「朝鮮人強制連行の記録」という本だと言われてる。

この本は日本の教科書にもソースとして載ってて、日本人に罪悪感を植え付ける材料にもなっているんだ。

で、この本の中では強制連行があった証拠として、鎌田沢一郎著「朝鮮新話」が引用されていて、そこにはたしかに日本軍が朝鮮人を無理矢理連れて行ったということが載っているわけだが、ソース元の「朝鮮新話」を読んでみると面白いことが分かるぜ」

 参考資料: 朴慶植 「朝鮮人強制連行の記録」に引用された「朝鮮新話」の一部分 P,70
 もつともひどいのは労務の徴用である。戦争が次第に苛烈になるにしたがつて、朝鮮にも志願兵制度しかれる一方、労務徴用者の割り当てが相当厳しくなつて来た。納得の上で応募させてゐたのでは、その予定数に仲々達しない。そこで郡とか面(村)とかの労務係が深夜や早暁、突如男手のある家の寝込みを襲ひ、或ひは田畑で働いてゐる最中に、トラックを廻して何げなくそれに乗せ、かくてそれらで集団を編成して、北海道や九州の炭鉱へ送り込み、その責を果たすといふ乱暴なことをした。

 参考資料: 「朝鮮新話」 鎌田沢一郎 昭和25年 創元社 P,320
 もつともひどいのは労務の徴用である。戦争が次第に苛烈になるにしたがつて、朝鮮にも志願兵制度しかれる一方、労務徴用者の割り当てが相当厳しくなつて来た。納得の上で応募させてゐたのでは、その予定数に仲々達しない。そこで郡とか面(村)とかの労務係が深夜や早暁、突如男手のある家の寝込みを襲ひ、或ひは田畑で働いてゐる最中に、トラックを廻して何げなくそれに乗せ、かくてそれらで集団を編成して、北海道や九州の炭鉱へ送り込み、その責を果たすといふ乱暴なことをした。但(ただ)総督がそれまで強行せよと命じたわけではないが、上司の鼻息を窺ふ朝鮮出身の末端の官吏や公吏がやつてのけたのである。

 「あれ? 最後の一文が抜けてるわね?」

 「そーいうことだ。トラックで朝鮮人を強制連行してたのは朝鮮人なんだよ。

だいたい、無理矢理強制連行した連中が役に立つか?

志願兵でさえも日本語がわからなくて採用できないような状況だったんだぞ。

ましてややる気のない連中を無理矢理戦場に行ってもいきなり逃げ出すのがオチだぜ。

ソ連なら、『銃は二人で1丁だ! 前の者が死んだら、そいつの銃を拾って撃て!』とかいうノリだったからわかるが、日本はそんなことしてねぇからな」

 「なんで『スターリン・グラード』?」

 「一番わからねぇのはこんな単純なトリックで洗脳されちまう日本のアホどもだ。

少しは自分の祖父や曽祖父を信じて、アカどもの言ってることが本当に行われたかどうかくらい調べろ。

それを言われるままにハイハイ洗脳されやがって・・・

バッカじゃねぇの?

 「そうよ! コリアンみたいに、証拠を出されても「それは捏造だ!」と言い張るくらいじゃないと舐められっぱなしよ!」

 「いや、そりゃいけないことだろ。

『やってないこと』を『やってない』と否定するのはいいが、『やったこと』を『やってない』と否定するのはやっちゃならんだろ・・・」

 「そんな甘いこと言ってるから日本は舐められるのよ。

誤射と称してICBMを一発撃ち込んでやればおとなしくなるわ。

ほら、朝日新聞だって言ってるじゃない。

一発だけなら誤射かもしれないって。

国際法違反なんて戦争に勝てば全部チャラになるわ。

戦争犯罪とは戦争に負けることと見つけたり」

 「・・・うーん、あの新聞社は頭がおかしいからな・・・。

明らかにルクスの言ってることはヤバイんだが、朝日の理論だと肯定されてるし・・・。

受験問題が出るとか言って受験生を洗脳するから信者はあとを絶たないし・・・なんとかならんもんかねぇ・・」

 

 

 

Q:日本は従軍慰安婦という酷いことをした

 「売春婦はいたよ。だがあくまで自発的な連中だけで、強制的に女を連行して暴行するなんてことはしてない。

そもそも従軍慰安婦問題は、自称慰安婦側の敗訴で決着がついている。

当然だ。

もし軍の命令だったら確実に命令書が残っているはずだからな」

 「そー言えば、いつだったっけ?

慰安婦についての記述書が見つかって左翼が凄くうれしがってたっての」

 「はて? いつだったっけかな。

結局のところ、それは普通の慰安婦を闇で売りさばく朝鮮人ブローカーを取りしまれって命令書だったからどちらにしろ関係ないな」

 「そのうち命令書まで捏造しそうね」

 「そういう連中なんだよ。

ったく、韓国はくだらん捏造を連発するのをやめてくれないもんかね。

『証拠が無い=無罪』は当たり前のことなのに、『証拠はないがあったはずだ』と言い続ける韓国。

本当に韓国は法治国家なのか?

仮に従軍慰安婦の存在が本当だとして何だ?

従軍慰安婦なら韓国だって朝鮮戦争でやってるぜ?

 参考資料 : 呉善花 「反日韓国に未来はない」
私は韓国で生まれて二十六歳まで韓国で生活していた間、村の女を軍や総督府の官憲が強制的に連行したといった話はいっさい耳にしたことがありません。また、私が『生活者の日本統治時代』で、インタビューした植民地世代の韓国人の誰一人として、そのような光景を見たことも聞いたこともないといっていますにもかかわらず、最近になってそうした話が出るなんて、まったくおかしなことだというしかありません。
日本の左翼活動家が反日民族主義の活動家に入れ知恵して以来、「そういうことがあったらしい」「そういうことがあったに違いない」「そういうことが事実あった」というようにエスカレートしていったことは明らかです。こうして「従軍慰安婦」問題は、女子挺身他(女性の徴用者たち)と意図的に混同させられ、大量の女たちが「従軍慰安婦」させられた、強制連行でそうさせられた、という物語がつくられ、それがあたかも真実であるかのように韓国国内で信じられるまでになってしまったのです。

 参考資料:INTERTAIMENT NEWS ZAKZAK 2003/3/25
 戦時中に従軍慰安婦や女子勤労挺身(ていしん)隊員として強制的に働かされ精神的、肉体的苦痛を受けたとして、韓国人女性10人が国に損害賠償などを求めた「関釜裁判」で、最高裁第三小法廷(上田豊三裁判長)は25日、請求を退けた二審広島高裁判決を不服とする女性側の上告を棄却する決定をした。 女性側の敗訴が確定した。

 参考資料:InternetTimes 平成14/3/10(日)
 韓国軍に慰安婦制度朝鮮戦争当時慶南大客員教授が発表
関係者によると、
朝鮮戦争当時、韓国軍にいわゆる慰安婦制度が存在していたことがこのほど分かったという。これは二月二十三日に、立命館大学で開催された「東アジアの平和と人権」国際シンポジウム日本大会で、韓国・慶南大学客員教授の金貴玉さん(40)が明らかにしたもので、韓国軍の慰安婦制度が公になったのは今回が初めて。金さんは離散家族の取材を進めるなかで、九十六年に「五十年十月、韓国軍の捕虜になり軍慰安隊の女性と出合った」という証言を得たという。その後「慰安所を利用した」「軍に拉致されて慰安婦にされかかった」という男女八人の証言を聞いたという。さらに金さんは、韓国の陸軍本部が五十六年に編纂した「後方戦史(人事編)」に、「固定式慰安所−特殊慰安隊」の記述をみつけたという。これまで日本軍イコール慰安婦という図式で、大きく取り上げられてきたが、韓国軍の慰安婦制度が判明したことで、慰安婦問題についての新たな論議が注目されている。

 

 

 

Q:韓国の慰安婦は自発的だから問題ない。韓国政府もそう言っている。

 「なら日本もそうね」

 

 

Q:日本は違う。韓国は自発的だが、日本は強制だった。
(※火病が発病してます)

 「証拠がないのに「そうだったに決まってる」と言い張るからコリアンは世界中から嫌われるんだよ」

 

 

Q:在日は税金を払っている。
納税者に参政権を与えるのは日本政府として当然のことだ

 「納税と参政権は関係ないわ。それは1925年に撤廃されたじゃないの。

何? あんたはブルジョア民主主義至上者なわけ?

怖いわねぇ、そーいう貴族主義的な考え方って。

第一、反日団体に参政権なんて与えたら日本はいいように外国の食い物にされちゃうじゃないの。

外国の工作員と化した売国奴議員をこれ以上増やすわけにはいかないわ。

国が乗っ取られるからね

どうしても参政権が欲しいなら帰化して日本国民になることよ。

永住外国人に参政権が与えられないのは韓国だって同じでしょうが。

よくここまでわけのわからんことを実行できるわね、日本は。

アメリカの中にアルカイダが学校を持っていて、反米教育をしているようなものでしょ。

外国籍では、健康保険証も年金も無いとか言っても、生活保護がもらえるし、審査もやたらと甘いし・・・。

ちょっと厳しくすると民族差別だの何だのと騒ぎ出すし・・・。

少しはってモノ知らないと世界中から嫌われちゃうわよ、って、もう手遅れかしら?」

 参考資料: 2002/03/02 (産経新聞朝刊)
【ソウル1日=名村隆寛】在日韓国人への参政権付与を求めている韓国だが、韓国内の永住外国人に  選挙権を与えるとする条項が一日までに選挙法改正案から削除された。先月二十八日に開かれた国会本会議で、選挙法改正案から取り除かれ通過した。本会議前の審議で憲法第一条の「主権は国民にある」との規定に反するとして満場一致で削除された。韓国での外国人参政権問題は、金大中大統領が日本政府に在日韓国人への参政権付与を要求してきたことや韓国の「世界化」を目的に推進。国会政治特別委員会で導入に合意していた。

 

 

Q:日本は『新しい教科書を作る会』と称し、侵略戦争を美化しようとしている。これは軍国主義の復活である。

 「教科書問題は内政干渉だ。韓国には関係ない。

だいたい、戦前の日本が正しいって歴史観は、アジアではむしろポピュラーだぜ」

 参考資料: 中央日報 2001/7/25
インドネシア、フィリピン、タイなど東南アジア国家の教科書にも、韓国の歴史についての誤った内容が多いことが分かった。これらの教科書は大部分、日本の植民史観をそのまま受け継いだものであり、正確な資料の普及を通じて至急に是正しなければならないという指摘が出ている。韓国教育開発院が24日、東南アジア3カ国の教科書関係者を招請して開催した国際学術セミナー「韓国とインドネシア・フィリピン・タイ間の教科書改善方案研究」で、このような分析が発表された。主題発表を行なったチョン・ヨンスン副研究委員は「タイとインドネシアの教科書は韓国の歴史に関する内容が非常に少なく、フィリピンは相対的に多いものの、3カ国がすべて日本の植民史観の影響を受けて歪曲された事項が多い」と主張した。

(中略)

◇日本植民支配の美化=フィリピン教科書は日本の「大東亜共栄圏」について「このような構想の目的は、その地域を統合して日本の支配のもと、西欧からアジアの国家を解放させるというもの」とし、「日本は軍国主義化から自由な新しい秩序を樹立することで満州、韓国、内モンゴル、中国に平和と安全をもたらそうとした」と記述している。
インドネシアの教科書も「日本は1910年、韓国に産業基地と鉄道を建設することになる」とし、日本の侵略があたかも韓国の近代化のために行なわれたように記述している。セミナーに参加したフィリピン教育文化体育部教育課程担当官は「情報が不十分で韓国などアジア史を教えるのに問題が多い」とし、「韓国の歴史を正しく教えるためには最新の情報と資料の収集を急ぐべき」と話した。

 「なんだよ最後のは。

韓国は日本だけじゃなくて、フィリピン・タイ・インドネシアの教科書にまで口を出す気かよ。

台湾にも口出ししてるらしいし、内政干渉のオンパレードじゃねえか。

他国のことに口を出す前に自国のことをなんとかしろよ。

韓国はIPI(国際新聞協会)に満場一致で言論弾圧国家指定されているぞ。

そんなのはロシアと韓国だけだ。

まあ韓国が何しようと関係ないが、それで嫌われる理由を日本のせいにするのだけはやめてくれよな」

 「はいはーい!

新しい教科書作っちゃだめなら、アメリカの教科書を使えばいいと思いまーす!」

 「そいつはいいアイデアだ。是非とも実現して欲しいぜ」

 

 

 

 

Q:ドイツは正式な手続きでポーランドに謝っている。日本もそれを見習うべきだ。

 「ドイツが謝っているのは、あくまでナチスの行った戦争犯罪であって、戦争そのものを謝るつもりなんざハナから無いぜ。

ソ連がドイツに攻め込む準備をしていたことは計画書類・過剰なまでの軍事増強ではっきりしている。

ドイツがソ連に攻め込まなきゃ、ソ連がドイツに攻め込んできていただろう。

だいたい、ドイツが戦争をはじめた時点では戦争は犯罪ではなかった。

まずこの事実を前提としなければ何もはじまらない。

ドイツは命をかけて国を守ろうとした軍人たちの名誉を回復させようとしている。

国会でニュルンベルグ裁判を否定してるしな。

ドイツの賠償金はドイツ統一まで棚上げされてたが、1996年にはポーランドとの支払協定が完了した。

516万人のロシア兵捕虜(3百万人が捕虜収容所で餓死)は補償無しだが、これはソ連が敗戦のドサクサにまぎれてドイツの資産を奪い去った事で帳消ししたってことだろうな。

ヒトラー総統についても、ドイツ人の4分の1以上は「戦争抜きとすればヒトラーは偉大な政治家である」と考えている。

日本みたいに一部を見て、全てを否定するなんてことはしてねぇんだよ。

ま、ドイツを見習えっつーなら」

日韓基本条約を無視する連中に支払う金はねえ!

日本は悪くねぇ!

東京裁判は公式に否定する!

国防軍を復活させるぞ!

武器の輸出もしまくるぞ!

PKOとして武力行使も辞さない!

NATO軍として米軍と一緒に暴れるぜ!

ドイツの科学力は世界一ィィィィイイイ!

次にやるときはイタ公抜きで!

 

 「・・・と、こんな国になるわな」

 「えらく歪んだドイツのイメージね・・・特に後半が・・・」

 「少なくとも、ドイツは左翼どもやコリアンの思っているような国じゃないってこったな。

たしかにハーケンクロイツはもちろん、普通のドイツ国旗を自宅に掲げると通報されるくらい、今のドイツは病んでいるが・・・」

 「普通のドイツ国旗で? なんで?」

 「ドイツの自虐史観は日本よりも酷い状況になっているからだよ。

子供の頃からガス室だの、死体のオブジェだの、人間石鹸だので徹底的に自虐史観を植え付けられているからな。

それはともかく、ドイツは核兵器を持っていないだけで通常兵器は欧州一の軍備だ。

男子は9ヶ月の徴兵が義務化されているしGDPに占める軍事費の割合も日本より高い。

ドイツがナチの戦争犯罪を謝っているといっても、それはドイツ国内法に基づいた個人補償だけで、国としては謝ってない。

そんなことをしても、外交のカードにされるだけってことを知ってるからな。

それでもドイツを見習えと?

韓国や在日はすぐにドイツを例えるが、あんまり舐めたこと言ってると自爆するだけだぜ」

 参考資料: 西ドイツ連邦議会 1952年9月17日ニュルンベルグ裁判についての発言
 連邦司法相フォン・メルカッツ(キリスト教民主同盟)
「法的根拠、裁判方法、判決理由、そして執行の点でも不当なのです」

 参考資料: 1952年 西ドイツ連邦議会コンラート・アデナウアー首相
 私は本日、本会議場において連邦政府の名において宣言したいと思います。
われわれは皆、気高き軍人の伝統の名において、陸・海・空で名誉ある戦いを繰り広げたわが民族の全ての兵士の功績を承認します。われわれは近年のあらゆる誹謗中傷にもかかわらず、ドイツ軍人の名声と偉大な功績がいまなおわが民族のもとで命脈を保ち、今後も生き続けることを確信します。

 参考資料: 1952年 メルテン(社民党)
「この裁判は正義に貢献したのではなく、まさにこのためにつくられた法律を伴う政治的裁判であったことは法律の門外漢にも明らかです」

 参考資料: 1952年 エーヴァース(ドイツ党)
「戦争犯罪人という言葉は原則として避けていただきたい。無罪にも関わらず有罪とされた人々だからです」

 参考資料: 2002年 メルツ・キリスト教民主同盟(最大野党)議員団長 
「戦後も五十年たち、ドイツ統一から十年がたった。
ドイツ人はそろそろ国を誇りに思う、と堂々と発言しても許されるのではないか。
祖国や国家という言葉は極右固有の概念ではない

 参考資料: 1989年 西ドイツの週刊誌「デア・シュピーゲル」4月10日号より
アンケート、その1
戦争とユダヤ人の殺戮がなかったら、ヒトラーをドイツ最大の政治家の一人と思うか?
そう思う     38%
そうは思わない  60%

アンケート、その2
第三ライヒはどんな時代だったと思うか?
国家社会主義には悪い面しかなかった    16%
国家社会主義には悪い面の方が多かった   38%
国家社会主義には善い面も悪い面もあった  43%
国家社会主義には善い面の方が多かった    3%

 参考資料: 著者 望田幸男 『ナチス追及 講談社現代新書』
1948年の西ドイツ世論調査
ナチズムが実行したことは悪いが、理念は良い    57%
ナチズムは良い理念ではない            28%

1951年の西ドイツ世論調査
今世紀においてドイツが最も繁栄した時期はいつか?
第一次世界大戦前(帝政期)            45%
ワイマル期(議会制民主主義期)           7%
ナチス国家(1933〜39)       42%
ナチス国家(第二次世界大戦期)           0%

 

 

 

 

Q: 日本の軍国主義者は都合のいい文献だけを必死こいてかき集めてくる。そんなことをしても日本が悪いという事実は変わらないのに哀れだ。

 「都合が悪くなると、欧米はおろか自国民の文献でさえ全て日本人の自作自演と言い張る気なのね。

文句があるなら信用できる資料を出しなさい。

都合のいい文献すら見つからないで騒いでいるからってファビョらないでよね」

 

 

 

 

Q: ファビョってなどいない!(※火病が発病してます)

 「はいはい、そーですね。

だからファビョらないで会話してくれないかしら?」

 

 

 

 

Q: ファビョってないと言っている!人を精神異常者扱いするのはやめろ!(※火病が発病してます)

 「うーん 韓国人には人格障害者が多いってのはホントみたいね。

まともな韓国人はこーいう連中と共同生活しなくちゃなんないんだから同情するわ、ホント」

 

 参考資料: 東亜日報 2003/2/10
 (韓国人の)20歳の男性の45%が対人関係障害の可能性
この数値は、米国やヨーロッパなど先進国の平均11〜18%に比べて、2.5〜4倍に達する。
研究チームによると、人格障害は自分の性格に問題があることに気づきにくく、家庭や社会生活、対人関係に支障があり、周りの人々を苦しめるという特徴がある。
また、
自分の問題を他人や社会のせいにし、極端な反応を示す。
そのため、各種の犯罪や社会的葛藤を引き起こす原因になりやすく、早急に対策を立てなければならないが、社会的な認識程度が低く、適切な診断と治療が行われていない。

柳教授は、このように潜在人格障害者の比率が高いことについて、「社会的価値観が混乱している中、家庭教育の不在が『人格未成熟の成人』を量産している」と説明した。

 参考資料: 朝鮮日報 2001/11/5(木)
 高麗(コリョ)大学生の半分以上(51.4%)が「今度生まれてくるとしたら、韓国に生まれたくない」と思っていることが分かった。反面、フランスの学生は80%が、ロシアの学生は78.6%、カナダの学生は75.9%が「今度生まれてきても、母国に生まれたい」と答えた。

 参考資料: 朝鮮日報 2003/4/14(月)
 国立保健院は14日、3月末現在で国内のAIDS感染者数が2122人を記録し、昨年末に比べ115人増えたと明らかにした。(略)感染者のうち、感染ルートが確認されたのは1656人で、うちの20.4%は国外異性と、47.0%は国内異性、30.1%は同性との性接触によってそれぞれ感染されたと調査された。

 参考資料: 朝鮮日報 2003/4/15
 
韓国の男性会社員の40.5%は週1回以上「暴飲」し、7.3%はほとんど毎日「暴飲」していることが調査の結果分かった。暴飲とは世界保健機関(WHO)の「アルコール乱用・中毒診断基準」に従い、1度の飲酒にソジュ(韓国の焼酎)またはビール4本以上を飲むことを指す。

 参考資料: 朝鮮日報 2003/2/13
偽証とは民・刑事および行政訴訟などで、事実を明らかにするために裁判に出頭した証人が嘘をつくこと。
(略)特に、偽証自体がほとんどないに日本とは統計だけでもはっきりとその違いが分かる。 2000年の場合、韓国で偽証罪で起訴された人が1198人であることに比べ日本は5人だった。韓国と日本の人口の差を考慮した場合、国内の偽証が日本の671倍に達するというのが最高検察庁の分析だ。

※ ネット上で「韓国人は日本人の671倍嘘つき」という文章があったら、その根拠はこれである。

 

 参考資料: Joins.com(株) (=中央日報の子会社)
「入養院」に預けられる赤ちゃんは毎年4000人。このうち1700余人は国内の家庭などに引き受けられるが、残りの2300人は国を離れて海外へ向かう

 

 参考資料: 朝鮮日報 2002/12/6(金) 
駐韓オーストラリア大使館の朴英淑(パク・ヨンスク/47)文化広報室長へのインタビュー
 「捨てられた子供たちを孤児院に送らず、家庭で育てる『里親運動』を始めた時、各界の関係者が『素晴らしい趣旨』と賛成しました。協力者も顧問団、諮問委員団、広報実行委員など100人を超えました。でも、
結局、名前を登録しただけで終わりでした

実際に援助を受けたことはありません。ほとんど人が後援金を一銭も寄付しませんでした。協会を設立してから8年間、1人で死に物狂いになって頑張りました。毎月、給料と印税による収入などをすべてここに注ぎ込みましたが、1人でできることではありませんでした」

朴さんは涙まみれの顔で「最初から韓国社会でこのような事を始めたのが間違いだったのでしょうか」とつぶやいた。

※ 間違いです。

 参考資料:2002/10/18
 90年代半ば以後、韓国に売られ性の奴隷と化したロシア、フィリピン出身の女性が5千人以上に達しており、京畿道(キョンギド)米軍基地村の風俗業界に従事する外国人女性が1999年の38%から昨年は75%に増えたという民間報告が相次いでいる。にもかかわらず、手をこまぬいていた政府の無関心が、国際的な恥を自ら招いたといえよう

 売買春は厳然たる不法行為である。しかし、韓国社会では必要悪という認識もあり、見せ掛けだけの取り締まりが行われてきたのが事実だ。

 

 参考資料:中央日報 2002.11.22 11:57
韓国の中高生の90%以上が「韓国は腐敗国家」という認識を抱いており、青少年の「腐敗」に対する倫理意識が憂慮されるほど深刻な水準であることが調査で分かった。

(略)また「自分の腐敗に対する倫理意識」では、回答者の47.3%が「見ている人がいなければ法秩序を守る必要はない」と答えたほか、「お金で問題を解決できるなら喜んでそうする」(27.3%)、「不正腐敗を目撃しても自分に不利益になるなら知らないふりをする」(35%)「自分と親せきの腐敗は黙認する」(27.2%)「懲役10年を受けても10億ウォン(約1億円)を稼げるなら不正行為をする」(16.8%)という結果となった。

 

 参考資料:朝鮮日報 2001.11.04(木)19:24
韓国の20〜30代で、社会人の相当数は「移民」を積極的に考えていることがわかった。社会人のポータルサイト「サラリーマン(www.sman.co.kr)」が10月下旬に917人の20〜30代社会人を対象に実施したインターネット調査の結果、810人(88%)が「韓国を離れて生活したい」と回答した。その行き先としてはカナダが276人(30%)で最も多く、次はオーストラリア(29%)、欧州(15%)、米国(8%)、日本(3%)などとなっている。韓国の社会人が移民したいと考える理由は何か。韓国教育開発院が今年3月、コリア・リサーチ社と共同で実施した世論調査では、「子女教育のため」(33.3%)と「韓国社会に対する不安」(31.2%)だった。また、「社会における行き過ぎた競争風土が嫌い」(16.8%)、「新しく就職・事業のため」(12.6%)などが上げられている。社会人だけでなく、韓国の全国民も移民を肯定的にみているようだ。第一(チェイル)企画が今年5月、全国の成人男女3500人を対象に実施したライフ・スタイルに関する世論調査によれば、「外国に移民しても構わない」と答えたものが52%を記録、昨年の47%より5%ほど増加している。これは、1996年の調査結果である39%と比べると13%増加しており、97年のIMF危機以降、韓国人の「脱韓国」の傾向が反映されている。

※ 日本には来ないでください。治安が悪くなります。

 

 

Q: 馬鹿馬鹿しい!こんなもの韓日の友好にはならない。
どうして韓国のいいところを取り上げない!悪いところしか取り上げないなんてどーいうつもりだ!

 「別に悪いところを無理に探して取り上げてるわけじゃないのよ。

事実を取り上げると悪い部分が圧倒的に多いだけだって。

それに韓国が日本を取り上げるときは、いっつも日本の悪口ばかりじゃないの。

それが事実ならしょうがないけど、捏造するのはやめなさい。

こっちはいちいちソースを出してあげてるのよ、面倒くさいったらありゃしない。

だいたい韓国のいいところを取り上げろっていうけど、韓国にいいところなんてあるわけ?」

 

 

 

Q: たくさんある!韓国はあらゆることで世界一だ!

 「でやがったわね、自我陶酔病

なんでもかんでも自分が一番だと錯覚して妄想と現実の区別がつかないという韓国人のだけに特有の奇病。

まさかこの21世紀になってもそんなものがあるなんて・・・・恐るべし韓国・・・」

 

 参考資料: 中央日報 20030203
 米通信「韓国、第2の通貨危機」を警告
1997年秋、韓国の通貨危機の可能性を初めて報じた米ブルームバーグ通信が、韓国が現在、当時の通貨危機の主な原因とされた「自我陶酔病」(complacency)に再び直面していると警告した。

同通信は3日、アジア地域専門コラムニストのウィリアム・ペセック氏の論評を通じ「韓国は、通貨危機からうまく脱出し、世界最高水準の成長率を記録する経済大国に再び浮上した」とし「しかし、好況の再到来と政権交代期とい
う特別な時期にあって、外国投資家は『自我陶酔病』という韓国経済の過去の亡霊が甦らないかを懸念している」と報じた。また、韓国企業の株価を同級の外国企業株価より低く評価する、いわゆる「コリア・ディカウント」も、厳然たる現実だと指摘した。透明性や企業支配構造で、先進企業よりも低い評価を受けているためだという。

 

 

 

 

Q:韓国には美人が多い!日本はブスばかりだ!

 「そうか? 日本にも美人は多いと思うぞ。

それはいいとしてだ。

韓国の美人ってのは、ほとんどが整形美人だろ?」

 「そうなの?」

 「だって明らかに朝鮮民族の顔じゃないだろ?

み〜んな整形してるんだよ。

ユンソナも、BoAも整形美人だしな。

整形前の顔はもはや別人だぜ。

日本人は誰だって化粧くらいするが、韓国人にとっての整形は化粧する感覚と大差ないんだよな」

 参考資料: Joins.com(株) 2002/7/28
 米国時事週刊誌タイム最新号(8月5日付)が28日、韓国の大人10人に1人が整形手術を受けており、さらに子供たちも二重まぶた手術を受けていると報じた。

 参考資料:朝鮮日報 2002/12/6
 「就職のために美容外科手術を浮けた経験があるか」という質問にも女性求職者(22.3%)だけでなく、男性求職者の9.3%が「ある」と答えた。

 参考資料:朝鮮日報 2001/7/1
 しかし、韓国における最近の「整形手術ブーム」は、ただたんに「美しくなりたい」という欲望のため、とは思えないとの指摘がある。誰彼関係なく、映画や漫画の中に出てくるような「バービー人形」のようなスタイルと顔を持ちたいと努力し、まるで工場で機械を作るかのように自分の体と顔を作ることを簡単なことだと考えているようだ。

 ネオ整形外科のシム・ヒョンボ院長は「病院にやってくる人たちのうち、15〜20%は精神的疾患を持っていると考えてもよい。手術を望む患者に、なぜ手術したいのかと質問しながら1時間ほどの相談を行うのが重要だ。現実の生活で、自分の体にコンプレックスを持って改善しようとして来た者なのか、あれやこれやと流行ばかりを追って手術を“暇つぶし”にしか考えていない患者なのかを見定めるためなのだ」という。

 

 

 

 

 

 

Q :お前は小林よしのりに精神汚染されている!非常に危険だ!

 「アホか。たかが漫画家にそれだけの力があると思うな。

どこによしりんの影響があるってんだよ。

よしりんは反米、こっちは親米

むしろ敵同士だろうが。

反米なのはまだわかるが、最近は反米のあまり韓国や北朝鮮擁護にはしっているから読者がどんどん離れていく。

それ以前に「戦争論2」のP,56を見てみろ。

野郎がショットガン持って「わしは戦争を選ぶ!死ぬのも殺すのもやむを得ない!」とかほざいてるが、この時点で俺はよしりんとは相成れない。

俺はマシンガン派だからな」

 「よしりんの主義主張はどーでもいいんだけどさぁ、

戦争でショットガンを使うのは国際法違反じゃないの?

と思うのあたしだけ?

鉛(裸や一部露出)の弾だけでなく、弾丸形状、弾丸変形含めて、非人道的・残酷な負傷をもたらす効果を持つ兵器は基本的に戦争では使用禁止でしょ。

よしりんはやたらと他所の国の国際法違反に五月蝿いけど、自分だって違反する気満々じゃん。

これってよしりんの嫌いなダブルスタンダードって奴じゃないの?」

 「つまらない揚げ足を取るなよ。

そーいうときはあの時は仕方が無かったって言って誤魔化せばいいんだって。

それは『インディペンデンス・デイ』で大統領補佐官がそー言ってたぞ」

 「あれは映画・・・だよ?」

 「なぜどもる?」

 「別に」

 「それにショットガンなら米軍や英軍はWWUでも、朝鮮戦争でも、ベトナム戦争でも平気で使ってたし。

要するに勝てばいいんだよ、勝てば。

戦争に卑怯もクソもない。

法律守って殺し合いができるかよ」

 「よしりんって運動不足のせいで、20分間立てないとか描いてあったけど、そんなんで戦争できるわけ?」

 「無理だろ。

まず銃が持てない。

銃は持てても弾が持てない。

身体が貧弱なインテリなんていざ戦争になったら邪魔なだけだからな。

ま、弾減らしにはなってくれると思うぜ。

それによしりんがショットガン好きでも俺的には全然問題ない。

人それぞれ好きな武器があるからな。

実際に配給してくれる可能性が果てしなくゼロに近いことと、実戦で役立つ可能性が果てしなくゼロに近いことを無視すれば、あれもありだ。

ドイツ軍ファンの中には、『戦争になったらMG42マシンガンを用意しろ』とか言うヤツもいるし、やっぱり人それぞれだな。

MG42はいい銃だ。

WWUでもっとも優れたマシンガンという評価は伊達じゃない。

それはそれでいいと思う。

だから、

今時どこで7.92mm弾を大量生産してるんだよ

という突込みはタブーだ。

7.92mm弾はとっくの昔に製造が終って、今は7.62mm弾という現実を突きつけるのは酷というもの。

やはり夢を見させてやるべきだと思うぜ」

 「ハイハーイ! あたしMG3マシンガンがいいなー!

引退寸前のM60マシンガンなんてやめて、現ドイツ軍採用のMG3マシンガンにしようよ!」

 「となると、インドと同盟組んでGet!するのが一番手っ取りはやいな。

やはり日印同盟は今後の日本の取るべき課題だ」

 「なんかネット見てると、よしりんに対する怒りが満ち溢れているわね。

何がそんなにムカツクのかなぁ? チョンの方がよっぽどムカツクと思うんだけど・・・」

 「誰だって言いたいことはあるさ。

小林よしのりに対しては、俺だって言いたいことがある」

1.日本はどうでもいい、ドイツを語れ!

2.歩兵は飽きた、戦車を出せ!

3.貴様の顔はうざい!解説役を沙麻代ちゃん(おぼっちゃまくんのヒロイン)にしろ!

4.「ギャグ」と「萌え」を入れろ。「燃え」だけじゃ暑苦しいだけだ!

 「ヤツの主義主張はどーでもいいが、せめてこれくらいはして欲しいものだぜ」

 「うーん、批判というよりは要求、むしろ願望って感じね」

 「だいたいやっこさんは、『戦争論』とか言っておいて、一言もイタリアを語ってないじゃねえか。

というか知らない可能性が非常に高い。

せいぜい『先に降伏した同盟国』ってのがヤツの頭の中のイタリアだろうな。

できればなかったことにしたいイタリアとの同盟を抜きにして何が第二次大戦であろうか!

水が貴重な砂漠でパスタ作ったり、補給頼めば武器弾薬よりも水と食料を優先させるイタリア軍のことが全く書かれてないあたりヤツが素人の証拠だ。

できれば、「下が雪だからパラシュート無しでも平気さ!」とかいって飛び降りたら全員死亡したソ連の降下部隊とか、

「ドイツ軍が本土上陸して来たら水道管に銃剣つけて戦おう!」とかいって、本当に何百本も水道管製の槍を用意してたイギリスとか、

ドイツからスイス経由で、フランスの美術品を買いあさってコレクションしてたアメリカとか、

スターリンググラード攻防戦終了後、街ではしばらくの間、出所不明、正体不明の謎の肉が大量に売られ、代わりに兵士の死体が消えていったとか、

ただし、死体はすぐに凍結しちまうから、そのうち生きた人間が狙われた。狙い目は肉の栄養価が高い兵隊か肉の柔らかい女性、とか

WWUは笑えるネタもいろいろあるのに、何一つ書かれてない辺り、やっぱり戦争論とは言い難い。

そーいうアホなことばかりしてた連中と日本を比べて、

「日本兵は真面目すぎるくらい真面目だった。

現地の女を強姦した日本兵やそれを罰しなかった上官が死刑になった事実があるってくらい、日本軍は規律にうるさい真面目な軍隊だった。

真面目ゆえに特攻も平気でやったし、真面目ゆえに無茶な命令にも平気で従った。

「我々は最後の一人まで戦う!」と言って、それを実践したのはソ連を除けば日本だけだった。

というかあそこまで真面目なのは、凄いを通り越して異常だった」

 

 

 参考資料 :米海軍ニミッツ提督
「ペリリューの複雑極まる防備に打ち克つには、米国の歴史における他のどんな上陸作戦にも見られなかった最高の戦闘損害比率(約四〇パーセント〉を甘受しなければならなかった。既に制海権制空権を持っていた米軍が、死傷者あわせて一万人を超える犠牲者を出して、この島を占領したことは、今もって疑問である

 

 

 「ソ連の場合、退却したら家族ともども全員処刑か国外追放だし、怪しい動きをしようものなら指揮官が後ろから撃ってくるから別物と考えた方が無難。

その結果、世界最強の兵士は日本兵と言われるようになったのだ。

・・・とか描けば、もっと読者のためになっただろうに」

 「うーん、それやると、戦争論じゃなくて、ただのギャグ漫画になっちゃうわね。

っていーか、スターリングラードネタは笑えないわよ」

 「問題ない。レーニングラードという手もある。

ソ連はその手のネタの宝庫だ。

なにせ、核爆弾で井戸水や石油を掘る国だからな。

ダイナマイトの代わりに核爆弾を使う国はソ連くらいなものだぜ」

 「ソ連って一体・・・」

 「イタリアだけが笑えると思うのは素人だぜ。

ソ連はときにイタリアを上回る。

もちろんイタリアも負けてないがな」

 「それにしてもイタリアが嫌いなのね、どこまでも」

 「いや、イタリアは好きだよ。

ただイタリアの同盟が失敗だったと言っているだけで、イタリアが嫌いだとは一言も言ってない

料理は上手いし、サッカーは強いし、イタリアそのものは好きな国に入る。

いっそ、全世界の人間が全部イタリア人になれば戦争はなくなると本気で思ってるぜ。

ただ・・・」

 「ただ?」

 「極端に治安が悪くなる。

国同士の戦争はなくなるが、その代わり街や地域同士の紛争が日常茶飯事になるわな。

イタリアは基本的には法治国家だが、法律よりも人脈と金がモノを言う国だからな。

特にイタリアのマフィアは世界最強だ。

ファミリーのためなら平気で命を捨てる。

日本のやくざはただ兇暴なだけだが、イタリアのマフィアは元傭兵とか、元特殊部隊とか、そーいうのがゴロゴロしてる。

正規軍よりもマフィアの方が強いってのは、日本人じゃ考えらない国だぜ」

 「マフィアがそこまで強いのに、どーして戦争になると世界最弱になるわけ?」

 「・・・わからん。

決して質は悪くないはずなんだが・・・・

そこだけが日本人やドイツ人には理解できない・・・」

 

 

 

結論

Q: 日本は過去の悪事を反省していない。謝罪と賠償を要求する。

 「1965年6月22日に正式に調印された「財産と請求権に関する問題解決と経済協力に関する協定」の第二条において、請求権に関する問題は「完全かつ最終的に解決した」となっている。

つまり、賠償を求めるのは国際法違反だ。

これは政府だけでなく、個人にも適応される。

だから個人で訴訟を起こしている連中はみんな国際法違反者だ。

韓国は協定を守れ。

以上だ」

 

Q: 条約は守る。しかし日本は賠償する責任がある

 「守ってねぇだろうが・・・そもそもWW2関係の賠償問題は1952年のサンフランシスコ講和条約で賠償問題は解決している。どうしても賠償して欲しければ韓国政府に訴えろ。日本に言うのは筋違いだ」

 

 サンフランシスコ講和条約 第14条(b)
 この条約に別段の定がある場合を除き、連合国は、連合国のすべての賠償請求権、戦争の遂行中に日本国及びその国民がとつた行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権並びに占領の直接軍事費に関する連合国の請求権を放棄する。

 

 「いいか。政府だけでなく、個人でも訴訟を起こすのは条約違反なんだよ。

『国家レベルの賠償問題は終ったが、個人レベルでは終ってない』なんてのは国際法的には通用しない。

個人レベルの賠償問題も終ってるんだ。少しは条約というものを理解しろ」

 

 

Q: 条約は認める。だが日本は韓国に対して人間とは思えないほど惨いことをしたのだ。従って日本は謝罪と賠償を(以下略)

 「だから条約で全ての賠償問題は解決してるって言ってんだろうが・・・」

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 「というわけで、無限ループ突入!

日韓関係はこれからもこの繰り返しなので〜す。

さて、感想は?」

 「・・・・あいつらと仲良くするのは無理だ。

いくら論理的に話そうとしても、火病が発病するから全然会話にならんし、もし理解してもらっても、それを本国で公言したら逮捕されちまう。

やはり戦争以外に道はないかもしれん・・・」

 「こらこら、物騒なこと言ってちゃだめよん♪

アメリカ合衆国ですら、旧ソ連の「蒸気機関車も電灯も飛行機も発明したのはみんなロシア人」という妄言を打破するのに、70年もかかったんだから。

結局、ソ連は崩壊しちゃったけどね。

というわけで、あせっちゃだめだって」

 「ああ、すまん。

たしかに戦争以外の手段で仲良くするのが日本の取るべき道だったな。

連中の中にも理性のある人間は大勢いる。

実際、反日の韓国留学学生が日本に来たら、帰る頃には親日になっているというパターンは多い。

半島の連中の洗脳を解いてやればなんとか・・・」

 「奇襲攻撃仕掛けるなら油断させないとね♪ 殺気を読まれちゃ台無しよ」

 「奇襲って、をい・・・。たしかに韓国軍の仮想敵は日本の自衛隊だが・・・」

 「とりあえず韓国軍に先に手を出させる。

韓国は「日本に何をしても反撃されない」と思ってるから、そこを突くわけ。

トマホーク巡航ミサイルを500発くらい撃ちこんでやればおとなしくなるでしょ。

というわけで米軍からいっぱい買わないとね♪

で、そのあとはGHQ式の教育で徹底的に反日思想を撤廃すればOK。

問題は、どうやって挑発するかだけど、援助を切ればいいんじゃないかな?

韓国は日本無しじゃ生きていけないんだから、援助を打ち切るだけで大ピンチ。

あとは勝手に暴発するから、そのときを待てばいいわ

 「・・・・・・・・」

 「そんじゃまたね〜♪

See you space cowboy!

 「なぜビバップ?」

 「ちなみにcowってのは牝の牛のことで、雄の牛はbull、料理された牛はbeefって言うのよ。

アメリカは肉文化が日本より発達してるから、いろいろ呼び方があるのよね。

日本でいえば、「出世魚」みたいなものかしら。

アメリカから見れば、同じ魚なのに成長すると名前が変わるなんて不思議な光景みたいよ。

これが肉文化と魚文化の違いってワケね」

 「なんの話をしとるか?」

 「みんな! 英語は地球語! 学んで損はないYO!

英語を話して10億人と同盟組んで、残りの30億人と戦争だ〜っ!

次の居残り授業を受ける


おまけ:声の出演

STURM UND DRANG!!   

ヴォルフ・シュナイダ― /関智一 「なんだ こいつら!? 首が―――――ない!?」

ルクス・フランクリン /林原めぐみ 「わぉ♪ 本物のゾンビに会えるなんて貴重な経験だわ。あとはここから生きて出られれば文句ないわね」