朝鮮の<反日思想>の根源は、前記のとおり、日本が「儒教」を国家および国民の思想となっていないところにある。日本は今でも「斥邪」の国として位置づけられているのである。朝鮮の<儒教国家>はまだまだ続く、これがなくならないうちは「反日思想」は払拭されることはない。朝鮮・韓国が経済的に日本を凌駕すれば、「反日思想」はなくなるということを説く者がいるが、これは誤りである。そのときには、日本を「邪学」に支配されているから、朝鮮・韓国に凌駕されたと言い、「反日思想」は「蔑日思想」に変わることがあってもその本質には変化がないと考える。 朝鮮では、中国が親、朝鮮が長男(兄)、日本が次男(弟)という言い方がある。中国を親と考えているところに「属国」を当然だとする考えがあって面白いが、それはともかく、兄の朝鮮が日本にいろいろ諭してやり、文化も伝えたのに、倭寇で朝鮮の村々を荒らし、文禄・慶長の役で侵略し、日韓併合で植民地にした。これは、日本が<長幼>の律を破ったからで、再び日本に「儒教」を基本とする<道徳>を教えてやらねばならない。しかし、どうてい「儒教」を敬わない蛮族の日本はそれを理解できないので、これは打倒すべき存在である、というのが<反日思想>の根源である >>要するに儒教の精神から兄(親)に対して不遜な態度をとったことが許せないんですね。 |
もともと朝鮮半島には、北(北京に近い地域)のほうが文化的、歴史的であり上質といった差別 意識が存在しています。韓国の南岸は程度が低く、済州島はさらに低俗であり、その海の彼方にある日本など下の下だという差別
感情が長年にわたって存在していました。それがいつの間にか逆転し、戦前には日本の統治下に置かれ、戦後の経済成長期には完全に日本に圧倒されたことにさらなるコンプレックスを生んでいるようです。 http://burnnail.exblog.jp/d2004-10-25 そういえば、梁石日の『血と骨』の主人公も済州島の出身ですね。 |
李承晩ライン(李ライン) ************************************************************ 1952年、韓国の李承晩大統領が行なった、一方的宣言によって規定された領海水域。 同宣言により朝鮮半島周辺(最大二百マイル)の水域内に存在する、すべての天然資源、水産物を利用する権利を主張した。 日本側はこのラインを認めず、結局65年の日韓漁業協定で李承晩ラインが廃止されるまで、韓国軍による日本漁船の拿捕が続いた。
李承晩ライン廃止までの抑留者数・拿捕された船の数および死傷者数 赤ん坊は、生後数ヶ月で父を殺された。 抑留された被害者は、日韓漁業協定が成立する1965年まで抑留され、韓国に人質として利用された。 その年月、最大13年。 ************************************************************ |
日本政府は、彼らを帰してもらうために、在日朝鮮人の犯罪者を仮釈放して、在留特別許可を与えた。 その犯罪在日朝鮮人の数、472人。 韓国は国際法上認められていない、自称”平和線”によって拿捕された漁民を人質として利用し、 日韓基本条約と日韓漁業協定を韓国に圧倒的有利な内容で締結させた。 すでに韓国が、北朝鮮の拉致と同じことを、日韓の国交回復のときにやっていたのだ。
(日弁連)李ライン問題に関する日本漁民拉致に対し韓国の反省を求める件(宣言)
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李朝朝鮮を美化 |
日本に併合される前の李朝朝鮮がまるで「東洋の理想国家」であったかのように、米国で宣伝。ハースト系新聞が広めた日本=野蛮国論の一部となり、米国が極東に政治介入する政策の根拠となった。もちろん、今の韓国内の朝鮮史賛美は、李承晩の嘘八百から来ている。 |
光復後の暗黒政治 |
大韓民国成立直後は、日帝時代を具体的に知っている韓国国民が大多数だったが、公の場で「日帝時代はよかった」「今の政府は駄目だ」等の批判をした者をすべて政治犯として、投獄・拷問・処刑を行った。
大韓民国成立後のたった2年で政治犯として、投獄された者の総数は日帝時代の約30年間の投獄者数を超えた。今の韓国でも、親日論者として断罪されることが社会的に抹殺されるに等しいのはそのためである。 |
朝鮮戦争時の記録を偽造 |
北朝鮮の侵攻を受けた韓国が、あれほど混乱し、半島南端の釜山にまで追いつめられるほどの醜態をさらしたのは、李承晩個人の資質によるところが大きい。負け戦の時は誰よりも早く逃げ出し、勝ち戦の時は誰よりも目立とうとして、先頭に立った。首都ソウルが北朝鮮に侵攻されつつあるときは、避難民で大混乱状態の漢江の橋をかまわず爆破させ、一方で自分は安全な場所に急ぐために米軍基地に逃げ込んでいた。仁川上陸作戦で北朝鮮軍の掃討が成功しつつあるときは、連軍としての規律を無視して、韓国軍部隊を勝手にソウルに先行させた。韓国から北朝鮮への逆進攻が敢行されたのも、マッカーサー司令官の意図というよりは、李承晩の独断専行が大きい。
このような人物を上司としては、どんな将軍でも戦争には勝てないだろうが、李承晩の醜態は、公式の戦闘記録からは削除されて、威厳ある国家元首の幻影だけが残っている。 |
李承晩は、反日政策を強力に推進したことでも知られる。 彼の在任期間中に行われた反日政策として、李承晩ラインの設定、竹島の編入、日本文化の禁止、親日派処分などがある。権威主義政権として基盤の微弱な李承晩が、このような自己正統化の論理に頼った面も強い。また、李承晩は朝鮮が日本統治下にあった時期の殆どを海外で過ごしていたため、日本や日本人というものを抽象的にしか理解できず、反日政策をいたずらに煽ることにつながったとも指摘されている。今日でも、これらの政策による弊害が大きく、日本と韓国間に横たわる問題の多くが李承晩時代に端を発している。(ウィキペディアより)
日帝時代を経験している人が総統になった台湾との決定的な差がここにあるんでしょうかね。。 |
(中略) 本当はアメリカから独立したのにも関わらず、「我々は日本の敗戦によって、(日本の)植民地支配から解放された」と喧伝(けんでん)し、国民の愛国心を煽(あお)った訳です。「反日」で国民の結束を維持する。未だに日韓関係において「後遺症」を残す李承晩の「反日教育」の原点が、ここにあると言えます。そして、8月13日が本来の「独立記念日」であるにも関わらず、敢えて、8月15日を「光復節」としたのには、多分に「政治的配慮」が働いていたと言う事です。 http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/kofukusetsu.html
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初・2・3大統領 | 李承晩 | 彼の養子が実の両親を殺害。 不正選挙を糾弾されハワイに亡命。そのまま客死。 |
第4代大統領 | 尹譜善 | クーデターで退任を余儀なくされる。 軍法会議で懲役3年の判決。 |
第5〜9代大統領 | 朴正煕 | 長男が麻薬服用で逮捕される。 狙撃事件発生。弾がそれて夫人に命中。死亡。 直後、金載圭KCIA部長によって暗殺される。 |
第10代大統領 | 崔圭夏 | 学生デモ等が収まらず、粛軍クーデターを実行。 結局収まらず、光州事件発生。8ヶ月で退任。 |
第11・12代大統領 | 全斗煥 | 光州事件において反乱首謀罪で死刑判決。後に恩赦。 |
第13代大統領 | 盧泰愚 | 退任後に収賄容疑で逮捕。 光州事件の内乱罪も発覚。懲役17年の判決。後に恩赦。 |
第14代大統領 | 金泳三 | 在任中に経済危機に陥りIMFの介入を招く。 次男は利権介入による斡旋収賄と脱税で逮捕。 |
第15代大統領 | 金大中 | 光州事件の首謀者として無期懲役の判決。 息子3人を含む親族5人が金がらみの不正事件。 |
第16代大統領 | 盧武鉉 | 側近が大統領選挙の際に投資会社SKグループから巨額の 選挙資金の提供を受けていたとして国民の弾劾を受ける |
安重根 | 日本初代内閣総理大臣、伊藤博文公(殺害当時は枢密院議長)を1909年10月26日に射殺 >>それに関連して |
金九 | 韓人愛国団なるテロ組織を結成し、李奉昌や尹奉吉等と言った朝鮮人テロリストを誕生させた 最後は同胞によって殺される |
李奉昌 | 1932年1月8日、桜田門外で天皇陛下を狙った爆弾暗殺未遂事件を起こす |
尹奉吉 | 1932年4月29日、虹口公園で爆弾テロを起こす 上海派遣軍司令官・白川義則、日本居留民団長・河端貞次らが死亡。上海駐在公使・重光葵、第9師団長・植田謙吉、第3艦隊司令官・野村吉三郎らに重傷を負わせる |
※朝鮮人テロリストによって死傷された全ての日本人に哀悼の意を捧げます。
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