最近、日韓、日中で東アジア史だけでも共同歴史教科書をつくろうという動きがみられる。 はっきりいって、それは愚行であり、双方にとってだけではなく、東アジアの人々にとっては百害あって一利なしというものだ。 たしかに、「 アジアはひとつ 」という岡倉天心の言葉は名セリフである。 しかし、大アジア主義者にとっては、明確な目的を持つスローガンにはなるが、現実は「 アジアはひとつ 」ではない。 アジアは広く、イスラム文化圏、インド文化圏、中華文化圏など、さまざまな文化があり、宗教、言語が異なり、人種も多い。 しかも、冷戦後だけをみても、現在ヨーロッパがEU統合を目指して並々ならぬ努力をしているのに対し、アジアでは逆に軍拡競争に突入し、国家、民族の対立が続いている。 北朝鮮は「 ソウルを火の海にするぞ 」、中国は台湾に対し「 絶対武力を放棄しない 」と恫喝し続けている。 アジアはひとつではなく、またひとつになれるはずもないのだ。 にもかかわらず、中国と韓国が日本政府に共同の教科書をつくることを求めるのには、それなりの理由があり、思惑がある。 中韓双方とも内部的な歴史観をめぐる激しい対立があり、主流派と反日派の独善的な歴史観を日本に押しつけなければならない事情がある。 日本側は反日日本人が、外力を借りて日本政府に圧力をかける政治的目的がある。 それ以外は、歴史教科書の叙述をめぐる内外の意見対立をここで処理してしまおうという事なかれ主義的な妥協、協調目的であろう。 いずれも愚の骨頂だ。 そもそも民族、国家、文化、宗教、言語、イデオロギー、アイデンティティや利害関係が違えば、歴史観が異なるだけではなく、価値観、人生間、世界観も違うのはごく当たり前のことだ。 たとえば中国の国内でも、漢人とチベット人、ウイグル人、モンゴル人に同一の史観を押しつけることは無理だ。 中国の地、東亜大陸の地は、諸民族共生の地である。 しかし中国は、有史以来の東亜諸民族の歴史、あるいは中国との関係史を、すべて中国の一地方史に過ぎないと主張する。 たとえば、チベット史もモンゴル史も、中国の一地方史としており、大モンゴル帝国が征服した中亜や東欧まで、中国史上最大の版図だと教えている。 まさしく覇権主義的である。 高句麗史も渤海史も、朝鮮史ではなく、中国の一地方史とか、半島史ではなく、大陸史だという主張もまさしく覇権主義そのものである。 シベリアから中央アジア、東南アジアまでを19世紀に列強に奪われた中国固有の領土と子弟に教えることこそ荒唐無稽にして危険極まりない侵略史観だ。 宗教が違えばもちろん歴史観も千差万別なのは、仏教、儒教、回教の歴史をみれば一目瞭然であろう。 インドとパキスタンの対立がそうであるように、あの李朝朝鮮時代の徹底的尊儒崇文による仏教弾圧の歴史、李朝末期の「 衛正斥邪 」運動にみられる尊中華、斥洋夷といったような極端にして不寛容の歴史などをみれば、それがはっきりわかる。 そのような中韓の不寛容な歴史観は、唯我独尊の朱子学からくるもので、その源流は、「 春秋 」史観の「 春秋の大義 」という自己中心的な中華思想からくるものだ。 では、中韓がこのような不寛容にして自己中心的な伝統的春秋史観を貫いているかというと、そうではない。 中華人民共和国政権が樹立してから、伝統的中華史観に代わり、唯物史観が支配的になり、階級革命、農民革命史観から歴史をみるというように変わった。 北朝鮮もそうである。 そこで、時代や政権が変われば史観も変わり、史論も変わっていく。 たとえば、伝統的中華史観からすると、極悪非道の逆賊であった唐の黄巣や明の半白成は、一変して農民の英雄となり、歴史博物館までつくられた。 人それぞれが違う歴史観を持つことは容認すべきことだが、勝手に歴史を改竄してはならない。 歴史改竄は中国人のお家芸である。 しかし日本は自由主義国家であり、国民一人一人の歴史観についても自由である。 国定教科書ではなく、検定制度を用いた精神はそこにある。 だから日本は、国民にも外国にも独善的な歴史を押しつけないのである。 この原理原則からすれば、歴史観の自由を守るために、「 共同の歴史認識 」などは拒否しなければならない。 全体主義国家としての価値観から唯一の歴史認識を求める全体主義史観に対し、日本が多様、多元的な歴史観を尊重する自由主義史観を守るのは、政府としての責任と任務だろう。 このようにして中国の国内だけをみても、歴史観をめぐる対立はじつに重層的であり、ほとんど千差万別で、一貫した不動な歴史観があるわけではない。 統一史観が必要とされれば、中国を征服した夷秋の康煕皇帝も一変して民族の英雄となり、今までの民族英雄鄭成功が、今度は分離主義者として追い落とされる。 そんないいかげんのものだ。 国内諸民族の歴史観が同一や一定ではないだけでなく、中華民族自体がフィクションであり、現在でさえ無理やりチベット人やモンゴル人を漢人と同一の「 中華民族 」に組み入れている。 ましてや共産党とそれ以外の談党派は、まったく歴史観が対立し、伝統的中華史観と革命史観の対立も存在し続け、同じ共産党内でさえ、歴史問題をめぐる対立が解決してはいない。 文革の歴史的評価にしても、党大会の決議があったものの、彭徳懐、劉少奇についての党内の歴史見解が決着したわけではない。 1989年の六・四の天安門事件も、いつまでも「 暴乱 」と決めつけ続けられるとはかぎらない。 北朝鮮は韓国の存在さえ認めてはいない。 せいぜい米英の傀儡国家や植民地、李承晩も朴正煕も米英の走狗と捉えている。 中韓は国内の歴史観を統一しなくてはならないという課題がある。 それぞれ政権の安定と強化に民意民力を結集する必要があるからだ。 もちろん、それは政治問題である。 中韓にとって歴史とは政治なのである。 だから中韓の歴史は、提造が多い。 「 南京大虐殺 」も「 従軍慰安婦の強制連行 」もそうだ。 中韓でもっとも理想的な価値観は、いわゆる「 一個命令、一個動作 」、つまり上の言うとおりにしろ、というものだ。 唯々諾々と「 共通の歴史教科書 」の罠にはまり、国定教科書しか認めない中韓の独善的全体主義史観を押しつけられてしまったら、日本の教科書検定制度自体が崩壊してしまうだろう。 日本人は歴史の真実を守る意味でも、嘘だらけの中韓の歴史偽造をあばき、共同の歴史教科書を否定しなければならない。 |
日本のアジア侵略について、日清戦争から説き始める歴史学者は多い。 もちろんそれでも不満に思う学者も少なくない。 彼らは、もっと早くからアジア侵略を始めていたと主張する。 日清戦争の10年前( 1874年 )の台湾出兵( 牡丹社事件 )、その後の琉球処分、「 江華島事件 」からだとする。 牡丹社事件とは難破した琉球朝貢船の漂着民が台湾南部で牡丹牡原住民に殺害された事件のことだ。 日本政府は清国に抗議したが、清政府は「 化外の地 」として関知しなかった。 そのため日本政府が出兵してその罪を問うたのだ。 それが侵略戦争ならば、韓国軍のベトナム戦争も侵略戦争だろう。 中国史で「 興師問罪 」( 師を興して罪を問う )や「 征伐 」「 討伐 」と書かれている出兵もすべて侵略となるはずだ。 さらには、日本のアジア侵略の陰謀はすでに江戸時代から始まっていた、という主張もある。 佐藤信淵( 1769〜1859 )の「 支那経略論 」や吉田松陰らの経国の論は、すべて侵略意図を明文化した確たる証拠だとも主張される。 しかし紙上の「 経略・経論 」論議が侵略の意図になるならば、あらゆる国家戦略論、超国家主義論、世界革命論はすべて侵略主義になってしまうであろう。 日本のアジア侵略はもっと早く、すでに豊臣秀吉の朝鮮侵略( 壬辰倭乱 )から大規模に始まっていたのだと説える者もいる。 それならば、同時代の満州のホンタイジによる朝鮮出兵( 丙子胡乱 )から北京入城、中国征服までを、中国史では朝鮮侵略、中国侵略と書いているのだろうか。 じっさいは中国統一、清王朝樹立、朝鮮臣服だと教えているが、なぜ「 侵略 」ではないのか。 もっと前に倭寇のアジア侵略があったという論もある。 しかし倭寇は時代によって構成メンバーの国籍がかなり異なる多国籍海上略奪貿易集団であった。 日本人だけでなく、支那人、高麗人、仏郎機( ポルトガル・スペイン )人も多く入っていた。 しかも、略奪貿易だろうと密貿易であろうと、日本政府は厳しく取り締まっていた。 国家侵略とは別次元の話である。 もっと古代の神功皇后の「 三韓出兵 」、「 自村江の役 」が半島侵略の開始とも指摘される。 しかし、こんな古代史の征戦まで侵略戦争となるならば、アレキサンダー大帝のオリエント遠征、ハンニバルのローマ遠征をも「 侵略戦争 」と語る歴史学者はいるのだろうか。 「 とにかく日本人は侵略の民族だ。 飛鳥時代にも奈良時代にも、日本は国家として関西の領域を出なかった。 日本の古代侵略戦争はすでに神話時代の日本武尊の東征から始まり、いわゆる征夷大将軍が東の夷から蝦夷までの列島諸国、諸民族の領土を侵略し、今日の侵略国家をつくったのだ 」と反論する者もいる。 このような手合いでもっとも多いのは、韓国人学者である。 日本の国内統一を「 侵略戦争 」と非難しながらも、半島の新羅による三国統一を最初の統一国家と誇りにすることこそ二重価値基準だろう。 国家というものは人類の歴史とともにそのままあったものではない。 近代国民国家と近代以前の国家とではまったく次元の違うものだ。 神話の時代から侵略国家としての日本を語るというのであれば、すべての国家は侵略によってつくられたと言ってよかろう。 明治維新以後、日本の国造りの過程で起こったすべての戦争は、日清、日露、日中、大東亜戦争であろうと、侵略戦争として見るべきではないと考えている。 戦後、米英の東京裁判史観や中ソのコミンテルン史観が日本人の支配的史観となったことは確かだ。 歴史は時代のさまざまな出来事の積み重ねによってつくられてきた。 その時代の背景や制約を無視して歴史を語り、歴史を論断するのはあまりにも意味がないことだ。 戦後主流となった侵略史観に同調できないのは、時代の必然性を無視し、史実に基づく真摯な歴史の見方をしていないからだ。 1943年のカイロ宣言には、千島、樺太、あるいは台湾といった地域は日本が盗んだ領土だと書かれている。 しかし、それは嘘だ。 盗んだものではなく、侵略したものでもない。 ちゃんとロシアとの千島・樺太交換条約、台湾の永久割譲は清国との下関条約によって決められたものである。 朝鮮半島侵略や植民地史観に同意できないのは、統監政治にしろ、総督政治にしろ、それは国際法に乗っ取った数々の日韓協約によって決められたものであり、そのうえ、半島経営の実態からみてもこれを侵略と植民地化として語ることは良心が許さないからだ。 いったいどこが侵略、植民地化なのだろうか。 満州国を日本の傀儡国家、植民地と決めつけるのは政治的な言辞で、満州の歴史からも満州国の現実からも侵略史観で語るのはいかにも事実無根だ。 中国侵略は、中国内戦の罠にはめられた日本の不覚である。 北清事変( 義和団事件 )の8ヶ国連合軍にも、日本は列強の一員として支那侵略に加わったとされるが、史実ではない。 西太后は万国( 世界 )に対して宣戦布告していたのだ。 つまり8ヶ国連合軍は、治安維持のためにユーゴに介入したNATO軍と同視すべきではないだろうか。 また、大東亜戦争はABCD包囲網に苦しめられた日本が、自存自衛切ために列強に対抗した最終戦争であり、どこが侵略といえるのだろうか。 日本=「 侵略 」。 戦後の日本の資本と技術の移転までも日本の「 経済侵略 」として譴責し、何でもかんでも「 侵略 」と決めつける日本侵略史観は、いったいどんな史実、国際法的概念、国際倫理、道義の概念に基づいてそう断じているのだろうか。 日本のみが侵略国家という唯侵略史観にマインドコントロールされる人々は、イラクのクウェート侵攻や、チベットを軍事占領し台湾への武力行使を繰り返し公言する中国政府に対し、どう論断するのだろうか。 どう考えても、戦後日本の侵略をめぐる論議は、人類史にはまったく類例をみない奇矯な理屈で行われている。 「 侵略 」か「 進出 」か、一字一句の叙述が国家間の政治問題にまで発展するのは、なおさら奇妙にして滑稽なことだ。 また、国家の政治的な領土問題から経済的な交易関係の領域に至るまで、すべて「 侵略 」の概念で語られるのも、決して正常ではない。 さらに奇怪なのは、日本人の中にも自国の行動を「 侵略 」として断罪する反日日本人が存在することだ。 政治家でさえ、そう主張する者がいる。 しかし、いかなる国家であろうと、国益、民益の視野から成し遂げられた自国の国家的発展を「 開発 」「 開拓 」や「 東進 」「 西進 」、「 解放 」「 征伐 」……という表現を使わず、あろうことか自ら「 侵略 」と語る者がいるだろうか。 神代以来の日本民族と国家の発展をすべて「 侵略 」史観でみる態度は、自国民の発展を自縛すると同時に、他国から生の放棄とみなされても仕方ないのではないだろうか。 「 春秋に義戦なし 」とは言うが、普遍的な真理としての「 正義 」や「 大義 」が人類の英知や良識としていまだ確立されていない以上、「 侵略 」に対する非難とは、他国を譴責・牽制するために行う対他的なものであって、対自的なものではないはずだ。 自民族の生存権を守るには、つねに物理的に優位であるだけでなく、道徳的優位も確立せねばならない。 5000年来、中原からたえず蛮夷戎秋を侵略しながら、今日に至っている膨張主義国家の中国は、自国史を「 侵略 」と語っているのだろうか。 自民族の継起発展を「 発展史観 」からみることなく、いたずらに「 侵略史観 」で埋め尽くすことしか知らない連中は、生の放棄を宣言しているのも同然なのだ。 |
中国は「 南京大虐殺 」について今でも執拗に日本を非難し続けるが、これはすでにさまざまな学者が論証しているように、30万人も殺害されているというのになんの客観的な証拠も存在せず、でっちあげであることは今や明々白々である。 では、なぜ中国人は「 南京大虐殺 」をでっちあげたのか。 それは、反日運動を愛国運動のテコとして民力を結集させるためだ。 そもそも「 大虐殺 」は中国有史以来の年中行事で、戦争が起こるたびに西安大虐殺、洛陽、開封、揚州……大虐殺が繰り返されてきた。 つまり「 大虐殺 」は中国伝統文化として常識になっており、日本車の悪逆非道ぶりを宣伝するためには、それ以上に説得力のあるものがなかったのだ。 同様に、韓国人が非難する「 強制連行 」や「 従軍慰安婦 」も、半島を含む東アジア大陸の伝統文化であり、韓国人の反日・克日感情をテコとして民力を結集させやすいという理由から、でっちあげられたのだろう。 現在の「 在日 」( 朝鮮・韓国人 )は、強制連行されて日本に残った者とその二世、三世がほとんどであると、彼ら自身が主張している。 また、日本人に土地を奪われたから食えなくなり、半島から満州や列島へ流出せざるをえなかったと言う者もいる。 しかし、当時の日本政府は、釜山港をはじめ諸港湾に半島からの日本渡航者を制限するように命じ、朝鮮総督府にまで対策を要求している。 強制連行が必要なほど日本国内の労働力が不足していたのなら、このような措置を取るはずがない。 半島では、高句麗の滅亡だけでなく、百済の滅亡時にも、唐軍に多くの遺民を連行された。 モンゴル軍の強制連行もあったし、丙子胡乱では50〜60万人、さらに韓国史書によれば、人口の半数以上も満蒙軍に北方へ強制連行されたと書かれている。 戦争に負ければ、奴婢となる。 強制連行は避けられないのが大陸の文化である。 朝鮮戦争時、北朝鮮へ強制連行された人はいったいどのくらいの数にのぼるのであろう。 金大中現大統領も、かつて東京でKCIAによって白昼堂々拉致され、韓国まで強制連行された。 北朝鮮による日本人拉致疑惑も現在政治問題となっている。 このように、強制連行は有史以来、時代が変動するたびに半島で繰り返された歴史現象であり、そればかりか、東亜全域でどの時代にもみられたことである。 東亜大陸の伝統文化のひとつともいえる。 東アジア大陸の人さらい文化が、「 日本政府の強制連行 」という嘘の土台となっているのだろう。 強制連行が韓国の伝統文化であるということについては、戦後に、朝鮮半島のみが強制連行の舞台となっているという一事からだけでも連想できる。 この日本による強制連行という嘘が風化しないように、新たに編み出されたのが「 従軍慰安婦の強制連行 」という新たな嘘だろう。 そして従軍慰安婦問題の運動推進のために、「 人類史上類例をみない暴挙 」とか「 世界軍事史上類例を見ない非道 」という激烈な形容詞で非難している。 しかし、戦前、朝鮮人が台湾の町々までに売春宿を経営していたのはよく知られていることだ。 戦後の残留朝鮮人の人口統計では、男性よりも若い女性が多かったことがそれを物語っている。 近年まで、韓国はアジア最大の管理売春国家のひとつとして有名だった。 「 人類史上類例をみない暴挙 」という非難は、ただの無知か、あるいは知らぬ顔の半兵衛かのどちらかであろう。 はるか3000年前、孔子がもっとも尊敬する斉の名相管仲は国家管理売春制度を制定し、「 徳政 」であると謳われた。 以後、軍妓、官妓の歴史はすでに3000年の歴史を有している。 後梁王朝の皇太子までが軍妓の出だったことがあったくらいだ。 世界軍事史上類例をみないというのは、明らかに歴史捉造の魂胆が透けてみえる。 半島の歴代王朝政府が宗主国朝廷へ貢女と宦官を献上した歴史はすでに1000年以上にもわたる。 場合によっては全国に結婚禁止合までを布き、王宮で貢女を選んで、宗主国に献上し続けてきた。 高麗朝では、わざわざ政府は「 結婚別監 」という役所までっくり、婦女1人につき、絹12匹でモンゴル軍に売った。 これら政府による宗主国への宮廷慰安婦問題や、宗主国軍隊への公然とした人身売買など、1000年にわたる自国の従軍慰安婦問題を追及せずに、あったかなかったかさえはっきりしない日本車従軍慰安婦問題ばかりをなぜ追及するのであろうか。 朴正煕大統領以来続いてきた「 売春立国 」の現実を一顧だにせずに、なぜ過去の日本車従軍慰安婦問題に夢中にならざるをえないのか。 金泳三前大統領は、なぜ二人の大統領を事後法で裁き、牢屋へと送り、金融崩壊が起こってもなお、「 従軍慰安婦 」を問題にしなければなちなかったのか。 一国の大統領ともあろう者が、さらに重大な死活問題である、経済、政治といった「 経国の大事 」からわざわざ目をそらして、すでに過去の問題に精魂を傾けるということ自体、正常とは言えないことは一目瞭然である。 金大中大統領は、1998年の訪日前に国内紙で、今度こそ俺が日本政府へ徹底的に「 慰安婦問題 」を謝らせてやると豪語しながら、なぜじっさいには一言も触れなかったのだろうか。 韓国は「 従軍慰安婦問題 」を韓国人の反日・克日のテコとして民力を結集し、日本へゆすりたかりを続け、その結果、この問題はアジア以外の地域までに飛び火した。 しかも前述のような懐疑派が取り上げた疑問点はほとんど無視し、その問いに答えることもできずに反日日本人と呼応して独走している。 従軍慰安婦史は、韓国の文化風俗史の自画像である。 韓国史にとっては欠かせない一部であろうが、日本史には関係なく、さらには日本の歴史教科書でも取り上げるべき問題ではない。 韓国人は、江戸時代の遊廓、遊女の性風俗を、卑猥な文化、禽獣の文化とみなしていた。 しかしそれは、儒教倫理によるとんでもない見当違いの価値尺度から眺めた日本の大衆文化理解である。 日本の遊女は、韓国妓生のような階級性がなく、庶民文化のひとつであるのに対し、韓国の妓生文化は両班の専用専属とされ、婢女は性奴隷にも等しく、牛馬、禽獣以下で売買されていた。 日本の遊廓は庶民に属するものであるのに対し、韓国では宗主国に進貢する貢女、支那使臣専用の女妓、官吏専属の官妓、李朝時代の軍妓( 従軍慰安婦 )、辺妓、辺娼( 辺境駐屯従軍慰安婦 )など、すべて朝鮮政府官営のものであった。 儒教倫理に歪められた両班の欲望と道徳の乖離によって性風俗が乱れ、『 牧民心書 』や『 大野野乖 』に記載されている「 松窩雑記 」によれば、李朝時代の淫風は盛んになり、酔えるがごとく狂うがごとし。 どうみても日本に対して、とても『 過去の清算 』を要求できるものではない。 同質の問題でありながら、自国の過去と現在の問題は直視・反省もできないくせに、外国の過去ばかり追及するという態度は、すべて偽善にすぎない。 それは大統領であろうと、市民運動家であろうと、偽善に変わりはない。 韓国には、過去の宮廷慰安婦問題だけでなく、ベトナム派兵における韓国人経営の韓国慰安婦、米駐留軍への韓国慰安婦、国家管理売春問題もあるが、それを直視する勇気がないため、あるいはその批判をそらすために日本に対する過去の追及にこだわるのだろう。 人ばかり非難するのは能がない。 韓国人にとってもっとも必要なのは、まず自国史を振り返って、自らの良心と良識に基づいて、はたして日本政府を譴責する資格があるかどうか、もう一度反省してもよいのではないだろうか。 |
歴史認識。隣国と一致するわけがない。 当たり前だ! たとえばジンギスカーン。 モンゴルでは偉大な英雄だ。 では、ヨーロッパ、中央アジアではどうか? 凶暴な侵略者であり、歴史上の悪魔に等しい。 なにしろ侵略した都市の住民を皆殺しにして平気だった。 隣国なんて、こんなもんだ。 強ければ侵略するのが当然の時代だ。 領土を増やせば賞賛される時代のことだ。 強ければ侵略し。弱ければ侵略される。 そのような時代にはいろんなことが起きる。 自国では英雄でも隣国にとっては大迷惑? こんな利害が相反することなどざらだ。 では、外交をうまくやろう、商売で儲けようとして、モンゴル国民が隣国の言い分を聞き入れ、偉大な英雄ジンギスカンを犯罪者扱いにし謝罪するだろうか。 するはずもないことだ。 絶対やらない。 自国の国民を擁護する。 自国民を売る行為などするはずもない。 それが利害を共有する運命共同体の同胞と言うものだ。 同民族と言うものだ。 このように隣国と、歴史上のでき事で、双方利害が相反することなど常識だ。 わかった上での付き合いとなる。 自国民を売るなどとはどこの国の国民もしません。 当たり前ですね。 ‥‥が、世界の人々が絶対やらない自国民を売る行為を平気でやるのが反日日本人ですね。 隣国サイドに立って、日本国民を非難し糾弾します。 |