日 記 風 湯 河 原 を 語 る


「湯河原って、どんなところ?」  第4四半期分(1月から3月)
                  
ファンクラブ勉強会資料
        湯河原のまちづくりを語る政策体系 目次
自費出版(湯河原文学賞落選作品)
        SF日本民族弱体化計画
 目次
設置者プロフィール
現代問題エッセイ
気になるシーン
 21.02.15 「喧嘩ばかりしている」「まるで喧嘩を売っている」
 それでは民主党の主張は? 定額給付は選挙買収だ 懲罰だ、名誉だ 共産党の主張は?、麻生攻撃は?、抵抗勢力と喧嘩せずに行政改革はありえない しっかりしろ湯河原

 21.02.14 職歴・学歴を出して攻撃する、これは職業差別、学歴差別ではないのか
 差別があっても掲示板の管理人は削除しない
 お隣には国土交通省の出身がいて何と言われているのだろう、反対側の隣には京都大学がいる、世の中には学歴では高卒で偉くなっている人もいるし、どこの大学か関係なく
 一橋だの都庁だのと、湯河原ではそんなことが珍しいのだろうか

 21.02.13 冨田町政も折り返し点 いよいよ佳境に入る
 住民監査請求から住民訴訟 中学校移転問題 副町長復活

 21.02.12 「1年間で300万円消防予算を節約しろ、そうすれば敬老祝い金を減らさなくて済むんだ」
 ゼロベース予算の技法+提案制度、徴収でも、議会視察でも

 21.02.11 二本目 補助金の使い道と会計監査
 


 21.02.11 公示という制度 しっかりしろ湯河原
 たまたま傍聴人が居たか居ないかの問題ではない
 
 21.02.10 議会に対する要望書の扱い しっかりしろ湯河原 要望書
 委員会で配られた資料なのだが、これを公開すると、また長谷川副議長から、「公開すべきではない資料を公開した」と非難されるであろうか。私の反論は、「公開してはいけない資料を配るのであれば、なぜ秘密会にしなかったのか」とお返ししておこう。公開されたのは、秘密会にしなかった議長・副議長・委員長の側の責任ではないのか。それなのに公開した議員側を責めるとは、これが党の方針というのだろうか。さもなくば、全く逆の行き過ぎで、室伏重孝委員長のように、一旦配った資料を終了時に回収するのが正しい議会運営だというのであろうか。
 しっかりしろ湯河原。
 ところで、ここに掲載した要望書であるが、これこそまさに国語の問題ではなかろうか。そもそも陳情書なのか、それとも単なる「お手紙」なのか、区別が付いていない。これで議会が、陳情として扱うことはないと思うのだが、それとも単なるお手紙で議会が何か決議等をするのであろうか、さて与党はどうでるか。
 内容に立ち入ると、県条例に対する批判や不安は理解できるとして、議会に何をどうして欲しいのか、さっぱり読み取ることができない。状況解説は具体的なのに、「つきましては」以降が全く抽象的で、これでは議会としては何をどうしたらいいのか理解できないと思うのだが、湯河原議会の与党の皆さんは、これで理解できるのだろうか。国語の問題としては、「つきましては」の後に具体的要望事項を書いて、相手に何をして欲しいのか伝えることになるのだが。
 さらに、連名の三人の名前と肩書きを見ると、そうそうたるメンバーが名前を連ねている。こういう人たちが直接書いたとするならば、麻生総理と同じというか、間違いだらけのN島と同じというか、もっと分かり易く文書の性格・目的に合致した合理的な文章にすべきだろう。もし部下が書いたのであれば、ちゃんと指導するというか文書の書ける部下にすべきであろう。さらに、これだけの地位のある人たちであれば、事前に町長や総務部長、議長・委員長などに相談したかも知れないのだが、そういう人たちはどんな指導・助言をしたのであろうか。冨田町長や露木総務部長、土屋議長・長谷川副議長・高橋委員長、さらには森本議会事務局長などは、指導していないのだろうか。

 21.02.09 二本目 中学校問題 議事録から
 ◯町長【冨田幸宏君】 この特別委員会におきましては、確かこれまでの経緯の中で、旧湯河原高校をプレハブの代替施設としてお借りするということを、積極的に県に折衝するという総論をいただいて、今に至っております。
 ですから、取得する・しないにおきましては、この今の段階におきまして、する・しないというのは、私の中でも判断が付きかねます。
 総務文教・福祉常任委員会の方でも、旧湯河原高校跡地のあり方という部分につきましては、いろいろなご報告、また、もし県が民に直接売却した場合においては、こういったものは好ましくない、馴染まないというような意見も、町といたしましては、そういった委員会を持ちまして、県に対してお示しし、お伝えしているところでございます。
 今この委員会の中で、まず、臨時的な校舎としてお借りする中での取得というのは、あわせてこの段階で、是か非かということは、非常に難しいところでございますので、内藤委員のご指摘のご質問には、まだ明確にはお答えできない部分がございますということが、正直なところでございます

 ◯町長【冨田幸宏君】 可能性が薄いか、可能性がどうかという部分も含めまして、答弁が重なりますが、委員のご質問の趣旨の中にあります、時間的な問題をどう考えるかということかというふうに、総論的にとらまえさせていただければ、そういうものを判断しなければならないことは、非常に近い中にあるかなというふうに思っておりますが、それ以上のことにつきましては、可能性が薄いか、取得したい気持ちがあるかということについては、現段階では何とも申し上げられないということでございます。

◯町長【冨田幸宏君】 これはあくまでも仮説的に、内藤委員のご質問に少しでも忠実にお答えしたいという気持ちで、仮説を立ててお答えします。
 仮に取得するにいたしましても、学校として取得するのか、そうでなくて取得するのかということにも、かなりのそれぞれの意見の違い、その辺の議論もまだ尽くされていない中、またそういった考え方がない中で、そういった確立の問題も含めて、お答えができないということでございます。
 今は、安心・安全を早めに確保するために、県にまず、なるべく有利な形でお借りさせていただく、そのために県と接触をしろという、以前の委員会の中でも、委員の皆様方からもご指示をいただいておりますので、現段階においては、それに傾注していきたいと思っております。

◯9番【高橋延幸君】 ましてや、この場で町長に聴くということを、委員長が許すのはおかしいんじゃないかと思います。内藤委員じゃなくて、委員長の采配でやるならば、本来そこを戻すべきじゃないですか。
◯委員長【丸山孝夫君】 確かに、町長はこういう答弁をするしかないんですよ。そういうことをわかってもらうためにだけれども、こういう審議の中で、内藤委員もわかったと思いますが、今ここで町長が、これ以上のことは言うことはできないと思います。内藤委員。
◯10番【内藤陽子君】 私はこれ以上。
◯9番【高橋延幸君】 委員長、止めた方がいいですよ。
◯10番【内藤陽子君】 ちょっと待ってください。委員長に権限があるんですよ。
◯委員長【丸山孝夫君】 いいですよ、内藤委員、何ですか。
◯10番【内藤陽子君】 町長の今のお答えが、それで精一杯だというなら、それで結構なんです。
 ただ、あそこを今借りることになっていますが、県からは、買ってもらえますか、売りますよという流れの中で、これは大事なことで、あそこに中学校を移転しないならば、それは構いません。完全にこっちで直して、こっちでやるよというなら構いませんけど。
◯委員長【丸山孝夫君】 内藤委員、移転するとかしないとかは、まだ結論が出てないんですから。
◯10番【内藤陽子君】 移転をということじゃなくて、今借りるということの中で、じゃあ借りてしまったら、買うということは、もう薄くなってしまいますよね。
◯委員長【丸山孝夫君】 そんなことは、まだ先のことなんですよ。今は借りることに集中して、審議しているんです。この案件について聴いているんですから、町長にそれ以上のことは、極端に言えば、答えられないことを聴いてはだめなんです。
 暫時休憩します。

 詳しくは、各自で議事録を見て下さい。

 21.02.09 議会だより編集委員会
 議会たより編集委員でのことなのだが、最後のページに「☆取り表」がある。ここはマルバツの表示になっているのは不適切だという疑問を私が提示したところ、他の議員から反対されて、改善はされないで終わった。そのやりとりとは、こういうことである。
 私の意見。
 例えば、紙などによる投票だとすると、国会などでは、賛成・反対・保留・棄権・無効とありえる。挙手であっても、国連やらでは、賛成反対以外に意思表示することができる。ところが議会たよりでは、マルバツ表示になっているので、賛成以外は全て反対となってしまう。改善したらどうか。
 他の議員。
 国会とは人数が違う、反対ではないというのならば、退席という道がある、その場合は、議会たよりには退席と表示する。
 ということで終わったのだが、私の疑問は残る。
1.表示は、マルバツと退席の三つで良いのか。
2.挙手しないものは反対と決めつけて表示することについては、決定権は委員長にあるのか議長にあるのか。
3.保留・棄権の場合は、本当に退席しても良いのか。それについても、決定権は委員長にあるのか議長にあるのか。
 さて、次回3月本会議では、賛成できない議案があるので、「不賛成」の意思表示として、議場から退席することにしよう。議長以下他の議員の皆さんがどんな反応をするか、興味津々である。

 21.02.08 二本目 各種委員の報酬 月額制は違法の判決
 ニュースを見ると、地裁判決で自治体の各種委員の報酬について、月額制を取る場合は、常勤の職員と同じ勤務条件でなければ違法である、という判決が出たとなっている。つまり、○○委員になった場合、時々委員会に出ている程度の勤務であれば、月額制の報酬にしてはいけない、ということである。ということは、1回出席して幾ら、という報酬規定にしろと言うことであろう。さて湯河原ではどうなっているだろうか。

 21.02.08 定額給付金
 委員会で配られた資料が室伏重孝委員長によって回収されてしまった話はすでに書いたが、その中に定額給付金の資料があったのだ。総額とか手続きとか色々書いてあったのだが、残念ながら回収されてしまったので、さらに未だもって返してもらっていないので、詳細は住民に広報することはできない。
 記憶にある中では、受け取り方は現金とか振込とか、案内と回答の郵送料が幾らとか、とある中で、一番記憶に強く残っているのは、総額が4億5千万円になっていたこと。これが私の予測の4億2560万円に近いと言うことであった。残念ながら寄付とか所得制限とかの話はなかった。
 それにしても、委員会資料を取り上げるなんて、議会基本条例に従って町民に情報提供を積極的にやろうとする議員にとっては、実に困ったことだ。町民に情報提供を積極的にやらない議員にとっては、別に何も困らないのだろうが。「議会資料を外に出すのは議員の資質が疑われる」といっているが、住民に情報提供しない議員は、資質を疑われないで済むのが、湯河原ということなのだろうか。
 単なる整合性の問題に限定しても、06日のグランドの話で、私が資料を読み上げて質問すれば、議事録は議会事務局によって、つまり議長によって公開されているので、結局は資料を公開することになる。だが、こういう疑問を提起しても、議長、副議長、議運委員長その他、議員15人誰も反論できないのだ。
 しっかりしろ湯河原。

 21.02.07 経営合理化、行政改革の常道
 昨日作業船が見えたので、埋め立て地を見に行ってきた。そのまま海岸沿いに歩いて、英潮院から上がって、庵寺のあたりから真鶴駅に出た。JRに乗ろうとしたら、何と25分間隔がある。12時15分の次が19分で、その次が44分になっている。4分間隔の次が25分間隔なんて、JRは何でこんな無駄なことをしているのだろうか。「ムリ、ムダ、ムラ」をなくすのが、企業経営や行政改革の基本だと思うのだが、JRのダイヤを組んでいる人の考えはよく分からない。
 15分と19分のどちらかを取りやめにしても、利用者の便では大して変化がない。それならば貴重な経営資源は使わない方が良いと言うことになる。逆に、利用者の便を考えるのならば、19分をもっと遅くすれば、経営資源を消費しないで利用者の便を向上できる。整合性のあるダイヤを組むならば、いっそのこと、熱海発湘南新宿ライン特別快速を1時間に1本と東京行きアクティを1時間に1本を基本として定時運行する。これで1時間2本になるので、その間に後2本普通を走らせれば、1時間4本体制になる。利用者の多くなる区間では、平塚などの始発で増やせばいいだろう。
 こういう具合に、限られた経営資源を有効に使って、最大限の効用を上げるのが、企業経営に他ならない。行政の運営も同じで、なるべく少ないぎりぎりの予算と人員をせいぜい有効に使って、最大限住民の安全を確保するのが消防の長たるもののつとめだろう。住民の安全を口実にして、必要以上の経営資源を消費しているようでは、正しい行政運営とは言い難い。消防長、消防署長、総務課長、警防課長、そう思いませんか。

 21.02.06 湯高跡地グランドは県土木事務所が作業場として使う
 湯高跡地のグランドは、神奈川県が海岸での工事に使うと言うことになっている。今日は作業船が来ていたので、写真を撮りに行ってきた。その報告は後日として、県がグランドを使うことと町が校舎を借用して湯河原中学を移転することの関係について、書いておく。
 テトラを作るのか、自然石をそのまま投入するのか、よく分からないところだが、埋め立て地の前に人工リーフを作る作業と、さらに小田原港の方へ何かを作って運ぶ作業とあるようだ。当然のこと、道路側から大型車両で資材等を搬入して、完成品を海側に搬出することになる。では、中学校はどうなる?体育の授業などは、海浜公園でやると言うことであったが。生徒の移動は?、騒音等は?
◯委員長【丸山孝夫君】 ほかにございますか。中島委員。
◯4番【中島 寛君】 資料1に、人工リーフの資材置場とありますが、資材を置くということは、搬入路と搬出路があると考えられますが、搬入は国道から入れて、搬出は海へそのまま出すということでよろしいですか。
◯委員長【丸山孝夫君】 露木総務部長。
◯総務部長【露木高信君】 作業ヤードで、テトラポットを造るためのグラウンドを使うわけですね。搬入路・搬出路、両方とも入り口があるわけですね。ですから、テトラポットができれば、今度は海の方に。資材を運ぶのに、コンクリートが主ですから、コンクリートのミキサー車が来ますね。ですから、入れ終わったら出るということで、出入口は国道です。それと海側に、できたものを入れるというような形です。
◯委員長【丸山孝夫君】 中島委員。
◯4番【中島 寛君】 そうしますと、ダンプなどの車の出入用に、国道側に新規に出入口を考えればいいんですか
◯委員長【丸山孝夫君】 露木総務部長。
◯総務部長【露木高信君】 グラウンドだけを、小田原土木事務所の県道整備部が借りるということですから、入り口を新たに造るということだと思います。
◯委員長【丸山孝夫君】 中島委員。
◯4番【中島 寛君】 完成品は海の方へ持っていくということですか。
◯委員長【丸山孝夫君】 露木総務部長。
◯総務部長【露木高信君】 そうです。

 21.02.05 「(案)となっているものはダメだ」 しっかりしろ湯河原
 議会で配られる資料は、行政側から「こういう風にしたい」として配られるものが多く、(案)と表示されている。その資料を私がネットに載せたことについて、与党議員の皆さんは、「(案)となっているものはダメだ」「議員としての資質が疑われる」「回収する」としたのである。
 では考えて欲しい、本会議で審議される予算というものは、あくまでも予算案ではないのか。では配られた予算案は公開してはいけないのか。「町長は決定済みのものだけを議会に配る」、「議会は決定済みのものだけを住民に提供する」とするならば、これは秘密主義に他ならないではないか。
 議員の皆さんの別の主張では、「本会議に出した資料は良いが、委員会に出した資料はダメだ」というものもあった。この区分けって、湯河原では通用するのでしょうか。本会議と委員会と、そういう区別があるのでしょうか?神奈川県町村議長会か総務省に問い合わせしてみたいものです。
 本音を言ってしまえばもっと簡単なのだ。「自分たち与党の利益にならない議会資料は公表してはいけない」「自分たちの利益に関係ない資料は公開しても良い」ということなのだ。これなら実に簡単で、誰にでも分かるだろう。ただし、どの資料を公開しても良くて、どの資料はダメなのかは、わかりにくくなる。まさに「法治国家」ではなく、「人治国家」と言うことだ。何が良くて何が悪いのかは、法律規則に書いてあるのではなく、その時の権力者の思い付きで決まると言うことになる。
 別の見方をすると、湯河原は悪い意味でのポピュリズムとも言えるだろう。人民に教えてみて、権力者への反発がないものは公開してよろしい、人民に教えたら、権力者への反発のあるものは公開してはいけない、という原則になる。
 湯河原独特の要因としては、「ネットはダメだが、後援会は良い」というものがあるだろう。委員会で配られた資料を持って、後援会の幹部を呼んで、酒でも飲みながら「今度こういうことを町がやるらしい」といって、コピーを配るのはよろしい。その幹部が後援会メンバーに配ってもいい。後援会メンバーが近所の住民に見せるのも良い。だがネットに載せるのはダメだ。いわば情報化社会への乗り遅れと言うことなのだろう。

 21.02.04 湯河原の七不思議 副町長の復活
 3月議会の日程が配られたのだが、まさかこれをネットに載せても、「公開するなんて議員としての資質が疑われる」と非難されることはないと思うのだが、委員長が回収を命令しなかったので、載せることにした。全く湯河原議会はおかしな所だ。
 この日程の議案第6号に、「副町長の条例」がある。これは何かというと、冨田町長が1年半ほど前に当選した時に、マニフェストと呼ばれる文書に明記して、その義務を履行するとして、6月議会で廃止になったものなのだが、それを今回復活するというのだ。
 町長選挙のマニフェストというものが、どのような性格の文書で、どのような拘束力を持っているのか知らないが、昔の選挙公約みたいなものであろうか。拘束力はないが、道義上とか信義上とか、政治家としての信頼性とかで、効果を持つものでは無かろうか。さらに6月議会の本会議では、町長はこのように答弁している。
 「私は副町長不要論者ではない」
 「廃止するのは、財政上の理由である
 「将来財政が好転したら、設置するつもりである」
さて、選挙から1年半ほどで、まだ任期の半分も来ていないのだが、湯河原町では、この程度の時間が経てば、公約・マニフェストは違反しても有権者から何も言われないのだろうか。まして一旦条例を廃止しておいて、それを1年半ほどで復活するのである。こういう事(公約違反の条例案の提案)をやっても、議会(議運)では特に何も発言がなかったそうだ。その内議事録ができたら、議運の議事録を掲載することにしよう。その委員のメンバーを見て、支持する議員がいれば、有権者の皆さんは個別に質問してみればよろしい。
 私見としては、副町長が必要かどうかよりも、行政の信頼性、行政の継続性から言って、1年半程度で条例を制定し直すと言うことは、やってはいけないことである。少なくとも任期中はやせ我慢をすべきであった。それすらも冨田町長はできなかったのだろうか。
 別のやり方は、私が当時の議会やミニコミ誌で提起したのだが、条例はそのままにしておいて、副町長を空席にしておけば良かったのだ。それができないのは、冨田町長とその取り巻きの皆さんの力量が足りなかったと言うことだろう。
 ところで、具体的人選は誰になるだろうか、人数は何人になるだろうか。役場の職員にとっては特に、この点が気になるのでは無かろうか。私の予測を述べておくと、人数は二人、一人は中から某氏が、もう一人は外から役人かタレントか、というところである。そうすれば二人置いても、役場の担当を二つに分ける必要がなくなるではないか。
 最後に、敬老祝い金の削減額は、記憶によると、年間300万であったが、副町長の報酬は年間幾らなのだろうか。財政が厳しいので、お年寄りの祝い金は削減するのが当然として、冨田町長は削減案を提出し、総務文教の委員の皆さんは全員(公明党共産党も含めて)賛成したのだが、副町長を置くなんて、財政は何時好転したのだろうか。敬老祝い金の削減額300万に対して、副町長の報酬は幾らになるというのだろうか。
 以前廃止の時に聞いたところでは、副町長の報酬は年収で1300万くらいでは無かろうか、二人ならば2600万くらいになるということだ。これがまさに「湯河原方式」ではないか。かたや財政が厳しいからと敬老祝い金を削減し、かたや高額報酬の副町長を設置する冨田町長、それに賛成する議員の皆さん、そして支持者の皆さん。全部まとめて「湯河原方式」、いや「湯河原の七不思議」か。

 21.02.03 2月27日の法廷からみる展望
 2月27日の法廷でのことの追加報告。
 原告側の弁護士が準備書面を出したのだが、その中に「求釈明」と銘打って、「両町の友好的で多岐な広域連携を将来にわたり継続するため」とは具体的に何か、釈明を求めている。
 これは一般市民として当然の疑問なのだと思うのだが、肝心要の問題点は、その「求釈明」の扱いである。最初から被告側弁護士は、「これは訴訟にならないから却下すべきである」と主張していた。もし裁判所が被告の言い分を認めるのであれば、内容の審理に入らずに早期に結審して、判決を言い渡すことになる。逆に、被告の言い分を認めない場合には、玄関払いではなく内容の審理に入ることになる。つまり、この「求釈明」の扱いで、玄関払いという被告の言い分が裁判所に認められるかどうか、推測できるのである。
 さてそこで、裁判長の訴訟指揮はどうだったのか。
 裁判長は、被告弁護人に対して、「原告はこういっていますが、被告はどうしますか?」と問いかけたのだ。つまり、内容の審理に入ってしまったのだ。
 それに対して被告弁護人は、「回答するしないも含めて、お答えできません」と答えたのだ。これは当然といえば当然である。おそらく被告弁護人と町長との間の打ち合わせでは、「玄関払い」以外は主張しないことになっていたのだろう。ところが内容の審理に入ってしまったので、被告弁護人としては、町長の了解なしに釈明の回答はできないし、それどころか回答しないという回答すらできなのである。
 結局被告弁護人は持ち帰りと言うことになったのだが、さて次回の法廷ではどうなる事やら。

 21.02.02 二本目 委員会資料の回収 続 議会基本条例
 3月議会の日程を見ていると、議題の中に「長寿健康祝い金贈呈条例の一部改正」というものがある。この条例改正案の説明資料が、下の方で敬老祝い金と私が言っているところの、総務文教福祉常任委員会で配られた資料だと思うのだが、これを回収して公開禁止にすると言うのは、おかしいのではなかろうか。議会に提案される条例改正(まだ案というべき状態)の説明資料が非公開で、議員に配った資料を回収するのが、湯河原議会では当たり前のことなのだろうか。
 室伏重孝委員長、しっかりして下さい。
 土屋誠一議長、ちゃんと指導して下さい
 高橋延幸議運委員長、一体何を考えて居るんですか。
「案の状態で議会に配られた資料は公開してはいけない」とか、「議員としての資質が疑われる」「常識・良識の問題だ」と他の議員の皆さんは私を攻撃していますが、こういった委員長や議長の行為は、何ら資質にも良識にも常識にも反しないのでしょうか。神奈川県町村議長会の研修では何と教えているのですか。湯河原町議会基本条例に則ってこういうことをやっているのでしょうか。
 といっても、神奈川県町村議長会の研修で、「発言の訂正は会期中でないとできない」という、「会期独立の原則」を教わっていながら、平気で終わってしまった会期の発言を次の会期で訂正させているのですから、この程度の原則違反を指摘されても、湯河原議会の人たちは何とも思わないのでしょうね。

 21.02.02 酒気帯び一発アウト
 ニュースを見ていると、飲酒運転の罰則を厳しくして、抑制を図るという。だが、これによる効果の程には疑問がある。幾ら罰則を厳しくしても、取り締まりを厳しくやらなければ、意味がないではないか。取り締まりの回数や時間場所等が厳しくなければ、捕まる方が例外的に運が悪いんだと言う意識がドライバーに根付くことになりかねない。罰則の重さと捕まる可能性の総計で人の行動は抑止される、というべきである。たとえて言えば、罰則1万円で捕まる確率10%、罰則100万円で捕まる確率0.1%、さてどっちが抑止の効果があるか。
 中学校の教科書にこんなお話が載っていたと記憶がある。(名称の記憶違いはご容赦)
 どこかのお殿様が、領民がモズを食べるのでモズを守るために辞めさせたいと思った。そこで、「モズには100匹に1匹の毒がある」とおふれを出したところ、モズを食べなくなった。
 教科書の解説では、10匹に1匹であると、「自分の身近に毒に当たった人がいそうな物なのにいないじゃないか」、といって信じられなくなる。逆に、1千匹に1匹では、「当たる方が運が悪いんだ」、といって食べることを辞めさせられない。100匹に1匹が丁度いいのだ、というお話。
 (こんな事書くと、湯河原ちゃんねるの住民達が、早速検索して元の話を探し歩くのでは無かろうか。そして何か間違いを見つけると、鬼の首を取ったようにかき立てるのだろう)

 21.02.01 パソコンができる
 パソコンに限定したことではないのだが、一般に言ってどんな種目でも、「できるということと、人に教えられると言うことは別」である。一般では、野球などでは、「良き選手良き監督にあらず」と言われている。それがパソコンのように複雑で多岐にわたる種目の場合は、特に顕著になる。
 パソコンに詳しいと言っても、自分が使っているということと、他人に教えられるということは別である。分かり易い例を挙げて説明すると、碁盤の目という説明の仕方を私はいつも使っている。碁盤の目の一番右上の端から、左下の端まで移動するのに、何通りのルートがあるか。恐らく無限の組み合わせがあるだろう。距離が短いとか、同じ点は通らないとか条件を付けても、相当な数があるだろう。
 それでは、パソコンに詳しいという人は、全てのルートの存在を知った上で教えるのであろうか。恐らく自分の知っているルートだけを取り上げて、「俺のやる通りにやれば良いんだよ」と教えるであろう。だがパソコンの素人は、あっちのルートこっちのルートと思いついて、試してみようと思うものである。その素人の思い付きを尊重して、その人なりのルートを教えられるためには、全体像を知っていなければなら無いだろう。
 その昔、東京都教育研究所のパソコン研修を受けたことがあるのだが、さすがであった。教員にパソコンを教える人が講師だったのだ。その前に受けた主税局のパソコン研修では、講師の趣味で教えているような感じで、こちらの疑問には答えられなかったばかりか、生徒用パソコンの中に、講師が暇な時に遊ぶゲームが入れてあったのだ。何かと思って開いてみていたら、講師から「余計なことをするな」と注意されてしまった。
 余談だが、東京都教育研究所の名称は、東京都庁一般では、「教研(キョウケン)」と呼んでいるのだが、教育委員会内部では、「都研(トケン)」と呼んでいる。トケンといったら、東京都のあっちこっちの研究所の全てが対象になってしまうのだが、その理由は簡単に分かるだろう。人間の感覚として、猫と呼ばれることより、犬(ゲー)と呼ばれるのは嫌なのであろう。

 21.01.31 敬老祝い金の削減 共産党も賛成する 公明党は無言で了解 消防の過剰出動  
 室伏重孝委員長が資料を回収してしまったので、詳細は書けないのだが、冨田町長は敬老祝い金を削減するそうだ。湯河原では老人は地域の宝ではないのか。これではお年寄りがかわいそうだと思わないのだろうか。子供や女性や消防にはどんどんお金を出して、老人には削るという、ひどい話だ。これで一体幾ら予算が節約できるというのだろうか。(資料を取り上げられてしまったので、金額が分からないのだ)
 別の予算消費を見てみると、例えば、常備消防が二台出すだけの小規模火災でも、消防団はほとんど全部出動している。出動さえすれば、鎮火した現場の後ろの方でホースを伸ばしたりしているだけで手当が出る。これは消防団予算消化のためではないのかといいたくなる。ここで、消防団の出動台数を減らせば、敬老祝い金くらいすぐに出せるのでは無かろうか。これでも消防団の人たちは、何も考えないのだろうか。
 常備消防の皆さん、皆さんが頑張って働けば、消防団の出動台数が減って、敬老祝い金を出すことができるようになるのではありませんか?常備消防は常勤の公務員なので、何人が何回出場しても人件費は変わらないのですから、消防団に頼らないで、もっと働いて欲しい物です。
  さて、消防にもコスト意識が必要という考え方は、何時になったら湯河原で受け入れられるようになるだろうか。敬老祝い金の削減と消防の手当の節約と、皆さんはどっちを取りますか?
 21.01.30 湯河原の七不思議 長のリーダーシップの欠如
 地方自治における長と議会の関係はどうなっているか。これは、「どう考えるか」と言うより「どうなっているか」である。個人の価値観ではなく社会的制度の問題である。では、日本国における地方自治の制度をおさらいしたところで、湯河原における長と議会の関係はどうなっているだろうか。
 ある職員曰く、「議会はいわば企業の外部監査役です」という。では、今盛んに議論されているところの「中学校問題の特別委員会」の動きはどう評価されるべきか。特別委員会設置からずっと、長は一切発言することなく、すべからく委員長が総務部長に依頼する形で動いている。長が原案を提出し、議会が審議するという形にはなっていない。
 その上に、議会が何かを行政側にやらせたい場合には、長に決議等をぶつけて、それを受けて長が自らの責任で部下に指示すべきなのに、長はそうしていない。委員会が政策を提起して、それを教育委員会や総務部長に直接指示してやらせているのである。
 先ほどの職員の、外部監査役になぞらえて言えば、監査役会議で会社の経営方針を決めて、部長を呼んで直接指示しているようなものである。社長は同席して黙ってみているだけ、ということだ。
 さらに、特別委員会では未だかつて採決をしたことがない。議員の意見を一人一人言わせて、こういう意見が多数だと委員長が集約しているだけなのだ。神奈川県の町村議長会の研修では、どう教えていたのだろうか。土屋議長、如何ですか?
、それにしても時間の掛け過ぎですね。半年もんで、やっと本音の結論が出てきたようです。長が最初から自らの方針を提案して、議会に審議してもらえば良かったのに。これでは迂回的生産が過ぎるのでは無かろうか。ところで、その理由は何だろうか、長の側に何かあるのだろうか、それとも議会の側にあるのだろうか。
 いずれにしろ、よそ者の新人泡沫議員にはよく分からないところだ。

 21.01.29 二本目 委員会資料の回収
 28日の委員会で、終了間際になって、委員長が「資料を回収します。外部に出さないように」と発言しました。これは明らかにおかしな議会運営です。委員会の内容を外部に公表したくないのであれば、秘密会にすべきです。秘密会にせずに配った資料を、後から「公開してはいけない、回収する」というのは、委員長として間違っています。
 室伏重孝委員長しっかりして下さい。
 そもそも議会というものは、「開かれた議会」という原則があります。そこでの発言、そこで配られた文書は、すべからく公開されるものです。それを外部に出したからと言って(ネットに載せたからといって)問題にする方がおかしいのです。外部に出してはいけないという理由があるのであれば、委員長は秘密会にすべきです。秘密会にしなかった場合は、当然外部に出しても誰も非難することはできません。
 それなのに、湯河原町議会では、「外部に出したのは、議員としての資質が疑われる」とか、「常識、良識、人格の問題だ」という発言が堂々となされているのです。逆を言えば、外部に出すことを辞めさせる根拠がないので、「人格、資質、良識、常識」といっている訳です
 全くのところ、おかしな議会運営をやっているものです。私はこう質問してみましたが、誰も回答できませんでした。
  「秘密会にせずに資料を配ったとして、後で回収しても、結局公開することになるのではないか」
  「なぜなら、秘密会でなければ、議事録は公開される。その中で、資料が報告される」
  「湯河原町議会の議事録では、資料の読み上げ部分は省略されているが、本来は載せるか別途公開されるべきものである」
  「議事録に載っていなくとも、議員が質問で、当該資料の重要部分を引用すれば、議事録に載って公開されることになる」
  「町側の答弁にしても、資料の該当部分を引用して回答すれば、これも議事録に載って、公開されることになる」
  (質問しなかったが、他にも、「傍聴人が録音か速記しておいて、外で公開したらどうなるのか」ということもあります)
まとめをすると
  1.秘密会にしていない限り、開かれた議会の原則に従って、委員会資料は公開される。室伏重孝委員長の回収はおかしい。
  2.委員会資料をネットに載せたからといって、非難する議員はおかしい。
    おかしくないというのであれば、懲罰委員会か、裁判に訴えて出るべきである。
 「人間関係的説得」で辞めさせようというのは、無理でしょう。そんな考えでいるから、自分の思い通りにならないと、「話し合いにならない」といって席を立つことになるのです。まさに幼児化現象ですね。
 別件で、副町長の復活が町長より提案されています。これについては、選挙の時の公約の問題、財政の問題、1年半で条例をひっくり返すという行政の継続性の問題、等々ありますので、後日にしたい。
 21.01.29 湯河原の七不思議 利敵行為
 これは、私のことを蛇蝎の如く目の敵にしている高橋延幸議員の発案なのだが、高橋議員は特別委員会でこういったのだ。
   「ミニコミ誌というものがある。そこではあたかも議会で湯中の土地を売るという意見が出ているかのように書いてある、
   委員会ではそんな意見は出ていない、事実に反することが書いてある」
 そこで私の反論
   「私のミニコミ誌のことだと思うが、そういうことは事実を元にして発言すべきである」
 高橋氏の再反論
   「それではミニコミ誌を配って下さい」
何と準備の良いことか、すぐさま事務局によってミニコミ誌が配られたのだ。
 しかしよくよく考えてみると、議会で私のミニコミ誌が配られて、議員みんなで読んで、意見を戦わす、これは利敵行為ではないか。何人もの議員が、じっくり読んでくれた上で、こんな発言をしているのだ。
   「ここに○○と書いてある、これは主体が・・・・・で」
   「・・・・という場合にこうゆう風に書くのだ」
といった具合なのだ。
 私の反論はというと
   「そういうことは、国語の問題だ」
   「よそ者の、新人泡沫議員の書いたものを、こうして議会で配っていただいて、全議員に読んでいただいて、 
    討論してくれるとは、私のとっては名誉なことだ」
 分かり易いたとえとしては、試しに赤旗だったらどうか。公明新聞だったらどうか。
 最後に、議場外のことだが、出身大学の名前を口にすることは、学歴差別になると思うのだが、どうだろうか。
(なお小澤議員の興味深い発言があったのだが、これは議事録が出たら、引用することにしよう)

 21.01.28 二本目 議員の資質、人格
 今日の委員会で、他の議員の「人格、資質」を攻撃する発言が幾つかありました。これは如何なものでしょうか。議長・委員長以下誰も制止しませんでしたが、議会内における「人格、資質」の攻撃は、議会の品位を損なうものではないでしょうか。
 特に気になるのが、「議員としての資質」のところ、議員は選挙によって選ばれるものですから、選ばれた限りは全議員に議員としての資質があるということになる。つまり「議員としての資質」とは、選挙民が選挙で決めるものであって、他の議員が議会での発言において、否定・攻撃すべきものではない。そんなことをやると、却ってその議員の資質が有権者から疑われるのでは無かろうか。
 それにしても、議会において、他の議員の、「人格、資質、常識、良識」を論議していることを有権者が知ったら、がっかりするのでは無かろうか。

 21.01.28 第二回公判の報告
 最初にお断りを。裁判は難しいというのが今回の感想。裁判、法廷、公判、この違いが分からない。私は勝手に使っていたが、どうも大きな違いがあるようだ。刑事事件だとどうで、民事事件だとどうで、ひっくるめて何と呼ぶ、とか色々あって、訳が分からない。いずれにしろ「公判」ではないといわれてしまった。
 そいうことで、今日の日程は何だったのかというと、裁判所の掲示板を見ると「弁論準備」になっていた。中身は、裁判官と弁護士および弁護士同士のやりとりで、原告の主張に対して被告はどう反論するかとか、何の文書を何時までに出すとか出さないとか、次回は何日にするかとか、といったことで終わりました。次回は、3月24日11時となって、閉会。
 残念ながら私の発言の機会は無し。まったく今の裁判制度は、納税者である国民の金と時間を無駄にしている。あっちこっちが行政改革で効率化されていく中で、裁判制度は手つかずの領域なのでは無かろうか。国民の負担をもっと考えるべきである。弁護士によると、1年くらい掛かるのではないかというのだが、このスローペースを見ていると、そうならざるを得ないという気がしてくる。
 といっても被告である冨田氏は、町民の税金で裁判をやっていて、裁判所にも出てこないので、冨田氏個人の負担というものはないのかも知れない。私なんぞは、金の負担ばかりではなく、地裁での15分のために、湯河原から関内まで往復しているのだ。
 それにしても東海道線は不便で、横浜で11時10分の次は、11時31分、ここで21分間隔がある。28分に湘南新宿ラインがあったので乗ってみたのだが、特別快速なのに前を走る熱海行きに追いつかず、小田原着12時12分で、次が32分熱海行き。その前が6分で、ここでは26分の間隔が空いている。本数が少ないのは理解できるが、間隔が均等でないのはダイヤを組む人間の怠慢だといわざるを得ない。特に、特別快速ならば、前を走る普通に追いついて接続するようにしたらどうなのだろうか。事実、夜遅い時間に前の熱海行きを止めておいて、後から来る小田原止まりに接続させているダイヤが組まれているではないか。
 JRは小田原以西はどうでもいいと思っているのだろうか。 

 21.01.27 二本目 今日の運勢
 今日の運勢はどうも下り坂のようだ。運の悪いことが連続している。
 午後クロネコヤマトまで荷物を取りに行ったら、2個ある内のうち1個は厚木で止まっているという。仕方なく一つだけ受け取って、大きな荷物を抱えて歩いていたら、葬儀屋の前で路上にテントの支柱が立ててある(右側を歩いていた)。よけて歩こうとしたら、前から軽がやってきて、立ちふさがるようにして止まった。男性2名乗車で、どうも葬儀屋の社員らしい。仕方なく、テント+車をよけてセンターライン沿いを歩くか、それともテントの下を歩くか迷ったのだが、テントの下を歩くことにしたら、当然狭いので、抱えている荷物が1本目の支柱にぶつかり、さらに2本目の支柱にぶつかった。テントは倒れなかったが、葬儀屋の社員は2人とも知らん顔。歩行者の迷惑や危険は何も考えていないようだ。
 そもそもこの葬儀屋は、湯河原では名門だそうだが、ビジネスホテルの取り壊しの時には、騒音や粉塵で近所に迷惑を掛けているのに挨拶も無し、慢性的に交番の隣では路上駐車を2台3台とやっていて、中央の方には倉庫と広い場所があるのに、無精して路上駐車した車の陰で作業している(当然道路上で作業している)、どうした訳か、警官も移動させたりはしていないようだ。駐車違反で切符を切られた人から見れば、交番の近くは特別待遇なのか、それとも苗字によって差が付くのか、といいたくなるのでは無かろうか。
 違法か合法かの議論の前に、湯河原の名士としての威厳というものがあるのでは無かろうか。葬儀開始の何時間も前から路上にテントを張るのは控えるとか、作業できる場所があるのだから、離れていても無精しないで自己の土地で作業をやるとか、たとえ施主が自分でなくても事後に自分の看板を立てることになる工事ならば、近所に挨拶の一つもするとか、もう少し名士らしくしても良いと思うのだが。
 これもよそ者新人の泡沫議員にはよく分からなくて当然なのだろうか。
 21.01.27 中学校移転問題 特別委員会 保護者配布文書
 特別委員会では、耐震補強工事をどうするか論じていたのだが、その後工事中に湯高を借りる話が出て、何と今回は画期的な結論となった。設置されてからわずかに半年で、こんなに急展開するとは、湯河原議会は超能力でもあるのだろうか。
  ・耐震補強工事は中止
  ・湯高跡地に移転する(3年間借用)
  ・湯高跡地を購入する(借用中に)
  ・だが既存の体育館は耐震補強をやる(財源はこれから探す)
それにしても分からないことだらけの特別委員会だ。これで誰も疑問を呈さないのは、きっと私以外は事前に根回しを受けているからだろう。例えば分かり易い単純な話では、今日の委員会で総務部長が細かな日程を口頭報告したのだが、「それでは書き取ることに無理があるので、紙にして配らせるよう」と委員長に申し入れしたところ、委員長以下何人もの議員が「そんな必要はない」として、私の提案を拒否したのだ。
 ではどんな日程だったのか、私のメモを写してみよう。
  1月16日あり方意見交換会にて了解
  1月19日対県検討会
     2月中にスケジュールを決める、
     補修費借用料の詰め
  1月26日対県打ち合わせ
    PTをおく
  6月補正で借用料と補修費を計上する
別途
  1月21日教育委員会にて全員賛成
  1月26日PTA会長と校長に説明
  1月29日別紙を全保護者に配布
  2月中にPTAに説明
私が聞き取れてメモできただけでこれだけの内容があるのだが、それを総務部長が口頭で読み上げただけで、紙にして配るようにと言う私の提案を却下して、それで他の15人の議員全員は聞き取れると言うことは、通常人の頭脳を越えた能力を持っているのだろう。総務部長が読み上げるに当たって、「もっとゆっくり」とか「今のところもう一度」といった声は一切無かったのだ。
 湯河原議会の15人の議員は超人的能力があるのか、それとも私以外は全員根回し済みだと言うことでは無かろうか。
 さらに、購入を前提とした借用について、「万が一にも購入がうまく行かなかった場合は、3年でもとの中学校に戻ることになるのか」、と言う私の質問に対して、総務部長は回答しなかった上に、他の議員は「買うことに決まっているのだから、そんな心配は必要ない」と反論してきたのだが、物事の進め方として、これでいいのだろうか。
 また、体育館の耐震補強はやるとなっているが、この財源はどうするのか、決まっていないのだが、どうするのだろうか。
 21.01.26 中学校移転問題 財源の話
 何事にも金が掛かる。何か良い政策を提起するならば、その財源を提案しなければならない。では私の提起する中学校現地建て替えの財源は、どう提案するか。そういえば、議会では湯高跡地を買うと言うことで決定したのだが、その財源は一切明らかになっていない。これは片手落ちといわざるを得ない。勿論私は賛成していないので、湯高跡地の購入については財源を提起する立場にはない。
 1.議員定数半減は、毎年1億円、
 2.地域手当廃止は毎年1.5億円、
月賦で払うことを考えれば、20年返済なら20億円から30億円になるではないか。
 それでも中学校建て替えを決断できないのは、理由が不明だといわざるをえない。これもこれもよそ者には理解できない湯河原方式であろうか。
 そういえば小中学校のPTAや保護者などからも次々と私の所に反響・問い合わせが殺到するというわけでもないのだが、どうでもいいと思っているのだろうか、それとも「誰が言い出したのかによって判断する」ということなのだろうか。

 21.01.25 プリンターの買い換え カメラの買い換え
 パソコンを初めて買ってから、これで10年になるのだが、ここのところプリンターが次々と不調になって、買うのも馬鹿らしくて、その都度印刷屋に持って行って有料で印刷していた。最近になって、トナー式のモノクロレーザーにしたらどうかと助言してくれる人がいて、ネットやノジマで探してみたところ、手頃なのがあったので、1台購入してみた。
 今まで買ったプリンターというと、ヒューレットパッカードは、1年したところで何も反応しなくなって、サービスに電話したところ、送らなければ一切何も教えられないというので、バラしてゴミに出してしまった。次がノジマで多機能で安いのがあったので、ブラザーを買ってみた。印刷の他に、スキャナーとコピーの機能があるので、便利だと思ったのだが、インクがあるのにインクがないと表示が出て、使えなくなってしまった。今ではスキャナー単機能として使っている。他にキャノンとメーカー不明もあったのだが、引っ越す時に人にあげてしまった。
 今回買ったプリンターは、これで5台目になる。セイコーエプソンも検討したのだが、安いのでキャノンにしておいた。デジカメも6台目でキャノンイオスfになったのは、前日に書いた通りである。どうした訳か、両方キャノンになった。
 デジカメにしろプリンターにしろ、おかしな壊れ方をした場合は、別のメーカーに切り替えることにしている。勿論調子が良ければ、同じメーカーを買い継ぐことにしている。だからデジカメではフジが三台になっている。
 フイルム式の普通のカメラは、結局ニコンFにまで到達したところで、辞めてしまったので、今ではカメラケースの中で朽ち果てつつある。デジカメはキャノンで長く使えるのかどうか、楽しみだ。レンズは良い物を無理して買ったので、壊れない限り買い換える必要はないだろう。
 
21.01.24 デジカメ5台
 湯河原に来てからデジカメというものを始めたのだが、5年で5台を経過している。毎日のように持ち歩いていることもあるし、安物ばかり買っているせいなのかどうか、今時のデジカメは消耗品のように壊れるようだ。
 1台目は、フジの箱形300万画素で、スイッチを入れるとレンズの前のふたが開く方式だった。これはもう少しスペックの良いカメラが欲しくなって、人にあげてしまったが、まだ健在のようだ。
 2台目は、コニカミノルタの外見だけ1眼レフで、値段が安いのに、レンズその他のスペックが高く、軽量でもあって、ずいぶん重宝したのだが、オートフォーカスの性能が悪いくらいならともかく、ファインダーに丸いケラレが出て、しかもそれが左右に移動するようになった。どうも受光部にガタが出たようだ。
 3台目は、フジの外見だけ1眼レフで型番が6000、ズームもフォーカスも手動なので、電池も消耗せず、丈夫だったのだが、あまりにも重くて、毎日のようにもって歩くのには辛かったので、息子にあげてしまった。
 4台目が、フジの外見だけ1眼レフで型番が8000、前回の機種以上のスペックがあって、軽量小型だったので、ずいぶんと持ち歩いたのだが、歩道で手に持った荷物を下ろそうとしゃがんだ時に、肩から滑り落ちて、一切動かなくなってしまった。
 5台目が、ニコンの外見だけ1眼レフで、型番がP80、スペックは良かったのだが、2日しかもたなかった。コニカミノルタと同様にケラレが出て、それが移動する。購入店に返品して終わった。
 6台目が今使っているもので、キャノンのイオスf、レンズはシグマのズームを別途購入した。昔は1眼レフを使っていたので、液晶をファインダーで見るのではなく、レンズから入った光を直接見る方式は、やはり鮮明に見えるので、体になじむ。電源を入れなくても覗けるところも良い。重たくて大きいのだが、その分最近は1日あたりの歩く時間が減っているので、大して苦になっては居ない。
 色々と面白い仕掛けがあって、なかなか良くできたレンズとカメラだ。ズームロックのボタンは何に使うのか当初は分からなかったが、持ち歩いているとレンズが伸びてくるのを防ぐためだと言うことが分かった。オートフォーカスも凄く素早い。マニュアルでも可能である。ズームが手動でピントはオートという役割分担が良くできている。
 それにしても、政務調査費がある議員だと、こういうカメラも経費として認められるのであろうか。活動の少ない議員の方が結果として得をするという実態も如何なものか。


 21.01.23 二本目 委員会視察の欠席届
 所属している委員会の宿泊視察について、前々から公言しているように、視察不参加としていたところ、事務局から欠席届を出すように言われて、別紙のように出してきました。その後、事務局から電話が来て、「理由が不適切なので、出し直すように」と言われました。当然のこと私の回答は、「他の理由にして出すつもりはない」ということでした。行政行為論で言うところの、「受理」と言うところですが、今後どういう事になるのか、興味津々です。
 なお、本日の特別委員会で、私のミニコミ誌が高橋議員によって問題にされて、現物のコピーが全員に配られました。議員になって2年足らず、よそ者の新人泡沫議員が、ミニコミ誌を議員全員に配られて、みんなで議題にしてくれるようになるとは、名誉なことです。
 「問題にするのであれば、懲罰委員会を開くか、裁判に訴えて出よ」とお返ししたところ、そこまで度胸のあるというか、自己の主張に自信のある議員は居なかったようです。何しろ、会期独立の原則を無視して、終わってしまった会期の発言を、次の会期の本会議で訂正させて平気な人たちですから、あれこれ言ってもしょうがないのでしょう。
 
 21.01.23 学校給食の残飯から堆肥
 ニュースを見ると、NTTが給食の残飯から堆肥を作っていて、地元では好評だという。こういう取り組みは、資源の少ない日本では、大いに歓迎すべき取り組みであるが、残念ながら湯河原では難しいだろう。なぜならば、湯河原ちゃんねるによると、「湯河原の人間の排泄物には、重金属が高い濃度で存在しているから、堆肥(コンポスト)には不適である」、というのだ。
 そもそも重金属というのは、あたかも常温核融合のように、人間の体の中で合成されてできるものではない。だから、食べるものか飲むものに重金属が存在していると言うことになる。つまり、湯河原の水か食べ物に重金属が濃度高く含まれていて、そこからから重金属が湯河原の人間の体内に入る、ということになるではないか。これがたとえ本当でなくても、こういう書き込みがネットによって全国に明らかにされると、風評被害というものが出てくるのでは無かろうか
 もしこれが嘘・間違いであるならば、根拠無く湯河原の評判を悪くする書き込みなので、掲示板の設置者・管理人は、すぐにでも書き込みを削除すべきであるが、これは難しいだろう。掲示板の管理人は削除したくても、できないだろう。なぜならば、湯河原の人たちから、「削除した、改ざんした」と非難されるからである。
 ただし、管理人が書き込みしている連中とグルならば話は別である。管理人がどんな書き込みを削除・改ざんしても攻撃されない。なぜなら、「仲間内ならば事前運動しても良いが、よそ者新人の泡沫候補の事前運動は許さない」、という土地柄だからである。
 さて、湯河原の三校の給食の残飯でどれだけの堆肥ができるか(調理ゴミも含める)、使ってくれる奇特な人はいるか、重金属が入っていると言われても使う人がいるだろうか。(それにしても馬鹿げた議論だ、下水汚泥や残飯の検査をしてみればすぐに判明することなのに、これも湯河原方式であろうか)

 21.01.22 湯中の湯高跡地への移転と津波との関係
 1月のミニコミ誌の中学校問題について、支持者から一つ指摘されたことがある。湯高跡地が良くないという理由に、津波のことを入れた方が良い、ということであった。確かに、町内では、津波の心配する声が結構あって、耳にすることも多い。あの立地では、もし大きな津波が来れば、避難せざるを得ないだろう。(関東大震災の時には、城堀の信号まで潮が来たという)
 それを知っていて、何故ミニコミ誌に書かなかったのかというと、こういう理由があるのだ。委員会でも質問が出たことがあるのだが、県の報告書では、高潮による被害の想定はあるのだが、津波被害の想定はないのだ。高潮では、新崎川から国道西側を門川方向に浸水被害が想定されている。湯高跡地には浸水被害は想定されていない。こういう報告書の存在を知っていると、そう安易には否定できない(県の報告書にはないのに、津波が来るという想定をすること)ので、とりあえずミニコミ誌で入れないでおいたのだ。
 という訳で、もう少し私に対する追求が緩いのであれば、津波問題も一つの要件として入れておけば、湯高跡地に中学校をもっていかない方が良いという論拠になるだろう。それも強力な論拠になるだろう。(追求が緩い:一般町民であれば、津波問題を正面に上げて良いのだが、県の報告書を見ている議員の立場としては、正面から県の報告書を否定するには、それなりの論拠が必要だ、その論拠を追求されると、証明するのが難しい、ということ)

 21.01.21 湯河原の七不思議
 湯河原ガスの工事について、掘削許可とは別の場所を勝手に掘って、ハナミズキの街路樹を30本以上も傷つけたという話は、新聞にも載ったので、みんなが知るところとなった。不思議なのは、それから以降の湯河原ガスと施工業者の動きである。
 町役場の関係には頭を下げにいったという。だがN島の所には何も来ていない。湯河原にはまだ引っ越してきてから5年なので、どんなところかよく分からないのだが、今までの知識経験から推測すると、こういう場合は菓子折の一つも下げて議員の所に行くものだと思っていたのだが、湯河原はさすがである。潔癖というか、法律遵守というか(といっても菓子折くらいでは社会通念上のお付き合いであろうが、それ以上になると法律違反になる可能性がある)、たとえ町役場の偉いさんの所に挨拶に行っても、議員の所には行かないという土地柄のようだ。
 湯河原では、何かと潔癖でない話を良く耳にするのだが、今回は潔癖なところもあるのだと、妙に納得がいってしまった。これも湯河原の不思議であろう。全ての政治家に対して、全ての件について、潔癖であって欲しい物だ。(こういう事を書くと、湯河原ちゃんねるあたりでは、必ず、「あいつは菓子折が欲しいんだ」という書き込みが現れるだろう。湯河原ちゃんねるにはそれだけ、物もらいの習性が染みついている人がいると言うことだ)

 21.01.20 二本目 決定文書とは?
 情報公開で、職員の処分に関する決定文書を請求したところ、当事者に交付した処分書だけが出てきた。これはきっと、処分の理由等の詳細を出したくないので、わざとやったのでは無かろうか。処分の決定文書であるから、その理由とか根拠法規とかのっているはずである。例を挙げれば、請求対象を契約の決定文書としたら、契約書だけが出てくるのか、ということである。
 これは推測だが、きっと最初はこちらの要求の通り決定文書を用意したのだが、途中で誰かが横やりを入れて、ワル知恵を付けたのでは無かろうか。いわば、ラスプーチンスがいるということだろう。

 21.01.20 湯河原の七不思議
 今から丁度1年前のことだが、警察の取り締まり情報が地元に漏洩しているというお話。
 去年の1月のミニコミ誌のことなのだが、警察から注意処分を受けた。理由は、「ミニコミ誌が事前運動に当たる」というのだ。そのことは後で書くとして、湯河原の七不思議というのは、その直後に城堀を歩いている時に、軽トラに乗っている土屋誠一議員にばったり出会ったのだが、土屋議員(今は議長)は車を止めて話しかけてきて、開口一番こういったのだ。
 「1回目は警告で済むから」
つまり、土屋議員は、私が小田原警察署から注意処分を受けたことを知っているのだ。もちろん、私は誰にも喋っていない。土屋議員が知って居るとなると、同じ会派の議員も知っていたのかも知れない。ひょっとして、警察に取り締まるよう迫った議員が居るのかも知れない。
 これはまさに湯河原の七不思議ではないか。
ところで、去年の本選では、選挙事務所を二カ所同時に設置した候補者が居て、警察に証拠写真を撮られたという話なのだが、もしそうならば、あれはちゃんと取り締まったのだろうか。警察にコネのない私としては、情報収集のしようもないのだが、もし取り締まっていないとしたら、もしくは取り締まり情報を土屋議員に提供していないとしたら、これも七不思議であろうか。将来もし県議になれたら、警察情報も耳にはいるような立場になるのだろうか。
 さて、私の違反というのは、どういう事かというとこういう事であった。
 「1月のミニコミ誌の内容が、事前運動に該当する」というのが小田原警察署の言い分であった。
 このミニコミ誌については、まず最初に、小田原警察署警備課巡査部長に直接事前運動の要件を聞いた上で、違反にならないように書いたものである。さらに、印刷の上がったミニコミ誌を、配布前に湯河原交番に提供して、「小田原警察署警備課巡査部長に事前に指導を受けて書いたものである。配布前に小田原警察署に提出するので、もし不都合があれば新聞折り込みの前に指導していただきたい」といってお願いしておいた。
 それなのに、小田原警察署刑事担当次長の岩田氏と、課長補佐、巡査部長の三人が私の自宅を訪ねてきて、「ミニコミ誌の全体の主旨から、事前運動の疑いがあるから注意処分」といってきた、ということである。
 21.01.19 定額給付は幾らか
 ニュースに出ていた世論調査によると、圧倒的多数の国民が、定額給付は無駄で他に使った方が良いという。また、所得制限を設けて、差額を自治体で使うという話があって、そういうことが法的に可能かどうか、議論があるようだ。手続きとしては、一番簡単なのは、自主的寄付を承認してもらうことだ。
 だが手続き論は別として、さて湯河原ではどのくらい寄付が集まるだろうか。もちろん使途を明確にする必要がある。中学校の新築のためにという目的だったらどうだろうか。湯河原ちゃんねるで、匿名悪口に励んでいる皆さんは、どうで出るだろうか。普段叩いている大口に見合う寄付ができるだろうか。
 ところで金額だが、湯河原の人口から推測すると、このくらいの金額になるだろう。人口が約2.8万。一人あたりの金額は、一般1.2万、子供高齢者は2万。これが6対4だとして、4.256億円。歩留まり(寄付に同意しない人)が何割居るか。生活保護とか低所得とか関係なく、町民全員に寄付をお願いするとして、同意しない人が、2割ぐらいだとして、約3.5億円である。
 さて、町民からの寄付がこれだけあるとして、冨田町長は中学校の新築に踏み切るかどうか。もちろん町民にやる気があるかどうかである。
 さらに、さてさて、このアイデアはN島が言い出してしまったので、たとえ良いアイデアだと思う人がたくさんいても、実現不可能になるだろう。

 21.01.18 言い出したのは誰か
 良い提案であれ、悪い提案であれ、誰が言い出したかによって、その扱いを決めると言うことは、湯河原でも良くあることなのだが、これは湯河原方式ではない、どこに行ってもそんなモンだということである。議会でも、与党会派が言い出せば、どんな案でも賛成し、N島が言い出すと、どんな案でも反対する、ということだ。
 それで、面白いことを思いついたのだが、わざとどんどん良い案を先回りして提起してしまうのだ。となると、抵抗勢力はどうしたらいいか。どんな良い案でも、発案者の属人性に従って反対しなければならなくなるではないか。それとも、やむを得ずメンツを捨てて、どれかは賛成してしまうのだろうか。
 姑息な手段では、いかにも自分が言い出したような顔をして、N島のアイデアを実現してしまうという手がある。だが残念ながら、私の提案は、ミニコミ誌で配るか、ネットで公開するので、誰が言い出しっぺなのか、多くの人が知っているのだ。つまり、ネタの盗用と言うことは、すぐにばれてしまうのだ。
 となると、恥さらしで自分の案として実現するのか、諦めて採用しないのか、というジレンマに陥ることになる。そんなことしていないで、さっさと冨田町長はN島を味方にしてしまえばいいと思うのだが。それだけの度量はないということか。
 
 21.01.17 二本目 幕山公園 梅林
 梅林まで見に行ってきました。今年は日当たりが良いせいか、大分花が咲いています。お客さんも結構来ていました。売店だけでも先に開いても良いのではないでしょうか。剪定した枝で、花が付いているものをお客さんが拾って帰っていました。いっそ道ばたに置いて置いて、持って行ってもらうようにすると良いかもしれません。花がかわいそうですから。

 21.01.17 書いているのは女か?
 湯河原ちゃんねるの分析の続きを少々。
 以前読んだ本で、2ちゃんねる分析の本がある。あたかも犯罪心理学のように、書き込みの攻撃対象からプロファイリングをやって、書き込みした人間像を探るというものであった。それによると、2ちゃんねるで何かと人を誹謗中傷して楽しんでいる輩とは、性別男、所得非高所得、学歴非高学歴、年代30代から40代といったところだそうだ。つまりフリーターや派遣などの男性の欲求不満の発散として機能しているそうだ。
 では、湯河原ちゃんねるはどうなのだろうか。最近気がついたのだが、女性議員に対する書き込みが見られないのだ。下位当選から上位当選まで、3人女性議員が居るのだが、だれも書かれていない。地元では、素晴らしい議員だという噂以外は出ていない訳ではないし、日本全国では、所属する党派がネットで攻撃の対象になっていない訳でもない。ということは、湯河原ちゃんねるで攻撃している輩は、女性もしくは女性の味方と言うことになるのだろうか。
 思い当たるのは、当該議員およびその応援団を別にして、以前匿名で、「大変不愉快な思いをしました」というものの言い方をする女性?がいたのだが、あの人は泉の住民の立場で書いていた。もちろん書く立場が泉であって、実際は湯河原に住民票を置いているのかも知れない。他に女性でこれといって思い当たるスジはないのだが、自分が女性に好かれないという自覚はある。

 21.01.16 湯河原の七不思議
 中学校問題が話題にならないのはなぜか。N島に関係ないところで話題になっているのか。それとも言い出したのがN島だから話題にしないようにしているのか。
 例のスレにしても、「よそ者の新人泡沫議員であるN島が、湯河原中学校をバカにした」という思いこみで始まったものなのに、中学校の耐震化のスレが立たないのはなぜか。しかも、耐震化に絡めて、湯高跡地への移転と現中学校用地の売却の話が出ているのに、どうして湯河原では話題が盛り上がらないのだろうか。
 湯河原の人間であれば、90%以上の確率で、子供や孫が湯河原中学に通うことになると思うのだが、関心は強くないのだろうか。
 今の小学5、6年生は、場合によっては、小学校で耐震工事をやって、中学に行ったらまた耐震工事をやって、結局5年間くらい工事中の学校に通うことになる。それで誰もかわいそうを思わないのだろうか。
 私の政策が新築に至った論理構成というと、
・耐震化すると環境が悪くなる
・工事ばかりで子供がかわいそう
・プレハブも環境が悪い
・だからといって、湯高跡は中学としてふさわしくない
・それに、耐震工事やっても10年くらいで建て直しになる
・新築が一番良いが、金が問題だ
・それでは、金は何とか考えよう。一度建てれば、50年以上もつではないか。まさに湯河原100年の計ではないか。

 21.01.15 湯河原の七不思議
 町長は、税金を使って湯河原に金が入らないように裁判で戦っている。
 N島は、自腹を切って湯河原に金が入るように裁判で戦っている。
 それを見て、N島を支援するために文昭堂で自費出版を買ってくれた人が、10人くらいしかいない。
 ところが、「税金を使って湯河原に金が入らないように裁判で戦っている」冨田町長には、たくさんの支持者がいる。
 湯河原の人たちは、お金はいらないのだろうか。
 真鶴に4億3700万円を負けてやる冨田町長の方が良いのだろうか。
 裁判やるだけ余計なお世話だったのだろうか。
 湯河原と言うところは、よく分からないところだ。
言うまでもないが、私はお金ほしさでやっている訳ではない。個人として金が欲しい訳でもなく、真鶴から金を取りたい訳でもない。14日で言うところの、「正論を実行」したいだけだ。

 21.01.14 二本目 実名が判明、犬の放し飼い

 以前何度か書いたことのある犬の放し飼い、今日ついに実名が判明しました。城堀で、○○○◎を営む、○○○(実名がフルネーム)。犬をトラックの荷台で飼っていて、ツナを付けていないという。
 今日、城堀を歩いていて、被害者から呼び止められたのだが、その人の飼い犬ばかりか、その人自身も噛まれたという。直接飼い主の所に持ち込んだのだが、取り合ってもらえなかったという。他の人に聞いた話では、「金を払えば良いんだろう」と言われたとか。
 管轄は、神奈川県になるので(昔保健所、その後犬管理事務所、今では動物愛護センターと名称が変わったのでは無かろうか)、今度は県会議員に頼むことにしよう。それでもだめなら、自分で県の出先に乗り込むしかないだろう。とりあえず、同僚の町議に仲介を頼んでおいたので、しばらくして改善されないようならば、私が動くことにしよう。
 犬の放し飼いによる被害もあれば、イノシシや猿の被害もあれば、暴走車・改造車・騒音車が跋扈するという、ノーヘルバイクで交番の前を走っても平気という、本当に湯河原と言うところは、興味深い町だ。それに、湯河原ちゃんねるでは、放し飼いの犬による被害を防ごうとする行動を、犬に暴力を振るうといって、非難するところなのだ。
 なお、町役場で聞いたところでは、住民に被害が出そうな場合、町が犬を確保して、保健所等に引き渡すと言うことでした。今度見つけた人は、町役場環境課に電話して下さい。

 21.01.14 「匿名の正論は実行できない」
 発言者
 水島 精二(みずしま・せいじ)
東京都府中市出身、1966年1月28日生まれ。東京デザイナー学院卒。撮影、制作進行を経てアニメ演出家。『機動戦士ガンダムOO』のほか『ジェネレイターガウル』『鋼の錬金術師』『大江戸ロケット』などで監督を務めている
 ソースはここ。
 http://news.goo.ne.jp/article/nbonline/business/nbonline-181287-01.html
 一部引用(下線は中島)
 「批判することで良くなるかもしれない」という思いは、心の中にあるでしょう。自分は憂さ晴らししているだけなのだと思ったら、寂しくなりますからね。自分の中で、どこかに正義を保てないと、俺、何をやっているんだろうというところにいってしまうと思うんですよ。人に批判の言葉を叩きつけるためには、そこになにがしかの「正義感」を持っていないと難しいんです。
 でも、正論を言う人が、本当にそのように行動できているかというと、それはまったく別ですからね。正論はあくまでも論でしか無くて、実際に、その通りに行動してみろと言われたらできない人がほとんどですよね。
 批判をする側は、自分の発言をいわゆる社会正義だと思って書き込むんですけど、その個人に対して「あなたは失敗したことはないんですか?」と問うと、みんな、おっとって引いちゃうと思うんです。
 それは言葉に、「自分の行動」というバックボーンがないからです。「その時、自分ならどうするか」という肝心なところがないと、机上の空論になってしまいますよね。頭の中のロジックだけで考えた正論というのは。
 それが発言に責任を持つ態度だと思います。
 ネットというのは、名前を伏せて発言ができるから、言いっぱなしになれるというのが「いい」んですよ。発言に相応しい行動をとっているかどうかが問われない、安全なところにいられる。だから叩かれない。自分の身に危険が及ぶというのは、名前をさらしているからこそじゃないですか。
 匿名というのは、名前=「自分」がいなくていい状態なんですよ。
 「人ごと」として発言できるから、その分、無責任になれる。言ったことに、責任を取らなくてもいいという。責任を取らなくていいというのは、現実にはなかなかない場ですよね。
 だから匿名はダメだ、発言は必ず実名にしろ、ということを言いたいんじゃないです。無責任に発言できるということには、もちろんメリットもある。そしてこうした怖さもある。両方を含めて、ネットが利便性だけでなく、欲望やモラル、社会の雰囲気に至るまで、すごく世の中を変え、動かしているのを感じますね。
 ただ、批判を繰り返す人に言いたいのは、ネット上では「正論」は強力な武器になるとしても、それが無記名な、名前を隠している発言である限り、世間での評価というのは、実際には低いんだよ、ということですね。
 「何だあれ」とか、「かっこ悪い」とか、“脊髄反射”みたいな反応なんです。
―― 脊髄反射だなと思うのは、どんなところですか
 なんと言いますか、作品を見て批判をしているわけではないんです。フィルムを観て物語を追おうとしているのではなく、絵だけを追って、見た目だけで批判をしてくるのですね
 特に今、ネットで評判が広がるのがすごく速いでしょう。叩くにしても褒めるにしても「こう言えばいいんだ」というポイントが提示されると、あっという間に広がっていく。
 叩きたい人たちは、最初から「嫌い」というベクトルを持って入ってきて、ネットの中で自分と同調できる「嫌い」ポイントを探して、“叩きの流れ”に乗っかっててくるから、もう仕方がないんです
 21.01.13 定額給付に所得制限して学校を耐震化
 ニュースによると、今度実施されることになっている定額給付について、所得制限を課して、浮いた分を学校の耐震化に使おうという自治体があるそうだ。政府の方針として、所得制限をするしないは自治体に任せると言うことであるから、制限を設けるのも設けないのも、幾らに設定するのも、自治体の任意と言うことになる。
 そこで、湯河原町で所得制限を設けることにして、幾らに設定すると、幾ら財源が浮くであろうか。そしてその財源を何に使うことにしようか。などと言うよりも、湯河原町ではそもそもそんな発想は誰も思いつかないだろう。たとえ思いついた人がいたとしても、町役場で現実化することはあり得ないだろう。
 4億3800万円の住民訴訟をやってみて、湯河原中学校の耐震化をミニコミ誌で提起してみて、住民からの反応を見ていて、そういう思いを強くしている。

 21.01.12 防災訓練の時のこと  総合防災訓練実施計画
 
議会の資料を整理していたら、面白い実施計画を見つけた。スキャナーで取って、掲載しておいた。これではまるで冨田町長の選挙運動ではないか。当日は、私は本部会場にいたので、計画通り防災無線で全町に流したのかどうか知らないが、どうだったのだろう。
 それにしても、実施計画を作る職員は、何とかして覚えめでたくなろうと思って、ごますりが大変なのだろう。ご苦労様な事だ。

 21.01.11 二本目 デジカメに見る運勢

 年末、デジカメを肩から提げていて、しゃがんだ時に落としてしまった。全く動作しなくなったので、ヤフオクでニコンを買ったのだが、これが届いたのが8日、今日宮下公園でどんど焼きを写していて、画面にケラレが出るのを見つけた。やむを得ず購入元に連絡を取って、送り返しておいた。
 どうも今年の運勢は良くないようだ。次は何だろう? やはり石か糞か暴走車か。
 デジカメは、安物を買っているせいか、5年で5台目。内壊れたのが3台。重たいので人に譲ったのが1台、機能面で人に譲ったのが1台。毎日のように持ち歩いているので、全くの消耗品である。

 21.01.11 年末年始の温泉場
 年末年始は、観光立町がどんなものか、温泉場方面に何回か足を運んだ。まずバス通りですれ違う観光客が少ない。途中の著名な店でもあまりはいっていなそうだ。温泉場近辺でも姿を余り見ない。旅館でも満室にならなかったところもあるという。泊まっても、冷蔵庫を使わない、チップは無し、きれいどころやマッサージを呼ばない、という感じが多いという。
 予約について言えば、前年は15人が予約を入れて内5人は満室で断ったとする。当年は10人が予約を入れて全員泊まれたとする。どっちも旅館は満室な訳だ。それが空き部屋がでるとなると、どういうことなのだろうか。
 こごめの湯は、年末はお休みで、年始は開業していたと言うが、お客の入りはどうだったのだろうか。
 いずれにしろ、影響が目に見えるように現れるのは、温泉料金の滞納とか、従業員の給与不払いとか、天引きの税金や保険料の減少とか、年末の決算か、来年度の歳入見積もりあたりからだろう。さて、冨田町長と総務部長の腕の見せ所である。同時に、町長総務部長に気に入られている職員の皆さんの力量次第でもあるだろう。

 21.01.10 二本目 ミニコミ誌に見る運勢
 ミニコミ誌1月号を発行したのだが、今回はどうも運勢が下がっているようだ。
 一つ目が、前回書いた手持ちの枚数。いつも印刷会社から700か800部くらいはもらっていて、自分の足で歩いて配っているのだが、今回はどうしたわけか、250部しかもらえなかった。
 二つ目が、渡した原稿と違うところがあること。USBメモリーで渡して、印刷会社のパソコンに写してもらって、一枚印刷したものをその場で校正して、校正の終わったものを再度印刷してもらって、最終確認をしている。その最終確認の試し刷りでは、ちゃんと小見出しが太字になっているのに、配布されたミニコミ誌では、太字になっていない。ということは、私が帰ってから原稿のファイルをいじっていると言うことになる。
 この次は、道を歩いていると、石が飛んでくるかも知れない。それとも湯河原のことだから、犬の糞を踏んづけるか。暴走車・改造車・騒音車に轢かれるか。

 21.01.10 今年は本当に景気が最悪になるのか

 ネットのニュースをあれこれ見ていると、今年は経済が国内でも国外でも、凄く悪くなるという予測がある。これは本当なのかどうか、どうも実感が湧かない。議会でも、湯河原の経済をどうするかとか、税収の大幅減をどう予想するかとか、歳出の削減はどうするのかとか、さっぱり見えてきていない。本気になって観光立町を考えているとも思えない。
 町内を歩いていても、あっちこっちで家を建てているのが見られる。新築の家が空き家になっている訳でもなさそうだし、ホテルも工事中だし。野外生活者が増えたようにも思えない。改造車は目立っても、修理しないで走っている車がたくさん見られる訳でもない。アイドリングストップなど関係ない車両も多い。古本屋に持ち込んでも、日焼けしたものは売り物にならないと拒否されるし。シケモクを拾っている人が見られる訳でもない。
 国家レベルでも、為替も株も大した動きがない。却ってガソリンは値下がりしているくらいだ。国地方が抱える借金についても、これといって切迫感がないように感じられる。定額給付くらいで騒いでいるが、あれで日本経済がどうにかなるとも思えない。日比谷公園のテント村についても、何となくセレモニーの感じがする。リニア新幹線を作らなければならないほど、既存の新幹線が混んでいると言うし。
 本当に経済が悪いのであろうか。特に悪いのは、一部の金融資産をたくさんもっている人たちだけでは無かろうか。一般の人は、せいぜい携帯の通話時間を節約するくらいなのでは無かろうか。
 湯河原の議会や町長が本気になれば、経済が悪いという話も、真実みが持てるだろう。

 21.01.09 バス停の設置
 ミニコミ誌を配りに行こうと思って、吉浜経由の真鶴行きバスに乗ったのだが、目指す場所付近にバス停がないのに驚いた。長窪から立体交差の間にあるだろうと安易に乗ったのがいけなかった。長窪の先は、JRのガードを二度くぐって、国道の福浦入り口までバス停がないのだ。
 手前は、舟付け、船岡、長窪と連続して短距離にバス停があるのに、その先は、切り通しから立体交差手前あたりでは、バスは降りれないのだ。しかも天保山経由の方には、川堀というバス停があるのにである。他の路線と同様にして、川堀のバス停が同じような位置にあるとばかり思っていたのだが、バス会社の感覚は違うようだ。
 お陰で、福浦入り口から川堀まで歩いて戻ることになった。こんな事なら、20分待ってコミュニティバスに乗れば良かった。お金も30円だか40円だか安くて済むし。
 バス会社の経営者の方、切り通しか川堀のあたりにバス停を設ける気はありませんか?

 21.01.08 二本目 10日土曜日にミニコミ誌1月号が
 真鶴配布地区は9日金曜日の夕刊、湯河原配布地区は10日朝刊に入ります。いつもは800部くらい自分で歩いてい配布していますが、今回は印刷会社から250部しかもらえなかったので、二日間配布して品切れになりました。体は楽ですが、人と会う機会が減ってしまうのが残念です。
 21.01.08 職員処分
 今回の職員の処分見ていると、「湯河原町役場はもう終わりだな」という感慨がしてくる。
 マスコミが宛にならないのはいつものことで、今更あれこれ言ってもしょうがないのだが、こういう処分が出るようでは、町役場の職員はうんざりしてしまうのでは無かろうか。勿論人によって立場が違うので、一部の人にとっては、「これからもせっせと忠勤に励もう」ということになるのであろうが。
 そもそも官僚制度というものは、国王や政治家の如何に関わらず、公正で中立の仕事をするという建前があるのだが、これでは湯河原では官僚は育たないだろう。尻尾を振るのがお上手な忠臣ばかりが育つだろう。
 役場職員だけではなく、処分者の顔ぶれを見ていると、一般町民もうんざりしてくるのでは無かろうか。私には確認のしようがないのだが、ウワサでは重要人物の血縁者がいるという話なのだが。
 なお、不品行の職員の処分については、ナカムラ小隊長は肝を冷やしたのでは無かろうか。同時に、処分を免れるなんてチョロイモンだと思ったであろうか。
 議事録で公開と回答(懲戒処分に関する資料)
◯委員長【北村礒江君】 中島委員。

◯2番【中島 寛君】 読売新聞の記者に情報公開したところの、警告した文書というのはいただけるんでしょうか。

◯委員長【北村礒江君】 露木総務部長。

◯総務部長【露木高信君】 いつでもどうぞ。

◯委員長【北村礒江君】 中島委員。

◯2番【中島 寛君】 委員会に配布ということではなくて、私が取りにいくということでよろしいですか。

◯委員長【北村礒江君】 露木総務部長。

◯総務部長【露木高信君】 同じように情報公開請求していただければ、資料は情報公開いたします。

この後に私と冨田町長のやりとりがあったのだが、議事録では削除されている。私が「資料をもらうと、個人が特定できるのだが」と質問したところ、冨田町長は、「本人には家族もいることなので、そっとしておいて欲しい」と回答している。

 21.01.07 議会基本条例の欠陥が欠陥でない議員とは
 湯河原町の議会基本条例には、大きな欠陥があると、常々主張している。だがこのことが議会で問題にならないのはなぜかというと、それなりの理由があるのだ。多くの議員にとっては、この欠陥は欠陥ではないのだ。
 欠陥が欠陥でない人とは、第一に、情報収集を熱心にやっていない議員である。説明するまでもなく、幾ら条例に欠陥があっても、その規定を利用しない人、つまり情報収集を熱心にやらない議員にとっては、欠陥は欠陥ではないのだ。
 第二に、たとえ条例に欠陥があっても、条例に関係なく職員から便宜を図ってもらえる議員である。つまり、条例なんかあってもなくても、いつでも一声掛ければ資料をもらえる議員にとっては、条例なんか無くても良いのだ、ということになる。
 湯河原ちゃんねるにおける議員の評価と同じで、黙っていると(議員として情報収集しないでいると)、議員として良い評価をもらうということだ。それとも、湯河原ちゃんねるの住人は、電話一つで何でも手に入る議員の仲間なのだろうか。
 それにしても、条例の欠陥に関係なく情報が手にはいると言うことは、本来議会制度に反する慣例だと思うのだが、湯河原ではそうは思われていないようだ。
 21.01.06 二本目 賀詞交換会と情報公開(職員処分)
 賀詞交換会
 今日は賀詞交換会ですが、私は不参加です。何しろ、去年の海開きの件で、「ただ食いしている」といわれましたから、こういう類の席には参加しないことにしています。他の議員が、「ただ酒、タダ飯」をもらっても何も言わない湯河原の人たちが、N島がおでんを食べただけで、「あいつはタダ飯を食らっている」とネット上で全国に向かって公言するのですから。
 あの時、熱い炎天下だったので、行事終了の後、冷たいお茶だけもらって帰ろうとしたら、同僚議員が気を利かして、皿に盛ってしまったので、そのまま置いたら捨てられてしまって、もったいないと思って、無理して食べたのですが、それをもって、「あいつはタダ飯を食らっている」と言われたのでは叶いません。湯河原はそういうせせこましいところ、嫌みっぽいところだと言うことが分かってきたので、一切不参加としています。何しろ他の議員は何も言われないので、湯河原と言うところは嫌みなところです。
 そんな事情があって、賀詞交換は不参加です。関係各位のみんなさん、失礼申し上げます。
 情報公開
 1月1日付で職員の処分が公表されました。それで決定文書を公開請求しておきました。今年の仕事始めですね。確か2年近く前ですが、仕事をしないで異動した職員がいて、文書注意となって、新聞にも載った事例がありました。
 その時、委員会で実名が報告されなかったので、町長に「情報公開請求したら実名が明らかになるのか」と質問したところ、「明らかになる」という主旨の回答があったと記憶するので、今回は実名を求めて公開請求を出してきました。早速2年前の議事録を確認しないといけませんね。

 21.01.06 第二回公判は1月27日10時半
 第1回公判が10月8日で、第二回が今月の27日10時半となっています。私の考えでは、第二回で少し先が見えるのではないでしょうか。いずれにしろ、早く結論が出ないものでしょうか。係争中であると、何かと落ち着かなくていけません。
 なお。、被告側の弁護士がここを見ていて、法廷で使っていると言うことなので、詳細は書かないことにします。それにしても、くだらない法廷技術を使う弁護士ですね。私が町長だったら、顧問契約を破棄するところですが。

 21.01.05 暴走車・改造車・騒音車
 湯河原には、暴走車・改造車・騒音車について、擁護論があるのが不思議だ。ネットによって全国全世界に向かって、暴走車・改造車・騒音車の擁護論を堂々と展開しているのである。その度胸というか感覚には恐れ入る。まさに「子供が万引きしてどこが悪い」である。
 いわく
 「そんなにうるさいか?」とか、
 「よその町でもあるじゃないか」とか、
 「マフラーのアフターパーツに交換して何が悪い」
 といったところであろうか。
この擁護論をN島に当てはめてみると、どうなるだろうか。
 「ブログでもミニコミ誌でも議会発言でも、そんなにうるさいか?」とか、
 「あのくらいのうるさいのは、よその町にもいるじゃないか」とか、
 「誤字脱字くらいあっても何が悪い」とか
 といったところであろうか。
純正部品ではないアフターマーケットの部品については、規則が改正されて、保安基準を満たさなければならなくなったそうだ。これからは、まさか法律違反を堂々と正当化するのだろうか。
 そもそもノーヘルでもナンバープレート折り曲げでも爆音でも信号無視でもナンバーを読めなくするようなカバーでも運転席のスモ−クでも、堂々と通用するのが湯河原と言うところなのだろう。それゆえ、そろそろこのテーマは、取り上げても無駄だという境地であろうか。なお、ナンバーのカバーは、その内逃走車両が増えれば、放っておいても警察が取り締まるだろう。 

 21.01.04 住民訴訟に見る湯河原人の感覚
 今回の住民訴訟を簡単に説明すると、こうなっている。
被告:町長は、「湯河原町は4億3800万円は要らない、もらわない」と決定している。
原告:中島は、「湯河原町が4億3800万円を放棄したのはおかしい」と主張している。
 さて、この原告と被告の主張を見比べて、なぜ湯河原の人たちは原告を応援しないのだろうか。なにゆえ4億3800万円を不要とする冨田町長を支持するのだろうか。これがどうしても私には理解できない。
 冨田町長の支援者などは別である。なぜならば、たとえ湯河原町に4億3800万円が入らなくても、支援者には、冨田町長を支持していれば、それなりの利益があるからである。つまり冨田町長を支援することによって得られる利益の方が、湯河原町に4億3800万円が入る利益よりも大きいという判断だろう。
 だが支援者以外の一般の町民はどうなのだろうか。
1.4億3800万円はもらわなくて当然だ、という判断なのか。
2.たとえ湯河原町にお金が入らなくても、N島にエッカッコシーをやらせたくはない、という判断なのか。
3.それとも、どうせ裁判で勝てはしないのだから、迂闊に支援しない方が安全だ、という判断なのか。
4.さもなくば、支援なんかしなくてもN島は自分一人で戦うだろう、一人でやらせておいて、うまくして勝訴すれば、
  もっけの幸いではないか、たとえ敗訴しても、自分たちが損する訳でもないし、ここは傍観が一番だ、という判断なのだろうか。
 それにしても、湯河原と言うところはよく分からないところだ。

 21.01.03 政策体系の売り上げに見る湯河原人の感覚
 裁判費用のカンパの代わりに自費出版を買って欲しいとお願いしている。駅前の文昭堂に頼んで店頭に置いてもらっているのだが、年末での販売数が、政策体系が10冊、小説が4冊であった。これで所得税の申告をしておこう。
 裁判費用のカンパ代わりとしてお願いしているのだが、これで私が勝訴すれば、湯河原に4億3800万円という金が入ることになり、私が敗訴すれば、金は入らないことになる。だが、たとえ勝っても、決して私の懐にお金が入る訳ではない。逆に、裁判所の印紙代から弁護士費用から、1回5千円の交通費も含めて、全て私の自腹と言うことになる。つまり、個人的負担で湯河原町に4億3800万円を儲けさせたと言うことになる。
 それでお願いした湯河原人からのカンパがこの金額では、湯河原人の自治意識がこんなものだと言うことだ。逆に、自費出版を捉えて、「立場を使って金儲けをしている」というのが、湯河原の人の平均的感覚と言うことか。
 仮に、私が地裁で勝ったとしても、これでは資金面で高裁・最高裁まで維持するのは難しいだろう。つまり冨田町長は、たとえ地裁で負けても、町民の税金で裁判費用を払って、高裁・最高裁に持ち込めば、私の方が資金不足で裁判を続けられなくなるので、冨田町長は勝てると言うことだ。これが湯河原町民が望んでいる結末なのかも知れない。

 21.01.02 麻生総理大臣並み
 漢字が読めないとあしざまに言われる麻生総理だが、マスコミ自身の報道によると、世論調査の結果、こういう報道は79%が揚げ足取りと評価されているそうだ。さらに、麻生さんの話題を契機として、漢字読み方の本が売れているという。では、湯河原ではどうだろうか。事この点に関する限り(揚げ足取りという点に関する限り)、湯河原も国政並みということができるだろう。
 湯河原ちゃんねるを見てみればよく分かる。今までの投書でも同様である。例えば、こんな投書はどうだろうか。投書の例 こういう言いがかりに反論するのは簡単である。その人に書かせてみればよいのである。どれだけの文字量が書けるのか、どれだけ内容のあるものが書けるのか、そのレベルは、テーマは、・・・・その上で、誤字脱字表現の不備を採点することにしよう。
 事実、この投書の例でも、文章になっていなくて、単語の羅列しか書けていないではないか。しかも、具体的にどの部分が語彙不足なのか、稚拙な文体なのか、陳腐な提案なのか、曖昧な主旨なのか、指摘していないではないか。いないのではなく、できないのである。やれるというのなら、やってみよ。文書に印刷して、湯河原じゅうに配ってみよ。
 かの四人の会派が1年前に配った「マニフェスト」でさえ、第二号を出すと言いながら、どうなったというのであろうか。まして他の議員はどうなったのだろうか。まさか赤旗の号外や公明新聞をもって、議員個人の広報活動というのであろうか。
 最後によく分からないのが、上記の世論調査にある79%という数値が、湯河原ではどうなのかということである。湯河原では、79%が揚げ足取りと評価している沈黙の大衆であろうか。もっと低いのでは無かろうか。

 21.01.01 湯河原って、どんなとこ?、湯河原って、こんなとこ

 
ネットの掲示板からのコピー

そればかりじゃないな
自己PRにあった娘の事について当初は妻に責任があったと書いていた
ところがいつの間にか夫婦の責任と書き直されている
家族の事で一方的に自分は悪くない、悪いのは妻だと言い切れたのは何だったのか
そこまでネット(世界に)で主張した理由があるならしっかりポリシー持てよ
所詮、すべてを思いつきで行動するタチなんだろな


 さて、さて、この話題で(娘の自殺という話題)インターネット上で公言する人がいるとは思わなかったが、さすがは匿名悪口社会湯河原である。
 それでは湯河原の皆さんに聞いてみたい。夫婦間の問題って、そんなに簡単に割り切れる物であろうか。ああでもない、こうでもないと、その時その時であれこれ考える物では無かろうか。これは親子の間でも同じではないのか。愛したり、恨んだり、喧嘩したり、仲直りしたり、相手が悪いと思っていても、言い過ぎたと思って考え直したり、時間が経ったら別の考えが浮かんだり、自省の心が生まれたり・・・・・・そんな具合に揺れ動くのが家族・夫婦なのでは無かろうか。
 それが理解できずに、「ポリシーがない」とネットによって多くの人に向かって公言する、これって、単に人間の未熟さを表しているのでは無かろうか。これが湯河原の平均的意識レベルだとは思わないが。
 というより、本来的に人間そのものが、あれこれと考えが変わる・成長するものなのに、この書いた人自身は、一度言ったことは一生の間絶対に変更しない人なのだろうか。だとしたら、その人はただの石頭で、中学卒業以来何にも頭脳が進歩していない人間と言うことになるだろう。

 動機は、単に「あのやろう、気にくわない、生意気だ」であろうが、その気持ちが学歴やら職歴やら誤字脱字に留まっている内はまだ健康的である。「いい大学出ているからって、お高くとまりやがって」とか、「よそ者のくせに自分の意見を言うなんて、生意気だ」とか、町長が議会本会議で間違って答弁して訂正していることには知らん顔しておきながら、「あいつはいい大学いい職歴を持っているくせに、誤字脱字ばかりしている」とか、自分じゃ匿名でないと何も発言できないくせに、「発言は正確に」とか、「非常に恥ずかしい」とか、その程度であれば、よくある悪口である。

 だが、上記の話題を持ち出して、非難してくるとは、まさに非人間的だといわざるを得ない。さらに、非難の内容が、娘の自殺に関して夫婦のどちらに責任があるのかということにまで及んでいる。ここまで来ると、湯河原の人たちの人間性を疑わざるを得ない。書いたのは一人だが、はやし立てたのは複数であるし、黙認したのも多数である。

 しかもこの人一人ではないのである。湯河原に引っ越してくる前は、ネットの世界であれ実世界であれ、この件で攻撃してくる人物はいなかったのだが、湯河原には引っ越してからわずかの間に、連続して3人もいたのだ。一人目がこの書き込みの人物、二人目が近所の若いストーカーで、「娘の死まで取り上げるのはひどいではないか」という私のメールに対して、「そんなことで動揺するのか、よくそれで選挙に出られたな」と嫌みを言ってきた。三人目が、メールで送信者名が「山根」となっていて、一見お悔やみを言っているようでいて、嫌み・嫌がらせ・攻撃をしてきた人物である。

 そうか、湯河原って、そんなところだったのか。まさに湯河原方式である。湯河原と言うところは恐ろしいところだ。観光客が減るのも無理はない。