金光翔氏のブログ「私にも話させて」の新しいエントリー
「戦後社会」批判から「戦後社会」肯定へ――2005・2006年以降のリベラル・左派の変動・再編について
http://watashinim.exblog.jp/8374179/
これはとにかく素晴らしい。
「<佐藤優現象>批判」は、「佐藤優現象」に着目し、リベラル・左派が「国益」を前提にした国家主義的立場へ変質していることを解き明かした。
今回はさらに<佐藤優現象>に乗るジャーナリストの言説の変移からリベラル・左派の変質には、「戦後社会の肯定」があり、リベラル・左派が「戦後社会」を批判する立場から「戦後社会」を肯定する立場に軸足を移したと重大な指摘をしている。それによって、リベラル・左派は、右派、保守派と共通の土台に立つことが可能になり、同時に対外的には、大日本帝国の加害責任、歴史問題に対して隣国などの批判を「反日ナショナリズム」と斬り捨てる側にまわる。護憲の本質は改憲へとすりかえることになった。
日本の政治思想の現状と問題を見事な洞察で浮き彫りにし、鋭く批判している。相変わらず見事です。
リベラル・左派論者に「私は、日本の国益を考えて言っているのだ」、とか「私こそ愛国者です」とまるで国家主義であることが全ての前提であると右派に了解を求めているような、気持ちの悪い発言をするものが多い(ほとんどか?)。右翼と外交問題や歴史問題、憲法問題で論戦するのに「国益」だの「日本人の立場」を前提として、まともな主張ができるわけがない。現在の平和憲法を護る立場とするならナショナリズムを超えたところでしか主張できない。外交問題、歴史問題についても同じだ。このブログのタイトルが「アンチナショナリズム宣言」としたのも、そういう意味でつけた。
週刊金曜日の佐高氏の文を引用するのに、私のブログ記事を紹介されているが、自分で読んでみて、思いつくままに書いた文は、金氏が注目し指摘した内容に当然思いもつかないどころか、引用した文もろくに読まないで早のみこみしていることに気がついた。なんとも恥ずかしい気持ちで一杯だ。
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