その37 トクホン真闘ジム 沼田康司選手


PHOTO BY 山口裕朗



 3歳〜18歳まで孤児院で育った。「母親の顔は知らない。父や兄ともずっと会っていない・・・」
ジムの会長、孤児院でお世話になった先生、ボクシングを始めるきっかけを与えてくれた高校の先生、前向きに生きることを教えてくれた勤務先の社長―。「今は皆への恩返しの為にボクシングをやっています」そう言って、若者は曇りのない表情で微笑んだ。

 今月は、F赤羽ジムの村中優選手の紹介で、トクホン真闘ジムのウェルター級新鋭・沼田康司選手を訪ねた。
沼田選手、村中選手、そしてその前月の“戦士”F赤羽ジムの清田祐三選手(日本ミドル級ランカー)の3人はご近所同士。近くの銭湯へ一緒に通う“裸のお付き合い”をしているそうだ。
 
沼田選手は、1984年5月に東京都台東区で産声を上げた。2002年10月、高校在学中にデビューを果たし、昨年度のB級トーナメント決勝戦で、小野寺洋介山(オサム)に判定負けを喫してしまった。連勝はストップさせられてしまったものの、9戦7勝(4KO)1敗1分という好成績を残している、トクホン真闘ジムのホープだ。



 物心がつく前に両親が別れてしまい、長男、長女、そして沼田クンの3兄弟は、父親に引き取られて育った。ところが、沼田クンが3歳の時、4つ年上のお姉さんと共に杉並区の孤児院へ預けられ、以来ずっとそこで生活することになる。一番上のお兄さんだけは、お父さんのところに残された。
「小学生の間は、親父も時々会いに来ましたが、それ以降はほとんど会ってないですね」と、淡々と話す姿からは、“強さ”なのか、“諦め”なのか、あまり“影”のようなものは感じられなかった。
 孤児院では、1歳から18歳までの孤児達が50人余り生活している。「友達や先生達は、しょっちゅう入れ替わってました」と言うように、出入りも多かったらしいが、沼田クンは3歳から18歳までの15年間をこの施設で過ごした。
ここでは、先生に対するイジメがひどかったらしい。特に新任の先生に対する“お兄ちゃん”達のイジメは見ていて怖かったほどだという。以前に、孤児院での「孤児に対する職員の虐待」について話を聞いたことがあったが、どうやらここは逆だったようだ。



そんな中で、沼田クンの思い出に残る先生もいた。小学3年生の頃、時々プロレスなどの格闘技のビデオを見せてくれた先生がいた。いつも、いろいろと面倒をみてくれた。このことがきっかけで、沼田クンは格闘技に興味を抱くようになったのだ。
もともとサッカー少年だった沼田クン。高校は、サッカーのスポーツ推薦で入学したが、本人は団体競技ではなく、個人競技に強い関心を持っていた。
とはいえ、推薦入学した以上、当然のことながらサッカー部に所属していなくてはならない。辞めたら退学である。おまけにその孤児院では、どういうわけか団体競技以外のスポーツクラブに入ることは認められていなかった。
途方に暮れていた沼田クンに助け舟を出してくれたのは、高校レスリング部の七尾という先生だった。「体が締まっていて動きが俊敏だ。お前はボクシング向きだ」と、レスリング部の先生でありながら、沼田クンのボクシングの才能を見抜いて手を差し伸べてくれたのである。
七尾先生は、その高校にボクシング部が無かった為、沼田クンにトクホン真闘ジムを紹介してくれた。サッカー部を辞めても退学にならないよう、また個人競技のスポーツ団体に入会出来る様、学校や孤児院で諸々の手配をしてくれた。
「本当にボクの大恩人です」その後も、様々なことで面倒をみていただいたという七尾先生に対しての、沼田クンの感謝の気持ちの大きさが伝わってきた。



高校を卒業すると同時に、長年生活した孤児院も卒業となり、沼田クンはひとり暮らしを始めて造園業の会社に就職した。就職に際しても、七尾先生のお世話になった。
「朝9時集合だから、ロードワークもガンガン出来るんです」1日中、穴掘りや丸太運びをするという過酷な重労働に対しても、「体幹を鍛えるのに最適です」と、素晴らしいプラス思考を披露してくれた。
通常、ハードなロードワークとジムワークをこなすボクサー達にとって、コンディション管理の面から、過酷な肉体労働は必ずしもベストな仕事とは言えない・・・と思う。「鍛えるのに最適です」と、サラッと言ってのける人間はなかなかいない。
「ボクは、もともとそんなに前向きな人間じゃなかったんですけど、『どこかで楽しさを見つけないとダメだ。前向きに考えろ』って、社長に教わったんです」と、プラス思考を身につけてしまったのだ。

日曜の休みには、サッカーのクラブチームで試合を楽しむ。「体力もつくし、リフレッシュにもなるんです」毎日のロードワークも、時には「サッカーの為」と、気分を変える工夫をしている。
そもそも、沼田クンにとって“走ること”は楽しみのひとつなのだ。実際、彼の趣味は「走り込み」である。「走り込みに関するエピソードなら誰にも負けませんよ!」と、息巻いていた。
「今日はいい走りが出来た」と感じることが、生活の中の喜びのひとつなのだそうだ。通常、ボクサーは試合1週間位前から、徐々にロードワークの量を調整してコンディションを作っていくのだが、「筋肉が張っていると気持がいい」と、試合前のロードワークも、決して量を減らしたりはしない。「これがリズムだから」と、試合当日の朝までロードワークのメニューは変わらない。
とにかく朝は自然に目が覚めるのだという。世界中どこでも、「朝は苦手」というボクサーが多い中、珍しい存在である。
「ジムワークはサボっても、ロードワークは絶対サボらないです!」そう自慢げに話した後、少しバツが悪そうにしていたところが妙に可愛かった。ジムワークもサボっちゃいけない・・・。

沼田クンは、大リーガーの松井秀樹を尊敬している。「一流なのに謙虚なところがカッコいい」という。好きなボクサーも、地味で実力がある選手。「ジェームス・トニーなんか大好きですね。ボディワークで相手のパンチを殺して、ジワジワと10ラウンドでKO勝ち―みたいな感じが好きなんです」
「最近のK‐1とかに出てる、格闘家もどきの俳優なんかはぶっ飛ばしてやりたいですね」と、「地味で実力がある選手」とは対極のモノに対しては手厳しい。
自身の目標は、「世界中のどんな人にも知られるような一流選手になり、お金を気にしないでゴハンが食べられるようになること」だそうだ。勿論、謙虚な心は忘れないで・・・。

トクホン真闘ジムの佐々木会長は、「選手のことを第一に考える優しい人」。2年半前に大ケガで入院する以前は“鬼教官”と呼ばれた厳しい人だったが、「選手の将来も考えてくれる温かい人」だと言う。
孤児院で熱心に沼田クンの面倒を見てくれた先生には、格闘技に目覚めるきっかけを与えてもらい、その後もずっといろいろなことでお世話になってきた。
高校時代の七尾先生は、在学中にトクホン真闘ジムに通えるよう尽力してくれ、卒業後は造園会社への就職を面倒見てくれた。
造園会社の社長は、厳しい仕事を通じて「前向きに考えること」を教えてくれた。
「言葉では言い尽せない沢山の“恩”を受けてきた」という沼田クン。「今は皆への恩返しの為にボクシングをやっています」そう言って、曇りのない表情で微笑んだ。
本人でない以上、想像の域を超えることは出来ないが、彼の心は、普通の家庭で育った人間以上に温かいモノで満たされているのではないだろうか。表情に“影”を感じなかったのは、彼がそれを受け止める力を持っているから・・・そんな気がした。




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●新田 渉世 (にった しょうせい)
1967年生まれ。92年横浜国立大学卒業。96年東洋大平洋バンタム級タイトル獲得。97年引退。98年米国サンフランシスコへ移住し、『ワールドボクシング』誌にて「ショーセイのアメリカボクシングライフ」連載開始。99年『Talk is cheap』にて「戦士と語る」連載開始、同年ケンウッド入社。03年2月神奈川県川崎市に新田ボクシングジムをオープン、同年ワールドボクシングwebサイト上にて「新米ジム会長奮戦記」連載開始。04年東日本プロボクシング協会書記担当理事に就任。

新田ボクシングジムHP
http://www.nittagym.com/

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