[トップページ] [平成13年一覧][地球史探訪][210.68 日韓併合][221 韓国]
-----Japan On the Globe(201) 国際派日本人養成講座---------- _/_/ _/ 地球史探訪: 韓国の歴史教科書拝見 _/_/ _/ _/_/_/ 「朝鮮は中国の属国ではなかった」とする韓国 _/ _/_/ の歴史教科書にもの申す。 -----H13.08.05----34,878 Copies----293,039 Homepage View---- ===============★★★ 緊急ニュース ★★★============= 朝日新聞が、web上で首相の靖国神社参拝に関するアンケ ートをしています。8月4日午後3時時点の結果は以下の通り。 参拝すべきだ 30161 票 72 % 参拝すべきでない 9903 票 23 % 私的な参拝なら問題ない 1295 票 3 % わからない 273 票 0 % 朝日新聞に国民の声を届けましょう。 -------------------------------------------------------- ■1.韓国による歴史教科書修正要求は内政干渉か?■ 「朝鮮を中国の『服属国』として表現したものは削除必 要」 韓国はこのような修正要求を35項目、文部科学省の検定を 終えたわが国の中学歴史教科書に対して、本年5月7日に突き つけてきた。これは扶桑社の「新しい歴史教科書」だけでなく、 他の7社のすべてを含んでいる。ついで、中国も5月16日に 「新しい歴史教科書」に8項目の修正要求を行った。 これに対して日本の世論は「不当な内政干渉」だ、という声 が圧倒的であった。5月25日にテレビ朝日で放映された「朝 まで生テレビ」の視聴者からの電話アンケートでは、有効回答 数598件中、「明らかな内政干渉である」とする回答(28 6件)が、「要求されて当然だ」とする回答(117件)の2 倍以上であった。 検定途中に扶桑社版の不合格工作を元・外交官が行ったり、 田中外相が「事実をねじ曲げていることを承知の上でつくった 教科書を合格とするような検定制度は問題だ」と発言したりと、 あいかわらず国籍不明の外務省は別にして、文部科学省、およ び、首相官邸の対応はおおむね毅然としたものであった。 遠山敦子・文部科学相は、韓国の修正要求の翌日、「検定制 度上、明白な誤りがない以上、合格後に修正を行うことはでき ない」と述べ、小泉首相も森前首相以来の干渉拒否の姿勢を支 持した。 ■2.民対民で国際ディベートを■ 事実上のゼロ回答に、韓国政府は次々の報復措置を打ち出し た。来年のサッカー・ワールドカップまでに行う予定であった 日本の歌謡曲のCD販売や娯楽番組のテレビ放映の規制解除の 中断(これは陰で韓国の国内産業の保護という見方もあるが)、 小、中、高等学校の相互訪問中止、8月末に南アフリカで開か れる世界人種差別撤廃会議での問題提起、等々。 日本政府はこれらについては静観しているが、民間では韓国 内の反日感情の高まりを危惧して、日本からの観光客が7月に は急減したという。さすがに韓国でも「学生交流までやめさせ る必要はあるのか」との冷静な声も出てきた。 韓国政府が日本の民間が書いた歴史教科書を修正させろと日 本政府に要求することは、内政干渉であり、かつ言論の自由を 侵すものとして拒否したのは正しい態度であるが、韓国側の要 求内容が妥当なものかどうかを批判するのは、わが国の民間の 役割だろう。 日韓の民間同志で、相互の歴史観をぶつけあうことは、許さ れることでもあるし、また意味があると考える。これは一種の 国際ディベートとして、相互の歴史観を鍛える機会ともなろう。 ■3.朝鮮は服属国であったか?■ 本号では、その練習として、「韓国は中国の服属国であった か」という点に絞って、韓国側の修正要求と歴史教科書記述に 対して、本講座なりの考察を加えてみたい。この点をどう見る かで、明治期の日韓関係の見方が大きく変わってしまうからで ある。 韓国の修正要求は、東京書籍、教育出版、帝国書院、日本文 教出版の「征韓論」の部分で、 中国の属国として位置づけられていた朝鮮は、・・・日 本との国交を断った。 とある表現に対して、「当時の朝貢関係につき説明せずに、朝 鮮を中国の属国として表現している」という検討意見をつけて いる。 扶桑社版にも同様に、「中国の服属国であった朝鮮も」とい う表現に対して、「朝鮮を中国の『服属国』として表現したも のは削除必要」とクレームをつけた。扶桑社側は、これを「強 い影響下にあった」と自主修正した。 ■4.国号を決めてもらうのが「親善関係」?■ 韓国側は教科書でも朝鮮が中国に対して服属国であったこと を絶対に認めない。まず李氏朝鮮の成立にあたって、 新王朝は、国号を朝鮮と定めた。「朝鮮」は、すなわち 古朝鮮の伝統を受け継ぐという意味で、壇君(JOG注:朝 鮮の開国神話で、天命によって降臨した、古朝鮮の開祖) に民族の独自性を求めるという意味が含まれている。 と述べるが、国号を朝鮮自身で定めたというのは、歴史事実 ではない。「朝鮮王朝実録」によれば、太祖・李成桂は使いを 明に送って、国号として「朝鮮」と「和寧」という二つのうち のどちらかを採択することを請い、「朝鮮」を選んでもらった。 中国皇帝が地方の諸侯に封禄・爵位を授ける事を「册封」と 言うが、転じて、周辺諸国の君主に官号・爵位などを与えて、 擬似的な君臣関係を結ぶシステムを「册封体制」(または華夷 秩序、中華秩序)と呼ぶ。朝鮮王も、中国皇帝の柵封を受けて、 初めて朝鮮の国王として認められた。だから、国号でさえ自分 では決められないのである。 朝鮮王朝は、外は明と親善関係を維持して国家の安定を はかり、女真や日本に対しては交隣政策をとって国際的な 平和を維持した。 国号まで決めて貰う宗主国との関係を対等であるかのような 「親善関係」と記述するのは、相当に無理がある。 明との外交は朝鮮側がより積極的であった。朝鮮は朝貢 を通じて明の名分を立ててやり、使臣の往来を通して経済 的・文化的実利を得た。しかし後にはいきすぎた親明政策 に流れる傾向があらわれた。 宗主国に対して定期的に貢ぎ物を送る「朝貢」も、柵封体制 の特徴の一つである。これを「明の名分を立ててやり」とは、 中国が読んだら、怒って修正要求を出すのではないか? ■5.清国への「君臣の礼」■ 明との主従関係は、女真族から起こった清朝にも引き継がれ た。 後金は勢力を強め、国の名称を清とかえ、朝鮮王朝に対 しては君臣の礼を要求して再び侵入し、漢陽を占領した。 そのため仁祖は臣下とともに南漢山城に移り、45日間 抗戦したが、ついに清の要求を受け入れて講和を結んだ。 この戦争を丙子胡乱という(1636)。 「講和」の結果、清は王子一族をはじめ、3公6卿とその家 族数百人を人質にし、民衆50万人を北方に連行した。その後 1636年から1881年までの244年間に、朝鮮から清へ の朝貢使は500回以上に及んだ。また清の勅使を迎えるたび に、朝鮮国王は漢城郊外の迎恩門に至り、土下座して恭しく勅 使を迎えた後、慕華館で勅使の接待をすることを余儀なくされ ていた。「君臣の礼」とは、このように過酷なものであった。 ■6.日本からの無礼・傲慢な国書■ 1868(明治元)年、12月19日、日本の新政府の樹立を通告 する国書を携えた使節が釜山浦にやってきた。しかし国王高宗 の父・大院君が実権を握る李朝政府は国書の受取りを拒否した。 その第一の理由として挙げられていたのが、日本からの国書 に「皇上」「奉勅」の文字が使われていたことであった。朝鮮 から見れば、「皇」は中国皇帝にのみ許される称号であり、 「勅」は中国皇帝の詔勅を意味した。朝鮮王は中国皇帝の臣下 であり、このような傲慢かつ無礼な国書を受け取ることはでき ない、というのが、朝鮮の考えであった。 そのような国書を勝手に受け取ったら、宗主国・清国からど のような懲罰が下るかもしれぬ、という恐怖感もあったであろ う。日本の新政府は、その後もたびたび使節を送って交渉を続 けたが、朝鮮側の受け取り拒否は変わらなかった。この時の事 情を、韓国教科書は次のように記述する。 日本は明治維新以降、新しい国家体制を築き、勢力を広 げようと交渉を要請してきたが、朝鮮政府はこれを拒否し た。これは、日本と修交すれば、西洋の侵略が後に続くと 見なしたためであった。 国書を拒否した第一の理由は伏せられたままである。 ■7.「朝鮮国は自主の邦にして日本と平等の権を保有せり」■ ひたひたとアジアに押し寄せてくる欧米勢力から、国家の独 立を守るには、内に近代的な国民国家を作り上げ、外に開国し て早急に近代的経済力・軍事力を身につける必要がある。そう した危機感をもとに維新を敢行した明治日本の指導者から見れ ば、古代からの柵封体制から一歩も出ない李朝朝鮮の姿勢は、 火事が迫っているのにも気がつかずに惰眠を貪る老人のように 見えたであろう。 業を煮やした明治政府は、軍艦を派遣して、李朝政府を威圧 し、日朝修好条約(江華島条約)を結ばせた。条文の第一条は 「朝鮮国は自主の邦にして日本と平等の権を保有せり」と始ま り、朝鮮を清国の柵封体制から独立させようという意図は明白 であった。このあたりを韓国の歴史教科書はこう記述する。 江華島条約は、わが国最初の近代的条約であったが、治 外法権の認定など朝鮮に不利な条約であった。これをきっ かけにして釜山、元山、仁川の3港を開港し、日本はソウ ルに公使館を設置し、朝鮮に大きく勢力を浸透させはじめ た。 たしかに日本の手口はペリーと同じ砲艦外交であり、西郷隆 盛が「天理に於いて恥ずべき所為」と憤ったほどであるが、朝 鮮を冒頭で「自主の邦」と宣言した事については、韓国教科書 では何も触れられていない。 ■8.清国軍のソウル制圧と朝鮮属国化■ この条約によって朝鮮は開国し、留学生や使節団をさかんに 日本に送って、近代化への努力を始める。しかしその後、近代 化政策に不満を持つ勢力や、役人の腐敗に不満を抱く民衆によ る暴動が発生する。日本人軍事教官など数名が暴徒に殺害され、 日本公使館も襲われて、公使らは命からがら脱出した。 高宗の皇后閔妃(びんひ)はこれを失脚していた大院君の策 謀として、清国に暴動平定のための派兵を要請した。清国軍は 3千の兵力と、3隻の軍艦で反乱を制圧し、大院君を清国軍艦 で天津に強制連行してしまう。日本側も居留民保護にために、 1500人規模の出兵を行った。 この壬午(じんご)軍乱(1882)の後、清国は対朝鮮干渉を強 化し、ソウルを軍事制圧下に置き、清国朝鮮商民水陸貿易章程 を結んだ。これは朝鮮を清国の属国であると明記し、宗主国と して貿易上の特権を独占することを規定していた。これにより、 朝鮮を「自主独立の邦」とした日朝修好条約は名ばかりのもの になってしまった。 わが国の農民たちは、日本の経済的侵略に強い反感をも つようになり、しだいに日本を排斥する機運が広がってい った。・・・ 壬午軍乱後、朝鮮は清の内政干渉を受けるようになり、 政権についた閔氏勢力は開化政策に消極的になり、近代的 改革をきちんと進められなくなった。 治外法権はあったにせよ、朝鮮を「自主独立の邦」として交 易を求めた日本を「経済的侵略」とし、清国の軍事制圧や貿易 特権の独占を「内政干渉」と言うのは、あまりにバランスを欠 いた記述ではないか。 ■9.日清・日露への道■ この後も、日本の支援を受けて近代化と独立を押し進めよう とする若手官僚を中心とする「開化党」と、清国の軍事力で国 内を抑えようとする閔氏勢力の争いが続く。それが日清戦争に まで発展するのだが、日本の勝利後、清国と結ばれた下関条約 の第一条で、朝鮮を「自主独立の国」と規定した。朝鮮はよう やく清国の柵封体制から独立しえたのである。 清日戦争の結果、下関条約が結ばれた。この条約で日本 は遼東半島と台湾を手に入れた。 と、韓国の歴史教科書は、ここでもこの第一条の意義を伏せ ている。日本がロシア、フランス、ドイツによる三国干渉で、 遼東半島を放棄すると、閔氏勢力は今度はロシアに接近してい く。これがさらに日露戦争の原因となっていくのである。 三国干渉に屈した事実を見れば、日本の当時の国力では、欧 米勢力を向こうに回して、朝鮮の侵略と植民地化などという大 それた野望は持つべくもなかった事は明白である。日清、日露 と日本が自国の存亡を賭けて中露二大国と戦ってきた目的は、 ひとえに自存自衛の為に、隣国朝鮮を「自主独立の国」として、 清国やロシアの属国化を防ぐことにあった。もし、本当に朝鮮 が自主独立の国であったとすれば、わが国は日清戦争も日露戦 争も戦う事なく、もっと安全で幸福な道を歩めたであろう。 韓国が、清国との貿易章程で「属国」と規定した事実までも 隠蔽して「朝鮮を中国の『服属国』として表現したものは削除 必要」と要求するのは勝手である。しかし、それは我らが父祖 が、朝鮮の独立保全のために必死に戦った意義を無視し、逆に、 その努力を朝鮮侵略と曲解することにつながる。日本人の歴史 観としては到底、受け入れられない要求である。 (文責:伊勢雅臣) ■リンク■ a. JOG(190) 「お家の事情」の歴史観 b. JOG(056) 忘れられた国土開発 ■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け) 1. 勝岡寛次、「韓国・中国歴史教科書を徹底批判する」★★★、 小学館文庫、H13 2. 呉善花、「韓国併合への道」★★、文春新書、H12 3. 名越二荒之助、「日韓2000年の真実」★★★★、国際企画、H9 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ ■「韓国の歴史教科書拝見」について 歴史教科書の記述内容について、韓国が非常に神経質と思え る反応をしている理由が釈然としません。日本人は本来いい加 減なのかも知れませんが、他国の教科書の記載が間違っている からと言って、ここまでヒステリックに修正を要求したりはし ないと思います。 韓国(朝鮮)がかつて中国の属国であったかどうかと言うこ とは,国民のプライドに関わると言う議論があるようですが, 何千年と言う歴史を有する国であればあるときは強大な国に服 従することもあり,あるときは他国を侵略することもあるので はないでしょうか。逆に,過去に一点の瑕瑾も無い歴史を有す ると言うのは如何にも嘘くさく,そのようなことにこだわるの は余りに事大主義だと感じます。(豊さん) -------------------------------------------------------- この頃の与党幹事長の中韓訪問のだらしなさは一体なんでし ょうか。このことは全然野党も選挙の争点としていない。とい うのは与野党を問わず中韓に対しては大同小異だと言うことで す。歴史教科書があれほど騒がれた理由も同じことで、根は日 本人われわれ自身の心の問題にあると思われる。これを取り戻 さない限り経済復興はあり得ない。なぜなら戦後、敗戦という 未曾有の痛みに耐えて奇跡的といわれるほどの経済大国になり 得たのは、戦中戦前派の未だサムライ魂のある人々にしてなし 得たと思うからである。 現在の経済不況の立ち直りは戦後の復興に比べたら微々たる ものです。当時は工場も機械も資材も金も何もなかった。今は 何でもある。世界一の債権国だ。大変だ、大変だと言っている が大抵皆金を持っている。敗戦当時と変わっているのは、自己 中心主義と外国には卑屈に走る日本人の心と肥大化した欲望だ。 いずれも心の問題である。 しかしこれらが少しでも立ち直らなければ、少しの痛みでも 耐えられず衰亡の泥沼に陥るだろう。(Kogaさん) -------------------------------------------------------- 私は、アジアのボランティアにも参加している、アジア大好 き人間の一人です。昨年4月に、韓国人友人の商売の手助けに ソウルにいきました。 初めての地下鉄は、きれいな駅でした。乗客は、とても行儀 がよく関心しましたので、車内では、そのことを韓国人の友人 に話していたのです。しかし、地下鉄をおりたあと異変に気づ いたのです。私のスーツのズボンの右後ろには、大きなツバが 吐きかけてありました。 韓国の人は、車内でよくツバをはくのかと聞くと、ばつがわ るそうに、”地下鉄で、日本語をはなしていたからね。”とい われました。韓国人の、かなりの部分の人が、日本人には、な にをしてもよいと考えていることがよくわかりました。 実は韓国の人は、そういう教育を受けているのです。韓国教 科書について調べていくうちに、いろいろな事がわかってきま した。あれを読めば、朝鮮の人は、古来より、栄光のある単一 民族で、日本人は戦争を起こした悪い民族であるとしか読めず、 近隣国である日本になんの配慮も必要ないと思ってしまうでし ょう。(太田さん) ■ 編集長・伊勢雅臣より 中韓との友好のために靖国参拝中止を、という意見には、中 韓の言うことはすべて正しい、という前提があります。相手が 間違えている時もあり、そう思ったらきちんと主張することが、 相互理解への道でしょう。 「心の問題」を無視して、経済復興はありえない、というK ogaさんのご指摘に共感します。 ============================================================ mag2:27951 pubzine:2155 melma!:1935 kapu:1762 macky!:1075© 平成13年 [伊勢雅臣]. All rights reserved.