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3、植民地主義遂行プロパガンダを支えるもの
「対テロ戦争」のプロパガンダと同様、困ったものが、「戦争の根源が差別や
貧困や宗派間対立にある」とするものです。貧困層が武器を生産したり、戦争を
遂行するに必要なエネルギーを確保したり出来るでしょうか? 紛争地域(戦争
当事国あるいは被害国)に、以前から異民族異教徒同志が平穏に同居していたの
ではないですか? 紛争地域(戦争当事国あるいは被害国)に、他の地域から異
民族異教徒が移住して来ざるを得なかったのではないでしょうか? 風が吹けば
桶屋は儲かるかも知れませんが、桶屋が儲かっても風が吹くことにはならない、
という論理的非可逆性に気付くべきです。この、当然、「べき」ものをまかり通
らなくする原因がふたつあります。
ひとつは、その論理を認めてしまうと自己矛盾に陥るので、本能的に拒否して
しまうという思考パターンがあります。今の豊かさと便利さを享受し、それを捨
てることが出来ない被支配階級にとって、先の石破元防衛庁長官の「あなたも石
油が必要でしょう」に返す言葉を失うのです。また、右肩上がりでしか健全性を
保つことが出来ない資本主義経済とその基盤となる植民地主義を採る日本国政府
や経済界にとって、自分たちがその根源であるとは、是が非でも否定したい事柄
であるはずです。さらなる市場拡大が必要な時、戦争、特に地域戦争はついて回
りますし、その相手が国際法の想定していた主権国家ではない武装組織ほど、都
合の良いものはありません。さすがに、北朝鮮民主主義人民共和国に対し、テロ
組織と呼びつけるわけにもいかず、しょうがなしに「テロ支援国家」と呼ぶわけ
です。「対テロ戦争」を演出する米国のような「テロ国家」にとって都合のよい
相手を「テロ支援国家」と名指しするのは、ある意味、道理ですが、米国のよう
なテロ国家を直接的に兵站支援する日本こそ「テロ支援国家」であるはずです。
もうひとつ、「植民地主義遂行プロパガンダを支えるもの」として、差別と偏
見があります。両方とも同じような意味です。科学的な観察に基づかず、論理的
な思考を伴わない、物事に対する価値判断の決めつけ、とでも定義しましょう。
この問題は非常に根深く、本人自身が、自分が偏見を持っていると自己認識する
ことが非常に難しいのです。実は、今回のフォーラムでもその場面を観察するこ
とが出来ました。リーフレットのタイトルで「響きあう パレスチナとアイヌ・
・・」とあり、この件についてパネラーのひとり、キム・チョンミさんから一言
(録音01:33:55)ありましたが、奪う側は奪われる側の状況を認識しにくいので
、
最大限の想像力を持って対するようにと、おっしゃいました。確かに、奪う側が
簡単に忘れてしまうことでも、奪われた側は滅多に忘れる事は出来ません。機会
を奪われ、生活を奪われ、人生を奪われ、命を奪われるわけですから。「貸した
金は忘れない」と喩(たと)えるのは、不適切で不謹慎にあたるでしょう。そし
て、奪う側をして容易に忘れさせてしまうのに効果絶大なのが、差別や偏見です
。
見上げればそこにバナナがぶるさがっている南の国の人方は、怠け者だから貧困
に苦しむのだ、とする南北問題レトリックが差別意識を生み、奪う側の加害意識
を見事に消し去ってくれます。
また、臼杵陽さんのキム・チョンミさんや石井ポンペさんに対する質問も、あ
とで臼杵さんが謝られていましたが、この臼杵さんの質問(録音03:03:30)は、
やはり、奪う側の無頓着さの顕れであると思われます。こういった「差別や偏見
」
ですが、奪う側の権力者の手にかかると、「戦争の根源に差別や偏見がある」と
すり替えられます。奪う側に属する被支配者は、そういった「差別や偏見」が戦
争の根源であるとし、免罪符となります。差別や貧困が原因で宗派間対立やテロ
が起きるとし、さらなる蔑視感情にもつながります。自身に植え付けられた、科
学的な観察に基づかず、論理的な思考を伴わない、物事に対する価値判断の決め
つけを、自分で認識し測定できる客観的な診断法を開発したいところです。
失礼、もうひとつ追加します。貧困(経済的・物理的・時間的欠乏状態)は、
確実に「植民地主義遂行プロパガンダを支え」ます。学校の先生が生徒の評価や
研修などに忙殺されて、改定教育基本法の持つ意味を理解する知的好奇心さえ奪
われたりするのも「支え」ることに繋がります。親亀が転けたら子亀孫亀もない
でしょう、といいつつ、企業再生法と労働者派遣法の盛り合わせで、創造的破壊
を推し進めた次に来るのは、格差の拡大とその固定であるのは道理です。その固
定化は、新自由主義において、労働者の経済的・物理的・時間的欠乏状態を作り
出し、御用組合を後押しし、プロレタリアートを資本家の奴隷である消費者にリ
カテゴライズ(分類替え)出来ました。対抗する被支配層は、プレカリアートな
る造語でプロレタリアートに変わる階層概念を創出してはいますが、米国と訣別
したキューバーや中南米諸国を日本人は見習おうともしません。
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4、なぜ日本民衆は天皇(制)を支持しつづけることが出来るのか
キム・チョンミさんが提示された宿題にお答えします。なお、私は現行憲法の
第1章を改定削除する方が良いという意見を持っています。
GHQ統治下でマッカーサーが天皇の戦争責任を問わないとしたのは、占領行
政のし易さからですが、同時に、戦前の権力者達も復活しました。特高官僚が連
綿と日本の支配者層を牛耳っていられるのも、A級戦犯容疑者の岸信介がCIA
資金援助により日本国総理大臣になれたのも、占領行政の戦術的政策によるもの
でしょう。ローカルエリートは植民地統治に必要不可欠だからです。
天皇制は無責任体制を助長できます。誰も責任をとりません。日本国の権力者
たちにしてみても、天皇(制)はとても便利です。これほど便利なものはありま
せん。ですから、日本民衆に対して、あらゆる手段を使って、天皇制を温存させ
たいと切に願っています。天皇(制)を批判することは、公の場ではなかなか難
しいのが現状です。加藤紘一議員のように焼き討ちにあったりもします。権力機
構である公安や警察も天皇制を妨害阻止する輩を過激派分子とレッテル付けしま
す。日本民衆各人には様々な意見がありますが、大勢は「長いものに巻かれない
不届き者は叩かれる」といった風潮があります。なお、加藤議員は小泉純一郎当
時首相の靖国参拝を批判した直後に実家を放火されましたが、靖国は、無責任体
制を保障する天皇制システムのひとつの装置と私は考えます。
「天皇陛下、力及ばずご免なさい」と「一億総懺悔」させられたにも拘わらず
、
いつの間にか「私たちは謝った」となり、それがまた、いつの間にか、「私たち
は騙された」となる心理の深層、その「騙された論」の根っこには、どこかしら
戦争肯定の意識があると思います。「負け戦をしやがって、、」という意識です
。
その意識が自虐史観批判へとつながるのではないでしょうか。「美しい国」と自
画自賛して、性根の腐った国民が運営するこの国に、もし未来があるとするなら
、
安倍首相が躍起になって否定しようとする階級史観を理解し、科学的で論理的な
思考を尊重すべきです。
日本国憲法の前文で「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」とありま
す。ここで、信頼する相手は、他国の権力者ではありません。他国の市民なりそ
の人間性なのです。そもそも戦争とは、権力者同士が、それぞれの思わくに基づ
き行われるものです。自民党の憲法草案を通しては、この平和主義も形骸化し、
社会契約論に端を発した立憲主義さえも返上して、歴史を逆行の、全体主義に突
き進める体制となるでしょう。
そういったことも含めて、私は、コスモポリタンになることを宣言しましたし
、
在日の方とも、日常的なつながりが欲しいと感じる今日この頃です。以上、キム
さんへの答えになったか自信がありませんが、今後とも、ご指導ご鞭撻を賜りた
く、宜しくお願い申し上げます。
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