鶴見区の坂-5
2006年7月28日
鶴見駅 バス→獅子ヶ谷・・・キィ坂・・・渋沢稲荷・・・ザックミ坂・・・鉤(かぎ)坂・・・庚申堂坂・・・熊野神社・北向庚申・・・新(にい)坂・・・丸山稲荷・宝泉寺・・・愛宕神社・・・宮ノ下バス停→鶴見駅
鉤坂の場所が分からず苦労しました。30分以上同じ所を行ったり来たりして分からず鉤坂はもう消滅したのだろうとあきらめかけましたが、ザックミ坂の位置を思い違いしていたことに気づき、ザックミ坂、鉤坂とも分かりました。ザックミ坂は細く緩やかで、両側から木が被さりトンネルのような昔の趣の残っている坂です。
この間、辺りをウロウロしていると「ちかん出没注意」の看板がいくつも立っていて怪しまれるのではと思ったり、蒸し暑いし参りました。でも二つの坂ともちゃんと分かり粘りがいがありました。この辺りは昔から「アズキババア」が出るという伝説があったそうです。子供たちは日の暮れないうちに家に帰らないと、「アズキババアが出るぞ」とおどかされたそうです。今は「ちかんが出るぞ」でしょうか。夢のない時代になりました。
庚申堂坂から北向庚申のある熊野神社を通り、新坂の坂上まではアップダウンの連続でした。長く直線的な新坂を下り、丸山稲荷、宝泉寺から愛宕神社へ寄りました。神社の境内に古い庚申塔が3基安置されていました。
写真をクリックすると拡大します。
キィ坂(坂下近くから) 獅子ヶ谷1-15と北寺尾6-32の間を南東に上る鶴見・獅子ヶ谷通り。《地図》
坂の近くに住む古老の話によると切通しの坂道と呼ばれていたのが、いつの頃からか言葉が短縮されて「キィ坂」といわれるようになったそうです。『鶴見の坂道』
ザックミ坂の坂下を進んだ所。
ザックミ坂(坂下から) 北寺尾5-1と5-2の間を西に上る。《地図》
この辺りの土地は崩れやすく、この「崩れる」を、この付近では「クム」といいます。そのクムを強める意味でザツとか、ジャを接頭語としてつけるため、クムがクミに訛ったものと思われます。『鶴見の坂道』 「ちかん出没注意」の看板が立っている。
鉤 坂(坂下から) 北寺尾5-1と5-4の間を右に大きく曲がって北方向に上る。《地図》
坂道の形状が大工道具の曲尺(かねじゃく)の曲がった角によく似ているということからついた坂名。『鶴見の坂道』
ここにも「ちかん出没注意」の立て看板が。
坂上はザックミ坂の坂上
庚申堂坂(坂途中から坂下方向) 北寺尾1-12と1-18の間を南西に上る。《地図》
坂上に北向庚申」があった。昭和39年に熊野神社境内に移建された。
熊野神社本堂(正面)に背を向け北を向いて立っている北向庚申(左の小堂内)。
新坂(坂上近くから) 下末吉5丁目と6丁目の間を西から南西に上る。坂下近くの北側に宝泉寺。《地図》
元来、この坂道は屈折しながら頂上の五差路(末吉中交差点)に続いていたが、大正末期に現在のように道幅を広げ、真直ぐに整理されたので、新しい住民たちは、新坂(にいざか・しんざか)と呼んで旧い坂と区別していますが、地域の古老たちの中には「宝泉寺坂」と呼ぶ人もいます。『鶴見の坂道』
元文3年(1738)の銘あり。
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