直談判 〜願い届かず一斉辞職〜


 「先生、これにお願いします」。病院職員から渡された退職届の用紙には鉛筆で薄く下書きされていた。「一身上の都合」。研修医日下(くさか)淳也(30)はその文字をボールペンでなぞった。
 日下が宮崎県立延岡病院(延岡市)を辞職したのは昨年末。一年の予定だった研修を七カ月で切り上げた。望んだのではない。「仕方なかったんだ」。自分に言い聞かせても無念さが残った。
 四百六十のベッドと県北部で唯一の救命救急センターを備える中核病院から、日下を含む麻酔科医五人が一斉に去った。前代未聞の事態だった。

●写真/麻酔科医が一斉に辞職した宮崎県立延岡病院


 日下は大分医科大(大分県挾間町)出身。母校の麻酔科などで一年の研修を終えた昨年六月、延岡病院に派遣された。
 医師不足に悩む地方の病院は大学病院に人材を求める。大学病院も研修医や若手医師の派遣先は多く確保したい。持ちつ持たれつの関係だった。
 常勤医六十七人の約二割が研修医。日下も即戦力として一線に放り込まれた。立ち会う手術は一日五件。急患が立て込み四十時間ぶっ通しで勤務することも珍しくない。指導医に従って病棟を回る大学病院と違い、慌ただしい現場で一身に任される充実感があった。
 実は病院には診療科ごとに大学の「縄張り」があり、麻酔科は全員が大分医科大出身だった。
 着任一カ月、仕事に慣れ始めたころだった。日下は妙なうわさを耳にした。「麻酔科医が延岡から引き揚げるらしい」
 麻酔科に不満がうっせきしているのは肌で感じていた。延岡病院に救命救急センターと集中治療室(ICU)が新設されたのは一九九八年。麻酔科がしわ寄せを受け始めた。大病院であれば専門医が担当するICUの当直を、麻酔科医が毎日交代でこなした。一刻を争う重症の急患を少人数で担う現場は極度の緊張を強いられる。
 「いつか患者を殺してしまう」「ミスを起こしたら責任をかぶるのは現場」―麻酔科医たちは数年前から病院幹部と直談判し、救急態勢の充実を求め続けていた。財政難を盾に応じない病院側との溝は深まっていた。
 十一月中旬、麻酔科医全員が集められ、最古参の先輩が告げた。「今年いっぱいで全員辞める」。詳しい説明はなかった。派遣先の病院の人事は大学の教授が握る。先輩と教授にどんな話があったのか、日下は知らない。先輩の決断に無言でうなずくしかなかった。



 「一斉辞職」がマスコミで報道されると病院内に動揺が走った。「本当に辞めてしまうんですか」。患者の不安げな顔に日下は返事に窮した。
 麻酔科医がいなければ重症患者の手術はできない。右往左往する患者が頭に浮かんだ。「大学の意向ならば仕方ない。でも…」。日下は対立のはざまで置き去りにされる地域の医療を思った。
 中堅医が振り返る。「だれも辞めたくはない。でもショック療法で改善を訴えるしかなかった」。大分医科大麻酔科の野口隆之教授は「あくまで現場の判断。ただ研修医を指導する態勢が取れないならば引き揚げざるを得ない」と話す。
 一月初め、日下は大分医科大病院に戻って研修を再開した。先輩たちもそれぞれ新天地の病院に移った。一方、延岡病院は常勤の麻酔科医確保のめどはついていない。別の二つの県立病院から一人ずつ交代で派遣してもらう綱渡りの日々が続いている。 (敬称略)


■ メ モ ■
 ▼自治体病院 都道府県や市町村が経営する病院。全国自治体病院協議会によると、調査した990施設のほぼ半数が赤字(2000年度)で自治体財政を圧迫している。福岡、長崎県や福岡市は民間移譲や統廃合を検討している。研修医を受け入れている自治体病院も多い。

[2003/01/10朝刊掲載]