東京裁判 アメリカの最大の目的 (平成16年6月下線追加)

「天皇不起訴」に至る経緯 目次
児島 襄 東京裁判』 (「中公新書」)よりレジュメ作成

・・・
我々の占領政策をスムースに実行するには、日本人が我々に心底から服従することが大切だが、それには、日本人が納得するやり方があるような気がする・・・(マッカーサー) 
 昭和20年9月18日

引用




記録映画 「東京裁判」
天皇独白録
史録 『日本国憲法
日本軍閥暗闘史
敗因を衝く軍閥専横の実相
御前会議
小林正樹監督 昭和58年(1983)公開
文藝春秋 1990年12月号
児島  襄 文春文庫 1986年5月発行

田中隆吉 中公文庫 1988年3月発行.
  同    中公文庫 1988年7月発行

NHKスペシャル

平成 3年(1991) 個人的レジュメ作成 稲葉八朗
平成13年(2001) web 
平成16年(2004)6月 改定増補 近衛田中の項追加
・・
挿入写真

写真秘録 『東京裁判』 講談社 1983年5月28日第1刷
『秘録 大東亜戦史 東京裁判篇』 兜x士書苑昭和28年11月30日発行

目 次
.米原爆実験成功
.ポツダム宣言
.8月15日
●.マッカーサー厚木到着
.
降伏文書調印
第一次戦犯指名
天皇マッカーサー訪問
.戦争犯罪の定義
.近衛公爵にたいする質問
.戦犯追求人民大会
.天皇訴追問題
.天皇独白録
.マッカーサー憲法の人質
.
開廷
.清瀬 冒頭陳述
J・ファーネスの補足動議
.
ブレーク二ーの補足動議
.満州事変
.田中隆吉証人出廷
.
溥儀証人出廷
.木戸内大臣証言台へ .
.東條証言台へ
.キーナンの東条工作
.天皇不起訴決定
.判決
.全知全能の神が・・・
.判事団の少数意見

.挿話
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極東国際軍事裁判市ヶ谷法廷  旧陸軍省・参謀本部/
写真は「秘録 大東亜戦史 東京裁判篇」 昭和28年11月30日発行 兜x士書苑
.市ヶ谷法廷写真
政府と統帥
.BC級裁判

.国際法における捕虜の定義
● 元陸軍少将 兵務局長 田中隆吉裁かれる歴史
御前会議  原本
8月15日までの道程 
昭和20年7月16日
アメリカ原爆実験成功

.
昭和20年7月26日
8月6日 廣島


8月9日 長崎
ポツダム宣言
我等の俘虜を虐待せるものを含む一切の戦争犯罪人に対しては、厳重なる処罰を加えられるべし
・・・BC級裁判
昭和20年8月6日
廣島原爆投下
昭和20年8月9日
長崎原爆投下  ソ連参戦
昭和20年8月10日
最高戦争指導会議においてポツダム宣言受諾決定
昭和20年8月14日
ポツダム宣言受諾をを正式回答
昭和20年8月15日 終戦の詔勅  (読み)  (現代語訳
8月15日までの道程
ハラキリ問答・斉藤隆男・下村大将の答弁
.
終戦の玉音放送が国民に与えた衝撃

八月十五日 正座して
戦いに果てし我子も聴けよかし 
  かなしき詔旨(みこと)くだし賜(たぶ)なり
釈迢空
三人(みたり)の子 国に捧げて哭かざりし
  母とふ人の号泣を聞く
二上範子
あなたは勝つものとおもってゐましたかと 
  老いたる妻のさびしげにいふ
土岐善磨

【昭和万葉集より】

記録映画  小林正樹監督 「東京裁判
.

.

昭和20年8月17日
東久邇内閣成立
17
昭和20年8月30日
マッカーサー厚木到着
・・・降伏日本の管理・ポツダム宣言の規定の実行
降伏後における米国の初期の対日基本政策概要・・・ワシントンより急電

軍事力の破壊
国民を代表する政府組織の樹立
婦人の参政権
政治犯の釈放
農民の開放
自由な労働運動保証
自由経済の促進
警察弾圧の排除
自由且つ責任ある新聞の育成(
  (参照 『閉ざされた言語空間』 江藤淳著)
教育の自由化
政治権力の集中排除・・・
急務としての東条の逮捕を含む戦犯処罰
     日本人に敗戦を思い知らせる
.

日本における天皇神聖の概念は、軍部によって軍自体の目的の為に作り上げられた神話
この神話を維持するのは不敗の軍の伝説・日本陸海軍が全勝を続けることができてのみ、 天皇は神でいられる。
したがって、日本の軍事力の完全な崩壊は一般市民にとって天皇神聖の概念の崩壊となりうる。
その結果、精神的真空状態と新しい概念の導入の機会が生まれるであろう
昭和20年3月・大統領顧問 ハリー・ホプキンズ・・・マニラにて

昭和20年8月31日
政治的戦争犯罪人の人選開始
.
昭和20年9月2日
降伏文書調印 (戦艦ミズーリ艦上)

写真秘録 『東京裁判』 講談社 1983年5月28日第1刷 裏表紙より

昭和20年9月8日
米第一騎兵師団主力東京に進駐
占領目的の達成に役立つ限り、最高司令官が天皇を含む日本政府機関および書記官を通じて、その権力を行使してよい・・・米政府の元帥への対日本方針

日本の敗北意識の欠如に対してマッカーサー
  「我々は客ではない。主人なのだ

昭和20年9月11日
第一次戦犯指名
東条・東郷・賀屋・島田・岸・橋田(自決)・小泉(自決)鈴木等東条開戦内閣閣僚、および対日協力各国人を含む39名
東条大将自殺未遂      

昭和20年9月12日
東久邇宮緊急閣議・・・戦争犯罪人の処置について協議
日本の事情を知らぬ相手に委ねては、一方的な勝者の裁きをうけるかもしれず、また、日本側 で処罰しておけば、そのうえの裁判が行なわれても、苛酷な量刑は免れるだろう。・・・結論は自主裁判論・・・参内して報告

天皇は反対
敵側のいわゆる戦争犯罪人、ことにいわゆる責任者はいずれも、かつてはただただ忠誠をつくしたる人々なるに、これを天皇の名において処断するは忍べずところなる故、再考の余地はなきや

木戸も反対(のちの述懐)
どうして、あんな考えが出てきたのか、僕には符に落ちなかったな。
天皇の名で戦争をして、今度は天皇の名で裁くというのは当時の機構では不能だ。
それにやるとなれば、どうせなんだかんだと一種の国民裁判になる。賛成できない

木戸内大臣:東久邇、下村、米内、重光、近衛と協議
内閣側・・・
自主裁判は国民裁判にはならぬ
天皇に拝謁・自主裁判の許可を得る

昭和20年9月15日
日本の自主裁判に対しマッカーサー司令部は不満
マッカーサー元帥
連合国はいかなる点においても、日本国と連合国を平等とみなさないことを、日本が明確に理解するよう希望する

日本は文明諸国間に地位を占める権利を認められていない
日本は敗北せる敵である

昭和20年9月16日・朝日新聞の記事
首相(東久邇宮首相)、米人特派員の質問書に自らご返事
米国民よ、どうか真珠湾を忘れて下さらないか。我々日本人も、原子爆弾による惨害を忘れよう。
そして、まったく新しい平和的国家として出発しよう。
米国は勝ち、日本は負けた。 戦争は終わった。互いに憎しみを取り去ろう  
9/18
昭和20年9月18日
首相官邸における外人記者団との会見
東久邇宮首相
捕虜虐待その他の戦争犯罪人は、連合国の指示を待たずに、日本側で処断する旨を強調

マッカーサー元帥 ・・・戦争犯罪人リストの公表中止
マッカーサー:日本人の天皇観についてなんらかの理解(?)
我々の占領政策をスムースに実行するには、日本人が我々に心底から服従することが大切だが、それには、日本人が納得するやり方があるような気がする
・・・天皇の訪問を期待
天皇の訪問の可能性
天皇には“貸し”があるはずである。
降伏の詔書の敬称で、我々はアイ(私)ではなく、ウィー(朕)に同意した
マッカーサー

昭和20年9月27日
天皇・マッカーサー元帥を訪問
.
『私は、国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行なった全ての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の採決にゆだねるためおたずねした』
 天皇の言葉  マッカーサー感動を込めて記述(『マッカーサー回顧録』)
.

戦争責任あるいは退位について、マッカーサー元帥の意見を求め、元帥はもっぱら「聞き役」の立場を取り、明確な返答を避けた。
天皇は戦犯問題にふれて、一切の責任は自分にある旨を強調・・・マッカ−サー元帥を感銘させる
マッカーサー

国民および政界の要人などにつき一番御承知なるは陛下なりと信ず。ついては今後も種々御助言を得たし
元帥訪問後天皇が木戸に語ったこと

陛下ほど自然そのままの純真な、且つ善良な方は見たことがない。じつに立派なお人柄である 
マッカーサーの天皇観に変化
元帥が吉田茂に語ったこと
しかしこの訪問の新聞発表は 「負けた」 実感を国民に与え、その効果からか、それまで宮城前になお戦争努力の足りなかったのを詫びるように平服していた男女の姿は、次第にその数を減らしていった。

 ・・・マッカーサーの心理作戦の成果
 ・・・日本政府に与えた効果は疑問

昭和20年10月9日
幣原内閣成立
組閣本部は、戦争責任を開戦責任だけに限る・・・豊田大将の入閣を予定
戦争責任者とは、戦争を始めることに賛成したものであって、一端宣戦の大詔が喚発された以上は、戦争完遂に取りくむのが日本国民の道・・・開戦内閣閣僚

マッカーサー
またしても、いまだに、東久邇宮内閣に続き敗戦意識の欠如の症例

日本における戦争犯罪の一般的定義
戦争指導の責任を強盗並の犯罪とみなして、敗者を処罰しようとするもの

昭和20年9月18日付 朝日新聞
 (チューリッヒ田口特派員)
ドイツで行なわれようとしている戦争裁判について
従来とまったく違う解釈を基礎



これまでの戦争法規違反など「固有の戦争犯罪」のほかに 「平和に対する戦争犯罪」 「人道に対する戦争犯罪」 を加える


政治・軍指導者のほかに銀行総裁・軍需会社社長・外交政策部長(官僚)理論家も裁判の対象となることを強調

戦勝国」が「敗戦国」の指導者を裁く
@ 第1次大戦の連合国
ドイツ皇帝ウィルヘルムU : 国際道義に反し条約の精神を犯した
皇帝の亡命先のオランダは引き渡しを拒絶
A 第2次大戦の連合国
ドイツの残虐行為を非難・責任者の処罰を強調
具体的な国際裁判所設置の動きはヤルタ会談 (昭和20年2月)
ヤルタ会談
戦犯の為の国際軍事裁判所設立・・・前例なし
新しい法概念に基づき訴訟手続きを作成 
ヤルタ会談の密約
米英
ソ連の対日戦参加を要求。それにたいしソ連の南樺太・千島占領を承認
基本的法概念・法思想の違い
米・英米英法系):裁判所は法律に対してのみ責任を持つ独立機関
ソ 連大陸法系):裁判所は政府の一機関

戦争犯罪の定義
ソ連:主としてナチス戦犯の為のもの
a 枢軸諸国により条約制約違反により実施された侵略行為・支配
b 一般市民の虐殺・奴隷労働・一般人民の移送
c 戦争の法規、規範、判例の違反

米国:ナチス戦争犯罪を対象とするも戦争そのものを犯罪とする態度
a 条約制約違反により実施された侵略行為・支配
(反抗地の国内法の違反であると否とを問わず)
b 侵略戦争の開始
c 他の諸国を征服することを目的とした計画・企画への関与

米国の対独参戦理由:


ドイツは米国との条約を破って、米国を攻撃・侵略せざるも、ドイツは戦争という手段により国際平和と秩序への非合法的攻撃をした
・・・不法
ルーズベルト大統領: 侵略戦争の開始は犯罪
いかなる政治的・経済的理由も正当化できぬ


国家の行為・上官の命令ということで個人の責任を免れることはできず


国際法違反に対しては、国家よりもむしろ個人に責任がある

国際軍事裁判所条例
戦争は、たとえ道義的には非難されても、法律的には許される、と考えられていた時代に終止符を打つ

戦争犯罪の定義
・・・米国意見により決定(国際軍事裁判所条例)

平和に対する罪  A級 1945/8/8 ロンドン協定 米英仏ソ 欧州枢軸諸国重要戦争犯罪人訴追及び処罰
通常の戦争犯罪  B級 1907 ハーグ陸戦の法規慣例 1929 ジュネーブ協定 ・・・原爆?
人道に対する罪  C級 1945/8/8 ロンドン協定 米英仏ソ 欧州枢軸諸国重要戦争犯罪人訴追及び処罰
 これらをもとにして極東国際軍事裁判所条例を作成

昭和20年10月10日
極東諮問委員会発足
連合国10ヵ国代表からなる
米国の対日管理は連合国参加のもとに行なう方針に基づいて設置
日本占領の米国の主導権は譲らず、連合国の参加はできるだけ消極的にする
・・・米国の対日占領政策に対する諮問機関
ソ連は国際的管理委員会を主張して参加を拒否

昭和20年11月1日・9日
アメリカ :

近衛の支那事変・日米交渉・仏印進駐・終戦処理に対する責任追及質問  米砲艦内において(近衛 ショック)
.
史録 『
日本国憲法 児島 襄 135頁 砲艦の中での詰問 文春文庫

・・・公爵に対面した若い将校が立ち上がった。
「ミスター、コノイェッ」
若年者に似つかわしくないダミ声に一驚するよりも、その敵意さえ感じられる突っけんどんな口調に、近衛公爵は、目をみはった。・・・・・
・・・・
戦略爆撃調査団証言録USBUS373号

終戦事情に関して、近衛公爵にたいする六十二の質問と回答
終戦時についてだけでなく、支那事変、日米交渉、仏印進駐にもおよぶ。

牛場友彦メモ
によると・・・



貴下ハ「大東亜主義運動主唱者ナルガ具体的ニ如何ナル対支、対東亜諸民族案ヲ持タレタルヤ。





軍ハ右ノ「大東亜主義」ニ援助サレ、コレヲ利用シテ積極的軍事行動ヲ行ナイタルニ非ズヤ。
何故ニ一挙ニ決定的勝利ヲ博スルコトヲナサザリシヤ
対米開戦直後日本ハ巨大ナル軍事力ヲ発揮セシガ、何故ニ支那ニ対シテコノ軍事力ヲ示サザリシヤ
如何ナル具体案ヲモッテ交渉ヲ始メタルヤ。
東条ハ対米戦ニ如何ナル成算アリタルヤ。貴下ハソレヲ質サザリシヤ


軍ハ開戦時如何ニシテ戦争ヲマトメントシタルカ、ソノ計画ナシニ開戦セリトイハルルヤ?!
.
とりわけ、質問者が切りこんできたのは、政府と統帥(軍)との二元性であった。
近衛公爵はそれが日本の政治組織の特性であり、戦争の開始から終結まで、主導権はつねに軍の手中ににぎられていた、と説明した。
だが、相手は、
しかし貴下は総理大臣ではなかったか、と不審の眼を光らせて、公爵を迫った。
総理大臣ハ軍ノ計画ヲ知ラズシテ如何ニ国政ヲ処理シ得ルヤ
もっともな質問だ、と公爵自身も思うが、知らされなかった、知らなかった、いうほかに答えようがない。

ドーリエ団長
「ウェイタ・ミニッツ(ちょっと待ってほしい)、ミスター・コノエ、あなたは、かりにも最高責任者である総理大臣だった。そして、総理大臣は陸海軍大臣を監督する立場にある。にもかかわらず、支那事変の処理方策を知らないというのか」

・・・かりにも近代国家において、そのようなお飾り的な首相の存在は、考えられない。近衛公爵が見えすいた否定をしていると思って・・・

「では、結局、日本の天皇も首相も、たんなる傀儡であると解釈していいのですな?」
「イエス・・・・」
答える近衛公爵のほおはふるえ、双眼は苦渋の想いに充血していた。・・・
政府と統帥
近衛内閣
史録 『日本国憲法』 児島襄 文春文庫 1986年5月25日発行

政府と統帥御前会議より)
.
.
国 務
天   皇
統 帥
国務官僚 中堅軍務官僚原案起案
御 前 会 議
部局長会議 調整
政 府   大本営政府連絡会議   大本営
出席国務大臣は総理・外務・陸・海軍大臣
統帥部は陸軍参謀総長・海軍軍令部総長

.

昭和20年11月19日
第2次戦犯指名
荒木・南・真崎・松井・本庄(自決)・小磯・久原・松岡・白鳥計11名

昭和20年11月28日  ニュールンベルク裁判開廷

昭和20年11月28日
オーストラリア・ニュージーランドが天皇および近衛公爵を含む戦犯リストを提出
中国は諦める

昭和20年12月2日
第3次戦犯指名(出頭期限12日正午)
梨本宮・平沼・広田等59名・・・
梨本宮の指名 : 天皇戦犯の可能性・天皇の身に関する周囲の不安

巣鴨に収容された大川周明博士(発狂を装い?不起訴に)の手記
   “君が代も、千代に八千代に中断す────”
  大川周明: 戦前の代表的な思想家の一人

昭和20年12月6日
第4次戦犯指名
近衛・木戸・酒井伯爵・大河内子爵・緒方竹虎・大島など9名

昭和20年12月8日
解放された日本共産党指導による戦犯追人民大会(共立講堂)

「・・・特殊潜航艇を思へ、特別攻撃隊を思へ、と言って彼らは私達を工場労働に鞭打ったのであります。
しかしながら、特別攻撃隊の本質はなんであったか。
それは私たちのもっとも愛する肉親の生命を一片の砲弾、一セキの銃弾にやすやすと交換した天皇制政府の罪悪の集中的(象徴的?)表現であったのであります
・・・・・」 
.

婦人代表・岩本アキ子氏

記録映画  小林正樹監督 「東京裁判

.

昭和20年12月10日
戦犯指名後木戸侯爵天皇より夕食の御相伴の命
天皇:




米国より見れば犯罪人ならんも、我が国にとりては功労者なり。もし遠慮するようなれば料理等届け使わせ・・・木戸感激

今回のことはまことに気の毒ではあるが、どうか体に気を付けて、私の心境はすっかり承知のことと思うから、十分説明してもらいたい

木戸:


日記提出を決意(12月10日?)
米国の考え方は、内大臣が罪を被れば陛下が無罪となるというにあらず。内大臣が無罪なれば陛下も無罪、内大臣が有罪という考え方なるゆえ・・・
(都留教授)
昭和20年12月16日
近衛自決
.
・・・公爵の遺書は、検屍にきた検察官ベン・サケットが持っていったが、発表されたとき、次の言葉が削除されていた。
「・・・勝てる者の行き過ぎた増長と、敗れたる者の過度の卑屈と・・・・」
児島襄 『日本国憲法』 183頁
.

昭和20年12月16日〜28日
モスクワで米英ソ3国外相会議開催
極東諮問委員会」にソ連も加えた「極東委員会」に変更
極東委員会・対日理事会設置
米英ソ中の対日管理に関する介入権が強化


昭和21年1月22日
マッカーサー:



戦犯裁判の為の「極東国際軍事裁判所条例」を布告
モスクワの米英ソ三国外相会議の対抗手段
裁判が完全にマッカーサー元帥の管理下におかれる
              (ニュールンベルグとの違い
 統一裁判方式:




各国の行動を統括する
裁判長・主席検察官の任命権
当初はニュールンベルグと同じ
米・英・ソ・仏の4ヵ国の裁判官で裁判長を互選
各国が別々に被告を訴追
マッカーサー:




いささかも自分の権限を犯されたくない
裁判における米国の方針の維持
各国の行動を統括する
統一裁判方式の裁判長、主席検察官の任命権
天皇の戦犯問題について重大な影響
東 京 裁 判 :

米・英・ソ・中国・蘭・ニュージーランド・カナダ・オーストラリアから判事・検事

各国の戦犯、特に天皇に関する態度は不一致
米国・英国・・・天皇の戦争責任不追及
ソ・中・オーストラリア・フィリピン・・・天皇訴追

天皇を法廷外に安置するためのマッカーサーの対策
主席検察官を手中に納め、他の検事からの訴追要求を押さえさせること
危険な証言、証拠の提出を拒み、他の裁判官の意見に影響力を与えること

主席検察官はキーナン
裁判長も米国人では米国色過多
   ・・・裁判長はウェップ(一般には予想外)
オーストラリア: もっとも根強い 「天皇戦犯論」 の主唱者
日本が降伏条件としての国体護持提案に対してのエバット外相
(日本の) いかなる個人、機関は、天皇と雖も日本の侵略並びに戦争犯罪人の責任を免除されるべきではない」(20・8・10)

エバット外相:極東諮問委員会・極東委員会オーストラリア代表
.
昭和21年1月25日
マッカーサー 
長文の最終結論をワシントンへ送り、昭和天皇を戦犯指名から除外することに決定

昭和21年1月31日
モスクワ外相会議
極東委員会設置を決める直前、極東諮問委員会の一部日本に到着
・・・・・・マッカーサーと会談
マッカーサー: 日本国民の天皇に対する敬愛心を指摘
裕仁天皇は、道徳的勇気と立派な教養の持ち主だ。もし、委員会が天皇を戦争犯罪人として裁こうとするなら、それは全員一致で決定しなければならない。
しかし、このような決定が、以下に占領の費用を増し、期間を長引かせるかを承知すべきだ。
おそらく、占領は100万の軍隊の無期限進駐を必要とするに違いなく、天皇が裁かれ、有罪と宣告され、処刑でもされたら、かえって天皇制は、かつてないほど強固なものになるだろう
エバット外相: 天皇戦犯論
日本の征服と占領を最少期間に成就するため、天皇を利用しようとするは・・・・連合国が天皇個人または天皇制を是認することを意味するものではない。
同宣言は、日本および日本の機関または個人について何を決定するかは、連合国の利益の為に行なう旨を明記している。

さらに同宣言に表明された戦争犯罪人の処罰は一般的、且つ無条件であり、いかなる個人も特別の権限や免責を与えられていない・・・・ニューヨークタイムズに声明文

オーストラリア: 強固な天皇戦犯論

ホイットニー準将:



アチソン顧問(米)のウェップ判事の裁判長推薦
もっとも激しい反日意見の持ち主だから、逆にウェップ判事を裁判長にして判事団をコントロールできれば天皇問題は安心できる・・
昭和21年1月
敗因を衝く軍閥専横の実相 発行 田中隆吉著 (山水社刊)


敗因を衝く軍閥専横の実相 昭和21年1月 山水社刊
昭和63年7月10日発行 中央公論社

昭和21年2月3日
マッカーサー:


ウェップの裁判長就任を申し出
ウェップは即座に受諾






/
昭和21年2月5日
マッカーサー:裁判官9名を任命  この頃天皇独白録


【昭和21年3月18日〜4月8日】 天皇独白録
週間文春 1990年1月22日号  『昭和天皇独白の謎を解く』  松本清張

昭和天皇が昭和21年3月18日から4月8日にかけての時点で、松平宮内大臣など5人の側近になんのためにこのような話をしたのか、まずそれを推測しないかぎり、内容の検討に立ち入っても宙に浮いたものとなってしまうと思う。

すでにこの時点では、天皇は戦犯の指定を免れており、5月3日には極東国際軍事裁判が開廷されている

筆者の寺崎氏はGHQの意向を宮中府中に伝える連絡係であり、3月10日の時点では、天皇を戦犯として東京裁判にかけることはないという決定を天皇および側近は知っていた。

したがって、一部の推測の様に、天皇のこのモノローグは「極東軍事裁判」から逃れようとしたものではなさそうである(※)



/
昭和21年2月18日
  田中隆吉元少将 この頃より検事団と接触はじまる

・・・キーナンは同感の意を表して、・・・・それから態度がガラリと変わり、うちとけた調子で次のような思いがけないことを話した。

・・・・実は私は日本に赴任する直前に、トルーマン大統領からきわめて重要な指令を受けてきている。そのことはマッカーサー司令官も了解ずみで、東京裁判での一番大きな任務なのだ。
 それは、こんどの裁判を通して
日本の天皇に戦争の責任がなかったという結論をうち出すことである
 また二、三の国から法廷に於ける天皇の証言を求めるような要求があっても、
天皇が出廷されることのないようにこれを阻止すること、これが私のつとめなのだ。
 ゼネラル田中、君は
天皇を助けるために、私に是非協力してくれるだろうね・・・

 田中は、きのうの敵であるキーナンの口から意外なことを聞かされて驚いた。彼は即座に全面的な協力を誓って、キーナンと握手をかわしたのである。・・・・

敗因を衝く軍閥専横の実相 東京裁判と父田中隆吉 田中 稔
田中氏と晩年まで親交があった東京新聞政治部記者の
江口航氏の手記
敗因を衝く軍閥専横の実相 昭和63年7月10日発行 中央公論社

*
昭和21年2月13日 東京裁判とマッカーサー憲法
.
史録 日本国憲法』 児島  襄 文春文庫 1986年5月発行 300頁

「紳士諸君、あなた方がご存知かどうか知りませんが、最高司令官は、天皇を戦争犯罪者として取り調べるべきだという他国からの圧力は次第に強くなりつつありますが、このような圧力から天皇を守ろうという決意を固く保持している・・・・・。

だが、紳士諸君、最高司令官といえども、万能ではない。ただ、最高司令官は、この新しい憲法の諸規定が受け容れられることによって、日本が連合国の管理から自由になる日がずっと早くなるだろうと考えておられる・・・・」

・・・ホイットニー准将が天皇問題にふれたさい、この憲法改正を採用しない限り、「天皇の身体、パーソン・オブ・ジ・エンペラーの保証をなすこと能たわず、と准将は述べた」(松本国務相の回想)

「最高司令官は、私に、この憲法をあなた方の政府と党に示し、その採用について、考慮を求め、またお望みなら、あなた方がこの案を最高司令官の完全な支持をうけた案として、示されてもよい旨、伝えるよう、指示された。

しかし、最高司令官は、このことをあなた方に要求されたはいるのではない・・・最高司令官はあなた方がそうすることを望んでいるが、もしあなた方がそうしなければ、自分でそれを行うつもりでおります・・・・」

「・・・あなた方がこの憲法草案を受け容れることがあなた方が(権力の座に)生き残る期待をかけ得る唯一の道であること、さらに最高司令官が、この国民はこの憲法を選ぶか、この憲法の諸原則を包含していない他の形の憲法を選ぶかの自由を持つべきだと確信されていることについては、いくら強調しても強調しすぎることはありません」
.

昭和21年3月5日
 GHQによってつくられた憲法案を受け入れる(涙をのんで・・・『史録・日本国憲法』

昭和21年4月22日
幣原内閣総辞職

昭和21年29(天皇誕生日)起訴状・・・公判開始を伝達

弁護団の基本方針
日本の立場を明らかにし、国家的見地に立って、侵略の汚名を払拭し、後世の誤解をなくすること

皇室には絶対に累を及ぼさないこと
日本にはドイツのごとき一貫した侵略計画はなかったことを明らかにし、また太平洋戦争は自衛の戦いであったことを立証する
天皇陛下にご迷惑をかけないよう協力一致すること


天皇が被告となられることを極力防止すると共に、どんなに個人に利益にる場合でも、天皇に証人として御出廷頂くということは絶対にやらぬこと
国家弁護
を先にして、個人弁護を二の次とすること

個人のみの証しは立っても、それによって日本が侵略国と銘打たれるようなことは絶対にやらないこと

昭和21年5月3日
極東国際軍事裁判開廷


  
判事席        写真秘録 『東京裁判』 講談社 1983年5月28日第1刷         被告席

写真は「秘録 大東亜戦史 東京裁判篇」 昭和28年11月30日発行 兜x士書苑  217頁


写真秘録 『東京裁判』 講談社 1983年5月28日第1刷 表紙より

昭和21年5月6日
清瀬弁護人のウェップ裁判長忌避動議
オーストラリアにおける俘虜虐待裁判に関与
動議却下・・・・裁判開始
罪状認否
  昭和21年5月13日に管轄権問題の論議
  昭和21年6月3日より証拠調べを行なうことを裁定

昭和21年5月13日
清瀬弁護人
ポツダム宣言のみに拘束されることを主張
ポツダム宣言は太平洋戦争終結の為のもの
ポツダム宣言以後の平和に対する罪」「人道に対する罪」は不適
トルーマン
世界の歴史が始まって始めての戦争製造者を罰する裁判が行なわれつつある
ポツダム宣言には戦勝国も敗戦国もともに拘束されるべき
ドイツの無条件降伏と日本とは異なる清瀬弁護人
ウェップ:討論切り捨て

昭和21年5月14日
管轄権問題についてのJ・ファーネス米国人弁護士)の補足動議
昭和33年 テレビドラマ「私は貝になりたい」に特別出演
.
真に公正な裁判を行うのならば、戦争に関係のない中立国の代表によって行われるべきで、勝者による敗者の裁判は決して公正ではありえない
.


昭和33年 TBSテレビドラマ 「私は貝になりたい」より
右は佐分利信(矢野軍司令官)

管轄権問題についてのブレークニー(米国人弁護士)の補足動議
.
戦争は犯罪ではない
戦争法規があることが戦争の合法性を示す証拠である

戦争の開始、通告、戦闘の方法、終結を決める法規も戦争自体が非合法ならまったく無意味。
国際法は国家利益追及の為に行なう戦争をこれまでに非合法とみなしたことはない。

歴史を振り返ってみても、戦争の計画、遂行が法廷において犯罪として裁かれたためしはない。
我々はこの裁判で新しい法律を打ち立てようとする検察側の抱負を承知している。
しかし、そういう試みこそが新しくより高い法の実現を妨げるのではないか。
平和に対する罪と名付けられた訴因は、ゆえに当法廷より却下されねばならない

国家の行為である戦争の個人責任を問うことは法律的に誤りである。
なぜならば国際法は国家に対して適用されるものであり、個人に対してではない。
個人による戦争行為という新しい犯罪をこの法廷が裁くのは誤りである

戦争はどんな戦争であれ犯罪ではない
まして戦争に伴なう人命殺傷は犯罪者の殺人と違う。
それは殺人罪ではない。戦争が合法だからである。

つまり合法的な人殺しなのだ。
殺人行為の正当化である。
例え嫌悪すべき行為でも犯罪としての責任は問われない。
これを問うことは、戦勝国の殺人は合法的だが、敗戦国の殺人は非合法だというのに等しい
日本における裁判速記録においては以下通訳なしとなっている
もしキット提督の死が真珠湾空襲による殺人罪になるならば、我々は広島上空に原爆を投下した者の名前をあげることができる
投下を計画した者の名前をあげることができる。
投下を計画した参謀長の名を承知している。
その国の元首の名前も我々は承知している。
彼らは殺人罪を意識したか・・・してはいまい。我々もそう思う。
それは彼らの戦闘行為が正義で、敵の行為が不正義だからではなく、戦争自体が犯罪ではないからである

何の罪科でいかなる証拠で戦争による殺人が違法なのか。
原爆を投下したものがいる。
この投下を計画し、その実行を命じ、それを黙認したものがいる。
その人たちが裁いている。
・・・彼らも殺人者ではないか
・・・・・米国人弁護人の公正追及の姿勢に日本被告驚愕
ウェップ:後日裁定・問題打ち切り
記録映画 小林正樹監督 「東京裁判」より
.

【追記】
昭和22年2月27日
ブレークニー:
パリ不戦条約  ヘーグ陸戦条約
 (侵略戦争の禁止と報復の権利
原爆はヘーグ陸戦条約(1928)が禁止する兵器
原爆投下以後終戦までの3週間以内に行なわれた訴追事項は報復の権利によって除外されるべき
 (マニラの残虐事件も含む) 
ウェップ裁判長却下

昭和21年5月22日
吉田内閣成立

昭和21年6月4日
キーナン冒頭陳述
検事側の証拠調べ開始
昭和21年7月5日
それまでの東京裁判の日本人証人
東大助教授 海後宗臣  教授 大内兵衛  京大教授 滝川幸辰 前田多門  
元情報局総裁 伊藤述史
  法政大教授 池島重信  紙芝居協会会長 佐木秋夫  
元国務相 緒方竹虎  映画「非常時日本」の製作者 中井金兵衛  当時読売局長 鈴木東民
元警察部長 小泉悟郎  吉田内閣の無認相 幣原喜重郎  
三月事件の爆弾関係者として清水行之助、徳川義親
  新聞記者 藤田勇、犬養健  
元首相 若槻礼次郎  陸軍大将 宇垣一成  元内相 後藤文夫 米内光正 源田実・・・・・・・・・

そして・・・
7/5
昭和21年7月5日
.
 田中隆吉少将(検事側)出廷  
    のちに被告側証人としても出廷 (木村 梅津 東郷 畑
木村兵太郎
梅津美治郎
東郷元外相:
畑俊六元帥:



はじめは対米英開戦に反対で、野村大使の交渉に希望をかけていた
米英に対する戦争には極力反対した
もともと平和主義者で、戦争末期には田中と組んで和平工作をl企画
三国同盟に反対だったため、武藤軍務局長の策謀により、国策遂行に適切でないという名目で辞任を強要され米内内閣を瓦解に導いた経緯をそれぞれ証言
 田中 誰も罪を被らなければ、お上(天皇)に責任が及びかねない   
少数者に責任を負わすことは、上司、同僚を攻撃することになるが覚悟はある・・・明快に個人の責任を断定
 キーナン検事談   「ギャングの中に協力者を求める」 (FBI方式
.
東京裁判と父田中隆吉」 田中 稔  (『敗因を衝く軍閥専横の実相』192頁)


田中隆吉少将(検事側被告側)出廷

昭和21年8月16日
満州国皇帝溥儀出廷 (検事側証人)
溥儀:「脅かされた」「怖かった」の繰り返し

ウェップ裁判長:
こういうことをいうのはいやだが・・・生命に対する危険、死の恐怖は、戦場における卑怯な行為や戦場離脱の口実にはなりえない。
我々は証人から、彼がなぜ日本軍と協力したのか、 その言い訳を聞かされたが、これ以上聞く必要はないと思う

弁護団・・・いずれ天皇を喚問する前触れの予感
松下弁護士
まさか天皇があんな醜態を演じられるとは考えられない。
しかし、陛下は、スレッカラシの溥儀などに比べれば、玉のような純な御方だ。
純粋なだけに、不作法な法廷に我慢できるだろうか。
いや、もし法廷に出られて、キーナンやウェップの下品な質問を浴びることになったら、 日本人は怒る。
せっかく終わった戦争がまた始まるかもしれない

昭和21年9月2日
ニュールンベルグ裁判は10ヵ月で結審
マッカーサー:遅くとも東京裁判の22年2月結審を期待

昭和21年10月 1日 ニュールンベルグ裁判判決

昭和21年10月16日 ニュールンベルグ死刑執行



昭和22年1月24日
検察側の立証段階終了
冒頭陳述開始・・・清瀬弁護人


検事側の主張する「国家の行為に関して、国家の機関であったがゆえに個人が個人的責任を追う」という法律は、古今東西に例を見ない
日本にはドイツ的人種優越感はない
常に自ら未だ及ばざることを認めて向上を図ってきた


検事側が侵略思想とみなす「八紘一宇」は「ユニヴァーサルブラザーフッド」 (世界同胞主義)


皇道」は「治者と被治者が一心になること」
皇道とデモクラシーと、二つの思想の間に根本的差異はない

この陳述に対するマスコミの評価
賛辞 「占領下によくぞ思いのままを言ってくれた」
批判

「皇道すなわちデモクラシーならば、あのカーキ色(軍)の跳梁はどう解釈するか」 (毎日新聞)

昭和22年2月24日
公訴棄却動議採決・・・却下

昭和22年2月27日
ブレークニー:





パリ不戦条約  ヘーグ陸戦条約
               (侵略戦争の禁止と報復の権利
原爆はヘーグ陸戦条約(1928)が禁止する兵器
原爆投下以後終戦までの3週間以内に行なわれた訴追事項は報復の権利によって除外されるべき (マニラの残虐事件も含む) 
ウェップ裁判長却下

昭和22年3月5日
広田弁護人スミスの退廷

昭和22年3月18日
満州部門の反証
元陸軍大臣(昭和6年満州事変時)南次郎の証言 (昭和21年4月)

カー検事   :





政府は満州に不拡大方針を取っていたといっているが、ならば陸軍大臣は出先の関東軍の行動を阻止できなかったのか。
不拡大と口でいいつつ、内心は拡大を望んでいたのではないか。
陸軍大臣ならば時によっては
予算を止めるという手立てもあったはずである
南元陸軍大臣:


統帥権に基づく軍事行動は陸軍大臣の及ぶところではなく、また一度戦闘が始まれば、陸軍大臣とて、現地軍の作戦行動にあれこれいうことはできない
権限への逃避」と「既成事実への屈伏」:
 日本を破滅に導いた日本軍国主義者の弱い精神構造 
(米政治学者の感想)  記録映画 小林正樹監督「東京裁判」より

昭和22年5月5日
南京虐殺事件の反証

 参考:蒋介石が戦犯とみた日本軍人 数字は重要性の順位
11 土肥原賢二 12 本荘  繁 13 谷  寿夫 14 橋本欣五郎 15 板垣征四郎 16 磯谷廉介
17 東条英機 18 和知鷹二 19 影佐禎昭 10 酒井  隆 11 喜多誠一 12 畑  俊六
          
                  

昭和22年5月13日
ウェップ  :



進駐軍機関誌が誤報を掲載することによって、本裁判所を日本国民の目の前で馬鹿 にすることが許されるだろうとわかっていたら、私の国は東京裁判に参加することに同意しなかったと確信いたします
マッカーサー: 法廷では貴下が総司令官だ。なんでもできるはずだ

昭和22年5月20日
吉田内閣総辞職

昭和22年5月24日
片山内閣成立
.この頃出版
日本軍閥暗闘史 (田中隆吉著) 序より
・・・
私は満州事変当時は上海の公使館にあり、以後関東軍参謀として満州に勤務し、日中戦争の中期以後は兵務課長、兵務局長として陸軍省にあり、太平洋戦争勃発の翌年すなわち昭和17年9月東条氏と意見を異にして職を辞し、軍籍を去った

兵務局の任務は軍人及び軍属の非違行為監視監督するにある。
従って私は陸軍の実情に関しては最も詳細に調査研究を遂げ、その対策を講じた経験を有する。私の、この閲歴を知る書肆静和堂は、日本の将来のために皇道、統制両派軍閥の抗争史執筆を求めてきた。私は始め躊躇したが、しかし私を除いてはその真相を知るものは極めて少ない事実を思い合わせ、ここに意を決して筆を執った。

この著述に対して私と立場を異にする人々から、当然起こり得ると予想される批難攻撃に対しては、私は進んでこれを甘受する
私は長期間軍の要職にあって、しかも皇道統制両派のいずれにも属せず、常に第三者の立場にあって冷静に両派のなせるところを眺め得たのみならず、兵務局にあった時は、職掌柄幾多の文献、機密公文書を調査し、自己の体験でその真相を検討し得たので、私の述べるところは最も真実に近きことを確信するからである。

幸い本書が新しい日本建設のためにいささかでも役立つところあらば、私にとって望外の幸福である。
昭和二十二年六月
田中隆吉識
.

昭和22年8月4日
6月20日〜8月3日の休廷の後、裁判再開・太平洋段階の冒頭陳述

昭和22年8月5日
6月20日〜8月3日の休廷の後、裁判再開・太平洋段階の冒頭陳述
岡田少将の口供書:開戦前の陸軍戦備状況に関しての質疑
ローガン:

日本が外国の圧迫で、戦争に立ち上がらざるをえなかったことを立証すためのもの
ウェップ :
では戦争を起こしたがその準備・計画はしなかったというのか
ローガン:
いや、そこに追い込まれたということだ
ウェップ :


木戸日記には、参謀総長、軍令部総長、東条首相が天皇に相談され、3人が戦争に自信を示したので開戦命令を下だした旨が書いてある
ローガン: 天皇に関する限り、これは日本の憲法にしたがって行動した
ウェップ :


貴下の立憲政治に関する意見には反対である。
もし内閣が国王に犯罪を犯すことを すすめ、国王が実行した場合、国王は憲法上の保護は受けられない
ローガン:




内閣の天皇に対する進言が、自存自衛の為に戦争が必要だというのであれば別である。自衛はどんな犯罪にとっても有効な弁護になりうる。
どんな検事側の証拠、 どんな弁護側の証拠を見ても、日本はこの戦争に追い込まれたのである
ウェップ :


弁護人は問題点をすり替えている。
たとえどんなものにせよ、犯罪を勧めたものと、 犯罪を犯すよう命令したものとは同列にある
ローガン: それは犯罪が犯されたことを前提にした考えだ
ウェップ : これ以上は時間の空費だ・・・討論打ち切り

昭和22年8月4日〜1ヵ月
太平洋段階の弁護側反証
 ○日本は戦争に追い込まれた
 ○真珠湾空襲はだまし討ちではない
 ○連合国の経済圧迫
 ○日米交渉から最後通告まで・・・・海軍関係  陸軍関係  俘虜虐待

昭和22年9月22日
平沼個人反証・・・被告側証人岡田啓介・・・反対尋問キーナン
キーナン :

真珠湾攻撃の前後に、天皇はとにかく戦争を欲せず、回避の為にあらゆる努力をしておられたと確信を持って言えるか
岡田証人:

それは確信を持って言える。天皇陛下は、負けるとか勝とか言うことを考えておられず、戦争がおいやなのである
キーナン :

しかし、陛下の努力を持ってしても、これを回避することができなかったわけか
岡田証人: その通りである
【キーナンの質問は明かに天皇に戦争責任はないという結論を引き出そうとする意図】

ウェップ : 今の質問は本裁判との関連性が理解できない
【キーナンが質問を引っ込めれば、天皇に対する訴追は留保される効果】
キーナン:


関連性はおおいにある。これら被告達は共同謀議によって日本国民を欺き、宣戦の大詔を発することによって、天皇が戦争を指示したと日本国民に信じさせたのだ
ウェップ :

それはおかしい。この長い裁判でそういうことを聞いたのは初めてだ。今まで提出された検事側の証拠に反するものだ
キーナン:



主席検事として法廷の注意を喚起したいが、現在被告席にいるものが本裁判の被告である。
我々はあの戦争に責任があるのは彼らだと信じている。
ほかにいるなら、 その者もこの席に並んでいるはずであるだ
【キーナンに天皇訴追の意向がないことが明確になる】



日本軍閥暗闘史 田中隆吉著

日本軍閥暗闘史』 昭和63年3月10日初版 中央公論社
 (昭和22年10月、静和堂書店刊)




昭和22年10月10日
ニッポンタイムス・・・キーナン談話
天皇および日本の実業家は戦争犯罪人として裁かれることはないであろう。
この両者に対する訴追には正当な理由を見出だせない

昭和22年10月14日
木戸内大臣証人席へ

木戸口供書

(内大臣の立場を明らかにする)に対する軍人被告の反響

あのバカ野郎が・・・





木戸日記提出の決意(12月10日?)
米国の考え方は、内大臣が罪を被れば陛下が無罪とならるるというにあらず。内大臣が無罪なれば陛下も無罪、という考え方なるゆえ・・・(都留教授)

キーナンの追及・アメリカの政治的配慮 (天皇免訴) をおさえて質問
形としては軍国主義者と戦ったといいながら、実は気脈を通じていたのではないか
実権はないといいながら、実は背後で大きな政治力を振るっていたのではないか

【開戦の詔勅について】
キーナン:

詔勅は日本国民をして戦争は天皇の真意であり、戦争は日本の為であると思わせるためではなかった
木  戸 :



政府は自存自衛上立ち上がらざるをえないという説明であり、そこでこれは避けられない立場と思った。
詔勅を出すことは、戦争が決されれば、これは自然に起こってくる問題である
キーナン: それは天皇の意見か、あなたの意見か
木  戸 : 私の当事観察したことである
キーナン: それでは、あなたは戦争をするほうの味方ではなかったか
木  戸 :

政府が決定した以上、個人の意見がどうであろうとも、反対する権限を私は持っていない
.
政治が軍に犯されていくのを知りながら、押し止どめようとする努力を怠る弱さ
  木戸・近衛 に共通 (記録映画・東京裁判より) 
木 戸 :完璧に近い答弁・・・10月23日キーナン反対尋問打ち切り
キーナンの感想:
    木戸は頭が良い。よすぎる。だから日本の運命を誤らせたとも言える・・・
    今度は東条だが、よほど慎重にやる必要がある

昭和22年11月7日
ウェップ裁判長:オーストラリアでの裁判の為一時帰国
  米国の天皇免訴の方針に対するウェップの抵抗説
  天皇訴追に執拗なウェップを米国が一時帰国させた説

昭和22年12
真珠湾攻撃に関して嶋田(海軍)・東郷(外務省)の対立

昭和22年12月26日
東条証言台に立つ
東条口供書
日本はあらかじめ米、英、蘭に対する戦争を計画し準備したものではない


対米、英、欄の戦争はこれらの国々の挑発に原因し、我が国としては自存自衛のため、真にやむをえず開始せられたものである



日本政府は合法的開戦通告を攻撃開始前に米国に交付するため、周到なる注意を持って手順を整えた大東亜政策の真の意義いわゆる「軍閥」の不介入
統帥権の独立連絡会議および御前会議の運用
東条の行ないたる軍政の特質は統制と規律にあった

キーナンの意図
  12月31日に反対尋問を行ない、天皇戦犯問題にけりをつける

昭和22年12月31日
ローガン弁護人の木戸内大臣に関する質問中の東条の突発的な失言
詳細 敗因を衝く』 田中隆吉

木戸口供書
米国内では天皇の戦争責任を指摘したと解釈されていることに対する対策 (米政府およびマッカーサーの意図 《天皇不起訴》 に反する)
ローガン:

天皇の平和に対する希望に反した行動を木戸内大臣が取ったことがあるか
東  条 :



そういう事例はもちろんない。私の知る限りにおいてはない。
のみならず、
日本の臣民が陛下の御意思に反してかれこれするということはありえぬことである
いわんや、日本の高官においておや

東条の信念の披瀝であるが、もし日本国民の行為総てが天皇の意思にしたがったものなら、戦争も残虐行為も天皇の意思となる

ウェップ:

今の質問がどのようなことを示唆しているかは、よく理解できるはずである
天皇の法廷喚問・訴追の可能性の十分な根拠の発見に喜ぶ
天皇戦犯問題にけりをつけるためのキーナンの東条工作
木戸口供書の効果を消す・・・木戸以上の者・東条に打ち消しをさせる
田中隆吉氏も背後で協力・・・・・・
(『敗因を衝く軍閥専横の実相』 208頁)


1・ 神埼弁護人(畑担当)と東条に依頼
神埼



陛下は平和主義者で、戦争はお嫌いだったと思われるが、もしそのほうに思っておられるな ら、ひとつお願いがあるが、この戦争は閣下が陛下かの命令にそむいて始めたものだと、法廷で証言してもらえぬか
東条




それは無理な注文である。陛下の御裁可があったらこそ開戦した。
私は死を覚悟している。 臣下として一天万丈の君のご命令に背いて、この戦争を始めたなどと嘘の証言をしては死に切れぬ。私の身にもなって頂きたい

神埼の東条説得成功
    
陛下はいいやいやながら開戦を御承知になった」で合意

2・ 米内大将経由の工作ルート  ホイットニー少将:米内大将に説明

  米内大将 → 塩原弁護人 → 東条

米国内には天皇を戦争犯罪人として処罰せよという論者が少なくない。
東条大将が天皇の責任について、こういう論者に油を注ぐような答弁をしたりすると大問題になる・・・ 東条の慎重な答弁を要望

東条激怒
「私が恥を忍んで今日まで生きているのは、この一点だけである。どうしてまずい答弁をするものか」

塩原と東条の答弁の練習
塩原

「内閣や軍の最高機関が開戦のやむなきに決した。天皇は“そうか”と言われた」
東条 「それではかえって天皇にご迷惑がかかりはしないか」
塩原

「この答弁のほうが真実であり、責任が内閣にあることを明白にできる・・」
キーナン安堵


東条の発言訂正の為の工作
  
(昭和23年 1月5日工作成功

昭和23年1月6日
キーナンの東条の発言の訂正の為の質問
キーナン:


2、3日前(12月31日)、あなたは日本臣民たる者は何人たりとも天皇の命令に従わぬ者はないといわれたが、その通りか
東  条 :

それは、私の国民感情を申し上げたのである。
責任問題とは別である。天皇責任とは別の問題である
キーナン:

しかしあなたは実際に米、英、蘭に対して戦争をしたではないか
東  条 : 私の内閣において戦争を決意した
キーナン:

その戦争を行なわなければならないというのは・・・行なえと言うのは裕仁天皇の意思であったか
東  条 :








私の進言・・・統帥部その他責任者の進言によって、しぶしぶご同意になったというのが事実であろう
そして平和ご愛好の精神は最後の一瞬に至るまで陛下はご希望を持っておられた・・・
昭和16年12月6日の御詔勅の中に、明確にその御意思の文句が付け加えられている
しかもそれは陛下のご希望によって、政府の責任において入れたものである。
まことにやむをえざるものがあり、朕の意思にあらずという御意味の御言葉である
(満点の答弁)

キーナン:

日本の首相として戦争を行なったことについて、道徳的、法律的に間違っていなかったと思うか
東  条 : 間違ったことはしていない。正しいことを実行したと思う
*
昭和23年1月8日夜
マッカーサー:


ウェップ・キーナンを総司令部に招き、東条証言の経緯を聞き、東条大将の責任の明確化、言い換えれば天皇の免責が確認されたと見做して天皇不起訴を決定。
ウェップ :

なお釈然とせず
マッカーサー元帥の 「よろしいですな」 にうなずく
天皇不起訴正式決定
東京裁判最大の目的達成
児島 襄 東京裁判』 (「中公新書」)よりレジュメ作成




記録映画 小林正樹監督「東京裁判」より

昭和23年1月30日
 
ガンジー  狂信的ヒンズー教徒により暗殺される

  イギリスの植民地支配反対における無抵抗主義と不服従の姿勢
  平和を武力で勝ち取ろうとする社会に衝撃を与える
  回教、ヒンズー教の対立を超え印度諸民族は分裂せず、共存すべき
                         ・・・ガンジーの願いは絶たれる
.
  昭和17年7月 ガンジーの日本への手紙
  「すべての日本人へ

あなた方が世界の強国と肩を並べたいというのは立派な野心である。
しかし、中国を侵略したり、ドイツやイタリヤと同盟することは、その野心は度をこしたもので、正当なことではない。

もしあなた方がイギリスが印度から退却したら、印度に入ろうという考えを実行するならば、わが印度は全力を挙げて、かならずあなた方に抵抗する。

われわれはあなた方を最後には道徳的崩壊に終わるに違いない道、いや、人間をロボットにしてしまうに違いない道から正しい道に引き戻したい・・・
記録映画 小林正樹監督「東京裁判」より


昭和23年 2月10日
片山内閣総辞職
昭和23年 2月11日 (紀元節)
最終論告・・・キーナン
昭和23年 3月 2日 
最終弁論・・・鵜沢聡明
昭和23年 3月10日 
芦田内閣成立
昭和23年10月 7日 
芦田内閣総辞職
昭和23年11月12日
極東軍事裁判 判決・・・・・・東京裁判閉廷

.
東京裁判と父田中隆吉 田中 稔 

(『敗因を衝く−軍閥専横の実相』192頁)

昭和23年11月12日、東京裁判の判決が下されると、父(田中隆吉)は新聞社の要請により次のような感想を述べている。

「私は一昨年二月十八日(昭和21年2月18日)から今日まで本裁判に協力して来た。
私はこの裁判の間に、裏切者だとか、アメリカのスパイだとか言われたが、自分は確固たる信念を持って動いたと信じており、自身としては陸軍の犯した罪悪の葬式をやった気持ちである。いいかえれば最も戦争を嫌っておられたにもかかわらず、陸軍のために手も足も出なかったお気の毒な天皇の無罪を立証するために全力をそそいだつもりだ

この私の行動は自分では正しいと信じているが、その善悪の決定は将来の歴史が与えてくれるものと思っている。裏切者といわれようと何とも思わぬし、殺すというものが現れたら、いまなら喜んで死んでみせる。・・・・・

本裁判の間、私は多くのアメリカ人に接する機会を持ったが、なかでもキーナン氏の透徹した日本観、すなわち日本および日本人に接する観察はきわめて正しいものであったと絶大な敬意を表している。
罪の裁きを受けた人々は、もちろんすでに覚悟はしていたことと思うが、その服罪によって、将来の平和確立の理想達成にいささかでも貢献できるとしたら、それで満足すべきであろう。ただし、家族の方々に対してはまことにお気の毒だと思っている」
東京裁判と父田中隆吉」  田中 稔
.

bc
   東京裁判以前から進行していたもうひとつの戦争裁判  BC級裁判
 私は貝になりたい    BC級戦犯 (『ウィキペディア』)
TBS


 昭和33年(1958)放映 芸術祭文部大臣賞受賞
 平成 3年(1996)再放映
私は貝になりたい  ポツダム宣言  捕虜の定義 J・ファーネス 御前会議
 短い鉛筆で遺書を書く・フランキー堺のナレーション


 
「私は貝になりたい」より



昭和23年11月23日
マッカーサー 
対日理事会において各国代表に刑の変更に関する意見を求め、現判決通りの執行を決定した。そして声明発表。
.
私は第8軍司令官に対し国際軍事裁判所が下した判決通り、刑の執行を行なうことを命ずる。
私はかかる命令を与えることにより、全知全能の神が、この悲劇的な罪障消滅七名の代表罰としての死により、日本の“罪障”は消滅した?)の事実をもって、すべての国家をして、戦争を放棄するにいたるまで、象徴と使い給うことを願うものである
記録映画 小林正樹監督 「東京裁判」
.

「私の永い公務生活は、苦悩の多い、寂しい、またわびしい仕事や、責任に富んだものであるが、その公務生活中に遂行を命ぜられ任務で、今回の極東軍事裁判所によって下された判決を審査する仕事ほど私にとっていやなことはなかった。」

「人間の行なう決定には、絶対にあやまりがないということはありえない。多くの人がこの判決について違った意見を持つことはさけられない。東京法廷を構成した学識ある判事たちでさえも完全に意見の一致をみたわけではなかった。しかし、現在の不完全な文明社会の進化過程においては、法廷が下した厳粛な決定の完全さについて、神ならぬ人間として、これ以上信頼できるものはありえないように思われる。」


「私は第8軍司令官に対し国際軍事裁判所が下した判決通り、刑の執行を行なうことを命ずる。
私はかかる命令を与えることにより、
全知全能の神が、この悲劇的な罪障消滅の事実をもって、人類の最悪最大の罪である戦争というものは、全く無用なものであることをすべての善意の人々に認識させ、ひいてはすべての国家をして、戦争を放棄するにいたるまで、象徴と使い給うことを願うものである
かかる目的のため、刑執行当日は、私は、日本全国のすべての宗教団体の会員達が、人類の滅亡を来たさないよう、この世界を平和のうちに在らしめるため、加護し、導かれるよう祈りをささげることを求めるものである」
「秘録 大東亜戦史 東京裁判篇」 昭和28年11月30日発行 兜x士書苑 156頁
.

昭和23年12月23日(皇太子誕生日)
死刑執行

・・・全知全能の神が、この悲劇的な罪障消滅(死)の事実を持って、すべての国家をして、戦争を放棄するにいたるまで、象徴と使い給もうことを願う・・・前記 マッカーサー声明

その後・・・・・
●1950 朝鮮動乱 東西の代理戦争 マッカーサー中国爆撃・兵器使用進言で解任
●1954 アルジェリア反仏独立戦争宣言 
●1956 ハンガリー市民 反ソ暴動 
●1956 スエズ動乱 英仏イスラエルがエジプトに侵攻 
1956 米 南ヴェトナムに軍事援助強化 
1962 キューバ危機 ミサイル基地問題で米ソ衝突の危機
●1965 ヴェトナム全土へ戦争拡大
●1967 中東動乱 アラブ諸国とイスラエルの対立激化
●1968 ヴェトナム ソンミ村虐殺事件
1968 ヴェトナム全面戦争  
1968 チェコ動乱 
●1972 米 ヴェトナム北爆拡大 ・・・・・・・・・・・
記録映画 小林正樹監督 「東京裁判」 エンディング


  



判事団の少数意見
朗読を要請する弁護団の動議も、長時間に渡ることを理由に却下

少数意見提出判事
判事席(左より) パル(印度 左端) ローリング(和蘭 2人目) ウェッブ(濠 6人目) ベルナール(仏 9人目) ハラニーヨ(比 右端)
1
ウェップ裁判長
(オーストラリア)
1・

裁判所には「純粋な共同謀議」を犯罪にする権限はない。それをするのは裁判官による立法に等しい
・・・
2・


日本の被告に、より凶悪なナチス・ドイツ被告より重罰を科すべきではない。どの日本被告も、侵略戦争を謀議・計画・準備・開始・遂行したことについて死刑を宣告されるべきではない
・・・
3・




天皇が進言に基づいて行動したとしても、それは彼がそうすることを適当と認めたからである。それは彼の責任を制限するものではなかった。

大臣の進言にしたがって国際法上の犯罪を犯したことに対しては、
立憲的君主でも許されるものではない

天皇が不起訴にされた以上、ここにいる被告に死刑を含む量刑を持って臨むことはは公平を欠く・・・アメリカの政策に対する最大の抗議

ウェップの天皇責任論 : ベルナール判事の所見よりも論理的
しかし 「本官は天皇を訴追するべきだったと示唆するものではない
・・天皇の免責を強調
ただし有罪の認定を受けた被告の量刑の差異
正義の要求にしたがって天皇の免責を考慮にいれねばならない

天皇の免責
総ての連合国の最善の利益の為」に決定されたことを指摘

被告達を共犯者と見做し、天皇の免責を考慮すべき・・・被告達の減刑進言の意を含めた
少数意見(特にベルナール・ウェップの天皇責任論)が生起させた反響
・・・天皇退位論
2


ベルナール判事
(フランス)
・・・ 法廷が裁判所条例に対する検討を回避したことに遺憾の意を表明

この裁判で審理を受けているものの責任は“直接の遂行者”の責任とはまったく異なった性質のものであり、予想されている刑の宣告の重大さは、この責任の性格が明確にされない限り、決定することができない。

これを明確にするには、自分の作為または不作為の必然的結果以外のことに対して、だれも責任を負わされることはありえないことを思い出す必要がある
 
・・・被告は「不当な責任」を追及された
                   


東京裁判には予審もなく、起訴・不起訴の権利は検事側に一方的に握られ、裁判所には、起訴を公正に指導する立場と機会が与えられていなかった

天皇に関して特に明白であり遺憾

太平洋戦争の戦線において、否定することができないのは、そこに一人の主要な “発起人” があり、そのものが一切の訴追をまぬがれていることで、本件の被告はその共犯者としてしか考えられることはできない

3


ローリング判事
(オランダ)


11ヵ国を代表する11人の判事によって構成される裁判所が“最高司令官(マッカーサー)に使われる道具”であってよいはずはない
・・・
最高司令官が定めた裁判所条例の適法性を審査する権限を持つべき
・・・


多数派判事の“侵略戦争への主要な指導者であった被告が、死刑に値する”には反対
・・
侵略戦争と雖も、法的には“犯罪”とされていない

刑の軽減について
広田の場合 :


広田の国策基準要項を決定したのは、戦争もやむをえないことはわかるが、これが致命的なものであっても罪の概念にあたるものではない
木戸も無罪 :



もし天皇の立憲君主としての機能が制限されたものであったとすれば、その側近の内大臣の権限も限られていたはず。
木戸内大臣が日本の政策を侵略戦争の方向に向けた一派の一人であったとは結論できない
軍人について:

単に政府の政策を実行した軍人を、平和に対する罪で、有罪と見做してはならぬ。
軍隊の義務は忠誠であること。平和に対する罪に関しては軍人の責任を考慮するにあたっては極めて慎重を要する

名誉ある兵馬の職”が国家間の交際上必要なものである限り、この職業ならぬ政治に関与することを強要されぬよう、保護されねばならない。
またそれが自己の本分内にとどまっている限り、戦争が敗北に終わった後に、それに対して提起される訴追に対して保護されねばならない

軍人は、国家の為に戦う職務を与えられている。
それを
その職務に忠実であったというだけで“犯罪人”と見做すのでは、そもそも軍隊という存在が否定されねばならない

4


ハラニーヨ判事
(フィリピン)
・・・ 多数意見を支持
裁判所が被告に寛大過ぎ・・・もっと厳格な刑罰を科すべき

パル判事を「
自分の任務を無効にした」と名指しで非難

5



パル判事
(インド)
裁判所条例と言えども、国際法を越えることは許されない
・・・




国際社会において、戦争は・・・法の圏外にある・・・一国家が他国家の征服支配の準備をなすことは最悪の犯罪である、ということは現在ではその通りであるかもしれない。しかし、第二次大戦前には・・国際社会はまだ、こういう汚点を犯罪とするほどの発展を遂げていなかった
・・・


日本の戦争への踏みきりは自ままな侵略の為でなく、むしろ “独断的な現状の維持〜政策” をとる西洋諸国によって、挑発されたため
・・・


ハルノートのようなものを受け止めれば、日本のみならずモナコ王国やルクセンブルク大公国でさえも、米国に対して弌をとって立ち上がったであろう
・・・



非戦闘員の生命と、財産の無差別破壊が違法というなら、原子爆弾投下の決定こそ第一次大戦におけるドイツ皇帝の指令、第二次大戦におけるナチス指導者の指令に近似した唯一のものだ
・・・
裁くものの手も汚れている
全員無罪を主張      しかし日本の行動を容認したものではない
  判決文の締めくくり
・・・時が、熱狂と偏見をやわらげた暁には、また、理性が虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には、その時こそ、正義の女神はその秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くに、その所を変えることを要求するであろう
日本無罪論を呼び起こす


.
東京裁判挿話

東京裁判 「 国を越えた友情 」

東京裁判に於いて被告本人による証言は1回だけ認められていたが、その権利を放棄した被告の一人に重光葵もいた。

証言台に立たない重光のかわりに、弁護人ファーネスは重光に有利な供述書を求めて英米に飛んだが、その時重光は「友情を利用するようなことはしたくないから、相手がすすんで証言してくれること以外は求めないで欲しい」旨を伝えた。
しかし、かつて重光が外交官生活を通じて知り合ったアメリカ・イギリス人の友情に満ちた供述書が次々に提出された。
重光の誠実な外交官生活の証しである。

重光はその日の日記に記した。

国際間の公私の仕事の関係に於いて信頼を得ることほど大切なことはない。
しかも戦争において公に敵味方になる場合には深刻な試練に合う。

国際間において国家を超越して得たこれらの証言は、私の困難な一生を通じて得た立派な報酬として、感謝と誇りを持ってこれを受けることにした
。」

とかく「情」と「責任」をいっしょくたにして、かつ「坊主憎さのあまり袈裟まで憎んだ」証言等を引き出した東京裁判のなかで、国を越えた交流の爽やかさを伝えてくれた挿話。
記録映画 小林正樹監督 「東京裁判」より

重光 葵


 重光弁護人 ファーネス
昭和33年放映
   「私は貝になりたい」に特別出演

*
秘録 大東亜戦史 東京裁判篇
昭和28年(1953)11月30日発行 兜x士書苑 (260円)
目 次
ペンは重く 朝日新聞社     社会部  野村正男
歴史の虚実        
海図なき航海        
市ヶ谷の表情 毎日新聞社     写真部  日沢四郎
巣鴨の報道合戦(1) 朝日新聞社     社会部  野村正男
巣鴨の報道合戦(2) 共同通信社     社会部  小沢武二
巣鴨の報道合戦(2) 共同通信社     外信部次長  松原弘雄
カメラマンの手帖 元日本映画社    カメラマン  浅井達三
法廷記者席にて(1) 朝日新聞社     社会部  野村正男
法廷記者席にて(2) 共同通信社     外信部次長  松原弘雄
時は流れる 朝日新聞社     社会部  野村正男
法廷秘話 中部日本新聞社  社会部次長  平野素邦
還える人・還らぬ人 共同通信社     社会部  小沢武二
遺骨物語         々
 

被告席


巣鴨〜市ヶ谷法廷への道

市ヶ谷法廷




終戦の詔勅  (読み)  (現代語訳)  (戻る

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朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
抑々帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所曩ニ米英二國ニ宣戰スル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス
然ルニ交戰已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海將兵ノ勇戰朕カ百僚有司ノ勵薗スカ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ盡セルニ拘ラス戰局必スシモ好轉セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス
加之敵ハ新ニ残虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル
而モ尚交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ
斯クノ如クムハ朕何ヲ似テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ~霊ニ謝セムヤ
是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムニ至レル所以ナリ
朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ開放ニ協力セル諸連邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス
帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内爲ニ裂ク
且戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ
惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル
然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス
朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ亂リ爲ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム
宜シク擧國一家子孫相傳へ確ク~州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ演リヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ
爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ
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終戦の詔勅 (現代語訳) (戻る

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朕(ちん)深く、世界の大勢と帝国の現状とにかんがみ、非常の措置をもって時局を収拾せんと欲し、ここに忠良なる爾(なんじ)臣民に告ぐ。
朕は帝国政府をして、米英支蘇四国に対し、その共同宣言を受諾する旨、通告せしめたり
そもそも、帝国臣民の康寧(こうねい)を図り、万邦共栄の楽しみをともにするは、皇祖皇宗の遣範にして、朕の拳々措かざる所(けんけんおかざるところ)、さきに米英2国に宣戦せる所以(ゆえん)もまた、実に帝国の自存と、東亜の安定とを庶幾(しょき)するに出で、他国の主権を排し、領土を侵すがごときは、もとより朕が志にあらず。
しかるに、交戦すでに四歳を閲(けみ)し、朕が陸海将兵の勇戦、朕が百僚有司の励精、朕が一億衆庶の奉公、各々最善をつくせるに拘らず、戦局必ずしも好転せず、世界の大勢また我に利あらず。
しかのみならず、敵は新たに残虐なる爆弾を使用して頻(しき)に無辜(むこ)を殺傷し、惨害の及ぶ所、真に測るべからざるに至る。
しかもなお、交戦を継続せんか、ついに我が民族の滅亡を招来するのみならず、ひいて人類の文明をも破却すべし。
かくの如くんば、朕、何を以てか、億兆の赤子(せきし)を保し、皇祖皇宗の神霊に謝せんや。
それ、朕が帝国政府をして、共同宣言に応ぜしむるに至れる所以なり。
朕は帝国と共に、終始東亜の開放に協力せる諸盟邦に対し、遺憾の意を表せざるを得ず。
帝国臣民にして、戦陣に死し、職域に殉じ、非命にたおれたる者、及びその遺族に想いを致せば、五内(ごだい)為に裂く
かつ、戦傷を負い、災禍を蒙り、家業を失いたる者の厚生に至りては、朕の深く軫念(しんねん)する所なり。
おもうに、今後帝国の受くべき苦難はもとより尋常にあらず。
爾臣民の衷情(ちゅうじょう)も、朕、よくこれを知る。
しかれども朕は、時運の赴く所、堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、もって万世の為に大平を開かんと欲す。
朕はここに、国体を護持し、得て、忠良なる爾臣民の赤誠に信倚(しんい)し、常に爾臣民と共にあり。
もし、それ、情の激する所、みだりに事端を滋くし、あるいは同胞排擠(はいせい)、互に時局を乱り、為に大道を誤り、信義を世界に失うが如きは、朕、最もこれを戒む。
宜しく、挙国一家子孫相伝え、かたく神州の不滅を信じ、任重くして道遠きをおもい、総力を将来の建設に傾け、道義を篤(あつ)くし、志操を鞏(かた)くし、誓って国体の精華を発揚し、世界の進運に後れざらんことを期すべし。
爾臣民、それ、よく朕が意を体せよ。
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終戦の詔勅  (読み)  (戻る

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朕は世界の大勢と帝国の現状とを深く考慮した結果、非常措置により時局を収拾しようと思い、ここに忠良なお前たち国民に告げる。

朕は「アメリカ、イギリス、中華民国、ソ連の四カ国が発した共同宣言(ポツダム宣言)を大日本帝国政府は受諾する」という事を、大日本帝国政府からそれら四カ国に対して通告するように指示した。

そもそも大日本帝国国民の平和と安全を図り、世界中の国々と共栄し仲良くする事は、歴代天皇の遺した教えであり、朕がつつしんで心から大切にしてきた事であった。
先にアメリカとイギリスの二国に宣戦した理由もまた、本来は大日本帝国の生き残りと、東アジアの安定を心から願う為だったのであり、他国の主権を侵し、領土を侵略するような行動は、朕の本当の意思ではなかった。

けれども戦争が始まって4年が経過し、我が陸海軍の将兵が勇敢に戦い、我が政府の官吏が一生懸命働き、我が一億の国民が国家の為に働いて最善をつくしたにもかかわらず、戦局は決して好転せず、世界の大勢もまた我が方に有利にはならなかった。

これに加えて敵はこの戦争の為に新たに開発した残虐な爆弾を使用して、むやみに罪無き者を殺傷し、惨害が及んだ所は真に計り知れないという状態になってしまった。
この上まだ戦争を続けるなら、最後には我が民族が滅亡してしまうのみならず、全人類の文明すらも破壊されてしまうだろう。

そのような事になってしまったら、朕はどのようにして国民を安んじ、どのようにして歴代天皇の霊に謝る事ができようか。
これが、大日本帝国政府がポツダム宣言を受け入れるように朕が指示した理由なのである。

朕は大日本帝国と共に、終始、東アジアの開放に協力してくれた諸国に対し、遺憾の意を表せざるを得ない。

戦場で死んだり、自分の職務に殉じたり、災難で斃死した人々やその遺族の事を思うと身が張り裂ける思いである
また、戦傷を負い、災禍をこうむり、家業を失った人々の健康と生活の心配を、朕は深く憂い思っている。

思うに、今後大日本帝国が受けるであろう苦難はもちろん尋常なものではないが、朕はお前たち国民の真心をよくわかっている。

しかしながら朕は時運のおもむく所、堪え難きを堪え、忍び難きを忍ぶ事によって、これから先の永遠の未来の為に平和を取り戻そうとしたのである。
朕はこれまで国体を護持することができて、忠良なお前たち国民の真心を信頼し、常にお前たち国民と共にあった。
もしも過激な感情に任せてみだりに事を荒立てたり、或いは同胞を仲違いさせ、互いに時局を乱し、それによって大いなる道を踏み外し、世界から信用されなくなるような事になれば、それは本来朕が最も受け入れ難い事態である。

まさに国を挙げて家と子孫を伝え残し、日本という神の国の不滅を信じ、任務が重くしかも道は遠い事を思い、将来の建設に総力を挙げ、道義を篤く守り、固い信念を持ち、必ず国体を立派にし、世界の流れに遅れないようにしなければならない。

お前たち国民は、ここに述べた朕の意志をよく汲み取って行動せよ。
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レジュメ
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