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風通しのいい関係を求めて

志治美世子・ノンフィクション作家

2009年2月9日

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 大阪駅前の交差点のど真ん中、だった。

 去年の4月5日のことだ。

 左足の付け根のあたりにぴきっ!っという痛みが走ったかと思った瞬間、渡りかけていた横断歩道上で、突如私の足は動かなくなった。

 あれれ? と思う間もなく、青だった信号は点滅し始める。とにかく何とか横断歩道だけは渡りきってしまわなければならない。脂汗を流しながら必死で対岸にたどり着いたときは、信号はとっくに赤に変わっていた。

 何と言っても、場所はドライバーのマナーがワイルドなことでは全国にその名も高い、大阪である。さっさと道路上から退散しなければ、我が身が危ない。

 献血を呼びかけるテントの前で途方にくれるも、ここで立ち止まることもできない。志高い献血スタッフと善意の献血者の方々のおじゃまである。

 こんなふうに突然歩行不能状態に陥ったのは、以前にもあった。そう、あの時の診断は筋断裂だった。歩けなくなっただけで、命に別条があるわけではない。この時点で救急車という選択肢を外し、予約していたホテルに電話を入れて助けを求めた。幸い、ホテルは駅徒歩3分だった。しばらく横になって休めば、きっと良くなるだろう。救急隊員の友人から勤務の過酷さを聞き及んでいた私は、足が動かないくらいで救急車を呼ぶなんて、「申し訳ない!」と考えてしまったのです。これが、すべてのややこしさの根源だったのですが……。

■救急病院を目指して

 ホテルからのお迎えの人に荷物をお願いし、なんとかチェックインを済ませる。1時間ほど休憩してみるが、あんまり状況が改善したようにも感じられない。フロントに電話で聞いてみると、すぐ近くに救急病院がある、と言う。「よし! なんとかそこまで行こう!」と決心した私は、ほんの1ブロック先に見えている病院を目指して、はるかな旅に出た。

 ブロック塀を伝ったり、右足でケンケンしたりしながら、なんとか病院の建物まではたどり着いたものの、そこで私は力尽きた。建物は病院だが、建物に着いただけではどうにもならない。玄関から建物の中に入らなければ、病院は何も私にしてくれることはできない。どうにもならない私は、建物の横にへばりついたまま、誰かが通りかかるのをひたすら待った。と、自転車置き場に女性がいるのが目に入る。恥ずかしさを押し殺して、私は歩けないことを告げて、助けて欲しい、と頼んだ。

 私が声をかけたのは、たまたまその日の勤務を終えた看護師さんだった。彼女が急いで取りに行ってくれた車イスのお陰で、私は無事に病院内へと運んでいただくことができたのです。

■病院内の病院

 さてと、これで安心! あとは病院がなんとかしてくれる。そう思った私は、この後「病院は一つでも、実は病院内にはいくつもの違う病院がある」という事実を、身をもって知ることになるのでした。

 私を運んでくれた看護師さんは、「外来は終わってるんです」と言う。でも、救急病院だから診てはもらえるんじゃないの? だめなの? だったらせめて診てくださる近所の開業医さんを紹介してください。思案顔の看護師さんは、お仕事仲間のもう一人の看護師さんと何やら相談している。

 「ダメ元で、とにかく外来の受付に頼んでみましょうか」。やがてそう話がまとまった。私は訳が分からないまま、事態が動くことを喜ぶ。

「少し待っていてください」。二人はそのまま姿を消すが、ほどなく戻ってきて、「受け付けていただけることになりました」。まだ最後の外来の患者さんが残っているので、そのあとで診察してもらえることになったのだ。では、あの思案顔は何だったのか? 彼女たちはこの病院の看護師さんではないのか? ?マークを連発しながらも、私は外来の順番を待つ。「診察が終わったらホテルまでお送りします」との申し出までいただき、彼女たちは私を残していずくへともなく去っていった。私は?マークのままほっと胸をなで下ろした。

 整形外科の外来の看護師さんは、この突如出現したタイムアウトの患者にきっぱりと言った。「こういう場合は、迷うことなく救急車を呼んでください! そうすれば、何の問題もなかったんです」。この時私は、救急病院と一般外来では、同じ病院でも違うシステムの元で運営されているんだ、ということに気がついたのです。

 「まあ、疲れたんでしょうねぇ。休んでください、としか言いようがありませんね」

 整形外科医は言った。エックス線写真には異常がない。「無理してたんでしょ」。はい、言われてみればかなりしていたかもしれません。連日スケジュールが入っていて(仕事ばかりとは限らなかったのですが)、東京駅で新幹線に飛び乗るときも、階段駆けあがってましたし。旅行中であることを告げて、ロキソニンとボルタレンテープを余分に処方していただく。

 診察室を出て会計を済ませると、「さっきここまで連れてきてくれた人は?」と、外来の看護師さん。ええ? 一度は安堵(あんど)から霧散していた?マークが、再び出現する。聞きたいのは、私です! ホテルまで連れて行ってくれるって言ってたのに! 「見たことない人だったわよねぇ」「訪問看護の人だったと思うんだけれど」。この時点で、私はまたもや外来と地域医療では、またまた病院内別病院であることを知るのである。患者から見れば同じ病院の中だけれど、まったく違う組織として存在しているのだ。

 名前も知らなければ、診察終了後の打ち合わせをしていたわけでもない。私は病院内迷子となった。「タクシーでホテルまで帰るしかないですね」。外来の看護師さんに言われて、とにかく車イスのままタクシー乗り場まで連れて行ってもらう。ホテルは、すぐそこに見えてるんですけど。と、そこにいずくへともなく去っていった救世主たる彼女たちがいずくからともなく現れて、「まあ、お送りしますって言ったじゃないですか」。ええ、本当にお願いしたかったんですが、どこのどなたにどうやってお願いしたらいいのやら、私にはさっぱり分からならなかったんです……。しかし、「外来病院」で通りすがった親切な「訪問看護」病院の看護師さんによって、とにもかくにも私はホテルに送り届けていただくことができたのである。最初に目指した「救急外来」病院には、とうとうたどり着くことはできなかったが。

■患者が知らない世界

 どうやらこれらの三つの病院は、それぞれある国境の、特定の「関所」以外では行き来ができないらしいのだ。この事実はかなり私を驚かせた。こういうのって、患者はどうして知らないままにいるのだろう。そういえば、事務方と外来、入院病棟の風通しが妙に悪いのを感じたことが何度もある。

 私は難疾患を抱えた患者なのだが、もうだいぶ前のこと、「症状が安定していること」を理由に、「一度認定を外しては?」と掛かり付け病院の事務の人から言われたことがある。私はこの事務の人の意見が、主治医の意思を反映したものである、と単純に思いこんでいたので、外来時にまったく無邪気に次回の申請はしなくてもいい旨(要するに、私はもう危険な状態に陥るリスクの少ない患者だと考えていいのだ、というような意味だった)、主治医に確認したのだ。すると、突如主治医が烈火のごとく怒りだしたのである。

 「とんでもない! あなたは薬を飲んでいるから治まってるんだ。そんなことを事務の人間がどうこう言うことではない!」

 今から思えば、医療費削減政策のために病院もお役所からああだこうだ言われていた時期だったのだろう。この患者から見れば同一の病院内でありながら、病院内部署別「温度差」が存在する。事務と外来では敷かれているレールが違うのだ。あのとき私はこんな出来事にもかなり驚かされたものだった。書類を書いてもらうために外来に用紙を持参しろと事務さんに言われて持っていったら、医師からは「郵送で良かったのに」と言われたこともあった。一つの病院のなかを、いくつもの違う意思や価値観が流れている。

 別の話ではあるが、ふだんは東京の有名病院に通院している近隣県在住者が、昨年、急に容体が悪くなって救急車を呼んだものの、救急車が掛かり付け病院に搬送してくれなかった、というので騒ぎになった話も聞いている。救急車は県境を越えてくれないケースもあるのだということ

 こんな現実の中で、私たちは自分の日常を病気と付き合いながら生きていく。こんな大切なことを、どうして私たち患者は知らないままにいるのだろう? 特別な専門知識ではない、ごくあたりまえの、私たちが生活していく上での大切なシステム。知っていなければならないはずなのに、誰もわざわざは教えてはくれない。お互いの立ち位置を知らないために感じてしまう、少なからぬ違和感やざらつき感。

 けれどもこんな関係から抜け出すことからだって、私たちはお互いの関係をさらに良いものに築いていけるはずなのだ。医療現場の風通しがよくなることによって、もっと居心地のいい医療が生まれるはず。そう思っている。

     ◇

 志治美世子(しじ・みよこ)1956年、東京生まれ。ノンフィクション作家。一女の母。医療や歴史、女性、社会などについて執筆している。医療事故で真実を求める家族や、良心と組織の論理のはざまで悩む医師ら、医療の現場の人々を描いたノンフィクションで、2007年、第5回開高健ノンフィクション受賞。受賞作は08年5月、「ねじれ 医療の光と影を越えて」(集英社)として出版された。

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 病気になったり、けがをしたりした時、誰もが安心して納得のいく医療を受けたいと願います。多くの医師や看護師、様々な職種の人たちが、患者の命と健康を守るために懸命に働いています。でも、医師たちが次々と病院を去り、救急や産科、小児科などの医療がたちゆかなる地域も相次いでいます。日本の医療はどうなっていくのでしょうか。
 このコーナーでは、「あたたかい医療」を実現するためにはどうしたらいいのか、医療者と患者側の人たちがリレー形式のエッセーに思いをつづります。原則として毎週月曜に新しいエッセーを掲載します。最初のテーマは「コミュニケーション」。医療者と患者側が心を通わせる道を、体験を通して考えます。ご意見、ご感想をお待ちしています。

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