経済観察報記者 / 汪言安
2009年1月5日午前7時20分、黄燕清は北京胸科医院の集中治療室で息を引き取った。窓の外ではちょうど紅色の朝日が昇りつつあった。福建省から北京に出てきて2年足らず。まだ19歳にもならない彼女は、再び新春(旧暦の正月、今年は1月26日)を迎えることができなかった。
彼女の命を奪ったのはありふれた病気ではない。亡くなった当日、北京市疾病予防抑制センターと軍事医学科学院が患者から採取した検体をそれぞれ検査し、さらに中国疾病予防抑制センター(CDC)が再検査を行った。その結果、H5N1型鳥インフルエンザウイルスの核酸陽性反応が出たのである。中国衛生省の専門家チームは、黄燕清が高病原性の鳥インフルエンザに感染していたと断定。2009年の初めての死亡例が確認された。
福建省からの出稼ぎ家族を襲った悲劇
「娘はどこにいるのか分からない」――。黄燕清の父親の黄金象は、悲しみの表情で頭を振りながら、マスコミの質問攻勢に同じ言葉を繰り返した。母親は、娘が生前使っていたベッドの枕元に伏して泣いていた。
1月4日の夜、娘を最後に診察した北京胸科医院の医師は、両親に「鳥インフルエンザに感染している可能性がある」と知らせた。この時、既に入院から5日が過ぎていた。不吉な予感に襲われた両親は、慌てて集中治療室に駆けつけて娘に会おうとしたが、当直の医師に止められてしまった。
昨年12月30日、両親は自宅から10キロメートルほど離れた北京胸科医院に娘を連れてきた。北京市通州区で唯一の「三級甲等(規模や専門性で格付けされる最高ランク)」の専門病院で、結核の治療に定評がある。黄燕清は真菌感染と診断され、集中治療室に運ばれて酸素マスクを装着された。
隣人たちによると、両親は娘の最期を看取ってやることができず、彼女がどこに安置されているのかも分からず、やり場のない無念と後悔に苛まれているという。集中治療室に入ってから亡くなるまでの間、娘に話しかけることも、好物を作って食べさせてやることもできなかった。そして最後の別れの機会も与えられないまま、娘の遺体は衛生防疫当局に引き渡された。
「恐ろしい病気だけに仕方がない」。当局の対応に、父親は公の場では一定の理解を示した。
一家と同じ福建省の出身者2人が、22キロメートル離れた河北省三河市の行宮市場で食肉用に処理されたアヒル9羽を買ってきたのは、昨年12月19日のことだった。父親はその1羽を手に入れた。福建省では冬至にアヒルを食べる習慣があり、この日は冬至の2日前だった。
黄燕清は、手でアヒルの首をつかんで家に持ち帰った。帰宅した後、まだきれいに抜けていない羽毛があることに気づき、水場へ持って行って自分で処理した。その後、父親が内臓を取り除き、娘にきれいに洗うよう言いつけた。冬至の夜、親子3人は父親が腕を振るったアヒル料理を幸せそうに食べた。