とれいん工房の汽車旅12ヵ月

鉄道関係の時事ネタを紹介するブログです。趣味の外縁部に転がっている、生活には役に立たない情報を中心に語ります。廃線、未成線、LRT、鉄道旅行、鉄道史、駅、遊覧鉄道、鉄道マニア、鉄道本書評、海外の鉄道、奥祖谷観光周遊モノレール、宮脇俊三、種村直樹、今里筋線、阪急新大阪線、三江線、西武線、マンガ、アニメ、読書...etc。 2008年夏の同人誌新刊「おおさか東線と城東貨物線」(2008/8/17、108ページ、B5版、900円)はただいま通販受付中。プロフィール欄の"katamachi"という緑字から当方宛にメールを送って下さい

2009-02-04

katamachi2009-02-04

[]山万のボナの女子大駅が存亡の危機を迎えている。

 訳の分からないタイトルで申し訳ない。山万女子大駅がこの春には消えるかもしれない。

 山万、という会社をご存知だろうか。千葉県不動産をやっている会社らしいのだけど、関西在住の僕にとってその名前新聞や折り込みチラシなど見かけることはない。

 でも、会社名だけは小学生の頃から知っている。この不動産屋、千葉県佐倉市鉄道を運営しているからだ。わずか4kmとは言え、旧運輸省→国土交通書のお墨付きの、れっきとしたホンモノの鉄道事業者だ。

 走っているのはこんな車両愛称はボナ。

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 高架線の上をゴムタイヤで走る。ゆりかもめポートライナーと同じ新交通システムなのだが、インフラはかなり簡略化されていて、どちらかというと昭和の御代に遊園地くるくる回っていた遊具に近いモノはある。

ユーカリが丘線|ユーカリが丘タウンガイド

山万ユーカリが丘線 - Wikipedia

ホームページ案内

 そして、山万ポイントは以下の4点。

 そして、もう一点。

 とにかく、その存在自体が、僕ら鉄道マニア常識をいろんな意味で裏切ってくれる鉄道なのだ。

 そんな山万開業から25年が経ったのを記念し、「25周年記念キャンペーン「あなたが名づけ親」なることを始めた。ボナのあれこれをリニューアルするらしい。

 あまり、いらんことはせんといてや。「女子大」「中学」という意味不明の名称が山万のボナの特徴だったのに。

 女子大駅が消える前に一度は……と気になっていた。


21世紀ニュータウンの切り札であったはずのボナ。そして現実

 「そして誰もいなくなった京浜急行電鉄黄金町駅高架下の元売春街を歩く - とれいん工房の汽車旅12ヵ月」で書いた京浜急行電鉄黄金町駅→日ノ出町駅のウオッチングを楽しんだ後、根岸線関内駅から上野駅、そして特急普通京成線ユーカリが丘駅に向かった。この駅自体、山万ニュータウンを造るというので1982年11月に新設された。

 久しぶりに降り立ったら、その駅前の賑わいぶりに驚いた。高層のマンション商業施設が駅前から続く幹線道路沿いにどこまでも続く。18年前に来たときはまだ開発の途上で、千葉ニュータウン同様、先行き不安な開発地なのかなと思っていたけど、どうもここはうまく開発が進んでいったみたい。

 そして、メインストリートの上にボナが走る高架線が続く。向こうから、われらが愛すべきボナが……

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 あれ、変なコアラマークが頭に付いているよ。まあ、いいや。とりあえず駅へ。

 京成の駅から続く通路を渡って、山万ユーカリが丘駅へ。

 ここの駅も含めて、全駅で自動改札機が完備。

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 ただ、置いてある機械は、今では懐かしい大昔のタイプ。無骨なデザインが愛らしい。一応、窓口で聞いてはみたが、もちろんPASMOとかSuicaとかそういうナウなものには対応していないようだ。

 というか、山万という会社。この鉄道で採算を取ろうとかケチなことは何も考えていないようで、この25年間、ほとんど投資らしい投資をしてこなかった。開業当時から固定費を減らそうと言う姿勢は一貫していた。

 ゆえにバリアフリーとかいう言葉とも無縁。剥き出しの長い階段が続き、年配の女性が手すりを支えにしてゆっくり歩かれているのを追い越していく。

 ホームには、ボナが待っている。

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 遊園地を回遊している園具なんかとよく似た感じ。丸っこいデザインが愛らしい。

 僕が小学生だった1982年鉄道趣味誌でこの車両を見たとき、

「ああ、21世紀住宅って、こういうのがあちこちで走っているのかな」

とか、いろいろ感じた。大阪南港のニュートラム神戸ポートライナーとはまた別種の、新しい時代の到来を予感させてくれる車両のようにも思えた。

 塗色は「新幹線リレー号」に入った185系を彷彿させる。あれも、国鉄が新時代を迎えたというのを強烈にアピールしてくれた車両だった(7年後には国鉄解体されたが)。

 それから26年。残念ながら、ヨソの街にまでこれは波及しなかった。一不動産屋には手に余る鉄道施設。維持管理が大変。

 未来鉄道にも寄る年波は迫ってきている模様。近づくと、鋼板とかが微妙に波打っている。四半世紀も経つとそろそろ更新の時期に来ているんだろうけど、どうするのかな。"新車"を入れるかどうかの決断はどこでするんだろ。

 大きさはこんなもの。

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 写真の右側に中学生の姿が写っているが、車両高はかなり低い。ゆえに身長173cmとフツーの高さの僕でもしゃがまないと車内に入れない。

 中はこんな感じ。

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 フツーの電車と比べると吊革の位置がかなり高いのはお気づきだろうか。


 列車は20分に1本の間隔で出発する(朝は7.5分に1本)。

 路線図はこんな感じ。

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 ユーカリが丘駅を起点とし、公園駅から女子大駅へ。そして街をくるっと回って再び公園駅に戻り、終点のユーカリが丘駅へ。テニスラケット状に周回運転をしている(ユーカリが丘公園間は複線)。列車はこの一方向のみの運転。

 で、反対向けに運転はしない。だから、ユーカリが丘駅から井野駅へは大回りになるのだけど、まあそれはそれ。階段の上り下りが大変(年配の方は特に辛いと思う)とか、住宅地と駅の場所が離れていて不便(1kmも離れていたら自転車原チャリ京成の駅へ直接行った方がラク)とか、運転本数が少ないのに高い(200円均一だが)とか、そんな批判もあるので玄関口となる京成ユーカリが丘駅までクルマで向かいに行く人もかなりいると聞く。"鉄道"として存続していけるのかな……という一抹の不安は感じた。

 次は15:26発。お客さんは5人程度。おばあさんに連れられた幼稚園ぐらいの女の子がはしゃいでいるのが目立つだけ。「ボナの前に乗りたい。ボナの前に」と力説してくれるのはマニアとして嬉しいが、残念ながら運転台脇の窓はおチビちゃんの背では高すぎるようだ。

 ちなみに「ボナ」という名前を僕も乗客もそのまま使っている。"ボナ"の由来は日本車輌の"Vehicle of New Age"というシステムの略称。開業時は愛称として広く知られたのに、最近山万側はこの名前をあまり使っていない。使えない理由があるのかな。


ボナボナボナボーナ、オタクを乗せて「女子大」へ行く。

 ユーカリが丘駅は定時15:26に発車。

 ゆっくりカーブを回って、ニュータウン幹線道路の上に建てられた高架橋をスルスルと走り抜ける。

 まもなく地区センター駅。その距離わずか600m。ここで2人ほど買い物袋を持ったおばさまが乗り込んでくる。

 この駅、現在サティの大規模店が隣接しているが、僕が初めて来た1991年にはホームが設置されているだけで乗客の乗り降りはできない状態になっていた。あとで立ち寄ろうと思う。

 また発車。500mで公園駅だ。駅の間隔はまるで路面電車レベルの密さ。便利なのは便利。

 高架上にある1面2線のホーム。ここまでは複線。

 ここからボナは右へと旋回し、高架橋は道路と同じ平面に降りていく。

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 ここから雑木林の広がるエリアを迂回するように進んでいく。

 そして、次はお目当ての「女子大」駅だ。

 と言っても、下車客は私1人。ボナはそんなオタクを下ろして立ち去っていった。

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 当然ながら鉄製のレールはなくて、真ん中の案内軌条"から給電する形になる。

 750ボルトの電流が流れていて危険、なんだと。

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 女子大生地雷を踏んでしまうと……、ふと3年前を思いだしてみる。三十路オトコ。人生いろいろ哀愁マニア旅行


 さて、女子大駅を観察してみる。

 ホームはこんな感じ。

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 駅名標ベニヤ板を緑に塗っただけ

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 改札は無人。年代物の改札機二組。

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 駅舎はプレハブ

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 あまりにも殺風景女子大の薫りなど皆無の安普請。

 さて、「女子大」駅なんだから、近所に女子大があるはず。

 でも、開業した1982年。そして僕が来た1991年にもそんな痕跡すらなかった。山万としては多摩ニュータウンみたいに誘致したかったのだろうけど、うまくいかなかった。駅名に偽りありというのが26年間も続いている。

 開業から四半世紀。ついに何かが……と期待していくと、ありました。

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 和洋女子大学セミナーハウス。う〜ん。セミナーハウスだけなんだよね。本来はこの大学キャンバス市川市から移してくることも検討されたんだけど、実現はしなかった。まあ、うん。都心から離れたここに通うのは……というのはあったとは推測できる。

 セミナーハウスって、実際ほとんど使っていないんやろなあという雰囲気は漂っている。中も見てみたいが厳重にロック。やはりご縁はなさそう。


 風がきつく、体の芯から凍えそうになる。

 華のキャビキャビギャルに会えそうもないし、女子大ウオッチングは終了。いつもの趣味活動に戻る。

 女子大駅の先には開業時来の車庫がある。2号と3号が眠っていた。朝夕だけの運用に入るのか。

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 あとは未開発の草地が広がるのを眺めつつ、隣の中学校駅まで歩く。わずか800mなのに途中で道をロストした。店のおばちゃんに案内されたのは住宅街。ううん、どこ? と探していると、またもやプレハブの建物が。

 中学校駅はこんな感じ。

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 ここも山万的殺風景無人駅の1つ。周囲を見ても自販機が2つあるだけで、広場も何もなく、ここが駅という雰囲気は皆無。あと、蛇足ながら女子中学生も見当たらない。

 注目は駅の裏側。

 イオン系の中規模スーパーが建てられている。オープン2009年4月とある。

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 これにあわせて、山万も「中学校」とか「女子大」とか、地元民にもヨソから来た人にも案内の役にも立っていない駅名を抹消しようと言うことなんだろうなあとは推測できる。

 正直、ここのニュータウンにボナは必要ないなあと思わなくもなかった。バスの方が広がる住宅街を網羅できて、いいんじゃないかと。でも、ボナという愛らしい鉄道がいたからこそ、行きの列車で見た小さな女の子みたいに興味を持ってもらえた。その存在には一定の評価はできる。駅名改称はマニア的には寂しいけど、あくまでも山万がこれからもボナを守り育てていく覚悟表明なんだと信じておきたい。

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 この後、井野駅(きちんとした駅名標はあるが、これもベニヤ板)と公園駅を訪ね、最後に地区センター駅で下車。

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 線内6駅のうち5駅は19年前に下車済。ゆえに新規訪問は地区センター駅1つとカウントされる。日本JR私鉄の下車駅は今日で5765駅(08.12.29現在)に増えた。


 と、以上はマニア視点。

 一方、久しぶりに訪ねて驚いたのは山万デベロッパーとして開発してきた四半世紀以上のやり方。これだけ膨大な住宅開発用地を抱えておきながら、短期間に一気に戸建てやマンションで売却するという手法を採らなかった。年ごとの分譲件数を一定に決めていたんだという。コンスタントに若い世代が新住民としてやってくるので、それゆえに入居している世代に偏りが少ない。女子大駅付近とか未開発地はまだまだ残っているし、今後の展開も楽しみ。はたして、10年後、ここに来たら、どんな街になっているのだろう。そして、愛すべき山万のボナはどうなっているのか。ニュータウンとしては珍しく、また再訪してみたいという気持ちにさせられたのだけど、それはまた別の話。

*1:ちなみに、宗教法人が運営している鉄道鞍馬寺に、博物館がやっているのが青森県津軽半島存在する

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