高3の時は毎朝5時に起きて、1~2時間勉強してから登校していました。学校では始業前と、授業が終わって学校が閉まるまで図書室で勉強して、帰宅後は一切しない。睡眠は絶対に8時間は確保していたので、夜は9時に寝ました。休日も朝9時から夕方5時まで図書館で勉強。図書館の雰囲気が好きなんです。周りの人ががんばっているのを見て、僕もがんばるぞと。
夏休みは、名古屋の祖母の家で勉強合宿をしました。40日間泊り込んで、愛知県立図書館に毎日通いました。どうかなるんじゃないかと思うほど勉強した。友達とは会わないし、おもしろいこともないので、結構しんどかったけど、休みが終わったら一気に点数が上がって、ほとんどの科目で上位になったんです。
塾も予備校も行きませんでしたが、高校の教科書に書いてないことが試験に出ることはないんだから、分かるまで授業を聞こうと思っていました。得意な数学や物理は、分からないと思ったら先生をつかまえて分かるまで聞く。授業で終わった所までは、教科書を完璧に理解しているという状態をキープしていました。
苦手な暗記系の科目は、自分で1問1答の問題集を作るのが好きでした。当時パソコンはなかったけれど、ワープロで問題集をデータベース化して遊んでいた。今だったら、ネットで共有したり、ソフトを作って勉強したりできるだろうし、そんな風に遊びを入れるとおもしろいんじゃないかな。「最高の問題集を作る」ことが目的みたいに、クリエイティブなことになれば楽しくやれますよね。
第1志望は京都大学でした。物理をやりたいと思っていたので、理学部とか理工学部に行きたかった。通っていた高校は京大を受ける生徒が少なくてノウハウがなかったので、通信講座で試験対策はしました。京大の問題は特徴があっておもしろいんですよ。「6問の中から好きな3問を選んで解きなさい」とあって、解答用紙は白紙。解答欄が50個も100個もあって、順番に埋めていくような試験もありますが、僕は、枠をたくさん埋めていくのは嫌いなので、京大の問題を解くのは楽しかった。
前期試験は、かなり焦ってしまって点数が悪かったと思う。「これは落ちたな」と思ったら吹っ切れて、2日目は楽に受けました。もう落ちたんだから、僕の解答を読んだ教授を笑わせてやろうと思って、英文和訳をユーモアたっぷりに書いたりして遊んでいた。そうしたら受かっていて、「あれ?」という感じでした。
大学に行ったら、自分のやりたいことに打ち込めると思っていたので、大学には行きたかった。理由は人それぞれでいいと思いますが、心の底から行きたいと思っていなければ、小手先のテクニックを磨いても成果がないと思うし、逆に、本当に行きたければ工夫する。僕は、なんとしても行きたいと思ったから、高3の夏休みにあれだけがんばれた。いい経験でした。大人になって、もっと真剣勝負をしている時に、あの時以上のことができるはずだと思える。受験勉強は、自分の中に「努力の水準」を作ってくれました。【岡礼子】
◇こんどう・じゅんや 75年三重県生まれ。98年京都大学理学部卒、2000年同大学院中退後、プロカメラマンを経て、01年7月に京都で有限会社はてなを創業し、代表取締役に就任。04年、株式会社に改組し東京へ移転。06年、米国シリコンバレーに子会社を設立、08年帰国し、本社を東京から京都へ移転する。
2009年2月4日