上仕切り線

激しい空襲

悲しい出来事

 開戦4カ月後の1942年(昭和17年)4月18日、太平洋上の空母から発進した16機のB-25爆撃機による東京その他への奇襲攻撃が行われた。
 「超空の要塞」といわれた長距離重爆撃機B-29による大規模な空襲が始まったのは、1944年(昭和19年)6月16日中国の成都を基地とする北九州への空襲が最初で、その後、サイパン、テニアン、グアム島などマリアナ基地が整備されると、東京を始めとする全国各地への本格的な空襲が始まった。

1. 東京大空襲
 東京への空襲は1944年(昭和19年)11月24日から敗戦にいたる9ヵ月の間に約130回を数えたが、1945年(昭和20年)3月10日の下町空襲は未曾有の大被害をもたらした。
 1945年(昭和20年)3月10日未明、下谷、浅草、本所、深川、城東、神田など下町一帯を襲ったB-29爆撃機325機の大編隊は、焼夷弾等381,300発、1,783トンを投下し、一夜にして死者83,793人(推定10万人)、負傷者40,918人、被災家屋268,358戸、被災者1,008,005人という大被害をもたらした。

空襲中のB-29爆撃機(朝日新聞社)

多くの犠牲者が出た本所・深川地域(朝日新聞社)

主な東京空襲 (1945年)          (東京空襲を記録する会編)

    空襲月日  3月10日 4月13〜14日   4月15日   5月24日  5月25日
 B-29来襲機(機)     325       352      120      562     502
 投下弾重量(トン)     1,783     2,140      769     3,687     3,302
 投下焼夷弾(発)   381,300    474,701    159,994   832,774   848,454
 死者(人)   83,793     2,459       841      762     3,651
 負傷者(人)   40,918     4,746     1,620     4,130    17,899
 被災家屋(戸)   268,358     200,277    68,443    64,487   165,545 
 被災者(人)  1,008,005    666,986    263,895   238,376   620,125
 被災地域 下谷・浅草・本所・深川・城東・神田 豊島・淀橋・小石川・四谷・麹町・滝野川 大森・目黒・蒲田・麻布・荏原・世田谷 目黒・芝・大森・赤坂・杉並・蒲田 中野・四谷・牛込・麹町・赤坂・世田谷

B-29爆撃機の構造 (翼長43m・全長30m)

焼夷弾の分散摸式図

 都道府県    死 者    負傷者  行方不明者    合 計
 東京都     97,031    113,923     6,034     216,988
 広島県     88,141     46,672    14,394     147,207
 長崎県     26,238     41,113     1,947     69,298
 愛知県     11,324     15,565      231     27,120
 兵庫県     11,246     21,619        0     32,865
 大阪府     11,089     28,347        0     39,436
 神奈川県     6,637     16,202        0     22,839
 静岡県     6,473      9,818       10     16,301
 福岡県     4,623      5,011       0      9,634
 鹿児島県      3,719       2,219       48      5,986
 その他     34,964     44,331     1,346     80,641
 合 計    299,485    344,820     24,010    668,315

2. 空襲による被災者数の多い都道府県   (1949年4月 経済安定本部)

東京大空襲を記録する会編「東京大空襲の記録」三省堂

(備考) 原爆による広島・長崎の被災者を含む。

    調 査 機 関 全国死者数
  合 計
  広島市   長崎市  東京区部  その他
経済安定本部(1949年)   299,485人    78,150   23,752   95,374  102,209
建設省戦災復興史(1957年)   336,738   78,150   74,013   91,444   93,131
戦災都市連盟(1956年)   509,734  260,000   74,604   94,225   80,905
第一復員省(1957年)   238,549   42,561   13,296   93,056   89,636
米国戦略爆撃調査団報告
              (1947年)
  252,769   71,379   13,294   93,056   75,040
東京新聞集計(1994年)   558,863  260,000   74,228   115,000  109,635

3. 空襲死者数全国調査について
 全国の空襲による死者数の調査については、以下のとおりである。
調査機関により大きな差異が見られるが、その主たる理由は調査時点の差と、広島・長崎の原爆による死者数、東京大空襲の死者数の正確な把握が困難なため生じたものと考えられる。

下仕切り線
空集中のB-29爆撃機
焼け野原の本所深川地域
B-29爆撃機の構造
焼夷弾分散摸式図
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