◇日本から連日の受賞 年間最多の4人に
スウェーデン王立科学アカデミーは8日、08年のノーベル化学賞を下村脩・米ボストン大名誉教授(80)ら3博士に授与すると発表した。受賞理由は「緑色蛍光たんぱく質(GFP)の発見と発光機構の解明」。下村氏らが見つけたGFPとその遺伝子によって、たんぱく質を蛍光標識し、脳の神経細胞の発達過程や、がん細胞が広がる過程などを生きた細胞で観察できるようになった。分子生物学や生命科学の発展に大きく貢献したことが高く評価された。
日本人のノーベル賞受賞は、7日発表された物理学賞の米シカゴ大・南部陽一郎名誉教授(87)=米国籍▽高エネルギー加速器研究機構(高エネ研)・小林誠名誉教授(64)▽京都産業大理学部・益川敏英教授(68)の3人に続いて16人目。化学賞は福井謙一氏(故人)、白川英樹氏、野依良治氏、田中耕一氏に続き5人目。年間の受賞者数も過去最多の4人となった。
ノーベル賞はダイナマイトを発明したアルフレッド・ノーベル(1833~96)にちなんだ賞。遺産を、人類の生活向上や平和に大きな貢献をした者に国籍にかかわりなく賞として与える、という内容の遺言が見つかったことがきっかけで始まった。
第1回は1901年。当初は医学・生理学、物理学、化学、文学、平和賞の5部門。69年に経済学賞が加わった。1部門の受賞者は同時に3人まで。医学・生理学賞はスウェーデンのカロリンスカ研究所、物理学賞と化学賞、経済学賞はスウェーデン王立科学アカデミー、文学賞はスウェーデン・アカデミー、平和賞はノルウェーのノーベル賞委員会が選考する。
◇ノーベル物理学賞の3氏略歴
南部陽一郎氏(なんぶ・よういちろう) 1921年福井市生まれ。旧制第一高に学び、42年に東京帝国大(現東京大)理学部物理学科を卒業。同大学の研究員、助手を経て49年に大阪市立大助教授、50年には29歳で同大教授に就任した。
52年、朝永振一郎氏(故人、65年ノーベル物理学賞)の推薦で米プリンストン高等研究所に留学した。56年にシカゴ大助教授、58年同大教授。70年に米国籍を取得した。91年からシカゴ大名誉教授。大阪市立大名誉教授でもある。
78年に文化勲章を受章。82年には米科学界最高の栄誉といわれる国家科学メダルを受賞。94年にはノーベル賞に次ぐ国際的な賞といわれるイスラエルのウォルフ賞、05年5月には米国のベンジャミン・フランクリンメダルも受けた。
益川敏英氏(ますかわ・としひで) 1940年、名古屋市生まれ。同市立向陽高から名古屋大理学部に進学。湯川秀樹の中間子論を発展させた坂田昌一博士(故人)のもとで素粒子論を学んだ。67年同大助手、70年京大理学部助手。80年、京大基礎物理学研究所教授に就任し、97年同所長。03年4月から京都産業大理学部教授。京都大名誉教授。京都市在住。
小林誠氏(こばやし・まこと) 1944年、名古屋市生まれ。愛知県立明和高校から名古屋大理学部に進学。大学院で坂田研究室に入り、素粒子論を学んだ。72年京大助手となり、79年に文部省高エネルギー物理学研究所(現高エネルギー加速器研究機構)助教授、85年教授。06年3月に退任し、現在同機構名誉教授、日本学術振興会理事。茨城県つくば市在住。
◆ ◆
「小林・益川理論」は73年に両氏の共著論文として発表。この業績で両氏は、79年仁科記念賞、85年学士院賞、米国物理学会J・J・SAKURAI賞、07年欧州物理学会高エネルギー・素粒子物理学賞を共同受賞。01年にともに文化功労者。
◇ノーベル化学賞 下村氏の略歴
下村脩(しもむら・おさむ) 1928年京都府出身。51年に長崎医科大付属薬学専門部(現長崎大薬学部)を卒業。60年に米プリンストン大に研究員としてフルブライト留学した。63年名古屋大助教授、65年プリンストン大上席研究員、82年米ウッズホール海洋生物学研究所上席研究員(01年退職)。主な受賞として、04年にPearse Prize(英国王室顕微鏡学会)、07年に朝日賞がある。米マサチューセッツ州在住。