終戦直後の高座海軍工廠で、戦闘機「雷電」に乗り、記念撮影する呉さん(右、呉さん提供)
元台湾少年工 映画で証言
「本当の姿を知って」
第2次世界大戦中、座間、海老名市にあった軍需工場「高座海軍工廠(しょう)」で働いていた元台湾少年工の証言を記録した映画「緑の海平線〜台湾少年工の物語」(郭亮吟監督)が31日まで、「シネマ・ジャック&ベティ」(横浜市中区)で上映されている。元少年工の生き残りとして映画に出演した大和市在住の呉春生さん(79)は、「少年工の本当の姿を知ってほしい」と呼びかけている。
呉さんは、1944年、台湾少年工の第6期工として、高座海軍工廠にやってきた。「台湾は貧しく、勉強ができなかった。働きながら勉強でき、なおかつ国のためになると思った」と当時を振り返る。
同工廠には、台湾から来た約8000人の少年工が働いていた。戦闘機の大量生産の必要に迫られた日本が、労働力不足を補うため、当時、日本の統治下にあった台湾の優秀な少年を1943年から7回に分けて動員。少年工は、大和市上草柳にあった寄宿舎で暮らしながら、戦闘機「雷電」などを生産していた。
「緑の海平線」は、同市在住の映画プロデューサーで慶応大講師の藤田修平さん(35)らが2006年に製作。今年5月に大分県で開かれた「ゆふいん文化・記録映画祭」で優秀作に与えられる「松川賞」に入選した。地元・神奈川で上映されるのは今回が初めてだ。
4年がかりで撮影された映画は、歴史に埋もれていた台湾少年工に光を当て、貴重な同工廠の写真や映像、元少年工のインタビューを紹介、彼らが戦後をどう生きたかを描いている。
15歳だった呉さんは台湾の国民学校高等科で級長を務めた。「みんな選ばれた人間という意識を持ち、誇り高く、張り切っていた」と回想する。
すでに日本は敗色濃厚。呉さんは、同工廠に1か月いただけで群馬県の工場に派遣され、1年後、同工廠に戻って終戦を迎えた。
呉さんは終戦後、日本に残り、外交官を夢みて、働きながら勉強を続け、中央大学に入学。だが、日本国籍がないため、卒業後もすぐには職につけず、25歳で横浜市瀬谷区にある米軍・上瀬谷通信施設の法律顧問としての職を見つけ、70歳になるまで働いた。
1972年の日中共同声明では日本と台湾の国交が断絶。「裏切られた思いだった」という呉さん。「自分たちは向上心を持ち、将来を夢みて日本にやってきた。決して無理やり連れてこられたわけではない」。歴史に翻弄(ほんろう)された元少年工は静かに語った。
(2008年10月30日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kanagawa/news/20081030-OYT8T00193.htm
パラオの慰霊碑守りたいと来日
(10月17日 05:00)
「戦友の戦没者慰霊碑を守りたい」−。那須町で育ったパラオ在住の倉田洋二さん(82)が、太平洋戦争で宇都宮の部隊が玉砕した西太平洋のパラオ共和国アンガウル島の慰霊碑保存に立ち上がった。国や県、遺族らが建立した二十六の慰霊碑が、ホテル建設で移設を余儀なくされたという。移設費用の支援要請でパラオから来日した倉田さんは十六日、福田富一知事を訪ね、「生き残り兵の役目と思って何とか移設させたい」と切々と訴えた。
十七歳で南洋諸島を所管する南洋庁=当時=に入庁、海洋研究者としてパラオに移り住んだ倉田さんは、一九四四年に現地で徴集され、アンガウル島戦に参戦。捕虜となり米国本土に連行された。現在は特定非営利活動法人(NPO法人)「OWS」の副会長として、自然保護活動に努めている。
アンガウル島は倉田さんが住むコロール島から船で片道約四時間。外周三キロで人口二百人程度という。
「永代供養」の名目で慰霊碑を建立したはずの土地にホテル建設計画が浮上。心配した現地の州政府が新たな土地を用意したが、移設費用が工面できず、倉田さんが来日し戦友会などに協力を呼び掛けている。
戦没者への思いは熱い。戦友の亡きがらは遺族の元にすべてあるわけではない。「どの慰霊碑も日本の方を向いているんです。海の上を歩いても帰りたかっただろう戦友のことを思うと、移設作業は生きている者の役目」(倉田さん)
慰霊碑の一つは、県が補助金で建立したことから、倉田さんは福田知事を訪問した。
アンガウル島で祖父が戦死し、手元に石一つが届いたことを打ち明けた福田知事は「公金支出は難しいが、少しでも負担が軽くなるよう知人友人に声を掛けます」と神妙な面持ちで語った。
十八日にパラオに戻る予定の倉田さんは「アンガウル島は戦前戦後にわたって日本とも歴史的なつながりが大変深い。温かいご支援をお願いします」と話している。
寄付金振込口座は、三井住友銀行渋谷支店、普通預金6445395、「アンガウルの未来を考える会」。浄財の使途と移設工事の経過は「OWS」のホームページに掲載する。
http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/top/news/20081016/65018
毎日新聞のコラムにこんなパラオの話が載ったことがある。
遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。
「あそこでみんな死んでいったんだ……」
沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。
太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。
老人は村の若者達と共にその作業に参加した。
日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。
やがて戦況は日本に不利となり、
いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。
仲間達と話し合った彼は代表数人と共に
日本の守備隊長のもとを訪れた。自分達も一緒に戦わせて欲しい、と。
それを聞くなり隊長は激高し叫んだという
「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」
日本人は仲間だと思っていたのに……みせかけだったのか。
裏切られた想いで、みな悔し涙を流した。
船に乗って島を去る日 日本兵は誰一人見送りに来ない。
村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。
しかし船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。
そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。
先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。
その瞬間、彼は悟ったという。
あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと……。
「パラオの統治者である日本軍」としては、パラオ諸島の小さな島・ペリリュー島の
民間人を“圧倒的不利な戦局”に巻き込んではならないと配慮したのだ。
そして船舶も乏しい中、空襲を避けて夜間に船を出し、住民の全員をパラオ本島に
避難させたのである。
そして日本軍はパラオを死守するために文字通り死を覚悟して戦った。
日本は圧倒的に不利だった。アメリカに制海権・制空権を掌握されている上に、
兵力14倍、航空機200倍以上、戦車100倍、重火砲1000倍という
歴然たる戦力差。しかしそれでもアメリカの上陸作戦史上最高の損害比率を
出させるほどに抵抗し、全く補給もなく73日間も守り通し、玉砕したのだ。
最期に『サクラ・サクラ』という電文だけを残して。
その戦いの甲斐あって最大激戦地・ペリリュー島での民間人死傷者はゼロだった。
戦争後に島に戻った島民たちは、放置されていた夥しい数の日本兵の
亡骸を泣きながら埋葬した。後にペリリュー島のオキヤマ・トヨミと
ショージ・シゲオが“ペリリュー島の玉砕戦”を、日本の国花・桜に託して
作った『ペ島の桜を讃える歌』は、今でも彼らに愛唱されているという。
後にペリリュー神社は青年神職南洋群島慰霊巡拝団やイサオ・シゲオ尊長ら
島民の手により「すべて日本から運搬した材料を使って」再建された。
この神社の前には戦中は敵だったアメリカ太平洋艦隊司令官
チェスター・W・ミニッツの言葉でこんなことが書かれている。
「この島を訪れる、もろもろの国の旅人たちよ。
あなたが日本の国を通過することあらば伝えてほしい。
此の島を死んで守った日本軍守備隊の勇気と祖国を憶う、その心根を。」
ちなみにパラオに存在するこの神社は、
天照大神と戦死者一万余名の「護国の英霊」を御祭神とする神社である。
パラオ共和国大統領トミー・E・レメンゲサウ・ジュニアは、敗戦から復興し
様々な分野において世界を牽引する力になっている今日の日本を称え、また、
戦時中のパラオ統治に今でも感謝し、パラオは世界で最も親日感情が高い国と言った。
そして当時を知るパラオの長老たちは今でも日本をこう呼ぶという。
「内地」
と。
http://3.csx.jp/peachy/data/korea/korea3.html
パラオの桜と英霊
http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-date-20061225.html
「侵略国家はぬれぎぬ」=空幕長が懸賞論文で独自史観−中国などの反発必至
航空自衛隊トップの田母神俊雄航空幕僚長が「日本が侵略国家だったとはぬれぎぬだ」などと主張する論文を民間企業の懸賞論文に応募、最優秀賞を受賞したことが31日、分かった。一貫して日中戦争を正当化する内容で、ホームページ(HP)で公開されている。中国などアジア諸国から反発が高まるのは必至で、国会でも追及されそうだ。
時事通信社 (2008/10/31-17:52)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2008103100888
空幕長、過去の侵略否定論文 集団的自衛権行使も要求
防衛省の田母神俊雄航空幕僚長が、過去の中国侵略や朝鮮半島の植民地支配を「わが国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者」「条約に基づいたもの」とした上で「わが国が侵略国家だったなどというのはまさにぬれぎぬ」と主張する論文を発表していたことが31日、分かった。論文は、政府の憲法解釈で禁止されている集団的自衛権行使や「攻撃的兵器」の保有解禁も事実上要求している。
空自トップの制服組が、侵略、植民地支配を正当化する歴史認識を示し、憲法にも異を唱えるような論文を公表したことは、中韓両国などの反発が必至の上、シビリアンコントロール(文民統制)の観点からも論議を呼びそうだ。
論文は「日本は侵略国家であったのか」と題し、19世紀後半以降の日本の朝鮮半島や中国への軍事的行動について「相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない」と主張。
論文はマンション・ホテル開発企業「アパグループ」(東京)主催の懸賞論文で、31日に最優秀賞(懸賞金300万円)を受賞したとして公表された。
http://www.47news.jp/CN/200810/CN2008103101000632.html
アパグループ第一回「真の近現代史観」懸賞論文
最優秀藤誠志賞を航空幕僚長・田母神俊雄氏が受賞!]
http://www.apa.co.jp/newsrelease/pdf/new08-10-31.pdf
アパグループ第一回「真の近現代史観」懸賞論文募集
http://www.apa.co.jp/book_report/index.html
http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf
日本は侵略国家であったのか 田母神俊雄
アメリカのフランクリン・ルーズベルト政権の中には3 百人のコミンテルンのスパイがいたという。その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2 の財務次官ハリー・ホワイトであった。
ハリー・ホワイトは日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人であると言われている。彼はルーズベルト大統領の親友であるモーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、我が国を日米戦争に追い込んでいく。当時ルーズベルトは共産主義の恐ろしさを認識していなかった。彼はハリー・ホワイトらを通じてコミンテルンの工作を受け、戦闘機100 機からなるフライイングタイガースを派遣するなど、日本と戦う蒋介石を、陰で強力に支援していた。真珠湾攻撃に先立つ1ヶ月半も前から中国大陸においてアメリカは日本に対し、隠密に航空攻撃を開始していたのである。
ルーズベルトは戦争をしないという公約で大統領になったため、日米戦争を開始するにはどうしても見かけ上日本に第1 撃を引かせる必要があった。日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行することになる。
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/1
アメリカが計画した日本本土奇襲攻撃
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1506935
空幕長論文を批判=民主・直嶋氏
民主党の直嶋正行政調会長は31日の記者会見で、航空自衛隊の田母神俊雄航空幕僚長が「日本が侵略国家だったとはぬれぎぬだ」などと日中戦争を正当化する内容の論文を発表していたことについて「当然、わが国は中国について、侵略をしたというか、迷惑を掛けたことは間違いない。韓国、朝鮮を植民地支配したことも間違いない。(論文は)私が認識している事実とは違うと思う」と批判した。
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2008103101117
防衛相、現役空幕長を更迭へ
2008.10.31 22:07
浜田靖一防衛相は31日夜、先の大戦での日本の侵略を否定し、集団的自衛権行使容認を求める論文を公表した防衛省の田母神俊雄航空幕僚長を更迭する方針を決めた。関係者が明らかにした。
田母神氏は「日本は侵略国家であったか」と題する論文を全国でホテルやマンションを開発しているアパグループ(東京都港区)が募集した「真の近現代史観」懸賞論文に応募し、最優秀賞を受賞した。論文は先の大戦を「日本の侵略」と決めつける見方を疑問視している。
麻生太郎首相は同夜、記者団に対して田母神氏の論文について、「適切でない」との見解を表明した。ただ、辞任を求めるか否かについては「防衛相の人事の問題だ」と述べた。
田母神氏の論文は、先の大戦前の歴史状況を踏まえ「よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。日本が侵略国家だったとはまさに濡れ衣だ」と記している。また、東京裁判について「戦争の責任をすべて日本に押しつけようとしたものであり、そのマインドコントロールは戦後63年を経ても日本人を惑わせている」と指摘。集団的自衛権の行使を禁じた憲法解釈などを例示し「このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない」と強調した。
野党側は「なんで現役自衛官が、そんなことを書くのか。国会で呼ばざるを得ない」(民主党中堅)と反発している。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081031/plc0810312209012-n1.htm
<<正論を吐いた空幕長>>
田母神俊雄・航空幕僚長が更迭された。適切でない論文を発表したためという。
ウィキペデイアはさすがにすばやい。もう、こういう記述が出ている。
2008年10月31日、アパグループ主催の第1回「真の近現代史観」懸賞論文で応募作『日本は侵略国家であったのか』が最優秀賞を受賞。「日中戦争は侵略戦争ではない」「日韓併合は国際条約に則って合法的に行われた」とする自説を展開すると共に現在は政府見解において日本国憲法で禁止されている集団的自衛権を容認すべきであると、政府見解と異なる主張を行なった。問題視され浜田靖一防衛大臣により同日付で更迭。
この論文募集はアパグループの元谷外志雄代表が企業の社会還元活動の一環として、総額500万円を投じて実施された。200本を超える論文の中から最優秀賞に選ばれた。
審査委員長は渡部昇一氏。実は小生も審査委員の1人であった。
執筆者の氏名が入っていない論文のコピーがCDで届けられて、それぞれが読み込んだうえで、2回、審査委員会を開いて絞り込んでいった。審査委員の合計得点で最高だったのが、田母神氏の論文だ。だれが書いたものか分からないまま、内容だけで判断した結果である。
論文はこれである。
www.apa.co.jp/book_report/index.html
「日本は侵略国家であったのか」と真っ向から問いかけ、多くの事実をあげて、たんたんと論理的に記述されていた。文句なく最優秀賞にふさわしいと判断した。
麻生首相は「立場が立場だから適切ではない」と述べたが、おそらく、この論文を読めば、100%賛同するはずである。
過去の植民地支配と侵略について「深い反省」を示した村山談話と相違しているのは確かだ。政府当局者としては、見解の不一致をつつかれることにはなる。まして、国会は不穏な情勢だ。野党に格好の攻撃材料を与えてしまうことにもなる。
そうした政治判断での更迭である。田母神氏は堂々とこれを受ければいい。正論を吐いて更迭された空爆長として歴史に残ることになる。
論文の末尾だけ紹介する。
「日本というのは古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのだ。私たちは日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければならない」
「私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。歴史を抹殺された国家は衰退の一途をたどるのみである」
一気に読み込んでいって、最後の文章にうなった。ここまで書いて更迭されるのであれば、それでいいではないか。こころある人の多くは、ひそかに拍手を送っているはずだ。
花岡信昭メールマガジン
http://www.melma.com/backnumber_142868_4275470/
大陸侵略意図の証拠としてきた「田中上奏文」、中国側「存在しない」偽文書認める [3/2]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1141262573/
【歴史】近衛文麿元首相が対中和平模索 自筆文書を公開へ〔03/26〕
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1143384116/
【歴史】インドネシア独立戦争に参戦、旧日本兵の日記を発見[11/02]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1130907458/
【日越】元日本兵の独立への貢献、ベトナムで認知の動き 「封印の歴史」報道[9/20]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1127207826/
【日ソ朝】北朝鮮に送られたシベリア抑留者たち 日本人は屋外に寝かされ毎日10人以上が死んでいった [10/22]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1129992035/
【日本政府】シベリアで抑留され北朝鮮に移送された将兵27000人の名簿公開へ[12/18]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1134891098/
【日露】ロシア兵捕虜の写真。戦争中の捕虜厚遇の実態が明らかに。
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1133275695/
【国際】 「日本、台湾で最先端の教育を施す努力…これが植民地の学校?」と“老台北”蔡氏…「綜合教育読本」復刻出版
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1172487967/
【産経】戦後、われわれが自ら封印した日本人の軌跡が台湾では今なお生きていた[01/25]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1169818390/
【歴史】 好太王碑 最古の拓本発見 旧日本陸軍入手のものと一致・・・旧陸軍が改変したとする説が成立しないことが確定的★2
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1156647628/
【国際】「遺棄兵器」問題、中国やソビエトに兵器が引き渡されたことを示す書類を発見
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1148732318/
【政治】 旧日本軍の遺棄化学兵器、中国で97発回収…364発は日本のものでないと確認
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1170846683/
新万能細胞、ウイルス使わず作成=マウスで成功、安全性向上−京大
増殖能力が高く、身体の多様な細胞に変わる新万能細胞「人工多能性幹(iPS)細胞」を、がんを発生させる恐れがあるウイルスを使わない方法でマウス胎児細胞から作ったと、京都大の山中伸弥教授らが10日、米科学誌サイエンスの電子版に発表した。現在、成人の皮膚などの細胞から作る実験も進めており、成功すれば、脊髄(せきずい)損傷や若年型糖尿病などの再生医療への応用に向け、安全性と実用性の向上が期待される。
山中教授らが世界で初めて開発したiPS細胞は、体細胞に特定の3、4種類の遺伝子を導入して作るのに、レトロウイルスを遺伝子の入れ物として使っていた。レトロウイルスは体細胞のDNAに組み込まれ、導入遺伝子が長期間、安定して働くため、iPS細胞に変える効率が高いが、組み込まれた場所によってはがんを発生させる。
このため、米ハーバード大チームは9月、DNAに組み込まれにくいアデノウイルスを使い、マウス肝細胞などからiPS細胞を作ったと9月に発表。しかし、作成効率が極めて低下した。
山中教授らは、感染病の原因となるウイルスを使う限り、厳しい管理体制の実験室で扱う必要があり、コストも高いと考え、「プラスミド」と呼ばれる環状DNAを人工的に作り、使うことにした。(2008/10/10-02:53)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&k=2008101000045
元台湾少年工 映画で証言
「本当の姿を知って」
第2次世界大戦中、座間、海老名市にあった軍需工場「高座海軍工廠(しょう)」で働いていた元台湾少年工の証言を記録した映画「緑の海平線〜台湾少年工の物語」(郭亮吟監督)が31日まで、「シネマ・ジャック&ベティ」(横浜市中区)で上映されている。元少年工の生き残りとして映画に出演した大和市在住の呉春生さん(79)は、「少年工の本当の姿を知ってほしい」と呼びかけている。
呉さんは、1944年、台湾少年工の第6期工として、高座海軍工廠にやってきた。「台湾は貧しく、勉強ができなかった。働きながら勉強でき、なおかつ国のためになると思った」と当時を振り返る。
同工廠には、台湾から来た約8000人の少年工が働いていた。戦闘機の大量生産の必要に迫られた日本が、労働力不足を補うため、当時、日本の統治下にあった台湾の優秀な少年を1943年から7回に分けて動員。少年工は、大和市上草柳にあった寄宿舎で暮らしながら、戦闘機「雷電」などを生産していた。
「緑の海平線」は、同市在住の映画プロデューサーで慶応大講師の藤田修平さん(35)らが2006年に製作。今年5月に大分県で開かれた「ゆふいん文化・記録映画祭」で優秀作に与えられる「松川賞」に入選した。地元・神奈川で上映されるのは今回が初めてだ。
4年がかりで撮影された映画は、歴史に埋もれていた台湾少年工に光を当て、貴重な同工廠の写真や映像、元少年工のインタビューを紹介、彼らが戦後をどう生きたかを描いている。
15歳だった呉さんは台湾の国民学校高等科で級長を務めた。「みんな選ばれた人間という意識を持ち、誇り高く、張り切っていた」と回想する。
すでに日本は敗色濃厚。呉さんは、同工廠に1か月いただけで群馬県の工場に派遣され、1年後、同工廠に戻って終戦を迎えた。
呉さんは終戦後、日本に残り、外交官を夢みて、働きながら勉強を続け、中央大学に入学。だが、日本国籍がないため、卒業後もすぐには職につけず、25歳で横浜市瀬谷区にある米軍・上瀬谷通信施設の法律顧問としての職を見つけ、70歳になるまで働いた。
1972年の日中共同声明では日本と台湾の国交が断絶。「裏切られた思いだった」という呉さん。「自分たちは向上心を持ち、将来を夢みて日本にやってきた。決して無理やり連れてこられたわけではない」。歴史に翻弄(ほんろう)された元少年工は静かに語った。
(2008年10月30日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kanagawa/news/20081030-OYT8T00193.htm
パラオの慰霊碑守りたいと来日
(10月17日 05:00)
「戦友の戦没者慰霊碑を守りたい」−。那須町で育ったパラオ在住の倉田洋二さん(82)が、太平洋戦争で宇都宮の部隊が玉砕した西太平洋のパラオ共和国アンガウル島の慰霊碑保存に立ち上がった。国や県、遺族らが建立した二十六の慰霊碑が、ホテル建設で移設を余儀なくされたという。移設費用の支援要請でパラオから来日した倉田さんは十六日、福田富一知事を訪ね、「生き残り兵の役目と思って何とか移設させたい」と切々と訴えた。
十七歳で南洋諸島を所管する南洋庁=当時=に入庁、海洋研究者としてパラオに移り住んだ倉田さんは、一九四四年に現地で徴集され、アンガウル島戦に参戦。捕虜となり米国本土に連行された。現在は特定非営利活動法人(NPO法人)「OWS」の副会長として、自然保護活動に努めている。
アンガウル島は倉田さんが住むコロール島から船で片道約四時間。外周三キロで人口二百人程度という。
「永代供養」の名目で慰霊碑を建立したはずの土地にホテル建設計画が浮上。心配した現地の州政府が新たな土地を用意したが、移設費用が工面できず、倉田さんが来日し戦友会などに協力を呼び掛けている。
戦没者への思いは熱い。戦友の亡きがらは遺族の元にすべてあるわけではない。「どの慰霊碑も日本の方を向いているんです。海の上を歩いても帰りたかっただろう戦友のことを思うと、移設作業は生きている者の役目」(倉田さん)
慰霊碑の一つは、県が補助金で建立したことから、倉田さんは福田知事を訪問した。
アンガウル島で祖父が戦死し、手元に石一つが届いたことを打ち明けた福田知事は「公金支出は難しいが、少しでも負担が軽くなるよう知人友人に声を掛けます」と神妙な面持ちで語った。
十八日にパラオに戻る予定の倉田さんは「アンガウル島は戦前戦後にわたって日本とも歴史的なつながりが大変深い。温かいご支援をお願いします」と話している。
寄付金振込口座は、三井住友銀行渋谷支店、普通預金6445395、「アンガウルの未来を考える会」。浄財の使途と移設工事の経過は「OWS」のホームページに掲載する。
http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/top/news/20081016/65018
毎日新聞のコラムにこんなパラオの話が載ったことがある。
遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。
「あそこでみんな死んでいったんだ……」
沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。
太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。
老人は村の若者達と共にその作業に参加した。
日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。
やがて戦況は日本に不利となり、
いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。
仲間達と話し合った彼は代表数人と共に
日本の守備隊長のもとを訪れた。自分達も一緒に戦わせて欲しい、と。
それを聞くなり隊長は激高し叫んだという
「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」
日本人は仲間だと思っていたのに……みせかけだったのか。
裏切られた想いで、みな悔し涙を流した。
船に乗って島を去る日 日本兵は誰一人見送りに来ない。
村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。
しかし船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。
そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。
先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。
その瞬間、彼は悟ったという。
あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと……。
「パラオの統治者である日本軍」としては、パラオ諸島の小さな島・ペリリュー島の
民間人を“圧倒的不利な戦局”に巻き込んではならないと配慮したのだ。
そして船舶も乏しい中、空襲を避けて夜間に船を出し、住民の全員をパラオ本島に
避難させたのである。
そして日本軍はパラオを死守するために文字通り死を覚悟して戦った。
日本は圧倒的に不利だった。アメリカに制海権・制空権を掌握されている上に、
兵力14倍、航空機200倍以上、戦車100倍、重火砲1000倍という
歴然たる戦力差。しかしそれでもアメリカの上陸作戦史上最高の損害比率を
出させるほどに抵抗し、全く補給もなく73日間も守り通し、玉砕したのだ。
最期に『サクラ・サクラ』という電文だけを残して。
その戦いの甲斐あって最大激戦地・ペリリュー島での民間人死傷者はゼロだった。
戦争後に島に戻った島民たちは、放置されていた夥しい数の日本兵の
亡骸を泣きながら埋葬した。後にペリリュー島のオキヤマ・トヨミと
ショージ・シゲオが“ペリリュー島の玉砕戦”を、日本の国花・桜に託して
作った『ペ島の桜を讃える歌』は、今でも彼らに愛唱されているという。
後にペリリュー神社は青年神職南洋群島慰霊巡拝団やイサオ・シゲオ尊長ら
島民の手により「すべて日本から運搬した材料を使って」再建された。
この神社の前には戦中は敵だったアメリカ太平洋艦隊司令官
チェスター・W・ミニッツの言葉でこんなことが書かれている。
「この島を訪れる、もろもろの国の旅人たちよ。
あなたが日本の国を通過することあらば伝えてほしい。
此の島を死んで守った日本軍守備隊の勇気と祖国を憶う、その心根を。」
ちなみにパラオに存在するこの神社は、
天照大神と戦死者一万余名の「護国の英霊」を御祭神とする神社である。
パラオ共和国大統領トミー・E・レメンゲサウ・ジュニアは、敗戦から復興し
様々な分野において世界を牽引する力になっている今日の日本を称え、また、
戦時中のパラオ統治に今でも感謝し、パラオは世界で最も親日感情が高い国と言った。
そして当時を知るパラオの長老たちは今でも日本をこう呼ぶという。
「内地」
と。
http://3.csx.jp/peachy/data/korea/korea3.html
パラオの桜と英霊
http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-date-20061225.html
「侵略国家はぬれぎぬ」=空幕長が懸賞論文で独自史観−中国などの反発必至
航空自衛隊トップの田母神俊雄航空幕僚長が「日本が侵略国家だったとはぬれぎぬだ」などと主張する論文を民間企業の懸賞論文に応募、最優秀賞を受賞したことが31日、分かった。一貫して日中戦争を正当化する内容で、ホームページ(HP)で公開されている。中国などアジア諸国から反発が高まるのは必至で、国会でも追及されそうだ。
時事通信社 (2008/10/31-17:52)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2008103100888
空幕長、過去の侵略否定論文 集団的自衛権行使も要求
防衛省の田母神俊雄航空幕僚長が、過去の中国侵略や朝鮮半島の植民地支配を「わが国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者」「条約に基づいたもの」とした上で「わが国が侵略国家だったなどというのはまさにぬれぎぬ」と主張する論文を発表していたことが31日、分かった。論文は、政府の憲法解釈で禁止されている集団的自衛権行使や「攻撃的兵器」の保有解禁も事実上要求している。
空自トップの制服組が、侵略、植民地支配を正当化する歴史認識を示し、憲法にも異を唱えるような論文を公表したことは、中韓両国などの反発が必至の上、シビリアンコントロール(文民統制)の観点からも論議を呼びそうだ。
論文は「日本は侵略国家であったのか」と題し、19世紀後半以降の日本の朝鮮半島や中国への軍事的行動について「相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない」と主張。
論文はマンション・ホテル開発企業「アパグループ」(東京)主催の懸賞論文で、31日に最優秀賞(懸賞金300万円)を受賞したとして公表された。
http://www.47news.jp/CN/200810/CN2008103101000632.html
アパグループ第一回「真の近現代史観」懸賞論文
最優秀藤誠志賞を航空幕僚長・田母神俊雄氏が受賞!]
http://www.apa.co.jp/newsrelease/pdf/new08-10-31.pdf
アパグループ第一回「真の近現代史観」懸賞論文募集
http://www.apa.co.jp/book_report/index.html
http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf
日本は侵略国家であったのか 田母神俊雄
アメリカのフランクリン・ルーズベルト政権の中には3 百人のコミンテルンのスパイがいたという。その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2 の財務次官ハリー・ホワイトであった。
ハリー・ホワイトは日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人であると言われている。彼はルーズベルト大統領の親友であるモーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、我が国を日米戦争に追い込んでいく。当時ルーズベルトは共産主義の恐ろしさを認識していなかった。彼はハリー・ホワイトらを通じてコミンテルンの工作を受け、戦闘機100 機からなるフライイングタイガースを派遣するなど、日本と戦う蒋介石を、陰で強力に支援していた。真珠湾攻撃に先立つ1ヶ月半も前から中国大陸においてアメリカは日本に対し、隠密に航空攻撃を開始していたのである。
ルーズベルトは戦争をしないという公約で大統領になったため、日米戦争を開始するにはどうしても見かけ上日本に第1 撃を引かせる必要があった。日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行することになる。
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/1
アメリカが計画した日本本土奇襲攻撃
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1506935
空幕長論文を批判=民主・直嶋氏
民主党の直嶋正行政調会長は31日の記者会見で、航空自衛隊の田母神俊雄航空幕僚長が「日本が侵略国家だったとはぬれぎぬだ」などと日中戦争を正当化する内容の論文を発表していたことについて「当然、わが国は中国について、侵略をしたというか、迷惑を掛けたことは間違いない。韓国、朝鮮を植民地支配したことも間違いない。(論文は)私が認識している事実とは違うと思う」と批判した。
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2008103101117
防衛相、現役空幕長を更迭へ
2008.10.31 22:07
浜田靖一防衛相は31日夜、先の大戦での日本の侵略を否定し、集団的自衛権行使容認を求める論文を公表した防衛省の田母神俊雄航空幕僚長を更迭する方針を決めた。関係者が明らかにした。
田母神氏は「日本は侵略国家であったか」と題する論文を全国でホテルやマンションを開発しているアパグループ(東京都港区)が募集した「真の近現代史観」懸賞論文に応募し、最優秀賞を受賞した。論文は先の大戦を「日本の侵略」と決めつける見方を疑問視している。
麻生太郎首相は同夜、記者団に対して田母神氏の論文について、「適切でない」との見解を表明した。ただ、辞任を求めるか否かについては「防衛相の人事の問題だ」と述べた。
田母神氏の論文は、先の大戦前の歴史状況を踏まえ「よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。日本が侵略国家だったとはまさに濡れ衣だ」と記している。また、東京裁判について「戦争の責任をすべて日本に押しつけようとしたものであり、そのマインドコントロールは戦後63年を経ても日本人を惑わせている」と指摘。集団的自衛権の行使を禁じた憲法解釈などを例示し「このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない」と強調した。
野党側は「なんで現役自衛官が、そんなことを書くのか。国会で呼ばざるを得ない」(民主党中堅)と反発している。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081031/plc0810312209012-n1.htm
<<正論を吐いた空幕長>>
田母神俊雄・航空幕僚長が更迭された。適切でない論文を発表したためという。
ウィキペデイアはさすがにすばやい。もう、こういう記述が出ている。
2008年10月31日、アパグループ主催の第1回「真の近現代史観」懸賞論文で応募作『日本は侵略国家であったのか』が最優秀賞を受賞。「日中戦争は侵略戦争ではない」「日韓併合は国際条約に則って合法的に行われた」とする自説を展開すると共に現在は政府見解において日本国憲法で禁止されている集団的自衛権を容認すべきであると、政府見解と異なる主張を行なった。問題視され浜田靖一防衛大臣により同日付で更迭。
この論文募集はアパグループの元谷外志雄代表が企業の社会還元活動の一環として、総額500万円を投じて実施された。200本を超える論文の中から最優秀賞に選ばれた。
審査委員長は渡部昇一氏。実は小生も審査委員の1人であった。
執筆者の氏名が入っていない論文のコピーがCDで届けられて、それぞれが読み込んだうえで、2回、審査委員会を開いて絞り込んでいった。審査委員の合計得点で最高だったのが、田母神氏の論文だ。だれが書いたものか分からないまま、内容だけで判断した結果である。
論文はこれである。
www.apa.co.jp/book_report/index.html
「日本は侵略国家であったのか」と真っ向から問いかけ、多くの事実をあげて、たんたんと論理的に記述されていた。文句なく最優秀賞にふさわしいと判断した。
麻生首相は「立場が立場だから適切ではない」と述べたが、おそらく、この論文を読めば、100%賛同するはずである。
過去の植民地支配と侵略について「深い反省」を示した村山談話と相違しているのは確かだ。政府当局者としては、見解の不一致をつつかれることにはなる。まして、国会は不穏な情勢だ。野党に格好の攻撃材料を与えてしまうことにもなる。
そうした政治判断での更迭である。田母神氏は堂々とこれを受ければいい。正論を吐いて更迭された空爆長として歴史に残ることになる。
論文の末尾だけ紹介する。
「日本というのは古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのだ。私たちは日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければならない」
「私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。歴史を抹殺された国家は衰退の一途をたどるのみである」
一気に読み込んでいって、最後の文章にうなった。ここまで書いて更迭されるのであれば、それでいいではないか。こころある人の多くは、ひそかに拍手を送っているはずだ。
花岡信昭メールマガジン
http://www.melma.com/backnumber_142868_4275470/
大陸侵略意図の証拠としてきた「田中上奏文」、中国側「存在しない」偽文書認める [3/2]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1141262573/
【歴史】近衛文麿元首相が対中和平模索 自筆文書を公開へ〔03/26〕
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1143384116/
【歴史】インドネシア独立戦争に参戦、旧日本兵の日記を発見[11/02]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1130907458/
【日越】元日本兵の独立への貢献、ベトナムで認知の動き 「封印の歴史」報道[9/20]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1127207826/
【日ソ朝】北朝鮮に送られたシベリア抑留者たち 日本人は屋外に寝かされ毎日10人以上が死んでいった [10/22]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1129992035/
【日本政府】シベリアで抑留され北朝鮮に移送された将兵27000人の名簿公開へ[12/18]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1134891098/
【日露】ロシア兵捕虜の写真。戦争中の捕虜厚遇の実態が明らかに。
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1133275695/
【国際】 「日本、台湾で最先端の教育を施す努力…これが植民地の学校?」と“老台北”蔡氏…「綜合教育読本」復刻出版
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1172487967/
【産経】戦後、われわれが自ら封印した日本人の軌跡が台湾では今なお生きていた[01/25]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1169818390/
【歴史】 好太王碑 最古の拓本発見 旧日本陸軍入手のものと一致・・・旧陸軍が改変したとする説が成立しないことが確定的★2
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1156647628/
【国際】「遺棄兵器」問題、中国やソビエトに兵器が引き渡されたことを示す書類を発見
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1148732318/
【政治】 旧日本軍の遺棄化学兵器、中国で97発回収…364発は日本のものでないと確認
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1170846683/
新万能細胞、ウイルス使わず作成=マウスで成功、安全性向上−京大
増殖能力が高く、身体の多様な細胞に変わる新万能細胞「人工多能性幹(iPS)細胞」を、がんを発生させる恐れがあるウイルスを使わない方法でマウス胎児細胞から作ったと、京都大の山中伸弥教授らが10日、米科学誌サイエンスの電子版に発表した。現在、成人の皮膚などの細胞から作る実験も進めており、成功すれば、脊髄(せきずい)損傷や若年型糖尿病などの再生医療への応用に向け、安全性と実用性の向上が期待される。
山中教授らが世界で初めて開発したiPS細胞は、体細胞に特定の3、4種類の遺伝子を導入して作るのに、レトロウイルスを遺伝子の入れ物として使っていた。レトロウイルスは体細胞のDNAに組み込まれ、導入遺伝子が長期間、安定して働くため、iPS細胞に変える効率が高いが、組み込まれた場所によってはがんを発生させる。
このため、米ハーバード大チームは9月、DNAに組み込まれにくいアデノウイルスを使い、マウス肝細胞などからiPS細胞を作ったと9月に発表。しかし、作成効率が極めて低下した。
山中教授らは、感染病の原因となるウイルスを使う限り、厳しい管理体制の実験室で扱う必要があり、コストも高いと考え、「プラスミド」と呼ばれる環状DNAを人工的に作り、使うことにした。(2008/10/10-02:53)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&k=2008101000045