8/31 (Wed)
あまりに更新の頻度も落ちてきたし、気分一新でブログへ引っ越しやす。
好きな数字(2)が並んで、なかなかいいアドレスが取れた。
7/17 (Sun)
シンガポール空港で一夜を明かした。快晴のバリとは正反対に、外はザーザー雨降り。午前7時近くなってようやく外も明るくなってきた。
シンガポールはバリから福岡へ戻る中継空港に過ぎなかったのだが、昨夕方からN君が腹痛・下痢を訴えていて、デンパサール空港でも医者に見てもらったのだが、そこでもらった薬が怪しかった。(しかも、この責任は私にあり。薬は現地のが一番効く、という浅知恵で処方箋を信じたが、途上国の薬は実は危険だった。)
福岡までの6時間は耐えられないと(彼自身が)決断して、シンガポール空港の医者に診てもらうことになった。さすがに日本語がまるで使えない環境では助けが必要だろうから、私もシンガポールに残ることにした。(たまには引率者らしく。)
診断結果は、やはり食中り。彼も金曜の夕食に心当たりがあるという。けっこうひどい状態だったらしい。注射2本、点滴を1本、薬も多数処方されて、計S$400-(3万円弱)。それでも、「明日の飛行機は大丈夫」という医者の心強い診断をもらって、一安心する。
抗生物質が効いて熱も下がり、空港内の医局を出たのが朝3時。不便なことに、空港のTransit Hotelが満室で、外のホテルも明け方ではぼられるということで、担当者も空港内でゴロ寝をすすめる。体調が悪いのに、困った。朝からはチェックインできそうなので、何とかこのまま持ちこたえてほしい。
なぜか一人だけビジネスクラスにアップされたS君といい、大当たりな学会旅行になった。
追記:飛行機の変更は無償だった。シンガポール航空に多謝。さらに彼が海外旅行保険に入っていたのも不幸中の幸いだった。おそらく、医療費はカバーされるし、ホテル代も出るかもしれない。いつも保険など大して気にしないまんぼうも、さすがに今後は気をつけようと思う。
7/14 (Thu)
今度は、バリ島に出張中。いや、バリ島に出張だなんて、そんなことはありえないか。学会のついでに南の島に遊びに来た、というのが本音である。
大した予備知識もなくやってきたが、バリ島の第一印象は「最悪」。
空港でいきなり預け荷物を担いで行かれ、厳しい荷物検査へ連れて行かれるのかと思ったら、なんてことはなくチップを要求してくる。1000円とかアホなことをぬかすので、1ドル札を渡して "This is good enough! I never asked you." と怒ってやる。
学生の被害も大きい。結局、N君も値切って$1、I君は$5。最悪はS君。二人分でまじめに$20も払ったらしい。こんなスタートを切ったら、バリ島の滞在は気分的に台無しである。初めての海外旅行にしても、厳しい試練だ。
ホテル(Sanur Beach Hotel)は、完全にリゾート型。ハワイよりずっと物価が安いので、私の出張費でも十分に楽しめる。朝晩はプールに入り、会議の合間には外でショッピング。安い伝統工芸品が実に豊富である。
本日の発表も、皆無事終えた。学生もよく練習して本番ではバッチリ決めた。合格点を与えられる。私自身も、十分インパクトを与えられる出来だったと思う。
インパクトといえば、バリ動物園。かなり狭い敷地に多種の動物を飼っているので、人間との距離が自ずと近くなる。熱帯だけに動きも活発で、トラやライオンなどかなりの迫力だった。小さい子供を連れてきたら、決して目を離せないところだ。
午後は研究所の見学ツアーとかいうことだったが、片道2時間と聞いて、即キャンセル。リゾートホテルでのんびり過ごす方が、よほどマシだ。
さて、論文も書き飽きたし、そろそろプールで一泳ぎしてくるか。
7/8 (Fri)
またカメリアでプサンへ行ってきた。これで何度目だろう? そろそろパスポートのスタンプも数え切れなくなってきた。
ちょうど長崎大学の観測船が対馬海峡で作業しているので、時期を合わせて、フェリーで往復中に塩検用の採水とクロロフィルのサンプリングを行う。いつもの作業である。新人(にしては年取ってるが)を2名連れて行ったが、二人とも手馴れたもので、すぐに要領を得る。心強い。
プサンに到着後、研究仲間であるLさんとKさんと夕食に出かける。オープンな雰囲気の、オシャレな焼肉屋で、若者は大喜びでサンギョッサル(豚バラ肉)をお替りする。そんなに食って大丈夫かよ〜。
市場では、義母、他多数に頼まれたヨンサマヤンマル(靴下)を大量に購入し、店のおばちゃんにも苦笑される。旅の恥は掻き捨てよ。
周りで笑ってるんじゃない!
翌日の昼食は刺身づくし。最初はうまかったが、酒と刺身だけでは続かん。飯がほしい。
しかも、帰って翌日の今日は朝から腹の調子が悪い。講義の直前にトイレへ行き、直後も猛ダッシュ。どうやら、刺身のどれかに当たったらしい。気分悪し。
さらに、今日は海洋学会の要旨締切日で、次々と学生がお構いなしに要旨の添削を求めてくる。体調も悪いし、もういい加減、どうでもよくなってきた。
数えてみると、そりゃ疲れるはず、学外の共同研究も含めて、共著で7件も発表がある。しかも日本海ばかり。おえー。発表がないのも寂しいが、何もここまで同時に集まらんでもいいのに。次の学会では、ほとんど2セッション分、占領状態だな、こりゃ。
今月はバリ(インドネシア)のJECSSや対馬セミナーもあるというのに、先が思いやられる。体力勝負。
7/2 (Sat)
福岡もようやく梅雨らしくなり、今日は1時間に40mmもの雷雨となった。それでも、恵みの雨に感謝する。
こんな荒天の中、対馬海峡の観測が始まった。揺れるだろうな〜。考えただけで酔いそうだ。おえ。もちろん、海に弱いまんぼうは(意味不明?)、遠慮させてもらう。
さて先日、K先生と海水淡水化の話をしていたら、「中東では水を取りすぎて塩分が濃くなって問題となっている」という情報をもらう。となると、福岡も大丈夫か?という疑問は、当然浮かぶ。
1日3〜5万tを淡水化するということだから、それだけ蒸発しているに等しい。どんどん海水の塩分は濃くなるわけである。手計算で見積もろうにも、どれくらい海水が拡散しているかによって結果が変わってくるので、ここはやはり数値計算バイ、ってことで、いつもの日本海モデルに淡水化施設を入れてみる(=近いグリッドの蒸発量を増やしただけ)。
・・・結論、影響なし。海流であっというまに拡散するので、淡水化施設を入れても、私の計算では最高でも0.02PSUしか濃度が上がらなかった。冬季は鉛直混合も加わって、さらに影響が小さい。
面白くないといっては失礼だが、これなら、まだまだ水を取っても大丈夫そうだ。ミネラルたっぷりの海水は、うまいよ!
6/26 (Sun)
携帯電話を新型にした。以前から欲しかったグローバル携帯。これで海外出張しても、電話を受けることができる。メールもできまっせ〜。
25ヶ月以上使っていたので、ポイントとあわせて約1000円(+変更手数料約2000円)。しかし、前回の1円ケータイから比べると、大進歩である。
さっそく、楽しい機能を使ってみる。100万画素のデジカメは期待通りの高画質。歩きながらFMラジオが聴ける、ってのもいいねぇ。海外向けを謳うだけあって、アメリカの100MHz帯までカバーしてる。音質は今ひとつだったが、イヤホンを換えればいいことか。
スケジュールにTo Doリストもついて、パソコンとUSBで直結もできるし、PDAとしても十分である。GPSで現在地を表示して、行き先までナビしてくれるらしい。いやはや、1000円でここまでできるか! とてつもない日本の技術力。
6/17 (Fri)
昨日、横浜で研究の会議があり、1泊2日で出張してきた。会議自体はだいたいいつも通りだったが、偉い面々が不在だったので、どことなく緊張感もなし。それだけ自由にものが言えて、まんぼうも気楽である。(いつも言っとるやんけ)
そして今朝は10:30から大学で講義。なかなかきついスケジュールだ。昨日の会議後はいつも通り飲み会もあり、昨夜は羽田空港のホテルに泊まって、朝一(6:30)の便で帰ることにした。
夜11:30にもなると、いつもはごった返している羽田空港もさすがに閑散としている。警備員に何度も呼び止められ、「ホテルはどちらですか?」と逆に尋ねて通過させてもらう。スーツでも着てれば怪しまれないのだろうが、年中クールビズのまんぼうは、格好のターゲットである。世の中、見た目で判断されるんだよなぁ。
しかし、羽田空港の新ターミナルにできたばかりのこのホテル、なかなか使える。何しろ、ANAのカウンターまで徒歩何十歩か。離陸の1時間前まで寝ていて、シャワーを浴びて朝食(バッフェ)を食べて、それでも余裕があった。
都心のホテルに泊まると、どうしても乗り遅れを心配して早めに出てしまうが、ここだと目の前にゲートがあるから時間を無駄にしない。デザインに凝った部屋は機能的で使いやすいし、枕も布団も気持ちいい。まだ寝ぼけたまま飛行機に乗り込めば、再び1時間半の熟睡も可能。
さすがに、宿泊料金はそれなりにするようだが、そこは旅行パック。福岡から往復で4万円台なら、納得の料金である。この手は使える。
6/11 (Sat)
まんぼうは、食べ物に無頓着である。好き嫌いがないというか、少々ウマかろうとマズかろうと、何でも適当に食事を済ませてしまうことができる。
「好き嫌いがない」と言うと、立派なホメ言葉であるが、裏を返せば、好きな食べ物も嫌いな食べ物もない、全くつまらないヤツである。美味しい物を食べれば「これはうまい!」と感激はしても、翌日には忘れてしまっている。翌々日にはメニューすら復唱することができない。ぜんぜん心に残っていないのである。
一人暮らしならそれでいいのかもしれないが、結婚して食事を共にするとなると、これがけっこうな問題となる。「今日は何を食べたい?」と聞かれても、いや、何も思い浮かばない。かといって、「何でもいい」では素っ気ないので、ない知恵を絞って何か答えるようにしてはいる。
実家の母親に言わせると「うちは料理に無関心に育てたからねぇ」ということになる。そういう家庭の食環境のせいか、と何となく考えていたが、ふと原因は幼稚園か小学校かの先生にあるんじゃないか、と思うようになった。
とにかく給食時には決まって「好き嫌いしない!」と口うるさく指導された。誰でもそうだろう。先生にしてみれば、栄養が偏らないように、子供の口に合わない物を残させないように、「好き嫌いはしない」と厳しく躾ていたのだろう。
普通の子供なら一つや二つは嫌いな食べ物があって、それを我慢しても食べなきゃ、と思うところだ。が、そもそも私に嫌いなものなどほとんどなく、何でもバクバク食べる大型の少年だった。そこに「好き嫌いするな」と言われたら、嫌いがないのだから、むしろ「食べ物を好きになるな」と理解する。あまり美味しいとか不味いとか感じることなく、無表情に給食を平らげてしまうのが「良い子」である、と感じて、そう行動するようになった。
うん、原因はこれに違いない。「うまい」とか「まずい」とか、給食を評しようものなら、すぐに先生から注意された。これはひどい。私から「食」の楽しみを奪った、なんてヤツらだ。こんな指導方法は間違っている。
25年以上も前の教育を恨んでも始まらないので、原因が分かった所で、対策を考えねばならない。長年の習慣だけに、一筋縄では修正されないだろうが、はっきりと理由がわかったので、少しばかり晴れやかな気分である。
5/3 (Tue)
ロンドン到着は夜。体力的にもきついな。
イギリスの印象:日本とよく似てる。というか、明治維新の日本が同じ島国のイギリスを真似したんだよな。右ハンドルだし、赤いポストもそっくり、Big Benが学校のチャイムと同じだなんて、そこまで真似しなくてもいいんやない?
市内を一通り観光し、昨日はECMWFのあるReadingへ出かけた。残念ながら祝日で所内まで入ることはできなかったが、実に美しい田舎町。どの家にも草花があふれて、上中級の人々が集まって暮らしている感じだ。次は、こんな所に留学できたらいいなぁ。(駅近くのモールに無印良品があったのは驚いた。街で日本人を見かけることはほとんどないのに。)
それにしても、ロンドンの物価は異常。安いプラハからユーロのウィーンを経由して、ヨーロッパ圏内の経済格差を感じる。どんどん通貨統合を進めているけど、こんなに物価が違ってうまくいくものかね?
何もかも高いので、いいと思っても手が出ない。Clarksの直営店でセールをしていたので、なかなかおシャレな靴を\6000ほどで買ったくらいなものだ(これだけは安かった)。日本の物価は世界一高い部類と信じてきたが、今のロンドンには負ける。長いデフレの間に、すっかり逆転されてしまった。田舎国から出て来た貧乏人の卑屈な気分である。
4/29 (Fri)
列車でウィーンに入る。道中は、比較的天気が悪く、景色の見通しが悪かった。
ウィーンの印象は、うーん、西側諸国に帰ってきた安心感、か。何となく清潔だし、市内に緑が多い。やっぱりチェコはまだ発展途上国だったか。
ウィーンでの楽しみは、何と言ってもホテル。ゆきちゃんがLe Meridianという超高級ホテルを格安で見つけてくれた。外見はそうでもないが、部屋はまるで未来の世界。こんなホテル、二度と泊まることがあるかいな。
今度の学会(EGU)は、先週のプラハより格段に規模が大きい。(それだけに、サボっても目立たない。。) ポスター発表も2件申し込み、意気込みを見せるも、日本海じゃあ誰も近づいてこないか。
それでも、1時間半でそれぞれ5人から10人程度の来客はあり、じっくり話し込めたのでよしとする。心なしか、アメリカよりヨーロッパで発表する方が、聴衆もきちんと耳を傾けてくれるような気がする。お互いに英語が達者でないから、下手なプレゼンでも、とりあえず聞いてやろう、という空気がある。アメリカ人は興味なければ露骨に去って行くからなぁ。日本人は、まずアジアでデビュー後、アメリカより先にヨーロッパで経験を積んだ方がいいかもしれない。
ESAのブースでENVISAT高度計データの取得方法を尋ねたり、アメリカの知人をつかまえて以前からの疑問点を質問したり、いろいろ収穫もあった。GFDの教科書でおなじみのCushman-Roisinの講演を聴いて、名前の読み方もしっかりチェック。英語がむちゃくちゃうまいけど、おそらくフランス人である。カタカナ発音は「クシュマン・ロザン」が近い。
さて、観光の目玉は、何と言ってもハプスブルグ家の王城「シェーンブルン宮殿(Schloß Schönbrunn)」。つい90年ほど前まで、実際に使われていた城は、確かにリアルである。第一次世界大戦でへぼい負け方をしていなければ、現在でも日本や英国の王室のように生き続けていただろうに、もったいないねぇ。王家を否定しながら、未だに皇妃エリーザベト(Elisabeth)に憧れてヒロインのように扱うのは、やや滑稽である。確かに173cm, 50kg(うち髪5kg以上)のスタイルは見事だが、彼女がそんなに美人かねぇ。性格きつそうな顔してるよ。
皇妃エリーザベト像
ウィーンでも、特筆すべきは食事。まずは日本の豚カツに似たシュニッツェル。あまりのデカさに驚くが、薄平べったいので、案外食べきることができた。杏ソースで食べるホットケーキも美味。小さなオープンサンドやグーラーシュ(煮込みシチュー)など、同じ西洋でもアメリカの大量で大味な味覚とはずいぶん異なる。やればできるんじゃん。
でかいシュニッツェル
コーヒーもうまかった。ウィンナーコーヒーって、「ウィーン」が語源だって、初めて知った。もっとも、ご当地での呼び方はアインシュペナー(Einspänner)。一番気に入ったのは、メランジェ(Melange)と呼ばれるカフェラテ。豆まで買ってしまった。どれだけカフェにいても注意されなくて、のんびりできる。街歩きに疲れたら、カフェへGO。
かの有名な、ウィーンのオペラ座内部も見学することができた。オペラ座の入場料は案外安くて、立ち見席なら1000円以下でもあるとか。とても入場料だけでは運営費が足りなくて、メインスポンサーはトヨタ自動車なんだそうだ。日本人として、ちょっと鼻が高いぞ。
4/25 (Mon)
2度目のヨーロッパ旅行。2つの学会と1つの研究機関を訪れるため、2週間超の大旅行である。
最初の目的地はプラハ。東側諸国の中では、かなり進んだイメージがある(プラハの春とかね)が、実態はどんなもんだろうか、と空港に降り立つ。いや、もうとっくに米国資本が入って、立派な箱物ができている。免税店もどこかで見たようなチェーン店が多い。
行きの飛行機では韓国人の団体旅行とかち合ってしまい、ぎつぎつの満席状態。隣は英語もできないベトナムかその辺りの男で、こっちに足を投げ出すし、たまらなく不快。ぶー。
空港から市内へは 90CZK(約450円)でシャトルを利用。後から考えると、チェコの物価と比較してけっこう割高料金であった。それにしても、誰も彼も英語ができる。
郊外は共産主義時代の建物らしきアパートが並び殺風景な面もあったが、市内に近づいてくると、そこは中世のヨーロッパ。100年どころではない、平均200年以上前の姿がそのまんま残っている。ファンタジーの世界だな、こりゃ。
翌朝、ブルタバ川方面を散歩。すっかり川霧に覆われて視界が悪いが、これはこれで幻想的な光景である。気温が上がってくる春は、相対的に雪解け水の方が冷たくて、こんな霧の状態になりやすいのだろう。
学会発表(ポスター)を難なくこなし、また観光モード。バスで郊外まで遠征する。行き先はまぁまぁだったが、この国の庶民生活を垣間見ることができた方が収穫。観光地化されて景気のいいのはプラハだけで、郊外はまだまだ。共産時代の雰囲気が色濃く残っている。一言で言えば、まだまだ貧しそうだ。
研究のネタも一つ思い浮かんだ。これはいい、が、簡単なことなので、誰もやってないといいけどなぁ。場所を変えると、考え方も変わるのか、旅先でふと新たなアイデアが浮かんだりすることは多い。不思議なものだが、そういえば、同じようなことを釣り好きNさんも言ってたっけ。
テレジーン(Terezin)のユダヤ人収容所跡(正確にはghetto)。ヨーロッパ各地から多くのユダヤ人がまずこの収容所に集められ、所持品没収・人数登録されてから、アウシュビッツなどの強制収容所(concentration camp)へ送られた。想像はしていたが、劣悪な非人道的環境を直に見れたのは貴重な経験。
3日遅れでゆきちゃんが到着し、プラハ市内を観光。あ、もちろん、時々は学会にも行ってたよ。(苦しい・・)
石畳と中世建築の街、プラハ。狭い路地を抜けるたびに感嘆する。よくぞここまで生き残ったものだ。逆の見方をすれば、オーストリア帝国からナチを経て共産党の支配までの数百年間、ほとんどこの町は発展していないということである。常に強権支配される立場にあったチェコ人の苦労が忍ばれる。
くねくね道を抜けて、カレル橋(Karluv most)まで達すると、一気に視界が開ける。テレビでも見た、おなじみの城景である。しばし、感慨にふける。遠くまで来たもんだなぁ。
カレル橋から見るプラハ城。晴れ渡ってすがすがしい春の朝。
プラハの印象は言葉で表現し尽くせないので、絵に任せる。
さらにうれしいのは、ビールのうまいこと! しかも安い。ピルスナーとチェコ料理の相性が抜群で、食事の度にビールを一杯空ける。日本のビールと比べると軽くて飲みやすい。酒に弱いまんぼうにちょうどいい。散策してはビール+食事、そしてまた街歩き。季節もいいし、プラハ最高。
最後はモーツァルトのコンサートで締め、列車(EC)でウィーンへ向かう。
p.s. 日本では、列車の脱線事故で何十人という乗客が死んだという。CNNでも繰り返し続報が入る。日本の安全神話は、もはや消え去ったようだ。
4/8 (Fri)
昨日・今日とRIAMOM初心者向けセミナーを開催した。新ユーザーも増えてきて、個別に教えるより一度にまとめてモデルの扱い方を伝授した方が手っ取り早いと判断したのだが、なかなか私自身の整理にもなってお互いにためになったと思う。細かいバグも判明して、有意義なコメントももらい、早速バージョンもアップする。多謝。
昨夜、例年より遅れた桜を見ながら来客歓迎のバーベキューを催す。話があっという間に大きくなって、海洋関係の5研究室計30名以上が集まって大騒ぎになった。Fさんを初め、手際のよい準備に大感謝。
翌日の今日もぽかぽか陽気である。バーベキューの後片づけで、落ちているゴミなどを拾っていたら、キャンパス内に花見に来た老人の集団が次々と私の所へやってくる。何の用か?
「何か取れとーですか?」
「いや、昨日のバーベキューのゴミ拾いを・・」
「ありゃー、つくしが取れよるんかと思うた」
最初のおばあさんとこんな会話をして、やり過ごしたと思ったら、また耳の遠い後ろのおじいさんが、
「何か取れよるんですか?」
と同じ質問をしてくる。結局、幾度となく「つくし取りではない」と釈明する羽目になる。だいたい、大学キャンパスのど真ん中の空き地で、つくしやら生えるわけなかろーもん。
真っ昼間から怪しい行動をする方も問題かと思い直し、ゴミ拾いをそそくさと切り上げる大学教員であった。
3/20 (Sun)
福岡ででかい地震があった。
二日市で信号待ちしていたら、車がゆらゆら揺れ始める。追突されたにしては何度も押される。ゆきちゃんが車を揺らして遊んでるのか?と横を見たら、外の鉄塔までブラブラ振れているので、やっと地震だと判断する。福岡では滅多にないので、地震だと思いつくまでやや時間がかかる。
今までで経験したことないくらいの揺れではあったが、せいぜい震度4くらいか?とラジオをつけたら、福岡で震度6とか言ってる。おいおい。
別府までドライブする予定だったが、高速道路もあっという間に閉鎖される。とても遠出できない。自宅に戻ることも考えたが、どうやら福岡方面の方が被害が大きそうだし、しばらく南で遊んで様子を見てから帰ることにする。
たまたま通った吉井町で雛飾りをしていたので立ち寄る。この時期九州ではあちこちで雛飾りをしていて、江戸時代の雛人形もそう珍しいものではないが、今日の発見はペルシャ絨毯の専門店。この道15年というオーナーが、本物のギャバについて、それは詳しく解説してくれた。またさらに欲しくなった。
福岡へ戻る道はどこも大渋滞。電車が動いていないので、車の通行量が増えたのだろう。もう少しゆっくりすべきだったかな。
おそるおそる家に入ってみると、ほとんど被害らしい被害はなし。ホッと一安心。唯一の被害は
IKEAで買った安時計が落ちて壊れていた。が、ネジを外してすぐ修理完了。
visitors from 5/2/2000
ご意見・ご感想など、golfmylife@yahoo.co.jp へお気軽に!
|