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彼こそ、国家というものに囚われることなく市民という立場で世界の人と連帯しようとしたアンチナショナリズムの元祖。
大変影響を受けました。
小田さん、あなたの発した言葉や考え方がこれからの世界に必要となるでしょう。ご冥福をお祈りします。
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<小田実さん死去>市民の視線貫く 国動かした行動力
7月30日12時2分配信 毎日新聞
世界の市民と手を取り、平和を求めた長い旅が終わった。30日、75歳で亡くなった作家の小田実さん。1961年のベストセラー「何でも見てやろう」「ベ平連」代表として率いたベトナム反戦運動、阪神大震災で被災者として訴えた市民立法……。「国籍や民族に縛られない、対等で自由な市民がつくる世界」の実現を目指し、「地べたをはう」生き方にこだわった小田さん。その死を悼む声が相次いだ。
原点は、敗戦と新しい憲法の体験だった。「大阪空襲の中を逃げ回って、いやおうなしに敗戦体験をした。そして憲法を持った。憲法は武器を捨てて丸腰になる覚悟をしていた。これは革命だよ」。当時14歳。憲法の思想を体に染み込ませた。
58年から2年間、欧米や中東、アジアを旅したベストセラーの旅行記「何でも見てやろう」を経て、「ベ平連」で反戦デモを率いた。80〜94年、小田さんとともに「日本はこれでいいのか 市民連合」の代表世話人を務めた東京経済大名誉教授の色川大吉さんは「並はずれた行動力と人間的な魅力が多くの若者を引きつけ、東京の事務所はむせかえるような熱気に沸いたものだ。市民運動の歴史に大きな功績を残したかけがえのない人だった」と評価した。
自らも被災した95年の阪神大震災では、被災者の生活再建支援に公的資金の支給を求める市民団体「市民=議員立法実現推進本部」を結成。その運動は「被災者生活再建支援法」に結実した。同推進本部の代表だった小田さんのパートナーとして事務局長を務めた山村雅治さん(54)は「法律が残せたのは小田さんの実行力のおかげ。小田さんはよく左翼と思われたが、彼ほどの愛国者はいない。今後もう、だれも『小田実』にはなれない」と肩を落とした。
今年5月には、自ら胃がんであることを公表。病床でもインタビューに応じるなど、最後まで言論人としての活動を続けた。2度、見舞いに行ったという作家の瀬戸内寂聴さんは「私自身がしばらく体調を崩しており、そろそろ電話しようかと思っていた矢先でした。彼は社会的な活動が表立っていましたが、素晴らしい小説をいくつも残しており、文学者としても立派でした」と話した。
最終更新:7月30日12時2分
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