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中国人強制連行訴訟:原告敗訴(その1) 閉じた司法救済の扉 原告、抗議の右拳
◇原告、抗議の右拳 法廷で突き上げ
日本の司法は無情だった。27日、中国人の賠償請求権を否定した強制連行訴訟の最高裁判決。勝訴を信じ、提訴から9年余にわたり日本企業の理不尽さを訴えてきた原告たちは、退廷する裁判官に向かって右手の拳を突き上げ、怒りをあらわにした。「不当判決」「許せない」。支援者たちからは、司法救済の道を閉ざした「人権の砦(とりで)」に厳しい声があがった。【高倉友彰、木戸哲】
「原判決を破棄する。被上告人の控訴を棄却する」。午前10時半、敗訴確定を意味する判決主文の言い渡しが始まると、傍聴した日本人支援者から「取り消せ」「恥を知れ」と怒号が飛び交った。原告5人(生存者2人、遺族3人)のうちの一人で、強制連行を経験した邵義誠さん(81)は退廷する裁判官の背をにらみつけた。
判決後に最高裁近くの社会文化会館であった会見でも、賠償請求権はあるが裁判上は請求できないという判決に対し「裁判所が責任を免れている感じの判決だ。最後まで西松建設と交渉していきたい」と憤りを隠さなかった。
「人民日報」「新華社」など中国メディアも取材に訪れ、中国国内での関心の高さをうかがわせた。
◇苦しみ「忘れない」−−過酷な現場、両目失明の79歳
邵さんは「全員を代表して訴訟を起こした」と話す。西松建設の発電所建設現場に連行された中国人は約360人。過酷な労働を強いられて269人が病に倒れ、29人が病気や事故で命を落としたという。
44年夏。邵さんは路上で「ヤクザのような男たち」に拉致され日本へ。重い皮膚病を患ったが、1度注射を受けただけで放置された。45年春「働けないので中国に帰す」と通告され帰国。だが病気で働けず、路上生活をするしかなかった時期もある。結婚後も妻に過去を打ち明けられなかった。「思い出すと悲しくて話せなかった」からだ。
もう一人の生存原告、宋継尭さん(79)は「一生を暗闇の中で過ごしてきた。補償を勝ち取るまで生き延びたい。歴史的事実は生きている限り絶対に忘れない」と訴えてきた。作業現場でトロッコもろともがけ下に転落。両目に大量の砂が入ったが手当てすらしてもらえず両目を失明した。
高齢でもはや自力で歩くことさえ難しい。それでも、体調を心配する家族の反対を振り切って来日し、最高裁の法廷に乗り込んだ。「何も言わないまま負けるわけにはいかない」。車椅子に預けた身に秘めたそんな思いは、最後の最後に、退けられた。
毎日新聞 2007年4月27日 東京夕刊
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あ〜あ、これまでどおり日本の司法は国家機関の弁護士として国家犯罪の被告である国と企業を守るのに必死。被害者を救済することもなく、仲裁をとろうとする意志もないないなら司法の名に値しないな。
しょせん、こんな残虐な犯罪を起こした国の司法で司法自体が犯罪者仲間(嘲笑)
永久に日本は国家犯罪を清算しないことになってしまった。国際的に倫理観のない国家と罵られることになるだろう。それでいいはずがない。
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